Q.私は、人と関わる時に、相手の顔色を伺いがちです。ちょっとした会話でも「あの時の私の一言で、相手を傷つけてしまったかな?」と考えてしまいます。全ての人の機嫌が取れるほど自分は完璧じゃないと分かっていても、人の顔色が気になってしまいます。
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Q.私は、人と関わる時に、相手の顔色を伺いがちです。ちょっとした会話でも「あの時の私の一言で、相手を傷つけてしまったかな?」と考えてしまいます。全ての人の機嫌が取れるほど自分は完璧じゃないと分かっていても、人の顔色が気になってしまいます。
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Q.幸せな生活を送りたいと毎日思うのに、幸せが具体的にどんな状態かわからない。そもそも幸せが何かわからないから、この願いが叶うことはないんじゃないかと思う。どうやったら幸せが何かを理解することができると思いますか
A.ウ・サギは幸せだと感じた瞬間がこれまで2度(合計3時間くらい)しかないので、お答えできるかは自信がないですが、まずそもそも幸せは「理解する」ものではなく「感じる」ものかな・・・?とは思いました。そして、幸せがどんな要素で起こるどんな感覚かは人それぞれだし、幸せ(と表現したい感覚のある日々)だけが豊かな生活というわけでもないのだろうと思います。ちなみに、ウ・サギは幸せを感じるよりも、interestingでexciting(突然の英語ですが、このニュアンスが一番しっくりきます)な生活を希望しているタイプです。
ただ、あなたにとっては、幸せというイメージが大切な意味をもつというか、惹かれるものなのだろうと受け取りました。ウ・サギ調べでは、「こうなりたい」という強いイメージや願いは、「○○なしんどさを全く感じない世界に行きたい」といった、不安や傷から生じる場合が多いように感じていますが、どうでしょうか。願いを叶える方向にだけ目を向けると、不安や苦しみが募ってくるので、願いを分析したり解剖する方向に目を向けてみるのはウ・サギとしてはおすすめです。
普通になりたい、愛されたい、役に立ちたいの分析・研究はしたことがあるのですが、幸せな生活を送りたいの分析はまだ聞いたことがないので、何かわかったら質問箱に送ってくれるのも歓迎します。
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Q.力不足な自分が嫌になります。歳を重ねる毎に、悩みと不安と心の苦しさが増えていくばかり…どうやって、気分転換していけば良いだろう?どれも当てはまらずです。苦しくない気分転換を探す方法を知りたいです。
A.力不足とは、何の力なのか気になってしまったカエルです…
どんな力でもあればいいこともあるかもしれませんが、それぞれ限界もありますから、身の丈の力を認めて生きていくしかないとカエルは思っています。
そして、気分転換も難しいですね!みんな気分転換の方法や効果は違うと思うので、探す方法もそれぞれ工夫してみるしかないのかなと思います。一つ思ったのは、わからなくなっているときは、何かが足りないよりも、何かに縛られていたり、視野が狭くなっていることの方が多いものです。知識や知恵を取り入れようとするよりも、自分の中にある固定概念やこうあるべきなどという、思い込みや観念を捨てて自由になることの方が効果的な場合が多いです。とはいえ、捨てるのって簡単ではないのですが…トライする価値はあるかと思います。
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Q.前までは夜、その日にあった事や過去や未来の事を考えて泣いて苦しんでたんですけど、薬を飲んだらそういう事も無くなりました。良いことだとは思うけどこの苦しい思いをしたことを忘れたらどうしようと思っています。どう考えたらいいですか?
A.ウ・サギはそういった経験があまりないので(今は気が紛れているときも多いですが、しつこく過去のことをあれこれ考えて苦しんでいます)、なるほど・・・と思いながら想像を巡らせています。
ただ、たとえ忘れたり今は苦しさを感じなくても、苦しい思いが「無かったことはならない」とウ・サギは感じています。食べたものを忘れても、体は食べたもので構成されているように、記憶やエピソードを忘れて、感情を鮮烈に感じることもなくても、経験や思いはどこかに積もり続けて私たちを形作っていると思うのです。
苦しい思いを感じるべきとき(感じる余裕があるとき、かもしれません)になったら、自然と思い出すような気もしますし、小説を読んだり映画を見たりする中で、ふと自分の感情や記憶が湧き上がってくることもあるかもしれません。だから、今はそういうのを感じる機能を鈍らせている「時期」なだけで、本当に自分の中から何かが失われるわけではないようにウ・サギは思いました。
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Q.配信20回の質問6、権利の質問を送った者です。皆さんのお話を聞いて、権利は自分の中にずっとあるから、使えるタイミングで使っていいよ!(気が向いたら使ってね〜)みたいなことかな?と思いました。他にも気付いたことがあるので補足に書いてみました。
A.わざわざ、丁寧に気づいたことを送ってくれてありがとうございます!
はい、そうです。そんなイメージです。権利(特に基本的人権と呼ばれる種類のものは)は誰にでもあって、その人の必要なタイミングで使えるものいう理解でよいと思います。特に子どもの場合は「生きる権利」「守られる権利」「育つ権利」「参加する権利」という4つの権利があると言われています。
補足にもご自身がどのように情報を理解したかというプロセスについて詳しく書いていて「なるほど」と思いました。カエルも、人から聞いた話が、自分の中で変換されていくのを経験したことが何度もあります。カエル自身もありますが、特につらい経験をしてきた人や情報収集に癖がある人は、願望や期待などが入ってしまうことが多く、変換の幅が広くなることがあると思います。
また、似たようなたくさんの情報があると、自分の中でつなぎ合わされて別のことになったりまします。そのことで、知らないうちに最初の情報と違う理解になることも自然なことだと思います。カエル的には、そうしたことはよくあることではありますが、質問者さんのように自分の情報の偏りを冷静に振り返り、「誤解でした」と宣言できる潔さにアッパレ!と言いたいです。自分を振り返る力は、必ずや自分を守ってくれるとカエルは思っています。
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Q.なぜ私は怖いものを怖いのに見たがるのでしょう。怖いものを見た時、最初は何とも思いませんが、その後急に怖くなります。風呂にも入れないし一人の空間にいられないので正直生活に支障をきたすくらい怖がっています。しかしまた怖いものを見たくなるのです。
A.怖がりなのにホラーを見る層は結構いる気がするので、支障をきたすくらい怖くなるとわかっても怖いものを見たがるという事象は案外自然なことなのかも…?とまず思いました。個人で見ていったら理由は様々かとは思うのですが、その行動は矛盾しているようで、実は合理性や意味もある、という感じがします。
もう少し考えると、ホラーだけでなく、鬱マンガや鬱ゲー、胸くそ系など、見たら気分が落ちるものもジャンルとして成立していますよね…。(ウ・サギは怖いものは避けるタイプですが、鬱系のものは時々見ちゃいます)
人間は危険を避けるために、基本的に快よりも不快や恐怖を強くインプットするらしいですが、それが不快や恐怖だとしても、何かに圧倒されたり耽るのは一つの現実逃避としては有用なのかもしれません。現実がすごく大変じゃなくとも、考えないといけないこと、やらなきゃいけないことはどうしてもあるので、どんな方法だろうとそれを完全に心から追い出す時間があることは、生きるためのバランスを保つのに役立つような気もします。
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Q.私は今(体的に言うと)思春期?だと思います。でも、思春期 という言葉を見た時にすんなりと受け入れられました。自分でも驚きました。そういう人はいますか。
A.思春期!なるほど…?でも名前がついて納得することってあるよねぇ〜。やみーペンは…どんな名前がついて納得したかなぁ…あ!メンヘラのメは酩酊状態のメなんじゃない!?ってウ・サギと思いついた時にはしっくりきたよ!(こういう話と違ったらごめん……)
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Q.身内を亡くしたのと 職場の人事異動が重なって 体調を崩してしまった
子育てもしながら働いていたので
元々過度に負担がかかっていたところに更につらすぎる衝撃がきた感覚だった
耐えきれず 退職してしまった がんばればよかったのか……?
A.耐えきれず退職したのであれば、それは妥当な一つの判断だったのだろうとカエルは思いました。カエルはそうした直感的なことや衝動的なことはわりと妥当なことが多いと思っています。後になって、間違いだったとか、本当はそうじゃない方がよかったと結果論はいくらでも言えますが、その時に自分の中から出てきた思いは大事にして悪いことはないと思っています。
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Q.現実がつらいときのために、ソーシャルゲームを始めました。けれど、現実を蔑ろにしてまでゲームにどっぷりハマってしまいました。それは望んでいなかったので、困っています。どうしてこんなことが起きているのでしょうか。ゲームってそういうものでしょうか
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Q.休めば元気になる前提について
休んでもやりたくないことをやりたいと思えるとは限らない
できないことができるようになるとも限らない
そもそも「休んでいる」ほうが本人にとって無理ない生活スタイルかもしれない
そう感じるのですが
どう思いますか?
A.興味深い意見だと思いました。「休む」「元気になる」を世間で言われているイメージで捉えるか、質的な定義で考えるかで、たぶん話は変わってくるのかなとは感じます。
世間で言われているイメージの「休む」=学校や仕事など外部のタスクの多い世界に行かない、寝る、何もしないなど、「元気になる」=学校や仕事などに行く、周りの要求を満たせるようになる、活動的になるなど で考えるなら「休めば元気になる」なんて前提は、暴力的だし突っ込みどころの塊だと思います。あなたの言う通り、休んでいる方が無理ない生活スタイルのこともあれば、休んでも何かできるようになるとも限りません。そして何より、世間の求める元気像は理不尽に要求が高く価値観が限定的だとウ・サギは思っているので、思考停止の「休めば元気になる」キャンペーンには疑問を投げかけ続けたいと思います。
ただ、「休む」=自分のパフォーマンスが上がるようにセルフケアをしたり環境調整をする、「元気になる」=自分の本来もっている力が発揮できる(阻害されない)ようになる、といった質的な定義で考えるなら、「休めば元気になる」はある程度真理なのかなと思っています。その定義で眺めると、周りからは忙しく見えるくらいが実は休んでいる状態の人もいるかもしれないですし、別に元気といえるような様子に見えなくても休んでいると言われる状態であろうとも、本人も周りも苦しんでいないなら何でもありだと思います。
でも考えるほどに、「休む」は「元気になる」「働く」を正しい状態と定義して生まれている表現な気がしてきて、簡単に使うのは危ういのかもなと思えてきました。考えさせられる質問をありがとうございます。
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