PAGE
TOP
タグ社会派
Q.結婚じゃない理想の生活共同体宣言ってなんだろう!!!!!
この記事の担当 ウ・サギ

Q.結婚じゃない理想の生活共同体宣言ってなんだろう!!!!!

A.そもそも結婚を当事者や世間が「生活共同体宣言」と捉えているか自体が謎な気はしますが(他の側面もありそうです)、結婚はさておき、今回はウ・サギの理想の生活共同体宣言について書くと、
・つながりはお互いへの情緒的結びつきではなく、こういった社会づくりをしたいという理念の共有が軸になっている
・2人ではなく3人以上でもチームを組めて、抜けたいときは自分の意思だけで(全員の合意がなくても)抜けられる
が最低限確保されてほしいと思っています。なんかそう書いていると、生きづLABOのメンバーもゆるやかな生活共同体宣言をしていると言えるかも?なんてちょっと思えてきました。みんなで社会づくり共同体宣言をしましょう!!

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/31
Q.どうせ学校に行くなら受験のためじゃなく将来絶対役に立つことを学びたいと思った。どう思う?
この記事の担当 所長室

Q.最近、どうせ学校行くんだったら受験のためとかじゃなくて将来絶対役に立つことを学びたいなって思った。ビジネスマナーとか、税金とか、法律とか、セルフケアとか、多様な性のあり方とか、簡単で美味い飯の作り方とか、そういうの。皆さんはどう思いますか?

A.ウ・サギ:ウ・サギが学校で得たのは「集団や組織ってこういうものなのかな」という社会への理解のヒントと、「自分は集団には向いてないし好きじゃないな」「でもこういうのはキライじゃないかも」という自己理解のヒントだった気がします。知識や技能は後でいくらでも身につけられるとウ・サギは感じているので、どうせ学校に行くなら責任を背負わされない猶予期間を活かして、体験の中で自分や世界を知っていくのが大切な気がしています。ウ・サギはいわゆる学校のお勉強で学べたことは特になかったですが、勉強を教える側になったときは「できないことができるようになった」「わかった!」という感覚が子どもにとって一つの大切な機会になるのは感じました。まあそれらはどれも必ずしも学校でやる必要はないので、それぞれに合った場所で、それぞれのタイミングで機会が保障されてほしいと思います。

しきぶとんゴロン猫:生きることを総合的に学ぶのが学校のハズなのに、受験のための学校化にモヤモヤするゴロン猫がいます。「この学びの延長に生活や暮らしがあることを実感できるか、それをどう伝えられるか」先生方にはテストの点数以上に気にして欲しいと思ってしまう。答えはひとつとか、平均的だとかを教えられることの窮屈さを、いつも感じて学校生活を送ってきたゴロン猫でした。

もふぱか:もふぱかが学校で学んでよかったこと、今となっては当時こういうことを学べたらよかったのになぁ~って思うことを考えてみたんだけど、学んでよかったことはすぐには浮かばないかも…?学ぶっていうのは知識を教えてもらうことだけじゃくて、体験や経験もあるし、学びやすい方法は人によって違うことは知りたかったな~って思ったりした。何が将来に役立つかは結構わからないものだなって思うけど、画一的な勉強やルールで得られる学びは少なかったと思う。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/31
Q.以前質問した者です。助ける側に施してもらっているんじゃないんだなと思いました。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.Q.働けなくてごめんなさい、家事できなくて頑張れなくて生きていてごめんなさいと罪悪感で苦しい
の質問者です。助ける側に施してもらっているんだと決めつけていたけれど、そうじゃないんだなと思いました。個々人のマッチングや役割の分散、つながりの少なさ、社会構造が背景にあると教えてくださりありがとうございます。「質問者さん個人の問題ではない」という言葉に救われました。丁寧な回答を本当にありがとうございます。

A.私たちが社会から様々な影響を受け、関係性でお互いに影響を与え合って生きている以上、どんなことも個人だけの問題というのはないとウ・サギは考えます。個人の感じ方としては「自分は助けてるし、それは施しをしているんだ」という人もいるはずですし、それはその人にとっては真実なのだと思いますが、本質的な解決を考えるためにも、ウ・サギとしては社会構造に目を向けていきたいです。
といっても、ウ・サギも余裕がないと「誰々が悪い」と他者に原因を求めたり、「自分がこうしていれば…」と自分だけに責任を求めてしまったりするので、感情が個に向いてしまうときがあるのも自然なことなのだろうと思います。でもそういうときはカエルさんとかと話していると、徐々に感情的な考えが抜けてバランスよく考えられるようになるので、思いを外に出す機会があることが大切なのだろうと感じています。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/31
Q.いわゆる生きづらいとされる人がマジョリティの世界になったら今のマジョリティは肩身が狭くなる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.もしも今の社会でいわゆる生きづらい人とされる人がマジョリティの世界になったら、生きづらい人優位な社会になって今のマジョリティは肩身狭くなるとかありますか?

A.発達特性少数派、過敏や虚弱、病気や障がいをもつ人、民族マイノリティ、セクシュアルマイノリティなどが(他にもたくさん生きづら属性はあると思いますが、一応例を並べました)マジョリティになったら…ということでしょうか。ちなみにマジョリティの正確な定義は多数派ではなく、その属性があるだけで社会的に優位となるものを指すので、「生きづらい属性があるだけで優位になるが、全体の数では生きづらい属性のある人のほうが少ない」という世界で想像させてもらいたいと思います。そもそも数が生きづらい人のほうが多くなるなら、今のマジョリティは肩身が狭くなるどころか、「自分がおかしいのでは」などと今のマイノリティが感じるつらさをそのまま感じるだろうとウ・サギは確信しています。
今のマジョリティの中で少数派だが優位となる属性を考えると、いわゆる容姿端麗、芸能人、プロスポーツ選手、お金持ち、高学歴とか……?つまりみんなに羨ましがられ、社会でやっていく上で不安も感じにくい立場になる・・・ということは、生きづらい属性があるほど尊敬されてお金まで貰えるみたいな構造が生きづらい人マジョリティの世界になるのでしょうかね……。そうなると今のマジョリティは肩身が狭くなるよりは、どうして自分には生きづらい属性がないんだろう、自分も生きづらい属性をもって生まれたかったと思うかもしれません。自分の健康を憎んで、わざと不健康な生活をしたり後遺症の残るようなケガをしたり、セクシュアルマイノリティやADHDなどのふりをすることが流行る可能性もありそう……?でも後天的な障がいだと評価が低かったり、セクシュアルマイノリティや発達障がい自認が本当なのかのチェックが厳しかったりになる・・・?なんだかどうにも、あまりよろしくない世界に感じます。
どんな属性があっても、見下されることもなく、属性だけで優遇されることもない、公正な社会をつくりたいと改めて思いました。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/28
Q.「社会モデル」と「個人モデル」はバランスが大切なのでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「社会モデル」と「個人モデル」はバランスが大切なのでしょうか?

A.カエルとして一人ひとりを大切にする公正な社会のためには「社会モデル」が基本だと思っています。ただ、教育の限界や競争社会の中で、個人モデルの発想や考え方は人々の中に根付いていると思います。だから、個人モデルの発想は個人の中にちらほらあるだけならそれはそれで自然だと思いますが、個人モデルの考え方は歴史的に見ても、時に暴走して大きな人権侵害を起こします。だから普段から暴走しないように、社会の在り方として「社会モデル」が大事だよって確認する作業が必要だと感じています。バランスの問題というわけではないと思うのですが、我々の中である意味、両者のせめぎあいというのか、揺れのようなものはあると思います。ずいぶんと前から社会モデルが大切だと言われていますが、現実は社会モデルにあまり近づいていないように感じているので、社会モデルが基本になるためにどうしたらいいのか試行錯誤の生きづLABOです。

回答:生きかたカエル

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/28
Q.家族、ないしは支える存在って不安定だなぁと、ふと思ったんです。実際のところどうなんでしょう?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.家族、ないしは支える存在って不安定だなぁと、ふと思ったんです。実際のところどうなんでしょう?

A.詳細な補足をありがとうございます。読んでいる人に話がわかりやすくなるように、一部紹介させてもらうと、「支え合うことが一番だとは思うが、どちらかの負担が一方的に大きいのがほとんどじゃないか?」「だいたいの人が常に無条件に受け入れてくれる、それこそ母親のような人を欲しているのでは?」「社会人にそのような人がいるのはよっっっぽど恵まれた人じゃないと無理な気がする」といった話ですね。質問者さんの身近な人同士の関係性や、自分の経験や思いから湧き出てきたぐるぐるなのだろうなと感じ取っていました。
世の中は助け合いという理念をウ・サギは持っていますが、負担がお互い全くない関係性なんてないし、負担がいつも平等な関係性が難しいのも事実だと思います。ただ、それが不安定に結びつくかはまた別の話で、いわゆる「支える側」になっている人が自分を守るために境界をきちんと引けるかや(無理なものは断る、過剰に責任を感じないなど)、共倒れしそうなときにサポートしてくれる支援機関や第三者がいるかなど、調整の力やチームとしての支えがあるかがポイントだと思います。今の社会を見ていると、人間関係における大切な境界を学ぶ機会が全然足りず、家族は家族で支えろといった風潮もあり、「家族、ないしは支える存在って不安定」というのは的を得た指摘だと感じます。
「だいたいの人が常に無条件に受け入れてくれる、それこそ母親のような人を欲しているのでは?」については、ケアが十分に足りて心身が発達すると自分で自分の存在を無条件で受容する力がつくとウ・サギは感じるので、他者から無条件の受容がほしいという感覚は失われる気がします。よしよしされたい!とケアを外注するときは勿論あっても、誰かに100点を求めることや無条件を求めることはなくなって、使い分けや割り切りの中で、自分で自分の面倒を見ていけるというのか・・・。でもきっと現状は多くの人がケアの十分ではないまま年齢が大人になってしまって、大人になったことでさらに「大人なんだから」と社会生活の中で圧やストレスを受けて、その反動から無条件の受容や愛を求めてしまっている気がします。
また、もし親子だろうと無条件の受容はウ・サギは存在しないと思っていて、無条件の存在の承認があるだけのように思っています。「あなたの存在そのものや感じていることは無条件に尊重しています。だから私にも限界や感情があることを(あなたのキャパの範囲内でいいので)理解して尊重してほしいです」がウ・サギの理想の関係性です。それが成立すれば、片方の負担が重くなるときがあっても、なんだかんだ大崩れはせずに世界を回していけるのではないかと思っています。(でも自分自身のメンタルが大変だった時期は、それができずに関係性を何度も崩壊させてきたウ・サギなのでした)

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/28
Q.親のこと
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親のこと

A.親のこと・・・に悩んでいるという話でしょうか。情報量が少なくて何をどう答えるか悩みますが、ウ・サギの思う「親のこと」を呟かせてもらいますね。
子どもが親を選んだわけでもないのに親は無条件で子どもに対してけっこう絶大な力をもっているのが、ウ・サギはなんだかヘンテコというか危険な仕組みじゃないか……?と感じています。たとえば別の家に住むなど距離を置くことが気軽にできたり、誰かが子どもの味方となって間に入って調整してくれないと、親子の相性が合わなかったときに子どもがあまりに苦しいなと思います。それなのに親には感謝しなさいみたいな風潮まであって、子どもは子どもであるというだけで、生きるのが苦しい気さえしてきてしまいます。
とりあえず生きづLABOは親への愚痴歓迎なので、何か書きたいことがあったらまたどうぞ。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/26
Q.福祉に頼るのは理解できるが、周りに何らかの意味で「いてよかった」と思われるのが大事ではないか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.福祉に頼るのは理解できるのですが、頼り切りになるのではなく、周りに何らかの意味で「いてよかった」と思われるのが大事なのではないでしょうか。これは重度障がいの人に対しても同じくそう思います。

A.福祉は「支援を受ける」という意味ではなく、本来はお互いに支えあってできるだけ多くの人たちの幸せを実現させる取り組みという意味があります。だから、福祉制度という狭い意味で言うと利用する人と提供する人という区別ができてしまいますが、暮らしの中の福祉的な取り組みという意味では、いろいろな場面で誰かに支えられたり、支えたり、励みになったり、励みにされたりと相互関係が当然あり、それが福祉の本質だろうとカエルは思っています。だから、頼りきりになるというのは通常ではありえないことだとカエルは思うのです。質問者さんの言う通り重度の障がいがあっても、誰かの心の支えになっていたり、存在意義としていられる場合もたくさんありますし、ケアをする人たちに学びの機会や就労の機会を提供していることもあります。ただ、「いてよかった」という基準はとても曖昧で、立場の強い人たちの意向によって価値が決められてしまう恐れもあるとカエルはちょっと心配します(人間の歴史ではいろいろなことがありました)。ただ、こうして福祉とは何か?頼るとは何か?ということを考えることはとても大切だと思います。

回答:生きかたカエル

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/26
Q.配信で回答していた「働き放題割」などについて詳しく教わりたい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.第35回配信質問4の「世の中の半分くらいが個人事業主になり、それを支える人が多くいる社会」「働き放題割」について詳しく教わりたいです。例えばどんな事業が生まれるんだろう?

A.新しい働き方の妄想に興味をもってくれてありがとうございます。どんな事業が生まれるかはいろいろな人たちが自分の得意なことやできそうなことを自分に合わせて事業をおこすことになるので、めちゃくちゃバラエティ豊かになると思っています。働き放題割も時間に縛られて働くのではなく、自分のペースで自分の働ける分だけ働くような働き方も増えるかなと思っています。会社という大きな組織の都合に合わせて個人が動くのではなく、個人の都合や事情に応じて働くがデザインされる未来は考えるとワクワクするカエルです。

回答:生きかたカエル

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/23
Q.昔にいじめに同調してしまった。すごく酷いことをしてしまったと今は思う。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.昔いじめに同調してしまったり、傍観してしまったことについて、すごく酷いことをしたと今は思う。もうそんなことは絶対したくないけど、また同じことをしてしまうのではないか、してしまっているのではないかと思う。電車で噂話のようにその場のかたの悪口を言っているかたがいても何も言えないし。

A.傍観してしまったことを悔いる気持ちを今後、生かすことが大切ではないかとカエルは思いました。カエルもいろいろ思い返すと誰かを傷つけてしまったり、ひどいことをしてしまったことはたくさんあるだろうと思います。そして、傍観という観点でいくと、我々が知らないだけで、身近な便利な暮らしが、実は遠くの国や地域の人々の生活や環境から搾取することで成り立っていることもたくさんあるとカエルは思っています。自分たちの見えている範囲や知っている範囲だけで物事を考えられないほど、地球規模でたくさんの格差と搾取があることを、カエルは時々、思い知ります。とはいってもすべてを知っているわけではなく、いろいろな人に教えてもらったり、新しい情報を得たりして、「こんなに知らないことがあった…」と思うのです。だから、いくらひどいことをしたくないとしても、これだけの社会が広くつながっているのだから、自分のふるまいや考え方がどこかの誰かの生活につながっているかもしれないことを意識して、視野を広く持つことは大切にしたいと思うのでした。

回答:生きかたカエル

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

うさえなが所長
うさえなが所長

どんな質問でも歓迎!質問を送るときは、いろんな人の質問に答えるために、3日に1回くらいにしてね~。

update 2026/7/23