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Q&A > 生きかたカエル回答のQ&A
Q.前質問を送った者です。ケアやサポートを受けながらの活動なら「働く」ができるかもと思いました
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
の質問を送った者です
私の場合、支援やケアやサポートを受けながら、何かの活動をする形なら
楽しさや、安心感を感じつつ
「働く」ができるのかもしれないなと、なんとなく思います

A.はい、その通りだと思います。あらゆる人たちがそれぞれに安心や安全が確保され、その人の力や興味関心にあった役割を果たせる社会になることをカエルはいつも願っています。そのためには今の社会のことをいろいろな角度から検証して、改めてどのような価値に基づいて社会の在り方を検討していく必要があると思っています。生きづLABOもそのための研究機関です。

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update 2025/12/3
Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」の一発言に反論します
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
の、生きかたカエルさんの言った、動画内の一発言に反論します。
「社会が悪い」がおかしい言葉とは私は思いません。
切実なつらい気持ちから出る言葉だと私は想像するからです。

誰もが人や人以外の命の犠牲や支えで生きているのは確かだと私は思います。それでも、「社会が悪い」という言葉を言う方は、実際に社会の誰かや何かに苦しめられているか、仮にそうでなかったとしても、切実な苦しさを抱えていると、私は想像します。その方が、社会の犠牲や支えで生きている部分があれど、社会に苦しめられていると感じている以上、「社会が悪い」という言葉を言うことは、私は至極真っ当なことだと思います。私の反論に対して、生きかたカエルさんは、どう思いますか?

A.それはカエルの発言の意図が正しく伝わっていないので、カエルの意見への反論ではないのかなと思います。カエルが表現したのは、権限や力のある立場の人が自分のことを棚に上げて「社会が悪い」と言ってしまうことを指して言いました。
カエルは「社会が悪い」という言葉そのものがおかしいとは思っていません。今社会の中に多くある生きづらさのほとんどは社会的な問題だと思うので、社会が悪いという課題意識は重要だと思います。ただ、「社会」と「個人」が敵対関係にあるのではなく、どんな個人も社会の一部であり「社会が悪い」という言葉を言うのなら、その責任の一端が自分にもあるという自覚のもとに使うべきだという意見を伝えました。そして、社会的に強い立場の人ほどその責任は重く、より簡単に使うべきではないと思っています。逆に社会的に弱い立場の人には責任は少ないと思うので、比較的、率直に大きな声で言うのは自然なことかなと思います。

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update 2025/12/3
Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。

A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。

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update 2025/12/2
Q.過去に虐待を受けて大人になっても後遺症で苦しんでいる私達にももっと目を向けて欲しい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.子供が今虐待を受けてることに対して救われるのはもちろんなのを前提の上で、過去に家族などから虐待を受けて育って大人になった今もその後遺症に苦しみながら生きてる私達にも、もっと目を向けて欲しいです。

A.カエルもずっとそれと同じことを考えています。カエルの知り合いで、精神科病院に本人の意思ではないのに長期間入院させらていた人たち(つまり、社会の仕組みによって人権侵害をされてきた人たちと言えます)と一緒に「自分たちがこんな目にあっているのを知っていて助けてくれなかった。社会としての責任を怠った」と国に対して裁判を起こしている人がいるのですが、カエルはそれを聞いて「虐待を受けている人たち、受けた人たちも同じだ!」と思ってしまいました。
こうした裁判は賠償請求をしているわけですが、訴えている人が個人的な補償を求めているというより、そうした課題に目を向けて、よくないところは認めて、今後に改善をしてもらいたいという社会全体への提案があるとカエルは思っています。裁判というのは一つの方法ですが、それ以外にも虐待などの子どもの頃の人権侵害が、大人になってからも様々な後遺症などの支障として当事者を苦しめている実態がもっと理解され、それを未然に防いだり、大人になってからのサポートも安心して受けられることを願っています。生きづLABOもそのためにやっているとカエルは思っています。

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update 2025/12/2
Q.笑い方を忘れたいです。どうすればいいですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.笑い方を忘れたいです。どうすればいいですか。

A.補足の説明を見ると、笑いたくて笑う笑い方ではなく、自己防衛的なつくり笑いを手放したいという意味だということが分かりました。つまり、本当はやめたいのにやめられないことで苦しんでいるということで、アディクションの一種だとカエルはとらえました。
アディクションのように、生き抜くために身につけたスキルは、手放すことが難しい場合は多いですね。ただ、方法がないわけではないとカエルは考えています。いくつかのステップがあるかと思います。まずは、「やめたいのにやめられない」ことを自覚することがスタートラインです。そういう意味では、すでにそれをわかっているのでスタートラインにはたっていますね。そして、次にそのことを自分以外の人に伝えるのが次のステップです。まさに今回の質問で次の一歩を踏み出しているわけです。この後は状況によりけりだと思うのですが、二つのことを同時並行でやる必要がありそうだと思ってます。
一つは「やめたいのにやめられない」の背景にある苦しさやつらさに目を向けていくことです。笑いたくないのに笑うことをやめられないのは、無理して笑うことで紛らわせたい苦しさやつらさがあると推測されますが、そのことにまだスポットが当てられていないのかもしれません。その苦しさやつらさへの対処が必要です。そしてもう一つは、今回の質問のように自分の考えていることや気持ちを深め、自分についての理解をすることが必要です。この二つが進められると、つくり笑いはしなくていい時間が増えたり、逆に自然と笑える時も増えていくかもしれません。そうはいっても、急にそんなことはできない…という場合もあるかと思うので、こうして質問することもそうした行動の一つなので、うまく活用してもらえたらと思います。

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update 2025/12/2
Q.今高校三年で、教室にいると息苦しさなどを感じる。どうしたらうまくやり過ごせる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.今高校三年です。教室にいると息苦しさ、居心地の悪さを感じます。少し理不尽なことがあると愚痴を言い合ったり教室が荒れたり、自分より頑張ってない人を下に見たり不満を言ったりなど、自分は合わないと感じます。どうしたらうまくやり過ごせるでしょうか。

A.実はカエルもカエル界の進学校で同じような思いをしたので、首が痛くなるほど頷いて読みました(カエルに首なんてあるのか?と突っ込みたくなるかもしれませんが、あるんですよ!)。カエルの場合は少し距離を置いて、そうした殺伐とした様子を見ながら、「このカエルたちはもともとこんなカエルじゃなかったのに、こんな言動をするのは今置かれている環境のせいだ」と考えてみて、高校3年生が受験戦争に巻き込まれていくことの弊害を実感しました。「自分には合わないと感じる」というのは自分の感性がしっかりと働いているということなので、ひとまずその自分の感性を労いつつ、その背景にある課題を知ったことを今後の人生に生かしていくマインドでいることで、気持ちは少し変わるでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.「働きたくない」の違う表現を考えたら「休みたい」とかが出てきた。こんな感じでいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働きたくない」の違う表現を私自身で考えたんですが、
「もう頑張りたくない」とか「これ以上の苦痛は嫌だ」とか「やりたいことをしたい」とか「休みたい」とかしか出てきません。
こんな感じの違う表現でいいのでしょうか…?

A.はい、そうした表現をする方が、社会に対して正しく理解をしてもらえるかとカエルは思います。「働きたくない」と表現すると、誤解を受けかねないと思います。だから、つまり「働きたくない」というのは、個人の気持ちという切り口からの表現で、掘り下げていくと、社会について考える機会(働くの本質は何?今の働くはどう偏ってしまっているの?…)になります。
「もう頑張りたくない」と言われれば、そう思うほど頑張り続けてきたのか、それはどういうことだ?と疑問につながりますし、「これ以上の苦痛は嫌だ」と言われれば、そう思うほどの苦痛は何だろう?と知りたくなります。また、「休みたい」と言われれば、何から休みたいのだろうかと、その発言の背景や理由を社会のこととして対話することができます。
まぁ、「働きたくない」と言われても、「どうして働きたくないのですか?」とカエルは深めたくなるのですが、相当の深める志向の持ち主ではない限り、「何、わがままなこと言ってるんだ」という印象を持たれてしまうように思います。だから、自分の気持ちを社会と結びつけて、表現する機会が、この社会が少しずつ変わっていく機会になるとカエルは思っています。でも、苦しさが強くなるとそんなことまで考える気力もなくなりそうですし、そもそも社会について知る機会も、権利について学ぶ機会も少なすぎるのでそのあたりも課題かと思っています。

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update 2025/11/30
Q.心配されるためにリスカしたり死を仄めかしてしまう自分が嫌
この記事の担当 所長室

Q.試し行為がやめられない。心配されるためにリスカしたり自殺をほのめかしてしまう自分が嫌です。自分のことをみてほしい気持ちが抑えられないです。すごく申し訳ないと思うのに何度も繰り返すので相手から見捨てられそうです。どうしたらいいですか?

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります 

カエル 生きかたカエル指名だ。『どうしたらいいですか?』って質問だもんなぁ。そのままでいいんだよ。カエルはそう思うんだけど。でも、それは苦しいからね。まず、試し行為っていう表現が誤解を招いていると思うんだ。これは本当は試してないからさ。(質問文で)『やめられない』って言ってるでしょ? 本人はやりたくもないのにやっちゃうってことじゃん。つまりそれは発作というんですよ。だから、お試し発作です。された方からすると試され行為だから、された方が理解を試されているんだけど、相手が誰かによっては対策が必要なときがある。支援者だったら全然いいと思うけどね。「いくらでもやってください。それがお仕事なんで」って。それで見捨てられるような支援者だったらそれまでかって思えばいいけど、身近なパートナーや友達、家族とかだとしんどくなっちゃうからね。だから、そこの折り合いみたいなのが……それで自己嫌悪も強くなるのか。(質問文の)『どうしたらいいですか?』は、発作が起きてないときに「そういうことやっちゃうんだよね」って話すのはどうかな? あと、一緒に考えればいいんだよね。「またこういうことしちゃったときにどうしたらいいと思う?」って相手にも意見聞いて「ここまでなら私大丈夫だけど、流石にこれは困る」とか、発作が起きないときに話せるとだいぶ違うと思う。カエル、試されるときいっぱいあったから、前、いろんな人と話したときに「やらかしちゃったときでも、その後ごく当たり前に関われると良くなる」っていうのは聞いてるから。発作のないときに「関われるときは関わるけど、ダメなときは関わらないよ」っていうことも合意しといて、実際にやっちゃったときも、終わった後に何事もなくまた関わり持つと「別にいいんだ」っていう、実際に見捨てられない経験を積むと少しずつ解決するって。だから、やらないで我慢するのは無理だと思うんだ。発作だから。やっちゃったことを「そういうときもあるさ」って、お互いに言えるような準備をしとく。
ウ・サギ 一緒に勉強するとかですか? あとは。
カエル 勉強するのもいいね。あと、似たような経験した先輩とかがいるとね、経験聞くとか。報告相手がいるとか。その人と自分だけだとさ、逃げ場がないじゃん。だから、他にも作っとくとか。でも、いい傾向だと思うよ。こういうことを出せる相手ができたってことだから。我慢してたものをそこに出して、何とかしたいっていう願いの表れだから。相手がもしつらいとしたら、そこも話し合うとか、そこを誰かに相談するとか、大事だと思うんだ。発作だから薬で止まるといいんだけどね。てんかん発作と違うから。薬で治らないからね。
ペン 発作の勉強はどうやってする?
カエル 発作の勉強ね。研究員制度で勉強会。いろんな発作があるから、試し行為って言っても、行為にもいろいろあるじゃん。だから今度、試し発作発表会とか。いろいろ経験聞くのは絶対いいと思うんだよね。それが勉強会みたいな。
ウ・サギ それやって、そういうの一緒に見てもらったりすれば、お互いに試し発作といい感じに距離を置けるのかな。
カエル これ、まさに生きづLABOで扱うべきテーマですね。発作集めるか。
ウ・サギ そうだね。発作集めて、発作の研究成果を発表して、本人にも周りの人にも役立つ。
カエル いいね。研究大会みたいなのやって、「『第一分科会、発作について』それぞれの演題を発表しましょう」みたいに、「5分で発表して、5分は質問タイムです」って。学会でそういう風にやるってこと。アカデミックだね。
ペン アカデミック。
カエル みんなの経験はね、そもそもアカデミックなんですよ。試し行動っていうのを支援者が口にするのを、カエルはとても嫌に思ってるんですわ。
ウ・サギ 「やりたくてやってることなんてないよ」って気持ちじゃないですか? やみーペン。病んでる側からしたらやりたくてやらないよって。
ペン そうなんだけどね、難しいよね。基本的に自分のことコントロールできるのはすごく高度なことなんですよって言いたい。みんな自分だってできてないくせに!
カエル 棚に上げちゃって。
ペン ねー。
カエル ね、見せてないだけじゃないか。だから、悩んでる人のことを言うんじゃなくて、自らの苦しさとかを見つめ直すのが大事なんです。ひとりひとり。

update 2025/11/29
Q.親が友達の悪口言ってて親同士の会話も繋がされ家の居心地が悪い
この記事の担当 所長室

Q.虐待、育児放棄、そういうのじゃないんです。友達の悪口親が言ってて保護者とも全く関わらず私が親同士の会話繋いでて、家でも居心地が悪いです。でも学びや衣食住はあるから感謝しないといけなくて誰にも相談できなくて、、生きるのが辛いです。

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります 

カエル そりゃつらいよね。(質問文から)『友達の悪口言ってて、親同士の会話繋いで、居心地が悪い』っていうのは、これだけつらい思いをしてるということは、広い意味で言うと心理的な虐待と言ってもいいぐらいだとカエルは思ったよ。感謝しないといけないことはね、まずないです。感謝は誰かが強制するものではありません。自然と感謝したときだけが感謝です。誰かが「●●に感謝しなさい」って言うのは意味が分からないとカエルはいつも思う。やみーペンは?
ペン 大人、子どもすぎ……って思った。
カエル 「大人は勝手だね」って、いつものやみーペンだね。大人、子どもすぎるね。
ペン それに気づいてないからね。
カエル 気づいて質問してくれた人、子どもじゃない? 子どもが大人だね。大人が子どもすぎると、子どもが大人になっちゃうんだよ。 それで苦しくなっちゃうんだよね。
ウ・サギ 余計に苦しくなっちゃいますよね。
カエル 大人成分足りない分をね、 子どもは頑張って埋めようとするわけじゃん。 そしたら子どもはつらくなっちゃうんだね。だから(質問文から)『生きるのが辛いです』って思っても、無理もないんだよ。どうしたらいいかな? 相談できない理由は書いてないけど、相談全然してもいいと思うんだよね。
ウ・サギ 相談できない理由はね、補足には書いてありましたね。普段友達の悩みを聞く立場。むしろ学校の先生は親のことを信頼している。あとは、自分がうまく話せない。相談するのが苦手というのと、昔学校の先生に相談したら「お前が親の親になれ」って言われて……。
カエル 酷い……。
ウ・サギ 酷いよね。
カエル 先生、ダメだわ。学校の人以外に相談しよう。
ウ・サギ その方がまだ良さそうではありますよね。
カエル 今、チャット相談とかあるから、そういうところに言ってみるとね、少し楽になるところもあると思うしさ。身近な人にもよるけど、先生も変わるから、いい先生に巡り合うかもしれないから、その見極めは大事だよね。子どもが学ぶべきは、味方になる大人の見分け方だってカエル思うんだよね。相談する相手を間違うとさ、ダメージくらうから。そこ間違わないように。あと、逃さないようにね。どの辺が(見分けるポイントか)、子ども時代のやみーペン思い出して……。
ペン 難しいね。
カエル (コメントで)『三人いたら一人ぐらい役に立つ』って、そんなにいるか? この間、ウ・サギと別の会議みたいなの出たとき、カエルの仕事の仲間が「50点から60点ぐらいの大人を、子どもが育てたらいい」って言ってて、名言だなと思って。50点〜60点ならいると。
ペン でも、結局そうなんだよね、本当は。
カエル 理想の、そんな物分かりのいいすごい大人ってそんなにいないから、まずは50点〜60点を、ちゃんとつかまえる。
ペン その子にとっての50点〜60点。
カエル 相性もあるからね。子どもの直感って、結構正しいと思うんだよね。「なんかいいわ」「居心地いいな」とか、「楽だな」とか、気使わなくてすむっていう大人っていると思うよね。それはその直感を頼りに。あと、「無理しなきゃならない」とか、「この人と居ると息苦しいな」っていうのは……居づらいとか、みんな分かるじゃん。居心地悪いっていう感覚が正しいというか。その中でも、ちょっとでも「この人話せそうかも」っていう人にアプローチ。あとは、大人にあんまり会えないっていうのが問題だよね。学校と家しかないから、それ以外の大人に会えないのが悲しいよね。
ペン 悲しい。
カエル どうしたらいいのかな? 困るなぁ……。

update 2025/11/29
Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
この記事の担当 所長室

Q.精神疾患や発達障害の治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります 

カエル いい質問だね。(質問文の)『治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行う』っていうのに、カエルはびっくりしてるんだけど。
ペン そういう支援の仕方してるところ、確かにあるよねって思った。
カエル そういうこと「正しいものに変えていこう」っていうのかな? それは胡散臭く見えて当然とカエルは思います。どうですか?
ペン 難しい。やみーペンが病んでるときは、認知の歪みは増えてはいってたけど……。
カエル チャットでもね、『強制というより、いわゆる認知の歪み?』って言ってる。そうなんだよね。健常者に近づくことを目標とするなら酷い話だと思うんだけど、本来のその人の認知からズレているときは、いわゆるそれを戻すっていうのは大事だと思うんだよ。本人も苦しんでたり、そうじゃない方がいいなって思っているのに曲がっちゃってるときとかあるじゃない? 暴力受けたりとか、慣れない環境にいたりとか、周りに教えてもらえなかったりするとそうするしかないっていうので歪んでしまったりするときに、それを本来の本人らしく戻すのならいいんじゃない? でも、この質問した人はそういうことではないのかな? 違うことに怒って胡散臭いって言ってるのかな? そうなんですか? ウ・サギさん。
ウ・サギ えっ……ウ・サギにですか?
カエル 補足に。
ウ・サギ ああ、補足にね。
カエル 「マジョリティに近付け」みたいな矯正というか……。
ウ・サギ そういう風に質問した人は感じてるっていう。
カエル それは治療の場じゃなくても「これが普通だよね」とか「当たり前だよね」って普段からずっと言われているから、理不尽にね。そもそも治療の現場以前に、ニューロダイバーシティっていうのが当事者にとって胡散臭く聞こえるのはごもっともだと思うよね。だから、ニューロダイバーシティはまだまだですって言ってしまえばいいんだよ。治療のやり方は個人モデルだから。この人に病気があって、その人の病気を治そうっていうのが、そもそもの医療の趣旨だから、そういう風にならざるを得ないけど……。でも方向性として、本来のその人らしさを取り戻すためにその人の苦しみを治療……っていうのでもいいとは思うんだけど、あんまりそうはなってないんだよね、きっとね。
ウ・サギ 社会モデルで考えると、治療というのはどういうものになるんですか?
カエル 社会モデルで考えると、治療はまず、社会との関係でその人が苦しんでるって考えるから。これはでも、主に精神疾患の分野だけだと思うんだよね。それ以外は病巣、病因っていうのがあって、そこにアプローチするのが本来の医療のやることなんだけど、精神疾患っていうのはとても特殊で、それがないんだよね。病気の因子が体の中にほぼないわけ。そうなると、周りとか社会との関係の中で起こるわけね。だから、社会との関係を変えていったり、学べなかったことを学んでいったり。つまり医療でやることは、症状の軽減みたいな薬飲んだりとかはあるにしても、生活を見る人と連携していくのが社会モデルだと思います、カエルは。パーソナリティの障がいっていうのも、カエルも嫌いなんだな、これは。なんだよ、その性格の障がいみたいな、人格の障がいみたいなのは……。これは、カエル的には、学べなかった自己を形成するのが凸凹になっちゃったとか、負担がかかって、あるところは大人になったけど、あるところは3歳児を抱えながらいるとかね。やみーペンも永遠の何歳児がいるもんね。
ペン いる! 仕方ない!
カエル それは、その自分とどう付き合うかっていうことを考えていく。そのそいつをどうにかしようとかじゃなくて……だと思うんだよ。
ペン 周りも「3歳児を大人にしよう」じゃなくて、その3歳児と付き合ってるやみーペンと付き合ってくれるかとか、その辺りが大事なんだけど、みんな年齢相応を求めてるのかな?
カエル そうだよ。何歳だからとか言うの好きじゃん。
ペン ね。
カエル ね。
ペン でも言うわ、やみーペンも。
カエル 精神疾患は歴史的にも差別されてきてたり、今も未だに…もちろん本人も苦しいから。でも、差別みたいなものもあるからね。だから本当は、その発達の障がいとかは特性じゃないですか。それって、特性=障がいじゃないはずなの。だから、ニューロダイバーシティの世の中では、発達特性は障がいにはならないんですよ。だから、治療の現場に来ないっていうのがニューロダイバーシティだと思う。治療に来たっていうのは、苦しくて差し障りが出てるってことじゃない? つまり、ニューロダイバーシティじゃないから心が悲鳴を上げちゃったって話だから、社会がいじめちゃう構造にあるってことなんだよね。難しいけどね、みんな見えないから。理解するの難しいから。カエルはね、当事者がどんな世界で生きてるかとか、何が苦しいのかっていうのを、もっともっといっぱい教えてほしいなって思うんだけど、聞く人がいないとね。ちゃんと聞いてくれる人。お説教するんじゃなくて。
ウ・サギ だから本当は、考え方や行動の矯正ではなくて、お互いに調整できたら一番いいんですよね。
カエル そう。苦しくない人も歩み寄ってね。どっちかっていうと強い立場の者がより譲るべきだとカエルは思うんだよね。反対になってるからね、弱い者がだいぶ譲ってるから。(コメントで)『社会の方に治療が必要』……その通り。矯正が必要ですね。見直さなきゃなんだよね。でもみんな社会の一部だから、他人事にはならないからね。いろんな人の犠牲のもとに生きてるっていうこと忘れちゃって「社会が悪い」とか上から目線で言うのもおかしいからね。これは、質問の内容はなかったけど、だいぶ喋れたね。大事な今の社会の課題を鋭く言ってると思います。

update 2025/11/29