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タグ哲学
Q.死にたい気持ちを抱えている。そんな中、横穴墓群を訪ねると、なぜか心が安らぐ。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいという気持ちを抱えています。そんな中、横穴墓群(古墳時代の墓の一種)を訪ねてみると、なぜか心が安らぎます。死について考えたのではなく、今は亡き古代の人からのメッセージを感じ、過去と未来の生命の響き合いに無意識に参加してしまいました。

A.過去と未来の生命の響き合い…何だかいいですね。長い歴史、広い世界の中において、我々はちっぽけな生命で、でも同時にその深く広い連なりの一員でもあるということを、この質問を読んでウ・サギは想像しました。
機会があったら横穴墓群を訪ねてみたいです。

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update 2025/11/12
Q.自分が犯した間違いだけ罰を受けてスッキリしたい。苦しい。どうしたらいいですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が犯した間違いだけ罰を受けてスッキリしたい。苦しい。どうしたらいいですか?

A.なるほど、罰ですか…。犯した間違いと向き合うことに心を擦り減らしていて、何かわかりやすい形で一区切りつけたいという感じでしょうかね。(全然違ったらすみません)
ウ・サギは昔、自分より弱い立場の者を蔑ろにしてしまい、自分の犯した間違いにショックを受けたことがありますが、
①なぜ間違いを犯してしまったのか、相談することで整理して自己分析する
②それでも1カ月くらい四六時中自分を責める 
③責めるのはやめて、同じ過ちを繰り返さないようにするために力を注ぐ
というルートである程度は自分の中でスッキリさせたような気がします。誰しも間違いは犯すので、自分を責めすぎるのも罰もあまり意味はなくて、間違いを静かに背負ってどう過ごしていくかが大切なのかな…?とウ・サギは思っています。でも、何か自分の中でスッキリするための一つの区切りがほしいなら、罰みたいな行為をやるのもそれはそれで大切かもしれませんね。(ウ・サギの場合はそれが1カ月間の執拗な自責だったように感じます)
質問からは、もう十分深く苦しんできたような雰囲気を感じているので、すでに罰を受けているとウ・サギは思ったのですがどうでしょうか。

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update 2025/11/12
Q.苦しさを比べるなって言うけど、でもやっぱり比べちゃう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.苦しさを比べるなって言うけど、でもやっぱり比べちゃう。自分より長く希死念慮と付き合ってる人、虐待やいじめを受けた人、精神疾患を持ってる人。そういう人ってやっぱり自分より苦しいんだよなって。

A.ウ・サギも苦しみを比較していた派閥ではあるので、比べちゃうのはまあ・・・ありますよね。
苦しさは主観なので客観的な指標はないと思うのですが、「選択肢が奪われているか」「安全が守られているか」「感性や能力が今の社会と相性がいいか悪いか」など苦しさの要素を分解すれば、ある程度比較は成立するとウ・サギは思います。(このあたりは経済学者のアマルティア・センという人が興味深い話をしていたりするのですが、具体的に書くと長くなるので省きます)
自分の苦しみを軽く見たり抑え込んでも誰にも何も良いという点で、ウ・サギは苦しさの比較には基本否定的です。ただ、人間にはたくさんの要素があるので、自分の方が余裕があって相手の方が大変な部分と、逆に自分の方が大変な部分と、両方混ざっているのが人間関係だと思います。比べる行為が「自分が苦しいなんて思って申し訳ない」と自分を責めたり、「みんなつらいんだからあなたも我慢して」と相手を封じ込めるのにつながるのではなく、尊重し合うために活用されるにはどうしたらいいのか、ウ・サギは考えていきたいと思っています。

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update 2025/11/10
Q.子どもの時から成仏に憧れている。なぜそう思うのだろう…
この記事の担当 所長室

Q.「成仏したい」って1日1回くらい思います。私は今生きているはずなのですが、子どもの時から成仏に憧れています。なぜ、生きているのに成仏したいと思うのでしょうか…。楽になりたい、救われたいという思いが強すぎるから??

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update 2025/11/9
Q.前質問した者です。回答を見て、社会よりまず私を大切にしていいんだと思えました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「Q.穏やかに生きるのも安楽死するのもどちらも選べる世界になってほしい。どう思いますか。」の質問者です。
ウ・サギさんの回答を見て
無理に社会と向き合わなくてもいいんだ
社会よりまず私を大切にしていいんだ
そう思えました
ありがとうございます。

A.なるほど…!?ウ・サギの回答がどうよりも、質問者さん自身に自分を大切にしようとする気持ちがあって、そこがちょっと元気になったというか、改めて輪郭がくっきりしたような現象だと受け取っています。
社会というのは、なんだか外部のことにも聞こえる言葉ですが、つまり「私たち」のことだとウ・サギは思っています。だからまず「私」に適切に優しくするところから、その私が少しずつ「私たち」に広がっていく世界であってほしいと思います。

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update 2025/11/4
Q.穏やかに生きるのも安楽死するのもどちらも選べる世界になってほしい。どう思いますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私は、この世界では安楽死どころか、穏やかに生き延びることすら過酷だと感じる。
穏やかに生きてゆくことも、穏やかに安楽死することも、どちらも選べる世界になってほしい。
叶わないのかもしれないけど、
切実に切実に願ってしまう。
どう思いますか。

A.読んでいる人に誤解を招かないように補足を少し説明すると、穏やかに生きることが可能な社会設計にし、安楽死において弱者の排除が起こらないのを最大限配慮した上での、穏やかな安楽死を選べる世界を切実に願っている、というのがここで望まれている安楽死の肝となっています。(ウ・サギはそう理解しました)
また、質問の趣旨は、安楽死制度についてのディスカッションではなく、それぞれの気持ちや自分のあり方が尊重される世界であってほしい、という願いだとウ・サギは受け取りました。願うことは自由ですし、補足を読んだ印象としては、質問者さんの人生経験や愛情に基づいた祈りとして「穏やかに安楽死するのが選べる世界」があるのを感じています。そこに含まれる切実さはひしひしと伝わってきますし、どう思うかと言われたら、質問者さんがそう感じるのは理解できるし、これまで生きてきたこと・考えてきたことをリスペクトする気持ちになりました。
それら全てを受け止めた上で、ウ・サギの感覚もちょっと書かせてもらうと、穏やかに安楽死を選べる社会設計を考えるのに自分がリソースを割ける日は来ないだろうとだけは感じています。それは安楽死への賛成反対の話ではなく、(世界規模で考えるととくに)最低限の暮らしさえ守られない人があまりに多すぎて、それに対して自分は最低限を守られているのにかかわらずあまりに力不足で、一生かかっても最低限を全ての人に保障しそれを維持するだけで精一杯・・・どころか、そこまで行けそうにないと感じているからです。まあ勿論やれると信じているからやってはいるんですけどね。
ただ、こういった個々の願いや気持ちを語れる場があること、それについてオープンに対話の機会があることは超大切だと思っています。質問ありがとうございました。

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update 2025/10/27
Q.どうして私は親から離れられないんですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして私は親から離れられないんですか?小学生くらいの時から、親に迷惑をかけたくなくて早めの自立を目指していて、でも自立しようとするとそんなことしなくていい、一生親のお金で暮らせって言われるし、かなり疲れ果てています…。

A.「どうして」という問いはとても興味深いものだとウ・サギは思っています。どうしてという発想は「本来ならこうできるはずなのに」という理想や想定があることで登場すると思うからです。親から離れられない方が普通と言われていたり、できないなら絶対にできないなりの理由があるのだと捉えられる世界なら、「どうして」とすら思わなかったり、「どうして」も自己嫌悪などの伴わない純粋な自己分析の言葉になるような気がします。
話がズレてしまって失礼しました。できないのは、しない方がまだトータルでは負荷が軽いのか、するエネルギーが足りていないか、しないことが実は一つの意思表示なのか、いろいろな説があるとは思います。全然違うかもしれないし、混ざっているかもしれません。でも自分のモヤモヤや引っかかりって本当に大切なことなので、ちゃんと引っかかり続けること、掘り下げてみようとすることは自分を大切にする行為だと思っています。

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update 2025/10/25
Q.愛されたい。どうすれば愛してくれる人と出会える?
この記事の担当 所長室

Q.どうしようもなく愛されたいです。いまは愛されている実感がなく、何者でもない自分が悲しくて、ベランダから飛び降りたくなります。どうすれば愛してくれる人と出会えるでしょうか。何か積極的に行動したいです。

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update 2025/10/23
Q.昔の自分と今の自分との乖離をどう受け入れようか悩んでいる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.昔の自分と今の自分との乖離をどう受け入れようか悩んでいます。どうにか折り合いをつけたいのですが、どうしたら良いでしょうか。

A.折り合いをつけたい、というのがウ・サギ的には好きな発想でした。あくまでウ・サギの感覚ですが、心の悩みはすっきり解決するものは少なく、折り合いを見つけてどうにか今日を乗り越える繰り返しなのではないか?と思っています。
昔の自分と今の自分の乖離があるかと問われれば、ウ・サギも勿論ありますが、普段それを意識することはなくて・・・。質問者さんの受け入れがたさのようなものがどこからくるのか(感覚については補足でなんとなく受け取れたつもりです)想像を巡らせているところです。アイデンティティの形は、今の自分だけをアイデンティティとするタイプ、過去と今の連続体として捉えるタイプ、そもそもあまり考えないタイプ等々いろいろありそうだなあとか、考えが浮かんでいます。
ちなみにウ・サギは変化(昔と今の乖離)の成り立ちや理由について基本全部説明できるとは思います。ライフステージは変わるし、そうなると生活を占めるものや優先順位は変わり、どんな時を過ごしていようが何かしらの経験は積み重なって、新しい情報が入り自己理解は更新され、興味や好みも移ろっていきます。乖離というよりは、歴史が進んでいくといった感覚があるかもしれません。だから、自分の歴史をひとまず観測・記録しておくイメージで乖離を受け止め、気が向いたら歴史研究をしてみるのはどうでしょうか。最近、世界史での歴史観の変化を知って(昔は美談とされていたものが、マイノリティ側から見ると負の歴史だったよという面が強調され始めているという話)、そういう部分も含めて歴史は面白いと興味を持ち始めているウ・サギです。

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update 2025/10/18