Q.一人称がどれもしっくり来ない。今は僕、俺、私、自分を使っているけれど全部違和感!自分の名前もあんまり好きじゃないし……むずかしー!!
A.カエルのように何かの動物を一人称にしてしまうのはどうでしょうか?一般的な一人称ではフィットしないという気持ちはわかります。オリジナルが流行りだすと世の中がけっこう変わりそうな気がします。
うさえながの「われ」もとてもナチュラルで聞いていてしっくりきます。
Q.一人称がどれもしっくり来ない。今は僕、俺、私、自分を使っているけれど全部違和感!自分の名前もあんまり好きじゃないし……むずかしー!!
A.カエルのように何かの動物を一人称にしてしまうのはどうでしょうか?一般的な一人称ではフィットしないという気持ちはわかります。オリジナルが流行りだすと世の中がけっこう変わりそうな気がします。
うさえながの「われ」もとてもナチュラルで聞いていてしっくりきます。
Q.相談してねと言われても、誰かに相談することが難しいです。
A.相談って、一体何なのだろう……?とぐるぐる考えてしまいました。
ウ・サギ的には「自分の中にあるものを外に出す(感じていることを表現する)」のと「それを一緒に眺めて、考えてみる」のセットという感覚はありますが、そう考えると「相談してね」という声かけ自体が、相談を遠ざけているような気がしてきました・・・。
相談って、なんか大げさに頼るようなイメージもあるかと思いますが、感じていることを表現する力(言っても大丈夫という安心感があること、自分の感じていることに気づけること)があれば、それが相談という形だろうとなかろうと、発信していく中で気持ちをコントロールしたり自分なりに考えを整理していくことができそうにも思います。
だから、相談することが難しい人には、「相談してね」ではなく、思っていることを言っても大丈夫な雰囲気や関係づくりや、どう感じてるの?と聞くのがまず大切なのかな、と。そして、とりあえず思ったことを言うのが大事だとするなら、上司などの利害関係にある相手に何か相談するのって難しいのかもしれませんね。
あなたへの回答から話が逸れてしまいましたが、本当に、相談って難しいのですよね…。まずは一番ハードルの低いところに、まとまらなくても感情的でも全然いいから、思ったことを表現するのから始めるのがいいのかもしれません。そう考えると「質問箱」って、便利な相談練習場である気もします。
Q.ゲームくらいしか生きがいがないけれど、そのゲームには勝敗があるから、負けるとストレスでしにたくなります。でも他に楽しいことがないから、やめるつもりにはなれません。どうしたら良いでしょうか。
A.やみーペンもゲーム負けるの嫌なタイプ!!手加減されても勝てるならそれでいいタイプ!別に楽しいこと見つけれたらいいけど、なかなか見つからないよね…やみーペンと一緒に、楽しい探しをしてみない??
Q.自分の不安や苦しみを人に相談する時に、相談することによって相手を苦しめているのではないか、と罪悪感があります。
本当は、人といる時は、楽しく和むような時間を過ごしたいのですが、罪悪感を減らすにはどうしたらいいでしょうか?
A.罪悪感の攻略法に関する質問ですね。攻略するためには敵を知る必要があります。罪悪感がどこから来るのかによって、おそらく方法が異なると思います。なので、まずは罪悪感の根源を把握しましょう。
もしも、罪悪感が明確な過去の経験に関係しているとしたら、過去の経験について誰かと話をするとか、深める機会が必要だと思います。
もしも、明確な理由や関係がわからないけれど、罪悪感に駆られてしまうのであれば、それは世の中の「人に迷惑をかけてはいけない」「人の負担になってはいけない」という過剰な空気に感染している可能性があります。実態としては、生きていたらだいたいはお互いに迷惑や負担をシェアしあっているのが自然なことなのですが、どうも他者の負担を気にする傾向が強いかと思われます。
それから、もう一つは自分と他者の境界曖昧さの問題があります。カエルもよく「迷惑かけてすみません」とか「負担をかけて申し訳ない」と言われることがありますが、『迷惑かどうかは私の問題なので、そこは私に任せてください』と伝えています。もう少し、相手のことを信じて任せるということをおススメしたいです。自分の問題と相手の問題を区別して考えると変わって見えることもたくさんあります。
Q.先日のYouTube生配信を見ました。その際に、「生きるか死ぬかは明日決める(更新制)」と言っていましたが、「生きる」を選びたくない時はありましたか?そうなった時は、何をしたらいいでしょうか?
A.「生きる」を選ぶというよりは「今日は死なない」を選択するイメージですが、生きたくない気持ちが強いときは、いつ死ぬかを仮で決めていました。でもそれも更新制なので、またその時期になったら、どうするかを考え直すという形です。あとは、死にたい原因が環境だとわかっているときは、何年度に「今の環境の自分」から抜け出す(=今の自分が死んで生まれ変わるイメージ)と決めたりもしていました。それも更新制なので、実現はしたりしなかったりでしたが。
何をしたらいいのかは人それぞれかとは思いますが、生きることを考えると精神的に負担を感じるなら、極限まで生きる気のない設定で暮らしていいとウ・サギは思っています。たとえば明日死ぬなら、仕事も学校も適当でいいし、風呂も歯磨きもいらないし、将来のことを何も考えなくて大丈夫です。明日死ぬ決意でなく「設定」にするのがポイントで、明日気が変わった自分を恥じる必要もないし、死ぬ準備も別にいらないし、とにかく今日(今この瞬間を)生きる負担を減らすのがポイントだと思っています。そう考えるとネットやゲームなどで現実逃避するのも一つの手段ですね。
Q.やらなきゃいけないことに追われて、最近、常に気を張っている気がします。疲れてしまいました。夜もよく眠れません。でも休めないです。
A.我の眠れる力を分けてあげる…!
やらなきゃいけないこと、いなくなったらいいのにね
*ウ・サギから補足*
「疲れたら休みましょう」というのは正論で、実際のところは、休むのって状況やコンディションによっては簡単じゃないのですよね…。やらなきゃいけないことを全部放り出しゆっくりする時間がもっとみんなとれれば、メンタルの問題は半分くらい解決しそうなのにとウ・サギは時々思います。
人間の脳の機能から整理すると、気を張っているというのは「交感神経」が働いている状態かと思うので、交感神経が働きすぎて、リラックスする「副交感神経」が働いてくれない状態にあるのかなとは想像しています。なので副交感神経がどうにか働くようにできたらいいのですが、やらなきゃいけないことが多いのを気を張ることで対処しているのが伝わってくるので、う~ん・・・。うさえながの言う通り、やらなきゃいけないことがなくなってくれたらいいのに・・・と、もどかしいです。
とりあえず「疲れてしまいました」とか「もう頑張りたくない」とか、気持ちの吐き出しはどんどんしてください、と伝えたくなりました。ウ・サギは海に行って「もういやだ~!」と叫んだこともあります。
Q.適応障害って、いつ働けるようになると思いますか?
A.適応障害という括りよりは、「心の健康を崩してしまった状態から、働ける状態に戻るまでどれくらいかかるか?」というので考えて回答させてもらいますね。
ずばり答えは、「必要な分だけ休めば働けるようになる」だとは思うのですが、①「必要な分」とは、②「休む」とは、③「働ける」とは、の3点に分けて整理してみたいと思います。
①「必要な分」とは
例えば、同じ適応障害という診断がついていても、背景にある心のダメージの量や質はかなり個人差があるかと思います。幼少期から家庭環境などでダメージを受けていて、ずっとギリギリでいたところに限界がきたパターンから(複雑骨折のイメージ)、それまでは比較的健康に自分らしく生きてきたけど、今いる環境が合わなくてメンタルを崩したパターン(風邪を引いたに近いイメージ)、その他諸々あるかと思います。ダメージの質や量によって、回復にかかる時間も、必要な社会資源も、ひとまずどのラインまでの回復を目指すかも、変わってくるように感じています。
②「休む」とは
休むも、ただ仕事を休むだけで十分に休めるとは限りません。住環境(人間関係含)にストレスがある、病院の先生とうまくコミュニケーションがとれない、焦りや自己嫌悪が強いなどの状態だと、なかなか休めていない場合もあるかと思います。質のいい休みがとれれば、いずれ回復すると思いますが、休む環境が整わないと回復には時間がかかってしまうかもしれません。
③「働ける」とは
働けるか否かは、職場の理解や業務内容とのマッチングでハードルが変わるかと思います、理解ある職場、自分に合う仕事であれば、最低限回復すれば働けるかもしれませんし、自分にとってハードな職場環境と内容であれば(ブラックな職場や苦手な職業はそもそも選ばない方がいいですが)、十分に回復してからじゃないと働くのは難しいかもしれません。また、今はどうしても生活するためには、フルタイムに近い就労が必要な場合が多いですが、本来は働くのは衣食住を確保するための「手段」であって「目的」ではないはずです。だから働くことだけが絶対のゴールではないはず・・・とは、一応お伝えしておきます。
メンタルの不調は「このままの生き方を続けてはいけないよ」というサインだとウ・サギは感じています。だから、適応障害でも他の診断名でも診断がなくても、自分らしいペースや生き方をちょっぴり掴めそうになってきた、何かしてもいいかなと思えてきたときが、何かをやり始めるべきタイミングなのかなと思っています。
Q.悪魔を見てしまって、それが現実に起きたらどうしようと、日常が変わってしまうことへの莫大な恐怖感に支配されて、不安で仕方ないです。どうしたら気分が安らぎますか?
A.不安や恐怖が暴れているとき、どう気分を回復させるか・・・実に難しいですね。ウ・サギもずっと悩んで、まだ試行錯誤中です。
構造的に考えると、不安や恐怖は悪い想像に「意識が囚われている」状態かと思うので、その意識をいかに他のものに向けるか、バランスの良いものに戻すか、という話なのだとは思います。恐怖に支配されることはウ・サギも時々ありますが、こんな恐怖(たとえば、お化けが出るかもしれない)なんていつでも可能性はあるし、お化けの存在を知らなければ絶対想像もしないはずなのに、どうして想像し始めると止められないのだろう・・・と自分にうんざりします。頭では冷静に突っ込みができても、心は言うことを聞いてくれないので、困ったものです。
意識をバランス良いものに戻す方法としては、深呼吸やマインドフルネスなど、体へのアプローチが有効なのかなとは思います。意識を他のものに向ける方で考えると、あなたが何に惹かれやすいか次第にはなりますが、動画、漫画、料理、食事など、何か夢中になったり無心になれるものがあると便利そうです。あとは気分が安らぐで考えると、音楽か、またはすぐには難しいかもしれないですが、植物やペットなど心を現実に結びつけ癒してくれるものがあるといいのかなあ、なんてアイデアも浮かびました。
でも夢というものは、記憶や自分の想像がカオスに混ざって出てくるものかと思うので、悪夢を見るという時点ですでに不安が溜まっているのかもしれないですね…。いい夢見れるYouTubeライブや、悪夢から切り替えられるYouTubeライブなんかを生きづLABOでできないかなあ。
Q.死にたいなって思うことも確かなんだけど、でも他の人みたいに眠れない、とか体調不良にはならない。なんなんだろ。私はまだまだってことなのかな?こんなんで苦しんでちゃ甘いって、ことかな?
A.体調に出るか出ないかは人によって違うので、「死にたいって思う」という感覚や苦しいという気持ちがあるのだから、それを素直に受け止めていいとカエルは思います。
あんまり身体に出ないタイプかもしれないし、身体に出ないからこそ、心が負担を引き受けているのかもしれないし、ひょっとしたら体調や眠りが気づいていないけど不調ってこともあるし…
死にたい気持ちや苦しさに甘いとか、甘くないとかはないので、自分の気持ちや感覚を信じて、受け止めたいとカエルは考えます。
Q.高校生です。授業中に急に死にたくなるときがあって、苦しくなります。どうしたらいいですか。
A.普段の「つらい」が授業中に急に押し寄せるのかな~…。苦しくなった時には、やみーペンは最近は我慢しないで過ごすことにしている。周りがどう思うかは分かんないけど泣いてみたり、その場から立ち去ってみたり…。でも、学校だとダメって言われたりするかなぁ…助けてもらえるきっかけになったらいいんだけど…。
周りに何も言われなさそうな方法として思いついたのは、質問箱に送る質問を考える!かな。また質問待ってるね~