Q.リスカの傷とか、ODした後の具合悪さがあるから頑張れる。これって変?
A.変じゃないと思う!やみーペンも、シャワータイムでリスカしたことを感じられる時間があるからリスカしてる時期あった気がする
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.リスカの傷とか、ODした後の具合悪さがあるから頑張れる。これって変?
A.変じゃないと思う!やみーペンも、シャワータイムでリスカしたことを感じられる時間があるからリスカしてる時期あった気がする
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.生きかたカエルさんが「障害」ではなく「障がい」と使う理由は何ですか?他の質問をみて、質問者の方が「障害」と使っていても「障がい」に置き換えていたので、どういう意図があるのか気になりました。ちなみに、私はどっちでもいいと思っています。
A.よく見ていますね。カエルのこだわりに気づいてもらえてうれしいです。
「害」は「邪魔をする」「そこなう」という具合に、よくない意味が全面的にあります。障害者は特定の人たちの総称になりますが、人の総称として「害」という漢字を使うことで、当事者の方たちが嫌な気持ちになるという意見が多くあります。そこで、一般的に障がいのある人たちが、「害がある人」という意味合いでとらえられることのないように、「害」を「がい」にしていこうとする動きがあり、カエルもそれに賛同した結果、ひらがなにしたわけです。
似たようなことで「こども」は「子ども」であって、「子供」とは書かないようにしています。「供」はお供(主人に従う存在)としての意味があり、子どもを従属的な存在として理解される恐れがあると思っているので、「子ども」と書くようにしています。カエルも結構どっちでもいい派的なところはありましたが、いろいろな社会の実情を知っていくと、自分にとってはどちらでもいい、どうでもいいと思っていたことが他の人たちにとってとんでもなくどうでもよくないこともあるので、少しずつアンテナを張るようにしています(まだまだ全然足りないと思いますが)。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.学校のクラスが怖いです。心を閉ざして、1人でいたいけど、そうさせてくれません。他のところに居場所はあります。クラスの雰囲気に合わせて馴れ合いをしていると叶えられない夢があります。ずっと初対面なら気を遣いあえて楽なのにって思ってしまいます。
A.あなたの状況をきちんと理解できている自信はないですが、馴れ合いというか、向上や目的達成を主旨としていない関係性はウ・サギも苦手です。とはいえ、楽しむことを重視するような関係性も時に必要ですし(人によってはそれが切実に必要なこともあるかと思います)、それを「馴れ合い」と呼ぶのも失礼なのか?とか、いや、でも学校のクラスでそれをやるのは違くないか?とか、色々と考えてしまいました。
現状、日本の高等教育は、学習を第一の目的としてる人も勿論いますが、モラトリアムをお金で買っている側面が強い場合もあるとウ・サギは感じています。それもそれで悪いとは全然思わないですが、叶えたい夢のある人にとっては、目的を達成しづらい場所になっているのかもしれませんね…。学習を第一目的とする場所にしたいなら、入学のハードルを下げて卒業のハードルを上げる、一度社会人になってやりたいことが定まってから高等教育に入る文化にするといった、根本的な変化が必要だとウ・サギは考えています・・・が、とりあえずあなたはその環境でやっていくことになるかと思うので、悩ましい…。
(補足に、馴染みたくないと思う自分を責める言葉があったので)馴染めない自分がいても、馴染みたくないと思う自分がいても、それは何も悪いことじゃないとは伝えたいです。人には好き嫌い、合う合わないがありますし、それにどう対処していくかは自分の自由です。馴染めないと割り切ってなるべく距離をとるのもありですし、馴染もうと試みてみるのもありですし、途中で方針転換をしてみるのもありです。1人くらい話の通じる人がいないか探してみるのとかもありです。ただ、馴染みたくないのに馴染もうとしてみるなど、気持ちと行動と乖離するとしんどそうなので、ひとまず何か対処の方向性を定めて「これでいくぞ!」と自分の選択を信じていいのかなとも思いました。
ウ・サギは、慣れてきても、お互いに礼儀とある程度の緊張感を保ち続ける文化だったらいいのにな…と思います。叶うことなら、「お疲れ様」と、クラスの後はあなたに好きな食べ物を持って行ったり、何がもやもやするかの研究会を開きたい気持ちです。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.鏡に映る自分はかっこいいのに、写真に映る自分は全然かっこよくない!どうして?どうすれば鏡の中の自分を、写真にも残せるかな?
A.鏡に映る自分を写真で撮ってみてください!どうなるかな?
カエルは知りたいです。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.お母さん、小さい時からずっと具合が悪いと伝えると心配ではなくひたすら怒ってくるのが辛い。具合が悪いと尚更しんどくなる。大丈夫?って優しく言って欲しかった…
A.それはしんどいですね…。自分で好き好んで具合が悪くなるわけでもないのに、怒るなんてひどい話だ…!と、ウ・サギとしてはお母さんに抗議をしに行きたくなりました。大丈夫?と優しく言って欲しかった、という言葉には切実さを感じますし、温かい(せめて冷たくない)対応をしてほしい、と感じるのは自然だと思います。
世間一般でいえば、具合が悪いときには、心配してくれる人の方が多いとウ・サギは感じています。だから、お母さんじゃない人でいいなら、大丈夫?と優しく言ってもらえる機会はこの先あるとウ・サギは思います。といっても、お母さんに心配してほしい気持ちもあるかな・・・。生きづLABOでは怒ることはしないので、またよかったら質問をください。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.どうして、多くの支援者は、すぐに代替行為をするように言うのですか?あなたの衝動や感情は、腕を赤ペンで塗るくらいの簡単な行為で収まるものだから、リスカなんて大げさなことしなくていいと思われているように感じます。
A.多くの支援者がそうやって言うのは、代替行為の提案が定番になっているのもありますが、強い刺激を入れなくては抑えられないほどの激しい衝動や感情を知らないから、というのが一番の理由だとウ・サギは感じます。支援者にもあの衝動や感情を体験してもらえたら、色々と簡単に言えなくなるだろうし、それと日々闘っている私たちのことをリスペクトしてくれるはずなのに…としんどかった頃のウ・サギはよく思っていました。ウ・サギはリスカはしませんでしたが、支援者が提案するような、平和で健康的な行為で発散することはできるわけない…!という感覚はありました。
でも、代替行為をするという発想も知らない人もいれば、代替行為が実際に役立つ人もいるのも事実だと思います。だから代替行為の話題を支援者が出すこと自体は、きっとそこまで問題はなくて、「すぐに」代替行為をするように言うのが問題なのだと思っています。日本では、先生は生徒を教える、大人は子どもを導く、みたいに「立場が上の人がアドバイスする」風習が強く、対等に対話する、まずは話を聞いてよく想像する、みたいな習慣があまり身についていない大人も多いのかもしれません。
ウ・サギもそうならないように気をつけないと・・・と思うとともに、あなたのその声を、支援者に届けたいと強く思いました。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.学校の先生を好きになってしまいそう…めっちゃイケメンでノリが良くて優しくてかっこよくて、もう好きになりそう…叶わないのは辛いだけなのに…
A.ん〜確かに先生って存在は憧れの対象にはなりやすいかも……ノリがよくて〜とかよりも、分かってくれる大人!っていうのが大事だったりするのかな〜なんてやみーペンは思った!!
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.これまで生きてきたこともこれから生きていくことに対して意味が見出せない。こんな苦しい思いをするくらいなら死んだほうがマシだと思う。毎日同じことの繰り返しでつまらないし、将来のことなんか考えたくない。生まれてきたくなかった。
A.ウ・サギは生まれてきた意味も生きていく意味も無いと考えてる派ですが、あなたの生があなたの実感として「苦しさに対して割に合わない」という表明として、質問を受け取りました。この社会は苦痛やプレッシャーの量に対して、生活の豊かさや自由がかなり少ないとウ・サギは感じているので、そうだよなあ・・・と、あなた個人の経験から生まれた言葉だとは受け止めつつ、背景にある社会課題の重みを勝手ながら感じ取っているところです。
「こんな苦しい思いをするくらいなら」死んだほうがマシだということは、逆にたとえば苦しい思いまでして頑張らなくてもいい世界なら、生きることにここまで暗い気持ちにならないはずなのに…とウ・サギは考えています。社会はなかなかすぐには変わらないですが、だからこそこうやって声を届けてくれることは大切ですし、その切実な声は安易に励まされず受け止められるべきだと思っています。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.障害があると公共施設の割引がされるのは何故だと思いますか?交通費の補助制度は理解できますが、公共施設へのアクセス出来るのは、そもそも障害の程度や困難さが低い人が多いと思います。今の制度は、重度の人に分配できているのかなと疑問に思っています。
A.いいところに疑問を持ちましたね。
実はカエルも障がい者への支援策には少々、疑問や違和感がありました。
今の社会において、何らかの障がいがあると制限される場面が障がいのない人たちに比べて多く、余計な苦労や負担をしなければならなかったり、不利益なことがある実態はあります。なので、そうした不便さを補う特典として、公共サービスの免除や優遇があるのだろうとカエルは理解しています。つまり、公共施設の利用に直接的に不便があるから、補助するのではなく、福祉を担当している行政として何か特典を提供できるとすると自分たちのサービスである公共施設の利用についてはクーポン出せますよ、というロジックかと思っています(真実はわからないのですが、カエルの推測です)。
ただし、カエルがいつも違和感なのは障がい者へのそうした支援策は「不便、不利益な社会だけど、これサービスするから我慢してね」と言われているように感じる点です。そもそも、障がいがあることで起こる不利益や負担を減らすような施策が必要だと思いますし、それはそれぞれ違うので一律に何か優遇することではないと思います。一人ひとりが何で困っているのか、そのためにどんな仕組みがあればいいのか検討して、やれることをやっていくのが大切だろうと思います。こうした議論がとても大切だと思いました。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX
Q.親からの「要求」と「愛情」の境目が分からないです。
「あなたのため」ってよく言われるけど、これは果たして親のエゴなのか?それとも本当に私のためを思って言ってるのか?それが分からなくて辛いです。
A.補足にあった「あなたのため」シリーズはすべてカエル的には「親のエゴ」認定します。というのか、親から子どもへの要求は基本的に「親のエゴ」だとカエルは思っています。
もしも、親が子どもに望むことや求めることがあるとしたら、それは要求ではなくお願いや提案として表明されるべきなのです。一方的な要求や禁止や制限をすることは、権利的にはお行儀が悪い行為と言えます。ただし、子どもが経験や情報が不足しているゆえに判断ミスをすることもありますので、その際には大人が経験や情報を補う役割はあるとカエルは思います。それにしても、限りなく対等な交渉の機会が必要です。
しかし、現実としてはこうした大人としての子どもと関わるうえでのお作法(カエル的には難しい言葉として「パワーリテラシー(力の正しい活用法)」と表現しています)を学ぶ機会がないので、自分の持っている力を濫用してしまいがちです。力の濫用は英語で言うと「マルトリートメント」と表現され、それはいわゆる虐待の意味を持ちます。エゴ自体は何の問題もないのですが、エゴを弱い者に押し付けることはハラスメントや暴力になるので、質問者さんのようにつらい気持ちをする人が出てしまうため避けなければいけません。まずは、親が「これは自分のエゴだ」ということに気づくことが大切なのかもしれません。
「あなたのため」というワードはいっそのこと、禁止してしまいたい気持ちです。その言葉は使わずに表現する練習をしてみたいですね。
★質問を送りたい方はこちら→質問BOX