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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.職場でなぜか私の聴覚に障がいがあるという噂があった。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.職場でなぜか私の聴覚に障がいがあるという噂がありました。話しかけても返事くれないことがあったからということでしたが、それだけで言うのはどうなのよと思いました。ちなみに、私は逆に聴覚過敏です。

A.勝手に決めつけられて噂にされるのは、困ったものですね……。(聴覚の障がいへのネガティブな評価からの発言ではなく、ちょっとした理由で噂をされることへのモヤモヤだとウ・サギは受け取ったので、質問を公開しました)
噂の始まりは、話しかけても返事をされないことで戸惑って、「もしかしたらそうなのかも」と言ったくらいの話だった可能性もあるのかな…?とウ・サギは考えたりしました。これは噂をした側をフォローする意味ではなく、噂というのは案外そういった小さなことから話が広がるかもしれないと、自分を戒めておこうと思って書きました。
「話しかけても返事くれないことがあったのだけど…」と、本人にまず直接聞いてくれ~!と、ウ・サギとしては言いたくなりました。決めつけと噂話にならないコミュニケーション文化を広げていきたいところです。

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update 2025/12/2
Q.親の実名を出さずに「親に○○されてつらかった」などネットに投稿するのは良くないこと?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親の実名は決して出さずに
「親に〇〇されて、私は、つらかった」
「私の親は過保護だ、過干渉だ」
「私の親は毒親だ」
ということをネットに投稿するのは
親への悪口でしかないのでしょうか?
良くないことなのでしょうか?
酷いことなのでしょうか?

A.世間が何を「良くないこと」とするかは時代によって変わるものですし、良くないことは全て禁止すべきか?というのも難しいところですが、そういう哲学的な話は置いておいて、親の実名を出さずにネットに親へのネガティブな感情を投稿することの問題点を考えてみますね。
結論から言えば、ウ・サギとしては問題あるとは思えませんでした。身体や生命を脅かしたり、強い立場の人が弱い立場の人を抑圧したり、実名でバッシングする等他の不特定多数の悪意が向くようにする行動は酷いことに該当すると思いますが、匿名で親(自分より強い立場)の人への愚痴や、つらかった気持ちを書くことは、ウ・サギ基準では酷いことには当てはまりません。
ただし「こんなことは絶対的に誰がどう見ても酷いことです」みたいことじゃなくても、相手にとっては酷い(と感じる)ことであるときはあります。自分と相手では見えてるものや感じることが違うので、「自分側の見えているものが絶対真実で、あなたの方が間違っている!」という論調でぶつかると、お互いにダメージを負うかもしれません。といっても、じゃあお互い様だよねというのも違って、どう感じたかの聞き役になって受け止める役割は、まずは強い側の方にあるとウ・サギは思っています。
ネットに親へのネガティブな投稿をすることについては、親にとっては酷いことに感じられる場合はあると思います。だからといって、親へのネガティブな投稿をするのが許されないとはウ・サギは全然思わなくて、質問者さん自身が自分の傷ついた気持ちと、親が傷ついた気持ちの、どちらを大切にしたいかで決めていいのかなと思いました。「私の親は毒親だ」などと思うのは自分の自由で、誰にもそれを責める権利も、制限する権利もありません。もしネットへの投稿やその他行動を我慢するにしても、自分の気持ちを否定することはしないでいい、しない方がいいとは、ウ・サギは強調しておきますね。

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update 2025/12/2
Q.虐待されていると友達から相談を受けたという質問の回答が冷たく感じます
この記事の担当 ウ・サギ

Q.虐待されていると友達から相談を受けたという質問の回答が冷たく感じます。
子供に自分の身は自分で守れと強いるのは酷では無いですか。
私も過去に虐待を受けてることを友達に話したことがありますが、もっと持ちつ持たれつ精神になってみてはどうですか。

A.読み返して、表現に至らない点があったと反省しました。まだ至らない点もあるかと思いますが、この質問を受けて、回答はすぐ修正させてもらいました。
気持ちや意図としては、子どもに自分の身は自分で守れと言うつもりはまったくありませんでした。
・「子ども同士で」「友達として」できることを考えると、解決について責任を感じすぎない方が、質問者さんが継続的に友達の支えになることができるのではないか
・暴力抑圧被害からは誰しも守られるべきで、助けになるためにやれることをやるのは大前提として、気持ちの面で「助けよう」「助けてあげないと」というイメージは実はうまくいきづらくて、「本人の自分を助けようとする力をサポートする」「協力する」というイメージの方がいいとウ・サギは感じている
・子ども同士であれば話を聞くだけでまずは十分で、解決へのアプローチで考えれば、どの大人や相談機関に相談してみるのがいいか一緒に考えるのがいいのではないか
といったことを書きたいと思っての記事だったのですが、全然きちんと表現できていなかったです。質問ありがとうございます。

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update 2025/12/2
Q.受験生だが2月に勝つ前に人生に負けそう。物心ついたときから希死念慮を抱かなかった日はない。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生なのですが、2月に勝つ前に人生に負けそうです。物心ついたときから、生きることの難しさを知り、希死念慮を抱かなかった日は一度もなかったです。人に絶対に相談したくない理由があって、相談は断固拒否です。救いようがないでしょうか。

A.ウ・サギは学校の受験というのを実はしたことがないので、「2月に勝つ」という表現にちょっとびっくりしました。言わんとしていることはわかるのですが、受験(今現在での志望校)に合格することが、なぜ勝ちなのか?何への勝ちなのか?とウ・サギは大人を問い詰めたい気持ちになってしまいます。それは自分のしている勝負というよりは、現在の受験システムで「させられている」勝負であり、そのプレッシャーは不健全なものだとウ・サギは感じています…。海外事情にはあまり詳しくないですが、入学は簡単で卒業するのが難しいというのがわりと主流だと聞いたこともあるので、もっとやり方があるだろうと思ってしまいます。
物心ついたときから生きることの難しさを知り…には、苦しみの歴史の深さを感じました。希死念慮の言い換えや分析はいろいろありますが、自分の感性や求めるものと、周りが求めてくるものや周りの感性が合わないとき、かつその合わなさが自分への負担をもたらすとき、人は生に絶望するという側面があるとウ・サギは思っています。逆に言えば、自分の感性が世界とある程度つながったとき、自分の感性にも居場所があると感じたとき、ほんの少しくらいは救いがあるのかもしれません。何が勝ち負けかは無数の定義があると思いますが、質問者さんは毎日この世界と闘い続けてきたのだとウ・サギは感じました。

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update 2025/12/2
Q.最近脂物や味濃いものが食べたくなくなってきた。これは心の病気?単に栄養足りてるだけ?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、脂物(コロッケ、トンカツ、エビフライなど)、味濃いもの(タルタル、クリームなど)が食べたくなくなってきた。心の病気?それとも単に栄養足りてるだけかな?

A.ウ・サギは好きな食べ物でも食べたいシーズンと全然食べたくないシーズンがあるので、第一印象としては、あまり心配なことには感じませんでした。納豆や冷奴が一番極端で、数カ月に1回ブームがきて1週間くらいは頻度高く食べたら、また全く食べないシーズンに戻ります。ただ、脂物や味の濃いものは消化の負担がかかるという点があるので、もしかしたら胃の調子などで今そういったものを受けつけるのが難しくなっていて、「食べたくない」という感覚が生じてるかもしれません。
あとは年齢や生活習慣によっても食べたい物は全然変わるので、何かが食べたくないことや実際に食べないことについては、比較的自然な現象だとウ・サギは感じます。まずはゆったり構えて、もし他の変化や不調も現れてくるようなら、その変化について分析するくらいの心構えでいるのはどうでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.虐待されていると友達に相談された。どうすればいい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.友達から虐待されていると相談を受けました。親から精神的虐待を受けているそうです。その友達は、児相とかには行きたくないと言っているのですが、どうすればいいですか?

A.質問者さんが余裕のある大人でれば、虐待されている状況をどうにかするために全面的に動くことを考えたいですが、子どもであり余裕もない状況とのことなので、あくまで質問者さんにできることを考えて回答しますね。(虐待を受けている本人からの相談であれば情報提供もしますが、補足にあった質問者さんの状況も考えて、今回はポイントを「相談されたらどうすればいいのか」に絞ります)
どうずればいいだろう?と、誰かを助けたい、力を尽くしたいと思ったときにポイントになるのは、自分のできる範囲を知っておくことだとウ・サギは思っています。自分のやれる以上のことをやろうとすると(本来は虐待についてはしかるべき大人が保護するべきなのですが、力及ばずごめんなさい…)、支える側がしんどくなって続かず、結局は助けることから遠ざかってしまう展開になるのを、ウ・サギとしては心配しています。
子ども同士でやれることとしては、気持ちを聞くだけでまずは十分で、本人が解決のために動きたい気持ちが強ければ相談ダイヤルの紹介や、身近な大人への相談を一緒に考えたりお手伝いできればいいかと思いました。相談を受けるや助けるというのは、突き詰めると本人の本来もっている力や意思や気持ちを支えることだとウ・サギは思っているので、「助けよう」というよりは「自分を助けようとしているその人に、自分はどう協力できるだろうか」といったイメージで考えています。
話を聞いていて、もし苦しくなったら自分の気持ちを秘密の守られる場所で相談してみるのも大切ですし、解決についてサポートしようとするなら、友達にとって話すハードルが低いだろう相談先を(匿名のチャット相談か、学校の先生やカウンセラーさんか、その他諸々…)一緒に考えるのが、子ども同士でできる対応としてはいいのかなと思ったのですが、どうでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.家で罵声を聞くのが辛い。自分が言われている訳では無いが自分が削られる感覚がする。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.家で、罵声を聞くのが辛い。
自分が言われてる訳では無いが、親が弟に対して怒ってたり、弟たちが癇癪起こして怒ったような声だったりで、自分が削られるような感覚がします。
また、親が怒る内容もなんだか自分にも当てはまるような気がして苦しいです。

A.罵声を聞くのはしんどいですね…。自分が言われてなくてもダメージを受けるのもわかりますし(ウ・サギもとっても苦手です)、「自分に当てはまるかも」と考えてしまう場合、罵声がさらに自分を消耗させてくるだろうと思います。大人が子どもに対してする振る舞いとしては、どんなものだろうと罵声はしんどいものだと思いますが、補足の内容から、怒ってくる内容も理不尽だと感じました。親に親なりの期待や理想があるのまではギリギリ仕方ないにしても、子どもは自分とは別の人間であり、人は自分のことは自分で決める権利があるので(それが周りに実害を与えている場合は、全部自由とはいかず、周りと相談することにはなりますが)、周りが強制したりコントロールしようとするのはマナー違反だとウ・サギは思っています。
何かを強制してくる人間と一緒に住まなくてはならないのは、残酷なことだとウ・サギは感じます。安心して過ごせないような家、自分が削られてしまうような家からは、出られる選択肢がきちんとあるべきだと、改めて思わされました…。

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update 2025/11/30
Q.頑張っても結果が伴わない。親や先生からの期待をすごく感じてしまう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.頑張っていると自分では思っているのですが、結果が伴いません。親や先生、人からの期待や押し付けのようなものをすごく感じてしまいます。それに応えようとして努力したら妬まれたりします。どうしたら頑張ったことを認めてもらえると思いますか?

A.頑張ったことを認めてもらう方法ですか、なるほど…。他者がどう感じどう行動するかをコントロールすることはできないので(お願いすることはできますが)、今認めてくれていない人へのアプローチを頑張るよりは、認めてくれそうなタイプの人を探すほうをウ・サギは基本おすすめしています。
今の社会は「努力はすべきだし、良いことである」「結果を出せない努力なら意味がない」といった風潮があるとウ・サギは感じるのですが、その二つともに異議あり!と思っています。努力はするもしないも、その人の自由で、良いことかそうじゃないかは本人だけが決められるものだと思います。また、努力した当人が満足できるだけの結果が出なくても、プロセスに大いに意味はあるとウ・サギは感じています。努力するからには目標や理想があり、それに対しての達成度を結果としてジャッジするのだと思いますが、何かをやってみて何が身につくか、得られるかは、もっと複雑で多様なものだとウ・サギは思っています。自分のパフォーマンスを上げようとしてみた調査結果を得られる、適性を知る参考になる、自分のキャパの把握につながるなどのデータをとれるのは確定の成果だと思いますし、努力の結果しんどくなってこうやって質問する行動に出て、そこで何かが得られたのだとしたら、それもつまりは努力の結果が出たということだとウ・サギは思うのです。
(補足にあった運営のアイデアもありがとうございます!実現するかはわかりませんが、とても参考になりました)

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update 2025/11/30
Q.弟の彼女にずけずけと家族の領域に入ってくるなと思ってしまう
この記事の担当 所長室

Q.僕は弟がいるのですが、付き合い始めて1年半くらいの弟の彼女が憎くて仕方ありません。なんか、弟を取られたような気がするというか、ずけずけと家族の領域に入ってくるなって思っちゃうんです。今も、弟が彼女と一緒にお泊まりしていると思うと吐き気がしてきて、何となく死にたくなります。こんなのおかしいのかなとも思いつつ、気持ちが悪くなる自分とそんな自分を責める自分の間で揺れ動いています。

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update 2025/11/29
Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は差別的なニュアンスでは無かったように記憶している
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は精神科医、心理職、当事者を幅広く含む精神疾患と闘う人達のようなニュアンスで差別的では無かったように記憶しているのですが、いつ頃の時期から差別的に使われるようになってしまったのか気になっています。

A.この配信での「Q.私は「メンヘラ」という言葉は、差別用語に感じます(以下略)」を見ての質問ですね。ウ・サギは歴史については無知だったので、情報ありがとうございます。
言葉は、誰がどう使うかによって、時代の移り変わりによって、意味合いやニュアンスが変化していくものですよね…。差別的に使われているか、そうではないフラットなものとしてあるかは、コミュニティによっても変わると思います。ウ・サギの周りはメンヘラを差別したり軽んじたりする風潮が全くないので、ウ・サギはメンヘラを名乗ることも時々します。
属性についての表現は、周りが「あの人は○○だ」と勝手にカテゴライズして、それだけでわかったようにああだこうだ言い始めると、よろしくないことが起こっていくように思います。ウ・サギが初めてメンヘラという言葉を見たのは、ネットでの「彼女がとんでもないメンヘラだった」みたいな男性視点の話だった記憶があるので、そうやって周りが使うようになって、差別的な表現や不適切な理解につながりかねないものになっていったのでしょうかね……。抑圧されている側が自分の苦しさに名前をつけたり、その言葉を使って自分のことを語るのは大切だと思うのですが、抑圧している側がその言葉を好き勝手に使って語るのは、とても暴力的なことなのだろうとは感じます。

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update 2025/11/28