PAGE
TOP
タグ哲学
Q.支援学校までしか行っていなく、これからの生き方がわからない。どうしたらいいだろうか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援学校までしか行ってなくてこれからの生き方がわかりません。学力もなくやる気も出ません。どうしたらいいでしょうか

A.カエルも支援学校についてはわりと実態を知っている方ですが、支援学校は一人ひとりに応じた学びを提供してくれる教育環境としては、悪くないと思っているところがあります。ただ、世間からの評価として支援学校が通常の学校よりも劣るという理解をする人が多いかもしれません。学力に関しても、確かに今の社会では高い方が低いよりも優遇されてしまうので、学力がないと生きるうえで困ることも少なくないかもしれません。ただ、カエル的には身近に支援学校を出て、その人なりに生きている人もいますし、学力がなくてもぼちぼち生きている人もいれば、学力があってもかなりしんどい状況の人もいます。だから、カエルとしては、学力や学歴ではなく、あなたのやる気が出ない要因は他にありそうだと思っているところでした。何はともあれ、何かをしようと思ったときに最も大切なのは自分を知ることだとカエルは思うので、誰か自分のことを一緒に考えてくれる人と話してみてほしいと思いました。もしすぐに見つからなければ、いつでも質問をください。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/28
Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は差別的なニュアンスでは無かったように記憶している
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は精神科医、心理職、当事者を幅広く含む精神疾患と闘う人達のようなニュアンスで差別的では無かったように記憶しているのですが、いつ頃の時期から差別的に使われるようになってしまったのか気になっています。

A.この配信での「Q.私は「メンヘラ」という言葉は、差別用語に感じます(以下略)」を見ての質問ですね。ウ・サギは歴史については無知だったので、情報ありがとうございます。
言葉は、誰がどう使うかによって、時代の移り変わりによって、意味合いやニュアンスが変化していくものですよね…。差別的に使われているか、そうではないフラットなものとしてあるかは、コミュニティによっても変わると思います。ウ・サギの周りはメンヘラを差別したり軽んじたりする風潮が全くないので、ウ・サギはメンヘラを名乗ることも時々します。
属性についての表現は、周りが「あの人は○○だ」と勝手にカテゴライズして、それだけでわかったようにああだこうだ言い始めると、よろしくないことが起こっていくように思います。ウ・サギが初めてメンヘラという言葉を見たのは、ネットでの「彼女がとんでもないメンヘラだった」みたいな男性視点の話だった記憶があるので、そうやって周りが使うようになって、差別的な表現や不適切な理解につながりかねないものになっていったのでしょうかね……。抑圧されている側が自分の苦しさに名前をつけたり、その言葉を使って自分のことを語るのは大切だと思うのですが、抑圧している側がその言葉を好き勝手に使って語るのは、とても暴力的なことなのだろうとは感じます。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/28
Q.私の人生には「にげる」しかコマンドがない。一体どうしたらいいんだろう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私の人生には「にげる」しかコマンドがない。
そのせいでろくでもない人生になっていると思う。
一体どうしたらいいんだろう。

A.その「にげる」コマンドの背景には、何かに向き合いたいと思えるだけの愛着や信頼、安心感などを世界に抱けなかったという事実(関係性)があるようにウ・サギは感じました。だとすると、「にげる」は、そうするのが自分を守るためには合理的だった、そうせざるを得なかったという、ある意味選択肢がない中での唯一のコマンドだったのかなと考察しています。
質問者さんを取り巻く環境がどういったものだったかはわかりませんが、周りと感性などが合っていなかったり、小さなことでも信頼できなさを察してしまったり、自分でも意識しきれないうちに大小さまざまな違和やモヤモヤを積み重ねてきたのかもしれないと想像しています(このあたりの想像や考察が的外れに感じられたらすみません…)。ちなみにウ・サギは閉じこもりがちな性格で、不安が強く疑り深いので、「かかわる」というコマンドに気づくのに、周りと比べると随分時間がかかったように思います。「もとめられたことにおうじる」は得意だったのですが・・・。
一体どうしたらいい・・・難しいですね。でも何かがつらい、どうにかしたい、と感じていること自体が、とても人間らしく、ちょっと大げさかもしれませんが、いわゆる第二の誕生のような現象かもしれないと感じています。ウ・サギ調べでは、多くの人は「それっぽくふるまう」「ながされる」という、コマンドとも言えないオートマモードで生きている印象なので、周りと比べても案外、質問者さんの現在地が遅れているわけでもない気がします。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/26
Q.死にたい気持ちを抱えている。そんな中、横穴墓群を訪ねると、なぜか心が安らぐ。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいという気持ちを抱えています。そんな中、横穴墓群(古墳時代の墓の一種)を訪ねてみると、なぜか心が安らぎます。死について考えたのではなく、今は亡き古代の人からのメッセージを感じ、過去と未来の生命の響き合いに無意識に参加してしまいました。

A.過去と未来の生命の響き合い…何だかいいですね。長い歴史、広い世界の中において、我々はちっぽけな生命で、でも同時にその深く広い連なりの一員でもあるということを、この質問を読んでウ・サギは想像しました。
機会があったら横穴墓群を訪ねてみたいです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/12
Q.自分が犯した間違いだけ罰を受けてスッキリしたい。苦しい。どうしたらいいですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が犯した間違いだけ罰を受けてスッキリしたい。苦しい。どうしたらいいですか?

A.なるほど、罰ですか…。犯した間違いと向き合うことに心を擦り減らしていて、何かわかりやすい形で一区切りつけたいという感じでしょうかね。(全然違ったらすみません)
ウ・サギは昔、自分より弱い立場の者を蔑ろにしてしまい、自分の犯した間違いにショックを受けたことがありますが、
①なぜ間違いを犯してしまったのか、相談することで整理して自己分析する
②それでも1カ月くらい四六時中自分を責める 
③責めるのはやめて、同じ過ちを繰り返さないようにするために力を注ぐ
というルートである程度は自分の中でスッキリさせたような気がします。誰しも間違いは犯すので、自分を責めすぎるのも罰もあまり意味はなくて、間違いを静かに背負ってどう過ごしていくかが大切なのかな…?とウ・サギは思っています。でも、何か自分の中でスッキリするための一つの区切りがほしいなら、罰みたいな行為をやるのもそれはそれで大切かもしれませんね。(ウ・サギの場合はそれが1カ月間の執拗な自責だったように感じます)
質問からは、もう十分深く苦しんできたような雰囲気を感じているので、すでに罰を受けているとウ・サギは思ったのですがどうでしょうか。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/12
Q.苦しさを比べるなって言うけど、でもやっぱり比べちゃう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.苦しさを比べるなって言うけど、でもやっぱり比べちゃう。自分より長く希死念慮と付き合ってる人、虐待やいじめを受けた人、精神疾患を持ってる人。そういう人ってやっぱり自分より苦しいんだよなって。

A.ウ・サギも苦しみを比較していた派閥ではあるので、比べちゃうのはまあ・・・ありますよね。
苦しさは主観なので客観的な指標はないと思うのですが、「選択肢が奪われているか」「安全が守られているか」「感性や能力が今の社会と相性がいいか悪いか」など苦しさの要素を分解すれば、ある程度比較は成立するとウ・サギは思います。(このあたりは経済学者のアマルティア・センという人が興味深い話をしていたりするのですが、具体的に書くと長くなるので省きます)
自分の苦しみを軽く見たり抑え込んでも誰にも何も良いという点で、ウ・サギは苦しさの比較には基本否定的です。ただ、人間にはたくさんの要素があるので、自分の方が余裕があって相手の方が大変な部分と、逆に自分の方が大変な部分と、両方混ざっているのが人間関係だと思います。比べる行為が「自分が苦しいなんて思って申し訳ない」と自分を責めたり、「みんなつらいんだからあなたも我慢して」と相手を封じ込めるのにつながるのではなく、尊重し合うために活用されるにはどうしたらいいのか、ウ・サギは考えていきたいと思っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/10
Q.子どもの時から成仏に憧れている。なぜそう思うのだろう…
この記事の担当 所長室

Q.「成仏したい」って1日1回くらい思います。私は今生きているはずなのですが、子どもの時から成仏に憧れています。なぜ、生きているのに成仏したいと思うのでしょうか…。楽になりたい、救われたいという思いが強すぎるから??

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/9
Q.前質問した者です。回答を見て、社会よりまず私を大切にしていいんだと思えました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「Q.穏やかに生きるのも安楽死するのもどちらも選べる世界になってほしい。どう思いますか。」の質問者です。
ウ・サギさんの回答を見て
無理に社会と向き合わなくてもいいんだ
社会よりまず私を大切にしていいんだ
そう思えました
ありがとうございます。

A.なるほど…!?ウ・サギの回答がどうよりも、質問者さん自身に自分を大切にしようとする気持ちがあって、そこがちょっと元気になったというか、改めて輪郭がくっきりしたような現象だと受け取っています。
社会というのは、なんだか外部のことにも聞こえる言葉ですが、つまり「私たち」のことだとウ・サギは思っています。だからまず「私」に適切に優しくするところから、その私が少しずつ「私たち」に広がっていく世界であってほしいと思います。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/11/4
Q.穏やかに生きるのも安楽死するのもどちらも選べる世界になってほしい。どう思いますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私は、この世界では安楽死どころか、穏やかに生き延びることすら過酷だと感じる。
穏やかに生きてゆくことも、穏やかに安楽死することも、どちらも選べる世界になってほしい。
叶わないのかもしれないけど、
切実に切実に願ってしまう。
どう思いますか。

A.読んでいる人に誤解を招かないように補足を少し説明すると、穏やかに生きることが可能な社会設計にし、安楽死において弱者の排除が起こらないのを最大限配慮した上での、穏やかな安楽死を選べる世界を切実に願っている、というのがここで望まれている安楽死の肝となっています。(ウ・サギはそう理解しました)
また、質問の趣旨は、安楽死制度についてのディスカッションではなく、それぞれの気持ちや自分のあり方が尊重される世界であってほしい、という願いだとウ・サギは受け取りました。願うことは自由ですし、補足を読んだ印象としては、質問者さんの人生経験や愛情に基づいた祈りとして「穏やかに安楽死するのが選べる世界」があるのを感じています。そこに含まれる切実さはひしひしと伝わってきますし、どう思うかと言われたら、質問者さんがそう感じるのは理解できるし、これまで生きてきたこと・考えてきたことをリスペクトする気持ちになりました。
それら全てを受け止めた上で、ウ・サギの感覚もちょっと書かせてもらうと、穏やかに安楽死を選べる社会設計を考えるのに自分がリソースを割ける日は来ないだろうとだけは感じています。それは安楽死への賛成反対の話ではなく、(世界規模で考えるととくに)最低限の暮らしさえ守られない人があまりに多すぎて、それに対して自分は最低限を守られているのにかかわらずあまりに力不足で、一生かかっても最低限を全ての人に保障しそれを維持するだけで精一杯・・・どころか、そこまで行けそうにないと感じているからです。まあ勿論やれると信じているからやってはいるんですけどね。
ただ、こういった個々の願いや気持ちを語れる場があること、それについてオープンに対話の機会があることは超大切だと思っています。質問ありがとうございました。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/10/27