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タグ社会派
Q.外国人は○○だとか言うけど、日本人は欧米で格闘大好きとか思われてることをみんなに教えたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.外国人は〇〇だとかよくみんな言いますけど、日本人含めた東アジア人は欧米で、格闘技大好きでいつでもやりたいと思っているとか思われてるってことをみんなに教えたいです!

A.なるほど…質問者さんは欧米に住んでいたり、滞在していた期間があるのでしょうかね。自分たちの集団におけるマイノリティに対して偏見やステレオタイプがあるのは、もしかしたらどこに行っても似たようなもので、人間の性(さが)とさえいえるのか…?と考えてしまいました。なぜそれが起こってしまうのか、性だとしたらどうしたら私たちはそれを乗り越えられるのか、みんなで考えてみたいとウ・サギは思いました。
ステレオタイプはNGというのは大前提として、格闘技大好きというのは、柔道や空手のイメージからなのでしょうか…。自分が格闘技に一切興味がなく、周りで大好きだという話もあまり聞いたことがないので、ちょっと困惑しているウ・サギです。

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update 2025/11/10
Q.苦しさを比べるなって言うけど、でもやっぱり比べちゃう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.苦しさを比べるなって言うけど、でもやっぱり比べちゃう。自分より長く希死念慮と付き合ってる人、虐待やいじめを受けた人、精神疾患を持ってる人。そういう人ってやっぱり自分より苦しいんだよなって。

A.ウ・サギも苦しみを比較していた派閥ではあるので、比べちゃうのはまあ・・・ありますよね。
苦しさは主観なので客観的な指標はないと思うのですが、「選択肢が奪われているか」「安全が守られているか」「感性や能力が今の社会と相性がいいか悪いか」など苦しさの要素を分解すれば、ある程度比較は成立するとウ・サギは思います。(このあたりは経済学者のアマルティア・センという人が興味深い話をしていたりするのですが、具体的に書くと長くなるので省きます)
自分の苦しみを軽く見たり抑え込んでも誰にも何も良いという点で、ウ・サギは苦しさの比較には基本否定的です。ただ、人間にはたくさんの要素があるので、自分の方が余裕があって相手の方が大変な部分と、逆に自分の方が大変な部分と、両方混ざっているのが人間関係だと思います。比べる行為が「自分が苦しいなんて思って申し訳ない」と自分を責めたり、「みんなつらいんだからあなたも我慢して」と相手を封じ込めるのにつながるのではなく、尊重し合うために活用されるにはどうしたらいいのか、ウ・サギは考えていきたいと思っています。

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update 2025/11/10
Q.子供と家族をお金で優遇するより、可愛がってくれる大人が増えることが良いことなんだろうな
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ヨーロッパで暮らしていた時、人の家に行ったり街のレストランやホテルのフロントで、たくさんの大人に可愛がってもらった。子供と家族をお金で優遇するより、社会の中に可愛がってくれる大人が増えることこそが子供にとって本当に良いことなんだろうなあ。

A.まったくもって、その通りだとカエルも思います。
それを実現するためには大人に余力や余裕がある必要があると思います。そして、自分も子ども時代に無条件で大人に可愛がってもらった経験の土台が必要だと思いました。それはおそらく制度やキャンペーンというような政策ではなく、教育や文化の中で培われるものだと思います。そういう世の中にどうやったらなるのか、一緒に考えたいですね。

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update 2025/11/10
Q.みんな国に認められたいから子供産むのか。虐待増えても無理ないよなと思いました。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.送迎バスの運転手が聞いていたラジオで、「子供産みました」「日本の社会に貢献していますね」というような内容が流れました。みんな国に認められたいから子供産むのか。じゃ、虐待増えても無理ないよなと思いました。

A.なんですかそのラジオは…(超モヤモヤ)。子どもが産まれるのは種の存続には欠かせませんが、社会貢献は多様の参加の形があり、出産がその中で特別視されるのは変だとウ・サギは思います。子どもは道具ではないので産むことが達成ではなく、その後子どもの人権を社会というチームで保障していくことが欠かせないはずです。それを十分に考えずに「貢献していますね」なんて呑気なことを言っている場合ではないでしょう……!とウ・サギは思いました。
みんな国に認められたいから子どもを産むのか?というと、家庭をもち子どもをつくることが望ましい人生だという風潮があるのは一つの事実だとは思います。ただ、国に認められたいという意思よりは、そういった風潮を内在化して深く考えずに、または深く考える余裕もないままに、いろいろなことが進んでいってしまうのかもしれません。信頼関係のあるパートナーだと、価値観とかではなく純粋に子どもがほしいし育てたい、といった気持ちなのかなとウ・サギは理解しています。

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update 2025/11/10
Q.おとなになって子どもつくったら虐待しちゃいそうで怖い。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.おとなになって子どもつくったら虐待しちゃいそうで怖い。

A.「おとなになって」と書いていることは今は子どもなのでしょうか。子どものうちから心配をするというのは真剣に自分を見つめている証拠だと思うので、カエルはその点についてまずは拍手を送ります。なぜなら、「自分は絶対に虐待なんかしない」と思う方が虐待してしまうリスクがあると思うからです。
そして、虐待というのは非常に社会的な課題であり、個人の問題で起こることではなく、また、個人の資質や責任や努力で何とかできるものではないことをお伝えしておきます。歴史的に見て、虐待が起こる大きな要因の一つに貧困(経済的な問題)があります。また、現代における虐待の背景には社会的孤立があります。お金に困らないようにいざというときのサポート(生活保護など)について理解しておき、いざという時に頼れる人や機関、方法を理解しておけば、虐待のリスクをかなり下げることはできます。
ちなみに世の中には「虐待の連鎖」という言葉があり、虐待を受けて育った人は虐待をしてしまう傾向にあるという情報が出回っていることもありますが、それはちょっと間違っています。虐待が連鎖するのではなく、虐待の背景にある困窮や孤立という環境は世代間で似たような状況になる可能性があり、そうなると虐待のリスクの高い状態は続くという傾向は確かです。そうした環境にあっても、頼れる大人に出会うとリスクがぐっと低くなるというデータもあるようなので、とにかく頼れる誰かにつながることが大切だとカエルは思っています。
※なんだか、小難しい回答になりました。とてもいい質問にいろいろな思いがふくらみました。お許しください。

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update 2025/11/9
Q.今ある希望を諦めたくない気持ちもあるが変化を起こすことに積極的になれず苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自力では死ねなかったから
安楽に死ねる選択肢が切実に欲しい
それでも、それが不可能な以上生きるしかない絶望と諦めを感じている
その一方で、今ある希望を諦めたくない気持ちもある
しかし、変化を起こすことに積極的になれず苦しい
どう思いますか?

A.とても自然な心の動きや揺らぎだと思うと同時に、変化をサポートするハード面・ソフト面両方の資源が乏しい現状を改めて感じました。本来は積極的にならずとも、それほど手間をかけなくても、自分が安心できる生活をしたいという希望は叶うべきで(それができてやっと最低限の人権の保障だと思います)、選択肢も多様にあってほしいとウ・サギは考えてるので、現状にやりきれない思いです。
また、希望を叶えたい気持ちが大きくなるほど、思うように動けない自分や優しくない現実に対するストレスや葛藤も大きくなるのだろうともウ・サギは感じました。絶望と諦めの中にいると、希望があってもまた何かのきっかけで絶望に引き戻されたり、変化へのエネルギーも枯渇して当然だと思うので、自分の思う中で一番快適に完璧に希望を叶えてくれそうな選択肢(安楽に死ねる選択肢)に強く惹かれるのもまっとうな心の動きだと思います。ウ・サギも時々、自分が消滅すれば自分の苦しみも全部解決じゃん、それでいいじゃん、と思うことがあるのでなんとなくわかる気もしました。

補足も読みました(これまでも質問くださりありがとうございます)。
お気遣いが伝わってきました。思うこと、感じることは誰にも止められないですし、湧き出てくるものがあるなら、それについて開示してシェアできるのが対話なのかなと思っています。だからなんというか、大丈夫ですし、むしろ良かったとウ・サギは感じました。

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update 2025/11/9
Q.前質問した者です。回答を見て、社会よりまず私を大切にしていいんだと思えました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「Q.穏やかに生きるのも安楽死するのもどちらも選べる世界になってほしい。どう思いますか。」の質問者です。
ウ・サギさんの回答を見て
無理に社会と向き合わなくてもいいんだ
社会よりまず私を大切にしていいんだ
そう思えました
ありがとうございます。

A.なるほど…!?ウ・サギの回答がどうよりも、質問者さん自身に自分を大切にしようとする気持ちがあって、そこがちょっと元気になったというか、改めて輪郭がくっきりしたような現象だと受け取っています。
社会というのは、なんだか外部のことにも聞こえる言葉ですが、つまり「私たち」のことだとウ・サギは思っています。だからまず「私」に適切に優しくするところから、その私が少しずつ「私たち」に広がっていく世界であってほしいと思います。

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update 2025/11/4
Q.障害者界隈で、障害の種類や重さでのヒエラルキーを感じて辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.障害者界隈で活動していると、障害の種類や重さによってヒエラルキーがある事を日々感じて辛い。ただでさえ世間で肩身が狭い障害者同士なんだからフラットに仲良く出来ないものかといつも思う。

A.つまり、いわゆる障がいが重いほど、ヒエラルキーが高いということでしょうかね……。ウ・サギは界隈についてはよくわかりませんが、似たしんどい立場や気持ちがある同士は、共感したり支え合えるときもあれば、大変さのマウントや押し付け合いが生まれてしまうときもあるので、可能性と難しさの両方を感じています。
つらい思いをした=誰かのつらさを理解できる、寄り添えるという側面と、つらい思いを耐えてきた=だからみんなも耐えてくれていいでしょ、私の方が大変なのに…と感じてしまう側面と、ウ・サギも時々後者の自分が顔を出してしまうこともあります。(おそらく)誰しもがそういった両側面を抱える中で、コミュニティがフラットな関係で続いていくには、どうしたらいいのでしょうかね・・・。ピアグループの中にひとつまみでいいので、心が回復して安定している当事者と、社会問題として生きづらさを一緒に考えられるマジョリティが参加しているのが理想なのか・・・?ウ・サギもそのあたりは模索し続けたいです。

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update 2025/11/4