PAGE
TOP
タグ死にたい・消えたい
Q.自分が好きになる要素がなさすぎてよく死にたくなる。どうしたら好きになる要素が見つかるか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が好きになる要素がなさすぎて、よく死にたくなる。どうしたら、好きになる要素見つかるか教えて下さい。

A.なるほど、自分を好きになる要素を見つける方法・・・ですか。ウ・サギとしては、ウ・サギが自分をそもそも好きでなく、すでに好きになるのを諦めて自分を過剰に嫌いじゃなければいいと思っているところですが、ちょっと考えてみたいと思います。(ただ、「死にたい」と「自分を好きになる要素がない」の関連性については、もう少し研究が必要だと思っています。関連性は確かにゼロではないと思いますが、好きになる要素があれば死にたいと思わなくなるのかはちょっと疑問ですし、死にたいと思わない人は自分を好きでも嫌いでもないパターンが多いような気もしています)
一つは、「~なことはしていない」と、マイナス要素の少なさを挙げる発想はあると思います。例えば、ハラスメントをしていない、汚職をしていない、公の場で差別的な発言をしていない(それをする個人を否定するつもりはなく、あくまで否定しているのは行動です)・・・とか。そういう発想でいくと、結構自分もマシな存在かもな、とウ・サギは自分について思えます。
あとは、何かを好きになるというのも、自分を好きになることにつながる可能性があるとウ・サギは思います。推しでも、好きなファッションでも、好きなマンガでも、好きな人でも・・・。それを素敵だと思える自分のセンス、ささやかにでも応援する行動、そういったものを好きになることはできそうな……?ウ・サギは自分のことは好きになれそうになくても、自分たちで作ったこのサイトは好きですし、ここに見に来てくれたり参加してくれる人がいるのには心が温まっています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/6/2
Q.これまで生きてきたこともこれから生きていくことに対して意味が見出せない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.これまで生きてきたこともこれから生きていくことに対して意味が見出せない。こんな苦しい思いをするくらいなら死んだほうがマシだと思う。毎日同じことの繰り返しでつまらないし、将来のことなんか考えたくない。生まれてきたくなかった。

A.ウ・サギは生まれてきた意味も生きていく意味も無いと考えてる派ですが、あなたの生があなたの実感として「苦しさに対して割に合わない」という表明として、質問を受け取りました。この社会は苦痛やプレッシャーの量に対して、生活の豊かさや自由がかなり少ないとウ・サギは感じているので、そうだよなあ・・・と、あなた個人の経験から生まれた言葉だとは受け止めつつ、背景にある社会課題の重みを勝手ながら感じ取っているところです。
「こんな苦しい思いをするくらいなら」死んだほうがマシだということは、逆にたとえば苦しい思いまでして頑張らなくてもいい世界なら、生きることにここまで暗い気持ちにならないはずなのに…とウ・サギは考えています。社会はなかなかすぐには変わらないですが、だからこそこうやって声を届けてくれることは大切ですし、その切実な声は安易に励まされず受け止められるべきだと思っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/5/28
Q.誰も死に方を選べないのに、生きられなかった人の分まで生きるべきだと言われて辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰も死に方を選べないのに、生きられなかった人の分まで生きるべきだと言われて辛い。
もし自分の寿命を渡す事ができるのなら全部生きたがってる人にあげるのにと考えている。

A.それはつらいですね…。そんなことを言ってきた人には、無言でキックしたいくらいの気持ちです。「生きられなかった人の分まで生きろ」とか「もっと苦しんでいる人がいる」(というのも言われたと補足にあったので…)論は、世の中でなぜか正論のように出されることが時々ありますが、ウ・サギはいろいろと文句を言いたい点があります。
ウ・サギは、「死にたい」というのは、「死にたい以外の結論が見えないくらい気持ちがいっぱいいっぱい」の状態であると捉えています。そんなにいっぱいいっぱいの人が、なぜ他の人の感情や苦労まで背負わなくてはならないのか?というのがまずウ・サギの怒りポイントです。他の人の感情や苦労に思いを馳せ、背負うのは、その余裕がある人の役割だと思います。もっと苦しんでいる人がいるというのを苦しい人に押しつけてる暇があるなら、苦しんでいる人のために、あなたがやれることを黙々とやってなさい…!とお説教したいです。
生きられなかった人の分まで生きろは、生きられなかった人に直接言われるならわかりますが、第三者が押しつける意味も筋合いもわかりません・・・。
あと、指摘したいのは、それらの理論を生きるのがしんどい人相手に話すことで、誰が幸せになるのか?という合理性です。そんなことを言われたら、生きるのがしんどい人はもっと苦しんで、苦しんでいる人のことを考える余裕のある状態は遠ざかるし、生きる力も弱っていくはずです。
と、いろいろ怒りながら反論させてもらいましたが、たぶん言う側はそんなに深く考えて言ってないと思うのですよね…。死にたいというくらい弱っている人に、考えなしの言葉を投げること自体、ウ・サギは大反対です。
ずいぶん怒ってしまいました。すみません。とにかく、つらいものはつらいのだから、比べなくていいし、自己嫌悪しなくていいし、せめて自分だけは自分のつらさを一番に思い遣ってあげようじゃないか。自分のつらさを申し訳なく思っている人全員に、そう叫びたいウ・サギでした。

update 2025/5/21
Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか? 
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか? 
私の経験上、希死念慮が他人からは想像以上に見えていないと痛感しています。だから簡単には気付けなくて当然で、逆にそれが明らかに見て分かる頃では支援が間に合わない気がします…

A.ウ・サギは、死にたい気持ちは「生きる負担>生きる楽しみ・価値」という状態があって、生まれるものだと思っています。もし死にたい気持ちを感じていない人でも、同じく「生きる負担>生きる楽しみ・価値」になっている場合が少なくないと感じますし、自殺を止めたいと思うなら、そういった世の中(家庭、学校、仕事・・・生きる負担があまりに多いと思います)を変えるのが、一番のやるべきことだと考えています。だから、誰かが自殺という行動に至るところでやっと「自殺のサインに気づく」ことを重要視されても、なんだかなあ、とウ・サギは思ってしまいます。亡くなってしまったら生き返ることはないので、気づくことも勿論大切だとは思いますが…。
ちょっとあなたの話からズレたことを語ってすみません。ウ・サギも、人や場合によりますが、希死念慮も自殺のサインも周りから全然見えないことはあると感じます。というかそもそも、人がどんな感情でいるか、どんな考えをもっているかは、周りには(時に自分にだって)なかなか見えないものだと思います。だから自殺のサインに限らず、感じていることを言える関係をつくることがポイントだと感じますし、そのためには常日頃から、ネガティブな気持ちを否定しない、頑張りや完璧を求めない、良い悪いの評価をしないなど、「この人になら言っても大丈夫だ」と思ってもらえるような振る舞いや生き方をするのが大切だと思っています。

update 2025/5/21
Q.幸せを感じることもあるのに何となく憂鬱になり生きていくことをぷつっと終わらせたくなる時がある
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何となく憂鬱になる時があります。生きていくことをぷつっと終わらせたくなります。幸せを感じることも楽しいこともあるのに、そんな気分になる時があって、どうしたらいいのか分からなくなります。

A.幸せを感じることも楽しいこともあるのに、生きるのをぷつっと終わらせたくなる…なるほどです。悩みを一般化する(誰でもそんなもんだよと言う)つもりはないのですが、実は同じような人も少なくないのではないか?とウ・サギは思いました。
なぜなら、この複雑な社会で生きていくのは、なかなか面倒で大変なことだからです。楽しいことがあっても、なんとなくのプレッシャーを感じたり、気を張っていることや努力していることも同じか同じ以上に降り積もっていることが、案外ある気がするのです。だから憂鬱になるのは、ふと気が抜けたときに起こる現象かも…?とも思いました。
ウ・サギは「社会的公正を目指すんだ!」とアドレナリンを出して、疲労や負の感情を誤魔化してる部分があるので、ちょっと凹むことがあるとすんっと死にたくなる時があります。そういうときは天気が良くなるのを待つみたいに、現実逃避しながら気分の回復を待ちますが、ああ死にたいなあ、生きるって疲れるなあ、と浸る時間も、一番自然体な自分な気もしていて、それはそれで大事だとも感じています。

update 2025/5/13
Q.ゲームからログアウトする感覚でしにたくなるんですけどだめですか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ゲームからログアウトする感覚でしにたくなるんですけどだめですか

A.しにたくなることは全然ダメじゃないと思います。
でも、補足も読んだ感じ、思うことについてのダメとかいいではなく、「しんでもいいよね?」という方向の問いをしている部分がありそうと受け取っています。
しぬ選択がほしい、という強い思いは、この社会に素敵な(マシだと思える)選択肢が見えない、これまでの自分には選べるものも十分なサポートもなかった、という叫びだとウ・サギは受け取っています。ウ・サギは個人が何を選ぶかに干渉はしようと思わないですが、そういう選択肢のない社会のあり方は絶対に変えるという思いで生きているので、しぬのはだめですか?と聞かれると、しぬ・・・(ことを考えたくなる社会では)だめです、という気持ちで黙るしかできない感覚になります。変なことを語ってしまいすみません。

update 2025/5/7
Q.まあ生きるのも悪くないか、と思うには何が必要なのでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.まあ生きるのも悪くないか、と思うには何が必要なのでしょうか。最近、脳汁のために生きているようで、心が置いてきぼりになっています。腹の底では、死にたい気持ちがうずうずしています。

A.まあ生きるのも悪くないか、と思うには、楽に生きられる環境があるのが一番話は早そうな気はします。頑張らなくても生きられるなら、まあとりあえずいいか、とはなりそうな…?ならないかな…。
何にせよ、プラスを探すよりは、マイナスを減らすのがポイントな気がするし、何か見えないマイナス(生きる大変さ)があるから「心が置いてけぼり」になっているのかなと想像しています。
死にたいと思うのは、実際に生きるのが大変(負担が大きい)という要素がけっこうあるようにウ・サギは感じています。

update 2025/4/29
Q.失敗すると気分が落ち込んで死にたくなる。気持ちをうまく切り替える方法があったら教えて欲しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.バイトや人間関係で失敗すると気分がとても落ち込んで死にたくなってしまいます。また、失敗を引きずってしまい、死にたい気持ちが普段の生活を邪魔してきます。失敗を引きずらないで気持ちをうまく切り替える方法があったら教えて欲しいです。

A.失敗した記憶が邪魔をしてくる問題、ウ・サギも悩んでいます・・・。悩んだまま解決はまだできていないのですが、こういう道の対処はあるのか?と考えていることはあって、
①失敗した経験をリフレーミングして、失敗じゃない経験にする
②一人で抱え込まずにまず誰かに話して、感情を発散してみる
③失敗を思い出す隙がないくらい夢中になれるものを見つける 
が浮かんでいます。
生きかたカエルには、「失敗」というもの(考え方)がないらしいです。自分の「成功」のイメージがあるから、「失敗」があるわけで、生きていればうまくいかないこともあるのは当然だし、それは全部「学べた経験」である、みたいなことを言っていた気がします。まあそう頭で思っても、ウ・サギは失敗という考え方から離れられてはないのですが・・・苦笑
周りの切り替え上手を見ていると、うわ~失敗した!という感情を素直に吐き出しているイメージはあります。気持ちをそうやって少し軽くしたうえで、気持ちや考えを整理して、次どうするか、という部分に目を向けられたら…いいのですかね。
思い出す隙がないくらい夢中になれるものを見つけるのは、ウ・サギは時々これで切り替えられることはあります。
あとは、失敗を引きずって死にたくなったら、どこかでウ・サギも(他のいろんな人も)失敗して死にたくなってることを思い出してみるのはどうでしょうか。たぶん同じように苦しんでいる仲間は多いと思います。こんなにたくさんの人が失敗しているなら、自分の失敗も大した気にしなくていいかもしれない、と思える可能性もありそう・・・?

update 2025/4/27
Q.YouTube生配信で「生きるか死ぬかは明日決める(更新制)」と言っていたが、「生きる」を選びたくない時はあった?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.先日のYouTube生配信を見ました。その際に、「生きるか死ぬかは明日決める(更新制)」と言っていましたが、「生きる」を選びたくない時はありましたか?そうなった時は、何をしたらいいでしょうか?

A.「生きる」を選ぶというよりは「今日は死なない」を選択するイメージですが、生きたくない気持ちが強いときは、いつ死ぬかを仮で決めていました。でもそれも更新制なので、またその時期になったら、どうするかを考え直すという形です。あとは、死にたい原因が環境だとわかっているときは、何年度に「今の環境の自分」から抜け出す(=今の自分が死んで生まれ変わるイメージ)と決めたりもしていました。それも更新制なので、実現はしたりしなかったりでしたが。
何をしたらいいのかは人それぞれかとは思いますが、生きることを考えると精神的に負担を感じるなら、極限まで生きる気のない設定で暮らしていいとウ・サギは思っています。たとえば明日死ぬなら、仕事も学校も適当でいいし、風呂も歯磨きもいらないし、将来のことを何も考えなくて大丈夫です。明日死ぬ決意でなく「設定」にするのがポイントで、明日気が変わった自分を恥じる必要もないし、死ぬ準備も別にいらないし、とにかく今日(今この瞬間を)生きる負担を減らすのがポイントだと思っています。そう考えるとネットやゲームなどで現実逃避するのも一つの手段ですね。

update 2025/4/21
Q.死にたいと思うけど、他の人みたいに眠れないとか体調不良にはならない。私はまだまだってこと?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死にたいなって思うことも確かなんだけど、でも他の人みたいに眠れない、とか体調不良にはならない。なんなんだろ。私はまだまだってことなのかな?こんなんで苦しんでちゃ甘いって、ことかな?

A.体調に出るか出ないかは人によって違うので、「死にたいって思う」という感覚や苦しいという気持ちがあるのだから、それを素直に受け止めていいとカエルは思います。
あんまり身体に出ないタイプかもしれないし、身体に出ないからこそ、心が負担を引き受けているのかもしれないし、ひょっとしたら体調や眠りが気づいていないけど不調ってこともあるし…
死にたい気持ちや苦しさに甘いとか、甘くないとかはないので、自分の気持ちや感覚を信じて、受け止めたいとカエルは考えます。

update 2025/4/20