Q.人間じゃなかったり実在しなかったり、ものを好きになる
A.いいですね。
人間じゃなかったり、実在しなかったりするものを好きになるのってめっちゃ自然なことだとカエルは思いますよ。
対象は何であれ、好きになるっていうのはまさに自分らしさのところだから、それだけでカエルはいいと思います。
ちなみに「嫌い」っていうのも大切だと思っています。
Q.人間じゃなかったり実在しなかったり、ものを好きになる
A.いいですね。
人間じゃなかったり、実在しなかったりするものを好きになるのってめっちゃ自然なことだとカエルは思いますよ。
対象は何であれ、好きになるっていうのはまさに自分らしさのところだから、それだけでカエルはいいと思います。
ちなみに「嫌い」っていうのも大切だと思っています。
Q.過去のほうが楽しかったと思うのは思い込みですか。
今がしんどいからそう思うのでしょうか。
A.ウ・サギは過去のほうが楽しかった派閥ですし、自分については、昔より楽しい未来は訪れないと断固思っています。(今がしんどいわけではないので、これはこういう個性なのかもしれません)
今がしんどいから過去のほうが楽しかったと思うのかは諸説ですが、今がしんどいと過去に気持ちが向くのが止まらなくて(あの頃はよかった、どうしてこんなことに、あれがいけなかったんだ、あれさえなければ…)向きすぎて、苦しくなっちゃうことがある気がするな…と自分の経験からは思います。
そして、それは自分の傷つきを十分に言えなかった、整理できていない状態のときに起こることのように感じています。
だからウ・サギは、今のあなたがしんどいということだけはとても確かな事実だと感じたし、溜まった気持ちや思考を表現していくことをおすすめしたくなりました。よかったらまた質問をください。
Q.家族と同居の家が居心地悪くて、少しでも気分が楽になればと思い外に出たのですが、外でショックなことがありました。この気持ちのまま家に帰るのはつらいです。どう気持ちを整理すればいいですか。
A.所長室は回答までに少し時間がかかっちゃうので、家に帰るのに間に合わずすみません。
期待していたことがなくなってショックなときは、新しく「ちょっと嬉しい・贅沢なこと」を追加して対処することがウ・サギは多いです。好きな飲み物を買うとか、読みたかった本を借りるとか、無料で読めるまで待っていた漫画に課金しちゃうとか、本当はしたいけど面倒でやってなかったor我慢してたものを一つ解放します。
家族と同居の家が居心地悪いのは、しんどいですね…。
メンタルの健康は環境に左右される部分が大きいと感じるので、家以外の居場所がたくさんあって、家を出るのも簡単な世の中だったらどれだけの人が救われるだろうか…と思うウ・サギです。
Q.孤独で孤独で仕方ないときのやり過ごし方を教えて欲しいです
A.孤独な時ってどうしていいのか分かんないよね…。何してても「孤独」な時は孤独でいっぱいになるし、気晴らししてても「孤独」に戻ってきちゃう。
無心になれる趣味とかあればいいかなーとも思うけど、簡単には見つからないしね…。やみーペンはとりあえずジェラート食べて寝ることにしている。
*ウ・サギからも回答*
ウ・サギの場合は、孤独で仕方ないときは台風の中で飛ばされそうな感覚があります。そんなときは理屈ではどうしようもなく、何かしがみつくものが欲しくなって、これまでで一番ましだった頃の記憶を思い描き続けるか、自分の孤独感をノートに書き殴るor外を歩き続けることで、疲労が訪れるのを待ちます。
あと、楽になるわけではないのですが、きっとこういう激しい孤独を感じている人が他にもいるんだろうな…と想いを馳せるときがウ・サギはあります。みんなが深く孤独なのであれば、突き詰めれば、誰もがつながっていると言えるのではないか?と。
Q.母が精神科とかカウンセリングにかかる人を馬鹿にしてるのですが、私はそういう人は今ある状況を打破したくて努力してるすごい人だと思ってて、ここの人なら共感してくれるかなと思ったんですけど率直にどう思いますか?
A.あなたの意見に賛同です。(そして、共感してくれると思ってくれたことに光栄な気持ちになったウ・サギです)
精神科に行くのでも、引きこもるのでも、自傷行為をするのでも、自分を自分で助けようとしてやっていることだとウ・サギは思います。もっとよい方法がありそうな場合は提案し、一緒に考えていけたらいいとは思いますが、馬鹿にする要素も馬鹿にする権利も、どこにもないはずです。
ネットで調べただけの情報ですが、アメリカでは、心の調子を整えるために気軽にカウンセリングを使うそうです。日本でいうと、整骨院とかマッサージとか、そういう感じに近いのかな?とウ・サギはイメージしています。
それに比べると、日本ではカウンセリングは「病んだ人が行くもの」といったイメージがあると感じるので、あなたの母はそういった風潮に影響されているのでしょうかね……。
自分の力だけで対処するのが大変な体の痛みがあったらマッサージを使うように、自分の力だけで対処するのが大変な心の痛みがあるならカウンセリングを使うのは、自然で健全な選択だとウ・サギは思います。
ちなみに、命に関わる危険があると判断されない限りは、カウンセリングを利用していることも、話した内容も周りにバレないはずなので、使いたいときは使って大丈夫とも伝えたいです。
Q.他の人から少し注意されただけでひどく落ち込んで、その人を嫌いになったり自分を全否定する自分が嫌です。どうしたらいいですか?
A.どうしたらいいんだろう?
・・・そうだ!注意する人がいなくなればいいんだ~
どう?いい考えでしょ?(ドヤ顔)
*生きかたカエルから補足*
おそらく、「注意」に含まれる何らかの成分に強く反応する性質があるのだろうと推測しました。アレルギーに似ているようなものと思われます。
例えば、猫アレルギーだと猫に触ったり、猫の毛を吸い込んだりしたら、目やのどがかゆくなったり、くしゃみが出たりします。
「ほかの人からの注意」=「猫」
「その人を嫌いになったり自分を全否定する」=「目やのどがかゆくなったりくしゃみが出たりする」というロジックで考えてみましょう。
目やのどがかゆくなったりくしゃみが出たりする自分を全否定する人はあまりいないのですが、注意への反応には自己嫌悪を感じてしまうということですね。猫アレルギーは身体の仕方ない反応だと思えるけど、周囲からの注意は「気持ちの問題、心の持ちよう」と思ってしまうのかもしれません。
ただ、カエルとしては感情にもアレルギーはあると思っていて、それは仕方のないこと(自然なこと)だと思います。
結論:注意をする人や場面を避ける(うさえながの答えと似たり寄ったりになってしまった?!)。理解のある人にはアレルギー体質について理解を求めるのはどうでしょうか?
とりあえず、感情のアレルギーだと思うことで、少しは気楽になってもらえたら…とカエルは思います。(カエルにも感情アレルギーはありますよ)
Q.自分を貫きたいです。けれどもそれが怖い。
A.一文の中に端的な真実が書かれているように感じました。
この世の中に、自分を貫くことをよしとしない、歓迎をしないような要素を感じているのでしょう。おそらく、その怖さを感じる人は少なくないとカエルは思います。
カエル的には怖さを前に、しり込みすること、ためらうこと、自分を貫けないこともそれはそれでありだと思います。
でも、こうして質問箱に気持ちを送ってくる行動は「貫きたい」という強い決意の表れだとカエルは感じ取りました。
貫くことで嫌な思いをしたり、大変なこともあったりするかもしれませんが、貫くことは、今あなたが感じている「怖さ」の要素を軽くするアクションだとカエルは思うのです。つまり、あなたがささやかな社会変革の主体となることを意味します。
だから、カエルは自分を貫きたい人を応援したいと思うし、自分も貫きたいと思っています。
Q.生理が嫌すぎる。自分の体が受け入れられないです。ちょっとでも楽になる方法があれば、教えて下さい。
A.今の肉体は仮の容れ物であると捉え、いつかのタイミングで適切な容れ物へと移り変わる計画を支えにするとか・・・?というのが、とりあえず浮かびました。(ウ・サギは、仕事が嫌すぎるとき、辞める計画を支えにして耐えます)
実際に肉体が完全に移り変わるわけではないですが、生理をなくすということだけなら、男性ホルモン注射、性別適合手術で可能です。といっても、あなたの性別の望みがわからないので、そういうことじゃなかったらすみません。
いずれにせよ「自分の体」に「生理がある」ことが受け入れられないポイントかと感じたので、自分の体ではないという方向か、生理ではなく謎の出血や血涙なのだという方向に捉えられたら、ちょっとくらいは楽になる可能性があるのかなと思いました。
Q.どうしても死にたくなってしまいます。
自傷もしてしまうし、自分はだめなんだなと思います。
それに、学校に行きたくないんです。
家にいても辛くてどうしたらいいのかわからないんです。
自傷もやめたいのにやめられません。
A.何処にいてもつらい気持ちになってるように思うから、それは死にたくなっちゃうし自傷もしちゃうよねーって思った。
やみーペンは最近、「こうしなきゃ」が自分の中にあるとつらいが強くなる気がして、なんでだろ?って考えてる。「どうでもいいか〜」がいっぱいの時は、あんまりつらいって出てきにくい気がしてるんだよね。
Q.ここの回答者のみなさんも生きづらさを抱えた方みたいだけど、それでも仲間がいて羨ましいです。何もない自分はちょっと羨ましくて悲しくなりました。
A.ここに質問をくれる人はすでに仲間です。
所長代理同士もそれぞれ自由なキャラでめいめいバラバラで生きてるので、そんなに仲間として行動することってないんですよね…
生きづLABOの仲間とは、実際に会って何かするというより、お互いの存在や違いを尊重し合えるつながりだと思ってます。
だから、ここに自分の気持ちや疑問を届けてくれる人はみんな、生きづLABOの一人として仲間だと思っているのでした。
そして、仲間で活動できる方法を今、画策しています。
(ブログにも書きました)