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タグ哲学
Q.結局人間は自分の都合の良いことを求めてズルい方法や考えを駆使するんだなぁ、と思います。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.結局人間は自分が都合の良いように物事がいって欲しくて、そのためならズルい方法や考えを駆使するんだなぁ、と思います。
そんなことを考えていたら、すべての人が歪んで化け物みたいに見えてきて辛いです。どうしたら少しでも楽になるでしょうか。

A.それに気づいてしまいましたか…。たしかに、人間にはそういった側面があるとウ・サギは思います。でももちろん、希望の抱ける側面、そういったものを乗り越えてお互いを尊重し合う力もあるのが人間だとウ・サギは思っています。
自分の都合の良いように(もう細かく分ければ、自分にとってわかりやすい、対処しやすいように、自分が変わらないでいいように、否定されないように)物事がいってほしい気持ち自体は誰にでもある、自然なものなのだろうとウ・サギは考えています。それは、自分の予想が外れるのも、予想外のことに対処するのも、自分を変えるのも、大変なことだからです。人間の脳のキャパを超えて今の社会が複雑になりすぎたから仕方ないのかなと思いつつ、でも複雑に見えるだけで本当はシンプルであるはず…とか、予想外のことや答えのないことも受け止めて揺れ動きながら進んでいく力(ネガティブケイパビリティと呼ばれるやつですね)をもっと発揮できるはずとか、それこそ「まだ人間界には希望がある」とウ・サギの都合の良い世界を求めてぐるぐるしている今です……笑
ただ、ズルい方法や考えをあまり駆使するのは困りますよね……。大問題なのは、立場が上の人が強引にこれをやることだとウ・サギは感じています。そしてさらに困ったことに、ズルをされた側が「私はこう感じました!あなたはズルい」と言わないと(これは直接言わず、誰かを介して全然OK)、ズルをした側はなかなかそれに気づけないのですよ……。だから、人が化け物というのはちょっと違って、化け物状態になってしまっている人がたくさんいる、というのが正確なところなのかなとウ・サギは思っています。それもそれで残念でつらいことではありますが、人間は環境次第で化け物にもなれるし、化け物じゃない何かになることもできるのだとウ・サギは思います。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/16
Q.幸せの数と不幸の数っておなじぐらいなんでしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.幸せの数と不幸の数っておなじぐらいなんでしょうか?けっこう考えたんですが、どちらが、多いとか少ないとかが今の私には分かりませんでした。

A.個人の人生の中でのカウントの話なのか、全世界でのカウントの話なのか、どちらの話だろう?と悩んでいるウ・サギですが、どちらも興味があるので両方考えてみますね。
まず、幸せも不幸も数字で測れるものではないので、おなじとかちがうとか、そもそも客観的に決められるものではないとウ・サギは思います。ただ、一個人の中でのカウントで考えるなら、この格差や不平等の大きい社会では、「おなじくらい」というのを綺麗事だとしか思えないくらい、不幸を感じることの方が多い人生はあるだろうと思います(本当はそんなことはあってほしくないですが…)。全世界でのカウントについては、誰かがずるく得した分は誰かが損をするので、幸せの数と不幸の数はだいたいおなじくらいという見方はできるかもしれません。でも本当はずるをしないでみんなで分け合えば、全員にとって幸せの数の方が多い世界にすることもできるとウ・サギは信じています。
脳には忘れる機能があるので、昔たくさん不幸があっても、今が幸せであれば「おなじくらいだ!」と帳尻が合う感覚を抱く場合はけっこうありそうだとは思います。でも、そのあたりの感覚や捉え方は個性があると思いますし、それぞれ自分について「おなじくらいだ」「いや、絶対にちがう」などの答えはあっても、万人に共通する答えはない気がします。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/12
Q.自分がわからないです。今自分が感じている苦しみや感情、痛みは本物なのか、わからないです。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分がわからないです。自分が元気なのか、そうじゃないのか。今自分が感じている苦しみや感情、痛みは本物なのか、嘘なのか、わからないです。

A.自分がわからないというのは、自分のことをわかろうとしている証だとカエルは思います。そして、自分というものはわからないものだとカエルは思っています。わからないものを、わかろうとするのは苦しいですよね。でも、その苦しみは誠実に生きていることを意味すると思うのです。苦しみは一人で抱えずに、こうして分かち合いたいものです。

回答:生きかたカエル

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update 2026/2/9
Q.他の人のためにもなっていないのに、自分が生きている必要は何なんでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ずっと、自分が何のために生きているのかわかりません。他の人のためにもなっていないのに、自分が生きている必要は何なんでしょうか?

A.カエルは何のために生きるとか、生きる必要とかはそもそもないと思っている派です。
意味とか必要性とかは人間が頭の中でつくりあげているものでもあり、カエル的には人間が生きていることで生じる一種の症状のようなものなのだろうと思っています。ただ、誰でも症状が出るわけではなく、真剣に生きようとしていること、物事を深く考えようとすること、そして何らかの苦悩が掛け合わされたときに出るのだろうとカエルは分析しています。
そして、何のためにいきるのか、生きる必要性というものの結論はわりとどうでもよく、そのことに悩み、迷うプロセスに人間らしさが隠れているようにカエルは思うのです。カエルは人間ではないので細かい機微までは理解しきれていませんが、脳が複雑な構造になり、考える余地が多い人間らしさがそこにはあると感じます。

回答:生きかたカエル

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update 2026/2/7
Q.俺個人は、性別違和の身体違和は人と人との繋がりだけでは解決できないと感じる。どう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.俺個人は、性別違和の中の身体違和は、身体の構造そのものが苦しみに繋がってると感じるので、人と人との繋がりだけでは解決できないと感じます。
どう思いますか?
また、他に人と人との繋がりだけでは解決できない問題として、何があると思いますか?

A.「そもそも心の問題に完全な解決はあるのか?」「解決があるとしたらそれはどういう状態なのか」まで話を深めたい気持ちになったウ・サギです。そこを深めずして、人と人との繋がりだけで解決できる・できない問題を論ずるのは難しいとも感じますが、性別違和については、体を変える以外の解決はないし体を変えたところで完全に解決するわけでもない、といった話を当事者から聞いたことはあります。だから質問者さんの言いたいことはなんとなくわかるようには思いました。
苦しみは、無くなるというよりは、その苦しみを考えてない時間が増えるとか、苦しくなっても共有できる相手がいるとか対処できるとか、そういう軽減がゴールなのかなとウ・サギ思っています。ただ、そう考えたときに、性別違和の突出して苦しいのは、忘れていられる時間がない、むしろ突き付けられることや目に入ってしまうことが多い、という部分かなと思います。
人と人との繋がりだけで問題は解決できないことは多くあると思いますが、「どんな問題も、人と人との繋がりがあるから生じたものである」というのは確かなようにウ・サギは感じます。また、人との繋がりで解消されるか否かは、悩みの種類で決まるよりは、その人の気質や性格によって変わる側面が大きいように思ったりもします。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/4
Q.大人は、嘘つきはだめっていうのに、私が嘘ついた時のほうが喜びます。なんでですか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大人は、嘘つきはだめっていうのに、私が嘘ついた時のほうが喜びます。なんでですか。

A.つまり「嘘つきはだめ」とお説教するくせに、実際に関わるときは本音を言うよりも、その大人にとって都合のいい嘘をついたときの方が喜ぶ……という話でしょうかね。
残念ながら、主張や要求には、正当性や一貫性がある場合が少ないというのがウ・サギの実感です。感情や感覚に任せて、世の中のそれっぽい論から自分にとって都合のいいものを借りてきて、相手を打ち負かすためだけに言葉を使うようなことは、実は結構あります。「嘘つきはだめ」と言っても、その言葉の意味について別に深く考えていないので、矛盾した行動をするのです。
ただ、最初に「残念ながら」とは書きましたが、私たちは不完全な生き物なので、ウ・サギも(おそらく誰しも)そういった矛盾を他者に押しつけてしまうときがあります。といっても「だから仕方ないね」という話ではなく、おかしいと思ったら怒っていいし、やってしまったら反省して、身勝手が暴走しすぎないようにしていくべきだと思っています。
質問者さんの矛盾に気づく力の高さ、鋭さにウ・サギは感心しました。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/2
Q.回答を読んでなるほどと思うと同時に、やはり私は死という状態になりたいなと思ってると気づいた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいという気持ちは死という状態を目指すものではないという回答を読んで、なるほどなという気持ちと同時に、でもやっぱり私は死という状態になりたいなと思っていることに気が付きました。

A.なるほど…この質問や、この質問で書いたことでしょうかね。質問者さんがそう思うなら、それは一つの間違いない望みなのだろうとウ・サギは思います。
具体的な望みや気持ち(死にたいでも、恋人がほしいでも可愛くなりたいでも、その他でも)は突き詰めれば、それは自分の願いを叶えるための一つの手段であって目的ではない、というのがウ・サギの思っていることで、「○○になりたい」という気持ちは気持ちとして真実であり本物だと思っています。
そして、自分の気持ちや願いについては、現実とか理屈とは気にせず、自分で一番しっくりくる言葉やイメージを与えてあげることが大切だとウ・サギは考えています。心で思うことはいつだって、自分だけの自由な世界です。でも、心が自由であるのに対して現実には制約がたくさんあるので、なんだかそれだけで生きるのって随分と苦しいことにも感じたりします。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/2
Q.前質問した者です。何もならないと思っていたことを価値あることと言って貰えて嬉しかったです
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が望んでいないのに、つらい思いをしているのが嫌だという質問をしたものです。こんなことを考えても何にもならないのに、と思っていたので価値があることなんだよと言ってもらえたのが嬉しかったです。ありがとうございました!

A.いえいえ、こちらこそありがとうございます。一人ひとりが考え、自分の形で発信していくことが、ウ・サギは本当に大切で価値のあることだと思っています。まだ表現できなくても、モヤモヤや苦しみがあるなら、そこには絶対に意味や価値があると改めてウ・サギは強調しておきたいです。
個人に起こること、個人の思うこと感じることには、多かれ少なかれ社会の問題が関係しています。そして、社会というのは私たちの集積なので、誰か個人に起こることもいつも全て私たちの問題なのです。だからウ・サギは、自分の生きている社会を知って一緒に考えていくために、モヤモヤや苦しみのシェアを歓迎します。

回答:ウ・サギ

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update 2026/1/31
Q.多様性を尊重する社会だと同じが安心する人は不安になる?
この記事の担当 所長室

Q.個性や多様な選択を尊重する社会になったら、みんなが同じ体験や価値観を持つことが今まで以上に少なくなるはずですが、それで不安になる人は増えないのでしょうか。みんなと同じだと安心する人は、これからどうすれば不安にならず生きられるでしょうか。

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update 2026/1/31