Q.「生きづLABO利用者です!」「生きづらさを抱えてます」「社会を変えたい!」人たちがお互いに分かるようなマーク(指定の色の組紐をつける的な)のがあったら面白そう 「研究員」以外の人も含めたファンネーム?みたいなのも
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Q.社会人です。何もしたくない、ずっと寝ていたいと思うことが多々ありますが、そんなに休んでもいられません。どうしてもだめだ~~の日、皆さんはどうやり過ごしてますか?
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Q.どれだけ仕事などで人と関わっても毎日孤独を感じてしまいます。生きるのに疲れました。1週間でいいので、誰かにまもられながら何もせずに暮らしてみたいです。質問じゃなくてすいません、
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Q.大きい地震がくるのは怖くないのですか?何度も地震がくるうちに慣れてしまったのでしょうか?私は地震があまりこない地域に住んでおり、大きく揺れると思うだけで不安です。年数回ある震度2でもびっくりしてしまいます。
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Q.「嫌い」「怖い」「好きになれない」は決して悪ではないし、
人付き合いは選んでいいもののはずだし、
俺も嫌いや怖いや好きになれないは感じるし、人付き合いは選んでいます。
でも、「嫌いだから」や「怖いから」や「好きになれないから」を理由に自分含めた誰かが苦しめられる社会は嫌です。
矛盾が苦しいです。
どう思いますか?
また、どのような仕組みがあれば、
嫌われたり怖がられたり好かれなかったりして傷つけられたり見捨てられたり孤立したりして苦しむ人がいる問題が少しでも解決に向かうと思いますか?
A.ひとつのことから巡り巡って、世界全体のことを考えるのですね。その垣根のない共感は強みであると同時に、自分の感情や行動をいつも素直に肯定できないような、生きづらさにもつながりそうだと想像しました。
この問いについての解決策はウ・サギの中では結構はっきりしていて、
・多様な属性の人がいる
・干渉はしないけど気にかけて助け合う関係性
・20~50人程度の規模
・裕福とか社会的成功まではなくても衣食住には困らない資源がある
がそろっているコミュニティをつくることだと思っています。
好き嫌いは人間必ずありますし、嫌いがあまりに排除したくなる気持ちや、抑えがきかずにその行動に出てしまうことも、完全に無くすのは不可能だとウ・サギは思っています。でも上記の要素がそろっているコミュニティなら、それが小さな芽であるうちに(誰かの心を長期的に損なうほどの暴力になる前に)自浄作用が働くと思っています。例えば、いわゆる問題行動が多く嫌われやすい人がいたとしても、余力があれば対応を考えることができるし、対話の中で「こういう背景があるのかも」という想像力を発揮できる人もいるでしょう。また、そもそも誰のこともあまり嫌わない人や、好き嫌いが多数派と違う人もいます。人間はけっこう多様なものですし、想像力や共感のポテンシャルの大きい生き物だと思っています。
ウ・サギは実際に上記の要素を満たすコミュニティに属していたことがあるのですが、周りから嫌われたり、周りを困らせたりするタイプをウ・サギが好むのはどうやら間違いないようです。一人で完璧な存在はどこにもいないので、チームを作ることがとにかくポイントだと思います。
回答:ウ・サギ

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Q.学校の授業に出たいけど、調子いい時しか行けないです。行ってみたら意外とあっさり受け入れられる感じ(表現が難しいです)です。頭で一応わかっていてもなかなかそう思えないです。助言を下さい。
A.なるほどです。参考になるかはわかりませんが、ウ・サギは不安なことや怖いことは、なるべく何も考えずに最初の一歩だけに力を注ぐようにしています。ウ・サギは高所恐怖症で怖いアクティビティがいくつかあるのですが(でも好きなんですよね…)、「やることはシンプル。安全を確保して、最初の動作をするだけ」と考えることで怖さを振り切っています。
だから学校の授業に出ることを考えるのではなく、教室のドアを開けて一歩だけ中に入ることを考えるのはどうでしょうか。ウ・サギは学校が嫌いなので想像すると「無理かも…」という気持ちになりましたが、教室に入るだけなら、やることは単純かとは思います。この作戦をしてみるなら、もし無理だと感じたら一歩だけ入って引き返してもいいという、自分に甘い気持ちをもっておくのも大切かもしれません。
回答:ウ・サギ

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Q.私が死にたくなるのは周りのせいなのか思春期のせいなのかわかりません
A.ウ・サギの経験を言うと、思春期は一番多感で感情の揺れは激しかったので、死にたいを最も感じやすい時期だとは思います。ただ、思春期で必ず死にたくなるかと言うと、そんなことはないので、死にたいと思うからには何かしんどいことがあるのは間違いないと感じます。
また、そもそも自分の気持ちは、周りとの関係性でしか生まれないものだとウ・サギは考えています。そして、周りとの関係性は、直接的な人との関わりだけでなく、周りと周りの関係性を見ていて思うことや、社会全体に漂う雰囲気やネットなどで入ってくる情報も含めた複雑なものだとウ・サギは捉えています。それらは重たい何かとして、まだ弱い立場の(自分一人の力では跳ね返せないし、逃げられない)子どもを、揺さぶって消耗させてくるものだと感じます。
複雑であるがゆえに「○○のせい」と言い切るのは難しいですが、自分のせいだけで起こる感情はないとウ・サギは断言したいです。もし質問者さんが「この人のせいかも」と思う人がいるのだとしたら、その人との関わりで傷ついていることは、きっととても確かなのだと思いますよ。
回答:ウ・サギ

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Q.Q.「いじめ傍観者も加害者と”同罪”」は極論だと思いますか?の質問者です。
ウ・サギさんの回答にあった、「子どものいじめについての責任は100%大人にある」という言葉について俺が思ったことがあります。
まず、俺は子供と大人でキャパやできることの差が極端にあるわけではないと俺は思います。だから、大人(教師など)ができる範囲で必死に頑張っても子供のいじめをどうにもできないケースや、他のことの負担が大きくて対応できないケースや、一人の大人が負担を押しつけられて適切な対応ができなくなるほど追い詰められてしまうケースも、現実にあると俺は想像しています。特に教師の過重労働問題もあると俺は認識しているので、大人にも限界があるのも現実だと思ってます。
しかし、そんな大人側の背景や事情は、いじめを受けた子供やいじめをしてしまった子供には関係のないことだという意見もその通りだと俺は感じるのです。
なぜなら、大人のキャパやできることが子供と大きく違わないとしても、大人の言動が子供に与える影響が絶大なことに変わりはないと思うからです。だからこそ、「子どものいじめについての責任は100%大人にある」という言葉そのものは正しいと思うのです。
しかし、いじめ問題に対して、大人が適切な対応を選べない現実そのものは、「大人の責任」で片付けていい問題ではないんゃないかと、俺は思うのです。大人であるということは、キャパが大きいことや、できることが多いことと、イコールではないと感じるし、大人にも限界がある、大人にも事情があるということも現実だからです。
しかし、だからといって大人がそれを言い訳に子供に責任転嫁するのも違うと感じます。難しいです。
少なくともいじめ問題は、簡単に「こうすればいい」で片付けられる問題ではないと感じますが、勝手ながらぐるぐると考えてしまい、質問を送ることにしました。
ウ・サギさんは、どう思いますか?
A.なるほど……色々と、考えを深めたことがよくわかりました。まず、「責任」という言葉の捉え方が質問者さんとウ・サギで少し違うかもしれないと感じたので補足しておくと、「責任」は「○○のせいである」という原因よりも、「解決する役割を果たすのは誰か」という解決の主体を指している意味合いがウ・サギは強いです。また、ここでいう大人とは常に大人たちのことであり、小さい単位で言えばそれは身近な人たちで組むチーム、そして大きい単位では社会を構成する大人全員のことを言っています。
大人の定義についても、単に年齢で考えてはいなく、子ども時代に必要なケアや学ぶ機会を保障された上で、現在誰かをサポートするだけのリソースが余っている者、という捉え方をしています。ただ、残念なことに全員がそれを保障されてはいないので、子どもと大人の混ざったような段階の人たちも、それぞれの力を無理なく持ち寄ることができたらいいな…とは思います。
「責任がある」「責任をとる」いう言葉でウ・サギが一番強く思っているのは、「問題の本質を考え、長いスパンで解決のための努力を続ける」姿勢のことかもしれません。解決のための協力者は大人子ども問わずたくさんいるほど良いし、誰でも少しずつ手伝えるし、自分のできる分については少しずつの責任を背負ってほしいとも思います。でもそのプロジェクトの責任者と言える人やチームには、それなりの力量や安定感が求められると考えているし、ここでいう力量や安定感を得るためには、絶対に一定数の人生経験が必要だとウ・サギは思っています。だから、責任を果たせないものには責任がない(求めてもいいことはない)という点で、子どもには責任がないと言い切ってしまうのかもしれません。
ただし、個人で責任を背負いすぎると、結局責任が果たせなくなることもあります。こうやって考えてみると、責任というものはとても難しいですね……。考える機会をありがとうございます。
回答:ウ・サギ

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Q.人生に疲れました。進路について考えないといけないときなのに、もう疲れてしまいました。この世界に希望が感じられないです。しかし、今、大事な決断をしないといけない時期なので、どうすれば決断できるか教えてほしいです。
A.この世界に希望を感じられないのに進路について考えないといけないのは・・・非常に困りましたね。ウ・サギは長いスパンで将来を考えようとすると、「生きたいとも思ってないのに、そんな先のこと考えるとか無理すぎる」と死にたい気持ちさんが発狂するので、とりあえず先は1年くらいしか考えないようにしています。この環境でこれをやれるなら1年はまあ生きていてもいいかという繰り返しで、行きつ戻りつはありつつも、少しずつ生きることは楽になってきました。
希望が感じられないのに考えるのは疲れてしまうと思うので、とりあえず目の前の1週間とか、3カ月とか、1年間とかをイメージして「これだったら多少は息がしやすいかも」という環境に自分を置いてあげてほしいとウ・サギは思いました。ちなみに、進路はそんなに大事な決断じゃないとウ・サギは考えています。やる元気を温存しておければ、たいていのことは後から案外どうにでもなります。どうにでもならないと脅してくる人や、実際にどうにもならなかった経験をした人もいるとは思いますが、自分を支えるつながりと巡り会えたなら、衣食住を守られて自分らしく生きていくことはいつからでも間に合うとウ・サギは思っています。
回答:ウ・サギ

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Q.自分の容姿や、発する匂いとか音が常に気になって辛いです。外では人目が怖くて、歩き方も息の仕方もわからなくなります。人と目合わせることもできません。どうしましょう。
A.それはしんどそうです。自分はいつもついて離れない存在ですし、生きているだけで消耗してしまうのではないかと想像しました。そこまで自分を気にしてしまう要因は何なのか、逆に何があれば気にならなくなるのか……考えてみたいところです。
ウ・サギは人目があまり気にならないし、容姿にいたっては全く気にならないタイプなのですが、どうしてだろうと最近分析してみたら、自然の中で過ごすことが多かったのが一つの要因かもしれないと気づきました。なぜなら、海や森や動物は、ウ・サギの容姿も匂いも音も気にしないからです。人と過ごす場合も、キャンプは夜だと人の顔なんて見えないし、いいだけお腹が空いてから食べるカレーは最高に美味しかったり、蚊に刺されて不快だったり、綺麗な景色に感動したり・・・とにかく五感が忙しくて、自意識の入る隙間がとても少ないと感じます。それこそ、息がしやすいような感覚があります。
あ、つい語りすぎてしまいました・・・。話を戻すと、今は五感への刺激が乏しいことで、SNSやネットで流れてくる偏った価値観、周りの人の目や評価などの、細かい刺激の方をキャッチすることが多くなったのかもしれないとウ・サギは考えています。
そのあたりはもともとの感受性が強いほど、生育環境で周りにアンテナを張る必要があったほど、怖いの源になる情報をたくさん拾ってしまって、苦しくなってしまいそうだとも思います。人目を忘れちゃうほどの素敵な何かに出会えたらいいのでしょうかね……とにかく、社会や環境との関連性が高そうな現象だとはとても感じました。
回答:ウ・サギ

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