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タグ社会派
Q.親から暴力を受けていなくても、居場所がないと思ったら家出できますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親から暴力を受けていなくても、居場所がないと思ったら家出できますか?

A.もちろんです。家出はできます。というのか、カエルは「家出」という言葉は非常に不適切な言葉だと考えています。我々には「どこで誰と暮らすのか」を自分で決める権利があります。ただ、子どもの場合は保護者の存在や権限が大きいので、家ではないところで暮らすためにはハードルがありますが、そこから出たいと思って別の生活の場を選択するのは家出ではなく、「住まいの選択」をしているだけだとカエルは思うのです。少なくとも、「この家では暮らしたくない、別のところで暮らしたい」と願ったり、その願いを口にすることはまったくの自由です。ただ、それが実現するかどうかはいくつかの理由が必要になる場合があります。
その理由ですが、カエルが気になったのは「暴力は受けていないけど、居場所がない」という点です。叩かれたり、殴られたりする暴力を受けていなくても、言葉による暴力(暴言や否定の言葉など)や態度による暴力(無理に勉強や習い事をさせられる、意見を聞いてもらえない、無視をする、きょうだいと差別するなど)や必要な世話をしてくれない(ご飯がない、病院に行かせてもらえないなど)も暴力と同じように、子どもが家から出たい理由として認められます。もしも、親同士の暴力やけんかなどがいつもあることも、子どもが家から出たい正当な理由になります。あなたにとって「居場所がない」「家出したい」と思うのであれば、そこにはそれなりの理由があり、それを受け止められる大人や社会であってほしいとカエルは思います。少なくともカエルは子どもが「住まいの選択」を主張できるようになってほしいし、同時にあらゆる子どもたちの「住まいの安心安全の確保」をしっかりと議論できる社会にしたいと思っています。

update 2025/5/3
Q.子供の頃早く自立したいと思っていたのに自立できず親に依存している。何をどうすれば自立できるのか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.子供の頃、一刻も早く自立したいと強く思っていました。それなのに自立していなければおかしい年齢になってもいつまでも自立できず、結局親に依存しています。もうずっとこのままなのかなと思うと本当に怖い。何をどうすれば自立できるのか悩んでいます。

A.それは「自立」をどうとらえるかによるとカエルは思います。
自立というと、自分でお金を稼ぎ、自分のことを自分でやることのように思われているけれど、実は違うというのがカエルの意見です。
特に経済的な自立に関しては、就労とのマッチングがこの社会ではあまりに平等ではなく(企業の求める人材というのがあまりに限定的で)、生活費を稼げる人が自立している人とみなすには、合理性を欠くと思っています。そもそも、能力的に制約がある場合に、就労して生活費を稼ぐことが難しい人は一定数いるため、いわゆる社会保障を利用して生活費を確保することも当然ありで、利用する意思決定や選択そのものが自立の行為であるとカエルは考えます。

例えば生活保護の制度はそのためにあります。生活保護を受けたとしても、少しでも働ける分は働くことができますし、何かしらの障がいがあれば年金をもらう方法もあります。どうも、生活保護制度が正しい理解をされていないことや、誤解をたくさん受けていることもその背景にはあるように思っています。
生活保護法の第1条には「この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」と明確に自立を後押しするためにあると書いています。
生活保護を受けること=自立していないのではなく、その人なりの自立のために生活保護をはじめとした社会保障の仕組みを活用することが一つの方法だと理解が広がるか、もしくはどんな人も漏れなくその人なりの労働(いろいろなパターンがある)が保障され、その対価として生活が保障される仕組みがあることで、誰もが様々な形で自立できるようになることが必要だと思っています。

そもそも、誰もが誰か(何か)に依存して自立をしています。自立とは「上手に依存できるようになること」と表現されることがあり、カエルもそれに同意しています。質問者さんが親に依存するのが本意ではないのであれば、依存先を親から別の方法に変えることもまた自立の形だと思います。
年齢や性別、能力に関係なく誰もが自立することができるよう、自立の在り方についてもっともっと議論をしてみたいと思いますし、いろいろな自立のための仕組みがあることを願っています。(長くなりました…)

update 2025/4/30
Q.今日から地獄の父親と歩けない弟との暮らしだ!俺様には3週間が限界!
この記事の担当 うさえなが

Q.今日から地獄の父親と歩けない弟との暮らしだ!
母親の3週間足の手術で入院

俺様には3週間が限界!

A.俺様!かっこいい~
でも限界は困った!

*生きかたカエルから補足*
詳しい事情は分かりませんが、これまでもいろいろ我慢をしてきてふつふつと湧き上がる限界感が伝わってきました。
カエル的には、家庭の問題が家庭内だけで完結させられてしまう現状が権利侵害を生み出していると思うので、どうにかして家庭内の課題を外に出せないかと思ってしまいます。すぐにどうにかなるわけではなくても、家の中でこんなことを起こっている!自分は嫌だ!もう限界だ!と言えて、それを受け止めてくれるところにつながってもらいたい気持ちです。まずは、こうして質問箱に思いを届けてくれたことがカエルとしては嬉しいです。

update 2025/4/29
Q.助け合いができる社会になるために必要なことってなんだと思いますか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.助け合いができる社会になるために
必要なことってなんだと思いますか

A.補足に「みんなが弱音をもっと出したら」というアイデアが書いてあったのですが、みんなが弱音を出し合うことはとても重要なポイントだと思います。
カエル的にはいろいろな人たちがお互いに違いを知りあうことが大事だと思っています。現実社会では同質な人たちが集まる傾向があり(学校や会社とか)、自分と他者との違いを知る機会が少なかったり、いろいろな人たちの事情を体感する機会もあまりありません。だから、いろいろな人たちがお互いのことを知る機会が増えるといいなぁというのがカエルの意見です。
でも、他にもいろいろな方法があると思うので、今度生きづLABOでアイディアを出し合う企画をやるのもいいかもって思いました。

update 2025/4/27
Q.みなさんの回答は正しいかもしれないけど理屈っぽくて希望的観測的なものが多いと感じました。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.みなさんの回答は確かに正しいことを言ってるかもしれないけど理屈っぽくて確実性のない希望的観測的なものが多いなと感じました。でもそれが現実だよなとも思いました。質問じゃないし、失礼なことを言って申し訳ありません。

A.理屈っぽくて、希望的観測的なものが多いという指摘はまったくもってその通りだとカエルは思いました。全然失礼ではないので、問題ないですよ。
少しだけ弁明をさせてもらうと、理屈っぽいのは今の世の中が論が通らない感情論や印象論があまりにも多すぎる(そのせいで生きづらさが助長されている)ので、あえて理屈を重視しているものです。また、確実性のない希望的観測に関しては、人間は不確かであっても考えたこと口にしたこと以上のことは実現できないため、まずは考えてみる、口にしてみるというところから始めているという理由があるのです。我々としては意図して理屈っぽく、確実性のない希望的観測を発信しているものです。
したがって、我々の意図的な姿勢を見抜いた指摘であるという支持と、ただそれには意味があるということをお伝えしたいと思います。(これまた実に理屈っぽいですね…苦笑)

update 2025/4/27
Q.とあるアイドルたちは放送ライブラリが少ないんですよ マジで怖いですよね、、、
この記事の担当 ウ・サギ

Q.放送ライブラリが少ないんですよ
とある アイドルたちには
いやマジで怖いですよね、、、
放送ライブラリって本来忖度無し放送をアーカイブするもんですよね。おかしくないですか?

A.都合の悪い情報はひっそりと闇に葬られて、隠されていく、という話で理解しました。(違ったらすみません)
世の中にはそういった怖いことはいっぱいありそうです。おかしいかもと思える力、おかしいと思ったときに、きちんと現実を知ろうとする姿勢、そして情報リテラシーが求められているのかもしれない・・・と、この質問を読んで思いました。
おかしいことをおかしいと気づけなくなったらまずい気がするので、ウ・サギもおかしいセンサーが鈍麻にならないよう気をつけたいです。

update 2025/4/24
Q.不安や苦しみを相談する時、相談することで相手を苦しめているのではないかと罪悪感がある
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分の不安や苦しみを人に相談する時に、相談することによって相手を苦しめているのではないか、と罪悪感があります。
本当は、人といる時は、楽しく和むような時間を過ごしたいのですが、罪悪感を減らすにはどうしたらいいでしょうか?

A.罪悪感の攻略法に関する質問ですね。攻略するためには敵を知る必要があります。罪悪感がどこから来るのかによって、おそらく方法が異なると思います。なので、まずは罪悪感の根源を把握しましょう。
もしも、罪悪感が明確な過去の経験に関係しているとしたら、過去の経験について誰かと話をするとか、深める機会が必要だと思います。
もしも、明確な理由や関係がわからないけれど、罪悪感に駆られてしまうのであれば、それは世の中の「人に迷惑をかけてはいけない」「人の負担になってはいけない」という過剰な空気に感染している可能性があります。実態としては、生きていたらだいたいはお互いに迷惑や負担をシェアしあっているのが自然なことなのですが、どうも他者の負担を気にする傾向が強いかと思われます。
それから、もう一つは自分と他者の境界曖昧さの問題があります。カエルもよく「迷惑かけてすみません」とか「負担をかけて申し訳ない」と言われることがありますが、『迷惑かどうかは私の問題なので、そこは私に任せてください』と伝えています。もう少し、相手のことを信じて任せるということをおススメしたいです。自分の問題と相手の問題を区別して考えると変わって見えることもたくさんあります。

update 2025/4/24
Q.中二女子です。妊娠していました。どうすればいいですか。
この記事の担当 うさえなが

Q.中二女子です。彼氏と性行為をしていたら妊娠していました。
彼氏には見捨てられ、親にも言えてません。どうすればいいですか。

A.それはたいへん!
生きかたカエル~、どうしたらいいか教えて!

気持ち的に親には言えないかもしれないけど、事態としては親に言わないとどうにもならない状況ですね。まずは親に打ち明けて、一緒に病院に行きましょう。(親に直接が難しそうなら、他の大人でもいいです)

性行為は、リスクと責任が付きものの行為です。だから、カエルとしては自分で責任をとれない子どものうちは性行為をすることには基本的には賛成しません。なぜなら、100%避けられる避妊方法はないので、妊娠してしまうことがあるからです。そうはいっても、子どもたちを取り巻く環境を見ると、正しい性教育をしていない実態もありますし、誤った情報が氾濫していたり、そもそも大人が正しい性教育もお粗末で、そんな背景もあり、結果として子どもがリスクのある性行為をするケースは少なくないと思います。大人に責任がたくさんあるとカエルは思います。(参考までに、望まない妊娠は、子どもや若い人たちよりも、結婚している大人の方が多い実態もあります)
でも、自分の選択と判断で性行為をしたのであれば、その結果については逃げられないことも事実なので、まずは親に話してください。中学生とはいえ、今のあなたにできる責任の取り方だとカエルは思います。そして、今後に向けてどうしたらいいかも、信頼できる大人と話をしてほしいと願います。

それから、妊娠するのは女性側なので、女性側が性行為を求められたときに断れる環境も大事だと思っています。今回当てはまるかわかりませんが、嫌われないために望まない性行為をするとか、リスクがあっても避妊をしてもらえないなどの実態もあるので、女性側の立場の弱さもカエルは伝えておきます。

update 2025/4/21
Q.「いつかは賃労働を、経済的自立を」が前提にあるのが無職が追い詰められる原因な気がする
この記事の担当 生きかたカエル

Q.例えば公的制度等を活用して賃労働をせず生活している方にも、風潮的にも仕組み的にも「いつかは賃労働を、いつかは経済的自立を」が前提にある気がするのです、それが無職の方が心身共に追い詰められる原因な気がするのですが、それについてどう思いますか
(編集補足:「Q.無職なら馬鹿にしても否定しても悪扱いしてもいいなどの風潮が社会に強くあるように感じて苦痛」を見ての質問だということです)

A.とても妥当な指摘だと思いますね。世の中の多くが、働くことがいいことで目指すべき方向性がそこにあるような風潮があります。そして、働く=賃労働という理解が強いと思います。カエルも、障がいがある人も納税者になろうとか、いつかは一般就労みたいなキャッチを見ると、とても理解が狭いと思うし、そうした狭い理解が一部の人を苦しめているとも感じます。
もっと多様な働くがあり、もっと多様な生き方があり、そして、多様な考え方も「それもありかもね」ぐらいに認められることで、追い詰められなくても済むことがたくさんあると思っています。

update 2025/4/21
Q.学校を休んでもいいラインってどこですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校を休んでもいいラインってどこですか?

A.休んでいいラインというものはないとカエルは考えています。どちらかというと、「学校に行くライン」の方があって、ラインを超えない場合は行かなくてもいいと思うぐらいです。
いずれの場合でも、基準は自分の気持ちや感覚です。行きたい、行った方がいいと感じる/考える要素が、行きたくない、休みたい、つらいという要素を上回る場合は行けばよいし、逆に行きたくない、休みたい、つらいが上回るのなら、それは休んでいいというより、行かなくてもいいとカエルは考えています。
ただし、学校に行かない、休む=学ぶことを辞めるということではないので、学校以外の学びの場が保障される必要があります。また、それ以前に学校がどんな子どもにとっても行きたい、行った方がいいところになること、せめて行きたくないところ、つらいところにならないような工夫が必要だろうと考えます。どちらにしても、子どもというより大人の問題だと思います。どんな学校なら行きたいと思えるか、一緒に考えてみたいです。

update 2025/4/16