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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.望まず生まれてつらい思いをしてるって嫌だけどそう考えれるのは自分が存在しているからで…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が望んでいないのに生まれてきて、つらい気持ちをたくさんしているってなんか嫌だなって思った。でも、そう考えれるのは自分が存在しているからだよなとか考えたりぐるぐるしてる。何を目標として生きればいいのか知りたいです。

A.なるほど…哲学的ですね。でも哲学というにはあまりに切実で、生きているしんどさから生じてきた問いであるとも感じています。
自分で望んでいないのに生まれてきて、というのはウ・サギも時々思います。生まれるというのは大きいことなのに、誰一人自分で望んで生まれてきていない、そこに選択権がない、というのはびっくりなことにも感じます。でも、生きる上で選べないことはそもそもたくさんあって(人間以外にも自分以外にもなれないし、生まれる時代も場所も選べないし…)、本来選べるはずの範囲のこと(どこで誰と住むのか、学校に行くか行かないか、何で生活を賄っていくのか…)が選べないから、「生まれる・生まれない」など選びようもないことを考えてしまうのかもしれません。
何を目標として生きるのかは、目標なんて無く生きるくらいがちょうどいいとウ・サギは思っています。目標をもち、努力をして、生きがいを感じ、自分のキャリアを築いていく・・・そういったものが、今の人生像の主流になっているのではないかとウ・サギは感じているのですが、生きるというのは本来違うものだとウ・サギは思っています。私たちは関係性の中で生きています。誰かが食べ物を作ってくれて、家を建ててくれて、娯楽を創造していて・・・自分だけでできないことはたくさんあるし、何もできない赤ちゃんから誰しも人生は始まり、年を取れば身の回りのことのサポートを必要とする場合もあります。傷つき孤立したり、疲弊すれば、何もできなくなることだって誰しも起こり得ます。そういった弱さや不完全さを抱えたもの(すべての人)同士が、誰かを過度に犠牲にすることなく助け合える社会をウ・サギは望んでいるのですが、そのために目標があるとしたら「誰も切り捨てない世の中であるために必要とされることをやる」という、自分中心でなく、関係性を中心とするものになるのではないかと考えています。
そして、ウ・サギは、今の社会について一度立ち止まって一緒に考える仲間を必要としています。今の社会で何が問題なのかは、切り捨てられてしまっている存在が最も知っているので、教えてもらうことも欠かせません。生きづLABOにアクセスがあるだけでも、今の社会について考え直すことが必要とされている一つの根拠となり力となります。
だから、そんな壮大に社会を変えることを目標にしましょうと言うつもりではないのですが、存在し考えることにはいつも意味があり価値があるのだ、とウ・サギは思っています。だいぶ話が膨らんでしまいましたね・・・全然回答になっていなかったらごめんなさい。

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update 2026/1/19
Q.「Q.人生重要なことはネットとaiにはないんじゃないかな?」を見ていろいろ考えました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「Q.人生重要なことはネットとaiにはないんじゃないかな?」を見て、
確かに、ネットとAIには人生重要なことはないのかもなと、納得しました。
その一方で、ウ・サギさんが書いていたように、ネットやAIが人生重要なことに気づく「きっかけ」になることならあるのではないかと俺は思いました。
ただ、ウ・サギさんの書いた「つらさを絶望の方に後押ししてしまう可能性もある」に近いかもですが、
ネットやAIによって気づくことから遠ざかってしまう場合もあると思います。
俺個人の考えですが、人生重要なことは、
他者や本やアニメやネットやAIなどの自分以外の存在との関わりと、
自分の中にあるものが合わさって、自分自身で気づくものだと思っています。
自分の中にあるものは、生まれつきのものと、自分以外の存在の影響で生まれるもの、どちらもあるのかなと思います。
そして、
人生重要なことは、絶対的な一つの何かではなく、
人それぞれに異なる「人生重要なこと」があるのではないかと俺個人は思います。
ウ・サギさんは、どう思いますか?

A.うんうん、と概ね同意の気持ちで読みました。(「概ね」と保留するのは、違う考えの場所があったわけではなく、質問者さんの考えをどこまで正確に読み取っているかわからないからです)
気づきとか学びがどういうものか、何からもたらされるかというのは、考えるほどに「こういうもの」と簡単に言い切れないものだと思います。だから、ちょっと話は逸れてしまいますが、「こういうのを学んでほしい」「教えよう」といった教育のスタンスにはずっと疑問と反発をウ・サギは抱いています。ただ、人生重要なものを感じるために大切な経験と、あまり糧にはならない経験はあると(無意味な経験は一つもない、という前提で)思っていて、最近は生活体験みたいなものが大切なのではないか、今それがあまりに欠けているのではないか、とよく考えています。だからウ・サギは、人生で重要なことは人それぞれの色合いやニュアンスは異なるにしても、ある程度普遍的なものだとは思っているかもしれません。でもそれは今のところうまく言葉にしきれないし、言葉にしたとしても、言葉だけでは説明しきれないものにも感じます。今の段階で無理やり言葉にするなら、自分のちっぽけさを思い知ることと(具体的には、自然に対しての畏敬の念とか、いろんな人の支えや関わりの中で自分が存在している感覚とか)、一人ひとりの力が合わされば世界を変えていくこともできるのだという有力感の両方を、ほどよいバランスで自分の中に抱くこと・・・ですかね。
そう考えていくと、ウ・サギ説では、ネットやAIで人生重要なことは得られないと思っていることになりそうですかね……?いや、一人ひとりの力を合わせるツールとしては、ネットは大いに可能性はあるかも…?とりあえず、自分のちっぽけさを思い知ることの方は、ネットやAIはあまり役に立たなさそうです。

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update 2026/1/19
Q.摂食障害の自助グループで発言したら辛さを一般化されるようなことを言われ悲しかった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ちょっと前まで、摂食障害の自助グループに属していました。そこで私が『こういうことがつらい』と発言したら、ある方から『まだそんなところにいるの?そんなの当たり前』と言われました。私の辛さを一般化され、軽視されたようで悲しかったです。

A.つらさを一般化されるのはしんどいですよね…。真正面から否定されるわけではない分、反発もしづらいというか、どうにもモヤモヤするものだとウ・サギも感じます。
おそらく、聞き手側がまだ自分のつらさを消化や整理しきれず、他者のこころを受け止める余裕がないときに起こる現象だとは思うのですが、どんな事情があろうと一般化をしていいわけではないですし…。とはいえ油断したりコンディションが悪いと誰しもやってしまいかねないことでもあるので、ウ・サギも一般化してしまう側にならないよう気をつけなくては・・・とも思いました。

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update 2026/1/19
Q.失礼な発言なのは分かったうえで、病気になって周りからしょうがないねと思われながら休みたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.本当に苦しんでいる人に対して失礼極まりないのは分かったうえで、病気になりたい、周りからしょうがないねと思われながら休みたいです。出来れば治らない病気がいい。

A.自分の最大の願いが完璧に叶いそうな妄想(かつ実際にあり得そうで、想像しやすいもの)は甘美なものだとウ・サギは感じます。具体的にこの状態になりたいという強いイメージがあるのは、それだけ今の環境がその逆をいっているしんどさが大きく、それを変えられそうにない無力感がある、という話だとウ・サギは捉えました。
実際にそうなったらそれはそれで問題も出てくるかと思うのですが、想像の世界ではややこしいことはすべて免除される(理屈ではわかっていても体感はできない)ので、願いが浮かんでしまうこと自体は自然だしある意味大切なことだと思います。

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update 2026/1/18
Q.普段は死にたいと思ってるのに、事故にあいそうになったときは生きたいと思った。なんで???
この記事の担当 ウ・サギ

Q.普段は死にたいと思ってるのに、事故にあいそうになったときは生きたいと思った。なんで???

A.それは「死にたい」という気持ちは、死という状態になることをただひたすらに望む、という気持ちとは実は結構違うからだとウ・サギは思います。
死にたいという気持ちに何が含まれているのかは人それぞれだと思うのですが、一つのポイントとして「こんなに自分の望みの叶わない理不尽な(選択肢のない、自分の意思の尊重されない)世界なら、せめて終わらせることくらいは自分で”選びたい”」という自己決定への渇望が含まれている場合が多いとウ・サギは考えています。不慮の事故は自己決定とは真逆の出来事になるので、これは違う、と反射的に感じて生きたいという気持ちが湧くのかもしれません。
また、死にたいは掘り下げて丁寧に考えると、目的は今の苦しさから解放されたいということでその手段として死があるだけで、心から欲しているものは死ではなく救済だと言えると思っています。死にたいというのを思考だけで捉えるなら、事故にあって亡くなることも救済と定義されるかもしれませんが、死にたいを感情やイメージとして捉えるなら、事故にあいそうだという状況を救済だと心や体は感じないような気がします。
だから、事故にあいそうになったときに生きたいと思うのも、死にたいという気持ちと両立する、自然は反応や感情なのだとウ・サギは思います。

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update 2026/1/18
Q.自責思考が辞められない 死ぬのがなぜ駄目なのかわからない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自責思考が辞められない
死ぬのがなぜ駄目なのかわからない

A.補足の内容からも、とてもしんどい状態にあることが伝わってきました。
思考や生きづらさというのは、自分自身の中にある問題というよりは、環境によって生み出される部分が大きいとウ・サギは思っています。強い自責(または他責)が生まれるのは、何かを攻撃したい感情になっているから=深く傷つけられているから、というのがまずあるとウ・サギは考えています。個人差はあると思いますし場合にもよるかと思いますが、こころは暴力を受けた分だけ、暴れ出したいエネルギーを蓄えてしまうものだと感じます。だから自責思考の強さは、自分はそれほど傷ついているのだな、と受け止めると多少は和らぐかもしれません。
これは質問の回答からは少しズレてしまうかもしれませんが、ウ・サギは自ら命をたってしまうことについて、「社会(その人を取り巻く環境すべて)が人を殺してしまった」出来事だと捉えています。社会が個人をそこまで追いつめてしまうことはあってはならない、そういった社会になっているのなら変えていかなくてはならない、とウ・サギは思っています。先ほども思考は環境から生まれると書いたように、死にたいなどの気持ちも、他も人のこころに浮かぶものはすべて、環境の影響があります。だから、誰が何を思うかは自由ですし、どんな気持ちも責めたり否定するつもりはまったくないのですが、自ら命をたってしまう人がいることを「それでも構わない」「個人の自由だ」みたいにはウ・サギは捉えることができないのです。

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update 2026/1/18
Q.告白されたら「こんな自分を?裏の顔は生きづらモンスターです、遭遇前に離れて!」と思っちゃう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.告白されたら、「こんな自分を??ダメダメもっと良い人見つけなさい!生憎私の裏の顔は生きづらモンスターです、遭遇する前に離れて!」って思っちゃいます。でもそれを理由に告白をお断りしちゃうのはお相手に悪いかなぁ。

A.もしウ・サギが質問者さん側だとしたら、率直に思っていることを全部伝えた上で、相手の感情や要望についてもなるべくヒアリングし、交際するのが妥当なのか相談しながら決めるだろうとは思いました。恋愛に限らず、関係性で湧き上がってしまう気持ちや考えはなるべく共有した上で、どうしていくか一緒に考えるのが「関係を大切にする」ということだとウ・サギは考えています。ただそれは手間のかかることですし怖いことでもあるので、そういう開示や調整をしようとまでは思えない相手、またはそんな余裕のない状況であれば、近しい距離になることはお断りするだろうと思います。
恋愛についてのウ・サギの考え方は「恋愛は好きになった側が自己責任で楽しむもの。好かれた側が品質を保証したり責任を負う必要はなし」という片思い自己責任論者なので、生きづらモンスターに遭遇させることは申し訳ないとは思わない派閥ではあります。(ただし、恋愛的惹かれが弱っているが故の依存だろうと判断した場合は、恋愛としてお付き合いしないのがマナーであると考えます)
ウ・サギの考え方はちょっと独特で、大体偏っていると言われるので、参考になるかはわからないですが、何かの参考になれば幸いです。

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update 2026/1/16
Q.夜の神社にオバケが出るから行くなと先生が言うのは不審者が潜んでいるからということですよね。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.小学生の時に、夜の神社にはオバケが出るから行っちゃだめだよと先生とかから言われていましたが、要するに不審者潜んでるから行くなってことですよね。何で不審者出るから行くなってストレートに言わないんだろう。

A.不審者が潜んでいるからなのか、その他の理由もあるのかわかりませんが、「危ないからやめなさい」を根拠ある理由ではなく、本来は違うオバケという理由を使って伝えているという話にはなりそうですね。
ウ・サギは伝える上で有効に働くなら嘘も方便だと考えるタイプなので、周りの大人としてはオバケ説の方が有効だと考えたのかもしれません。例えば、「不審者」がどういう者か子どもには説明しづらいと考えたとか、または不審者と確定していいかわからない曖昧な情報しかないとか…?とはいえウ・サギも受け取る側の力を信じて、事実を率直に伝える方が好ましいと基本的には思っています。

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update 2026/1/16
Q.自分自身に向けられた言葉より、漫画やアニメの前向きな言葉のほうが素直に聞ける。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分自身に向けられた言葉より、漫画やアニメの前向きな言葉のほうが素直に聞ける。

A.確かにそれはある気がします。ウ・サギは言葉には「思ったことを素直に表現する」ものと、「相手に○○な気持ちになってほしくて表現する」ものがあると感じていて、自分自身に向けられた言葉は比較的後者の要素が強い場合が多いように思っています。前者は「フィードバック」、後者は前向きな変化を求めるものであれば「励まし」という呼び方になるかもしれません。
そして、励ましのための発信がされたとき、善意の気持ちを受け取って前向きな気持ちになるパターンと、自分を変化させようとする姿勢にそもそも拒否反応を抱いたり、内容の合う・合わないの方が気になって前向きになれないパターンに分かれるようにも思っています。(もちろん、フィードバック7:励まし3みたいに混ざった発信もあれば、ただ反射でなんとなく言ってしまっただけの発信もありますし、受け取り方も誰に言われるかやコンディションによって変化するので、実際のコミュニケーションはそんな簡単に分類したりできるものではないと思います)
話が長くなってしまいましたが、自分自身に向けられた言葉には相手との関係性や相手の感情など様々な要素が含まれる分、言葉を素直に受け取るとはならない場合も多いよね、というのがウ・サギの考えです。

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update 2026/1/16
Q.ウ・サギさん、勝手ながら同志だー!と思って日々拝見しています。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ウ・サギさん、勝手ながら同志だー!と思って日々拝見しています。
いつか、こんな考え方しながら生きてきたよね〜とか、自分の生きづらさポイントに気がついた時こんなリアクションしたよね〜とか、今の過ごし方や考え方とか、語らい合いたいものです。

A.おお、同志認定ありがとうございます!同志という表現になるということは、同じようなもの(生きづらさ)と闘ってきた印象なのだろうかと想像しています。いつか語り合える機会があるといいですね…!

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update 2026/1/16