Q.四肢が怠い等の質問した者です。学校に行きたくないです。上手く話せなかったり、声を出せなかったりするだけで真っ黒い目で睨まれたり、好きな物が周りの人と違ったりするだけで「は?」と言われ圧をかけられます。周りに馴染めず、相談できる人もいなく、絶望的な状況です。 (※続きの文章はスライドに載せる都合上、要約させてもらいました)
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Q.四肢が怠い等の質問した者です。学校に行きたくないです。上手く話せなかったり、声を出せなかったりするだけで真っ黒い目で睨まれたり、好きな物が周りの人と違ったりするだけで「は?」と言われ圧をかけられます。周りに馴染めず、相談できる人もいなく、絶望的な状況です。 (※続きの文章はスライドに載せる都合上、要約させてもらいました)
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Q.親から虐待されました。学校に行ってなくてキレて首掴んで引きずったりそれ以上のこともやるぞと脅されたりとかです。保護所に行って帰りたくはなかったんですけど迷惑をかけたくなくて帰りました。親と話せないのは変なことですか?当たり前ってなんですか?
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Q.自分の思い通りにいかないと癇癪を起こすことにずっと悩んでいます。
以前に、それをカウンセラーさんに相談したら、「子供時代に子供らしい生活ができなかった反動で、大人になった今自分の思い通りにしたくなるんだよ。」と言われました。私はどうしたらいいのでしょうか?
A.確かに子どもらしい育ちをしてないとそういう行動しかできなくなるよね…あと、やみーペン的にはそうじゃない方法での自己表現が見つかってない時も癇癪が起きやすかった気がするかなぁ。
どうしてこういう気持ちになったとか、どう思ったとかを話せたり、表現したりする人がいっぱいいる空間で過ごせるとどんどん身につくんだけど、中々そんな空間が無いのが悲しいところ…質問箱でまずは練習してみる??
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Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。
A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。
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Q.友達から虐待されていると相談を受けました。親から精神的虐待を受けているそうです。その友達は、児相とかには行きたくないと言っているのですが、どうすればいいですか?
A.質問者さんが余裕のある大人でれば、虐待されている状況をどうにかするために全面的に動くことを考えたいですが、子どもであり余裕もない状況とのことなので、あくまで質問者さんにできることを考えて回答しますね。(虐待を受けている本人からの相談であれば情報提供もしますが、補足にあった質問者さんの状況も考えて、今回はポイントを「相談されたらどうすればいいのか」に絞ります)
どうずればいいだろう?と、誰かを助けたい、力を尽くしたいと思ったときにポイントになるのは、自分のできる範囲を知っておくことだとウ・サギは思っています。自分のやれる以上のことをやろうとすると(本来は虐待についてはしかるべき大人が保護するべきなのですが、力及ばずごめんなさい…)、支える側がしんどくなって続かず、結局は助けることから遠ざかってしまう展開になるのを、ウ・サギとしては心配しています。
子ども同士でやれることとしては、気持ちを聞くだけでまずは十分で、本人が解決のために動きたい気持ちが強ければ相談ダイヤルの紹介や、身近な大人への相談を一緒に考えたりお手伝いできればいいかと思いました。相談を受けるや助けるというのは、突き詰めると本人の本来もっている力や意思や気持ちを支えることだとウ・サギは思っているので、「助けよう」というよりは「自分を助けようとしているその人に、自分はどう協力できるだろうか」といったイメージで考えています。
話を聞いていて、もし苦しくなったら自分の気持ちを秘密の守られる場所で相談してみるのも大切ですし、解決についてサポートしようとするなら、友達にとって話すハードルが低いだろう相談先を(匿名のチャット相談か、学校の先生やカウンセラーさんか、その他諸々…)一緒に考えるのが、子ども同士でできる対応としてはいいのかなと思ったのですが、どうでしょうか。
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Q.試し行為がやめられない。心配されるためにリスカしたり自殺をほのめかしてしまう自分が嫌です。自分のことをみてほしい気持ちが抑えられないです。すごく申し訳ないと思うのに何度も繰り返すので相手から見捨てられそうです。どうしたらいいですか?
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Q.虐待、育児放棄、そういうのじゃないんです。友達の悪口親が言ってて保護者とも全く関わらず私が親同士の会話繋いでて、家でも居心地が悪いです。でも学びや衣食住はあるから感謝しないといけなくて誰にも相談できなくて、、生きるのが辛いです。
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Q.精神疾患や発達障害の治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。
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Q.しにたい、つらいという気持ちを伝えられたら心が楽になるのかなと思うのに、家族や友達の前では作り笑顔でかくしてしまう。学校や家族の前では、明るく頑張っているからこそ1人になると辛くなる。どうするのが、いいんでしょうか?
A.作り笑顔をしたり仮面をかぶるように過ごすのは、一定期間頑張れてしまうと、辞め時や辞め方みたいなものが(辞めるまでいかなくとも、ちょっと仮面をはずしてみるのも)なかなか難しくなりますよね・・・。ウ・サギもとくに学生時代は、自分の内面を隠そうとする気持ちが強かったです。
いつもニコニコしてられる人なんていないと、せめて大人はちゃんと気づいて、つらい気持ちを話しやすい雰囲気や関係づくりをしてくれないと困るよ、、とウ・サギとしては思ったりします。子どもはまだ他者理解の経験が浅いので、表面的な部分を見て、それを真実だと思いがちなのはある程度は仕方ないかもですが・・・。相手に期待されている、または想定されているものがあるとき、「違うんだよ!」と自分を出す(つらい気持ちなど、普段はかくしているものを伝える)のはかなり勇気やエネルギーの必要なものだとウ・サギは思います。
勇気やエネルギーをかけなくても自分を出す方法としては、保健室の先生やスクールカウンセラーなど悩みを聞く役割の人に話す、同じような作り笑顔をしている人を身近に見つける、まずはSNS相談や安全なオンライン居場所などで気持ちを書き出す、とかは浮かびました。自分をかくしてしまうという悩みを抱える人は多くいると思うので、いろんな人で自己分析してみて、研究してみる機会があるのもいいかもなあ・・・生きづLABOでやるか・・・?!という考えもちょっと浮かんだりしています。
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Q.生活保護は、
働けるのに働かない人は受給できないといった感じのことを、
良くないことですが、
中古本店で立ち読みした生活保護に関する本で見ました。
では、
どうしても働きたいと思えない人は、
死ぬしかないのでしょうか?
A.少し前にも「働く」ことについて回答しましたが、世の中の「働く」のスタンダードがおかしくなってしまっているので、「働けるのに働かない人」の誤解を生みだしているように思います。
カエルはの認識では、どんな人でも、自分の持っている資源を活用して働くことができると思っています。もしも、働けない人、働きたくない人がいるとしたら、それは働くための条件や準備が整っていないことが理由だと考えます。
例えば、体が健康な人がいたとして、でも、オオカミに育てられたとしたら働くことができないだろうと思います。それはなぜかというと、教育の機会がなく、学ぶことができなかったからです。それと同じように、その人の学び方に応じて必要なことを学ぶチャンスが、実はあるようでありません。
ポイントは「その人に応じた学び」の保障です。
学校の学び方はどうしても画一的で一方的であるがゆえに、それに合わない子どもは一定数います。また、生活が不安定で学ぶどころではなく、学ぶチャンスを得られなかった人もたくさんいます。虐待やいじめなどの暴力に怯えていたら、学ぶことができません。自分に降りかかる危険のために備えること、回避することにエネルギーを注ぎ、生き抜くための特殊なサバイバルスキルは身につくかもしれませんが、それが働くことに役立つかというと役立つことは少なく、多くは働くことを阻害してしまいます。
そして、人々が働くことを最も妨げているのが、日本社会の「働く」の大部分が、企業の都合で人材や働き方が決められていることです。
それに無理なく合う人もいるかもしれませんが、少なくない人たちが、その枠にはまろうとして無理をしています。無理をしてストレスや疲労が蓄積する人もいますし、合わせすぎて心身を崩す人もいます。また、合わせられない人は「働けない」「社会に適応できない人」という一方的な評価をされてしまいます。本当の課題は、ものすごく狭い枠にいろいろな人たちをはめすぎていることなのに、ハマれない人のせいになります。これは本当におかしなことです。
つい、熱くなりました…苦笑 カエルは世の中の「働く」を見直したいと思っています。このように「働く」が変わるとしたら、質問者さんの意見はどうなりそうでしょうか。
今の「働く」を見直すためには、質問者さんのように、今の働くことへ疑問や絶望がある人の声が必要なので、死ぬしかないどころか、生きて意見を届けてほしいとカエルは思っています。
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