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Q&A
Q.大学を辞めて失踪したいです、家族にも見つからないくらい遠い場所に行きたい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大学を辞めて失踪したいです、家族にも見つからないくらい遠い場所に行きたい

A.それは失踪してもいいと思います。大学生なら18歳以上だと思うので、どこか遠くに行ってから、警察に「捜索願不受理届」を出して、自分の意志で失踪したこと、家族には探さないでくださいと伝えてもらうことなどもできます。とはいっても、一人でどこかに失踪するのはあまりお勧めできないので、一度現実から離れて、考える時間を手伝ってくれる人に協力してもらいながら、離れるのがよいかなと思いました。この手の問題は頼るところを間違えると危険なこともあるので、大学なら大学のカウンセリングとか、まずは匿名の電話相談とかチャット相談などと話をして整理するのもよいかと思いました。
どちらにしても、とても思い詰めていることは伝わってきました。何かしらの方法で現実から少し離れることは必要だろうと思います。

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update 2025/7/13
Q.頑張りが足りないとか暗いとか直接的な言葉じゃなくても遠回しに言われたりする事に耐えられない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.頑張りが足りないとか暗いとか甘えてるとか、直接的な言葉じゃなくても遠回しに言われたりする事に耐えられないです。適切な環境で育った人と同じように生きろと言われても無理です。私も苦しかったけど頑張ったんだよとか言われても…何をどう頑張ればいい?

A.まっとうな感じ方で、主張だと思いました。
頑張れるかも頑張った上で結果を出せるかも、生育環境の土台や、今の社会において有利な要素があるか(たとえば、あくまで傾向ですが、繊細よりは鈍感、内向的よりは外向的…あとは容姿がどう評価されるか、求められるジェンダーとマッチする性格か…その他諸々)が大いに関係しているとウ・サギは考えています。だから問題は、安心安全が保障されていないこと、本来は多様な個性であるものが理不尽に有利不利や優劣となってしまうことなど、社会構造にあると思っています。「私も苦しかったけど頑張ったよ」は、言った側にそのつもりはなくても、そういった不公正な社会の問題を個人の努力の問題にすり替える発言になってしまっていると感じます。でも、有利な要素をたまたま多くもっている側は自分の有利に気づく機会もなかなかないし、有利な要素があったとしても生きるのが苦しい場合も十二分にあるので、よくわからずに、時に善意で、私も苦しかったけど頑張ったよと言ってしまうことがあるように感じています。(このあたりはウ・サギが最近勉強している分野なので、ちょっと小難しく語りすぎたような・・・すみません)
何をどう頑張ればいいに答えるなら、自分の気持ちを元気にしてくれる環境に少しでも身を置けるように頑張ること…ですかね……。世間のメッセージを浴びるほどに、あなたの力が奪われていくと思うので、それは勿体ないととても思います。頑張りなんてそもそも指標が曖昧なものだと思いますし、この社会を生き抜くだけで、みんな精一杯闘っているとウ・サギは心から思っています。

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update 2025/7/13
Q.好きな格好や振る舞いや言動ができるメリットデメリット、自由の限界についてどう思いますか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.誰でも安心して
好きな格好や振る舞いや言動ができる
そんな社会は生きやすそうだなと思う
しかし
結局は「気持ち悪い」とか「社会の迷惑だ」とかで否定される人がいるのかも
安心安全のための限界があるのかも
そういう社会ゆえに苦しむ人もいるのかも
安心して好きな格好や振る舞いや言動ができることによるメリットとデメリット
そして格好や振る舞いや言動の自由の限界について
どう思いますか

A.カエルも基本的には誰もが好きな格好や振る舞いや言動ができる世の中がいいと思います。ただ、そのことによって他の人の権利を奪うようなことがある場合は「いいです」とならない場合もあるかとカエルは思いました。
例えば、服を着たくない人がいても「好きな格好だ」と裸で過ごしていたら少なくともカエルはかなり困るので、それはやめてほしいと思います。また、言動が自由だと言っても、ヘイトスピーチのように特定の人たちのことを一方的に批判的な言葉をまき散らしたらとても傷つく人がいます。弱い者をいじめたいからと自由にいじめる振る舞いをされるのも、いじめられる人は悲しすぎます。
一方で、実際には周囲に迷惑をかけていなくても、格好や振る舞い、言動に対して「気持ち悪い」とか「迷惑」という一方的なジャッジを受けることもあります。日本国憲法第13条には、幸福追求権が掲げられています。そこには「公共の福祉に反しない限り」と個人の幸福追求や自由は尊重されると書いています。つまり、「公共の福祉」ってなんだ?ということになりますが、カエル的にはいろいろな人たちが対等に自分の感じることや考えていることを伝え合い、聞き合うことによってみんなが問い返し続けていくテーマだと思っています。
ちなみにさっきの服を着ない裸の格好では、今でもおそらく国や地域によっては服を着なくても問題ないところもあるのかなと思います。どこまでならOKなのか、なぜそれが嫌なのかダメなのか、普段から話し合える土台があり、一方的に決められるのではなく、常に考え続ける…そんなプロセスなくして自由だけが行き過ぎると、立場の弱い人が我慢を強いられることが多いと思っています。

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update 2025/7/10
Q.「元気になったらまた頑張ろう」が苦手。「元気になったらまた頑張ろう」についてどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「元気になったらまた頑張ろう」が苦手です
「もう苦しみたくないのに、元気になったらまた苦しい思いして頑張らなきゃいけないのか」と絶望的に感じてしまって苦しくなります
「休んでいると扱われる生活」が自分にとって丁度良く同時に精一杯だと感じます
「元気になったらまた頑張ろう」についてどう思いますか?

A.ウ・サギも苦手というか、「元気になったらまた頑張ろう」アンチと言ってもいいくらい、そんな風潮には反対です。頑張るか頑張らないかを決めていいのは自分自身だけだと思いますし、大体、今の社会は本当は必要じゃない努力を推奨しすぎだと思います。また、自分にとって丁度良い生活が一番大切だと思いますし、これなら休んでいてこれなら頑張っているといった定義を、周りが勝手にするのはマナー違反だと考えます。
つまり総合すると、「元気になったらまた頑張ろう」は、境界を尊重していない(本人だけが決めていい分野に土足で入り込んでいる)発言として、取り締まりたいレベルのものだとウ・サギは感じます。
ちなみにウ・サギ自身は頑張るのが大好きなので、自分に対してだけは「元気になったらまた頑張ろう」と思う派ですが、それを元気がないときに誰かに言われたら絶望するし、「何の権利があって言ってくるわけ?」とムカムカしちゃうと思います。

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update 2025/7/10
Q.元々過度の負担がかかっていたところに衝撃がきて退職してしまった。がんばればよかったのか…?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.身内を亡くしたのと 職場の人事異動が重なって 体調を崩してしまった
子育てもしながら働いていたので 
元々過度に負担がかかっていたところに更につらすぎる衝撃がきた感覚だった
耐えきれず 退職してしまった がんばればよかったのか……?

A.耐えきれず退職したのであれば、それは妥当な一つの判断だったのだろうとカエルは思いました。カエルはそうした直感的なことや衝動的なことはわりと妥当なことが多いと思っています。後になって、間違いだったとか、本当はそうじゃない方がよかったと結果論はいくらでも言えますが、その時に自分の中から出てきた思いは大事にして悪いことはないと思っています。

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update 2025/7/10
Q.高1のHSPで学校が嫌。勉強もわからないし塾も家ももう無理。でも医者になりたくてやめられない。
この記事の担当 うさえなが

Q.私は高1のHSPで学校が嫌。理系高校で女子が少なく皆競争心もプライドも高くて人間関係がドロドロ。勉強もわからないし朝早く起きて通うのも限界。塾も家ももう無理。生活が回らないから全部やめたい。でも医者になりたくてどれもやめられない。消えたい。

A.やめちゃおう~
え、ダメ?やめたら医者になれない?

*生きかたカエルから補足*
どうして、そこまでして医者になりたいのかまでわかりませんが、医者に近い別の方法ではだめなのかな?と思いました。「医者になりたい」の背景に何があるのか、カエルは知りたくなりました。
また、カエルの知っている人では医学部ではない大学に入って卒業してから、医学部に入った人もいるし、社会人を経てから医者になった人もいたりして、少し遠回りしてから医者になるのもありだと思っています。医者はストレスがかかる大変な仕事だし、何せ他の人の命に直結する仕事なので、余裕がない状態で無理やり目指すのはあまりお勧めしたくない気がしました。

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update 2025/7/10
Q.仕事が嫌で毎日死にたい。逃げればいいとわかっているが仕事を無くす恐怖から辞められない。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.仕事が変わってから、仕事が嫌で毎日死にたいです。逃げればいいってわかってます。家族も受け入れてくれるのでしょうが、仕事を無くす恐怖から辞められません。かといって転職する体力もないくらいに死にたい気持ちに支配されてます。どうすればいいですか?

A.恐怖や不安というのは、時に理屈ではどうしようもなく、自分の気持ちや行動に大きな影響を与えてくるので、困りものですよね……。
論理的に考えると、辞めて体力を復活させてから転職活動をすれば良いようには思いましたが(もし失業手当の受給条件を満たしているならそれを使えば生活も大きく不安ではないかと思います)、あなたの恐怖はそういったもので収まるわけでもないのかな…?とも想像しています。
ウ・サギは、それだけ嫌で死にたい気持ちになる仕事を続けて、体力が最後の一滴まで尽きるような状態になる方が怖いと思いましたが、どうでしょうか。何をするにも、自分の体力が資本なので、その資本が枯渇せず潤う(自分を元気にする)ことを最優先するのが、安全で手堅い選択だとウ・サギは考えています。

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update 2025/7/10
Q.会社の同性の先輩にガチ恋。誰にも相談できなくてつらい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.会社の同性の先輩にガチ恋。でも、先輩恋人いるかもしれないし、自分のセクがバレると会社での居場所がなくなりそうだし、うーん、「好き」と言わない方がいいのかなあ。でも、誰にも相談できなくてつらいよお。

A.気持ちは隠すほどに、どんどん力を増してくる気がするので、相談できないのはつらそうだと思いました。どんな性別だろうとガチ恋しても全然おかしくないし、それで居場所がなくなるなら、おかしいのはそんな世界だ!と叫びたい気持ちです。でも現実問題、会社にもし居場所がなくなったら…と思うとそんな気軽に行動はできないですよね……。
ちなみにウ・サギとしては、恋人は一人だけという風潮なのがずっと理解不能(納得できていない)です。最近はポリアモリーという言葉も少しずつ広まってきましたが、とにかくもっと多様な関係性をつくれる世界になってほしいものです。恋や愛や人間関係のあり方について、世間や周りにああだこうだ言われる筋合いなんてなく、自分と相手がどう思うかの問題でしかないとウ・サギは考えています。

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update 2025/7/10
Q.資源には限りがあるとは思うけど誰も切り捨てられない社会がいいと思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.資源には限りがあるとは思うし
理想論だとは思うけど
自分は切り捨てられたくないし
誰も切り捨てられない社会がいいと思う
どうしようもない現実もあるかもだけど
切り捨てられる苦痛も現実だと思う
資源の限界と個人個人の苦痛についてどう考えますか

A.カエル的には、資源の限界と誰も切り捨てられないことは両立すると思います。資源の量や質に関係なく、人が誰も切り捨てない社会を作ることはできると思うのです。そして、資源はいつでも限界があります。大事なのは人間が資源と同時に人間の限界もわきまえつつ、何が大切なのかをいろいろな人たちで考え続けることだと思っています。

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update 2025/7/10
Q.コンビニのカフェラテを飲むのを自傷行為でやっている気がする
この記事の担当 所長室

Q.コンビニのカフェラテを飲むことを、自傷行為としてやっている気がします。「飲みたいな」「美味しいな」と思わない時もなぜか飲んでいます。どちらかというとお茶とかのほうが好きなんだよなぁ…。これって続けても大丈夫ですかね?

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update 2025/7/10