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タグ相談・支援等
Q.自治体のやっている相談室で心無いことを聞かれた。どうやったらちゃんとした相談先を見つけられる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.先日、自治体がやってる相談室に幼少期の虐待について話しにいきました。が、何か悪いことしたの?など心無いことを、聞かれさらに嫌な気持ちになりました。相談しても意味がない、せっかく声を上げ助けを求めようとしてるのに、もう誰も助けてくれない、諦めたい気分です。どうやったらちゃんとした相談先を見つけられますか?

A.残念ながら、相談には当たり外れがあるという現実を目の当たりにしてしまったのですね。何事も相手のあることであれば当たり外れがあることは常なのですが、相談となると相手への期待もありますし、つらい状態で頼るわけですから、期待外れであったときのダメージは大きいものと推測します。
ちゃんとした相談先の見つけ方としては、期待が外れることも想定して、いろいろな人と関わってみるしかないのかなと思います。今回、相談してみて「嫌だった」という判断指標をしっかりお持ちのようですし、「ちゃんとした」というイメージもあるように思ったので、自分のその感覚を信じて粘り強く探してください。
自分なりの指標や感覚があるからこそ「がっかり」や「諦め」が出てくるので、それは悪いことではありません。おのれの感性に磨きをかけるためにもあれこれと相談機関をモニターしてみる気持ちでやってみるのはどうでしょうか。また、モニター結果をお待ちしています。

update 2025/5/15
Q.相談できて心配してくれる人はできたけど、いつか愛想をつかされるのではないかなと怖い
この記事の担当 やみーペン

Q.高校生です。小学生のころからのつらさ、苦しさを相談できて、心配してくれる人がたくさんできました。つらいこと、苦しいことを話しているけど、いつか愛想をつかれるのではないかなと怖くなります。大丈夫でしょうか……?もう相談しないほうがいいのかな?

A.うーん…積み重なったつらさを相談することでしか消化できない時もあるから難しいね…
でも愛想をつかされるとかじゃなくて、もし困ったら「今相談を聞くのはつらい」って言ってくれる気もする。前にこんな質問に回答したことがあったんだけど、あまり先読みして遠慮しなくていいのかなあって思った。
あとは相談以外に「つらい」を解消できる方法を見つかったらもっといいけど…難しい…

update 2025/5/11
Q.「〇〇だから仕方ない」は支える側に、「〇〇を言い訳にするな」は当事者側に暴力ならどうすればいいのだろう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「〇〇だから仕方ない」は支える側にとっては暴力で
「〇〇を言い訳にするな」は当事者側にとっては暴力
そうだとしたらどうすればいいんだろう
支える側も当事者も助かる仕組みに手が届きやすくなればいいのかな、くらいしか思いつかない

A.例えば、「発達障がいだから仕方ない」「発達障がいを言い訳にするな」みたいな話ですかね。
「言い訳にするな」は間違いなく暴力ですが、本人が「〇〇だから仕方ないじゃん!」と主張するのは、暴力までとは言わないかなとウ・サギは思いました。それを言われたら、支える側が困っちゃうし、話が進んでいかない、みたいなのはあるかもしれません。でも、例えば「自閉スペクトラム症だからこだわりが強い」のは仕方ない(変えられない)ことでも、こだわりで「自分や周りがなるべく困らないようにする」ことは工夫していけると思っていて、その認識をお互いに持てるといいのかなとは思ったりします。
論だけでぶつかると平行線になってしまうことがあるので、どうしてその人がそれを言うのか、言われてどう感じたのかなど、主張の裏にある気持ちを話すのが大切なのではないか?と最近ウ・サギはよく思います。
でもぶつかってる同士でそれをやるのは大変だと思うので(当事者側はとても傷つきますし)、間に入ってくれるような存在や、支援者側にも一歩落ち着いて相談できる相手がいればいいのかな、とも感じます。

update 2025/5/6
Q.一人がんばり続けてきたが限界。昔の事に引っ張られて相談する事がつらい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.1人がんばり続けてきたのですが限界です。過去に相談した人の中で結果的に私のせいにしてきた人がいました……昔の事に引っ張られて誰かに相談する事がつらいのです

A.過去に相談したのですから、もともと相談のための素質はあるのだろうと推察しました。また、今の自分のコンディションや状況がわかっている(限界だということ、昔のことに引っ張られている、相談するのがつらいなど)のも、強みのように思います。それらの力を信じれば相談のための次なる相手を見つけることができそうだとカエルは思っています。

update 2025/5/6
Q.自分はasdです、当事者の会に何回か行ったりしたのですが自分に合うところが見つけられません。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分はasdです、当事者の会に何回か行ったりしたのですが自分に合うところが見つけられません。

A.当事者といってもいろいろなので、合うかどうかは行ってみないとわからないのが自然なことだろうと思います。自分で「合わない」と感じている様子ですが、求めているのが本当に当事者の会なのか、実は他の要素を求めているのかも?とカエルは思いました。自分が何を求めているのか再確認をして、必ずしも当事者の会ではないところも可能性がないか再確認してみるのもいいかもしれません。
合うところが見つからないのは悩ましいですが、自分にとって合う合わないを吟味できることはとても大切な力だとカエルは思いました。

update 2025/5/5
Q.相談してねと言われても、誰かに相談することが難しいです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.相談してねと言われても、誰かに相談することが難しいです。

A.相談って、一体何なのだろう……?とぐるぐる考えてしまいました。
ウ・サギ的には「自分の中にあるものを外に出す(感じていることを表現する)」のと「それを一緒に眺めて、考えてみる」のセットという感覚はありますが、そう考えると「相談してね」という声かけ自体が、相談を遠ざけているような気がしてきました・・・。
相談って、なんか大げさに頼るようなイメージもあるかと思いますが、感じていることを表現する力(言っても大丈夫という安心感があること、自分の感じていることに気づけること)があれば、それが相談という形だろうとなかろうと、発信していく中で気持ちをコントロールしたり自分なりに考えを整理していくことができそうにも思います。
だから、相談することが難しい人には、「相談してね」ではなく、思っていることを言っても大丈夫な雰囲気や関係づくりや、どう感じてるの?と聞くのがまず大切なのかな、と。そして、とりあえず思ったことを言うのが大事だとするなら、上司などの利害関係にある相手に何か相談するのって難しいのかもしれませんね。
あなたへの回答から話が逸れてしまいましたが、本当に、相談って難しいのですよね…。まずは一番ハードルの低いところに、まとまらなくても感情的でも全然いいから、思ったことを表現するのから始めるのがいいのかもしれません。そう考えると「質問箱」って、便利な相談練習場である気もします。

update 2025/4/24
Q.不安や苦しみを相談する時、相談することで相手を苦しめているのではないかと罪悪感がある
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分の不安や苦しみを人に相談する時に、相談することによって相手を苦しめているのではないか、と罪悪感があります。
本当は、人といる時は、楽しく和むような時間を過ごしたいのですが、罪悪感を減らすにはどうしたらいいでしょうか?

A.罪悪感の攻略法に関する質問ですね。攻略するためには敵を知る必要があります。罪悪感がどこから来るのかによって、おそらく方法が異なると思います。なので、まずは罪悪感の根源を把握しましょう。
もしも、罪悪感が明確な過去の経験に関係しているとしたら、過去の経験について誰かと話をするとか、深める機会が必要だと思います。
もしも、明確な理由や関係がわからないけれど、罪悪感に駆られてしまうのであれば、それは世の中の「人に迷惑をかけてはいけない」「人の負担になってはいけない」という過剰な空気に感染している可能性があります。実態としては、生きていたらだいたいはお互いに迷惑や負担をシェアしあっているのが自然なことなのですが、どうも他者の負担を気にする傾向が強いかと思われます。
それから、もう一つは自分と他者の境界曖昧さの問題があります。カエルもよく「迷惑かけてすみません」とか「負担をかけて申し訳ない」と言われることがありますが、『迷惑かどうかは私の問題なので、そこは私に任せてください』と伝えています。もう少し、相手のことを信じて任せるということをおススメしたいです。自分の問題と相手の問題を区別して考えると変わって見えることもたくさんあります。

update 2025/4/24
Q.子供の頃のしんどさをそのまま抱えている大人になれない人間はどこに助けを求めたらいいですか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大人になれない、でも子供じゃない。でも子供の頃のしんどさをそのまま抱えてるどっちつかずの人間はどこで誰に助けを求めたらいいですか。大人向けの場所からも子供向けの場所からも疎まれてしまいますか。

A.人間は基本的にどっちつかずであり、そもそも大人・子どもの定義というものも曖昧なので(何かの定義は結局人間がつくったものなので、不完全で個人差があり、人の数だけ定義があると思います)、あなたはただ人間なのだと思いました。そして、他のみんなもまたただの人間だし、子どもの頃のしんどさを抱えている年齢大人は、おそらく実は一番多数派ではないか?とウ・サギは感じています。
ただ、現実としては、支援や活動は対象者をある程度限定するものがありますし、そういうことを気にしての質問かなと受け取っています。誰に助けを求めていいかはわかりませんが、子どもの頃のしんどさを抱えている大人に理解のある場所、そういった仲間がいる場所につながることが、自分を助ける力になるようには思いました。
子どもへの支援も十分とはいえないですが、子どもの頃のしんどさを抱えたままの人の支援はより乏しい現状があると感じます。生きてきた年数=年齢ではなく、自分らしく生きられていた年数=年齢とする(成長する環境が整っていなかった期間は、年齢から引き算する)のが適切なのでは?と、生きかたカエルはよく言っています。

update 2025/4/16
Q.HSPやXジェンダーと自称する人の多くがASDで、その概念により支援から遠ざかっているという意見をどう思う?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.HSPやXジェンダーと自称する人の多くがASDで、その概念により支援から遠ざかっているという意見についてどう思いますか?安心感を得られる側面がある一方で、ASDならば受けられる支援にアクセスできないのはどうなのかなと思ってしまいます。

A.そんな意見があるのですね。カエルはよく知りませんでした。
しかし、この意見には日本における発達障がい理解、診断の基準というのか通例が影響しているように思いました。日本では発達障がいとしてASDとADHDがとても有名になり、診断ではどっちなのか?両方なのか?どれなのか?という具合に分類しようとします。しかし、実際にはスペクトラムとして連続性のある症状なので、最近では神経発達症群という表現で、幅広く神経の発達が多くの人たちよりも特徴的なグループとして理解されることもあるようです。
そもそも、支援は診断名によって決まるのではなく、どんなことでどれくらい困っているのかという点でアクセスしやすく、必要な人に届くという仕組みが必要だろうと思っています。そして、支援よりも理解や配慮の方がむしろ大切だったりするので、理解、配慮、支援のすみわけやあり方にも整理が必要そうです。
ただ、「概念によって、支援から遠ざかっている」とい側面は今回指摘の内容にとどまらず、鋭い論点のような気がします。人々の概念が、私たちの社会のありようを左右します。だから、概念が変われば世の中も大きく変わる可能性があるということですね。カエルはそこに期待をしています。

update 2025/4/14
Q.人(大人)を信じられない。信じて相談して裏切られたら、と考えたら怖い。
この記事の担当 やみーペン

Q.人(大人)を信じられない。信じて相談して裏切られたら、と考えたら怖い。でも一人ぼっちな感じがして寂しくて死にたくなってリスカ・ODしちゃう。そんな自分も嫌になる。相談したい気持ちもあるけど裏切られたらそれこそ死んじゃう

A.裏切られた経験があるから怖いのかな…。ってやみーペンは想像した。大人は何気ないことだったとしても、裏切られた感が染みついちゃうことってあるし…。やみーペンは直接の相談は逃げにくいけど、SNSを使った相談は自分が嫌だ!って思った時に逃げやすいからおすすめかな~

update 2025/3/31