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タグ社会派
Q.社会でいつも発言力を持った人たちが権力を握っていてすごく嫌
この記事の担当 生きかたカエル

Q.社会でいつも発言力を持った人たちが権力を握っていて、自分勝手に使っていて、すごく嫌です。大人も親も友達も助けてくれない。どうすればいいですか。

A.発言力を持った人たちが権力を握っているという真実に気づいてしまいましたか…人間界はいつの時代もそうだったのかもしれないとカエルは思っています。
カエル調べでは、発言力があり権限を握っている人は実は世間知らずで怖がりであるという研究結果もあります。広く見ることができないとか、周囲から攻撃されるのではないかとおびえて、自分の力を必要以上にふるってしまう傾向にあるのだろうと思っています。自分の意見を権力に関係なく、自由に伝え、誰かの意見にも耳を傾けるような対話の機会が人間界には少なすぎますね。
どうすればいいかというと、とにかく対話することです。ここに質問をくれたこと自体、何かしらの「問い」をあなたは投げかけていて、それにカエルがこうして考えて応答しています。
おそらく、大人も親も友達も対話の大切さに気付いていないのでしょう。あなたの近くに対話できる人がすぐに見当たらないとしても、実は意外なところにいたり、こうして生きづLABOでは何かしらの問いをいつでも待っています。

update 2024/11/12
Q.特技も運もない自分はこの先、生き延びることができても楽しい人生なのか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.引きこもりでもパソコンやITに強いとか、障害があっても芸術の才能があるとか、それを見つけて支援してくれる人と巡り会える運を持ってるとか、そういう特技も運も何も無くただダメな自分はこの先、生き延びることができても果たして楽しい人生なのかな

A.いやいや、生きづLABOというサイトを見つけてきた運と、こうして所長の質問箱に質問できる実力があれば、生きのびられるとカエルは思います。

そもそも、何が楽しい人生なのかは一律ではないので、特技や運が人生の楽しさと直結するものではないとカエルは思います。
カエルの仲間でも、井の中の蛙は楽しいことを見つけるのが得意ではないけれど、広い海に出ていくと価値観が変わり、楽しいことも変化することはよくあります。
出ていくといっても、物理的に外に出ることだけではなく、いろいろな価値観や人生があることを感じ取る機会があることが大切かと思います。
サイト情報も一つの手段ですが、視野を狭くする情報もたくさんあるので、情報を選ぶのが難しいですね。

update 2024/11/7
Q.選挙についてどう考えますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.選挙についてどう考えますか?生き辛い人ほど行かなければいけないような、でもそもそも投票所まで向かうのがかなり苦痛。ちゃんと選んで託すぞって気持ちが強すぎるあまり誰一人理解できる候補者がいないと怖くて誰にも入れたくなくて余計に億劫になったり…

A.選挙はウ・サギも「行かなきゃ」という気持ちはありつつ、出かけるのに結構なエネルギーが必要なことや、投票所の独特の雰囲気に緊張してしまうこともあり、行かなかったときの方が多いです。
選挙=一番の政治参加、みたいな風潮が社会にあるとウ・サギは感じていているのですが、それにどうしても違和感や息苦しさを感じます。政治(社会をどうしていくのかを決めること)は、一人ひとりの感じることを表現し、自発的に行動していく集積であるべきでは?とウ・サギは考えています。そう考えたときに、選挙に怖さや苦痛を感じつつもそれを言えない、理解できる候補者がいないのに誰かに入れる、というのはまっとうな政治参加とは言えないような気もします。逆に、自分の率直な感じ方を言葉にし、質問として送ってくれた行為は、一つのまっとうな政治参加の形だと思います。
選挙にどう関わるか・関わらないかは、自分の気持ちや感覚を大切に、自分が信頼できると感じる情報に触れながら(ここに質問してみるのも一つの情報収集ですね)、それぞれのペースで決めていっていいものだとウ・サギは考えます。

update 2024/11/6
Q.道徳は答えがないというのに、社会では「正解」が用意されていて辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.道徳は答えがないというのに、社会で当たり前だと思われている「正解」が用意されていて辛い。

A.正解はないといいつつ、正解が用意されている・誘導されているという理由で、ウ・サギは道徳にとても違和感があります。
自分の思ったこと・感じたことには「正解」「間違い」はないはずで、もしそこに正解が用意されているなら、それは洗脳に近い行為だと思っています。ウ・サギは、学校では「はいはい、これが先生の求めてる答えでしょ」という気持ちで、道徳や感想文で嘘ばかりついてましたが・・・苦笑
あなたの苦しみは、洗脳されずに、自分らしく生きているから起こるものだと感じました。正解に息苦しくなったら、またいつでも質問をください。

update 2024/11/1
Q.なんで嘘をついたらダメなんですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.なんで嘘をついたらダメなんですか?

A.とても、よい質問だと思いました。
嘘をついてはいけないことなんて、ありません。
「嘘をついてはいけない」というフレーズは、支配したい者が支配したい相手にかける洗脳の言葉だとカエルは思っています。
大人から子どもへ、先生から生徒へ、上司から部下へ…嘘をつくなと言うことはよくありますが、その逆で言うことはほぼないと思います。
つまり、「嘘をついたらダメ」というのは相手をコントロールするための抑圧の手段なのです。だから、嘘をつくかつかないかは本当はどうでもよいことだとカエルは思っています。そもそも、忠実に事実だけを語る人はいないので、誰もがいつも嘘つきであり、本当のことを言っているとも言えます。
また、いわゆる嘘として、わかっているけれど本当のことを言わない、あるいはわざと別のことを言うことはありますが、それでも「そう言いたかった、そう言わざるを得なかった事情」というものが含まれる、大切な自己表現なのです。
それを、支配したい側が自分の都合で「嘘」というレッテルを貼りいかにも正当な行為のようにして、弱い者を操作しようとすることがあまりにも多いのでカエルは「嘘をついたらダメだ」キャンペーンには賛同しかねます。

ただ、カエルも誠実に他者と付き合いたいという希望はあるので、嘘によって混乱したり、困ることはあります。そんな時は「嘘をついてはダメだ」ということではなく、「あなたは今そう伝えたかったのですね。でも、私には別のように思えます。本当のことを教えてもらいたい」とお願いすることはあるかと思います。ただし、お願いしたとしても、本当のことを言ってもらえるかは相手次第のことです。それでも、事実ではないことを言われたとしたら、関係性がまだ本音を言い合えるところに至らないのだろうと理解します。

したがって、「嘘をつくかどうかは自由」であり「嘘をついてはダメ」という台詞を言う人には気を付けた方がいいでしょう。というのがカエルの結論です。

update 2024/11/1
Q.どうして「生きる権利」は保障されて「死ぬ権利」は保障されないのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして「生きる権利」は保障されているのに「死ぬ権利」は保障されていないのでしょうか。

A.今の世の中では、「生きる権利」が実際には保障されていないのではないか・・・?と、この質問を読んでまず思いました。
もし本当に生きる権利が守られていれば(これは、自分の生活・身体・精神を脅かされない、というのを想定しています)、自分の本当に望んでいるものを知り、それをある程度叶えられるはずです。つまり、本当に死というものを目的にするなら、個人の自由として行動に移せますし、もし死という手段で逃れたいと思うほどの苦痛があるのだとしたら、それを死以外の方法で叶えるように行動できることになります。

だからこの質問は、「生きる権利を保障しないなら、せめて死ぬ権利を保障するべきでは?」という問いかけのようにも感じました。(全然違ったらすみません・・・)

update 2024/11/1
Q.中国人と聞きどんなイメージをもちますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.中国人と聞きどんなイメージをもちますか?日本生まれ日本育ちの中国人ですが日本人が中国人を悪く言うのが理解できません。たまに中国へ帰るのですが気さくでいい人ばかりです。非常識なのはごく一部で、中国は人口が多く色々な人がいるからだと思ってます。

A.国によって文化や風土は存在するので、「日本は同調圧力が強い国だよね」と言われればウ・サギは頷いてしまいますが、「日本人は同調圧力が強い」という言葉には抵抗があります。だから「○○人」というくくりでイメージを語るのはそれだけで失礼だったりナンセンスなのだろうと思います。(と質問者さんも感じての質問かなと読み取っています)

だから中国人のイメージは無回答とさせてもらいたいのですが、中国と聞くと「中国製」のイメージが浮かんだのは事実です。ただ、粗悪なものもあるのが事実だとしても、それは「安くて高品質なものがほしい」と都合のいい欲望や幻想をもった人がいるゆえに起こっていることな気がするので、悪いのは中国という国ではなくこの世界の構造にあると感じます。

日本の風潮として(それこそごく一部の人だと信じたいですが)、中国に悪いイメージをもち、それを堂々と言うみたいなのはあるとは感じています。ウ・サギは比較的多様性のあるコミュニティに属してきたので、実際に身の周りでは聞いたことはありませんが、ネットを見ているとそれは思います。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉もあるように、実際に何かイヤな思いをした経験がある人のヘイトが、相手だけでなく属性にまで向くことがあるのは、人間の心理的にはある程度仕方ないのかもしれません。
ただ、非常識という言葉で批判するのは、自分の常識を一方的に押しつけている行為だし、(ネットも含め)公的な場で「中国人は~」と悪口を言っているならそれは差別だとウ・サギは思います。

日本では、力を持った人が「そんなの普通じゃない」と自分の常識を一方的に押しつけたり、「だから○○は~」と属性でくくって何かを蔑むことをしがちです。そして人間は、残念なことに、やられたことと同じことをしてしまう場合があります。
そういった抑圧の再生産、負のループの中で、何かしら下の属性を探して叩きたいくらいに孤独や鬱屈が生まれたとき、「人種」「国」で序列をつくって矛先を向けることが起こってしまうのでしょうかね・・・。

また、あまり深く考えずに、ジョークの一つとして差別発言がされる風潮もあると感じます。それは日本の同調圧力や、実際に多様なものに触れる機会がないことなどから生じている気がします。

総合すると、日本人が中国人を悪く言うのは、自分が尊重される機会も多様なものに触れて学ぶ機会もないから、というのがウ・サギの私見です。(その矛先の一つに中国が選ばれてしまう理由や背景については、知識がないのでわかりませんが、何があろうとターゲットにして叩いていい理由にはならないはずです)
いろいろと考えて言葉にする機会になってよかったです。
質問ありがとうございました。

update 2024/11/1
Q.行政は軍事だの言ってないで、こういうサイトに来る人達へ差し伸べる手を増やすべき
この記事の担当 ウ・サギ

Q.行政は、軍事だのなんだのと言っていないで、もっとこういうサイトに来る人達へ差し伸べる手を増やすべきだと思います。軍事も税も大事なのでしょうが、こちらも大事ではないですか?

A.軍事だのなんだのの話を見ていると、ウ・サギは気が滅入るので、この質問でちょっと癒されました。
何がどう大事で、何にコストをかけていくべきなのか、もっとみんなで話し合って決められる世の中にしたいところです。

update 2024/10/15
Q.障害が社会のあり方の問題ならば、なぜサポートを受けるのに障害者手帳が必要なのか
この記事の担当 生きかたカエル

Q障害が社会のあり方の問題ならば、なぜサポートを受けるのに障害者手帳が必要なのでしょうか。
困りやすい人を見つけるより、今困っている人を見つけて話を聞いた方が、助けてもらう方も嬉しいと思います。

A.なかなか興味深い質問です。
福祉制度の多くは税金を使って支援をするために、その制度を使うのは誰なのか「対象」を限定して、適切に税金を使うための基準が必要になります。障がい福祉の場合は、その基準を満たしましたというパスポート的なものが手帳ということになります。
だから、手帳は「困ったときに支援を受けられますよ」という準備済みの証明みたいなものだと思います。必要な時に使うとよいかと思いますし、必要ないのなら返納もできます。
確かに困っている人を見つけて話をきく方法もあるかと思いますが、困っているというのに気づかない場合もたくさんあります。また、福祉制度はすぐに使えないこともあって、予めすぐに使える準備として手帳のようなパスポートが必要な側面もあるのですよね。
まぁ、使いにくいことや手帳を持つことへの差別みたいなものもあるので、単純ではないと思いますが、使えるものは便利につかうというのがよいかとカエルは思っています。

update 2024/9/26
Q.これ以上お前に食わせる飯はない。って言われたら、どうしますか?
この記事の担当 うさえなが

Q.これ以上お前に食わせる飯はない。
って言われたら、どうしますか?

A.え、どうして…?!って言っちゃう。
その人はそんなにご飯を独り占めしたいの…?

*生きかたカエルから補足*
飯は誰かに食べさせてもらうものではなく、誰もが食べる権利を持っているのですから、「お前に食わせる飯はない」と言う人が何かしら大いなる勘違いをしているものとお見受けします(人間界にはこの勘違い多いようです)。
言われているだけで、実際に飯が食えているのなら、大いなる勘違いの主について、どうしてそのような勘違いをするのか観察をして、観察結果を教えてください。言われるだけではなく、実際に食べる飯がないのなら、しかるべきところに実情を訴えるもしくは、そのような勘違いの主からできるだけ離れることを推奨します。

update 2024/8/9