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タグ心の悩み
Q.周りの人に恩返しできる人になりたいのに頑張れずに自己嫌悪です。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.価値ある人間になりたいと思って毎日頑張ろうとしてるのに、頑張れない自分が嫌いです。まず価値ある人間とは何なのか、誰が判断するものなのか、、、でも周りの人に恩返しできる人になりたいです。でも頑張れない、自己嫌悪です。

A.誰かに恩返しをしたいという心意気だけで十分だとカエルは思いました。実際に恩を返せるかどうかは、いろいろな物事のめぐりあわせがあると思います。頑張ろうと思ってできることでないし、頑張らなくても恩返しになることもあります。
カエルはこれまで迷えるオタマジャクシたちに出会い、いわゆる手助けする経験がありますが、お礼や恩返しをしたいとの申し出を受けることがあります。そんな時に伝えているのは、立場の強い者が弱い者を手助けするのは当たり前のことで、それが子どもの権利を保障する内容であれば、むしろ責任を果たす行為であり、子どもから恩を返される筋合いはないということです。
だから、「恩返ししたい」という気持ちだけで十分で、もしも、それを行動に移したいと思うのであれば、助けてもらった相手ではなく、自分よりも下の世代にいつか返してもらえたらと思っています。そうすると恩がどんどん引き継がれていく、いい流れができるとカエルは思っているのでした。頑張れなくても、社会的な存在としての自分を振り返り悩めるのですから、価値があることだとカエルは思ってますよ。

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update 2025/7/2
Q.夜にフラッシュバックして眠れない。フラッシュバックの対処法を教えて下さい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.夜にフラッシュバックして、幼少期に認められたかったという気持ちでいっぱいになってしまいます。心臓がバクバクして、目を瞑ると嫌なことを鮮明に思い出してしまって眠れず、リスカして何とか寝ています。フラッシュバックの対処法を教えて下さい。

A.カエルはフラッシュバックの専門家ではないので、対処法についてはそんなにアドバイスできないことをご了承ください。
カエルがこれまで似たような経験をしたオタマジャクシから教えてもらった情報によると、幼少期の成仏できていない記憶が、寝ているうちに出てくる現象はよくあるように思います。まずは、こうして誰かに伝えて証人になってもらうことは効果があるようです。カエルは質問者さんの幼少期に認められたかった気持ちをしかと受け止めました。今でも夢に出るということは、当時の気持ちとしてとても大切だったのだろうと思います。
そして、リスカという方法で自らを鎮められることも一つの対処法だと思いました。ただ、こうして質問してくれたのは、それ以外の方法を見つけたいのだろうと思います。
トラウマによる心身への症状については、深呼吸やタッピングなどの、自分の身体に意識を向けて働きかけるアプローチも効き目があると学びました。過去の記憶から距離をとるために、今の自分の身体に意識を向けるマインドフルネスも一定の効果があるそうです。少しでも自分が落ち着く香りや音、手触りなど身近に置いておく方法もありそうです。
いずれも向き不向きもあるでしょうし、どこまで効果があるかわかりませんが、カエルの知っていることをお伝えしました。もしも、専門の病院にかかれそうなら、フラッシュバックに効果のある漢方薬や心理治療などもあるようなので、詳しい専門医に出会えることも一つの方法かと思います。

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update 2025/7/2
Q.保護されたほうがいいと保健室の先生にずっと言われる。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.保護されたほうがいいと保健室の先生にずっと言われる。今そんなに親からの叱責がひどくなくても、今までの恐怖から私の気持ちが安定せずに苦しくて限界のとき、保健室に行く私が悪いのだが。

A.限界の時に保健室に行くのは、悪いことではなく、適切に社会資源を活用する妥当な行動だとカエルは思いました。そして、保健室はある種の居場所になっているのかなと推測しています。
そうなると、一定の信頼感がある保健室の先生が保護された方がいいと言っているということは、それなりにあなたの状況がつらそうに見えているということなのだろうと思いました。つらい状況にあると自分で自分のことを客観的にとらえることが難しくなることは珍しくありません。そんな時に周囲に「こういうふうに見えるよ」とか「こうした方がいいのでは」と教えてくれる人がいるのはとても大切なことだとカエルは思っています。
ただ、周囲から言われたことがその時にはうまく理解できないこともありますし、「そんなことはない」と意外に思ったりすることもあります。また、「こうした方がいい」と言われても、そんな気持ちになれないとか、できないと思うこともあります。それはそれで全然ありだと思います。
信頼できる人からもらう意見も参考にしつつ、自分の気持ちと相談して、どうしたらいいか考えていけばいいと思います。ただ、保護されるという選択肢があることは頭の片隅に置いておくと役立つことがあるかもしれないとカエルは思っています。

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update 2025/6/28
Q.自分の素が分からなくなってしまってとにかく自分でいる事が辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の素が分からなくなってしまってとにかく自分でいる事が辛い。一人でいても気が休まらず人といると緊張して疲れる。これが友達がとかじゃなく家族も皆だから誰とも心を通わせられなくてしんどい。こんな症状どこにも載ってなくて、私だけじゃないですか?

A.補足に「きっと自信がなくなってしまったから」という自己分析があったので、その表現から、ウ・サギはいろいろと想像を巡らせました。つまり、自信を喪失していない時期は、ある程度安定していたということかと思うのですが、安定しているときでも、本当に自分は自分でいいと思えてる場合と、自分には「これがあるから」大丈夫と条件つきで自分を支えている場合がある気がウ・サギはしています。(たとえば、夢や目標があるから、こんなことができるから、学生や社会人などの身分があるから、恋人がいるから・・・等々)
もし条件つきの安定だった場合、自信らしきものを感じればまた安定しても、それもまた何かあれば簡単に崩れるかもしれない・・・?とウ・サギは思います。だから自分がわからなくなった今、自信ではなく自分を見つけてみるのをおすすめしたい気持ちになっているのですが、つらくて疲れている状態が続くのも困りますよね……。難しいです。
ただ、自分に起こることは、症状に当てはまっても何にも当てはまらなくても、周りの環境(社会の風潮含む)と自分の心の何かしらの相互作用で生じているものなのは確かです。だから自分がどんな世界で、何を感じて、何を優先して生きてきたのかなどを振り返ってみると、何か大事な発見がありそうな気もしました。
全然的外れなことを言っていたらすみません。

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update 2025/6/28
Q.泣くのを否定されるのは納得できないが周りは苦痛なのかなと思う。感情を顕にすることをどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰でも泣きたいとき安心して泣ける世界になってほしい、泣くことすら否定されるなんて納得できない。そう思うけど、泣かれる側の人や、周りの人にとってはやっぱり苦痛なのかなとも思います。泣くことに限らず、感情を顕にすることについてどう思いますか?

A.基本的には、感情の表現は自由だとウ・サギは思います。ただ、感情というのは(とくに怒りだと)時に強いエネルギーなので、いつ誰にどう出すか、出すときにどのような配慮をした方がいいかは、考えていきたいところ・・・とは思うのですが、感情はまずは自由にのびのびと出してから、徐々に調整を覚えていくものだとウ・サギは思います。
出すことも十分に許されずに、コントロールだけを覚えてしまうととても苦しくなってしまうので、そういった背景がある人が多いことを考えると、配慮しよう論はあまり出したくないとも感じます。配慮といっても、配慮するのが最優先ではなく、無理ない範囲でやることが一番大切、とは強調したいです。

感情の表現や扱いのポイントは、感情はあくまで自分から湧き出るものである、というのをお互いに意識することなのかなとウ・サギは思っています。
勿論感情というのは、外部の刺激によって(叱責かもしれないし、何気ない発言かもしれないし、何かを見てかもしれないし・・・)起こるものではあるのですが、「お前の言動が私を泣かせた。お前が悪い」みたいなのはたぶん違って、「この出来事を私はこう感じ取って、こういう感情が湧きました」という受け取り手の中で起こるものだと思います。といってもそれは勝手に受け取った側が悪いという話ではなく、感情は良いも悪いもなく自然に湧いてきちゃうものなのだから、アイメッセージで伝えた上で、お互いにとってほどよい配慮や理解を見つけていきませんか?そして、配慮し合いはなるべく優しくやっていけるといいですよね。とウ・サギは伝えたい感じです。
誰かが泣いたことによって感情が動揺する人がいて、自分の動揺に対して配慮を求めたいなら、それはその人がアイメッセージで伝えるべきことです。「泣けば許されると思っているのか」など、勝手に悪意的解釈をして、それを真実だと決めつけるような行為はマナー違反だ…!とウ・サギは言いたいです。

とはいえ感情の取り扱いについてはウ・サギもまだまだ未熟で至らぬ点ばかりだし、社会全体に学ぶ機会も尊重される機会も全然足りてないと感じるので、もっとみんなで考えていきたいと思いました。
残念なことに、今は強い側が弱い側を無理やり押さえつけたり、決めつける場面が多く見られるので(本来は、双方が配慮するにしても、強い側がより多く配慮すべきだと思います)、それはとてもとても問題だと感じています。

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update 2025/6/28
Q.浪人生です。自律神経がぶち壊れました。ニートみたいになっててつらいです。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.浪人生です。自律神経がぶち壊れました。予備校の授業を休んで、家でぐったりしています。ダラダラスマホをいじって時間をつぶしています。ずっと座っているのでも息切れや動悸がして、家の手伝いも出来ず、ニートみたいになっててつらいです。

A.自律神経がぶち壊れたのなら、それは回復のプロセスをすっ飛ばして勉強を頑張ることは難しそうだとカエルは思いました。しかも、いろいろな症状が出ているようですし、お医者さんからの見立てももらっているようなので、怠けているとか根性が足りないのではなく、今は休むべき時だと推測されます。
ただ、休むことに罪悪感があるようなので、単に休むことが難しいのでしょう。頑張らないと気持ちが落ち着かないのなら、今は勉強ではなく自律神経を整えることに頑張ってみるというのはどうでしょうか?現在の症状が緊張など脳神経系の働きすぎが要因だとしたら、長い目で見ると今根性をかけて頑張ることは、勉強をするという目標から遠ざかってしまうコスパの悪い対策のような気がします。それよりも、脳神経の緊張にアプローチしてみて、勉強が無理なく持続できるコンディションにしていくことにシフトするというのはどうなのだろうと考えました。
自律神経を整えるためにはマインドフルネスやストレッチ、軽い運動、自分が落ち着く感覚刺激(好きなにおい、音楽、手触りなど)を入れてみる、などなど方法はいろいろありそうです。「何もしないでゴロゴロしている」という認識から、「自律神経を整えるための大切な時間」という認識に変換するのは、難しそうでしょうかね。
ちなみに、「ニートみたい」という表現から、ニートに対する恐れというのか、よくないものという理解があるのかもしれませんが、カエルは「ニート」と言ってもそれぞれの事情や背景があると思っています。だから、もしもニートの状態になったとしても、それでイコールよくないとか否定されるものではないとも思います。何か課題が起こると、それにわかりやすい名前を付けて理解しやすくする方法を私たちは使うのですが、同時に画一的なラベリングで決めつけてしまい、個々の事情をわかりにくくする弊害があります。質問者さんの事情を垣間見て、ますますそう思いました。

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update 2025/6/28
Q.自傷をやめなくていい理由を詳しく知りたい
この記事の担当 所長室

Q.自傷をやめなくていい理由を詳しく知りたいです。今までやめろと言われ続けて、いつも自傷すると罪悪感があったので、やめなくていいなら楽になるだけでいいなと思いました。あとリスカが普通に受け入れられているやみーペン、羨ましいなって思いました。

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update 2025/6/27
Q.毎日死にたいと思っています
この記事の担当 所長室

Q.毎日死にたいと思っています。でも、実際死んでない。死にたい、と誰かにいうときも、死なないで、を期待しているのかも。じゃあ、ただのかまってちゃん?でも、死にたいんだけどなぁ。もうよくわからなくなってきた。

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update 2025/6/27
Q.仕事も家事もやりたいと思えない自分を親は支えてくれているのに将来介護したくない自分が嫌で苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が迷惑や負担や苦痛を押し付けてばかりとしか思えない。自分は、仕事も家事もどうしてもやりたいと思えずこなせない。そんな自分を親は仕事や家事をして支えてくれているのに、将来親の介護をしたいと思えない自分が嫌で絶望して死にたいくらい苦しいです
介護をしたくない気持ち自体は悪いものではないと思います、恩は返さなきゃいけない、なんてこともないと思います。ただ、自分は自分ひとりが許せなくて、自分が苦痛を強いてる感じや恩を仇で返している感じが苦しくて、これ以上迷惑かけてる感覚に苦しみたくないので、死ぬのは怖いけど、親が元気なうちに死にたいと思ってしまいます

A.やりたいと思えない気持ちと、迷惑を押しつけてばかりの自分を責める感覚と、きっとどちらもとても譲れない本物で、板挟みの痛みが大きいのかな・・・などとあなたのいる世界を想像していました。
参考になるかもと思って書くのですが、ウ・サギも、それほど弱ってはいないはずなのに、全然何もできない時期がありました。でもそれは、その場所もそこにいる人も実は(嫌いではなくとも)全く好きじゃなかったり、そもそもこの社会や自分という存在を生きることに何も魅力を感じられていなかったり、何か自分なりのつながりや手応えがなかったからだったと今は思います。いくら周りが自分を支えてくれていようが、つながりや感謝を抱けるかは、また別問題だとウ・サギは感じています。
あなたの場合が同じかはわからないですが、「どうしてもやりたいと思えず」にいるのは、何かその必要性や理由があるのだろうとウ・サギは思います。だからなんというか、あなたを安易に励まそうとは思っていないのですが、自然な心の働きが起こっている気がしていて、それで苦しんでいるのをもどかしく感じてしまうウ・サギです。

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update 2025/6/25