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タグ社会派
Q.親に「あなたのため」とよく言われるが、それはエゴなのか本当に私のためなのか分からず辛い
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親からの「要求」と「愛情」の境目が分からないです。
「あなたのため」ってよく言われるけど、これは果たして親のエゴなのか?それとも本当に私のためを思って言ってるのか?それが分からなくて辛いです。

A.補足にあった「あなたのため」シリーズはすべてカエル的には「親のエゴ」認定します。というのか、親から子どもへの要求は基本的に「親のエゴ」だとカエルは思っています。
もしも、親が子どもに望むことや求めることがあるとしたら、それは要求ではなくお願いや提案として表明されるべきなのです。一方的な要求や禁止や制限をすることは、権利的にはお行儀が悪い行為と言えます。ただし、子どもが経験や情報が不足しているゆえに判断ミスをすることもありますので、その際には大人が経験や情報を補う役割はあるとカエルは思います。それにしても、限りなく対等な交渉の機会が必要です。
しかし、現実としてはこうした大人としての子どもと関わるうえでのお作法(カエル的には難しい言葉として「パワーリテラシー(力の正しい活用法)」と表現しています)を学ぶ機会がないので、自分の持っている力を濫用してしまいがちです。力の濫用は英語で言うと「マルトリートメント」と表現され、それはいわゆる虐待の意味を持ちます。エゴ自体は何の問題もないのですが、エゴを弱い者に押し付けることはハラスメントや暴力になるので、質問者さんのようにつらい気持ちをする人が出てしまうため避けなければいけません。まずは、親が「これは自分のエゴだ」ということに気づくことが大切なのかもしれません。
「あなたのため」というワードはいっそのこと、禁止してしまいたい気持ちです。その言葉は使わずに表現する練習をしてみたいですね。

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update 2025/5/28
Q.なぜ、家の中で起きた虐待のような長年の殺人未遂や恐喝は、罪になりづらいのでしょうか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.なぜ、家の中で起きた虐待のような長年の殺人未遂や恐喝は、罪になりづらいのでしょうか

A.とても鋭い質問だと思います。実際にはすべて罪だとカエルは思っていますし、対策もされるべきだと思います。そのうえで、「罪になりづらい」というより「犯罪行為だと気づかれにくい」という理由を整理してみました。

①家庭が密室化していること
家庭内で起こったことは基本的に周囲から見えにくいです。被害にあった人が外に訴えても、「そんなことはない」と思われたり、家庭内の問題だから周囲の人が口出ししにくい雰囲気があります。近年、近所付き合いや親せき付き合いも減ってしまい、家庭が外から見えにくい傾向にあります。
②子どもや女性など、弱い立場の人たちの人権が軽視されている
子どもや女性など、家庭内で立場が弱くなってしまう人たちを守る考え方や仕組みが十分ではありません。子どもなら大人の方が偉いから、言うことを聞かなければならないとか、女性は家で夫に従い尽くすべきなど、偏った価値観が社会にはまだまだあります。その考え方が基盤としてあると、閉鎖された家庭内では強いものが弱いものを支配したり、従属させることに、罪悪感や間違っている感があまり起きず、むしろ正しいことをしているという常識ができてしまい、問題として浮上しにくいです。むしろ、子どもや女性がわがままを言っているなどという別の問題としてすり替えられることもあります。
③子どもが家以外で暮らす選択肢が少ない
子どもが希望した場合、家以外のところで暮らせる(ちょっと逃げられるところを含めて)選択肢があることが子どもの権利を守るために必要なのですが、そうした仕組みがあまりありません。施設か家か二極化がありますし、施設の数も多くはないことや課題もあります。
カエルとしては全国の学校に寄宿舎を作り、希望する子どもが寄宿舎で暮らせるような仕組みがあるといいと思っています。
④子育てを親に任せすぎる風潮
子育ては親がするもの、して当たり前という考え方が大きいです。そもそも、親だけで子どもを育てることは難しく、どんなに優れた親であっても親だけで子どもを育てるのは望ましいことではありません。子どもの育ちには豊かで多様な大人との出会いや関わりが必要なのですが、現代は何かと「親の責任」みたいなことが重要視され、親が知らないうちにプレッシャーを感じてしまうことも多くあります。そうしたプレッシャーは虐待を起こしやすくします。

とてもたくさん書きましたが、カエルは質問者の心の叫びを感じて、熱くなっています。心の叫びを届けてくれたことに敬意と感謝を表明します。こうした実態がもっと理解され、対策が進むように生きづLABOも活動していきたいと思います。

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update 2025/5/28
Q.クラスの子がからかい文句で「発達なんじゃねえの?」と言うのが嫌。当事者から見ると余計に。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.クラスの男子たちが、からかい文句で「発達なんじゃねえの?」みたいなことをよく言うのがとても嫌。
当事者から見ると余計に。(私はADHD不注意型、弟も自閉症です)
これは私たちが我慢すべきこと?

A.「発達障がい」という言葉だけが広がって、適切な理解をする機会が不足しているので、そういったことが起こっているのでしょうね…。嫌な気持ちになって当然ですし、当事者が我慢すべきことじゃなく、大人がきちんと対応すべきことだとウ・サギは思います。
適切な理解とは何か?というと、それはそれで色々な考え方がありますが、
・人にはそれぞれ、目に見えない違いがたくさんある(感情にどれくらい気づくか、刺激への反応しやすさ、耳で聞くのが得意か目で読む方が得意か…)
・世の中ではまだその違いが十分に知られていなくて、一部の人がとても苦しんだり、学ぶチャンスを逃したりしている(本当は、感情を言葉で教えてあげればわかるかもしれない、刺激を減らせば落ち着いて取り組めるかもしれない、合った勉強法をすれば理解できるかもしれない…)
・だからそうやって苦しむ人がいないように、目に見えない違いがあるかもしれないと想像しながら人と関わって、必要な配慮があったらお互いにしていこう
みたいな考え方が広まってほしいとウ・サギは思っています。
そして実は、発達障がいと言われるもの以外にも目に見えない違いはたくさんありますし(たとえば感情だってそれぞれ違います)、「目に見えない何かの違いで、今もしかしたらすれ違ったり、余計に苦しんでいるかも」と想像して丁寧にコミュニケーションをとっていく世界は、誰にとっても安心な世界なのではないか…?とウ・サギは考えています。

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update 2025/5/26
Q.人間の本来の寿命は55歳くらいだと聞いた。それに抗ってまで長生きするのは良いことなのだろうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間の本来の寿命は55歳くらいだと聞きました。それが現代では、医療の発展によって80歳くらいまでは生きられるようになったと。でも、本来の寿命に抗ってまで長生きするのは、肉体的には可能だとしても、良いことなんでしょうか?

A.本来というものの定義は諸説ありそうですが、現代の生活で(過度な肉体の酷使なく、栄養バランスが最低限とれた食事をとり、歯磨きなどをちゃんとして…)、手術などの高度な医療を使わない場合、寿命が55歳くらいということでしょうか。
長生き=良いこと、では全然ないとウ・サギは思います。でも「これをすればまだ生きられる」という方法があるのに、それを選ばないというのは、当人が望んでも、周りの人にとって心の負担になる場合がありそうだとは感じました。良くも悪くも、医療に限らず私たちは本来とか自然とかからは遠ざかってしまっているので、合意がとれる(誰かの心が深く傷つかない)あり方が、しいていうなら「良いこと」になるのかなとウ・サギは思います。
だから人や状況によって、抗わない方がベターな選択になるときもあれば、抗う方がベターな選択になるときもある、というのがウ・サギの考えです。

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update 2025/5/25
Q.年を取ることを恐れる人がいるのはなぜですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.年を取ることを恐れる人がいるのはなぜですか?アンチエイジングとか、若々しいことが素敵なんだ!みたいな風潮が強すぎる気がします。世間がそんなのだと、僕まで年を取るのが怖くなってきました。

A.確かに、なぜなのでしょうね…。昔から不老不死への憧れを抱く人はいたっぽいので、時代だけでなく何かあるのだとは思いますが、年を取ることを恐れる気持ちを流行させることで売れる商品がある、儲かる人がいるという構造が今はあるので、そういったことは影響しているように思います。また、年を取るだけに限らず、人間は変化というものを恐れる傾向がある(変化を恐れないタイプの人もいますが)というのもありそうです。
あとは、今の世の中は頼るのはよくないみたいな風潮があったり、単純に信頼できる相手がいない人もいると思うので、もし介護が必要になった場合の生活が前向きにイメージできない、という要素もあったりするのかもしれません。
人間は何かと不安を感じやすい生き物だし、年を取るのを恐れるのもおかしくはないのでしょうが、それにしても風潮が強すぎるというのは同意です。

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update 2025/5/25
Q.どうして見た目で得したり損したりするの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.どうして見た目で得したり損したりするの?そして見た目で損をしてしまう場合は、どうすればその不利益を避けられる?

A.見た目を過剰に重視する人が多いからでしょうね。カエルとしては何が損か得かは人によってかなり違うと思うのですが、不利益を回避する方法としては
①見た目を重視する人や情報を避ける
②自分の中の損や得の基準を変えてみる
という具合に、環境を変える方法(①)と、自分の中の価値を変える方法(②)があるかと思います。カエルは第三の方法として、世の中の価値観を変えるという方法を模索中です。よかったら、一緒に世の中を変えましょう。

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update 2025/5/25
Q.自由が怖い、嫌い、疲れた。誰かに支配されたい。そう思うのはだめなことですか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自由が怖い、嫌い、疲れた。誰かに支配されたい。そう思うのはだめなことですか。

A.全然だめじゃないと思いますよ。なんなら、生きづLABOでも、やみーペンは「自由は好きじゃない」と言っています。
そして昔は実際に支配されにいってもいた気がしますが、今は自分をほどよく洗脳してくれて、自分を傷つけてこないものを選んで、流されているようなイメージがあります。
「支配されたい」という意識ではなくても、「流されてる方が楽」とか「決めてほしい」という人は実は結構多い(むしろたぶん多数派)とウ・サギは感じています。
あと、あなたのいう自由とはもしかしたら話は違うかもですが、ウ・サギ的には今の時代は「個人の自由でなんでも選べます」みたいな雰囲気があるだけで、実際のところはフラットな選択肢は少ない(例えば、家から出るのが簡単じゃない、学校に行かないとプレッシャーや不利益がある、フルタイムで働くという形じゃないと生活が難しい、空気を読まないと攻撃される、死にたいと言いづらい…etc)と感じます。だから「怖い、嫌い、疲れた」という感情はすごく自然な反応に感じましたし、それはあなたの意識の中では「自由」を対象にした思考として暴れてたとしても、その奥には経験や感覚や、言葉にできない思いの集合体があるイメージを抱きました。(ウ・サギは、思考は基本的に感情や感覚の後付けで生まれるものなのでは?と考えています)
だからどんな思いもだめじゃないし、論の是非ではなく、どうしてそういう思いになったのかを語れることが大切なのだとウ・サギは感じています。

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update 2025/5/25
Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか? 
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか? 
私の経験上、希死念慮が他人からは想像以上に見えていないと痛感しています。だから簡単には気付けなくて当然で、逆にそれが明らかに見て分かる頃では支援が間に合わない気がします…

A.ウ・サギは、死にたい気持ちは「生きる負担>生きる楽しみ・価値」という状態があって、生まれるものだと思っています。もし死にたい気持ちを感じていない人でも、同じく「生きる負担>生きる楽しみ・価値」になっている場合が少なくないと感じますし、自殺を止めたいと思うなら、そういった世の中(家庭、学校、仕事・・・生きる負担があまりに多いと思います)を変えるのが、一番のやるべきことだと考えています。だから、誰かが自殺という行動に至るところでやっと「自殺のサインに気づく」ことを重要視されても、なんだかなあ、とウ・サギは思ってしまいます。亡くなってしまったら生き返ることはないので、気づくことも勿論大切だとは思いますが…。
ちょっとあなたの話からズレたことを語ってすみません。ウ・サギも、人や場合によりますが、希死念慮も自殺のサインも周りから全然見えないことはあると感じます。というかそもそも、人がどんな感情でいるか、どんな考えをもっているかは、周りには(時に自分にだって)なかなか見えないものだと思います。だから自殺のサインに限らず、感じていることを言える関係をつくることがポイントだと感じますし、そのためには常日頃から、ネガティブな気持ちを否定しない、頑張りや完璧を求めない、良い悪いの評価をしないなど、「この人になら言っても大丈夫だ」と思ってもらえるような振る舞いや生き方をするのが大切だと思っています。

update 2025/5/21
Q.お母さんはよく私と兄たちを比べる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.社会人の兄と姉は2歳差でずっと一緒だった。私と兄たちは最低でも10歳差で家には私1人。お母さんはよく私と兄たちを比べるけれど、2人と1人は違くない…??って思う。

A.2人と1人は違いますし、1人と1人だって、人間はそれぞれに違います。だから比べられるものではないと思いますし、立場の強い側(親)が弱い側(子ども)を堂々と比較してそれを言葉にしてしまうなら、それはちょっとキケンなことだとウ・サギは感じています。自分の価値が、何か特定の能力や資質、行動によって決まってしまうような不安を、子どもに植え付けてしまうかもしれないからです。
あなたについては、違くない…??と思えているようなので、比較に負けていないとちょっと安心もしましたが、比べられるのは何かしらイヤな気持ちのするものだろうと想像しています。それにしても、なぜ人間界ではここまで比較が流行してしまったのでしょうね……

update 2025/5/15
Q.バイリンガルの人も、自分の母国語を完璧に話せるべきだと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.バイリンガルの人も、自分の母国語を完璧に話せるべきだと思いますか?

A.いえ、そんなことは全然ないと思います。
世の中では、いろんな人が「こうするべき」「こうしたほうがいい」と勝手に、これが正しい意見みたいな顔までして言ってくることがありますが、物事にはいろんな見方、考え方があるので、基本的に自分の考えを採用していいとウ・サギは感じます。
ちなみにウ・サギの意見としても、バイリンガルが自分の母国語を完璧に話す必要があるとは感じません。もし自分自身が完璧に話したくなったら勉強するのもいいと思いますが、そもそも言葉のニュアンスは個々に違いがあるので、日本語が完璧に話せたって意思疎通できないこともたくさんありますからね・・・。大切なのは、言葉を完璧に話せるかとは別のところにあるとウ・サギは考えます。

update 2025/5/14