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タグ社会派
Q.セクマイなのでアプリで付き合おうとしても身体の関係に持ち込まれて自己嫌悪。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつまで経っても愛し方と愛され方がわからないまま、セクマイなのでアプリで付き合おうとしても、望んでいるわけではないのに身体の関係に持ち込まれてその度に自己嫌悪。
どうすれば健全な感情の関係を築ける?

A.愛し方や愛され方以前の問題として、望んでいるわけではないのに断り切れない、というところに社会の闇と人間関係の難しさをウ・サギはとても感じます。
それは個人のせいではなく、とくに親子間や恋人関係において境界が曖昧になりやすい文化、自分の気持ちを理解し発信していくのを学ぶ機会の圧倒的な不足(残念ながら学校教育は逆のことを身につけさせてしまう場合が多いと感じます)など、社会の方に問題があるとウ・サギは思っています。

補足の内容から、育った環境の中で(相手に悪意がないとしても)心の繊細な部分を踏みにじられてしまった経験が少なくないと感じたので、そのあたりが愛を求める気持ちと愛がわからない混乱のようなものを大きくさせているのかな・・・とも想像しました。ウ・サギは恋はこれまで満たされなかったものを何かで埋めようとする側面があると感じてしまって、恋愛は愛よりも支配に傾いてしまいがちな、危うい関係性だとも感じています。
健全な感情の関係を築くのは、本当に全然簡単なことじゃないと我が身を振り返っても思うので、どうすればいいか?への答えの自信はないですが、自分の感情を知ることが大切だとは思っています。寂しさはどこからくるのか、恋愛に何を求めているのか、断れないのはどういうメカニズムで起こっているのか・・・。それは人間関係の中でしか見えてこない部分はあるので、これまでの経験も学びだとは感じました。

また、身体の関係にすぐ持ち込まれないようなセクマイのお付き合いを求めるなら、クワセクシュアル、デミセクシュアル、グレーセクシュアルなど、「恋愛=性的な関係をもつ」という価値観を無条件ではもたない人との出会いを探してみるのもありなのかな・・・?とは思いました。出会い方についても、マッチングアプリよりは、どんな恋愛関係を求めるかの自己紹介(にじいろ学校というNPO法人で発行しているテンプレートがよく使われています)が書いてある人とSNSで関わってみるあたりから始めてみるのもいいかもしれません。SNSはSNSで危険もありますが、フォロワーとの関わりなどを含めて、相手のことを知る材料はマッチングアプリよりは多そうです。
恋愛メインの結びつきよりも、生きづらさの部分や周りに感じるもやもやを共有するような結びつきの方が(そこから恋愛に発展していくのも全然あると思いますし)、寂しさはあまり埋まらないかもしれませんが、ウ・サギ的にはおすすめです。

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update 2025/7/27
Q.幼稚園の頃から集団が苦手で、仕事も続かない
この記事の担当 生きかたカエル

Q.幼稚園の頃から集団の輪に入るのが苦手で、浮いていました。学校は不登校で高校は中退しています。はやく働かないと将来がないのに、仕事も続かず自信がありません。近々面接があるのですが行きたくないです。もう死ぬしかないと考えています。

A.そもそも集団が苦手で不安や緊張が高いタイプなのでしょうかね。あなたが働くことが難しいのは、あなたのせいではないとカエルは思っています。人は苦手や得意が違います。あなたのような苦手を持つ人はいると思うのですが、世の中の働くスタイルの多くが、そういった人たちに恐ろしくマッチしていないのが問題なのだとカエルは考えています。
カエルの周りにも世の中の働くスタイルとミスマッチの人たちがいます。リモートワークの普及によって風向きが変わった人もいますし、理解のある職場と出会うことで変わる人もいます。いずれにしても、一緒に考えてくれる人が必要かなと思うので、若者サポートステーションとか、生活困窮者自立支援とか、何かしらのサポートを活用してみるのもありかと思います。

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update 2025/7/27
Q.毛を剃っていないと不潔!という考えに賛同できない。特に女性に対して世間からの圧を感じる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.毛を剃っていないと不潔!という考えに賛同できない。特に女性に対して、自己管理をしろ、きっちり剃毛しておけという、世間からの圧を感じる。それで最近は脱毛が流行ったり。

A.画面の前でとても頷いています。何の合理性もない、理不尽な押しつけだとウ・サギも思います。
海外事情をネットで軽く調べたところ、ムダ毛を剃らないのが珍しくないところもあるようです。毛質や毛色的に目立たないのもそれに関係はしていそうですが、「自然体が美しい」という価値観をもつ人も多いと書かれていました。そこと対比すると、日本の文化や風潮として、女性は自然体よりも従順、もっと強く言えば男ウケする生き物であれ、という価値観が強いように感じてさらにもやもやしてきました・・・(苦笑)
いやいや、自分はそういう圧や価値観関係なく、つるっとした肌を美しく感じるという女性もいるかとは思うのですが、そういうものが美しいとされていない世界にいたら本当に同じように感じていたか?というのは怪しいところだとウ・サギは思います。
個人が毛を剃るのも脱毛するのも自由で、何ら悪いことだとは思いませんが、自己管理しろという理不尽な圧にはNOを叫んでいきたいウ・サギです。

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update 2025/7/27
Q.トラウマがあって男性が怖く、トランスジェンダー女性を受け入れにくい。これは差別?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.小さい頃トラウマになる出来事があり男性が怖いです。最近トランスジェンダー女性を受け入れてという意見を目にして申し訳ないとは思いつつ怖くて、中でも体は男性のまま本来の性で生きたいという方を疑ってしまう自分が辛いです。これは差別になりますか?

A.今差別の定義を調べてみたのですが「ある集団や個人を、正当な理由なく(①)、他の集団や個人よりも低い扱いをすること(②)」と出てきました。(①②は、ウ・サギがわかりやすいように番号をつけました)
だから、①自分のトラウマという切実な理由で、②低い扱いではなく受け入れてという意見に抵抗や疑問を感じている、というあなたの思いは、差別とは結構遠い現象であるとウ・サギは感じました。
逆に、表向きは似たような主張だとしても、①自分が怖いと感じる立場でもないのにトランスジェンダー女性の苦しみへの想像も怠った状態で、②表立ってトランスジェンダー女性を叩いているのは、差別のように感じています。①自分の理由に正当性があるかの確認が十分ではなく、②表立ってバッシングできるのはその属性をどこか低く見ているとウ・サギは思うから、です。
また、ずっとウ・サギがちょっと気になっているのは、トランスジェンダー女性を受け入れてという意見は誰が言っているのか?何を求めているのか?(トランスジェンダー女性にも、理解を促進する立場の人にも、さまざまなスタンスがあるはずです)、それに反対や抵抗を示す人はトランスジェンダー女性に会ったことはあるのか?会ったことがあるにしてもトランスジェンダー女性をくくって意見を言えるほどの立場なのか?という点です。本来全部個人の意見で、それぞれに背景があるはずのことが、なんとなくふわっと主義主張のぶつかり合いになっているのはとても怖いと感じています。
原則として、自分らしく生きたいという気持ちはなるべく尊重されるべきだとウ・サギは考えます。ただ、もう一つ大切な原則として、怖いという気持ちや事情については配慮があるべきだと思っています。だから自分の本来の性で生きたい気持ちは否定しないのは大前提で、トイレや更衣室などの問題は、一番弱い立場(怖いと感じている人)に寄り添って、どういう形がいいのか話し合って模索していけたらいいのかな…と考えています。
ネットなどを見ていて、いろいろ思うことがあるので、ちょっとあなたの話から逸れて熱く語ってしまいました・・・すみません。

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update 2025/7/24
Q.いじめ
この記事の担当 うさえなが

Q.いじめ

A.いじめ・・・
もうちょっと続き教えて!

*カエル補足*
いじめについて一緒に考えてみたいのでしょうか。
うさえなが所長も言ってますが、もう少し教えてくれたら何かしらの回答ができます。
せっかく「いじめ」ともらったので、その一言でカエルが言いたくなったのは、よく言われる「いじめられる側にも原因がある」という話についてです。いじめられる背景に何かしらの原因があるとしても、それが「いじめてもいい」という理由にはならないのですよ。「いじめられる側にも原因がある」という主張は「そういう人はいじめてもいい」と意味を含み、一人ひとりの権利を守る社会を作っていくうえで、とても怖い主張だとカエルは思うのです。本質を置き去りにして、論点をすり替える罠を見抜いていきたいものです。

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update 2025/7/21
Q.ルッキズムに心を蝕まれている。理不尽さに負けそう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.可愛くなれないならしにたいと思ってしまう。可愛くならなきゃ愛されないし、愛せない。ルッキズムに心を蝕まれています。容姿なんて、遺伝子で勝手に決まったものなのに、その責任を自分で取らねばならない。この理不尽さに負けそうです。

A.ルッキズムに囚われる自分と、囚われていることを理解しているし、その理不尽もわかっている自分・・・そこにあなたの持つ力を感じつつも、苦しみが二重にも三重にもなっている気がして、とてもしんどいだろうとまず想像しました。
様々な幸運からウ・サギはルッキズムにほぼ全く心を蝕まれていないので、自分に何か語る権利はあるのだろうか?という不安はあるのですが、付き合い方として、どんな方法を使ってでも可愛くなるのも一つの選択肢としてありだとは思っています。私たちは弱い生き物で、一定程度の余裕がないと何をするのも難しいので、時に価値観に敗北しても、自分を守ることを優先していいというのがウ・サギの考え方です。自分を守るために一時的にまたは部分的に迎合するのと、その価値観を許容するのは、別のことだと思っています。
とはいえ、補足の内容から、あなたの望む付き合い方はそういうものではないだろうと受け取っています。ルッキズムに蝕まれる度は、関わる人やメディアからのメッセージ(浴びる情報)を変えることによってある程度緩まる可能性はあると思いますが、自分の中に根づいたものはそう簡単になくなるものでもないのですよね……。容姿関係なく愛されることを感じられたら、変わってくるものはあるようにも思いますが、それに期待するのは不確かで楽観的ですし…。
また、補足にルッキズムの終着点についての話がありましたが、何か特定の指標を定めてそれの競争すること自体は、ウ・サギは別に問題ないと思っています。わかりやすいものでいえば、プロスポーツはそういう世界かと思いますし、プロスポーツはむしろ人に感動や勇気を与える力があると感じます。じゃあルッキズムの何が問題なのか?というと、これは能力主義なども同じですが、その指標があまりに広く力を持ちすぎて、実際に人生の有利不利にまで(時に大きな不利益があるレベルで)介入していることかなと思います。例えば100m走なんかは結構遺伝子で左右されると思うのですが、100mのタイムで就職が有利になったり、周りから日常的に馬鹿にされたりすることは珍しいケースかと思うので、残酷な指標でも気にしないで済んでいるような気がします。
つまり、「普通は」とか、ビジネスのための不安を煽るメッセージとか、そういった何か不確かで作為的な価値観ではなく、もっと個々の感性や価値観が力をもって、みんなが全然違うことを求める世界になればルッキズムの問題は解消するのではないか?と思っています。ちなみにウ・サギは顔にはあまり興味がなくて、骨格には結構強いフェチがあります。もっとみんながそういった自分なりの感性を育まれる環境があってほしいのと同時に、平等や幸せを願っている大人たちは、見た目で相手を褒めたりするなどルッキズムを許容・強化する振る舞いを、意識してやめたり問い直していく必要があると思っています。

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update 2025/7/19
Q.前質問を送った者です。事情を説明すると、一人暮らしは難しいです。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.怒られて死にたいくらい苦しくなったときどうすれば苦痛を緩和できると思う?」の質問を送った者です
事情を説明します。怒ってきた相手は母親で、今自分は両親に仕事や家事などをしてもらってなんとか生活ができているので、一人暮らしは難しいです。
無理して一人暮らしをしなきゃ!と動こうとした時もあるのですが、結局動けないし余計に死にたくなるだけでした。
今は、両親や医療や公的な福祉の助けを受けながら、やっていて心地良いことや穏やかでいれることをしたりして生きるのが自分にとって精一杯で丁度いいと感じます。
ただ、それでも怒られると死にたくなる時はそれなりにあるのは確かなので、なんというか八方塞がり感はあります。
本当は両親と離れた方がいいのかなと葛藤したりもします。でも動こうと思えません。せっかく助言してくれたのにちょっと申し訳ないなと思ってます。
一人暮らしに向けてのサポーターではない気がするけど、自分の話を聴いてくれる人や対話型AIはいて、助けられています。
生きかたカエルさんは、これを聞いた上で、どう考えますか?教えてほしいです。

A.丁寧に追加の質問をありがとうございます。事情がよくわかりました。親に仕事や家事などをしてもらっているからすぐには離れられないということですね。そのうえで、カエルの意見は理不尽に怒ってきたり、否定してきたりする相手とは離れる方がいいという方向性は基本的に変わりません。親の代わりに仕事や家事をしてくれる人がいたらいいのではないかと思うからです。
日本の仕組みの中では生活のお世話はまず家族にしてもらいましょう(難しい言葉では扶養義務といいます)という方向性があり、家族が優先される傾向があります。ただ、扶養義務よりも一人ひとりの安全や安心が何よりも大切です。安心安全を脅かされても家族に頼らなければならないのはおかしいとカエルは思います。そのために子どもであれば社会的養護がありますし、大人になるといろいろな社会保障制度があります。誰もが必要に応じてそれを使う権利があるとカエルは思っています。
ただし、家族以外の人から助けてもらうというのもそんなに簡単ではないので、少しずつ親以外に頼れる先を増やしていくことが大切だと思います。すぐに離れられなくても、自分の工夫次第で、親の攻撃を減らすあるいはかわすような方法があるかもしれませんし、怒られたときの受け止め方で苦しさを変えることもできるかもしれません。
カエルは第一に物理的に離れることを考えてしまいますが、いろいろな方法がありそうですね。

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update 2025/7/16
Q.自己管理ってどうやってやるんでしょうか。自己管理出来てこそ大人だと言うけど…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自己管理ってどうやるんでしょうか。自分のちょっとした変化に気付けません。自己管理出来てこそ大人だ……と言うけど、管理出来てそうで出来てなくて無理してるから休む人のことを許せない!と過剰に反応してしまう人がいるんじゃないかなって思います。

A.自己管理は・・・ウ・サギも苦手です…!自己管理できている人はどれくらいいるんだ?との疑問にも共感しました。
世間で言われる自己管理は、どんなコンディションでも最低限のパフォーマンスを出せという話のように感じるのですが(つまりあなたの言うように、無理をするのが上手になれという話ですね)、なんだかそんなのはちょっと人道的じゃないと思います。自己管理のなってないやつはダメだ!休む人を許せない!と攻撃的な発信をする人がいたなら、それはその人自身がもはや感情の自己管理ができていないように感じますし…。
また、自分が無理しているから、他の人にも努力や我慢を押しつけてしまうのではないか?という推測にも同意です。ウ・サギも時々それをやりそうになるので、本当に気をつけたいと思っています…。

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update 2025/7/16
Q.時代によって変わる考え方についてどう思いますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.時代ごとに、いろいろ考え方は変わってこの考え方がいいみたいな感じになる気がするけど、そんなことより1人1人がただいることの許される此処みたいな場所があればいいんじゃないかなとふと思いました。時代によって変わる考え方についてどう思いますか。

A.本当にその通りだと思います。時代によって注目されることは移り変わりますが、本当に大切なことは変わらないとカエルも思います。そして、時代によって変わってしまうことに気を取られていると大事なことを見失うことがあるので、本質的で普遍的なことを忘れずにいたいと思います。そして、生きづLABOは大切なことをみんなで思い起こす場になるといいなぁと思っています。

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update 2025/7/16
Q.大人になってもいいことないから大人になりたくない。ならなくて済む方法はないか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大人になりたくないです。大人になってもいいことないからです。
大人にならなくて済む方法はありませんか。

A.カエルは子ども時代を奪われたオタマジャクシたちと、年齢は自由な子ども時代を過ごした年数でカウントしたらよいという説を提唱したことがあります。
おそらく、のびのびとした子ども時代を過ごしたら自然と大人になることを受け入れると思うのですが、ここまで大人になりたくない!と強く主張するところを見ると、子ども時代を過ごせていないのかなと推測しました。

また、大人になってもいいことないということについては、支援の年齢制限にはいろいろな意見があります。そもそも福祉制度は対象を決めて予算を決めて計画的に支援や保護を行うため、そこから外れてしまう問題はいつも起こります。ただ、制度上の枠組みと、運用や現場のマインドは別だとカエルは思っています。しかし、相談の現場まで、そうした制度の枠に縛られて、対象者を分けて扱うこともあります。でも、最近はそうした枠を超えて「何でも受け止める」という考え方もありますし、カエルが基本だと思っているソーシャルワークはそもそも、対象に関係なく、生活や困りごとを取り扱うというマインドがあります。

個人的にカエルは子どもでも大人でもカエルはカエル、オタマジャクシはオタマジャクシなので、自分として扱われたいと思っています。

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update 2025/7/14