Q.辛かったり苦しかったりすることを言葉でも表情とかの見た目でも表現できません。なので、周りの人からは平気そうに思われてしまいます。病んでるアピールをしたいわけではないけど、誰にも気づかれず1人ぼっちで苦しむのはつらいです。
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Q.辛かったり苦しかったりすることを言葉でも表情とかの見た目でも表現できません。なので、周りの人からは平気そうに思われてしまいます。病んでるアピールをしたいわけではないけど、誰にも気づかれず1人ぼっちで苦しむのはつらいです。
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Q.親にオープンキャンパスに行きたいと伝えてるのにどうでもいいのか頷くだけで聞き流されることが多いです…試しに見に行くこともできないので親があまり進学に乗り気ではないならもう進学諦めるしかないですかね…?
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Q.イライラの気持ちを家族にぶつけたり、相談したいけど怖くてできない。
A.カエルとしては、怖いことは避けてもいいのではと思う気持ちが強いです。ただ、すごく怖がっていたけれど、実際には怖くないということもあります。それにしても、イライラの気持ちを「ぶつける」と「相談する」では怖さがかなり違いそうに思うのですが、同列ですか?イライラの気持ちのもは何なのか?それを家族にぶつけたり、相談したりしたい理由は何なのか?そして、怖がっている理由や背景には何があるのか、とても気になります。そういったことを整理してみると別のことが見えてきて解決の道が開けるかもしれません。
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Q.虐待されていると友達から相談されたの質問をしたものです。あれから、話したときには変わらず接しています。ですが、頼られる様になったせいで、今度はこちらが限界に達しそうです。どうすればいいですか?
A.頼られて限界に達してしまうという話は、大人同士の世界でも、支援者だとしても時々起こるので、対人の一つの難しさだとウ・サギは感じています。相談する側の心理としては、しんどい、自分を受け止めてほしい、もっと受け止めてほしい、自分を見てほしい・・・とコントロールができなくなっていく現象で、相談される側としては「自分のせいで傷つけたらどうしよう」と相手と自分の境界が混ざっていってしまう現象、と捉えられるのかもしれません。とにかく、質問者さんは何も悪くないし、だからといって友達が悪いわけでもなく、そういったことは時に起こってしまうのだ、というのをまず伝えておきますね。
対応としては、「自分にも限界があります」「だから他の相談なども使ってほしいです」というのを、友達に伝えるということになるとウ・サギは思います。というのも、相談している側は、相談をしているうちに我慢してきたこれまでの自分の気持ちが溢れてきて感情が優位になって、相手も人間であることや、限界があることを忘れてしまうことがあるからです(これは誰しもそうなることがあります)。また、相談を受ける側は相手を優先して、自分の気持ちや事情を抑えることが多いので、そうなると相乗効果で距離感がどんどん近くなってお互いに苦しくなっていくことが起こります(これも誰しもそうなることがあります)。
とはいえ、しんどそうな相手に「自分にも限界があります」と伝えるのは怖さや申し訳なさを抱く場合が多く、支援者でもうまく伝えることができないこともあるので、質問者さんに「こうしましょう」みたいにウ・サギが言うのもとてもためらうのですが・・・正攻法としては一応そうなるというだけで、質問者さんは子どもであって余裕もない状況とのことなので、本来は頼れる大人が身近にいるべきなのですよね……。とりあえず質問者さんが一人で抱えるのはとても大変なので、質問者さんにとって相談できる大人や、使えるチャット相談などがあればどんどん活用してほしいです。
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Q.理由のない不安があって、よく動悸がします 自分でたくさん考えても理由が分からないです 人に相談しても、言語化もできなくて、その人が困ってしまうので誰にも相談できません 心休まる方法とかありますか、、?
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Q.「Q.申請主義は切り捨ての仕組みだと思うのですが、どのような仕組みが必要だと思いますか?」の質問者です。本人が選択できるのは大事だと納得しました。強制的に何かを押し付けられるのは確かに凄く怖いです。
僕としては、申請の手続きの困難さが選択肢を奪っていると感じていたので、確かに申請主義自体の問題というより、福祉全体の仕組みのほうの問題だと、生きかたカエルさんの回答を見て気づきました。
例外として、本人や周りの人に命の危機がある緊急性の高い状況、例えば、生きかたカエルさんが例に出したように本人が虐待の被害を受けている場合や、逆に本人が周りに暴力を振るっている場合などは、本人の意思や意向だけに全部を任せるのは危険なのかなと僕は感じます。それでも、強制的に施設に入れるなどの対応でなく、人が人として尊重されるような仕組みが必要なのかなと思います。
具体的にどのような仕組みが良いのかは分かりませんが、それでも、意志や意向の尊重も、命が守られることも、 どちらも大事だというのは確かだと僕は感じます。
大前提として、人に強制的に何かを押し付ける仕組みは、確かに恐ろしすぎると感じるので、全部本人任せでもなく、かといって強制的に押し付けるわけでもない、そのような仕組みが良い福祉の仕組みなのかなと僕は感じます。だからこそ、福祉の活用について本人と一緒に考えてくれて、実際の活用をサポートしてくれるソーシャルワーカーの存在は、凄く重要だと僕は感じました。本人だけでは困難なことをサポートしてくれる存在がいることで、仕組みに選択肢が奪われることも減るのかもしれないと僕は思います。
このような理解で良いでしょうか?
また、回答にあった「ユニバーサルな生活保障や支援の仕組み」僕もあると良いなと思います。皆に生活保障や支援が行き渡ると、公平感も安心も生まれると思います。
(編集注:同じ質問者さんから、先日の質問で書き忘れたことがある、という流れがあったので2つの質問を合体させた内容になっています)
A.はい、本人の選択がとても大切だと思います。ただ、選択するためには必要な情報を得られることが前提ですね。また、自分のための選択というのはそんなに簡単ではなく、いろいろな経験も必要となります。やったことがないことを選べません。
いつも誰かに勝手に決められるような経験をすると、自分のためを考えることができなくなります。そして、選んだ結果について一緒に振り返る機会も必要です。人はいつも正しい選択ができるわけではありませんので、失敗をどう受け入れるか、折り合いをつけるかということも学ぶ必要があります。
もし、自分の望んだ結果にならなくても、結果から学ぶことは、次の選択に必ず生きてきます。そうした選択や意思決定のための経験が保障された上で、自己決定の尊重があるとカエルは思っています。しばしば、自己決定は自己責任と直結されることがありますが、責任を問われるのはそうした経験や機会の保障があってのことだと思います。
自己決定のための土台は、社会的に弱い立場の人たちだけに必要なことではありません。
どんな人も豊かな経験をして、自分のために選択をする経験が保障され、そして選択の結果を誰かと一緒に吟味したり、振り返ったりする機会は大事です。もはや福祉というより、教育の問題だと思います。前回、ユニバーサルな生活保障や支援の仕組みについてお話ししましたが、同時に誰にとっても学ぶ保障があることも大切です。今の画一的な学び方や教育内容(教科教育にかなり偏重している)ではそうした学びを提供することは難しいですし、学び方が個性的な人たちは学校からこぼれ落ちることも多いため、学ぶ機会が少なくなってしまうという課題もあります。そう考えると、ソーシャルワーカーに限らず、一人ひとりにあった学びや生き方を一緒に考えるサポーター(何か名称をつけたいですね)がますます重要になりそうです。
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Q.申請主義は切り捨ての仕組みだと思うのです
様々な背景で申請が困難な方が沢山いると思います
申請主義という仕組みそのものが個々人の心身や命を見捨てていると感じます
でも私には代案が思いつきません
どのような仕組みが必要だと思いますか?
A.申請主義=切り捨ての仕組みとまでは思いませんが、申請主義には一定の課題はあるとカエルも思います。
申請主義のいいところは、「本人の意思と意向によって活用できる」という点だと思います。
福祉が受けられても、受けない権利もあるので、申請してから使うというのは民主的なやり方である側面があります。申請主義の反対は「職権主義」で、日本社会でも今も職権で、福祉利用を決めるものも少しあります。例えば、子どもが虐待を受けていた時にそれを守るために児童の施設や里親さんに預ける際には職権で、意向や意思に関係なく措置をする仕組みとしてあります。
この職権主義は20年ほど前までは障がい福祉サービス全体にありました。申請もしないのに、障がいのある人たちが希望しない施設に措置され、入所をさせられている実態がありました。だから、措置から契約のスタイルに移行し、申請主義になったという経過もあります。といっても、申請主義になったからと言って障がいのある人が望まないのに施設入所していないかというと、そうでもなく、家族が申請してしまうことで入所するケースもあります。
職権主義はとても危険だとカエルは思います。本人の意思や意向がないのに、一定の条件に当てはまる人は強制的に何かを押し付けられるのはちょっといろいろ怖いと思います。特に、日本社会は個人の権利を守る意識が低く、公権力に対して従順である傾向があるので、職権主義がいいとは思えません。
なので、カエルは申請主義の問題というよりも、申請をする手続きや情報、そして本人の最善の利益を検討する仕組みに関して問題が多いというのが正しいと考えます。
申請主義だけれど、使える権利がある人にはちゃんと届くように情報周知や教育の中で学ぶ機会があること、希望したときに一緒に考えてくれる人がいて、申請も手伝ってくれること、もしも受けられない時にも他の方法も考えてくれたりする仕組みも必要だと思います。そして、何よりももう少し使いやすくで、抜けやすいような工夫があってもいいかもしれません。
また、福祉がどうしても特別な人たちの特別な仕組みという位置づけのものも多いので、ユニバーサルな生活支援や保障の仕組みがあることもいいかもしれませんね。
いずれにしても、申請主義というより、福祉全体の仕組みや教育の在り方、情報のいきわたらせ方、一緒に考えられる役割(ソーシャルワーカー)の不足など、いろいろな課題があって、切り捨てられている感になるものと思われます。
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Q.閉鎖病棟に入院して、持病が悪化し、PTSD発症の疑いも出てきてしまいました。
特に隔離室での生活や詰所にいる人間にいじめられたり、壮絶な環境に身の危険を感じて、家族と手紙のやり取りをして、1か月でなんとか退院させてもらいました。
A.ウ・サギの周りは閉鎖病棟含む入院が結構助けになったケースが多いのですが、場所や場合によっては、いろんなことがありますよね…(本来は入院は誰にとっても安心なものであってほしいですが)。身の危険を感じるほどの生活を1カ月していたら、心身にも後遺症があるのではないかと思います。治療の機会だったはずの入院で、新たなしんどさと納得できなさを抱えさせられて…というのは、気持ちの折り合いのつけようもなかなかないと感じました。
入院に限らず、支援や相談で余計つらい思いをしたとき、理不尽な思いをしたときに、どうするかというのも悩ましい問題だなあとぐるぐる考えてしまいました。次に同じような思いをする人がいないようにとか、許せない気持ちを大切にするなら、闘う選択肢になりますが、そもそも自分が弱っている状態だとやれることはどうしても限られてきてしまうので……。まずはなるべく安心安全な時間を過ごして、味方やつながりを増やして、あとは信じられる周りの人たちと相談しながら考えていくことになるのでしょうかね…。自分の納得できる道を選べるようになるためにも、今は全力で休んで自分を回復させてほしいとウ・サギは思いました。
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Q.しんどい気持ちでいっぱいですが、人に相談するのが嫌&怖くてできないです。
A.人に相談するのは、リスクもあるし、ある意味一時しのぎにしかならない虚しさもあるかとウ・サギは思います。相談はデリケートな部分をさらす行為でもあると思うので、リターンも時に大きくても、うまくいかなかったときのリスクも結構なものだと感じますし、相談や嫌&怖いというのも自然な気持ちだと思います。ただ、一人で考えられることややれることには限界があるので、何かとつながったり、何かの助けを借りることは大切だとウ・サギは思うのですよね……難しい…。
考えること、解決を目指すことよりも、感じるままに身を任せること、休むことが質問者さんにとっては今は大切だったりするのでしょうかね……。何が自分にとっての処方箋になるかもそれぞれな気がするので、相談以外の支援やサポートがもっと充実していく必要があるとは常々感じます。そのためにも、こうやって発信してくれるのは大切で、ありがたいことだとウ・サギは思います。
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Q.曜日や時間に関係なく誰でも無料で使える、
家と病院以外で安全に横になって休める居場所が欲しい。
精神的に不安定な時など、
何かしらの理由で家にいたくない時に、
安全に休める家以外の居場所があればいいのになと切実に思う。
どう思いますか。
A.そういったものが欲しいし必要だとウ・サギも思います。とても同意なので、現実的にどうすれば運営できるだろうか…制度を作ってお金が出るようにするか、見守りの人が何かリモートワークをしながらなら場所代くらいは稼げるか、引退して年金生活をしているなど稼ぐ必要がない人を活用するか…といろいろ考えてしまいました。
補足には専門家の助けも受けられると望ましいとありましたが、専門家にはつながる手助けをしてくれるくらいの機能で、安全な無料の居場所(侵害はされないで守られる)に特化している方が運営しやすい気がします。何にせよ、そういった居場所があるといいなと思いました。
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