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タグ社会派
Q.親のこと
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親のこと

A.親のこと・・・に悩んでいるという話でしょうか。情報量が少なくて何をどう答えるか悩みますが、ウ・サギの思う「親のこと」を呟かせてもらいますね。
子どもが親を選んだわけでもないのに親は無条件で子どもに対してけっこう絶大な力をもっているのが、ウ・サギはなんだかヘンテコというか危険な仕組みじゃないか……?と感じています。たとえば別の家に住むなど距離を置くことが気軽にできたり、誰かが子どもの味方となって間に入って調整してくれないと、親子の相性が合わなかったときに子どもがあまりに苦しいなと思います。それなのに親には感謝しなさいみたいな風潮まであって、子どもは子どもであるというだけで、生きるのが苦しい気さえしてきてしまいます。
とりあえず生きづLABOは親への愚痴歓迎なので、何か書きたいことがあったらまたどうぞ。

回答:ウ・サギ

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うさえなが所長
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update 2026/7/26
Q.福祉に頼るのは理解できるが、周りに何らかの意味で「いてよかった」と思われるのが大事ではないか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.福祉に頼るのは理解できるのですが、頼り切りになるのではなく、周りに何らかの意味で「いてよかった」と思われるのが大事なのではないでしょうか。これは重度障がいの人に対しても同じくそう思います。

A.福祉は「支援を受ける」という意味ではなく、本来はお互いに支えあってできるだけ多くの人たちの幸せを実現させる取り組みという意味があります。だから、福祉制度という狭い意味で言うと利用する人と提供する人という区別ができてしまいますが、暮らしの中の福祉的な取り組みという意味では、いろいろな場面で誰かに支えられたり、支えたり、励みになったり、励みにされたりと相互関係が当然あり、それが福祉の本質だろうとカエルは思っています。だから、頼りきりになるというのは通常ではありえないことだとカエルは思うのです。質問者さんの言う通り重度の障がいがあっても、誰かの心の支えになっていたり、存在意義としていられる場合もたくさんありますし、ケアをする人たちに学びの機会や就労の機会を提供していることもあります。ただ、「いてよかった」という基準はとても曖昧で、立場の強い人たちの意向によって価値が決められてしまう恐れもあるとカエルはちょっと心配します(人間の歴史ではいろいろなことがありました)。ただ、こうして福祉とは何か?頼るとは何か?ということを考えることはとても大切だと思います。

回答:生きかたカエル

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update 2026/7/26
Q.配信で回答していた「働き放題割」などについて詳しく教わりたい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.第35回配信質問4の「世の中の半分くらいが個人事業主になり、それを支える人が多くいる社会」「働き放題割」について詳しく教わりたいです。例えばどんな事業が生まれるんだろう?

A.新しい働き方の妄想に興味をもってくれてありがとうございます。どんな事業が生まれるかはいろいろな人たちが自分の得意なことやできそうなことを自分に合わせて事業をおこすことになるので、めちゃくちゃバラエティ豊かになると思っています。働き放題割も時間に縛られて働くのではなく、自分のペースで自分の働ける分だけ働くような働き方も増えるかなと思っています。会社という大きな組織の都合に合わせて個人が動くのではなく、個人の都合や事情に応じて働くがデザインされる未来は考えるとワクワクするカエルです。

回答:生きかたカエル

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update 2026/7/23
Q.昔にいじめに同調してしまった。すごく酷いことをしてしまったと今は思う。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.昔いじめに同調してしまったり、傍観してしまったことについて、すごく酷いことをしたと今は思う。もうそんなことは絶対したくないけど、また同じことをしてしまうのではないか、してしまっているのではないかと思う。電車で噂話のようにその場のかたの悪口を言っているかたがいても何も言えないし。

A.傍観してしまったことを悔いる気持ちを今後、生かすことが大切ではないかとカエルは思いました。カエルもいろいろ思い返すと誰かを傷つけてしまったり、ひどいことをしてしまったことはたくさんあるだろうと思います。そして、傍観という観点でいくと、我々が知らないだけで、身近な便利な暮らしが、実は遠くの国や地域の人々の生活や環境から搾取することで成り立っていることもたくさんあるとカエルは思っています。自分たちの見えている範囲や知っている範囲だけで物事を考えられないほど、地球規模でたくさんの格差と搾取があることを、カエルは時々、思い知ります。とはいってもすべてを知っているわけではなく、いろいろな人に教えてもらったり、新しい情報を得たりして、「こんなに知らないことがあった…」と思うのです。だから、いくらひどいことをしたくないとしても、これだけの社会が広くつながっているのだから、自分のふるまいや考え方がどこかの誰かの生活につながっているかもしれないことを意識して、視野を広く持つことは大切にしたいと思うのでした。

回答:生きかたカエル

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update 2026/7/23
Q.働けなくてごめんなさい、家事できなくて頑張れなくて生きていてごめんなさいと罪悪感で苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.働けなくてごめんなさい、家事できなくてごめんなさい、頑張れなくてごめんなさい、生きててごめんなさいって罪悪感が苦しい、自分なんか生まれてこなければよかったって気持ちになる。自分を助けてくれている全てに負担をかけてるのは事実だし…それなのにこうしたいこれは嫌って要求する自分はクズだって罪悪感で苦しい。
もちろん支援する側の中には、助けるやりがいを感じてる部分があるかたもいるのかもだけど、負担はかけてるだろうし、やっぱり自分なんて本当はいないほうがいいって思ってしまう。生きていたい気持ちもあるけれど。

A.補足にも色々な思いが書いてありましたが、自責感情に襲われていっぱいいっぱいになっている様子を感じました。いっぱいいっぱいの中で考えても、ぐるぐると行き場のない結論になっていくと感じるので(ウ・サギもとても身に覚えがあります)、「負担をかけている自分は罪深い」という論に風穴をあけるべく、ちょっとツッコミ(?)を入れさせてもらおうと思います。
まずウ・サギが気になったのは、負担を感じさせている要素は本当に質問者さん個人だけのことなのか?負担をかけるのは罪なのか?という点です。質問者さんの様子から、「負担になっている」というメッセージを身近な人から向けられているのを想像しているのですが、それは支える側にサポートがあったり、支える側にそもそも余裕が生まれるような社会であったりすればどうなるでしょうか。もしくは、質問者さんの今助けてほしいことも、マッチングや役割の分散次第では、全然相手の負担にならないこともあるのではないでしょうか。例えば今のウ・サギであれば2~3体分の食事を作ることはあまり苦にならなかったり、相談も「ちょっと今はキャパがなくて無理かも」とウ・サギが伝えたときに遠慮してもらえるなら、別に負担というほどにはならない状態にあります。そもそも社会は助け合いであり、ウ・サギは自分が苦しいときに手助けをしてもらったので、自分が多少余裕のあるときに資源を誰かに分配するのは、なんというか自然なものとして受け入れています。負担が全くないと言えば嘘になるのですが、自分も無償でもらったから(自分の無理ない範囲で)誰かに無償で分配するし、その誰かがいつか誰かに無償で分配して、世界が回っていくといいよね~という感覚です。やりがいは別にないですが、目の前で困っている誰かがいて自分が手助けできる何かを持っているとき、何もやらないほうが落ち着かないしなあ、みたいな・・・。といってもこれは今ウ・サギがちょっとばかり余力や資源があるからできていることで、そうじゃない人に強制しようとか、しないやつは駄目だとかではなくて、あくまで今のウ・サギの自然体や納得できる生き方の話です。余裕がなくて「助けてほしい」でいっぱいだったときは、なるべくマッチングのいい相手から無理ない範囲で助けてもらう工夫はしていましたが、本当に自分のつらさだけにかかりきりでした。
次に気になったのは、質問者さんが実際に誰かに負担をかけているとして、じゃあその手助けが必要な状態になったのはそもそも質問者さんに生きてるだけで負担がかかったからではないのか?だとしたら負担をかけた元凶はまた別ということにならないか?という点です。これは例えば今は実行機能と感性がビジネスの世界に適合できないと非常にダメージを受ける構造になっているので、負担をかけてしまう問題の本質と解決のポイントは社会構造にあるとウ・サギは考えています。
最後に気になったのは、助ける側はただ自己犠牲しはく奪されるだけの存在で、助けてもらう側は迷惑をかけ施しをもらうだけの存在というようなイメージを質問者さんが抱いていそうなことです。確かに正直にいうと、ウ・サギも体感としてギブのほうが多くてテイクはちょっと少ないかもと感じるときや相手はあります。でもだからといってテイクがゼロなときはないというか、いつも自分なりに関わる価値を感じている(意味を見出せる、相手が何かをしてくれなくても勝手に得られるものがある)から関わるので、「施しを受けている」みたいに思われるとしたら心外かも……と感じます。そもそも全員とフェアなギブアンドテイクが成り立つなんてありえないし、疲れたら自分で自分にギブしてあげたり相手の負担は少なくウ・サギのテイクの多いマッチングの相手と関わったりして穴埋めするし、まあウ・サギだって負担をかけるほうが大きい相手もいるんだろうけど、それは相手側で調整や自衛をよろしくお願いしますと思っています。自衛がまだ難しそうな相手の場合は、断りやすいように距離感に気を遣います。
めちゃくちゃ回答が長くなってしまいました……(苦笑)書いてみて思ったのですが、結局はつながっている資源がたくさんあれば助け合いが成り立って、家庭が家庭だけで助け合いをしなくてはならないとなってしまうと、どうしてもうまく循環が起こらないのかもしれません。だから質問者さんが今生きている世界で罪悪感を抱くのは仕方ないことだとしても、これは質問者さん個人の問題ではないんですよと、ウ・サギとしては宣言したいです。

回答:ウ・サギ

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うさえなが所長
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update 2026/7/20
Q.性別も性自認も女だが一人称を「俺」か「ワイ」にしたい
この記事の担当 所長室

Q.自分は性別も性自認も女なのですが、自分の一人称を「俺」又は、「ワイ」にしたいです。
一人称が沢山ある日本に生まれたのに、実際に使える一人称が限られているのは、なんだかもったいないな思いました。

A.ゴロン猫も場面によって「わっち」「うち」「ミー」「あっし」などなど使い回していました。自分が愉快になったり、ちょっとエヘンとなったり。一人称って本当は自由で、自分を表現できるもの!と、質問者さんに共感する思いです。

回答:しきぶとんゴロン猫

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update 2026/7/20
Q.障がい者の作品は障がい者が作ったことで付加価値がついて個展とか開けるのはなぜ?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私が一生懸命必死で作ったものは誰にも見られず埋もれていくのに、障がい者の作品は障がい者が作ったことで付加価値がついて個展とか開けるのはなぜ?

A.質問者さんのこの質問は、自分が一生懸命作ったものが埋もれていく悲しみや痛みを叫んだものとしてウ・サギは受け取りました。ウ・サギはアートについての知識も極めて少なく、アート界隈における障がいの立ち位置もわからないので「なぜ?」にはきちんと回答できませんが、障がいがあるとしても個展を開けるのはごく一部の人の話であって、そもそも自己表現の機会さえない人もたくさんいると思うので(それは障がいがある方が不利な傾向があると感じます)、障がい者の個展があるということだけを切り取って考えるのはアンフェアになってしまうとは思いました。
先ほどアートの知識が極めて少ないと書いてしまいましたが、ウ・サギが最近アートの漫画で得た知識だけで言うと、アートは単に完成度だけの話ではなく、社会への問いかけというか、人の心を揺さぶることに一つの価値が生まれる世界なのかなとは理解しています(話は少しそれますが、「レディ・メイド」がその最も尖ったところにあるのかなと思います)。だから問いかける要素の一つとして、社会的に抑圧され声を封じられているマイノリティが作ったものということは、付加価値をもつとは感じています。でもそれはきっと、認知されている障がいかそうじゃないかの違いだけで、質問者さんも生きづらさをマイノリティであるからこそ、行き場のない気持ちが生まれるのかもしれないと想像しています。

回答:ウ・サギ

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うさえなが所長
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update 2026/7/20
Q.テストは絶対に必要?偏差値という概念をなくしたら社会はどうなる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.テストは絶対に必要なものなんですか?偏差値という概念をなくしたら社会はどうなりますか?テストが存在することが能力主義を誇張しているのかなと感じたのですが、どう思いますか?皆さんだったらどう評価しますか?いやそもそも評価って必要なんですか?

A.ここで言うテストが学校限定なのか、資格試験などを含むかで話は変わってくる気もしますが、基本的にはテストが存在しなくても社会は成り立つとウ・サギは思います。人類の歴史上で考えれば、偏差値なんてかなり歴史が浅そうですし、テストがない時代やコミュニティもたくさんあったでしょうし、偏差値もテストもまだ発展途上であり試行錯誤の段階なのかもしれません。
大きい国家という枠組みや法律、テクノロジーや医療について現状のレベルを維持したいなら、複雑なものを運用できる専門職を育てる必要はあって、そのための一つのやり方として、テストはある程度合理的だとウ・サギは思います。逆に、もし小さなコミュニティに立ち返って、地球を中心に質素な生活をしていくのなら、テストも偏差値も不要な産物となると思います。(そこまで極端なライフスタイルやシステムの転換は、あまり現実的ではないと思いますが)
現実的な話をすると、テストや偏差値という概念はそれが有効な分野だけに使って、子どもたちの能力の評価のようになるのは無くすべきというのがウ・サギの考えです。何かその人自身が身につけたいと思う技能があるなら、到達度を確認するために評価をもらうのはありだと思いますが、誰かが誰かを勝手に評価するのはマナー違反だとウ・サギは思っています。

回答:ウ・サギ

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update 2026/7/18
Q.寿命や若さ学力や体力などを数値化してそれを通貨代わりにしたら世の中の悩みが解消しそう
この記事の担当 所長室

Q.世の中から通貨が無くなって、寿命や若さ学力や体力など全員が持つ生命力が数値化してその数字を通貨代わりにやり取りしたら世の中の悩みの大半は解消しそう。

A.無ササビ:人間の持つあらゆる要素が数値化され、それを直接トレードすることができる世界…面白い発想だなと思いつつ、この世界の切ない歪も感じる無ササビです。補足も読ませてもらいながら、質問者さんの経験から世の中の「無いものねだり」の矛盾に対するやりきれない思いがひしひしと伝わってきました。 確かにお金という間接的なものではなく、求めている「そのもの」を労働や自分の余っている能力と引き換えに手に入れられたら、今ある理不尽な悩みの多くは解消されることもあるのだろうなと感じます。一方で、そういう世界だったら…と少し想像すると、別の悩みも生まれそうだなとも思いました。例えば、寿命や知能や美しさが本当に売買できたら、それらは”能力”ではなく”資産”になるのではないかと思います。そうすると今度は、お金の格差ではなく、生命力そのものの格差が広がるかもしれないな…と。若さを売らざるを得ない人、健康を削って生活する人、寿命を差し出して家族を養う人…そういう社会も、きっと生まれてしまうだろうなと考えていました。
補足に書かれていた質問「皆さんなら何を1番手に入れて、何を仕方ないと手放しますか?」に答えさせてもらうと、無ササビが手に入れたいものを一つ選べるとしたらたぶん”心の回復力”かなと思います。どんな能力があっても、何度転んでも少しずつ立ち直れる力がなければそれを活かすことも難しいと感じるからです。逆に仕方ないと手放すもの…うーん、選べないというのが正直な気持ちです。寿命や健康、知識などはどれか一つだけをとって切り離せるものでもないよなとどうしても思ってしまいます。きっと、それぞれの答えがその人にとって何をいちばん大切だと思っているものかを映し出すのかもしれないですね。架空の世界の話とはいえ、”人生は欲しいものと持っているものが、あまりにも噛み合わない”ということを深く考えさせられる質問だなと無ササビは感じました。

ウ・サギ:例えば容姿コンプレックスの人が整形して全員楽になるかというと、逆にもっと苦しくなった場合も知っているので、解消する悩みもある一方で余計に深くなったりこじれてしまう悩みもありそうだとその世界を想像しました。誰しも生きる上では一つや二つ解消しきれないかつ重たい悩みや想いを抱えることになる気がしていて、悩みを解消することよりは、それを背負いながらどう生きるかにウ・サギは興味があります。また、その悩みが自分を破滅させるほどのパワーをもたないような社会にするためには、価値観の偏りがなければいいのではないか?などとも考えています。
何を手に入れて何を手放すかを考えると・・・う~ん・・・手に入れたいものでぱっと思い浮かんだのは、投資など不労所得でお金を稼ぐ能力です。これは自分が金儲けをしたいわけではなく、生きづLABOなど社会活動用の運営資金の確保を、手間をかけずにできるようになりたいという目的です。仕方なくというかわりと歓迎して手放したいのは寿命ですかね。社会活動への情熱や責任感はあるので、ある程度それを遂行し拡大するための時間はほしいですが、もし寿命があと50年とかあるなら20年分くらいは気楽に手放してしまうかもしれません。でも誰かの寿命をもらって長生きするのがまかり通るのは、倫理的にはとてもよろしくない気がします。

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うさえなが所長
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update 2026/7/18
Q.中学一年生なのですが理由がわからず学校に行きたくないと思ってしまいました
この記事の担当 生きかたカエル

Q.私は,中学一年生なのですが6月頃に,理由が分からず,なぜか行きたくないと思ってしまいました。その日は朝も起きたくても,頭が重く、数時間ほどずっとベットにいました。母にどうしても,学校に行きたくないの?と聞かれましたが,黙り込んでしまいました

A.学校に行きたくないけど、理由が分からないというのはよくあることです。むしろ、理由が分からない方が多いぐらい、自然なことです。学校に行ってほしい大人にとっては「理由を知りたい」「理由がわかれば行くための方法がある!」と焦って考えてしまいますが、それは学校に行ってほしい気持ちの勇み足です。質問者さんの「理由が分からない」はもっともな主張で、(補足にあったように)母がうざく感じることも至極真っ当な気持ちです。どちらかと言えば、おかしいのは学校は行くべきという前提や不登校には理由があるはずという思い込みだとカエルは思うのでした。頭が重く朝起きれない身体の訴えをカエルは全面的に尊重します。

回答:生きかたカエル

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update 2026/7/18