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タグ社会派
Q.大学生になったら1人暮らししたいが金銭的に申し訳ないと思ってしまう
この記事の担当 所長室

Q.大学生になったら1人暮らししたいけれど、金銭的な負担をかけるのは申し訳ないと思ってしまう。親は好きな大学に行けばいい、学費も生活費も出すというけれど、たいして大学でやりたいこともない自分がそんなことしてもらっていいのかなと思ってしまう。

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update 2025/6/10
Q.無職で家事をこなせなくても福祉などで安心して生き続けられる社会がいい
この記事の担当 やみーペン

Q.仕事も家事もどうしても頑張りたいと思えず、こなすこともできない。死にたいくらい苦しい時もある。福祉や医療や家族等の支え、そして何より好きなことでなんとか生きてる。無職で家事をこなせなくても福祉などで安心して生き続けられる社会がいいな。
無職で家事もやらず好きなことだけして暮らすのは、確かに誰かに負担を強いることかもだけど、本人にとっては今を生き延びる手段なんだと自分は思います。

A.やみーペンも自分ができない時に誰かが助けてくれて、そうしてもらってることに苦しさを感じない社会であって欲しい!と思ってる〜
それぞれのキャパや得意不得意を理解しあえる世界であって欲しいなぁ〜。ちなみにやみーペンは家事は嫌い…同じ作業を繰り返すのって好きじゃないんだよね〜

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update 2025/6/9
Q.どんな人も休みたいときに休めれば、「みんなつらくても頑張っているのに」から解放されるのではないか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どんな人にも休みたいときに安心して休める選択肢があればいいのに。その選択肢があれば、今この瞬間、休んでいると扱われる状態にある人も、「みんなつらくても嫌でも苦しくても頑張っているのに」から解放されると想像するのですが、どう思いますか。

A.とてもその通りだとウ・サギは思いました。本当にそうだなあという気持ちで、「その通りすぎる」以外の言葉がすぐには出てこないくらいです。
どうしてここまで、つらくても嫌でも頑張れ、みたいな風潮が強まってしまったのでしょうかね……。休みたいときに休むことに何か問題があるとしたら、全員が休んだら社会の機能がストップしてしまう、働き者の誰かに負担が集中してしまう可能性がある、くらいかと思うのですが、休みたいときに休めてみんなが健康な心身を保っていたら、必要な助け合いや分担は自然とできる気がします。
何に追われているのか、何を課されている(ように感じている)のか・・・何か、本来は必要ないものが私たちを息苦しくさせている気がしてならないウ・サギです。

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update 2025/6/4
Q.自分が普通ではないことを思い知ってとてもつらくなる。みんなみたいにできない自分が嫌い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が普通ではないことを思い知ってとてもつらくなります。みんなみたいにできない自分がすごく嫌いです。
いわゆる、普通に憧れていて中学は行ったり行かなかったりを繰り返していたのに全日制の公立高校を自分で選んで受験しました。(うちの地域では公立の高校に行くことが一般的でした)もう3年生になりますが、2年の途中からだんだんしんどくなり、疲れが酷く体力がなくなり思うようにやらなければいけないことができない生活を続けています。たまに休みながらこの生活を続けてきましたが、それにも疲れてきて全部放り出してにげたくなってしまっています。すっごく逃げたいけれどここで辞めるのは少し悔しい気持ちもあったりします。うまく生きられない、やっぱりみんなと同じ生活ができない自分がとてもきらいです。

A.何を「普通」とするかは諸説ある気がしますが(あなたがこの話で言っているのは全日制の公立高校に行くことですね)、「普通」には、そうありたいと思わせる魔力、そうでなければまずいと不安にさせるパワーがどうやら強くあるようだ、というのは経験から感じます。実際に普通と呼ばれるものからズレたら不利益がある場合もありますし、時に無言で、時に露骨に「普通じゃないのは良くないこと」というような圧を社会が発しているのも、残念ながら事実だとも感じます。
みんなと同じ生活をできる自分でありたかった、そうできない自分がきらい、という気持ちはウ・サギとしては100%受け止めました。ただ、中学高校というのは人によってはかなりハードな環境なので、きっとあなたの何かに合わないのかな…?と感じています。例えば大学だとわりと環境の質が違うので、何か変わることもあるかなあとか、3年生まで来てるなら辞めて高卒認定とってその後の進路に向かうのもそんなに難しくないかも?とか、環境次第であなたの思う「うまく生きる」に近づけるパターンもあるのではないだろうかなんて考えました。でもウ・サギは「うまく生きる」というのは、自分に合った生き方を見つけることだと思っていて、世間のいう普通にみんなが適応しなくてはならない(人が努力して自分を変える)という方向性ではなく、みんなが自分にとっての普通、自然体で生きられるために生き方が多様になってほしい(社会が変わるべきだし、変えていきたい)とは考えています。
とはいえ、憧れは簡単に消えるものでもないだろうし、きっとその中にはあなたの切実な何かが含まれているのだともウ・サギは思います。だから、憧れている気持ちはどこからくるのか、うまくいかないと思うのはどの部分で、何が原因で疲れているのかなどを、誰かと一緒に考えてみる機会があるのが大切なのかな・・・とも感じました。またよかったら質問をください。

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update 2025/6/4
Q.フィクションのマンガ作品でも、現実同様「働かない」選択肢が大体は否定されてる気がする。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.フィクションのマンガ作品でも、無職であることや働きたいと思っていないことは否定的に扱われたり、否定的に扱われなくとも無職のキャラは後々仕事をする展開になる印象
現実同様「働かない」選択肢が大体は否定されてる気がする。どう思いますか

A.ウ・サギはマンガ好きなので、確かにそうかも…?どうだろう…?と好きな作品を浮かべてみたのですが、働くというものがまだ現実味のない学生ものがほとんどでした。実はウ・サギも、働かなくてはいけない、みたいなものを感じさせるマンガを無意識で避けていたかもしれないです……。
まず「働かない」選択肢について思うのは、生きかたカエルがこの質問やこの質問でも書いている通り、今の世の中での「働く」というのが、あまりにお金を稼ぐという意味に限定されていていることです。そういった限定された、資本主義の世界で労働するという「働く」については、「働かない」選択肢はあるべきだし、むしろみんなで「働かない」を選択していきたいとさえウ・サギは思っています。
どうやったらみんなの衣食住が安全に確保されて、持続可能な暮らしができて、困ったときはお互いさまができるのか、というのをウ・サギは考えたいです。そして、それを考えたときに「働く」というのは、家事をすること、小さい子の見守りをすること、みんなをフラットに認める存在としてそこにいること(例えば重度の障がいのある人などはこの働きができます)、これでいいのかと疑問を投げかけること(生きづLABOの質問はそういう「働く」だと思っています)など、実に多様であり、どんな人にも役割があると思っています。いわゆる働かないで遊んで暮らすみたいな人がいても、それはそれでその余裕やゆるさが誰かを救うこともあれば、普段遊んでいる分本当にピンチなときは働いてくれる気がするし、存在するだけでみんな「働いている」ということになるのではないか?とウ・サギは感じます。疲れて心を病んでしまう人がいたら、それは安全じゃないコミュニティになっているというサインであり、そのサインを出すことも大切な働きだと思います。病んでしまった側はしんどいはしんどいでしょうが…。
だから、おそらくあなたは「働かない」選択肢を求めている気持ちがあるのかなと思いますが、働くに偏りすぎた社会に何かを感じ、生きづLABOに質問している時点で随分と働いているとウ・サギは思いました。
あれ、話が脱線しすぎた気がします・・・。どう思うか?という話に戻ると、フィクションだろうと生み出した人間は現世にいるので、現世の価値観が作品に反映されるのはどうしてもあるのでしょうね…とは思います。ちなみにウ・サギはそれが苦手なので、小説は海外の100年近く前のものを好んで読んでいます。

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update 2025/6/2
Q.お母さんに「育て方間違えたね」などと毎日言われてめちゃくちゃイラつく
この記事の担当 ウ・サギ

Q.お母さんに「育て方間違えたね」「なんでこんな子になっちゃったの?」「産まなきゃ良かった」などを毎日言われるんだけどめちゃくちゃイラつく。勝手に産んで育ててその言い草はないでしょ…

A.それはイラつくし、悲しいだろうし、とにかくたくさん負の感情が出てきそうです。なるべくその気持ちを吐き出して、共感されたり(同じようなことで苦しんでいる人も実は結構いそうな…?)受け止められたりしてほしい・・・と思いました。
ウ・サギとしては、あなたの痛みをまず一番に受け止めますが、それを毎日言うというお母さんの精神状態もなかなか心配に思いました。気持ちのコントロールができていないと感じますし、それは子どもにぶつけるのではなく、きちんと何か他のものでケアしてほしいところです……。今はいろいろと追い詰められたりストレスの大きい社会になっているので、大人がストレスを抱え、そのストレスを子ども(自分より弱い者)にぶつけてしまう、という悲しい循環が起きていると感じます。
とはいえ、どんな事情や社会背景があろうとも、子どもに酷いことを言っていい理由にはならないし、言われる側はしんどいし傷つきます。だから、いくら腹を立ててもいいし、また何かあったら質問してください。

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update 2025/6/2
Q.生きかたカエルさんが「障害」ではなく「障がい」と使う理由は何ですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生きかたカエルさんが「障害」ではなく「障がい」と使う理由は何ですか?他の質問をみて、質問者の方が「障害」と使っていても「障がい」に置き換えていたので、どういう意図があるのか気になりました。ちなみに、私はどっちでもいいと思っています。

A.よく見ていますね。カエルのこだわりに気づいてもらえてうれしいです。
「害」は「邪魔をする」「そこなう」という具合に、よくない意味が全面的にあります。障害者は特定の人たちの総称になりますが、人の総称として「害」という漢字を使うことで、当事者の方たちが嫌な気持ちになるという意見が多くあります。そこで、一般的に障がいのある人たちが、「害がある人」という意味合いでとらえられることのないように、「害」を「がい」にしていこうとする動きがあり、カエルもそれに賛同した結果、ひらがなにしたわけです。
似たようなことで「こども」は「子ども」であって、「子供」とは書かないようにしています。「供」はお供(主人に従う存在)としての意味があり、子どもを従属的な存在として理解される恐れがあると思っているので、「子ども」と書くようにしています。カエルも結構どっちでもいい派的なところはありましたが、いろいろな社会の実情を知っていくと、自分にとってはどちらでもいい、どうでもいいと思っていたことが他の人たちにとってとんでもなくどうでもよくないこともあるので、少しずつアンテナを張るようにしています(まだまだ全然足りないと思いますが)。

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update 2025/5/28
Q.学校のクラスが怖い。雰囲気に合わせてると叶えられない夢がある。ずっと初対面なら楽なのに
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校のクラスが怖いです。心を閉ざして、1人でいたいけど、そうさせてくれません。他のところに居場所はあります。クラスの雰囲気に合わせて馴れ合いをしていると叶えられない夢があります。ずっと初対面なら気を遣いあえて楽なのにって思ってしまいます。

A.あなたの状況をきちんと理解できている自信はないですが、馴れ合いというか、向上や目的達成を主旨としていない関係性はウ・サギも苦手です。とはいえ、楽しむことを重視するような関係性も時に必要ですし(人によってはそれが切実に必要なこともあるかと思います)、それを「馴れ合い」と呼ぶのも失礼なのか?とか、いや、でも学校のクラスでそれをやるのは違くないか?とか、色々と考えてしまいました。
現状、日本の高等教育は、学習を第一の目的としてる人も勿論いますが、モラトリアムをお金で買っている側面が強い場合もあるとウ・サギは感じています。それもそれで悪いとは全然思わないですが、叶えたい夢のある人にとっては、目的を達成しづらい場所になっているのかもしれませんね…。学習を第一目的とする場所にしたいなら、入学のハードルを下げて卒業のハードルを上げる、一度社会人になってやりたいことが定まってから高等教育に入る文化にするといった、根本的な変化が必要だとウ・サギは考えています・・・が、とりあえずあなたはその環境でやっていくことになるかと思うので、悩ましい…。
(補足に、馴染みたくないと思う自分を責める言葉があったので)馴染めない自分がいても、馴染みたくないと思う自分がいても、それは何も悪いことじゃないとは伝えたいです。人には好き嫌い、合う合わないがありますし、それにどう対処していくかは自分の自由です。馴染めないと割り切ってなるべく距離をとるのもありですし、馴染もうと試みてみるのもありですし、途中で方針転換をしてみるのもありです。1人くらい話の通じる人がいないか探してみるのとかもありです。ただ、馴染みたくないのに馴染もうとしてみるなど、気持ちと行動と乖離するとしんどそうなので、ひとまず何か対処の方向性を定めて「これでいくぞ!」と自分の選択を信じていいのかなとも思いました。
ウ・サギは、慣れてきても、お互いに礼儀とある程度の緊張感を保ち続ける文化だったらいいのにな…と思います。叶うことなら、「お疲れ様」と、クラスの後はあなたに好きな食べ物を持って行ったり、何がもやもやするかの研究会を開きたい気持ちです。

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update 2025/5/28
Q.障害があると公共施設の割引がされるのは何故だと思いますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害があると公共施設の割引がされるのは何故だと思いますか?交通費の補助制度は理解できますが、公共施設へのアクセス出来るのは、そもそも障害の程度や困難さが低い人が多いと思います。今の制度は、重度の人に分配できているのかなと疑問に思っています。

A.いいところに疑問を持ちましたね。
実はカエルも障がい者への支援策には少々、疑問や違和感がありました。
今の社会において、何らかの障がいがあると制限される場面が障がいのない人たちに比べて多く、余計な苦労や負担をしなければならなかったり、不利益なことがある実態はあります。なので、そうした不便さを補う特典として、公共サービスの免除や優遇があるのだろうとカエルは理解しています。つまり、公共施設の利用に直接的に不便があるから、補助するのではなく、福祉を担当している行政として何か特典を提供できるとすると自分たちのサービスである公共施設の利用についてはクーポン出せますよ、というロジックかと思っています(真実はわからないのですが、カエルの推測です)。
ただし、カエルがいつも違和感なのは障がい者へのそうした支援策は「不便、不利益な社会だけど、これサービスするから我慢してね」と言われているように感じる点です。そもそも、障がいがあることで起こる不利益や負担を減らすような施策が必要だと思いますし、それはそれぞれ違うので一律に何か優遇することではないと思います。一人ひとりが何で困っているのか、そのためにどんな仕組みがあればいいのか検討して、やれることをやっていくのが大切だろうと思います。こうした議論がとても大切だと思いました。

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update 2025/5/28