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Q.嫌いな親を「精子提供者」「卵子提供者」と呼ぶ人が一定数居るらしく、私は共感しました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.嫌いな親の事を「精子提供者」「卵子提供者」と呼ぶ人が一定数居るらしいのですが、私はとても共感しました。でもこの呼び方ってちょっと酷いですかね?

A.ウ・サギは酷くないと思いましたし、そう呼ぶことで自分が親といい心の距離をとれるなら、とても賢い対処法で「いいね!」という気持ちです。「精子提供者」「卵子提供者」と呼ぶのは初めて聞きましたが、同じくらいドライな呼び方は何種類か聞いたことがあります。
自分にとってしっくりくる呼び方を探すのは、とても大切なことだとウ・サギは思いますよ。

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update 2025/12/16
Q.AI依存が人をダメにするみたいな話もあるが、AIに逃げてしまう背景をみてほしい
この記事の担当 うさえなが

Q.AIに依存が人をダメにする
みたいな話あるが
違うよなあ AIに逃げてしまう
背景みてほしい
趣味の話とかできるいい面あるし

A.我も違うと思った!
AI使ってもいいよねえ

*ウ・サギから補足*
依存するには理由があるので、行為だけを咎めるのは違うとウ・サギも思います。背景みてほしいのはまさにその通りだと思いました。
ただ、AIについては個人のレベルではなく社会全体で、どう取り扱っていくか、付き合っていくかを考え続けていく必要はあるように感じています。どんな高度なテクノロジーも、使い方を間違えると、人を苦しめるものになってしまいますからね…。

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update 2025/12/16
Q.私が頑張って上手くいかずとも所長たちは頑張りを認めてくれる?
この記事の担当 所長室

Q.所長たちは、私が頑張って頑張って、結果上手くいかず、いまよりもっと不幸になったとしても私のことを誇りに?思ってくれますか。頑張りが実らなかったとしても、私の頑張りを認めてくれますか。

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update 2025/12/14
Q.バイト先の店長の発言にショックと怒りを感じた
この記事の担当 所長室

Q.バイト先の店長が、「もっと稼いでほしいし、他の人はシフトを多く出してるよ。全然シフトを入れないなんて、自分に甘くね?」と言ってきた。私は心身の安定の為、シフトを多くは入れてないので、ショックと怒りを感じた。そう感じるのは自然なこと?

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update 2025/12/14
Q.会社で男だけ寮が用意されているって性差別ですよね? 
この記事の担当 ウ・サギ

Q.会社で男だけ寮が用意されているって性差別ですよね? 逆の場合でもいいので、同じ悩みの人いたら教えてほしいです!

A.会社は資源(資金、人材)に限界があるので、男しか寮がないこと自体は性差別とまでは言い切れないと思うのですが、寮と同等の費用で住めるほどの家賃補助がないのであれば、それは性差別の範囲に入るかな…というのがウ・サギの感覚です。このあたりは詳しいわけじゃないので、あくまで一意見として受け取ってください。
補足で、情報伝達において会社側に至らない部分があったことと、寮があるのが会社を選んだ理由だったということが書かれていたので、それであればショックや憤りを感じるのも当然だろうと思います。平等や公正は本来であればすべて叶ってほしいのですが、リソースとの兼ね合いで完璧にはいかないところがあるのが…とても悩ましい部分だとウ・サギは思っています。でも不利益がある現実は納得できないものですし、腹も立っちゃいますよね…。

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update 2025/12/12
Q.「自分が同じくらいの年齢の時はこうだった!だから貴方もこうすべき!」と叱られる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「自分が同じくらいの年齢の時はこうだった!だから貴方もこうある(こうする)べきだ!」と叱られる。
これはやり方(在り方)を合わせない私の問題?

A.補足に具体的な話もありましたが、やり方を合わせる必要はまったくないとウ・サギは思いました。非合理的な意見をそんな風にぶつけられても困っちゃいますよね…というのが率直な感想です。
また、基本的に、叱るや怒るというのは、怒られる側の行動の問題ではなく、怒る側の感情の問題だとウ・サギは思います。何か実害があって困っているがゆえに怒っている場合は、どうしたらいいかを一緒に考えていく必要はあるとは思いますが、そうだとしても一方的に叱ることはあまり望ましいコミュニケーションではないと感じます。(人間は不完全な生き物なのでつい感情的になって、叱ってしまうこともあるのですけどね……)
理不尽なことで叱ってくる人からは距離を置くのが一番ですが、きっと難しいかと想像しているので、どうにか少しでもかわしたりダメージを緩和させたりできたらいいなと思いました。

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update 2025/12/12
Q.いつもは学校休みたいと思うのに、いざ休むことになると不安を抱いて急に勉強したくなる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつもは、学校を休みたいとよく思うのに、いざ体調不良で学校を休むことになると要領が悪いので勉強が遅れてしまう、などという不安を抱いて急に勉強したくなります。やっぱり腐っても優等生なんだなって思ってしまいます。この気持ちは一体なんでしょうか?

A.周囲から望まれる自分でなくなるのが怖い、という防衛本能のようなものがあるのかなとウ・サギは感じました。優等生でいるのは疲れることですが、攻撃や否定、将来への不安からは身を守れるので、優等生じゃなくなったときに何か怖いことになるのではないか…?とウ・サギだったらびくびくしてしまう気がします。
そもそも自分というのは、湧いてくる気持ち(この場合だと「休みたい」になるかと思います)、社会生活を無難に送ろうとする意思や危機感(「勉強しなくては」など)、またはその他にも色々、気持ちや思考がたくさんあるチームみたいなものだとウ・サギは思っています。ちなみにウ・サギは、脳内会議で違う意見がぶつかりまくっていた時期もありました。
それにしても、要領も、合う勉強法も人それぞれな中で、同じペースで勉強させること自体に問題があると改めて思わされました…。個々の自習ベースで勉強させて、困ったら先生に力を借りたり子ども同士で助け合う、みたいな学習スタイルがどこかの国であったと思うのですが、日本も真剣に教育のあり方を見直す時期にきているとウ・サギは感じます。

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update 2025/12/12
Q.人を分類する言葉に違和感を覚える。何故人を安易な言葉で形容して箱に入れようとするのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人を分類する言葉に違和感を覚えてしまいます。何故、人のことを安易な言葉で形容して箱に入れようとするのでしょうか?また、個性を消して、生きることが美徳とされているように感じます。かくいう自分もそれに縛られて生きています。どうすればいいですか?

A.補足の内容も少し入れて整理させてもらうと、人を分類する言葉は例えば「優等生」であり、その背景に、使いやすい人間と使いにくい人間で分けるような価値観を感じ違和感を抱いている、という話で受け取りました。
人を安易な言葉で形容することについては、
・アイメッセージ(私はこう思う)ではなく、ユーメッセージ(あなたはこうだよね)で伝える
・形容された側が、違和感や抵抗を抱いても、反論できないくらい力を失った状態にある
の2つがそろったケースであれば、まさに箱に入れるような暴力性が生じるとウ・サギは思っています。
ただ、話を深めていくと、他者の個性を形容することは、その他者の個性についての話題というよりは、形容した側の価値観を話している意味合いが強いとウ・サギは捉えています。わざわざ誰かを優等生だと言う人は、優等生を望ましいと思っているか、優等生になりたいか、優等生じゃないとまずいというプレッシャーを抱えているか、とにかく「優等生」ということに何かしらの意味を感じている人ではないでしょうか。だから「あの人は○○だよね」という形容は、誰かを箱に入れているように見えて、実は自分が閉じ込められている箱について語っている発信なのだとウ・サギは考えています。
つまり、何故人のことを安易な言葉で形容して箱に入れようとするのか?の問いへの答えは、自分自身が箱に閉じ込められているから、というのがウ・サギ説です。個性を消して生きることが美徳とされていることについては、力を持っている側が力を持ち続けるにあたって、力のない者が思考停止で従ってくれるのが都合がいいという力学のようなものが働いているように思います(勿論、それ以外の要因や背景もあると思いますが、ウ・サギとしてはそういった力学に一番着目しています)。このあたりは、もしもっと興味があれば、パウロ・フレイレの「被抑圧者の教育学」という本をぜひ読んでみてください。ちょっと難しいかもしれませんが、言葉や概念を「押しつけられるもの」「受け入れるしかないもの」ではなく、「自分たちで考えるもの」「つくっていくもの」とすることが、社会づくりの本質であるといったことが書いてあります。
だから、どうすればいいですか?は、こうやって世界を自分の言葉で語り、対話し続けることだとウ・サギは思っています。いい質問をありがとうございました。

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update 2025/12/12
Q.もしあなたがトランスジェンダーだったら、どれだけ嫌だと感じますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.トランスジェンダー当事者で自分の性別について疲れてしまいますが、それが当然のことなのかよくわからなくなりました。もしあなたがトランスジェンダーだったら、どれだけ嫌だと感じますか?よくわからない質問で申し訳ないですが聞いてみたいです。

A.同じトランスジェンダーと言えど、性別への感じ方にそれぞれ微妙な違いがあると当事者から聞いたこともあるので、その「もしも」を考えるのは難しい部分もありますが、可能な限り丁寧に想像してみますね。
まず、トランスジェンダーに限らず、自分が何かのマイノリティであり、そのマイノリティ性が毎日どこかで突き付けられて、不当な扱いもされる世界で考えてみます(例えば、現代日本社会だと、人種マイノリティもそういったつらい思いをすることが多いかもしれません)。その状況に自分が置かれるのを想像すると「自分が○○(マイノリティ属性)じゃなければ良かったのに」と感じることは間違いなくあると思います。それが差別や偏見のある社会構造の問題で、社会が変われば生きやすくなるとはわかっても、社会が変わるだろうと信じられるほどの頼もしい味方がいなければ、自分のマイノリティ属性自体を嫌だと思うかもしれません。
もし自分がトランスジェンダーだったらに限定して考えると(自分の育った環境と、現代日本社会の価値観はそのままで想像しますね)、ウ・サギは周りに性別規範がほとんどなかったので、学校に行くまではあまり困らなかった気もします。学校に行けば無意味な男女分けがあるので、そこからは「自分は自分らしく生きる権利がある」と思う自分と、「トランスジェンダーじゃなければこんな思いはしなくてよかったのに」と思う自分とのせめぎ合いで、自分の個性を全て肯定できるくらいの日もあれば、逆に全て憎むような日もある、複雑な揺らぎの中にい続けることになったのではないかと思います。
個人の感情や感覚として「自分が○○(マイノリティ属性)であることが嫌だ」と感じるのも自然なことだと思います。疲れたときにはとくに、ウ・サギも自分についてそう思うときがあります。
ただ、大前提として、生きづらさは個人と社会の関係性で起こることなので、嫌だを掘り下げていくと「自分は○○(マイノリティ属性)であることで起こった不利益、不自由がつらい」「○○(マイノリティ属性)であることで抱えてしまった傷から解放されるとは思えないし、他の人が背負ってないものを背負わなくてはならないことに折り合いがつけられない」といった叫びなのかなと感じたりもします。

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update 2025/12/10
Q.死のうとすることについて、どこからが未遂だと思う?途中でやめるのは未遂に入らない?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死のうとすることについて、どこからが未遂だと思いますか。耐えきれず途中でやめるのは、未遂に入らないのでしょうか。

A.未遂の基準についてはウ・サギの専門外になりますが、「行動に重みがないなら、つらさの程度が軽いという話になるのではないか」「自分の行動は重いものだという認定がほしい」「自分のつらさが重いものだとわかれば、甘えなのでは?などと自分を責めたり葛藤することをやめられるのではないか」といった思いがあっての質問だと想像しています。
自分が苦しいと思うなら、それは行動で証明したり測る必要なんてなく、本当に苦しくて死にたいのだとウ・サギは思います。ウ・サギ基準では、つらさについて、誰かに認定してもらう必要もなく、周りと比べて抑えることもなく、自分がつらいものはつらいと自分の中で肯定してセルフケアをできて、甘えかもしれないなどと不安や焦りを抱くこともないのが、元気なこころです。その基準で測るなら、質問者さんのこころの弱っている度合いは、深刻なものだとウ・サギは感じました。

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update 2025/12/8