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タグ心の悩み
Q.鬱になるのは心が弱いからだみたいな考え方はどういうこと?弱肉強食ということ?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いじめはいじめられる方が悪いとか、鬱になるのは心が弱いからだ、みたいな考え方ってどういうことなのでしょうか。弱肉強食的な、弱いことは悪で、強いことこそ正義、ということなのでしょうか。傷ついて生きる自分はおかしいのでしょうか。

A.傷ついて生きるのは全くおかしくないと思います。誰しも弱く、傷つく存在だとウ・サギは思っていますし、傷つくことができるのは自分の痛みを引き受けられる強さだと言いたいくらいです。
いじめはいじめられる方が悪い、鬱になるのは心が弱いからだ、みたいな考え方は
・何も考えずに、世の中で言われていることを適当に信じて話しているだけ
・自分自身のつらい経験を「いじめはいじめられる方が悪い」「鬱になるのは心が弱いから」と捉えて、強くなろうとすることでやり過ごしてきた
・自分を強く見せたいし、他の人の弱さに付き合いたくないから、魔よけのように弱肉強食を叫んでいる
といった背景があるかもしれないとウ・サギは想像しました。全然違うかもしれないし、それらが混ざっている場合もあるだろうし、同じことを言っている人でもそれぞれ気持ちは違うと思いますが、いずれにせよ「幼い思考」または「悲しい保身」だとウ・サギは考えています。
最近読んだ本に、他人の痛みをそんなことで傷ついて…と否定するような人は、自分の痛みから目を逸らしているから他人の痛みに寄り添うこともできないのだ、と書いてあってウ・サギはとても納得しました。

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update 2025/10/16
Q.私は自分のことを生存にコストがかかる人だと思う。こんな人が生きていていいのだろうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.私は自分のことを生存にコストがかかる人だと思います。こんな人が生きていていいのでしょうか。

A.生存コストはおそらくお金のことを指しているのだろうと思いますが、お金は回すためにあるものです。生きるためにお金がかかる人はそれだけ経済を活性化しているとも言えますので、コストのかかる人がいないと世の中は成立しません。だから、生存コスト的にみると、かかる人は生きていていいということになります。
ただ、生きていていい人とか悪い人とか区別されるものではないとカエルは思っているので、どんな人でも「生きている」それだけだと思っています。

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update 2025/10/16
Q.大好きな人ともうすぐ離れなきゃいけないのが辛い。どうしたら無理せず仲を深められる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大好きな人がいますが、もうすぐ離れなきゃいけないのが辛いです。異性としてとかじゃなくても、友達としてでもいいから仲良くし続けたいです。どうしたら無理せずに仲を深めることができますか?

A.なるほど・・・もうすぐ物理的に距離ができてしまうということでしょうかね。異性としてだろうと友達だろうと関係を継続するのは可能だと思うのですが、離れてしまう分、今より一歩近しい関係にならないと自然に縁が切れてしまいそうな状況なのかなと想像しています。関係性は恋愛と友達の2種類ではなく本来は多種多様で、どんな思いでも関係性でもおかしいものはないと思うので、無理に型にはめずに自分の願いをありのまま扱ってほしいとは感じました。
どうしたら無理せずに仲を深めることができるかは・・・ちょっとウ・サギの得意分野ではないかもしれません。ただ、ウ・サギは恋愛的な惹かれは、自分の寂しさや満たされなさや、まだ十分に仲良くなっていないことから生じる好奇心や憧れによって増幅されることが多いと思っているので、その増幅が落ち着いてから恋愛を検討するのをおすすめしたい派閥ではあります。でも抑えられないものが出てきたら直球に動いてしまうのもいいですし、人間関係に正解はないので、自分の中で一番後悔しない選択をして、その選択の結果については受け止めて生きていくしかないのかなあ、と思ったりもします。
全然役に立たなさそうな、頼りない回答で申し訳ない・・・。ちなみにウ・サギであれば、趣味など何か共通のものがあれば積極的に交流を試みつつ、最後はもう人として魅力を感じてるのでここで距離ができるのが勿体なくて仲良くし続けたいです!と伝えてしまう気はします。

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update 2025/10/16
Q.今教室に入れていなく、もし入れたらもっと楽しい生活を送れたのかなとよく考えてしまう
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分は今教室に入れていません。よく、もし入れたら、修学旅行とか合唱祭、好きな人…などもっと楽しい学校生活を送れたのかなと考えてしまいます。でも入ることはできません。この気持ちをどう発散したらいいですか

A.なるほど、学校生活を本当は楽しみたい気持ちが強くあるのですね。ただ、カエル的には教室に入れる=学校生活が楽しめるというわけではないと思いました。教室に入ろうとして、入れないとフラストレーションがたまりそうなので、教室に入らなくても学校生活を楽しめる方策を検討するという方向転換はどうか?と思いました。あとは学校がよくわからない教室という緊張を強いられるような空間で構成されていて、他の選択肢が少なく、そのせいで学校に行きたくても行けない状況の人がいることに問題があると思います。「学校のキャパが狭すぎなんだよ!」って叫んで発散するのはどうでしょうか??

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update 2025/10/16
Q.小さい子になりたい気持ちが抑えられず、自分でどうにかするのが虚しくなってきた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.小さい子になりたいという気持ちが自分の中で抑えられません。自分でどうにかするのが虚しくなってきました。でも、それを周りの人に知られたらと思うと怖いです。矛盾しているけど、どちらも私の気持ちです。どうしたら良いでしょうか。

A.インナーチャイルドが声を上げている感じでしょうかね…。ウ・サギは心に3歳児がいるので、なんとなくわかるような気持ちになっているところです(ちなみに、やみーペンも心に3歳児がいます)。無理に心が大人になるしかなかった部分があると、取り残された小さい子の自分が心に住んでしまうのかなとウ・サギは思ったりしています。
ウ・サギとしては、自分の中の3歳児は面倒な存在でもありつつ、これまで足りなかった分優しくしてあげた方がいいのだろうとはしみじみ思っています。そして、子育てが一人だけでやるより協力してもらえた方がいいように、インナーチャイルドもいろんな大人に構ってもらったり、優しく受け止められた方がきっといいんだろうなあ・・・とは感じます。とはいえ周りから理解してもらえるかに不安はあるので、否定はしないだろう人を見つけて「自分の中には3歳児がいるんだよ」という話をちょっとするくらいの対処にしています。
ウ・サギの話ばかりして失礼しました。質問者さんの場合は、インナーチャイルドと自分がくっきり分かれる感覚でなく、自分と混ざって小さい子の部分が前面に出てくる時間もあるのかなと読み取っています。どうしたら良いかはちょっとわからないですが、小さい子になりたい気持ちはここでは全面的に尊重しますし、ネットでのささやかなつながりでも、大人(?)として優しく見守らせていただきます、という気持ちです。

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update 2025/10/16
Q.生きる理由づけをしても、行事とかが終わる度に喪失感が強くなって怖い。どうしたらいい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なんで生きてないといけないんですか?という質問を送った者です。
生きる理由づけは何回かしたことがあるのですが、その行事とかが終わる度に目標が無くなった喪失感みたいな気持ちがものすごく強くなって怖かったです。こういう時はどうしたらいいですか?

A.なるほど、続きをありがとうございます。ミッションに追われていないときの過ごし方や心の持ちようのようなものに、戸惑いや不安を抱いているのかなとウ・サギは感じました。流れが強い中での泳ぎ方や呼吸の仕方に慣れてしまって、穏やかな流れの中ではどうしていいかわからない、みたいなイメージも浮かんでいます。
傷つけられることや支配されることに慣れた(慣れるしかなかった)人は、穏やかな人間関係だと落ち着かなくて、支配してくれる人に引き寄せられたり、相手が自分を傷つけるように誘導してしまうという話も聞きます。本来自分にとって負荷の大きいはずのものでも、デフォルトが不安定になると、イレギュラーである安定の方がむしろ怖くなってしまう・・・というのか。あなたに起こっているのがそれに近しいことなのか、全然違うことなのかはわかりませんが、目標をもって気を張れば後で喪失感が出るのも自然なことなので、喪失感と上手く付き合う方法が見つかるか、せめてそこまで怖くないものとして受け止められたらいいのかなあ……とぐるぐる考えています。
何の答えにもなってないのですが、生きるのって本当は怖いことでもあるとウ・サギは思っています。だから頑張ることで痛みや怖さを紛らわす方法だけじゃなく、怖いし疲れたしもうどうしていいかわからないよね、というのを分かち合ったり一緒にやり過ごしたりできる世であればいいのに・・・と感じました。話がとっ散らかってしまってすみません。

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update 2025/10/14
Q.先生に呼び出されて食事について色々言われ、次呼び出されても断りたい。どうすればよい?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.偏食と食欲不振があり、給食をあまり食べられない。学校検診で痩せすぎと指摘され、養護教諭と栄養教諭に目をつけられた。親と一緒に懇談で「好き嫌いせず食べるように」と言われた。
そのせいで家のご飯の量が増えたが吐き気がして食べられず、親も諦めて量は元に戻った。最近、放課後に保健室へ呼び出された。その2人の先生の前で身長・体重を測らされ、食事について色々言われた。食べろ、と言われても難しいが、話したくないので言っていない。身長・体重を見られること、大人が多い状況というか、少人数の状況、食事をあれこれ言われることが嫌。次に呼び出されても断りたいが、先生相手なので難しいと感じている。どうすればよい?

A.それは、先生たちの対応のセンスがなさ過ぎてカエルは悲しくなりました。食べろと言われて食べられるのなら誰も苦労はしませんし、アドバイスやサポートが必要だとしても、もう少しましなやり方があるだろうに…とカエルは思いました。
カエルは食べることの基本は無理をしないことだと思っています。そして、心のコンデションと食べることはわりとつながっていると思うので、食べることに難しさがあるときにはできるだけ心穏やかにリラックスできるような生活をすることが大切だと思っています。なのに…ストレスを増やすなんて…困りましたね。ただ、先生は自分の常識や普通を信じて疑わないこともあるので、「私はこういうのが嫌なのです」ということを伝えてみる必要性はありそうと思いました。言うのが難しそうなら、書いて渡すのはどうかな?と思います。少なくとも、質問してくれた内容はとてもまとまっていて、ちゃんと状況が伝わってきたので、先生に伝えるように整理して、書いて渡すのはどうでしょうか。

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update 2025/10/14
Q.毎日死にたいと思ったり他人を見ると憎しみでいっぱいになるのは調子が悪いに入る?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.つらいがどんな気持ちか、調子が悪いというのがどんな状態なのか、分かりません。
毎日死にたいと思ったり他人を見ると憎しみでいっぱいになるのは、調子が悪いに入りますか?

A.ウ・サギの場合の話でいえば、毎日死にたいと思ったり他人を見ると憎しみでいっぱいになるのは、間違いなく調子が悪いサインです。
もう少し細かく言うと、他人を見ると憎しみでいっぱいになるのは、自分の気持ちを我慢している(ちょっとのワガママも言えない、愚痴を言える機会も乏しい、そのわりに相手の気持ちやエゴは押しつけられる)ときに起こります。また、健康に自分の感情を表現し受け止めてもらえている場合、自分に害をもたらしていない他人に対して、強い負の感情が湧き上がることはなさそうとも周りを見て感じています。なので、自信をもって、自分は苦しいし調子が悪いと捉えていいとウ・サギは思います。
自分の感情や感覚がつらいのか、嬉しいのか、悔しいのか・・・の気づきは、自分の行動や感情に周りから「嬉しいね」「苦しかったのかな」と推測して言葉にしてもらう中で学習する(ウ・サギもあまり詳しくないのですが、メンタライゼーションがトレーニングされていく、という言い方もたぶんできる)とも聞いたことがあります。だから自分の気持ちがわからないのは、自分に合ったメンタライゼーションのトレーニング機会がなかった、つまり学びの機会が保障されていなかった、と言ってもいいと感じました。
それらのことは、あなたが主観でつらいと思うかは別として、守られるべきものが守られていなかったという悲しく理不尽な出来事だとウ・サギは思います。

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update 2025/10/14
Q.持病の頭痛が再発するたび発症当時の過去がフラッシュバックしてきて苦しい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.持病の頭痛が再発するたび発症当時の過去がフラッシュバックしてきて苦しい。

A.そういう実際の感覚(痛みだけではなく、匂いや音など)は、なんだか妙に鮮やかにトラウマを蘇らせてくることが多い気がします・・・。でも、頭痛で大変なときに、フラッシュバックも起こるのは相当きついですね…。ウ・サギは常々、フラッシュバックと闘っている全ての人にもっと敬意が払われてほしいと思うし、本来ならきちんと補償があるべきだと思っています。
あれが嫌だったとか悲しかったと思えたり、憎しみを感じたりすることも、自分の大切な感情なのだろうとは思っても・・・頭痛とともに押し寄せる感情や記憶の波は、想像するほどに大変そうです。ウ・サギは歩いたり書いたりでやり過ごすタイプですが、頭痛だとそういうフラッシュバックの誤魔化しや対処も限定されるでしょうし……。とにかくお疲れ様です、と伝えたい気持ちになりました。

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update 2025/10/14
Q.幸せの後には絶対不幸なことが起きると思ってしまい幸せが怖い
この記事の担当 ウ・サギ

Q.幸せの後には絶対不幸なことが起きると思ってしまい、幸せが物凄く怖いです
少しでも幸せな時、絶対後で不幸なことが起きるとずっと考えてしまいます
不幸なことが起きたら、過去に幸せだったことを理由にしてしまいます
どうすれば良いのでしょうか?

A.幸せなことが起こっても、安心して幸せを感じることもできないということですよね・・・それは確かに困ってしまうだろうと感じました。その理屈をひっくり返すと、不幸の後には絶対幸せが来る、と思えなくもない・・・?とも感じましたが、幸せの分だけ反動として不幸が起こる、というのが強い観念のようなものとして在るのだと受け取っています。
でも幸せであるというのは、幸せを失うかもしれない恐怖といつも隣り合わせである、というのも一つの事実だとは感じます。だから逆に、幸せを幸せとしてのんびり味わうのも、物事の良い面だけを見ているアンバランスな見方といえるのかもしれません。といっても、都合のいい事実だけを見たり、甘い見通しをもったり、そもそも何も考えなかったりすることで、人は自分の心を保っているのも間違いないわけで・・・そういう機能(自分に都合のいい部分にフォーカスして他の可能性を切り捨てる機能)がうまく働かなくなってしまっている、と考えると、それはこれまでの経験が影響していたりするのだろうか?と感じたりもしました。自分に都合のいいように考えて油断していたらとても痛い目に遭った、という経験が重なれば、自分を守るためにはいつも不幸に備える方が合理的である、となるかもと思ったのです。
ちなみにウ・サギは不幸なことが起きたら、神様のせいにしちゃいます。神様がいるかは別として、何が起きるかというのは自分の努力や行いだけでどうにかなる範囲は少なくて、いろんなものの巡り合わせでたまたま起こってしまうのだとはとても思っています。

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update 2025/10/14