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タグ社会派
Q.女である自分の体が嫌。
この記事の担当 うさえなが

Q.女である自分の体が嫌。特に胸。誰かから性的に見られないかというのも怖いし、肌が弱いからどんなブラも合わない。かといってブラをつけないでいると揺れて痛いから手放せない。ごめんね、ただの愚痴だよ。

A.生きづLABOは愚痴歓迎だよ!
どんどん言おう~

*生きかたカエルから補足*
人間は女と男ではずいぶんと体形が違うようで、面倒ですね。カエルはオスとメスを見分けることがとても難しいと言われているので、性別を気にせず生きることができて便利です。一度、カエルになってみませんか?
それはせておき、性別に関する愚痴はいつでも受け付けますので、遠慮なく。

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update 2026/1/14
Q.最近、男の多くが女を性的搾取の目で見ているのではないかという思考になってしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、テレビとかのダンサーや司会の女性は露出が多いのに男性は違うなとか、なんでもかんでも男の多くが女を性的搾取の目で見ているのではないかという思考になってしまう

A.思考に「なってしまう」という表現が、適切でグッドなアイメッセージだとウ・サギは感じました。心は自分でコントロールできるものではなく、勝手に感じてしまうものだとウ・サギは考えているので、「~してしまう」と表現し合うことで、内面をジャッジするのではなく一緒に考えていくコミュニケーション文化が作られないだろうか…?と最近思ったりしています。
男から女への性的搾取についての話をすると、男性が権力を握って女性をモノとして扱ってきた歴史については、誰にも否定しようもない事実だとウ・サギは捉えています。例えばフランス革命の人権宣言においては、当初そこで定義される「人間」は男性だけで、女性を排除していました。ウ・サギは歴史にあまり詳しくないですが、例えば日本でも女性に参政権がなかった時代もありますし、今も権力のある場所にいる人は男性(かつシスジェンダー、比較的高齢、高学歴、経済的に裕福などの要素のある人)に偏っています。話し合いにいない人の存在や意見はどうしても見えないものとなり、後回しになってしまうので、大事なことを決める話し合いの場に(権力のある場所に)集まっている人の属性が偏れば、その属性の人たち中心の社会制度になってしまうのだろうと思います。だから今の日本は男女で比較すれば男性中心の社会ではありますが、性別関係なく、社会的に弱い立場にいる人たちの声が届きにくいのが現状になってしまっていると思います。
歴史を見たときに極端な男性中心で近代の社会づくりが始まっていると考えると、男が女を搾取する構造はあらゆるところ(言葉の表現一つから、服装、メディアでの描かれ方…)に残っていて当然だろうというのがウ・サギの考えです。だから個人として男性が女性を性的搾取の目で見ているという話よりは、歴史や社会構造の話として着目して、性別についてでも性別以外についてでも搾取のない社会づくりをしていきたいと思っています。その始まりとして、「これは搾取や不平等では?」と声を上げていくのはとても大切なことだとウ・サギは感じます。

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update 2026/1/14
Q.水子地蔵に挨拶に行ったが、親より先に亡くなった子供が親不孝として罰を受ける世界にモヤモヤ
この記事の担当 ウ・サギ

Q.初詣のついでに寺の水子地蔵に挨拶に行きましたが、親より先に亡くなった子供が親不孝として賽の河原で罰を受けるという世界にモヤモヤしました。好きで先に死ぬわけじゃないのに、地蔵様はそんな子を助けてくれる存在と聞いて安心しました。

A.本当に、好きで亡くなるわけでないのに、罰を受ける世界観はウ・サギもモヤモヤで、ちょっと許しがたい気持ちさえ抱いてしまいました。水子地蔵の存在、大切ですね…。ウ・サギももし見かける機会があったら、しっかり挨拶しておこうと思います。
死人に口なしではないですが、文化や風習を作っていくのは結局は生きている側の人間になるので、「子供に先に亡くなってほしくない」という親の思いを中心に世界観が作られてしまったのでしょうかね……?ウ・サギは全然そのあたりは有識者じゃないので、的外れなことを言っていたら申し訳ないですが、弱い立場からすると残酷に感じる世界観や文化は他にもたくさんあるのかもな、と思ったりしてしまいました。

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update 2026/1/14
Q.障害者は子供を持つべきではないと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.障害者は子供を持つべきではないと思いますか?私は子供が欲しいのですが、ASDと診断されてしまいました。
私が子供を持ったら子供が不幸になりますか?

A.そもそも障がいをどう捉えるか?という個人モデル・社会モデルの話や、子育ての責任をどこまで血のつながった親がとるべきか、人間の幸せとは何なのかなど、言葉の意味をいろいろすり合わせてからでないと語れない話だと思いました。ただ、結論だけを言うなら、ウ・サギは、子どもを持つ資格についても、子どもの幸せについても、障がいの有無は本質的には関係ないと考えています。
それぞれの経験や気持ちとしては、子どもを持つことや子育てについて、いろんな考え方があると思います。自分の子を育てたい人もいれば、反出生主義のように産むこと自体を非倫理的だと考える人もいます。責任もって親が子を育てるんだと考える人もいれば、どんな子どもも社会全体で育てようと考える人もいれば、理想と現実のはざまで優生思想に近いスタンスをとる人もいるかもしれません。個々がどう思い考えるかは自由ですが、出生や子育てについての議論は、「(自分自身も含む)生まれてきた者たちの安心と自由をどうやったら私たちは守れるのか?」というのを軸に行いたいとウ・サギは思っています。あまり回答になっていなかったらすみません。

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update 2026/1/12
Q.学校のような、皆が同じの場所に違和感を感じる
この記事の担当 所長室

Q.学校のような、皆が同じ服を着て、同じ人の言う事を聞いて、同じ空間で同じことをしているところを俯瞰で見て嫌になります。まわりを見たらこんなことで違和感を感じているのは自分だけだと思えてきます。これって変ですか。

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update 2026/1/9
Q.病院を変える際に紹介状を書いてもらったら、帰る際にお大事にの一言もなくモヤモヤしました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神科の病院を変える際、今まで通っていた病院の先生に紹介状を書いてもらったのですが、帰る際にお大事にの一言もありませんでした。モヤモヤしました。

A.病院を変えるという選択に、先生がネガティブな感情を抱いて「お大事に」と言わなかったのではないか?というモヤモヤですかね。お大事にの一言がなかったのは、何かイヤな思いがあったからなのか、考え事でもしていて抜けてしまったのか、想像することしかできませんが、モヤモヤする気持ちは何となくわかる気がしました。
患者と医者といっても人同士なので相性はありますし、他の先生に相談してみるも、変えるも自由だとウ・サギは思います。だから病院を変えることを、医者側が自分へのネガティブな評価として捉えたり、患者側が申し訳なく思ったりすることはないと思うのですが、どことなくそういった風潮がある気はするので、気になってしまうのですかね……。もっと断ることや変えることが前向きに捉えられている社会なら、「お大事に」の一言がなくても、悪い方への想像がそもそも浮かばないかも…?と思ったりしました。

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update 2026/1/7
Q.「Q.申請主義は切り捨ての~」の質問をした者です。このような理解で良いでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.申請主義は切り捨ての仕組みだと思うのですが、どのような仕組みが必要だと思いますか?」の質問者です。福祉には強制でも本人任せでもない、個人の意思尊重と命の保護を両立する仕組みが必要だと感じました。そのための伴走者としてソーシャルワーカーのような存在が重要だという理解で良いでしょうか?
(編集注:同じ質問者さんから、先日の質問で書き忘れたことがある、という流れがあったので2つの質問を合体させた内容になっています)

A.はい、本人の選択がとても大切だと思います。ただ、選択するためには必要な情報を得られることが前提ですね。また、自分のための選択というのはそんなに簡単ではなく、いろいろな経験も必要となります。やったことがないことを選べません。
いつも誰かに勝手に決められるような経験をすると、自分のためを考えることができなくなります。そして、選んだ結果について一緒に振り返る機会も必要です。人はいつも正しい選択ができるわけではありませんので、失敗をどう受け入れるか、折り合いをつけるかということも学ぶ必要があります。
もし、自分の望んだ結果にならなくても、結果から学ぶことは、次の選択に必ず生きてきます。そうした選択や意思決定のための経験が保障された上で、自己決定の尊重があるとカエルは思っています。しばしば、自己決定は自己責任と直結されることがありますが、責任を問われるのはそうした経験や機会の保障があってのことだと思います。
自己決定のための土台は、社会的に弱い立場の人たちだけに必要なことではありません。
どんな人も豊かな経験をして、自分のために選択をする経験が保障され、そして選択の結果を誰かと一緒に吟味したり、振り返ったりする機会は大事です。もはや福祉というより、教育の問題だと思います。前回、ユニバーサルな生活保障や支援の仕組みについてお話ししましたが、同時に誰にとっても学ぶ保障があることも大切です。今の画一的な学び方や教育内容(教科教育にかなり偏重している)ではそうした学びを提供することは難しいですし、学び方が個性的な人たちは学校からこぼれ落ちることも多いため、学ぶ機会が少なくなってしまうという課題もあります。そう考えると、ソーシャルワーカーに限らず、一人ひとりにあった学びや生き方を一緒に考えるサポーター(何か名称をつけたいですね)がますます重要になりそうです。

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update 2026/1/3
Q.権力者や資本家がお金儲けのために「こう生きてね」みたいなのを布教してる気がしてきた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.権力者や資本家といった人たちが、お金儲けのために「こういうふうに生きてねー」「こういうのが普通だよー」みたいなのを布教している気がしてきた。うまくいったら前者は働いてくれることに繋がるし、後者は消費をコントロールすることに繋がる気がする。

A.ふむふむ、いいセンいっているようにウ・サギは感じました。そこまで強い目的をもって誰かが操っているかはわかりませんが、結果としては、そういった形で搾取構造の維持が行われてしまっているようにウ・サギは感じています。
質問者さんの考えやウ・サギの感覚が合っているかは別として、社会はどうなっているんだ?と感性を働かせて考えてみることは大切だと思います。そうしないと知らず知らず踊らされて、正しくないことを再生産する自分になってしまいそうでウ・サギは怖いです。

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update 2025/12/31
Q.今の社会だとあまりぱっとしない立場だけど、生育環境を考えると自分は頑張ってるかなと思う。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.僕は今の社会だとあまりぱっとしない、どちらかといえば見下されそうな立場にいると思っています。一方で生育環境を考えるとそうなるのは当然でむしろ自分は頑張っているかなと思います。こんな考えはわがままでしょうか。

A.何もわがままじゃないとウ・サギは思います。自分で「むしろ自分は頑張っているかな」と思うのなら、その感覚はきっと正しいし、自分の感覚は大切にしてほしいとウ・サギは思っています。
そもそも今の社会での「ぱっとする」という基準自体、とても限定的な像だと思いますし、そういったものは時代によって移ろいゆくものなので、あまり相手にしなくていいと感じます。(といっても社会的に弱い立場にいると、見下されることは怖いし、気にしてしまうのもとても自然なことだと思います)
「むしろ自分は頑張っているかな」という自分の感覚があって、それを言葉にすることができるのは、ウ・サギ基準ではぱっとしてるとさえ言いたいです。もちろん感覚がマヒしていても、言葉にできなくても、何でもOKなのですが、補足の内容含めあなたが自分なりに戦い抜いてきたことが文章の節々から伝わってきました。

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update 2025/12/31
Q.女はすごい生きづらいと思う。こういう生きづらさはどうしたらいいのかな
この記事の担当 うさえなが

Q.あたしは性自認女で生物学的にも女なんですけど、性自認でも身体的にも女って身体構造的にも精神的にもすごい生きづらいって思います!うさえながさんは、あたしみたいに思ったことってなんかありますか?あとどうしたらいいのかな、こういう生きづらさって?

A.性別ないからわからないなあ!
食べ過ぎて体が重たくて困った!ってときはある
そういうこと?

*ウ・サギから補足*
身体的には、女が絶対に妊娠出産を引き受ける側になるという点で、男よりリスクや不利益が大きいのは確かだとウ・サギは思います。これは単純に妊娠出産の負担が大きいのもありますし、性行為のリスクが不均衡なのがウ・サギは一番気になります。
社会的なことについては(身を守るために警戒や注意をする必要がある、性的搾取をされやすい、求められる美容の要素が多いなど)、女が生きづらい世の中に今はなってしまっていると感じます。それは「自分は女だけど困ってない」とか「男だって生きづらい」とかの問題ではなく、社会の問題として、改善されていくべきだとウ・サギは考えています。もちろん、それと同時に、社会的に不当に男が背負わされているもの(強くあらねばならない、いわゆる弱者男性への蔑視傾向など)をなくしていくことも大切です。
そういった、女/男だからこう、という社会的な性別役割を「ジェンダー」といい、性別による不平等や差別をなくそうという思想・運動を「フェミニズム」といいます。このあたりは、もしもっと知りたい場合は『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』という書籍がおすすめなので、よかったら読んでみてください。
人間は指標によって、いろんな有利不利があります。それは社会の規範や仕組みのせいで過度な不平等が生まれている場合もあれば(貧富の差、男女の経済や権力の格差、黒人差別など)、体が強い・弱いないなど、規範があまり関係ない有利不利もあります。同じ女性でも生理が重い人と軽い人がいますし、虚弱な体質の男性と強靭な体の女性を比べたら、フィジカルで女性が有利になる場合もあります。だから差による生きづらさをどう扱うかは、とても難しい問題だとウ・サギは思っています。
権力がある側が弱いものを抑圧している世の中で「誰しも大変だよね」なんて言葉でくくるのは絶対にNGですが、「こっちの方がつらい」と対立してしまうのもまた違うと思いますし、ウ・サギもまだ答えをぐるぐると探している最中です。いい質問をありがとうございました。

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update 2025/12/29