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Q.恋愛や性的な感じで甘えたいわけでは無いが、甘えたい。この感情をどう考察しますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.赤ちゃんや幼児みたいにべったりと甘えることを許されたいと思うけど、全ての赤ちゃんや幼児が甘えを許されてるわけじゃないよなとも思う。また、恋愛や性的な感じで甘えたいわけでは無いけど、甘えたい気持ちはある。この感情をどう考察したらいいでしょうか?

A.なんだかとても自然な気持ちだと感じました。気持ちや求めているものは人それぞれだと思うので、もし質問者さんとは反対で恋愛や性的な惹かれだと自分で感じているものだとしても、実はカテゴリーに入りきらないオリジナリティ性があるのでは…?とウ・サギは思っています。甘えたいといった気持ちは、十分な安心や受け入れてもらった感覚が蓄積していないときに湧いてくる、ある種の渇望のようにウ・サギは捉えています。
また、「こうではないけど、こういうのがほしくて…」と、自分なりの表現を丁寧に探そうとするスタンスが、質問者さんの個性であるように感じました。自分の感情や感覚をそこまで深めずに、何となくこういうものかな、とカテゴリーに入れてしまう方が世の中では多数派な気がします。

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update 2025/12/20
Q.前質問した者です。もしかしたら私の見た表現は「私は~と思う」という表現だったかもです。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.「マイノリティは社会に変わることを求めずに自分が変わるべき」みたいな表現を見てショック
の質問をした者です。正確な表現は覚えてないので、もしかしたら私が見た表現は「私は〜と思う」という表現だったかもです。でもショックだったのは確かです。

A.誰がどんなふうに言った言葉かさておき、ショックを受けるときというのは、ショックを受ける側に何かしらショックのもとがあり、それがある表現に触発されたという理解をするのが妥当だとカエルは思っています。
そして、ショックやストレスについては、最近聞くようになった「予測誤差」に関係していることも多いというのがカエル調べの結果です。つまり、ショックを受ける側の想定や許容範囲という枠組みがあり、それを揺るがしたり、超えてしまうような表現に出会うときに起こるものかなと思います。
生きている以上はそうした出来事は起こることだと思うので、脳や心の災害みたいなものだと理解してみるとどうかと思います。人によって脳や心の構造は違うので、こんな災害には弱いとか強いとかそれぞれ違いそうですし、そうなると災害への備えも人によってずいぶんと異なるのかなと思います。ただ、どんな災害に弱いのか分析できると災害を防ぐ方法(物理的に危ない事物から距離を置くとか、避難訓練をしておいて遭遇してもびっくりしないようにしておくとか)や起こってしまったときの対処法(どこに逃げるか、誰を頼るのかなど)も策を講じることができそうだとカエルは考えてみました。

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update 2025/12/18
Q.考え過ぎて疲れていることが多々ある。自分のことが嫌い
この記事の担当 所長室

Q.いつも不安を感じてしまっていて、たくさん考え過ぎて疲れていることが多々あるんです。昔の嫌な自分を思い出したり、みんなは私をどんなふうに思っているのかなとかいろいろ考えてしまいます。自分のことが嫌いです。どうすればいいでしょう。辛いです。

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります 

ウ・サギ 補足では『ポジティブに考えなきゃって思ってる』って。
カエル そうなんだ。なんでポジティブをみんなこんな推奨すんだろうね、社会で。不思議なんだけど。「ネガティブはダメ、ポジティブに生きよう」みたいなキャンペーンがすごくない?
ウ・サギ いろんなネガティブなことに目をつぶってほしいからじゃないですか?
カエル 陰謀論?
ウ・サギ そこまで言うと極端ですけど……。ネガティブなこと言うっていうのは、要は周囲に変わってほしいっていうか、自己責任論がポジティブっていうか。あなたの捉え方で、このどうしようもない社会とかどうしようもない大人を受け入れてくださいみたいな。
カエル それでも、そんな現実を受け入れて元気に行こうぜみたいな? それ陰謀論じゃん。
ウ・サギ 「健康に生きてる俺らはもう頑張りたくないんで」みたいな感じで、つらい人にポジティブを強制してるのかなってウ・サギは思ってました。
カエル ウ・サギの解釈はだいぶ陰謀論に寄っていると。
ペン 新しい陰謀論が……。
カエル 世の中の課題に目を背けさせるために、こういったラベルが貼られていると。
ウ・サギ 周囲の人の責任みたいな部分を問われたくないみたいな。
カエル でも世の中良くするためには、成長するには、ネガティブが大事だとカエルは思うんだよね。そこを見ないと変われないじゃない?
ペン 成長したくないんじゃない?
カエル 放棄してるんだな。
ウ・サギ ポジティブ推奨派はね。
カエル (コメントで)『ネガティブだけを都合よく消すのは無理だと思う』だって。ネガティブは大事なんですよ。ネガティブでヒトは成長。カエルもペンギンもウサギも成長する。「一人で抱えると毒だから、それを仲間と一緒にネガティブを餌にして、みんなで何かを作るんだよ」っていうこと言ったらポジティブみたいに言われるね、これ。今の。「ネガティブをポジティブに語ってるから矛盾じゃないか」って誰かにツッコまれた。頭の中で。
ペン 頭の中で? やみーペン、「コアラになるってこと?」ってことしか思い浮かんでなかった。
ウ・サギ コアラ?
ペン コアラは毒を食べてさ、生き残ってるでしょ?
カエル ユーカリの毒を食べて、他の動物と競合しないように。
ペン そうそうそう。
カエル みんなでネガティブをちょっとずつ食べて生き残ろうつっても魅力に感じないね。
ペン 人類コアラ化計画ならず。
ウ・サギ やみーペンはさ、(質問文から)『みんなは私をどんな風に思っているのかな』とか考えることある? 昔。
ペン 昔考えてた。
ウ・サギ それはどういうシーンで? 自分に自信がないみたいなそういうこと?
ペン 自分軸が無いからだね。他人に評価されないと分かんなかった。
カエル 基準が中に無いってことだね。
ペン そうそう。
ウ・サギ この質問も、ある意味「軸が欲しい」っていう風に言い換えられなくもないのかな?
カエル 軸が出てくると、不安とか考えすぎるっていうのが少し解消するかもしれないよね。自分という者のフィードバックを評価無しでしてもらう機会がたぶんすごく少ないんだよ。フィードバックはもれなく評価されて、「これはいい。これは悪い」「こういう人でいなさい」じゃなくて、「じゃあ、そういう人なんだ。なるほど」だけでいいのにね。
ペン でも、やみーペンも評価しちゃう〜! 難しい。
カエル 自分の拠り所がないとつらいから誰かに求めたくなるし、いつも警戒態勢にいるとね、疲れちゃうからね。要因があるんだと思うよ、それの。自分のせいではなくね。
ウ・サギ いろんなこと感じ取っちゃうんですかね。やっぱり不安感じたりとか。
カエル 感じ取りやすいのはね、もうどうにもなんないからな、これ。
ペン デトックスできるところに行って、ちょっとリセットできる方が楽かもしれない。
カエル 日常の少しでも気にしない瞬間というか、そういう時間空間を持つ工夫があるんだったら、そういう時間を増やすとか、あんまり人と会わないようにするとか、大事だよね。どっちにしても、ネガティブでもいいんです。嫌いでもいいんじゃない? それはそれでね、しょうがないよね。好きにならなきゃって思うから余計に嫌なのかもしれない。
ペン 好きでも嫌いでもないぐらいがちょうどいい気がする。
カエル あと、好きになったり嫌いになったりね。そういうこともあるでしょ。カエルすぐいろんな人のことをすごい瞬間的に好きになったり、瞬間的に嫌いになったりするよ。絶対的に好き嫌いは無いね。そのときによって違うじゃん。
ペン 自分に対してもね。
カエル 自分もそう。「なんか結構やるじゃん」って思うときもあれば、「やばいわ」って思うときもあるよね。
ペン 「なんてぐうたらなペンギンなんだ!」って思うときもあれば「なんて最高にフットワークの軽いペンギンなんでしょう」って褒めることもある。
カエル あらゆるヒトやカエルやペンギンやウサギ……生物はね、そういう多面的なものだから。

update 2025/12/18
Q.人を分類する言葉に違和感を覚える。何故人を安易な言葉で形容して箱に入れようとするのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人を分類する言葉に違和感を覚えてしまいます。何故、人のことを安易な言葉で形容して箱に入れようとするのでしょうか?また、個性を消して、生きることが美徳とされているように感じます。かくいう自分もそれに縛られて生きています。どうすればいいですか?

A.補足の内容も少し入れて整理させてもらうと、人を分類する言葉は例えば「優等生」であり、その背景に、使いやすい人間と使いにくい人間で分けるような価値観を感じ違和感を抱いている、という話で受け取りました。
人を安易な言葉で形容することについては、
・アイメッセージ(私はこう思う)ではなく、ユーメッセージ(あなたはこうだよね)で伝える
・形容された側が、違和感や抵抗を抱いても、反論できないくらい力を失った状態にある
の2つがそろったケースであれば、まさに箱に入れるような暴力性が生じるとウ・サギは思っています。
ただ、話を深めていくと、他者の個性を形容することは、その他者の個性についての話題というよりは、形容した側の価値観を話している意味合いが強いとウ・サギは捉えています。わざわざ誰かを優等生だと言う人は、優等生を望ましいと思っているか、優等生になりたいか、優等生じゃないとまずいというプレッシャーを抱えているか、とにかく「優等生」ということに何かしらの意味を感じている人ではないでしょうか。だから「あの人は○○だよね」という形容は、誰かを箱に入れているように見えて、実は自分が閉じ込められている箱について語っている発信なのだとウ・サギは考えています。
つまり、何故人のことを安易な言葉で形容して箱に入れようとするのか?の問いへの答えは、自分自身が箱に閉じ込められているから、というのがウ・サギ説です。個性を消して生きることが美徳とされていることについては、力を持っている側が力を持ち続けるにあたって、力のない者が思考停止で従ってくれるのが都合がいいという力学のようなものが働いているように思います(勿論、それ以外の要因や背景もあると思いますが、ウ・サギとしてはそういった力学に一番着目しています)。このあたりは、もしもっと興味があれば、パウロ・フレイレの「被抑圧者の教育学」という本をぜひ読んでみてください。ちょっと難しいかもしれませんが、言葉や概念を「押しつけられるもの」「受け入れるしかないもの」ではなく、「自分たちで考えるもの」「つくっていくもの」とすることが、社会づくりの本質であるといったことが書いてあります。
だから、どうすればいいですか?は、こうやって世界を自分の言葉で語り、対話し続けることだとウ・サギは思っています。いい質問をありがとうございました。

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update 2025/12/12
Q.愛情が足りてなくても大人になると関係なく生きろとなるのはなぜ?
この記事の担当 所長室

Q.愛情をたくさんもらって大人になった人もいれば虐待など危険に晒されながら生きて愛情を充分にもらえず大人になった人もいるのに、大人になったら関係なく生きていかないといけないのはなぜ?

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります

ウ・サギ この質問者は、大人になったら「はい、自分でどうぞ。大人でしょ」みたいな空気を感じてるっていうのが、補足には(書いてある)。
カエル これ分かる。カエルはね、頑張るための土台って呼んだりしてるんだ。必ずしも愛情だけじゃないんだけど、食べ物とかも含めて物理的な満足感もそうなんだけど、何かしらの欲求を満たされるってことだよね。それが飢えて育ってしまった人だと、飢えちゃうと心が落ち着かなくなることが多くなるから、「これをやりましょう」っていうときに上手くできないとかは多くなっちゃうよね。でもこれ、とってもいい。その通りって思う。
ウ・サギ 読んでそう思った。「その通りだよな」って。
カエル これ、やみーペンよく言ってたじゃん。実年齢じゃなく、その土台年齢みたいなものを。
ペン 病んでるときは引くんだよ、実年齢から。
カエル だから、本当は20歳だけど、まだ3歳です。正々堂々と3歳としてまだ足りてませんって見えればいいのにね。
ウ・サギ 安心とか愛情の蓄積メーターが見れればいいのにね。
カエル いいのにね。
ペン チェックシート欲しいよ。
カエル そしたら大変なしんどいのが周りにも分かるし、わがままじゃないっていうのが分かってもらえるんだけどな。
ウ・サギ そしたら仕事も宿題もしないで遊んでていいってことになるんですか?
カエル もちろんですよ。
ペン 「保育園からですね」って。
ウ・サギ やったー。
カエル よく「大人の保育園欲しい」って言われてた。大人になっても保育園からスタートしたいわって。
ペン やみーペンもそう思う!
カエル こういうのは理解が広がるといいと思うよ。
ウ・サギ 広げたいよね、まずは。
カエル 少しずつね。それこそトラウマインフォームドケアとか、とても狭い業界内でようやくチラホラ聞くようになったぐらいだからね。(コメントで)『実年齢から引くのいいと思います!』って。
ペン やみーペンは未だに心の3歳児がいるのと……。
カエル 暴れてるよね。
ペン 暴れてるのと、思春期ぐらいのがいそうな気もするし……。
カエル 苦労するとさ、凸凹年齢になっちゃうんだよね。それが周りから理解されないと思うんだ。見えるのはね、体とか顔とか。見てくれが大人になっちゃうから、もれなく。これが残念なんだよね。
ウ・サギ 振る舞いもすごく大人びてたりする場合ありますよね。「しっかりペンギンだ」って思って。「じゃあ頑張ってね」って。
カエル (コメントで)『私も2歳くらいかも』だって。いいね! 自己申告しちゃおうぜ。自分が何歳か言っちゃう。生きづLABOでは、生きづLABOスクールとかやるときは、入学のときとか履歴書とかに「あなたの●●年齢を教えてください」って。実年齢と●●年齢。
ウ・サギ 心の土台年齢とかですか?
カエル 心の土台年齢をチェックして、「まだこれだけだから伸び代があるよ」ってことにすればいいね。
ペン やみーペン、最近子ペンギン達も凸凹してるのを見るから……でも、やみーペンも凸凹してるしっていうのを許容しあえる仲になると楽だなって。
カエル お互いに開示して理解しあえば補い合ったりできるもんね。そういう実感がさ、いろんなとこに行ったときに役に立つと思うんだよね。補い合うっていうところが。何でもかんでも「一人前にやりなさい」って言われるんじゃなくて、優しい世界になるよね。
ペン 大人だってね、どうせ心の3歳児いるくせにね。
カエル それを言われたくないから弱い者いじめとかしちゃったりするからね。
ペン 小学校3年生が暴れ散らかしてるからな……。
カエル 【質問4】の虐待する親とかもさ、●●年齢やばいじゃんみたいなね。
ウ・サギ 【質問4】でいくと、当たり前を言ってくる人はたぶん小学生ですよね、年齢が。
カエル 当たり前を言ってくるのは小学生だね。まだ大人じゃないねって。
ウ・サギ 自分の言ってることとか見てることが正しいんだっていうのは小学生ですよね、年齢的には。
カエル その通りね。他者は想像できないっていう。みんなとこの議論したときに、大人認定や子ども認定制度とかって作ればいいんじゃないかって言って、障がい認定や介護認定あるんだったら子ども認定にして、「『要養育度5です』とかやればいいんじゃない?」とか言って……。「いいね。認定制度だったら設定で度合い出るもんね」って言ったら、みんなで「大人いなくなるんじゃない?」って話をしたんだよね。認定しようとしたら大人がいなさすぎてやばくなる可能性あるわって言ってた。
ペン 大変だ。
ウ・サギ お互いがもう「子どもの国だ」っていう風に理解して始めていくのがいいかもしれないですね。
カエル それいいと思う。子どもの国だ。
ウ・サギ 未熟同士で頑張っていこうって。
カエル 子どもの国から始めようぜ。

update 2025/12/7
Q.孤独は埋まらないものと気づいてから、造詣が深くなったと同時に感情を抱えきれなくなった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人は誰しも孤独を抱えているけど、孤独の形や輪郭、解像度はそれぞれ違くて、何かで埋めようとしても埋まらないものだと気づいてから、感情の造詣が深くなったと同時にその感情を抱えきれなくなりました。どうしたらいいですか。

A.補足もありがとうございます。ウ・サギ自身の感覚や関心とリンクするところもあったので、興味深く読みました。
まず、自分の感情を繊細に感じることができて、掘り下げることができて、言葉にできるのは一つの才能であり力だとウ・サギは思いました。感情の造詣が深くなったと同時に感情を抱えきれなくなったとありましたが、何かを追究するというのは近い次元で思考や感覚を共有できる相手が限られることにもつながると思うので、孤独がより深まるのかもしれないと感じたりもしました。
ウ・サギは「誰しもが孤独だから、孤独であることは独りを意味しない。むしろ掘り下げれば全ての存在とつながっている(多かれ少なかれ痛みを共有できる)」という考えをしています。うまく説明はできないですが、そのために芸術があるし、創作をするのだと思っています。行き場のない孤独が創作を生み出し、連帯や癒しとつながっていくのなら、孤独というのはある種の資源であり可能性の塊といえるのかもしれません。といっても、孤独がつらさや痛みを伴うのは、たぶんあまり変わらないのだろうとは思います……。

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update 2025/12/6
Q.サポートを受ければ私も働けるかもと思う一方で、意欲が湧いてこない自分が嫌になる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害年金や生活保護を活用しつつ、働く上での支援やケアやサポートも受けながらなら、私でも働けるのかもしれないと思う一方で、そこまでして働かなきゃいけないのかなって気持ちが強く出てきてしまう。意欲が湧いてこない自分が嫌になる。

A.意欲がわいてこないのは、準備が整っていないからだろうとカエルは思います。
まだ、安心安全の保障や、自分の存在や力へのある程度の信頼感など、社会に貢献するために必要なものが整っていない時点ならば、イメージがわかなかったり、懐疑的になることは自然だと思います。もちろん、個人差があるので、そうした準備が整っていても「働きたくない」と思う人はいるかもしれません。そして、必ずしも自分から積極的に「よし働くんだ」という意欲を前面にして働くようになるのではなく、「仕方ないけど必要だから働くかな」ぐらいの意欲が自然だと思っています。
また、物事を継続することは簡単なことではないので、働くようになっても体調や環境、その時のいろいろな条件の中で、働きたくない気持ちが大きくなることも自然だと思います。これは働くことだけではなく、あらゆることに対して意欲のある時もあれば、そうでもない時もあるというのが当然なのかなとカエルは思っています。そうした、気持ちやモチベーションの揺れにつきあいつつも、自分なりに向き合い続けることを含めて、生きることそして働くことだとカエルは思うのです。
そして、働くシリーズで質問をしている質問者さんは「働くこと」というキーワードをめぐって問いが展開しているようですが、実は「働くこと」に含まれる別のことに引っかかっているようにもカエルは思えます。働くことの中に本質的な何かが隠されているような気がするので、一度、テーマから離れてみると何か見えてくるかもしれないと思うカエルでした。

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update 2025/12/6
Q.目に見える形で壊れたら…の質問に共感した。私もそう思うと同時に、見捨てられる不安もある。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.目に見える形で壊れたら…の質問に共感しました。私もそう思うと同時に、もしバラバラに壊れてしまったら、醜いと思われて人から見捨てられるんじゃないかという不安もあります。

A.この質問か、この質問のことでしょうかね。ちゃんとしようとする気持ちが強いほど、実際にちゃんとできてしまうほど、負担が果てしなく溜まっていく構造にはウ・サギもいつも悩ましさを感じます…。見捨てられるかもしれないという不安も、本当に厄介なものですよね……。
ちなみに、励ますでもないですが、バラバラに壊れることは「醜い」とはならないとウ・サギは思いました。なぜかというと、人は誰しも弱くて脆い部分がある(バラバラに壊れる可能性のある)存在なので、自分の弱さや脆さを正しく知って受け止めている人から見たときに、壊れることは恐怖や嫌悪ではなく共感の対象だと思うからです。誰かの弱さを否定したり見捨てる人は、自分自身の弱さから逃げているのだとウ・サギは思っています。話がズレてしまって失礼しました。

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update 2025/12/3
Q.「働きたくない」の違う表現を考えたら「休みたい」とかが出てきた。こんな感じでいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働きたくない」の違う表現を私自身で考えたんですが、
「もう頑張りたくない」とか「これ以上の苦痛は嫌だ」とか「やりたいことをしたい」とか「休みたい」とかしか出てきません。
こんな感じの違う表現でいいのでしょうか…?

A.はい、そうした表現をする方が、社会に対して正しく理解をしてもらえるかとカエルは思います。「働きたくない」と表現すると、誤解を受けかねないと思います。だから、つまり「働きたくない」というのは、個人の気持ちという切り口からの表現で、掘り下げていくと、社会について考える機会(働くの本質は何?今の働くはどう偏ってしまっているの?…)になります。
「もう頑張りたくない」と言われれば、そう思うほど頑張り続けてきたのか、それはどういうことだ?と疑問につながりますし、「これ以上の苦痛は嫌だ」と言われれば、そう思うほどの苦痛は何だろう?と知りたくなります。また、「休みたい」と言われれば、何から休みたいのだろうかと、その発言の背景や理由を社会のこととして対話することができます。
まぁ、「働きたくない」と言われても、「どうして働きたくないのですか?」とカエルは深めたくなるのですが、相当の深める志向の持ち主ではない限り、「何、わがままなこと言ってるんだ」という印象を持たれてしまうように思います。だから、自分の気持ちを社会と結びつけて、表現する機会が、この社会が少しずつ変わっていく機会になるとカエルは思っています。でも、苦しさが強くなるとそんなことまで考える気力もなくなりそうですし、そもそも社会について知る機会も、権利について学ぶ機会も少なすぎるのでそのあたりも課題かと思っています。

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update 2025/11/30
Q.支援学校までしか行っていなく、これからの生き方がわからない。どうしたらいいだろうか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援学校までしか行ってなくてこれからの生き方がわかりません。学力もなくやる気も出ません。どうしたらいいでしょうか

A.カエルも支援学校についてはわりと実態を知っている方ですが、支援学校は一人ひとりに応じた学びを提供してくれる教育環境としては、悪くないと思っているところがあります。ただ、世間からの評価として支援学校が通常の学校よりも劣るという理解をする人が多いかもしれません。学力に関しても、確かに今の社会では高い方が低いよりも優遇されてしまうので、学力がないと生きるうえで困ることも少なくないかもしれません。ただ、カエル的には身近に支援学校を出て、その人なりに生きている人もいますし、学力がなくてもぼちぼち生きている人もいれば、学力があってもかなりしんどい状況の人もいます。だから、カエルとしては、学力や学歴ではなく、あなたのやる気が出ない要因は他にありそうだと思っているところでした。何はともあれ、何かをしようと思ったときに最も大切なのは自分を知ることだとカエルは思うので、誰か自分のことを一緒に考えてくれる人と話してみてほしいと思いました。もしすぐに見つからなければ、いつでも質問をください。

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update 2025/11/28