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タグ相談・支援等
Q.市の人と話す時間がまたほしいと先生に頼んだら、緊急性がわからないから行けないと言われた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.市の人に学校伝いで話をする時間を作ってもらってた。次も作ってほしいと学校の先生に頼んだら、緊急性がわからないから行けないと市の人に言われた、と言われた。それは私が話したい内容を伏せたからあとは自分で直接電話して、市の方にも行け、と言われた。

A.言葉にしないと伝わらないのも事実かもしれませんが、大変だと言うこと自体にも抵抗が生まれるし、うまく言葉にするのも簡単じゃないのですよね……。だから大変さを認識してもらえず、苦しい側がより苦しい思いをする・・・というのは時々聞く話で、いつもとてもやりきれなく思います。
大変な状況にい続けた人の「言えない」心理やメカニズムを、先生たちがもっと知っていればいいのですが、そのあたりの実態がまだ十分に知られていない現状があるのだろうなと感じます。違う先生に頼んでみる、言葉にするのが難しければ書いて伝えてみるなど、いくつかできる工夫は浮かびましたが、つらい人がそうやって頑張るのではなく、「次も作ってほしい」とあなたはすでにきちんと伝えているのだから、SOSを大人が頑張って拾ってほしいと思うウ・サギです。

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update 2025/9/11
Q.学校や部活に行きたくない。もう1人で過ごしたいくらい頼りたい人もいない。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校や部活に行きたくないです。辞めたいです。家にいることさえ嫌です。それに関係してなのかわかりませんがここ最近体調が悪いが多いです。もう1人で過ごしたいぐらい周りの大人で頼りたい人がいません。どうしたら解決できますか?

A.カエルが応援して一人で過ごすことを後押ししたい気持ちです。
カエルとしては、「自分の嫌なこと」がわかって、それを誰かに伝えられることはけっこう大切だと思っています。学校も部活も自分にとって得るものがあると納得できれば行けばよいと思いますし、得るものがないとか、得るものより奪われる消耗するようなことが多いのなら、それは辞める選択は賢明だと思います。
中学を卒業後の10代の年齢なら、自立援助ホームというサポートを活用できます。窓口は児童相談所なので、「自立援助ホームについて教えてください」と相談してみるのはどうでしょうか。すぐ使うかどうかは別としても、使えるところがある、それはどんなところかということを理解するだけでも安心や力になることはありますよ。

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update 2025/9/11
Q.誰も信用できない。相談しても自分ばかり責められ、苦しくなる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰も信用できない。相談しても自分ばかり責められ、苦しくなる。

A.相談して自分ばかり責められたら、それは信用できなくなるのも無理はないとウ・サギは思います。相談はいつもうまくいくというわけではないですが、大変なときに自分を責められる言葉を言われてしまったら、ダメージは相当大きかっただろうと想像しています。その中で、人を信用できないと感じるのは、再びダメージを受けるのを避けるために自分を守る思考だとも思いました。
ただ、補足を読むにかなりストレスの大きい状況で、相談する必要性をあなたも感じているのかなと受け取っています。比較的安全な相談先としては、匿名のチャット相談をウ・サギとしてはおすすめしたいですが(合わないと感じたら遠慮なく去れるので)、質問箱でも溜まっているものを受け取ることと返事をすることはできるので、よかったらまた使ってください。

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update 2025/8/27
Q.離れるって何?と最近思う。親や嫌いな人からは離れたいけど離れて終わりじゃないですよね…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.離れるって何?って最近思っています。親や嫌いな人からは離れたい!って思うけど、離れてそこで終わりじゃないですよね…?大きな決断をするのにその先も何かが続くのは、少し嫌かもしれません…。終わりたい…。

A.離れてそこで終わりじゃない、は確かにそうですね。むしろ離れてそこからが本当の始まり、という感覚がウ・サギはあります。でも「離れよう」と言われたら「離れたら解決する」といったニュアンスに聞こえるかもなあ・・・そうだとしたら疑問や抵抗を感じるのも至極まっとうだな・・・と、質問を読んで考えさせられました。
(離れた後にも支援を続けるタイプの支援者の想定で話しますね)離れるのは、生きづらい側がすぐ楽になる!という話ではなく、サポートする側が手助けしやすくなるというポイントが大きいのかもしれません。だからちょっとぐいぐいと、離れることをおすすめしたくなってしまう気がします。でも実際のところは、何かをして劇的に全てが解決することはきっとほとんどなくて、つらい疲れた、もう少し頑張ってみるか、いややっぱりもう無理かも・・・といった繰り返しの中で、味方や使える資源が少しずつ増えていって、まあ生きていてもいいか、くらいに落ち着いていくイメージはあります。
周りができるのは、その人自身の「生きるのが楽になりたい」という思い、自分で自分を助けてみようとする意欲や力を、ちょっとだけ支えたり、せめて萎えたりしないように一緒に考えることなのだろうか・・・などとも考えさせられました。

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update 2025/8/27
Q.生活保護を受けてる人間に対してのネットの投稿が怖い
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生活保護に関して自分が払った税金を使ってるんだから生保受けてる人間を生かすも殺すも自分たちが決められると思っているような投稿を度々ネットで見かけて怖くなります。税金の全てが生活保護に使われているわけではないと思います。

A.ネットの投稿は税金の仕組みを誤解しているようです。
自分が払った税金だから…という理論であれば、生活保護だけではなく、赤ちゃんもお年寄りも公共のあらゆるサービス、または防衛費や外国に援助していることなどあらゆることを自分たちが決められるということになります。
それはそれである意味間違ってはいなくて、自分たちのことを自分たちが決めていく民主主義は私たちの基本ではあります。ただ、民主主義は税金を払っているから勝手に決めていいということではありません。本来なら払っている人ももらっている人もすべての人たちが話し合って決めるべきなのですが、現実的にみんなで決めることは不可能なので、それを代わりに考えて決めてくれる人に託す(つまり選挙で自分の代わりを決める)方法になっています。だから、一人の判断で勝手にできるのは選挙で誰に入れるのかということぐらいで、それ以上のことを勝手に決められるということではありません。
もちろん、意見を言うことはできますが、それはあくまでも一つの意見であるという範囲だろうとカエルは思うのです。

意見は自由だとしても、ネットの投稿は本質的に福祉制度についての理解が間違っているように思いました。
生活保護は生きることを保障するとても大切な福祉制度です。福祉は誰かがかわいそうな人に恵んであげるものではなく、当たり前が奪われている人に対して機会や権利を保障をする役割があります。
安全に安心して生きていくためには誰もがたくさんの手助けが必要です。それが身近な家族など頼る人がいる人もいますが、いない人もいます。また、生活するお金を自分で得ることができる人もいますが、いろいろな事情があってできない人もいます。誰もが、助けてもらえる人がいつまでもいるわけでもないですし、働けなくなることもあり得ます。その時のために福祉制度があるので、必要になって福祉を使う人が後ろめたく感じるものではないのですが、なぜか後ろめたく思わせるまなざしや考え方があります。
ネットの投稿はそうした「福祉はみんなのためにある権利の保障」という考え方ではなく、強い者が弱い者を助けてあげているという支配的な考え方が含まれているので、カエルは危ない誤解だと思いました。
怖くなったあなたの感性はとても鋭いし、本質を突いているとカエルは思いました。

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update 2025/8/25
Q.学校で友達がいじめられているのをみました。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校で友達がいじめられてるのをみました。クラスメイトや先生に悪口を言ったり、人を菌扱いしたり、その人の目の前でその人の靴を投げたり、、やってる人は多いですが、主犯格みたいな人と席が近くなりました。

A.いじめというのは未熟な子どもが成長途中にやってしまう行動だとカエルは思っています。ここで、大切なのはそうした未熟がゆえに起こる行動があったときに大人がどう介入するのか、大人の介入によって子どもがどう成長するのかという点です。子どもが自ら解決するのは難しいことなので、信用できる大人に相談することはできそうでしょうか?大人の力を借りて大人も子どもも学ぶチャンスになるので、最も信頼できそうな人に自分の苦しさや不安を伝えてみてください。いきなりは難しいのなら、匿名のチャット相談などで、相談する練習をするのもよいかもしれません。

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update 2025/8/24
Q.希死念慮のある人に生きる意味を聞かれたらどう答えればいい?
この記事の担当 所長室

Q.希死念慮のある人から生きる意味について聞かれたとき、どう答えればいいと思いますか?希死念慮があったとき「そう考えるほどつらいんだね、でも生きていてほしいと思う」みたいな答えは求めてなかったし、意味を教えてほしかったなと思って悩んでます。

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update 2025/8/22
Q.自己表現が苦手。わかりやすい方が手を差し伸べて貰える確率は高いと思うけど…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自己表現が苦手です。困っていても辛くても、話しかけてほしくなさそうとか平気そうに見えるようです。わかりやすい人の方が手を差し伸べて貰える確率が高いと色々経験してきて思うのですが自分も同じようにやろうとしてもうまくいきません。どうすればいい?

A.ウ・サギも自己表現が弱いタイプなので、補足の内容も含めて、「わかる…」と深く頷いてしまう気持ちで読みました。
自己表現の傾向というのは、環境に影響されて抑えられたり伸びる部分もありますが、ある程度は個性であるとウ・サギは思っています。だから変えようと思って完全に変えられるものでもないというか、発信する側が工夫した方が良いのは事実だとしても、受け取る(手を差し伸べる)側の拾う力をもっと向上させてほしい…というのがウ・サギの基本的な考えです。
支援する人自身が自己表現の苦手なタイプであれば、平気そうな人も適切に気にかけることがしやすいとは思うのですが、自己表現が苦手だとその人自身がピンチなことが多そうなので、手を差し伸べる余裕のある人が少ない気がしています。

自己表現がわかりやすい=言動に出てしまうタイプは、周りにいい人がいれば助けてもらう確率は高いのと同時に、周りの理解がなければ攻撃されたりピンチになる確率も高いので、どのタイプも一長一短なのでしょうけどね……。
平気そうに見えてつらいタイプは、とりあえずの信頼を得られたりトラブルになりづらいのは長所なのでしょうが、そもそものつらさに加えて、結局は困らせたもの勝ちなの?などともやもやを抱えてしまうところが苦しい部分だとウ・サギは感じます。でもそう思う自分を責める必要はなく、「助けてほしい」という思いがどこにもいけないと、それが妬みや憎しみに変質するのは自然な現象だとウ・サギは思っています。それを誰かに向けてしまうと、自分にも周りにもあまり良いことが起こらないかもしれませんが、自分に妬みなどががあること自体は「自分が泣いてるんだなあ」と受け止めてあげていいと感じています。
平気そうに見えても気にかけていこうキャンペーンを本当はしたいですが、まだなかなか力及ばず……。文章で伝えてみるとか、カウンセラーや相談員など相談されるのが仕事の人を選ぶとか、やれる工夫はあるといえばあっても・・・う~ん、やっぱりなんだか理不尽でもやもやしてしまいます。

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update 2025/8/16
Q.部活の相談をし合う部活の子がラインで!とか絵文字が減ってて、嫌われたかなって思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.部活の相談をし合う部活の子がラインで!とか絵文字が減ってて、嫌われたかなって思う。その子に嫌われたらもう私頼るところがない。

A.絵文字や!が減るなど、態度がちょっと素っ気なくなるのは、
・十分に関係性ができたと感じて、ちょっとラフに返しても大丈夫だろうと気が緩んでいる
・何か別のことで少し余裕がなかったりして、ラインが雑になってしまっている
・ちょっと距離を置きたい時期になった
等々、いろんな可能性があるので判断は難しいところですね…。文字だけだと表情やコンディションがはかれない分、あれこれ気になって、心配になる気持ちは想像できます。
でも一番のつらいポイントは「その子に嫌われたらもう頼るところがない」という、頼り先が一点集中になっている点だとウ・サギは思いました。とはいえ、頼り先がそう簡単に他に見つかれば、そもそも困ってない…という話かとは思いますが、少しでも他の頼れる何かを見つけることが、あなた自身の心の安定、そして関係性の安定につながるとウ・サギは感じました。
言いたいことを全部安心して話せる相手となると、なかなかいないものですが、この人はこの部分はわかってくれるかなとうところを選んで話すとか、ネットに吐き出すとか、ちょっとずつでも頼り先が増えていったら…と思います。

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update 2025/8/14
Q.カウンセリングが高すぎて受けられなくて困っています。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.カウンセリングが高すぎて受けられなくて困っています。
でも誰もこの問題に関心がないみたいで、分かってくれる人が全然見つからないし、どうしてそうなるのかがわかりません。

A.カウンセリングが高いという話はカエルはよく聞きますよ。同じ問題意識の人はけっこういると思います。特に子どもの頃に虐待を受けたり、いじめを受けたりして心の不調やトラウマからの回復に時間がかかっている場合は、傷つけられたことでも十分理不尽なのに、自分の回復のために自分で病院を見つけてお金を払い続けて、ケアをしなければならないのは本当に理不尽だという人はいます。カエルも理不尽はその通りだと思います。虐待やいじめ、DVなどの暴力は社会の課題であり、被害を受けた当事者に責任はありません。そうした人たちが無料あるいは収入に応じた負担でケアを受けられる仕組みは必要だと思います。そうした暴力がない場合でも理由や事情によって、必要なケアが受けられるような仕組みは必要だと思います。
また、そのためにはカウンセリングだけではなく、いろいろなセラピー的なことや参加できる活動プログラムや居場所、暮らしのサポートも準備される必要があると思っています。

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update 2025/8/9