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タグ心の悩み
Q.優しさに対して裏がある!や、これくらい当たり前!などと思う
この記事の担当 所長室

Q.優しい人の優しさを、こんなに優しいなんて裏があるに違いない!や、これくらいしてくれて当たり前だ!冷たいくらい!など思ってしまいます。まっすぐ優しさを受け取りたいです。

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update 2026/1/23
Q.病んでる友達に好きな先生ができて、先生の近くにいる子に暴言を吐く
この記事の担当 所長室

Q.気になったことです。自分には病んでる友達がいるんですけど、その子に好きな先生ができたんですよ。で、その先生がイケメンですごい人気な人なんです。友達がその先生の近くにいる女子とかに「死ねよ」「きっしょ」とかいうんですよ。

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update 2026/1/23
Q.「自傷をしたり死にたいと言う人は基本死なない」にモヤっとする
この記事の担当 所長室

Q.自傷癖があります。「自傷をしたり、死にたいって言う人は基本死なないから大丈夫」という言葉にモヤっとします。統計上はそうかもしれない。でも大丈夫って何?何が大丈夫なの?性格悪くてすいません。

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update 2026/1/23
Q.苦しい。こういうサイト無しでも耐えられるようになったのにまた戻ってきちゃった。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.苦しい。こういうサイト無しでも耐えられるようになったのにまた戻ってきちゃった。仲良い友達と遊ぶのも話すのも憂鬱になって誰かに笑顔を見せるのが苦しくて、普通の時もあるけどちょっとのことですぐ苦しくなっちゃってどうしようもないです

A.おかえりなさい。我々はつらくてもつらくなくても、来てくれることは全面的に歓迎します。仲良い友達にも会いたくない時に研究所に来てもらえるのなんて、なんと光栄なのでしょう。苦しいときに、苦しいと気づいて、効能のある?サイトに訪れることができる質問者さんの自己理解力とセルフマネジメント力に拍手を送ります。

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update 2026/1/19
Q.精神科の薬が死ねますようにと願って飲むとよく効くが、楽になれますようにと願うと全然効かない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神科のお薬なんですけど、
死ねますようにって願って飲むとよく効くのに、
もっと楽になれますようにって願うと全く効きません。
これは私は死んだ方がいいってことですよね。

A.同じく適量を飲んでも、願い方によって効き目が変わるという話ですね。「私が死んだ方がいいってことですよね」には率直に「どういう理論でそうなるのだう…?」とウ・サギは思ってしまいましたが、追い詰められた気持ちでいることはよく伝わってきました。
「もっと楽になれますように」はどこか自己一致しない願いなので心に負担がかかり、「死ねますように」は自分らしい無理のない願いなので心がリラックスするのだと考えると、薬の効き目も変わってくるのもあり得る話だとウ・サギは思います。ただ、死ねますようにという願いが自分をリラックスさせてくれることと、死という状態を質問者さんが求めているかは別の話だとウ・サギは考えます。死にたいというのはどこまでいっても感情の話で、感情にぴったりくるイメージであり表現であるだけで、現実として死を求めているのとは少し違うと思っています。死にたいに限らず、どんな願いも思いも一言で表しきれることのない複雑に絡まり合った感情で、実は叶える手段も複数あるからこそ、願いをそのまま最短距離で行動に移すことは滅多に起こらないのではないでしょうか。
一方で、「死にたい」「死ねますように」などの一言でしか伝えられない気持ち、自己一致して表現できない気持ちもあると思っています。

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update 2026/1/19
Q.望まず生まれてつらい思いをしてるって嫌だけどそう考えれるのは自分が存在しているからで…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が望んでいないのに生まれてきて、つらい気持ちをたくさんしているってなんか嫌だなって思った。でも、そう考えれるのは自分が存在しているからだよなとか考えたりぐるぐるしてる。何を目標として生きればいいのか知りたいです。

A.なるほど…哲学的ですね。でも哲学というにはあまりに切実で、生きているしんどさから生じてきた問いであるとも感じています。
自分で望んでいないのに生まれてきて、というのはウ・サギも時々思います。生まれるというのは大きいことなのに、誰一人自分で望んで生まれてきていない、そこに選択権がない、というのはびっくりなことにも感じます。でも、生きる上で選べないことはそもそもたくさんあって(人間以外にも自分以外にもなれないし、生まれる時代も場所も選べないし…)、本来選べるはずの範囲のこと(どこで誰と住むのか、学校に行くか行かないか、何で生活を賄っていくのか…)が選べないから、「生まれる・生まれない」など選びようもないことを考えてしまうのかもしれません。
何を目標として生きるのかは、目標なんて無く生きるくらいがちょうどいいとウ・サギは思っています。目標をもち、努力をして、生きがいを感じ、自分のキャリアを築いていく・・・そういったものが、今の人生像の主流になっているのではないかとウ・サギは感じているのですが、生きるというのは本来違うものだとウ・サギは思っています。私たちは関係性の中で生きています。誰かが食べ物を作ってくれて、家を建ててくれて、娯楽を創造していて・・・自分だけでできないことはたくさんあるし、何もできない赤ちゃんから誰しも人生は始まり、年を取れば身の回りのことのサポートを必要とする場合もあります。傷つき孤立したり、疲弊すれば、何もできなくなることだって誰しも起こり得ます。そういった弱さや不完全さを抱えたもの(すべての人)同士が、誰かを過度に犠牲にすることなく助け合える社会をウ・サギは望んでいるのですが、そのために目標があるとしたら「誰も切り捨てない世の中であるために必要とされることをやる」という、自分中心でなく、関係性を中心とするものになるのではないかと考えています。
そして、ウ・サギは、今の社会について一度立ち止まって一緒に考える仲間を必要としています。今の社会で何が問題なのかは、切り捨てられてしまっている存在が最も知っているので、教えてもらうことも欠かせません。生きづLABOにアクセスがあるだけでも、今の社会について考え直すことが必要とされている一つの根拠となり力となります。
だから、そんな壮大に社会を変えることを目標にしましょうと言うつもりではないのですが、存在し考えることにはいつも意味があり価値があるのだ、とウ・サギは思っています。だいぶ話が膨らんでしまいましたね・・・全然回答になっていなかったらごめんなさい。

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update 2026/1/19
Q.摂食障害の自助グループで発言したら辛さを一般化されるようなことを言われ悲しかった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ちょっと前まで、摂食障害の自助グループに属していました。そこで私が『こういうことがつらい』と発言したら、ある方から『まだそんなところにいるの?そんなの当たり前』と言われました。私の辛さを一般化され、軽視されたようで悲しかったです。

A.つらさを一般化されるのはしんどいですよね…。真正面から否定されるわけではない分、反発もしづらいというか、どうにもモヤモヤするものだとウ・サギも感じます。
おそらく、聞き手側がまだ自分のつらさを消化や整理しきれず、他者のこころを受け止める余裕がないときに起こる現象だとは思うのですが、どんな事情があろうと一般化をしていいわけではないですし…。とはいえ油断したりコンディションが悪いと誰しもやってしまいかねないことでもあるので、ウ・サギも一般化してしまう側にならないよう気をつけなくては・・・とも思いました。

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update 2026/1/19
Q.失礼な発言なのは分かったうえで、病気になって周りからしょうがないねと思われながら休みたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.本当に苦しんでいる人に対して失礼極まりないのは分かったうえで、病気になりたい、周りからしょうがないねと思われながら休みたいです。出来れば治らない病気がいい。

A.自分の最大の願いが完璧に叶いそうな妄想(かつ実際にあり得そうで、想像しやすいもの)は甘美なものだとウ・サギは感じます。具体的にこの状態になりたいという強いイメージがあるのは、それだけ今の環境がその逆をいっているしんどさが大きく、それを変えられそうにない無力感がある、という話だとウ・サギは捉えました。
実際にそうなったらそれはそれで問題も出てくるかと思うのですが、想像の世界ではややこしいことはすべて免除される(理屈ではわかっていても体感はできない)ので、願いが浮かんでしまうこと自体は自然だしある意味大切なことだと思います。

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update 2026/1/18
Q.なんでもかんでも先延ばしして、いつもギリギリで苦しい。どうにかしたい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.なんでもかんでも先延ばしにして、ギリギリに追い詰められないと何もしないのをどうにかしたい。いつもギリギリで半泣き。苦しいし、他のことの余裕ができないから、どうにかしたい。どうすればいい?効果的な方法を教えてください

A.先延ばしとギリギリはカエルもしばしばあることなので身近に感じました。ただ、カエルはギリギリになっても苦しくなく、気にしないのが質問者さんと違うところです。
「どうすればいい?」との質問で、おそらく「先延ばししないようになるには、どうしたらいいですか?」という趣旨かと推測しましたが、カエル的には「先延ばししても、苦しまなくて済むためには、どうしたらいいですか?」という意味もあるぞと思っています。というのも、カエルの経験から先延ばしをしてしまうこと自体を何とかするのはけっこう難しいように思うからです。それよりも、先延ばしは本当に先延ばしなのか?とか、そもそも、ギリギリだと焦っていることがそんなに重要なのかと疑問が生じるわけです。
例えば、学校の宿題だとしたら、自分で決めたことでもない学校から押し付けられた課題をどうしても締切までにやらなければならないのだろうか?と思うのです。誰かに著しく迷惑をかける締切や、自分の生活に重大な影響を与えるような締切はきっとない!とカエルは考えます。それだけ、世の中にはよくわからない縛りというのか、見えない「ねばならない」プレッシャーがあることを痛感します。質問者さんの先延ばしの事情を詳しく知っているわけではないのですが、カエルとしては先延ばしってなんだ?とか、先延ばしだっていいじゃんって思います。
追い詰められている質問者さんにはのんきすぎる回答かもしれませんが、物事の見方や本質を検討してみることをカエルとしてはおススメしたいと思います。

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update 2026/1/18
Q.自責思考が辞められない 死ぬのがなぜ駄目なのかわからない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自責思考が辞められない
死ぬのがなぜ駄目なのかわからない

A.補足の内容からも、とてもしんどい状態にあることが伝わってきました。
思考や生きづらさというのは、自分自身の中にある問題というよりは、環境によって生み出される部分が大きいとウ・サギは思っています。強い自責(または他責)が生まれるのは、何かを攻撃したい感情になっているから=深く傷つけられているから、というのがまずあるとウ・サギは考えています。個人差はあると思いますし場合にもよるかと思いますが、こころは暴力を受けた分だけ、暴れ出したいエネルギーを蓄えてしまうものだと感じます。だから自責思考の強さは、自分はそれほど傷ついているのだな、と受け止めると多少は和らぐかもしれません。
これは質問の回答からは少しズレてしまうかもしれませんが、ウ・サギは自ら命をたってしまうことについて、「社会(その人を取り巻く環境すべて)が人を殺してしまった」出来事だと捉えています。社会が個人をそこまで追いつめてしまうことはあってはならない、そういった社会になっているのなら変えていかなくてはならない、とウ・サギは思っています。先ほども思考は環境から生まれると書いたように、死にたいなどの気持ちも、他も人のこころに浮かぶものはすべて、環境の影響があります。だから、誰が何を思うかは自由ですし、どんな気持ちも責めたり否定するつもりはまったくないのですが、自ら命をたってしまう人がいることを「それでも構わない」「個人の自由だ」みたいにはウ・サギは捉えることができないのです。

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update 2026/1/18