PAGE
TOP
タグ死にたい・消えたい
Q.人(大人)を信じられない。信じて相談して裏切られたら、と考えたら怖い。
この記事の担当 やみーペン

Q.人(大人)を信じられない。信じて相談して裏切られたら、と考えたら怖い。でも一人ぼっちな感じがして寂しくて死にたくなってリスカ・ODしちゃう。そんな自分も嫌になる。相談したい気持ちもあるけど裏切られたらそれこそ死んじゃう

A.裏切られた経験があるから怖いのかな…。ってやみーペンは想像した。大人は何気ないことだったとしても、裏切られた感が染みついちゃうことってあるし…。やみーペンは直接の相談は逃げにくいけど、SNSを使った相談は自分が嫌だ!って思った時に逃げやすいからおすすめかな~

update 2025/3/31
Q.いつも死にたくなりますが、理解されません。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつも死にたくなりますが、理解されません。原因が分からないと解決しようがない、とも言われますが、原因はもう分かりません。不安なことで頭が一杯になるのも、考え過ぎだ、と。早く楽になりたいのですが、どうすれば良いでしょうか。

A.解決や苦痛の緩和のためには自己理解(&周りからの理解)がポイントだとウ・サギは感じているので、理解されない中では、楽になるきっかけはなかなか見つかりづらそうです。
ウ・サギは、死にたくならない人にむしろ「なんで死にたくならないの?」と聞きたいと常々思います。それくらい、世の中は理不尽と負担に満ちていて、何度か傷つけられたり、味方がいないと感じれば、死にたくなるのもおかしくないと思っています。
だからどうすれば良いかといえば、話すことで自己理解が進むような、対話の相手がいれば一番話は早いのですが……。あとは自分の生きづらさについて、適切な理解が進む本や理論が見つかることで、少し楽になった話は周りから聞いたことがあります。
生きづLABOで研究会や勉強会を開きたい、という気持ちが日々強まっていきます・・・。

update 2025/3/26
Q.リスカと暴力が身近にあります。力になれることはあるでしょうか…?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.リスカと暴力が身近にあります。力になれることはあるでしょうか…?

A.身近にあるというのは、お友達が困っていて、その力になりたいという質問と理解したうえでお答えしますね。(※質問の補足に状況の説明があったので、それを踏まえた回答になります)
まずは、「力になれることはないか」と自分に心を寄せてくれる人が身近にいるということが大切なのかなとカエルは思いました。そのうえで、リスカと暴力の二つはちょっとタイプが違うことなので、一つずつお答えします。

リスカは自分で自分のつらさを自分だけで解決するための孤独な手段の一つなので、一人じゃないって思えることが何でも力になると思います。
だから、何でもいいから一緒に話をしたり(できるだけぶっちゃけた話)、遊んだり、リラックスして過ごせるような時間が大切かなと思います。無理をして、誰かに合わせるような時間になるとよりストレスがたまりそうなので、一緒にいなくても時々、メッセージのやり取りをするとかそんなことでもいいと思います。
力になりたい気持ちが先行して、お友達が申し訳なく思ったり、自分は情けないなぁと思うようなことがあると逆効果になるので気をつけましょう。「助けてもらってる感覚」「助けてあげてる感覚」みたいなものではなく、お互いに自然体でいられることが大切かなって思います。
つらい状況に追い込まれている人は自分はダメな人間だ、力がないと思ってしまいがちです。でも、リスカをしていることは自分を守ろうとする力のある人ですし、それまで我慢をしてきた人ともいえます。だから、そんな友達をリスペクトして、いろいろ教えてもらうのもいいかもしれません。

暴力に関しては、どんな理由があっても暴力を受けていい子どもというものはいないとカエルは考えています。
特に大人からの暴力は子どもの権利を侵害するものなので、カエルとしてはできるだけ早く解消したいと思います。ただ、子どもだけで解決できないことが多いので、まずは率直に話をしてもらえるのなら状況を聞いたうえで、タイミングや相手を見て、大人に相談をしてもらいたいと思います。

あと、死にたい気持ちを抱えていることが一緒なら、一緒に「死にたい気持ちって何だろう?」とか「死にたい気持ちはどこから来るのかな?」などと、話し合ってみるのもおススメです。ぜひ、話し合ってみた結果を質問箱で教えてもらえたらと思います。

update 2025/3/16
Q.何かを頑張ろうとする度に、死にたい気持ちが顔を出します。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校に行くことや、勉強をすること、進路について考えることなど、何かを頑張ろうとする度に、死にたい気持ちが顔を出します。頑張るほど希死念慮を抱える自分を引きずり続けている感覚があり、つらいです。でも必要なことなのでやめられないです。

A.頑張ろうとすると死にたくなる、というのは、「死にたい」があなたの心身のSOSなのだろうとウ・サギは読み取りました。頑張りたくない、これ以上頑張れない、そんな声が聞こえてくるようにも感じました。
今いる環境であなたが生きのびるにはそれらを頑張るのが「必要なこと」であるのは理解した上で、ただ単純に人間が生きると考えたときに、学校に行くのも勉強も、頑張りも本当にそこまで必要なのか?と言うと、ウ・サギは違うと考えています。今の世の中では、誰もが(多くの人が)過剰に自分をすり減らしているような気がしてならないので、生きていくのに大事なものは何なのか、全員で一度立ち止まって整理しませんか…?と世に提案したいです。(でも、もう立ち止まる余裕もないのか……?)
頑張ろうとする自分を優先し、死にたい自分をいじめると、ウ・サギの経験的にはどんどんメンタルが大変になりました。頑張るのはやめられないかもしれませんが、生きづLABOが少しでも死にたい気持ちの憩いの場になればと思います。

update 2025/3/10
Q.人と比べたら苦しくなるだけと分かっても、比べて受験に不安になり現実逃避で勉強できなくなる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.人と比べたら苦しくなるだけって分かってるんだけど、自分の現状を見て「他の皆はもっとできるのに、、、」って思って、受験に落ちるかもって不安でいっぱいで、現実逃避で勉強できなくてまた死にたくなります。

A.比べることはどちらかというと自然なことですし、そのものはよく悪くもないと思うのですよ。ただ、比べたときの評価が杓子定規というのか一方的なことが多くて、カエルは困ってしまいます。
特に勉強ネタについては、比べた後に「成績がいい方がいい」「勉強ができないといけない」などという、価値基準があまりに狭すぎて、強すぎて、その狭さと強さが、あなたの不安や苦しさ、死にたい気持ちにつながっているとカエルは思うのです。
勉強も成績も、それぞれの力量が違うので、並べてみるとできる人もできない人もいて自然なことです。そして、勉強ができるできないは人間の能力の一つの側面であり、それがすべてでもないし、そんなに大きなことではないはずなのですが、世の中的な注目度や重要度が高いことが、子どもたちを苦しめているのでしょう。
国連子どもの権利委員会から過度な競争を子どもにやられちゃだめだよと勧告されていることもありますし、子どもの皆さんにはのびのびといろいろな価値観を吸収して過ごしてもらいたいカエルです。

update 2025/3/5
Q.死にたい 生きるのつらい 誰に助けを求めたらいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死にたい
生きるのつらい
誰に助けを求めたらいいの?

A.誰かが他の誰かを助けることはできないとカエルは思っているので、助けを求める相手は自分自身だと思います。そして「死にたい 生きるのがつらい」と発信していることが、すでに自分に助けを求めている証だとカエルは考えます。自分が自分に助けを求めて、それに「自分を助けたい」と思ったから、こうやって質問がきたと思うのです。
自分を助けるためには、例えば、一緒に考えてくれる人、安心できる居場所、困りごとの解決を手伝ってくれるところ・・・など、きっといろんな力を借りることになるとは思います。でも、周りがどんなに手助けをするとしても、それはその人の本来もつ力を発揮するための手伝いで、助けるのは自分自身なのだとカエルは思っています。

update 2025/3/1
Q.前まで死にたいと言っててそれを乗り越えた友達の冗談を聞いて苦しくなった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.前まで死にたいって言っててそれを乗り越えた友達がね、他のクラスメートに冗談で「お前みたいなやつがいるから去年の若い世代の死因は自殺が1位なんだぞ〜w」って言ってて。そんな簡単なことじゃないだろって苦しくなった。

A.ウ・サギはこれまでずっと「乗り越えた」という言葉に何かもやっとするものを感じてたのですが、それは「簡単なことだったことにする」に近い意味に見えたからなのかもな、とあなたの話を読んで気づきました。
でももしかしたら、それを言っている友達も「簡単なことだった」と思い込みたいだけで、本当のところでは解決していないのではないか(今はうまく誤魔化せているだけ)、ともちょっと考えました。
そう考えると、なんか難しいですね…。でもこういう苦しみを抱えているとじわじわ削られるものがあるとウ・サギは想像しているので、質問に送ってくれて勝手ながら安心しました。苦しさは吐き出して、シェアしていきましょう。

update 2025/2/28
Q.自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきたが、生きていてほしいと言うのが正しいことなのか分からなくなった。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.高校3年です。自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきました。死にたい人に生きていてほしいと心から強く言いたいのに、それが本当に正しいことのか、良いことなのか分からなくなりました。死にたい人と向き合うことが怖いです。皆さんは怖いですか?

A.自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきた、というのは、ウ・サギはあまり聞いたことのない生き延び方だったので、どうしてその思いが生き延びる軸になったのかが、とにかくまず気になりました。

ウ・サギは、死にたい=「自分らしく生きれないなら」死にたい=自分らしく存在したい、という意味があると思っているので、自分らしくありたい思いの支持・応援はしたいと心から思いますし、それが生きる道で叶ってほしいと願う気持ちはあります。
ただ、生きていてほしい、というメッセージは時と場合によっては、自分らしくあれない苦しみを尊重していない・受け止めていない態度に相手には見えてしまうこともあるので、取り扱いは難しいなと感じています。

死にたい人といっても、その「死にたい」に込められた思いや傷、背景は人それぞれだと思いますし、周りはその「死にたい」の背後に耳を傾けることしかできないとウ・サギは思います。
そして、相手の気持ちの背後にあるものに耳を傾けるためには、まず、自分の気持ちの背後にあるものをよく知るのが必要だとウ・サギは思っています。そうしないと、相手の声なのか、相手の声を聞いて出てきた自分の声なのか、混乱して、相手の声をうまく聞けないときがあるからです。

ウ・サギは、どんな人相手だろうと、自分に余裕がないときや自分の声(気持ち)がざわざわしているときは、人と向き合うのは怖いです。

update 2025/2/27
Q.安楽死についてどう思いますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.安楽死についてどう思いますか。
海外では認められているところもありますね。
でも、色々問題があるなと思いました。
安楽死はいいのか
家族が反対した場合どうするのか
誰でもいいのか(末期がん患者などに限定するのか)
難しいですね。

A.安楽死については、いくつか、かなり議論しないといけないポイントがあると思っています。
まず、安楽死は、このまま生きていてもよい見込みがない(と感じる)ときに魅力的に見えてくる選択肢だと思うのですが、その「よい見込みがない」の判断について、支援があれば変えられる(緩和できる)ものではないのか?というのは、絶対に欠かしてはならない視点だと思っています。
適切な社会のあり方やサポートがあれば緩和したり乗り切れるかもしれない苦痛を、安楽死という形で解決させてしまうなら、それは弱者は淘汰される世界になるとウ・サギは感じるので、そういった運用になってしまうなら安楽死には反対です。ただ、今は弱肉強食のような社会になってしまっている部分もあるので、「それならせめて安楽死させてください」という気持ちは自然なものだし、その叫びには真摯に向き合うべきと考えます。
まだまだ語ろうと思えば延々と語れそうなのですが、「安楽死を求めている人がいる」という現実について、安楽死を導入するとかしない以前に、何が起こっていて何が必要なのかをしっかり考えていきたい・・・と、日本での安楽死議論については思っています。
もっとフラットに、今の社会問題抜きに安楽死を考えるなら、最後は死なれてしまう側(周囲の人)の気持ちとの兼ね合いになってくるのかなと思っています。

update 2025/2/19
Q.授業中に急に苦しくなって、死にたいと思ってしまう。どうしたらいい?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校で授業中に急に苦しくなるときがあります。つらいことを思い出したり、死にたいと思ってしまったらやめられません。授業も集中できないし、どうしたらいいですか。

A.それは、学校に行けるどころではありません。休めるのなら、お休みすることをお勧めします。そして、できるだけ心が落ちける時間とか空間、人を探したいところです。まずは、こういう苦しさについて共有できて、一緒に考えることができる環境を整えたいとカエルは思いました。
カエルの学校に転校できるとよいのですが…受け入れ体制はいつでもOKです。

update 2025/2/16