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Q.最近脂物や味濃いものが食べたくなくなってきた。これは心の病気?単に栄養足りてるだけ?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、脂物(コロッケ、トンカツ、エビフライなど)、味濃いもの(タルタル、クリームなど)が食べたくなくなってきた。心の病気?それとも単に栄養足りてるだけかな?

A.ウ・サギは好きな食べ物でも食べたいシーズンと全然食べたくないシーズンがあるので、第一印象としては、あまり心配なことには感じませんでした。納豆や冷奴が一番極端で、数カ月に1回ブームがきて1週間くらいは頻度高く食べたら、また全く食べないシーズンに戻ります。ただ、脂物や味の濃いものは消化の負担がかかるという点があるので、もしかしたら胃の調子などで今そういったものを受けつけるのが難しくなっていて、「食べたくない」という感覚が生じてるかもしれません。
あとは年齢や生活習慣によっても食べたい物は全然変わるので、何かが食べたくないことや実際に食べないことについては、比較的自然な現象だとウ・サギは感じます。まずはゆったり構えて、もし他の変化や不調も現れてくるようなら、その変化について分析するくらいの心構えでいるのはどうでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
この記事の担当 所長室

Q.精神疾患や発達障害の治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。

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update 2025/11/29
Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は差別的なニュアンスでは無かったように記憶している
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は精神科医、心理職、当事者を幅広く含む精神疾患と闘う人達のようなニュアンスで差別的では無かったように記憶しているのですが、いつ頃の時期から差別的に使われるようになってしまったのか気になっています。

A.この配信での「Q.私は「メンヘラ」という言葉は、差別用語に感じます(以下略)」を見ての質問ですね。ウ・サギは歴史については無知だったので、情報ありがとうございます。
言葉は、誰がどう使うかによって、時代の移り変わりによって、意味合いやニュアンスが変化していくものですよね…。差別的に使われているか、そうではないフラットなものとしてあるかは、コミュニティによっても変わると思います。ウ・サギの周りはメンヘラを差別したり軽んじたりする風潮が全くないので、ウ・サギはメンヘラを名乗ることも時々します。
属性についての表現は、周りが「あの人は○○だ」と勝手にカテゴライズして、それだけでわかったようにああだこうだ言い始めると、よろしくないことが起こっていくように思います。ウ・サギが初めてメンヘラという言葉を見たのは、ネットでの「彼女がとんでもないメンヘラだった」みたいな男性視点の話だった記憶があるので、そうやって周りが使うようになって、差別的な表現や不適切な理解につながりかねないものになっていったのでしょうかね……。抑圧されている側が自分の苦しさに名前をつけたり、その言葉を使って自分のことを語るのは大切だと思うのですが、抑圧している側がその言葉を好き勝手に使って語るのは、とても暴力的なことなのだろうとは感じます。

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update 2025/11/28
Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生活保護は、
働けるのに働かない人は受給できないといった感じのことを、
良くないことですが、
中古本店で立ち読みした生活保護に関する本で見ました。

では、
どうしても働きたいと思えない人は、
死ぬしかないのでしょうか?

A.少し前にも「働く」ことについて回答しましたが、世の中の「働く」のスタンダードがおかしくなってしまっているので、「働けるのに働かない人」の誤解を生みだしているように思います。

カエルはの認識では、どんな人でも、自分の持っている資源を活用して働くことができると思っています。もしも、働けない人、働きたくない人がいるとしたら、それは働くための条件や準備が整っていないことが理由だと考えます。
例えば、体が健康な人がいたとして、でも、オオカミに育てられたとしたら働くことができないだろうと思います。それはなぜかというと、教育の機会がなく、学ぶことができなかったからです。それと同じように、その人の学び方に応じて必要なことを学ぶチャンスが、実はあるようでありません。

ポイントは「その人に応じた学び」の保障です。
学校の学び方はどうしても画一的で一方的であるがゆえに、それに合わない子どもは一定数います。また、生活が不安定で学ぶどころではなく、学ぶチャンスを得られなかった人もたくさんいます。虐待やいじめなどの暴力に怯えていたら、学ぶことができません。自分に降りかかる危険のために備えること、回避することにエネルギーを注ぎ、生き抜くための特殊なサバイバルスキルは身につくかもしれませんが、それが働くことに役立つかというと役立つことは少なく、多くは働くことを阻害してしまいます。

そして、人々が働くことを最も妨げているのが、日本社会の「働く」の大部分が、企業の都合で人材や働き方が決められていることです。
それに無理なく合う人もいるかもしれませんが、少なくない人たちが、その枠にはまろうとして無理をしています。無理をしてストレスや疲労が蓄積する人もいますし、合わせすぎて心身を崩す人もいます。また、合わせられない人は「働けない」「社会に適応できない人」という一方的な評価をされてしまいます。本当の課題は、ものすごく狭い枠にいろいろな人たちをはめすぎていることなのに、ハマれない人のせいになります。これは本当におかしなことです。

つい、熱くなりました…苦笑 カエルは世の中の「働く」を見直したいと思っています。このように「働く」が変わるとしたら、質問者さんの意見はどうなりそうでしょうか。
今の「働く」を見直すためには、質問者さんのように、今の働くことへ疑問や絶望がある人の声が必要なので、死ぬしかないどころか、生きて意見を届けてほしいとカエルは思っています。

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update 2025/11/28
Q.給食でなぜ牛乳を飲まなくてはいけないのか。日本人は乳糖不耐症が多いのに
この記事の担当 ウ・サギ

Q.日本の学校の給食で、なぜ牛乳を飲まなくてはいけないのか。日本人は乳糖不耐症が多いのに、なんで強制的に飲ませられるんだろう?

A.学校給食で牛乳が「出てくる理由」については、おそらくそれなりに合理的だろうとウ・サギは感じています(子どもの成長のために良い食品で、調理の手間がなく、供給が安定していて費用も高くないあたりの要素があるかと思います)。ただ、「飲まなくてはいけない」といった強制は、牛乳を飲むことに限らず、どんなことでも困ってしまうと思いました。
最近は給食を無理やり食べさせる文化も弱まり、牛乳を飲まない子は事前に返して、飲みたい子でじゃんけんして取り合ったりするような場合もあるかと思うのですが、おそらく質問の感じでは、質問者さんは飲まなくてはいけない風潮の中で過ごしてきているのでしょうね・・・。乳糖不耐症が多いのも見逃せない事実としてありますし、何にせよ、強制はなくなってほしいとウ・サギは思います。

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update 2025/11/28
Q.どうして「働きたくない」という気持ちが軽んじられ切り捨てられる現実があるのか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.どうして「働きたくない」という気持ちが、軽んじられて切り捨てられる現実があるのでしょうか。
「働きたくない」の裏にある切実な苦痛や絶望や罪悪感に、当たり前のように寄り添ってもらいたいって、理想論かもだけど、願ってしまいます。

A.世の中の「働く」があまりにも狭くて歪なものとして理解されているための気持ちではないかというのが、カエルの見解です。おそらく質問の中の「働く」は賃労働のことだろうと推測します。つまり要素的には
①組織に雇用されて組織の都合で用意された条件に合った仕事をする
②組織の都合に合った仕事をすることで、対価をもらう
③なおかつその稼ぎで自分の生活費を賄う
の3条件が当たり前に含まれるとなると「働く」は一部の人にとってとても過酷なことであり「働きたくない」と思うのは当然だと思います。それは個人の気持ちではなく、もはや社会の課題への問題提起だと思うからです。ただ、「働きたくない」と言ってしまうと、働く意欲がないとか、個人の気持ちの問題とかわがままだとか言われて批判されてしまい、本質が伝わらない可能性があるため、違う表現をした方が真実が伝わるのではないかと思うところはあります。
カエルにとって「働く」とは、社会の一員として、その人なりに支えあいに貢献することだろうと捉えています。貢献というのはとても幅広く、あらゆる人や人だけじゃなく動植物祖含む自然環境も、できるだけ持続可能に豊かにあるためへの貢献だと思っています。だから企業で働くことだけでもなく、お金を稼ぐことだけでもなく、経済的な自立と直結することではないと理解しています。
また、働くためには権利が守られているのが前提で、権利が守られてない人や過去に権利が守られていなかった後遺症で苦しむ場合は、まずはケアをされるところからはじまるべきだとも考えています。安心安全、理解、ケア、チャンスが保障される中にあればだれもが働くことは可能であり、それは過度な苦しみや負担は起こらないでしょうし、働くのが嫌だと抵抗をする必要もないと思います。むしろ、働くこと(労働)が喜びや自己実現につながっていくものと思っています。
このあたりは、マルクスというとても有名な哲学者でもあり、経済学者でもある人が随分と前に主張しています。カエルはマルクスさんが考えた「働く」のとらえ方は今の社会を見直すときに一つの参考になる考え方だと思っています。きっと他にも「働くって何なの?」って考える機会がそもそも必要だと思うので、こうした質問はとても大切だと思っています。

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update 2025/11/22
Q.自分の精神状態に合わせて病み垢の友達と距離置くのはOK?
この記事の担当 所長室

Q.自分の精神状態に合わせて病み垢の友達とかと距離置くのはオッケーですかね?ちょっと今辛いから当分は他の推しとか見て心を落ち着かせようとかそんな感じです!自分勝手ですかね、、、、

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update 2025/11/20
Q.他人のせいにしたら怒られるのに、自分のせいですごめんなさいって言っても怒られる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.他人のせいにしたら怒られるのに、自分のせいですごめんなさいって言っても怒られる
どうしたらいいの

A.怒られるのは、あなた自信の考えや行動に原因があるわけではなく、怒ってくる人の方に問題があるとウ・サギは思いました。
誰か特定の人に怒られるのを想定して回答しているのですが、そもそもの目的が怒ること(相手を無力化しコントロールすること、または自分のうっぷんを晴らすこと…?)だと思われるので、何をしても怒られてしまうのだとウ・サギは考えています。気に入らない判定されているよりは、自分の感情を横暴にぶつけても大丈夫だろう判定というのか・・・。
どうしたらいいかは、怒ってくる相手やそういったダブルバインドなプレッシャーのある世界から、なるべく距離を置くことが正攻法だとは思います。でもたぶん、それが簡単に出来たら苦労してないですよね……。
感情を横暴にぶつけても大丈夫だろう判定を覆すために、所長たち一同で、その怒ってくる存在を脅かしにいきたいところです。何にも従わない自由気ままなうさえなが、鋼のメンタルの生きかたカエル、攻撃するぞというオーラ全開のやみーペンを見たら、黙らせることができそうな・・・?ウ・サギは怒られるのが怖いので、あまり役に立たないかもしれません……。

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update 2025/11/15
Q.どうして両親が私を産もうと思ったのか理解できない。多くの人が子育てをしたがるが目的は何?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.どうして私の両親は、私を産もうと思ったのかが理解できません。自分自身、子どもは好きではないし、もちろん育てたいとも思わないからです。多くの人が子育てをしたがりますが、その目的は何なのでしょうか?どう思いますか?

A.とてもいい質問だと思いました。なぜかというと、多くの人があまり深く考えないことをちゃんと考えていると感じたからです。
多くの人は子育てをしたがっているように見えるかもしれませんが、そんなに積極的にしたいと思っているわけではないとカエルは思っています。なんとなく、子どもを産み育てることがいいことだ、当たり前だ、そうあるべき、それで一人前…などなどという価値観を、知らないうちに内在化してしまっていて、深く考えずに子どもを産むことが多いように思います。
だから育てる段階になって焦ったり、苦しんだり、予想外の展開に苦戦をすることが多く起こっているように思います。なんとなく子どもを産むぐらいじゃないと人口は減る一方だと思うので、それも悪くはない思うのですが、実際に生まれてしまってから、親だけで苦戦するのは子どものためには全然よくないです。多くの人がなんとなく子育てをしたがってくれて、なおかつ子どもを社会全体で育てる仕組みがあると、わりと多くの人がハッピーなのだろうと思われます。
今は子どもの権利が守られない状況があるので、それを知っている人なら「なぜ、子どもを産もうと思うのか、育てようと思うのか」という疑問が湧くのは無理もないと感じます。もちろん、個人的に子どもが好きじゃない人もいるし、育てたいとも思わない人がいるのも、それはそれで自然だとカエルは思います。

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update 2025/11/15
Q.どうしても人を恨みたいのに、うらんじゃいけない時はどうすればいいですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうしても人を恨みたいのに、うらんじゃいけない時はどうすればいいですか?

A.うらんじゃいけない・・・それは困りましたね。憲法でも内心の自由は認められているので、うらんじゃいけない時というのはないとウ・サギは思うのですが、許されないと感じるような状況なのでしょうか。ウ・サギは恨みの深いタイプなので、大人になっても結構いろんなことを恨み続けていて、時々自分でも呆れてしまいます。
人を恨まなければOKなのであれば、罪を憎んで人を憎まずの精神で、対人間ではなくその人の行動を恨むのはどうでしょうかね。「あいつが憎い」ではなく「あの行動や言葉はひどい」「私は傷ついた」「許したくない」といった気持ちを抱いておくイメージです。

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update 2025/11/15