Q.こうしようと一度は決めたことなのに、後からやっぱり違うとなって、最初からなかったことにしたくなる。最近そんなことばかりでしんどい。なんですぐに気持ちが変わってしまうんだろう。
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Q.こうしようと一度は決めたことなのに、後からやっぱり違うとなって、最初からなかったことにしたくなる。最近そんなことばかりでしんどい。なんですぐに気持ちが変わってしまうんだろう。
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Q.近現代史学んでるが 今の方が良くなってるとおもうし 10年前にも戻りたくないと思う
いきづらぼにも投稿できるし
ネットで図書館の本みれるし
aiですきな話できるし
A.なるほど…最近ウ・サギは歴史に興味を持ちだしたので(これまでは縄文時代にしか心が動かず…)、近現代史を学んでいるのはいいですね…!とまず思いました。
ウ・サギは近現代史に全然詳しくないのでなんともいえない部分もありますが、今の方が良くなっている部分は確実にあると思います。とくにネットの発達は、言語性が高く実行機能に苦手がある人にとっては、人生の選択肢や豊かさを革命的に広げたと思っています。また、人権という発明(?)も人類史上で考えれば最近のことであり、まだまだ発展途上で課題が多い部分もあるにしても、基本的人権という概念がある時代に産まれたことはウ・サギは幸運だと捉えています。
質問者さんにとって今の方が良くなっていると感じられるなら、それはよかったと温かい気持ちになりますし、そこに「生きづLABOにも投稿できるし」が入っているのも嬉しいことです。
回答:ウ・サギ

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Q.親が仲良しで良いことのはずなのに疎外感があります。
A.どのような仲良しかにもよると思いますが、親が自分よりも何かを明確に優先していると感じるなら、子どもが疎外感や不安を抱くのは自然なことだとウ・サギは感じます。仲が悪くいつもギスギスしているよりは仲良しの方がマシだとは思いますが、「良いこと」とまで言えるかというと、親だけに限らず狭いコミュニティで自分を置いてけぼりで誰かが仲良くしていたら、落ち着かなくなったり悲しくなったりする場合の方が多いのではないでしょうか。
また、疎外感を抱いたことだけでなく、その疎外感をおそらく質問者さんは一人で抱え込むしかなかったかと想像しているので、そういった葛藤や傷つきを言えなかったのもまたしんどさとして積み重なったのかもしれないとウ・サギは思いました。こういうのはイヤだよ、悲しいよ、というのを言えないのは誰にとってもつらいものだと思いますが、子どもの頃にそれが続いていたなら、その後も自信のなさや苦しさが残ってしまうくらいにダメージのあることだと感じます。やはり子育ての環境は、両親だけじゃなくいろんな大人がいて、誰かには自分の気持ちを安心して話せる、というのが必要だよなあ…としみじみ思うウ・サギです。
回答:ウ・サギ

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Q.「義務があると動けるけど、限界まで気づけず倒れてしまう自分」を「義務人間」と言語化しました。
この気づきを持ったまま、この先どう向き合っていけばいいと思いますか?
A.自分にしっくりくる「○○人間」の言語化は、なかなか偉大なる発見だとウ・サギは思いました。自分を理解することはセルフマネジメントをする上で有効というのもありますし、納得できる名前や言葉を自分に与えてあげることは自分から自分への受容や優しさだと感じるからです。
ちなみに、詳細は省きますが、ウ・サギは自分について「自滅するために生きている存在」だと思っています。質問者さんの「義務人間」がもし周囲からの要請で生じているなら、環境にいることで義務人間から何か違うものに変化することもあるとは思いますが、「この動機で動いて、こういう偏りが生じて、こうやって自分(または周り)が潰れます」というパターンは誰しも多かれ少なかれ持っているとウ・サギは考えています。
じゃあどうすればいいのか?というと、そのパターンやサイクルを完全に無くすことを目指すのではなく、そのやらかしの規模や被害総額(?)を抑えていく工夫をちょっとずつ見つけていくことだとウ・サギは考えています。工夫というのは、自分で何かを意識するとかだけでなく、環境調整や、誰かに補助してもらうという方法もあります。義務人間のパターンで考えると、ほどよい義務を課してくれる環境(質問者さん自身も納得したり楽しめる&負荷の大きすぎないタスクを投げてくれて、でもだからといって質問者さんに過度な期待をするわけでない人や環境)を見つけることが、最も効果が高いかも…?とウ・サギは思いました。
ただ、補足の内容から、質問者さんはまだ学生さんかと思うので、環境を変えられる幅は今はあまり多くないかもしれませんね…。とはいえ気づきまでたどり着いたなら、その自分の傾向を誰かに伝えることやほどよい義務をくれる人を探すことは一応可能なので(気持ちとしてのハードルはあるかもしれませんが…)、自分に向き合っていくというよりは自分を補ってくれるものを見つけるイメージで考えておくといいかもしれません。
回答:ウ・サギ

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Q.なぜ人間なんかに産まれたんだろ?
身勝手な他人も怖いけれど、同じ人として生き延びてる自分が気味が悪い。
昔からいじめられる方が悪い、仲良く出来ない方がおかしいと言われ続けて来たけど100%相手が悪い事故でも同じ事言われる
A.丁寧に補足もありがとうございます。「身勝手な他人が怖い」と思うことには無条件で頷いたのですが、「同じ人として生き延びている自分が気味が悪い」については、わかるようなわからないような、まだぐるぐるしているウ・サギです。ただ、全般に人間社会そのものや、人間という生き物について、グロテスクさを感じている(グロテスクという表現があまり良くなかったらすみません)のは感覚として伝わってくる気がしました。
いじめられる方が悪い、仲良く出来ない方がおかしい、というのは相当な暴論であるとウ・サギは感じます。おそらく質問者さん自身も、自分は理不尽な目に遭っている、理不尽なことを言われている、という感覚はあると読み取っているのですが、だとしたら本来は理不尽から自分を守ってくれるものがあるべきなのに(助けてくれるものがある、助けを求めていい、というシステムとして社会がある前提になっているのに)、そうならない…。それを自分の中でどう理解し受け止めたらいいのかわからないし、わかろうとしてももう限界で、「人間という生き物自体、生きていること自体が、もう怖いし気味が悪い」という感情や感覚が結論となってしまった構造なのかなとウ・サギは想像しました。
傷つき体験の個別のケースごとに整理して意味づけていけば、「それは質問者さんが悪いわけでなく、相手が責任転嫁してきた話ですね…」「強者が弱者をおさえこむ風潮があり、社会全体のキャパも無くなっている背景が、そういった責任転嫁を生み出しているのかも」「いや、だとしてもそんなことをするのが許されるわけではない…!」と紐解き、消化や回復までが完了するまではいかなくとも、「なぜ人間なんかに産まれたんだろ?」「同じ人として生き延びてる自分が気味が悪い」という(理論だけで言うなら飛躍しているとも言える)ところに集約はされなかったのではないか?とウ・サギは思いました。このあたりはウ・サギも、個別のケースの意味づけや消化がうまくできず溜め込んだ結果「はい、自分がそもそもゴミだから駄目なんですよ」という、客観的に見ればよくわからない感覚や結論に至ったので、何となく共通する部分がありそうに感じてもいます。
もしかしたら的外れな回答になってしまったかもしれませんが、そんなことを思いました。
回答:ウ・サギ

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Q.発達障害とか発達と凸凹とかをよく聞く社会になってきて、苦手とかできないことへの配慮は少しずつ進んできた気がします。逆に頭が良すぎる人は、困ることはないのでしょうか?
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Q.一人の時間が好きと言うと心配される、寂しい人扱いされる。 一人の時間が好きってそんなにおかしい? 休みの日は友達といるべき、友達は沢山作るべきなの?”若いから”を理由に友達作りや友達との付き合いって強要されて何となくモヤモヤする。
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Q.精神科のお薬なんですけど、
死ねますようにって願って飲むとよく効くのに、
もっと楽になれますようにって願うと全く効きません。
これは私は死んだ方がいいってことですよね。
A.同じく適量を飲んでも、願い方によって効き目が変わるという話ですね。「私が死んだ方がいいってことですよね」には率直に「どういう理論でそうなるのだう…?」とウ・サギは思ってしまいましたが、追い詰められた気持ちでいることはよく伝わってきました。
「もっと楽になれますように」はどこか自己一致しない願いなので心に負担がかかり、「死ねますように」は自分らしい無理のない願いなので心がリラックスするのだと考えると、薬の効き目も変わってくるのもあり得る話だとウ・サギは思います。ただ、死ねますようにという願いが自分をリラックスさせてくれることと、死という状態を質問者さんが求めているかは別の話だとウ・サギは考えます。死にたいというのはどこまでいっても感情の話で、感情にぴったりくるイメージであり表現であるだけで、現実として死を求めているのとは少し違うと思っています。死にたいに限らず、どんな願いも思いも一言で表しきれることのない複雑に絡まり合った感情で、実は叶える手段も複数あるからこそ、願いをそのまま最短距離で行動に移すことは滅多に起こらないのではないでしょうか。
一方で、「死にたい」「死ねますように」などの一言でしか伝えられない気持ち、自己一致して表現できない気持ちもあると思っています。
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Q.自分が望んでいないのに生まれてきて、つらい気持ちをたくさんしているってなんか嫌だなって思った。でも、そう考えれるのは自分が存在しているからだよなとか考えたりぐるぐるしてる。何を目標として生きればいいのか知りたいです。
A.なるほど…哲学的ですね。でも哲学というにはあまりに切実で、生きているしんどさから生じてきた問いであるとも感じています。
自分で望んでいないのに生まれてきて、というのはウ・サギも時々思います。生まれるというのは大きいことなのに、誰一人自分で望んで生まれてきていない、そこに選択権がない、というのはびっくりなことにも感じます。でも、生きる上で選べないことはそもそもたくさんあって(人間以外にも自分以外にもなれないし、生まれる時代も場所も選べないし…)、本来選べるはずの範囲のこと(どこで誰と住むのか、学校に行くか行かないか、何で生活を賄っていくのか…)が選べないから、「生まれる・生まれない」など選びようもないことを考えてしまうのかもしれません。
何を目標として生きるのかは、目標なんて無く生きるくらいがちょうどいいとウ・サギは思っています。目標をもち、努力をして、生きがいを感じ、自分のキャリアを築いていく・・・そういったものが、今の人生像の主流になっているのではないかとウ・サギは感じているのですが、生きるというのは本来違うものだとウ・サギは思っています。私たちは関係性の中で生きています。誰かが食べ物を作ってくれて、家を建ててくれて、娯楽を創造していて・・・自分だけでできないことはたくさんあるし、何もできない赤ちゃんから誰しも人生は始まり、年を取れば身の回りのことのサポートを必要とする場合もあります。傷つき孤立したり、疲弊すれば、何もできなくなることだって誰しも起こり得ます。そういった弱さや不完全さを抱えたもの(すべての人)同士が、誰かを過度に犠牲にすることなく助け合える社会をウ・サギは望んでいるのですが、そのために目標があるとしたら「誰も切り捨てない世の中であるために必要とされることをやる」という、自分中心でなく、関係性を中心とするものになるのではないかと考えています。
そして、ウ・サギは、今の社会について一度立ち止まって一緒に考える仲間を必要としています。今の社会で何が問題なのかは、切り捨てられてしまっている存在が最も知っているので、教えてもらうことも欠かせません。生きづLABOにアクセスがあるだけでも、今の社会について考え直すことが必要とされている一つの根拠となり力となります。
だから、そんな壮大に社会を変えることを目標にしましょうと言うつもりではないのですが、存在し考えることにはいつも意味があり価値があるのだ、とウ・サギは思っています。だいぶ話が膨らんでしまいましたね・・・全然回答になっていなかったらごめんなさい。
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