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タグ社会派
Q.自己表現が苦手。わかりやすい方が手を差し伸べて貰える確率は高いと思うけど…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自己表現が苦手です。困っていても辛くても、話しかけてほしくなさそうとか平気そうに見えるようです。わかりやすい人の方が手を差し伸べて貰える確率が高いと色々経験してきて思うのですが自分も同じようにやろうとしてもうまくいきません。どうすればいい?

A.ウ・サギも自己表現が弱いタイプなので、補足の内容も含めて、「わかる…」と深く頷いてしまう気持ちで読みました。
自己表現の傾向というのは、環境に影響されて抑えられたり伸びる部分もありますが、ある程度は個性であるとウ・サギは思っています。だから変えようと思って完全に変えられるものでもないというか、発信する側が工夫した方が良いのは事実だとしても、受け取る(手を差し伸べる)側の拾う力をもっと向上させてほしい…というのがウ・サギの基本的な考えです。
支援する人自身が自己表現の苦手なタイプであれば、平気そうな人も適切に気にかけることがしやすいとは思うのですが、自己表現が苦手だとその人自身がピンチなことが多そうなので、手を差し伸べる余裕のある人が少ない気がしています。

自己表現がわかりやすい=言動に出てしまうタイプは、周りにいい人がいれば助けてもらう確率は高いのと同時に、周りの理解がなければ攻撃されたりピンチになる確率も高いので、どのタイプも一長一短なのでしょうけどね……。
平気そうに見えてつらいタイプは、とりあえずの信頼を得られたりトラブルになりづらいのは長所なのでしょうが、そもそものつらさに加えて、結局は困らせたもの勝ちなの?などともやもやを抱えてしまうところが苦しい部分だとウ・サギは感じます。でもそう思う自分を責める必要はなく、「助けてほしい」という思いがどこにもいけないと、それが妬みや憎しみに変質するのは自然な現象だとウ・サギは思っています。それを誰かに向けてしまうと、自分にも周りにもあまり良いことが起こらないかもしれませんが、自分に妬みなどががあること自体は「自分が泣いてるんだなあ」と受け止めてあげていいと感じています。
平気そうに見えても気にかけていこうキャンペーンを本当はしたいですが、まだなかなか力及ばず……。文章で伝えてみるとか、カウンセラーや相談員など相談されるのが仕事の人を選ぶとか、やれる工夫はあるといえばあっても・・・う~ん、やっぱりなんだか理不尽でもやもやしてしまいます。

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update 2025/8/16
Q.某放送局の訪問員から連日長時間にわたってチャイムを鳴らされたことがトラウマ
この記事の担当 ウ・サギ

Q.某放送局の訪問員から連日長時間にわたってチャイムを鳴らされたことがトラウマになりテレビが見れなくなりました。その放送局は生きづらさを抱えた人に向けた番組やサイトも運営しています。それを二面性だと捉えて気持ち悪い怖いと感じるのはおかしいですか

A.なかなか悩ましい、苦しい様子が伝わってきました。気持ち悪いと感じるのは全然おかしくないとウ・サギは感じますし、ウ・サギとしても比較的共感できる感じ方でした。
一応事実を整理してみるなら、組織といっても個人の集合体で、いろんな人がいろんな気持ちやスタンスで関わっているので、矛盾や多面性は多かれ少なかれ生じるだろうとは思います。訪問員の行動についても、やり方は上から指示されたものからやや外れて(拡大解釈などが起こって)現場の独断が入っていたり、訪問員のコンディションが何か悪かったなど個人的な要因もあるかもしれません。ただ、放送局の名前を出す訪問員である以上、放送局側の存在であるのは明確な事実なので、生きづらさに寄り添うスタンスと、生きづらさをさらに深くする(結果、トラウマまでを感じさせてしまう)行動をした点には、二面性や気持ち悪さを感じるのはまっとうだと思います。
補足に、もともとチャイム音が苦手ともあったので、トラウマの責任が某放送局だけにあるとは言えないにしろ、連日長時間にわたって、というのは普通に恐怖体験だと感じます。
訪問員の側にも、やらないといけないことやプレッシャーなどもあるかとは思いますが、目的のためにやっていい範囲のことと、どんな崇高な目的があろうとやるべきではない範囲の行動があるとウ・サギは思います。目的だけが先走し、優先されることで、人間を尊重できなくならないよう気をつけたいものです。

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update 2025/8/14
Q.カウンセリングが高すぎて受けられなくて困っています。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.カウンセリングが高すぎて受けられなくて困っています。
でも誰もこの問題に関心がないみたいで、分かってくれる人が全然見つからないし、どうしてそうなるのかがわかりません。

A.カウンセリングが高いという話はカエルはよく聞きますよ。同じ問題意識の人はけっこういると思います。特に子どもの頃に虐待を受けたり、いじめを受けたりして心の不調やトラウマからの回復に時間がかかっている場合は、傷つけられたことでも十分理不尽なのに、自分の回復のために自分で病院を見つけてお金を払い続けて、ケアをしなければならないのは本当に理不尽だという人はいます。カエルも理不尽はその通りだと思います。虐待やいじめ、DVなどの暴力は社会の課題であり、被害を受けた当事者に責任はありません。そうした人たちが無料あるいは収入に応じた負担でケアを受けられる仕組みは必要だと思います。そうした暴力がない場合でも理由や事情によって、必要なケアが受けられるような仕組みは必要だと思います。
また、そのためにはカウンセリングだけではなく、いろいろなセラピー的なことや参加できる活動プログラムや居場所、暮らしのサポートも準備される必要があると思っています。

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update 2025/8/9
Q.苦手な虫に一人暮らしの家の中で遭遇してしまい、退治がとてもつらかった。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.この前一人暮らしを始めたのですが、虫が苦手すぎてつらいです。特にGがつらいです。この前家の中で遭遇してしまい、実家では見たことがなかったため耐性がなく、退治がとてもつらかったです。

A.ウ・サギの住んでいる地方にはGがいないので、そのショックは想像しきれませんが、苦手な虫が家(安心したい場所、自分の領域)に出てくるのはなかなかメンタルにくるものがあると感じます。一人暮らしで自分だけで対処するとなると、気持ちが動揺したまま、どうにか行動もしなくてはならないので、負担はより一層大きいですよね……。
苦手なことは、誰かに助けてもらうのが一番だとウ・サギは思います。なぜなら、自分が苦手なことでも、誰かにとっては全然苦手じゃなかったりむしろ楽しめたりすることさえあるし、ささやかな手伝いをするだけで誰かが助かったり喜んでくれるなら、それは結構嬉しい(少なくとも悪い気はしない)ことだからです。苦手について助けを求めるのは、誰かの活躍のチャンスをつくるという価値があると思います。
苦手を気軽に言い合えて、私はそれなら手伝えます!といろんな人が力を発揮できる世界で生きていきたいとウ・サギは感じるのですが、今は我慢や努力が必要以上に推奨される風潮があるように思います。どうしてそうなっているのか、どうしたら変えていけるのか、今度研究してみたいです。

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update 2025/8/9
Q.自分が何もできないって思わない方法ってありますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分が何もできないって思わない方法ってありますか?

A.それは、「何もできない」と思う気持ちがターゲットではなく、「何かができないとだめだ」と思う気持ちが敵と見ました。できるできないという指標で行くと、どんなに優秀と言われるようなできる人も野生に放り出されたら一人で生きていけないという意味で、人は誰もが完全に無力な存在だとカエルは思っています。
質問者さんが何でもうまくできないといけないと思うのは、どこからくるのでしょうか?できなくても、誰かが代わりにやってくれればいいじゃないかと、見えていないだけで私たちは他の人にやってもらっていることの方が現実的には多いのだと、カエルは気楽に思います。でも、できるできないという指標にしばしば悩まされます。おそらく、「できないよりできた方がいい」「できないのはだめだ」という固定的な価値観に染まりすぎていて、もはやそれについては、謎の病認定をしたいぐらいです。無力さや弱さ、人間の限界を認めて、支えあう病をカエルは流行らせたいです。

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update 2025/8/5
Q.AIは便利だけど、人間のやりたくてもやれないことが取られそうで受け入れられない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近動画やイラストに多用されているAI、人々の負担を減らすことが出来るとても便利なものだとは理解しているんだけれど、その分人間のやりたくてもやれないことが取られてしまいそうで、どうしても受け入れられない。新しい世の中に順応出来ないのが辛い

A.AIは、本当に急激に進歩してますよね…。ウ・サギとしても、これをどう受け止たらいいのか、どうしたらうまい活用になるのか、まだ戸惑っているところです。良い点も多くあると思いますが、「便利だね!」というだけで受け入れていくと、何か良くないこともありそう…?とは感じています。
具体的には、人間のクリエイティビティの価値はどうなるのかという点と、AIができる作業だとしても作業をしたい人間はいるのではないかという点(結果だけが見られ、プロセスの価値がおざなりにされて、人間らしい生活が失われていくのではないか)が気になります。だから、質問者さんの受け入れられなさには、共感できるものを勝手ながら感じました。
逆に、ウ・サギがAIの発展で明確に希望を感じているのは、IQが高い=優れた人間とでもいうような能力主義は廃れるのではないか?という点です。記憶する能力、集められた情報を処理する能力はAIに叶わないので、そういったものを身につけるためにあまり時間を割かずに、人間らしい(という表現はちょっと微妙かもですが、どんな人も自分らしく生きていく)生活には何が必要なのかをみんなで考えていくことに時間を使っていきたいです。
例えば、最高効率で経済を回していく方法や、地球環境を守るための最適な方法は、人間の誰よりもAIが正確に導き出せるでしょう。でも、どんな人も自分らしく生きていけるというのがどういうことなのか、どうしていけばいいのかは、人間の対話の集積でしか導き出せないし、対話によって更新し続けるものだと思っています。もしAIの答えが正解だろうと、その対話のプロセスに参加していくことができないなら、それを人間は正解だと感じられないとも思います。
だから質問者さんは「順応できない」ではなく、まさにAI時代に人間がやるべき大切なことをやっているようにウ・サギは感じました。自分の感性や感情を発揮し、問いかけ、対話することを、ウ・サギはこれからも重視していきたいです。

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update 2025/8/5
Q.学校を休んだとき勉強をするためにスマホを見たら親に「携帯見てる場合じゃないだろ」と言われた
この記事の担当 うさえなが

Q.この間咳が出るから学校休んだんだけど。学校の授業始まる時間から勉強しようと思ってスマホ見てたら、親に「学校休んでんのに携帯なんて見てる場合じゃないだろ」って言われました。学校休んだら携帯見ちゃいけないの??とっても不思議です。

A.う~ん、不思議!
何してもいいじゃん~

*ウ・サギから補足*
親の発想としては、携帯を見る=遊んでいる・サボっている、休む=遊ぶだけのエネルギーもないはず、子どもの成長=遊ぶよりも学びであるべき、とったカチコチの考えが重なっての言葉なのかなとは感じました。でも、それらの発想は全部ウ・サギは気に入らないですし、とっても不思議です、に同意です。せめて、携帯で何をしようとしてるの?と確認した上で、自分の考えを感情的にならずに伝えてほしいと思いました。
ただ、子どもの健全な成長のためには、スマホは使いすぎない方がいいとは強く思っています。何かに依存しないと生きていけないような環境もあるかと思うので、スマホ依存になってしまった子どもを責めるつもりは全くありませんが、どんな環境や関わりが子どもの成長のためにはいいのかについては、大人たちがみんなでもっと考えて議論していくべきだと思います。そのあたりを十分に深めずに、子どもに努力や自制を強いるのは話がおかしいのではないか?と、ウ・サギは考えています。

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update 2025/8/3
Q.社会復帰を目指しているが社会から孤立している。誰かの何かの役に立ちたいのになぁ。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.後天的に持病で精神に障害を持っています。社会復帰を目指していますが、社会から孤立してしまっていて途方に暮れて立ち尽くしています。何もできないことが無力で誰かの何かの役に立ちたいのになぁ。

A.カエルはどんな状況にある人でも何歳になっても、社会貢献はできると思っています。
おそらく、「誰かの役に立ちたい」というあたりがポイントのような気がしています。誰かの役に立つというのは、目に見えて相手がわかるような直接的な「役に立つ」をイメージするかもしれませんが、実はそれだけではなく、間接的に役に立つことの方が多いとカエルは思っています。例えば、電気や水を少し節約するだけでも、地球環境への負荷を減らせます。宅急便の受け取りを確実にする(再配達を避ける)だけでもドライバーさんに優しかったりするとカエルは思うのです。値引き品を買うことも、自分のお財布にも優しいですが、商品のロスを減らすことにつながります。つまり、日常の何げない工夫が誰かの役に立つことは本当はたくさんあります。その積み重ねが私たちの暮らしを守ったり、誰かに負担を減らしたりするのですが、そうしたことはあまり注目されずにいる気がして、もったいないとカエルは思うのでした。カエルはそういう意味で、一人ひとりが自分の暮らしの中でできることを持ち寄ることが平和や暮らしやすさ、支えあいの土台になると思っています。

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update 2025/8/3
Q.自立できない自分が辛すぎて苦しいし無気力。誰かに助けを頼むのはおかしい?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自立できない自分が辛すぎて苦しいし、無気力。何かに取り組み始めてもすぐに辞めてしまう。半年続いた仕事がない。仕事探しもしなくなってしまった。誰かに助けを頼むのはおかしい?

A.まずは「自立とは何か?」という点について確認が必要ですね。自立というと、「自分の力で生きていく」「自分で稼いだお金で生活し、一人暮らしする」みたいなイメージが大きいですが、そうではないとカエルは考えています。
いろいろな分野で諸説あるのですが、自立とは「必要に応じて手助けを活用しながら、自分の主人公として生きていくこと」というのがカエルの理解です。自分の主人公というのはちょっとわかりにくいですが、意思決定や選択は自分でやっていくという感じでしょうか。

なぜ、こういう理解をするかというと、能力の違いで自立できる人とできない人を勝手に決めてしまわないためです。仕事をして生活費を稼ぐことを一人前や自立の基準にすることも多くみられますが、稼げることはたまたま持っていた能力や、社会や企業の都合よくふるまえる人が稼げるという運ゲーの側面が強すぎて、自立の基準としてはあてにならないし公正ではないと思います。
また、お金をいくら稼ぐことができても、自分の力だけで生きられる人はそもそもいません。毎日食べている食べ物はいろいろな人たちの力によって作られ、運ばれ、加工され、流通し、売られ、調理され…などなどたくさんの働きや仕組みを経て私たちに届いています。同じようにして、日々使っているスマホも家電も身近な日用品もすべて、自分の力だけでは何も得ることはできなくて、その点においては稼げる人でも稼げない人でも自分以外の人に依存しているという意味では変わりはないのです。それが、ちょっとした運ゲー要素でお金を稼げる人だけが「自立している」というのはちょっと乱暴だし、とても一面的な気がしています。

そういう意味では、自分に何ができるか真剣に考えて、仕事を探し、試している質問者さんはカエル定義では十分に自立に向かっていると思いました。そして、自立のためにぜひ、人を頼ってもらいたいと思います。人をうまく頼れることがもっとも自立のために大切だとカエルは思っています。それはカエル自身の経験からも実感しますし、周りの生きづらさを持っているオタマジャクシたちの様子からも心からそう思います。仕事は続けられることだけが正解や成功ではなく、やってみて難しいとなれば、難しかった理由がわかったり、次に生かすことができるのなら、やってみたこともやめたことも失敗ではなく、一つの成果だとカエルは思っています。
でも、一人でできることはとても限られるので、自信をもってどうぞ誰かに助けを頼んでください!

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update 2025/7/27
Q.セクマイなのでアプリで付き合おうとしても身体の関係に持ち込まれて自己嫌悪。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつまで経っても愛し方と愛され方がわからないまま、セクマイなのでアプリで付き合おうとしても、望んでいるわけではないのに身体の関係に持ち込まれてその度に自己嫌悪。
どうすれば健全な感情の関係を築ける?

A.愛し方や愛され方以前の問題として、望んでいるわけではないのに断り切れない、というところに社会の闇と人間関係の難しさをウ・サギはとても感じます。
それは個人のせいではなく、とくに親子間や恋人関係において境界が曖昧になりやすい文化、自分の気持ちを理解し発信していくのを学ぶ機会の圧倒的な不足(残念ながら学校教育は逆のことを身につけさせてしまう場合が多いと感じます)など、社会の方に問題があるとウ・サギは思っています。

補足の内容から、育った環境の中で(相手に悪意がないとしても)心の繊細な部分を踏みにじられてしまった経験が少なくないと感じたので、そのあたりが愛を求める気持ちと愛がわからない混乱のようなものを大きくさせているのかな・・・とも想像しました。ウ・サギは恋はこれまで満たされなかったものを何かで埋めようとする側面があると感じてしまって、恋愛は愛よりも支配に傾いてしまいがちな、危うい関係性だとも感じています。
健全な感情の関係を築くのは、本当に全然簡単なことじゃないと我が身を振り返っても思うので、どうすればいいか?への答えの自信はないですが、自分の感情を知ることが大切だとは思っています。寂しさはどこからくるのか、恋愛に何を求めているのか、断れないのはどういうメカニズムで起こっているのか・・・。それは人間関係の中でしか見えてこない部分はあるので、これまでの経験も学びだとは感じました。

また、身体の関係にすぐ持ち込まれないようなセクマイのお付き合いを求めるなら、クワセクシュアル、デミセクシュアル、グレーセクシュアルなど、「恋愛=性的な関係をもつ」という価値観を無条件ではもたない人との出会いを探してみるのもありなのかな・・・?とは思いました。出会い方についても、マッチングアプリよりは、どんな恋愛関係を求めるかの自己紹介(にじいろ学校というNPO法人で発行しているテンプレートがよく使われています)が書いてある人とSNSで関わってみるあたりから始めてみるのもいいかもしれません。SNSはSNSで危険もありますが、フォロワーとの関わりなどを含めて、相手のことを知る材料はマッチングアプリよりは多そうです。
恋愛メインの結びつきよりも、生きづらさの部分や周りに感じるもやもやを共有するような結びつきの方が(そこから恋愛に発展していくのも全然あると思いますし)、寂しさはあまり埋まらないかもしれませんが、ウ・サギ的にはおすすめです。

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update 2025/7/27