Q.私の自論ですが。人間である私達には、本質的には誰にも「生きる意味」も「生きる価値」も無いのかなと思っています。皆さんはどう思いますか?
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Q.「他人はそんなにあなたに興味ない(だから好きなようにやっていい)」という励ましがあるけど、よくよく考えたら「みんな他人に関心持てないくらい忙しいしその生活に疑問も持ってない、だから他人なんて助けたくないって言いたいのかな?」と思えてきた。
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Q.一人の時間が好きと言うと心配される、寂しい人扱いされる。 一人の時間が好きってそんなにおかしい? 休みの日は友達といるべき、友達は沢山作るべきなの?”若いから”を理由に友達作りや友達との付き合いって強要されて何となくモヤモヤする。
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Q.気になったことです。自分には病んでる友達がいるんですけど、その子に好きな先生ができたんですよ。で、その先生がイケメンですごい人気な人なんです。友達がその先生の近くにいる女子とかに「死ねよ」「きっしょ」とかいうんですよ。
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Q.自傷癖があります。「自傷をしたり、死にたいって言う人は基本死なないから大丈夫」という言葉にモヤっとします。統計上はそうかもしれない。でも大丈夫って何?何が大丈夫なの?性格悪くてすいません。
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Q.所長のみなさんは大学に行きましたか?もし行っていれば行ってよかったか、行っていなければ行かなくて後悔したのかを教えてほしいです。私は行こうか迷ってます。
A.うさえなが:行ってないと思う!
ウ・サギ:今のところは行ってないですね。行かなくて後悔したこともありましたが、他にもいろいろと後悔してきてウ・サギがわかったのは、「今に納得や満足がいかない、不安がある」から後悔するだけで、過去の選択に正解不正解があるわけではない、ということです。後悔というのは選ばなかった道を楽観的に都合よく妄想するとも言えると思っていて、大学に行っていたらより良い今があったかなんて本当はわかりようがないはずです。もしこれから勉強したいとか大卒がほしいと思ったら、いくつか選択肢もありますし、ウ・サギは大学に行かなかったことに今は一切後悔はありません。
生きかたカエル:カエルは行きました。行ってよかったと思っています。理由は自分に合っているところだったからです。どこが合っていたかというと、考えたり議論したりすることに力を入れていて、一方的に聞くだけの講義が少なく、学生同士で夜遅くまでゼミ室であーでもないこーでもないと話をしているところです。研究していた内容が違いますが、そうした文化が生きづLABOの研究に役立っていることがたくさんあります。ただ、個人的な事情があって大学にあまり行けない時期もあったので、可能なら別の勉強や研究をしてみたいと思ったりします。でも、それは必ずしも大学でなくてもいいのかなと思っています。生きづLABO大学を作りたいです。
やみーペン:やみーペンは大学には行ってないです〜!漠然と行きたい!行きたかった!って後悔してる時期もあったけど、資格を取るために大学がやってる講座?みたいなのに通って、もう大学は満足かな!と最近は思ってます。
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Q.精神科のお薬なんですけど、
死ねますようにって願って飲むとよく効くのに、
もっと楽になれますようにって願うと全く効きません。
これは私は死んだ方がいいってことですよね。
A.同じく適量を飲んでも、願い方によって効き目が変わるという話ですね。「私が死んだ方がいいってことですよね」には率直に「どういう理論でそうなるのだう…?」とウ・サギは思ってしまいましたが、追い詰められた気持ちでいることはよく伝わってきました。
「もっと楽になれますように」はどこか自己一致しない願いなので心に負担がかかり、「死ねますように」は自分らしい無理のない願いなので心がリラックスするのだと考えると、薬の効き目も変わってくるのもあり得る話だとウ・サギは思います。ただ、死ねますようにという願いが自分をリラックスさせてくれることと、死という状態を質問者さんが求めているかは別の話だとウ・サギは考えます。死にたいというのはどこまでいっても感情の話で、感情にぴったりくるイメージであり表現であるだけで、現実として死を求めているのとは少し違うと思っています。死にたいに限らず、どんな願いも思いも一言で表しきれることのない複雑に絡まり合った感情で、実は叶える手段も複数あるからこそ、願いをそのまま最短距離で行動に移すことは滅多に起こらないのではないでしょうか。
一方で、「死にたい」「死ねますように」などの一言でしか伝えられない気持ち、自己一致して表現できない気持ちもあると思っています。
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Q.世の中で、健康に生きるのがどれだけ素晴らしいか、みたいなのをプロモーションされすぎてて、 それに当てはまりたくても当てはまれない自分は辛くなってきた。世間は、僕を陥れたいのかな。僕みたいな人間もいるってこと知らないのかな。
A.「プロモーション」という表現にカエルは「おぬし、やるな」を思ってしまいました。まさに、世の中には実に作為的なプロモーションが潜んでいて、知らないうちに巻き込まれる人があまりにも多いとカエルは感じています。それが、「お、このプロモーション、何?」と鋭く気づくセンスに、心の中で拍手を送りました。
きっと、潜在的に僕みたいな人はけっこういると思うのですが、その気持ちを「そうだよね」と分かち合う機会があまりないのかもしれません。健康もそうですが、美しいとか、若いとか、お金持ちとか、〇〇に生きるのがどれだけ素晴らしいか!というプロモーションは多すぎて、一人ひとりの感性や好みがわからなくなってしまうことが多くなっているように思います。こうして、プロモーションに気づいて、本当はどう生きたいのか話せる機会があるといいなぁとカエルは思います。一人ひとりの「こう生きたい」に目を向けられる世の中になってほしいとカエルは願っています。
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