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タグ社会派
Q.強制的にやらされていることは、ものすごく態度悪くやってやろうかと昔思っていて…
この記事の担当 生きかたカエル

Q.昔、やりたくないことを強制的にやらされてると感じていたときに、
「ものすごい態度悪く文句言いながらやってやろうか、強制した相手はそれぐらい我慢すべきだよな本来、それが嫌なら相手は最初から強制しないべきだ」みたいなことを思っていた記憶があります。
確かに、態度悪く行動されたり文句言いながら行動されたりするのは逆の立場で考えれば嫌だし、当時の俺の考えが正しいとは言えないかもしれません。でも、当時の俺が切実にしんどくて、そのような考えを抱いていたのも確かなことだと今の俺は思いますし、素直に言うと、強制される側が強制されても仕方ない状態・状況だったとしても強制する側は、される側の、嫌だ、やりたくない、という気持ちに最大限寄り添ってほしい、と俺個人は思います。
でも俺が逆の立場だとそれを実行するのは難しいのかなとも思います。俺個人の我慢ばっかりで嫌だった、甘えさせてほしいという気持ちも強いと感じます。
どう思いますか?

A.強制の意味がとても難しそうだと思いました。強制している側と強制されている側で、見解が相当に食い違っていそうです。強制は、力や立場が強い者が、弱い者に対して強いるものであるとカエルは思うので、その時点で強制する側の力の濫用であり、不当なのは強制する側です。それに対して、すごい悪い態度で応えるのは、不当な扱いを受けた弱い者のある種の異議申し立てと捉えてもいいとカエルは思います。
だから、悪い態度そのものを「してもいいもの」として正当化するのではなく、立場の弱い者による正当な表現だとカエルは思います。本当は不当な強制が許されない社会になってほしいですし、強制ではなく交渉が広がってほしいと願うカエルです。

回答:生きかたカエル

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update 2026/5/4
Q.「本人の意思」を持ち出して困難や被害をその人のせいにするのは残酷すぎると感じる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「本人の意思で選んだのは事実」だとしても、本人の状態・状況故に他の選択肢が選べない、もしくは選ぶのが非常に困難だった場合、「本人の意思」を持ち出してその人の困難や被害をその人自身のせいにするのは、俺は残酷すぎると感じる。また、仮にその人が他の選択肢が容易に選べた場合でも、困難や被害を全部その人のせいにするのは絶対違うと思うし、むごすぎると感じる。
どう思いますか?

A.選択肢がなくて選ばざるを得ない状況は自由意思の選択ではないとカエルは思います。特に被害や困難に関しては、当事者の意思や選択の責任を問うようなケースがありますが、それは論点のすり替えが多いとカエルは思っています。
どんな本人の意思や選択があったとしても、被害や困難を受けてもいい人はおらず、責められるべきことはないのです。ましてや、多くの被害や困難を被った人たちは選択や意思に対して十分なチャンスがなかった、あるいは奪われてきた場合が多いです。当たり前のことを当たり前に保障されなかったことはとても分かりにくく、最後の結果だけを見て、自己責任を問うことは、今の社会の生きづらさを引き起こす大きな課題だとカエルは思っています。
何だか、難しく書いてしまいましたが、質問者さんの「残酷すぎる」という訴えにはカエルは強く賛同します。

回答:生きかたカエル

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update 2026/5/4
Q.恵まれた環境にいるけど死にたくて、私はどうしたらいい?
この記事の担当 所長室

Q.恵まれた環境にいるけど、死にたくて、自業自得だけど、明るい未来が想像できなくて、毎日頭の中でいつか自殺する日のための想像をして、誰にも助けてと言えなくて、私しか私を助けられなくて、元気なふりしなくちゃいけなくて、私はどうしたらいいんですか?

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update 2026/5/3
Q.アンチじゃないが生きづLABOは理想の話ばかりしてると思う
この記事の担当 所長室

Q.アンチとかじゃないけど生きづLABOは理想の話ばかりしてるなと思う。現実を変えるためにはまわりの大人に頼っていく必要があると知っているけどそれは怖い。自分をしんどくしている社会の根源を生きづLABOに倒してほしいと思ってしまう。

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update 2026/5/3
Q.大好きなぬいぐるみさんと結婚したいが社会から変だと言われている気がする
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大好きなぬいぐるみさんを彼氏としてもう2年交際しています。ぬいぐるみさんと結婚したいのですが受け入れてくれる式場も少なく社会から変だと言われている気がしています。でも本気で愛してるんです。人を愛する事と何が違うというのでしょうか?

A.なるほど…熱量がとても伝わってきました。愛の形は実に多様なものだと思いますし、ぬいぐるみさんが彼氏でも誰かの人権を侵害することはないはずなので、結婚式を挙げたいならその希望が叶うことをウ・サギは応援したいです。理解や共感をしてくれる人は多くないかもしれませんが、誰かに否定される筋合いもないし、式場としても適切な費用を払ってくれるなら、たぶん問題はないよね…?と思いました。(ウ・サギは相手が何者だろうと式場で結婚式を挙げる気は一切ないので、事情は全然詳しくないですが…)
愛とは何か、愛するとは何かという定義は様々だと思います。ちなみに、ウ・サギは人(独立した自我と複雑な感情をもち、自己選択をする存在)を愛することと、ぬいぐるみを愛することは別物だと思いますが、そのどちらも愛とは言えるだろうし、そこに優劣をつけるつもりもありません。ウ・サギの思う愛の定義はけっこう明確にありますが、説明すると「言わんとしてることはわかるものの、その愛は高度だし、付き合ってくれる相手はいなさそう」みたいな反応をこれまではされてきたので、若干悲しい気持ちになりながら、愛は多様で時に理解し合えないものなのだと割り切っています。といっても、他者を侵害する言動を伴ってしまっているなら、どんなときもウ・サギはそれを愛とは呼びたくはないです。
愛について語ると迷子になっていきそうですが、お互いの好きを尊重し、違いを間違いとせず、リスペクトし合えるような関係がたくさんある社会を作っていきたいところです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/5/2
Q.学校が理不尽な社会で生きる訓練だとしたら、社会が理不尽じゃなくなれば学校はいらないのでは?
この記事の担当 所長室

Q.社会って理不尽だとおもいます。小学校や中学校は、これからの理不尽な社会で生きていくための訓練をする場所だと言っていた人がいました。じゃあ社会が理不尽じゃなくなれば、学校はいらなくなるんじゃないかと思うのですが、どう思いますか?

A.質問者さんが言うように、わざわざ九年間も理不尽を学びにいくなんて、それこそ理不尽なこととゴロン猫もそれには全然納得しません。理不尽じゃない社会をつくるには、理不尽なことに気づける人々を増やす必要があるので、理不尽を学ぶための学校は一度壊し新しい学びの場をつくるというのはどうだろう。

回答:しきぶとんゴロン猫

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update 2026/4/27
Q.学生の時、学校で「ガイジ」という言葉を日常的に言われ続けていた者です。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学生の時、学校で「ガイジ」という言葉を日常的に言われ続けていた者です。どうすればこの言葉を使う人を減らせるか、という質問を見て、私に対してこの言葉を使っていた人たちは軽い気持ちというか、ノリで言っているような感じだったことを思い出しました。

A.言われる方は忘れられないほど傷つくのに、言っている方は考えなしの軽いノリ…というギャップは考えるだけでやりきれなくなります。でも残念なことにそういったことは少なくなくて、だとしたら「学校はもちろん子どものうちから、多様な人たちと出会い、関わり、いろいろな対話をすることが大事」というカエルさんの言っていることは大前提として、「あなたの言動は誰かを傷つけているよ」と伝えることで一定程度抑えられることもあるかもしれないと思いました。実際に、ウ・サギが子どもの頃に信頼できる大人にたしなめられて反省したり、逆にウ・サギが関係性のある子どもにそういったことを伝えて受け取ってもらえた経験があったことを、この質問を見て思い出しました。とはいえそれは信頼できる相手に言われてこそ初めて効果のあるものであって、その前提としては誰かを信頼できるだけの土台が必要というのもあるので、効果的になるケースは限定的だとは思います。
子ども同士が軽いノリで誰かを蔑ろにする現象は、発達年齢的なものもあれば、学校の閉塞感や同属性も影響している気がしますし、家庭環境での抑圧がそうさせてしまうときもあると思いますし、対策には様々アプローチがあるかもしれない・・・と考えたウ・サギです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/4/25
Q.他人と比べないで居られる方法を教えてください。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.他人と比べないで居られる方法を教えてください。頑張っている人を見ると迷惑かけないようにしなきゃって思う。自分は本当は生きづらさを感じたらいけないんじゃないかって、、、。どうしたらいいですか。

A.比べないでいられる方法はウ・サギにもまだわからないですが(その方法が見つかったなら大発明で、多くの人が歓喜しそうです)、「比べてしまう」現象については、ぜひみんなで深めてみたいトピックだと思っています。かつてウ・サギも「自分なんて生きづらくないはずなのに」「あの人みたいに頑張らないと」「迷惑かけてはいけない」と振り回されて苦しんだし、今思えばそのせいで回復するのに時間がかかった気もします。
生きづらさや気持ちは数値化できないので、本来比べられるものではないし、もし比べた時にどうだとしても、自分が生きづらいことは揺るぎない事実であって、せめて自分だけは自分の気持ちを一番大切にしてあげたいな…とウ・サギは思っています。また、比べてしまう背景には、経済やコスパの概念が本来人間には適用してはいけない範囲にまで広がってしまったことや、能力主義や自己責任論の暴走など、社会の仕組みや価値観があると感じています。だから比較してしまう自分よりは、「比較させられている」自分として捉えたいというか、「比べちゃうお化け」みたいに名前を付けて、いろんな角度から考えてみたいとウ・サギは思いました。

回答:ウ・サギ

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update 2026/4/25
Q.障害を理由に親に殺されてしまった知人の事がずっと忘れられない。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害を理由に親に殺されてしまった知人の事がずっと忘れられない。ふとした時に声や笑顔を思い出すと二度とあんな事が起きないで欲しいと強く思う。彼のような事が二度と起きないようにする為に私に何が出来ると思いますか?

A.詳しい事情までは分かりませんが、何を理由だとしても、誰かの事情や価値観をもって命を奪われる行為は痛ましい気持ちです。特に子どももが親に殺されるという背景には、親による子どもの所有意識があるとカエルは感じます。殺すまではいかなくても、子どもの意向よりも親の意向や意見が優先されることはたくさんあり、その延長にある問題なのかもしれないと思うのです。
また、障がいを理由に殺されたとしたら、障がいに対する否定的な社会の価値観がそこにはありそうだと思いました。もしかしたら親がケアを丸抱えして孤立し、視野狭窄に陥り、殺してしまうこともあるのかもしれません。いずれにしても、カエルは誰かが誰かを殺してしまう背景にはいろいろな社会問題が隠されていると思っています。
殺してしまった個人の問題や責任追及、そして殺された人の悲劇など個人のストーリーとして語られることは危険ですが、どうしても報道などで出回る多くの情報はそうした当事者個人にフォーカスしたものが多いです。そうした情報やとらえ方に流されず、その背景には何があるのかよく知り、そうした社会問題について関心を持ち、自分たちが暮らすこの社会がどうなっているのか正しく知ることが一人ひとりにできることだろうと思っています。

回答:生きかたカエル

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update 2026/4/25