PAGE
TOP
タグ哲学
Q.恥ずかしい、という感情の取り扱い方を知りたい
この記事の担当 所長室

Q.恥ずかしい、という感情の取り扱い方を知りたいです。勘違いしたり間違ったりすると、恥ずかしくなってくると同時に、自責の念や希死念慮が湧いてきます。そのあとに深い傷になりやすくて困っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/26
Q.恋愛や性的な感じで甘えたいわけでは無いが、甘えたい。この感情をどう考察しますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.赤ちゃんや幼児みたいにべったりと甘えることを許されたいと思うけど
全ての赤ちゃんや幼児が甘えを許されてるわけ
じゃないよなとも思う
また、恋愛や性的な感じで甘えたいわけでは無い
でも甘えたい気持ちはある
この感情をどう考察しますか?

A.なんだかとても自然な気持ちだと感じました。気持ちや求めているものは人それぞれだと思うので、もし質問者さんとは反対で恋愛や性的な惹かれだと自分で感じているものだとしても、実はカテゴリーに入りきらないオリジナリティ性があるのでは…?とウ・サギは思っています。甘えたいといった気持ちは、十分な安心や受け入れてもらった感覚が蓄積していないときに湧いてくる、ある種の渇望のようにウ・サギは捉えています。
また、「こうではないけど、こういうのがほしくて…」と、自分なりの表現を丁寧に探そうとするスタンスが、質問者さんの個性であるように感じました。自分の感情や感覚をそこまで深めずに、何となくこういうものかな、とカテゴリーに入れてしまう方が世の中では多数派な気がします。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/20
Q.前質問した者です。もしかしたら私の見た表現は「私は~と思う」という表現だったかもです。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.「マイノリティは社会に変わることを求めずに自分が変わるべき」みたいな表現を見てショック
の質問者です
正確な表現は覚えてないので
もしかしたら私が見た表現は
「私は〜と思う」という表現だったかもです
でもショックだったのは確かです

A.誰がどんなふうに言った言葉かさておき、ショックを受けるときというのは、ショックを受ける側に何かしらショックのもとがあり、それがある表現に触発されたという理解をするのが妥当だとカエルは思っています。
そして、ショックやストレスについては、最近聞くようになった「予測誤差」に関係していることも多いというのがカエル調べの結果です。つまり、ショックを受ける側の想定や許容範囲という枠組みがあり、それを揺るがしたり、超えてしまうような表現に出会うときに起こるものかなと思います。
生きている以上はそうした出来事は起こることだと思うので、脳や心の災害みたいなものだと理解してみるとどうかと思います。人によって脳や心の構造は違うので、こんな災害には弱いとか強いとかそれぞれ違いそうですし、そうなると災害への備えも人によってずいぶんと異なるのかなと思います。ただ、どんな災害に弱いのか分析できると災害を防ぐ方法(物理的に危ない事物から距離を置くとか、避難訓練をしておいて遭遇してもびっくりしないようにしておくとか)や起こってしまったときの対処法(どこに逃げるか、誰を頼るのかなど)も策を講じることができそうだとカエルは考えてみました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/18
Q.考え過ぎて疲れていることが多々ある。自分のことが嫌い
この記事の担当 所長室

Q.いつも不安を感じてしまっていて、たくさん考え過ぎて疲れていることが多々あるんです。昔の嫌な自分を思い出したり、みんなは私をどんなふうに思っているのかなとかいろいろ考えてしまいます。自分のことが嫌いです。どうすればいいでしょう。辛いです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/18
Q.人を分類する言葉に違和感を覚える。何故人を安易な言葉で形容して箱に入れようとするのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人を分類する言葉に違和感を覚えてしまいます。何故、人のことを安易な言葉で形容して箱に入れようとするのでしょうか?また、個性を消して、生きることが美徳とされているように感じます。かくいう自分もそれに縛られて生きています。どうすればいいですか?

A.補足の内容も少し入れて整理させてもらうと、人を分類する言葉は例えば「優等生」であり、その背景に、使いやすい人間と使いにくい人間で分けるような価値観を感じ違和感を抱いている、という話で受け取りました。
人を安易な言葉で形容することについては、
・アイメッセージ(私はこう思う)ではなく、ユーメッセージ(あなたはこうだよね)で伝える
・形容された側が、違和感や抵抗を抱いても、反論できないくらい力を失った状態にある
の2つがそろったケースであれば、まさに箱に入れるような暴力性が生じるとウ・サギは思っています。
ただ、話を深めていくと、他者の個性を形容することは、その他者の個性についての話題というよりは、形容した側の価値観を話している意味合いが強いとウ・サギは捉えています。わざわざ誰かを優等生だと言う人は、優等生を望ましいと思っているか、優等生になりたいか、優等生じゃないとまずいというプレッシャーを抱えているか、とにかく「優等生」ということに何かしらの意味を感じている人ではないでしょうか。だから「あの人は○○だよね」という形容は、誰かを箱に入れているように見えて、実は自分が閉じ込められている箱について語っている発信なのだとウ・サギは考えています。
つまり、何故人のことを安易な言葉で形容して箱に入れようとするのか?の問いへの答えは、自分自身が箱に閉じ込められているから、というのがウ・サギ説です。個性を消して生きることが美徳とされていることについては、力を持っている側が力を持ち続けるにあたって、力のない者が思考停止で従ってくれるのが都合がいいという力学のようなものが働いているように思います(勿論、それ以外の要因や背景もあると思いますが、ウ・サギとしてはそういった力学に一番着目しています)。このあたりは、もしもっと興味があれば、パウロ・フレイレの「被抑圧者の教育学」という本をぜひ読んでみてください。ちょっと難しいかもしれませんが、言葉や概念を「押しつけられるもの」「受け入れるしかないもの」ではなく、「自分たちで考えるもの」「つくっていくもの」とすることが、社会づくりの本質であるといったことが書いてあります。
だから、どうすればいいですか?は、こうやって世界を自分の言葉で語り、対話し続けることだとウ・サギは思っています。いい質問をありがとうございました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/12
Q.愛情が足りてなくても大人になると関係なく生きろとなるのはなぜ?
この記事の担当 所長室

Q.愛情をたくさんもらって大人になった人もいれば虐待など危険に晒されながら生きて愛情を充分にもらえず大人になった人もいるのに、大人になったら関係なく生きていかないといけないのはなぜ?

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/7
Q.孤独は埋まらないものと気づいてから、造詣が深くなったと同時に感情を抱えきれなくなった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人は誰しも孤独を抱えているけど、孤独の形や輪郭、解像度はそれぞれ違くて、何かで埋めようとしても埋まらないものだと気づいてから、感情の造詣が深くなったと同時にその感情を抱えきれなくなりました。どうしたらいいですか。

A.補足もありがとうございます。ウ・サギ自身の感覚や関心とリンクするところもあったので、興味深く読みました。
まず、自分の感情を繊細に感じることができて、掘り下げることができて、言葉にできるのは一つの才能であり力だとウ・サギは思いました。感情の造詣が深くなったと同時に感情を抱えきれなくなったとありましたが、何かを追究するというのは近い次元で思考や感覚を共有できる相手が限られることにもつながると思うので、孤独がより深まるのかもしれないと感じたりもしました。
ウ・サギは「誰しもが孤独だから、孤独であることは独りを意味しない。むしろ掘り下げれば全ての存在とつながっている(多かれ少なかれ痛みを共有できる)」という考えをしています。うまく説明はできないですが、そのために芸術があるし、創作をするのだと思っています。行き場のない孤独が創作を生み出し、連帯や癒しとつながっていくのなら、孤独というのはある種の資源であり可能性の塊といえるのかもしれません。といっても、孤独がつらさや痛みを伴うのは、たぶんあまり変わらないのだろうとは思います……。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/6
Q.サポートを受ければ私も働けるかもと思う一方で、意欲が湧いてこない自分が嫌になる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害年金や生活保護を活用しつつ、
働く上での支援やケアやサポートも受けながらなら、
私でも働けるのかもしれない、そう思う。
一方で、
そこまでして働かなきゃいけないのかなって気持ちが強く出てきてしまう。
意欲が湧いてこない自分が嫌になる。

A.意欲がわいてこないのは、準備が整っていないからだろうとカエルは思います。
まだ、安心安全の保障や、自分の存在や力へのある程度の信頼感など、社会に貢献するために必要なものが整っていない時点ならば、イメージがわかなかったり、懐疑的になることは自然だと思います。もちろん、個人差があるので、そうした準備が整っていても「働きたくない」と思う人はいるかもしれません。そして、必ずしも自分から積極的に「よし働くんだ」という意欲を前面にして働くようになるのではなく、「仕方ないけど必要だから働くかな」ぐらいの意欲が自然だと思っています。
また、物事を継続することは簡単なことではないので、働くようになっても体調や環境、その時のいろいろな条件の中で、働きたくない気持ちが大きくなることも自然だと思います。これは働くことだけではなく、あらゆることに対して意欲のある時もあれば、そうでもない時もあるというのが当然なのかなとカエルは思っています。そうした、気持ちやモチベーションの揺れにつきあいつつも、自分なりに向き合い続けることを含めて、生きることそして働くことだとカエルは思うのです。
そして、働くシリーズで質問をしている質問者さんは「働くこと」というキーワードをめぐって問いが展開しているようですが、実は「働くこと」に含まれる別のことに引っかかっているようにもカエルは思えます。働くことの中に本質的な何かが隠されているような気がするので、一度、テーマから離れてみると何か見えてくるかもしれないと思うカエルでした。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/6
Q.目に見える形で壊れたら…の質問に共感した。私もそう思うと同時に、見捨てられる不安もある。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.目に見える形で壊れたら…の質問に共感しました。私もそう思うと同時に、もしバラバラに壊れてしまったら、醜いと思われて人から見捨てられるんじゃないかという不安もあります。

A.この質問か、この質問のことでしょうかね。ちゃんとしようとする気持ちが強いほど、実際にちゃんとできてしまうほど、負担が果てしなく溜まっていく構造にはウ・サギもいつも悩ましさを感じます…。見捨てられるかもしれないという不安も、本当に厄介なものですよね……。
ちなみに、励ますでもないですが、バラバラに壊れることは「醜い」とはならないとウ・サギは思いました。なぜかというと、人は誰しも弱くて脆い部分がある(バラバラに壊れる可能性のある)存在なので、自分の弱さや脆さを正しく知って受け止めている人から見たときに、壊れることは恐怖や嫌悪ではなく共感の対象だと思うからです。誰かの弱さを否定したり見捨てる人は、自分自身の弱さから逃げているのだとウ・サギは思っています。話がズレてしまって失礼しました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/12/3
Q.「働きたくない」の違う表現を考えたら「休みたい」とかが出てきた。こんな感じでいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働きたくない」の違う表現を私自身で考えたんですが、
「もう頑張りたくない」とか「これ以上の苦痛は嫌だ」とか「やりたいことをしたい」とか「休みたい」とかしか出てきません。
こんな感じの違う表現でいいのでしょうか…?

A.はい、そうした表現をする方が、社会に対して正しく理解をしてもらえるかとカエルは思います。「働きたくない」と表現すると、誤解を受けかねないと思います。だから、つまり「働きたくない」というのは、個人の気持ちという切り口からの表現で、掘り下げていくと、社会について考える機会(働くの本質は何?今の働くはどう偏ってしまっているの?…)になります。
「もう頑張りたくない」と言われれば、そう思うほど頑張り続けてきたのか、それはどういうことだ?と疑問につながりますし、「これ以上の苦痛は嫌だ」と言われれば、そう思うほどの苦痛は何だろう?と知りたくなります。また、「休みたい」と言われれば、何から休みたいのだろうかと、その発言の背景や理由を社会のこととして対話することができます。
まぁ、「働きたくない」と言われても、「どうして働きたくないのですか?」とカエルは深めたくなるのですが、相当の深める志向の持ち主ではない限り、「何、わがままなこと言ってるんだ」という印象を持たれてしまうように思います。だから、自分の気持ちを社会と結びつけて、表現する機会が、この社会が少しずつ変わっていく機会になるとカエルは思っています。でも、苦しさが強くなるとそんなことまで考える気力もなくなりそうですし、そもそも社会について知る機会も、権利について学ぶ機会も少なすぎるのでそのあたりも課題かと思っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/30