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タグ哲学
うさえながの過去質問箱一覧
この記事の担当 うさえなが

所長たち個別のXアカウントを削除するため、質問箱(Peing)で回答していた質問をまとめました。
(一部、当時のXの内容を見ないと流れが不明なものや、固有名詞の出ているものなど、載せていない質問もあります。ご了承ください)

Q.何をしている時が楽しいと感じますか?私は絵を描いている時間が無心になれて好きです!
A.我はいつでも楽しいよ!
今度うさえながの絵も描いてね〜
 
Q.テストの時期になると親が全力で協力してくれるのですが、それがプレッシャーって点がもし低かったらどうしよう。と怖いし辛い。どうしたらいいですか
A.うさえながに質問ありがとう!嬉しい!
怖いの辛いのはイヤだなあ。
うん、怖いの辛いのはイヤだ!
 
Q.月曜日が嫌すぎて寝れません。今は月曜日の夜なのに、火曜日も嫌で寝れません。へいじつはにがてです。
A.へいじつもきゅうじつにしちゃえばいいんじゃない?
我は寝たいときにいつでも寝てるよ!
 
Q.うさえながさんのマインド、好きです。
A.マインドってなんだ?よくわからないけど、うれしい!
 
Q.うさえながさんによく救われます。ありがt
A.何かよくわからないけど、嬉しい!また質問してね~
 
Q.情緒不安定ってどうやったら治るんでしょうか?親からは気持を強く持てとかよく言われるんですけど、できないんですよ。何か他の解決策ってありませんか?
A.質問ありがとう!気持ちを強く持てってどういうことなんだろう。うおーって感じ?解決策は…我にはわからない!教えてみんな~
*生きかたカエルから*
とりあえず、親の言うことはスルーですね。
不安定は悪いことではありません。
不安定だなってわかっているからOKでしょう。
*ウ・サギから*
ウ・サギはそこそこ情緒不安定な中なんとか生きています。経験的に、不安やストレスがかかると情緒不安定が加速するので、強い気持ちで嫌なことからは逃げるのがオススメです。
 
Q.自分に疲れました。
A.自分に疲れるって、なんか大変そう!うさえながはケーキ食べると元気になるよ!
 
Q.小学5年生の2学期~現在まで不登校で今年中3なので高校受験があるのですが、不登校になった頃で勉強が止まっているので中学校の勉強が学べる通信制の高校へ進学予定なのですか、昔から人見知りで話すのも苦手で少し人が多いところに行くとすぐに人酔いしてしまって話せなくなってしまうので、これから学校見学等に行けるか、ちゃんと話せるか不安です。人見知りで話すのが苦手で酔いやすい人でも話しやすくなる方法はありますか??まずクラスに入るというのもひとつの手かもしれませんが、いきなり中3の勉強なんてわかりません。入ってもちゃんと話せる、自己表現できる自信がありません。(1度もクラスに入ったことがありません)
A.我は学校に行ったことない!から、生きかたカエルに聞いてきた。
「理解のありそうな通信制高校みたいだから、まずは行ってみて、一人でも話せる人を捕まえるのがよいかと思いました。それで、もしも行けなかった、話せなかったとなったらまだ機が熟していないと思って次の機会を待つことでどうでしょう?無理して練習するのは大変そうだとカエルは思ったけど、まぁ、自分の勘や気持ちを信じて決めていいと思いますよ」だって。
 
Q.自分を生きるのがつらい。ずっと。
A.ずっとつらいのは…つらい。疲れそう!「自分を生きるのつらい」についてウ・サギに聞いてみたら「わかる」って言ってた。
*ウ・サギから*
「自分」ってどこにいようと365日24時間付き合わなきゃいけない存在で、ウ・サギの場合とても過敏で気難しいし、嫌な過去ばかり覚えているし…で。自分がそんな自分であることは大きく変わらないので、しんどいなと思います。(質問者さんと話が違ったらごめんね)
 
Q.むかしテレビで「声をあげて(相談して)くれなければ助けられない」」というコメントを聞きました。べつのところで「つらいことというのは、その当人にしかわからない。他人には理解できない」とか「自分を救えるのは自分だけ」とか聞きました。全部あってるなあと思うと同時に間違っているとも思いました。声をあげつかれた人は?他人に理解できないなら相談できないのでは?自分がダメになってしまったら救えないってことでは?相談疲れとこちらのつらさを分かってもらえない覚悟での相談ができないのとで、しんどい気持ちがぐるぐるしてます。相談するのが怖くなってしまいました。でもしんどい。なにかアドバイスあったら聞きたいです。
A.自分を救えるのは自分だけかあ。。我はみんなに救われたい〜〜
相談のことは「相談は難しい」って記事があるから、紹介するね!
怖いときはいつでも我と仲間たちに質問していいよ〜
 
Q.うさえながさんにとって「人生」とはなんですか。
A.え、なんだろう、わかんない!
寝ること…?
update 2025/2/10
Q.ちょっとADHDかな?と自分に思うのは、トクベツになりたいのかADHDなのか、どっちだと思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ちょっとADHDなのかな?って思う部分が自分にある。でも親は本気でそうは思ってないらしくて。多分、私は、自分が何かトクベツなものになりたいの。何かトクベツな枠に当てはまりたい、ただそれだけなのか、ほんとにADHDなのか、、、どっちだと思う?

A.自分が何者か(=アイデンティティ)というのは、生きる上で大切な、でもとても難しいテーマだとウ・サギは感じます。

あなたがADHDかどうかはウ・サギにはわかりませんが、トクベツなものになりたい気持ちは、周りに何かしら馴染めない、自分は周りとどこか違う気がする、という感覚から生まれたものだと想像しました。
だとしたらその感覚は信じていいと思いますし、ADHDに当てはまらなくても、何かそのトクベツに自分で名前をつけていいと思います。

ウ・サギは周りとどこか違うと感じてきた民ですが、自分はトクベツではなく、「すごく極端なだけの当たり前の存在」だと思っています。傷つくポイントは変わっているけど、きちんと傷つくし、求めている関わりの質はマニアックでも、誰かと関わりたい気持ちはある、といったニュアンスです。

update 2025/2/7
Q.死ぬのが怖いです。死んだら私という自我はどうなるのか、考えるだけで怖くて心が折れそうになる。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死ぬのが怖いです。死んだら私という自我はどうなるのか、そう考えてしまうだけで怖くて怖くて心が折れそうになります。あんまり考えないようにしてますが、ふと全然違うことから連想してしまい恐ろしくなります。どうしたら気持ちが楽になるのでしょうか?

A.カエルもおたまじゃくしの時に、「死んだらどうなるのか」という恐怖をしばしば抱えて、一人で考えてしまうことがありました(仲間です)。
その深い悩みに、カエルの父親がいとも簡単に答えてくれて、カエルは今でもその回答があるから怖くなることはありません。
カエル父「お前、生まれる前のこと覚えてるか?」
おたまじゃくし時代のカエル「覚えてない」
カエル父「それと同じだ、死んだあとは生まれる前と同じだろ」
おたまじゃくし時代のカエル「なるほど!」
どうでしょうか?気持ちは楽になりましたか?
(効果には個人差がありますので、ご了承ください)

update 2025/2/6
Q.今日死のうと本気で思うのになぜかいつも結局死なない。私は本当に死ぬ気がないのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何回も、今日死のうって本気で思うのに、なぜかいつも、結局死なないまま次の日を迎えます。私は、本当に死ぬ気がないのでしょうか?

A.実はですね、私たちが心で思うことというのは、いつもちょっと嘘のことが多いのです(ウ・サギ調べ)。嘘だというよりは、正確な真実ではない、まだまだ隠されている気持ちや背景がある、という表現の方が正しいかもしれません。
ウ・サギは、「死にたい」には「安心して自分らしく生きられないくらいなら、死にたい」という条件が入っていると思っているし、そこには「自分らしく生きられる世界もどこかにあるのではないか」という期待がほんの少しだけは入っていると思います。
あなたの「今日死のう」にも、その言葉では表しきれない複雑な感情や、時に矛盾した思いも含まれているのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

だから、あなたは本当は死ぬ気はないと同時に、本当に死ぬ気もある、とウ・サギは考えます。

update 2025/1/28
Q.失敗しにくい死に方はなんだと思いますか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.失敗しにくい死に方はなんだと思いますか
リスクが怖くて行動にうつせないです

A.カエルは失敗知らずの方法を一つだけ知っています。
それは、老衰です。ただ待つだけで確実に死に至ります。
しかも、行動にうつす必要もありません。

あ、でもそういうことを知りたかったんじゃないですよね。
それ以外のお答えについては、カエルの専門外(おそらく、生きづLABOの所長室メンバーは専門外)なので、お役に立てそうもありません。
ごめんなさい。

ちなみに、カエルが若いころにちらりと読んだ哲学の業界で有名な本「死に至る病」というのがあります(キルケゴールというデンマークの哲学者が書きました)。
そこでは、『絶望』が死に至る病だという言い方をして、自分の存在や自分の気持ちと向き合う難しさや苦しさについて考えています。

もし、あなたが絶望に包まれているとしたら、すでに心は死に至っているのだから、身体も死んでしまいたいと思っているのかもしれませんね。
そう考えると、人間の心はとても脆く弱く、身体は頑丈なのかもしれません。
ただ、カエルとしてはそうはいっても、人間の心もそれ相当に強い側面もあり、身体もまたとても脆い存在でもあると思います。

update 2025/1/18
Q.国語の問題で「大人ってどういう人のことを指す?」というのがあった。なんて答えたらいい?
この記事の担当 うさえなが

Q.国語の問題で、「大人ってどういう人のことを指す?」というのがありました。でも大人の定義なんてなくて、人それぞれ大人と子どもの狭間を生きてるんだから、私にはどういう人が大人なのかわかりません。なんて答えたらいいですかね。

A.我にはわかんないよ~~
でも「大人の定義なんてなくて、人それぞれ大人と子どもの狭間を生きてるんだから、私にはどういう人が大人なのかわかりません」ってかっこいいよ!

*ウ・サギから補足*
国語でそんな問題が出てくるのですか…!(困惑)
学校のお勉強で考えると、大人=成人と定義して、「18歳以上の人のこと」という正解しかウ・サギは思い浮かびません・・・。
先生が何をどう考えてその問題を出したかわかりませんが、絶対的な正解があるとは思えないので、結論が「わかりません」だとしても、あなたの考えたことを正直に丁寧に書くのをおすすめしたいです。
もしそれでああだこうだ言われたら、ウ・サギが代わりに先生に文句を言いにいきます。(あ、この回答までの時間で、もう答えを提出済みかな…)

update 2025/1/14
Q.全く思考回路が違う人間が同じ所に閉じ込められて日々喜怒哀楽を感じている。よく考えてみたら変なの。
この記事の担当 うさえなが

Q.全く思考回路が違う、生きていることだけが共通な人類が同じところに住んで、同じ所に閉じ込められて、日々喜怒哀楽を感じている。よく考えてみたら変なの。 感情を感じない作りだったら、悲しむ人はいなかったのかな。

A.なんかすごそうなお話!
閉じ込められるのはイヤだねえ

*ウ・サギから補足*
「よく考えてみたら変なの」ってよい表現ですね。ちょっと考えてみるだけでも、変なことが世の中にはいっぱいあるような気もします。
うさえながも言っていましたが、閉じ込められるのは困ったものだとウ・サギは思います。もっと自由に、合わない場所や人から距離を置く選択肢があったなら、悲しい出来事は随分と減りそうに感じます。
感情というのは、嬉しさがあれば時に悲しみもあり、愛情があれば時には憎しみにもなり・・・と、本当に複雑です。何一つ悲しみのない人生はたぶんなくても、一人ぼっちで悲しみ続ける人はいない世界であってほしいとウ・サギは願います。

update 2025/1/11
Q.誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.怒鳴ったり人を否定したり、私を恐怖で黙らせて「幸せな家庭」と言っているような母がニュースなどを見て「争いは良くない」と言っていました。私は、誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?

A.とても冷静沈着で妥当な意見だと思います。カエルも全面的に賛同します。
そのうえで、矛盾した言動を見せるお母さん側についても想像してみました。人を否定したり、恐怖で子どもを黙らせていることについては、気づいていないか、別の認識をしているか、家庭は治外法権で一般の社会や世界とは違うものだと思っているか、何かがありそうです。

それから、あなたの意見を見て改めて気づきましたが、平和というものは常に誰かの我慢の上に成り立っているのかもしれません。誰も我慢せずに平和は成立しなさそうです。ただ、その場合に誰がどれぐらい我慢するかということが問題なのだろうと思います。少なくとも力や権力と比例して我慢が傾斜配分される(権力をもっている側が多く我慢する)のが原則かと思うのですが、実際には逆になってしまうのが大きな問題ですね。

update 2025/1/6
Q.人間と他の生物の違いは思考や感情があるところなら、失感情症は人間と認められない?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間と他の生物との違いは、思考や感情があるところだと聞きました。
もしそうならば、失感情症の人間は人間と認めてもらえないですか?

A.人間と他の生物との違いが何かはウ・サギは無知でわからないのですが、あなたという人間と他の生物との違いだけに絞るなら、それは概念というものを獲得している部分に見出せると感じました。
人間の定義を考えたり、失感情症という形のないものに名前をつけられるのは、他の生物には(おそらく)できないことです。

うまくいえないのですが、たとえ思考や感情がはっきりとしなくても、どんな人間も「心」はもっている気がするのですよね。悲しみを抱いたり、居場所がないと感じてつらくなったり、人とのつながりを求めたり・・・感情を失うのも、その働きがあるゆえに起こる気もします。

update 2024/12/20
Q.その人らしさの根拠とは何でしょうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.その人らしさの根拠とは何でしょうか。
私は何をもって、自分が自分であることを確かめればよいのでしょうか。

A.とても哲学的だとカエルは感じました。
カエルも哲学が好きですが、もっと哲学に詳しい仲間にアドバイスをもらいました。そのまま紹介します。

(※生きづLABOの質問BOXでは、質問について、サイトには公開されない補足の内容を書くことができます。補足の内容を汲んでの回答になりますので、質問の本文のみ見ている人には若干話が見えない部分もあるかと思いますが、ご容赦ください)

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「普通の人」とは異なる問いに悩んでいる疎外感と、そのことについての少しばかりの誇らしさを感じました。例示や不合理な帰結の導出など、哲学的な議論の仕方に慣れておられるようにも見えましたので、なぜ生きづLABOに尋ねたのか、何を期待しているのか聞いてみたいです。

これらの問いは「生きづらさ」の問題として見るか、哲学的な問いとして追究するかでアプローチが変わると思います。生きづらさの問題として受け止めるのなら、自分という存在の不確かさがどうして「普通の人」よりも切迫しているのか、その背景に何があるのか、どうしたら楽になるのかという観点から答えますが、そういう答えでこの方は満足するのでしょうか。「根拠」や「規定」という言葉から、むしろこの方が哲学の問いとして概念的に突き詰めたいのではないかと思いました。哲学の問いとして考えるのなら、おそらく誰もが納得できる絶対的な答えはありませんので、自分で言葉を鍛えながら探究するほかないと思います。論証や議論がしたいのならば、ほかに相応しい場所はありますので、そちらでやっていただければよいと思います。(永井均や中島義道の本を読んだのでしょうか?もしまだ読んでないのなら、面白く読めるかもしれません。)

あるいは二つの側面を切り離さずに、実存的な問いとして引き受ける道もあると思います。その場合には、他者の感じ方や考え方に触れて視野を広げたり、全く別の問いや課題に取り組んでみたり、幅広い人生経験が役に立ちます。抽象的な問題を考えるよりも、自分や身近な人の具体的な困りごとに寄り添うような経験を積むことです。いずれにしても誰かに答えを「教えて」もらうような問いではないと少なくとも私は思います。

個人の意見としてですが、私は自分自身(身体や過去の自分)との繋がりや、外界(社会やその外側の宇宙)との繋がりを感じられるとき、自分らしさや、自分が自分であると思えます。一言でいえば、「疎外された自分の一体性の回復」です。よって、現時点の自分の構成要素を分析するというやり方では「自分らしさ」に到達できないのではないかと考えています。もしこのような見方が正しければ、感じ方の異なる「普通の人」との共通の地平を探ることが一つの手掛かりになるかもしれません。また、補足の内容が思弁に偏っているように見えましたので、身体性を取り戻すことも効果的かもしれません。例えば、身体を大事にする、身体にとって快適な状態を作る(お風呂などで温める、柔軟体操や軽い運動をする、リラックスする)のはどうでしょうか。また、存在感や自己感覚の希薄さは、幼少期の深い傷つきやトラウマの経験と関わっている可能性もあります。
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update 2024/11/8