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タグ心の悩み
Q.お母さんはよく私と兄たちを比べる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.社会人の兄と姉は2歳差でずっと一緒だった。私と兄たちは最低でも10歳差で家には私1人。お母さんはよく私と兄たちを比べるけれど、2人と1人は違くない…??って思う。

A.2人と1人は違いますし、1人と1人だって、人間はそれぞれに違います。だから比べられるものではないと思いますし、立場の強い側(親)が弱い側(子ども)を堂々と比較してそれを言葉にしてしまうなら、それはちょっとキケンなことだとウ・サギは感じています。自分の価値が、何か特定の能力や資質、行動によって決まってしまうような不安を、子どもに植え付けてしまうかもしれないからです。
あなたについては、違くない…??と思えているようなので、比較に負けていないとちょっと安心もしましたが、比べられるのは何かしらイヤな気持ちのするものだろうと想像しています。それにしても、なぜ人間界ではここまで比較が流行してしまったのでしょうね……

update 2025/5/15
Q.もう何年間も、自分の中も人生も滞っていて、全てが乖離している感覚です。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.もう何年間も、自分の中も人生も滞っていて、全てが乖離している感覚です。あっちを点けたらこっちが消える。好きなこと・やりたいことにもストレスを感じる。これはなんなんだろう…

A.なんなのかはウ・サギも今考えを巡らせているところですが、(補足に書いてあった内容も含めて)感覚を丁寧に言葉にしているのに感心しました。
なんとなく思い浮かんだことを書いていくと
・感覚を細やかに感じて言葉にできるタイプよりも、大雑把になんとなく言葉にするより行動しちゃうタイプの方が、なんか生きやすいっぽいのはある気がする…(だから、これだけ言語化できる=生きづらい証明、という感覚はあるなあ)※私見です
・それなりにしっくり生きていくためには、インプットした分とだいたい同じ量アウトプットするのがポイントだとウ・サギは感じている。質問者さんはインプットが多いわりに、アウトプットが間に合っていない印象があるので、それが「滞り」という感覚になっている…?
インプットというのは、何かの出来事や外部の刺激に対して、湧いてきた気持ち、感じたこと、その後考えたこと、というイメージです。アウトプットは色々な形がありますが、例えば極端にいえば怒りで暴れ狂っちゃう、リストカットする・・・etc、健康な方法であれば体を動かす、喋る、文章にする、絵など芸術で表現する・・・etcという感じです。それらは一人で出来るものも多いのですが、自分を理解をしてくれる相手、自分の表現を受け止めてくれるだろう相手がいると感じる中でやるのと、そうじゃない中でやるのとでは、効果が違うようにも思います。また、言葉にするタイプの場合は、時にフィードバックをもらったほうが、より自己理解、自己表現が進むこともあると思うので、その機会も十分にあるかないかで変わってくる部分もあるように感じます。
とはいえこれはあくまでウ・サギ説なので、「全然違うよ」とか「いや、ここはちょっと違う」とか思われているかもしれませんが、その「違う」を言葉にしていくと、意外と自分の中で整理できたり気づけるものがあるともウ・サギは感じてきました。よかったらまた質問をください。

update 2025/5/15
Q.周りの奴らが「ブチ殺すぞ」とか気軽に言うのが俺は好きじゃない…浮いてて気まずい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.結構周りの奴らは笑いながら「お前まじ死ねよ〜」とか、「ブチ殺すぞ」とか言ったり中指立てたり気軽にするんだけど、俺あんまりそういうの好きじゃないんだよね…浮いてて気まずい

A.なかなか特殊というか、ちょっととがった文化の中にいると推察しました。そういうのが好きじゃないと感じる人もいて当然だし(ウ・サギも得意ではないです)、逆にあまり気にならない、馴染める人もいるのだろうと思います。
でも仲良くなると、通常「きつい言葉」もその仲間内では「仲良し表現」「普通に笑えること」みたいになっていくのは、わりとどこでもあるかもです。それでいうとウ・サギの周りの界隈は、「メンヘラです」「社会不適合者です」とかを愉快に名乗れてしまうし、「病んでる」「死にたい」と言っても「ああそういうのあるよね」という雰囲気なので、他から見たらぎょっとする場合もあるだろうと思います。でも、周りが普通に楽しそうにしていると、もやもやしている少数派は、その気持ちを言いづらいのですよね・・・。
ただ、もし仲が良い関係性なら、「あんまり好きじゃない」と言ったら、わりと受け止めてもらえることはありそうだとは思います。

update 2025/5/14
Q.愛されたいなら愛しなさいと言うが、愛されたことない人にとっては無理難題だと思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.愛されたいなら愛しなさいとよく言いますが、そもそも人から愛されたことがない・または間違った愛し方をされてきた人にとっては無理難題だよなぁと思います。相手を不快にさせずに人を愛すにはどうすればいいと思いますか。

A.「愛されたいなら愛しなさい」なんて、どこの誰が言った言葉なのでしょうね…。いわゆる名言、真理、みたいな言葉は、共感する人がいくら多かろうと、所詮誰か個人の偏見だとウ・サギは思っています。
だからもし「愛されたいなら愛しなさい」と言われても「あなたはそう思うんですね」とスルーしたいウ・サギですが、相手を不快にさせずに人を愛したいというあなたの気持ちは受け止めました。
どうすればいいかは・・・そもそも愛の定義も人それぞれなので難しいですが・・・一つ言えるのは、「不快になるかどうか」は相手の問題だし、相手次第ということです。そして、絶対にお互いに不快のない関係は存在しないとも思うので、きちんと快・不快を率直に伝えられる関係、尊重し合える関係をつくるのがポイントなようには思いました。具体的に何をしていけばいいかで考えると、常日頃から自分の感情を理解すること、表現することを積み重ねていく、というのになるのかな…?とウ・サギは感じました。(他にもいろいろあるとは思いますが)
ちなみにウ・サギは「愛」は「あなたがあなたらしく自由に、でも周りの人の自由も守る存在として、大きな苦痛なく生きられますように」だと思っているので、一応すべてを等しく愛しているつもりですが、そういうのはあまり周りからは愛だと思われないっぽいです。難しいですね。

update 2025/5/14
Q.幸せを感じることもあるのに何となく憂鬱になり生きていくことをぷつっと終わらせたくなる時がある
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何となく憂鬱になる時があります。生きていくことをぷつっと終わらせたくなります。幸せを感じることも楽しいこともあるのに、そんな気分になる時があって、どうしたらいいのか分からなくなります。

A.幸せを感じることも楽しいこともあるのに、生きるのをぷつっと終わらせたくなる…なるほどです。悩みを一般化する(誰でもそんなもんだよと言う)つもりはないのですが、実は同じような人も少なくないのではないか?とウ・サギは思いました。
なぜなら、この複雑な社会で生きていくのは、なかなか面倒で大変なことだからです。楽しいことがあっても、なんとなくのプレッシャーを感じたり、気を張っていることや努力していることも同じか同じ以上に降り積もっていることが、案外ある気がするのです。だから憂鬱になるのは、ふと気が抜けたときに起こる現象かも…?とも思いました。
ウ・サギは「社会的公正を目指すんだ!」とアドレナリンを出して、疲労や負の感情を誤魔化してる部分があるので、ちょっと凹むことがあるとすんっと死にたくなる時があります。そういうときは天気が良くなるのを待つみたいに、現実逃避しながら気分の回復を待ちますが、ああ死にたいなあ、生きるって疲れるなあ、と浸る時間も、一番自然体な自分な気もしていて、それはそれで大事だとも感じています。

update 2025/5/13
Q.私にとって嫌だけどすぐ許せることが親にとって絶対いけないことで喧嘩の悪者が半分以上私になる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.私にとって少し嫌だけどすぐ許せることが親にとって絶対にしてはいけないことで家族内の喧嘩の半分以上が私が悪者で、でも自分を嫌になれなくてさらに居場所がなく感じる。

A.嫌なことが他の人と異なることは珍しいことではありません。だからお互いに尊重することが大切なのですが、大人は大人という権力を使って自分を正当化したり、優先したりしてしまうことがあまりにも多いので、カエルは本当に困ってしまいます。それでも、あなたが自分を嫌になれないことがとても救いに感じました。
それでいいと思いますし、居場所のないところからは旅立って、自分の居場所をみつけても全然かまわないと思います。自分の感覚を信じて、自分の居場所をみつけようとすることが自立だとカエルは思うのです。お金を稼いだり、仕事をしたり、自分のことを自分でできるのが自立ではなく、あなたのように自分の感じていることや考えていることに目を向けて、葛藤しながらも自分でいようとすることが自立だとカエルは信じてます。だから、今、めちゃくちゃ応援する気持ちで満ち溢れています。

update 2025/5/13
Q.皆受験に苦労したのだと思うけど私は苦労しないで桜が咲き、みんなの苦労話になんだか申し訳ない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.皆受験に苦労して桜咲いたんだと思うけど、私は全然苦労しないで桜咲いちゃったから、みんなの苦労話についてけないし、なんか申し訳ない?感じ。自分だけ疎外感というか、複雑な気持ちです。

A.なるほど、ウ・サギも周りが苦労してるだろう中、自分は苦労せずやってきた分野があるので、なんだかわかる気がしました。
でも逆に、自分はとても苦労してきたけど、(たぶん)周りは全然苦労していない分野もウ・サギはあります。受験だと「大変だった~」と周りに言いやすいですが、言いづらい苦労もありますし、言ったとしても伝わりづらい、見えづらい苦労もあるかと思います。
なんだか話は逸れてしまった気がしますが、疎外感や複雑な気持ちを感じるのもわかりつつ、たぶん事実としてはそんなに申し訳なくないと思う、ということを言いたかったです。受験生時期は空気だけでもプレッシャーがあったかと思うので、お疲れ様でした、とも伝えたいです。

update 2025/5/13
Q.高校に入ったが、周りみんな頭よくて勉強大好きな子もいて、自分はやっぱりダメだと思ってしまう
この記事の担当 やみーペン

Q.高校に入ったんですが、周りみんな頭よくて勉強大好きな子もいて、自分はやっぱりダメだなぁって思ってしまう
社会への劣等感を抱えています

A.やみーペンとしては、勉強ができる=社会で認められやすい…っていうのがなんだかなぁ…と思うことが多くて、本当は人の素敵さは勉強なんかじゃ図れないんだから、勉強なんてどうでもいいじゃん!そんな価値観に振り回されたくないよ~って悲しくなる時がある。
高校に入ったばっかりで焦る気持ちもあるだろうけど、劣等感と離れられる場所を見つけてほしいって思った。

update 2025/5/13
Q.将来なりたいと昔思っていた職業と今のなりたいものが違う。でもやめないとなって思います。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.将来なりたいと昔思っていた職業と、今なりたいものがちがいます。でもそれになれるだけの実力も努力もできないし、親に反対されるからやめないとなって思います。

A.ウ・サギは、子どもの頃将来なりたいと思っていた職業と、これまでで一番なりたくて真剣に頑張った職業と、今やっている職業は全部違います。なりたいものは変わるし、実際になろうとしてみないと向いているかもわからないし、なりたいことよりも向いてることをやっているうちにそれが楽しい職業になることもあります。
と、そんな一般論は置いておいて、なりたいものがあるけれど、なれなさそうだし、親に反対されるし、やめないとと感じている…という話ですね。「やめないとな」という表現から、やりたいという気持ちが結構強いものにウ・サギは感じました。ウ・サギは努力しても一番なりたかったものにはなれなかったですが、なりたいという気持ちで試行錯誤した経験は、今の糧になっていると感じています。
未来はどうなるかわかりませんが、あなたがなるべく充実した今日や明日を過ごせる道があるといいな、とウ・サギは思います。何を選ぶも自由で、正解もないと思うし、なんか違うなと思ったらこれまでやったことを捨てて、新しい道にいってもいいのです。でも「親に反対されるから」という理由で何かを選ぶ(選ばない)と、つまづいたときやしんどくなったときに後悔しそうなのが、ウ・サギはちょっとだけ心配です。

update 2025/5/11
Q.学生の時、学校の空気に合わせると親に怒られ、親の意見に合わせると学校でいじめられることがあった
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学生の時、学校の空気に合わせると親が怒る、親の意見に合わせると学校で「キモい」といじめられるということがありました。大人になった今も同じで社会に合わせても親に合わせても上手くいきません。どうすればいいですか?

A.補足に、自分の選択肢に「自分の気持ちに合わせる」が含まれていないとありましたが、その選択肢が含まれていないことに気づき、それに対して何だかつらいし悲しいですと思えることはもはや、自分の気持ちに合わせようとしているとカエルは感じました。いい兆候です。しかも、学校に合わせても、家に合わせても、社会に合わせても上手くいかないというのは、潜在的な自分が「合わせなくていいよ」というサインを出しているのかもしれないと思いました。特別なことは何もしなくてもそのままでいいとカエルは思いました。そして、また生きづLABOに来て、自分を出してください。

update 2025/5/11