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タグ人間関係
Q.虐待とか苦しい人達がいっぱい居て、私は傍から見れば幸せな環境なんだと思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なんだか、辛い苦しいって言ってる人の話を(ネットとかで)聞くと、虐待とかいじめとか環境が酷いとか、教育虐待とか、なんだか本当に苦しい人達がいっぱい居て。私ってやっぱり恵まれた環境にいる、傍から見ればとっても幸せな環境なんだなあって思います。

A.誰かから見たら幸せな環境でも、自分にとっての辛さを決める(というか感じる)のは自分だけなので、自分が辛い環境ならそれは辛い環境だとウ・サギは思います。でも、比較してそう感じてしまう気持ちもわかるし、じゃあどうして比較をしてしまうのだろうか…と今考えてみているところです。ウ・サギ自身も比較して、自分が弱っている場合じゃない、辛いなんて言うのも失礼だ、と思っていた時期は結構長かったので・・・辛さを比較するような風潮が社会で流行しているのかもしれません。
ただ、ウ・サギは虐待を受けた方にそういった申し訳なさを実際に伝えたことが何度かあるのですが、「いや、あなたも全然つらいでしょ」みたいにスッと受け止めてもらいました。比較して自分が恵まれている環境にいる側面があるとき、その自覚がなく発信してしまうと、過酷な環境の人が傷つくことは確かにあるのかもしれません。でも、基本的には私たちはお互いのつらさに寄り添い合える存在で、そうやって双方が回復していくのだとウ・サギは思います。だから自分が相手のつらさを尊重していれば、相手も自分のつらさを尊重してくれて、そこで比較は生じない、というのか・・・。ちょっとうまく説明できていなかったらすみません。
自分の苦しさに対処するという視点で言うなら、他の人の辛さを知ったり考えることで自分が辛くなってしまうなら、他の人の辛い話はなるべく見ないようにするのがウ・サギとしてはおすすめです(実際にこの対処をしたことがあるのですが、わりと効果がありました)。辛い自分をさらに辛くさせることで、自分にいいことはないし、他の辛い人が救われることにつながるわけでもないし、私にとって私の人生は辛いんです!と自分の中では思いっきり認めて肯定していいとウ・サギは思います。

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update 2025/8/7
Q.かつて自分をいじめてきた人に雰囲気が似ている人に警戒心が働いてしまった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.路面電車に乗ったら、運転士の雰囲気がかつて自分をいじめてきた小学校の同級生に似ていた。その運転士は同級生とは別人なのに、警戒心が働いてしまってつらかった。なんで何年も経っているのに過去に苦しまなくてはいけないんだ。運転士さん、ごめんなさい!

A.過去に引っ張られて、過去関係ない相手に警戒心や、時には嫌悪や怒りなどを感じてしまうことはウ・サギもあります。なんなら、つらかった記憶ではなく、キライだったあいつに似てる!というくらいで警戒心が発動することもあります。もちろん態度には出さないように気をつけますし、徐々に知っていくと過去とその人を切り離すこともできてきますが、第一印象が過去からの影響を受けること自体は、たぶん自然なことだろうと思っています。
危険に備えるのは生物に備わっている機能なので、攻撃を受けた記憶は強くインプットされやすく、似ている状況(刺激)があったら思い出しやすいようにできているという話も聞いたことがあります。
その相手には、確かにごめんなさい!という感じではありますよね…。でも、もう少し考えてみると、悪いのは自分ではなく、自分を当時つらい状況から守ってくれなかったこの世界では?とも感じます。
結論としては、誰にでも起こりうることで、自分が悪いわけでもないからこそ、その人に関係ないことで心が動いていることを自覚していればOKだとウ・サギは思います。

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update 2025/8/5
Q.配信で権利の質問を送った者です。気づいたことを書いてみました。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.配信20回の質問6、権利の質問を送った者です。皆さんのお話を聞いて、権利は自分の中にずっとあるから、使えるタイミングで使っていいよ!(気が向いたら使ってね〜)みたいなことかな?と思いました。他にも気付いたことがあるので補足に書いてみました。

A.わざわざ、丁寧に気づいたことを送ってくれてありがとうございます!
はい、そうです。そんなイメージです。権利(特に基本的人権と呼ばれる種類のものは)は誰にでもあって、その人の必要なタイミングで使えるものいう理解でよいと思います。特に子どもの場合は「生きる権利」「守られる権利」「育つ権利」「参加する権利」という4つの権利があると言われています。

補足にもご自身がどのように情報を理解したかというプロセスについて詳しく書いていて「なるほど」と思いました。カエルも、人から聞いた話が、自分の中で変換されていくのを経験したことが何度もあります。カエル自身もありますが、特につらい経験をしてきた人や情報収集に癖がある人は、願望や期待などが入ってしまうことが多く、変換の幅が広くなることがあると思います。
また、似たようなたくさんの情報があると、自分の中でつなぎ合わされて別のことになったりまします。そのことで、知らないうちに最初の情報と違う理解になることも自然なことだと思います。カエル的には、そうしたことはよくあることではありますが、質問者さんのように自分の情報の偏りを冷静に振り返り、「誤解でした」と宣言できる潔さにアッパレ!と言いたいです。自分を振り返る力は、必ずや自分を守ってくれるとカエルは思っています。

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update 2025/8/5
Q.友達だと思っていた子を恋愛対象として見ているかもしれない自分がすごく嫌に見えてくる。
この記事の担当 やみーペン

Q.友達だと思っていた女の子を恋愛対象として見ているかもしれない。そんなことを思ってる自分がすごく嫌に見えてくる。

A.恋愛と友情の区切りってどこにあるんだろ……ってやみーペンは考えた。どんな風に区別をつけてるかとか、どんな存在なのかとか本当はみんなバラバラなはずなのに、「友だちはこういうもの」「恋愛はこういうもの」とかされてると自分変……?って思いやすいかも。
やみーペン的には友だちから恋愛感情相手になることも当たり前だと思うけどなぁ。でも相手がどう思うかとか考えると難しいよね……(ぐるぐる)

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update 2025/8/3
Q.自分は人を傷つける最低な人間です。とにかく自分が嫌いです。生きるのがつらいです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分は人を傷つける最低な人間です。とにかく自分が嫌いです。生きるのがつらいです。でも死ぬのは怖いので嫌です。どうすればいいですか。

A.まず、丁寧な補足をありがとうございます。人を傷つけてしまう自分のことを責める気持ちと、そう思う根拠が並んでいましたが、一番傷ついているのはあなた自身であるようにウ・サギは感じました。
補足の内容から、家族が自分のためにコストを割いてくれているのに、それに報いることができていない、という部分で自分を責めているとウ・サギは理解しました。

ちょっと話がズレてしまうかもしれませんが、「誰かのために」行動するという考えにウ・サギはずっと疑問をもっていて、実は全部が自分のための行動でしかないと思っています。例えば、誰かを心配で手をさしのべるのは、「心配だ」という自分の気持ちに耐えられないからとか、「幸せになってほしい」という願いがあるからとかかもしれないし、生きづLABOが誰も見捨てられることのない生きやすい社会を作りたいのは、誰かを見捨てるような社会で生きていきたくないからです(だって、いつ自分が見捨てられる側になるかわからない世界じゃ怖くて、安心して生きられないです……)。そのあたりをもう少し正確に言葉にすると、ウ・サギのいう「自分のため」というのは、「自分一人のため」ではなく「自分たちのため」という意味合いがあります。
だからつまり、何が言いたいかというと・・・自分のためにしてくれた(だろう)ことに応えられないことで、自分を責める必要はないのではないか?ということです。そして、親切にする側の人も、それは突き詰めると自分のためにしているのではないか?という視点で自分に向き合ってみてほしいと思っています。相手のために何かをしてあげようとすると、質問者さんがこうやって自分を責めているように、弱い立場の人をより追い詰めてしまう危険があるからです。

補足のケースでいえば、あなたの気分が変わったのなら、親と妹はあなたの意向を尊重して、自分の気持ちも大切にして、その結果あなたは家に残して自分たちは出かける、という選択をすればいいようにウ・サギは感じたのですが、どうなのでしょうか…(的外れな意見を言っていたらごめんなさい)。
子どもが大人に嘘をつくのも、それは「嘘をつかせてしまう」大人側の問題(嘘をつかないと認めてもらえない、自分の身が危険かもしれないなどと感じるほどに、子どもにプレッシャーをかけてしまっているという問題)だとウ・サギは思っています。

でもきっと、理屈で解決する次元ではない「自分が嫌いだ」という感情が、あなたの中に強くあるのだろうとも受け取っています。そして、変な言い方ですが、自分はいつも自分のそばにいるので、嫌いで仕方ない相手とずっと離れられないのはとてもしんどいことだと思います。だからウ・サギは、誰よりもあなた自身が、一番傷ついてダメージを受けているように感じました。

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update 2025/8/3
Q.セクマイなのでアプリで付き合おうとしても身体の関係に持ち込まれて自己嫌悪。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつまで経っても愛し方と愛され方がわからないまま、セクマイなのでアプリで付き合おうとしても、望んでいるわけではないのに身体の関係に持ち込まれてその度に自己嫌悪。
どうすれば健全な感情の関係を築ける?

A.愛し方や愛され方以前の問題として、望んでいるわけではないのに断り切れない、というところに社会の闇と人間関係の難しさをウ・サギはとても感じます。
それは個人のせいではなく、とくに親子間や恋人関係において境界が曖昧になりやすい文化、自分の気持ちを理解し発信していくのを学ぶ機会の圧倒的な不足(残念ながら学校教育は逆のことを身につけさせてしまう場合が多いと感じます)など、社会の方に問題があるとウ・サギは思っています。

補足の内容から、育った環境の中で(相手に悪意がないとしても)心の繊細な部分を踏みにじられてしまった経験が少なくないと感じたので、そのあたりが愛を求める気持ちと愛がわからない混乱のようなものを大きくさせているのかな・・・とも想像しました。ウ・サギは恋はこれまで満たされなかったものを何かで埋めようとする側面があると感じてしまって、恋愛は愛よりも支配に傾いてしまいがちな、危うい関係性だとも感じています。
健全な感情の関係を築くのは、本当に全然簡単なことじゃないと我が身を振り返っても思うので、どうすればいいか?への答えの自信はないですが、自分の感情を知ることが大切だとは思っています。寂しさはどこからくるのか、恋愛に何を求めているのか、断れないのはどういうメカニズムで起こっているのか・・・。それは人間関係の中でしか見えてこない部分はあるので、これまでの経験も学びだとは感じました。

また、身体の関係にすぐ持ち込まれないようなセクマイのお付き合いを求めるなら、クワセクシュアル、デミセクシュアル、グレーセクシュアルなど、「恋愛=性的な関係をもつ」という価値観を無条件ではもたない人との出会いを探してみるのもありなのかな・・・?とは思いました。出会い方についても、マッチングアプリよりは、どんな恋愛関係を求めるかの自己紹介(にじいろ学校というNPO法人で発行しているテンプレートがよく使われています)が書いてある人とSNSで関わってみるあたりから始めてみるのもいいかもしれません。SNSはSNSで危険もありますが、フォロワーとの関わりなどを含めて、相手のことを知る材料はマッチングアプリよりは多そうです。
恋愛メインの結びつきよりも、生きづらさの部分や周りに感じるもやもやを共有するような結びつきの方が(そこから恋愛に発展していくのも全然あると思いますし)、寂しさはあまり埋まらないかもしれませんが、ウ・サギ的にはおすすめです。

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update 2025/7/27
Q.毎日蹴られたりする環境にいて、恋人だけが救いで、でも恋人も苦しめてしまう
この記事の担当 やみーペン

Q.毎日蹴られて、叩かれて、お前のせいだって言われて。音に過敏で苦しんだり、いないって分かってるのに白い人影が見えたりします。そんな日々の中で、それはおかしいねって教えてくれる恋人だけが私の救いで、でも恋人も苦しめて、もう死んじゃえば楽なのかな

A.今もこれまでもずっとつらさを日々感じなきゃならない環境で過ごしてて、その中で理解したり、支えてくれる存在が出来たら普段の我慢がぶわぁって吹き出しちゃって依存的になっちゃうのも当たり前のことだよなぁとやみーペンは思う。
でも、本当はそうじゃなくお互い1人で立てて、時々支え合えるような関係になりたいと思ってるからこその葛藤だと思うし……難しいね。でも、今の穏やかじゃない環境から離れられたらきっと、自分のことも相手のことも苦しめずにすむ関係になれたりするのかな…親密な関係を穏やかに続ける方法を一緒に考えてみたいな……

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update 2025/7/27
Q.親が学校に行かせようと必死。どうするべき?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親が学校に行かせようと必死。本当に行けない日もあるけど行くのが嫌なだけで頑張れば…っていう日もあって、そこを削るよう言われている。親もみんなのようにフツウにして、多少嫌なことがあっても立ち向かって欲しくて嫌なんだろうけど…どうするべき?

A.自分の人生は親が代わりに生きてくれるわけではないので、親の言うことよりも自分の言うことを聴くことが大切だとカエルは考えています。あなた自身は「行きたくない」という明確な意思があります。それを妨げる権利は親といえども、ありません。「親の私としては、学校に行ってほしいと思ってる」という意見を伝える自由はありますが、それに対して「あなたの気持ちはわかりました。ただ、私は行きたくないので、無理です」と自分の意見を伝え、自分のための行動を選択することができます。(すでに、その意思を示し行動を起こしているのですから、すでに実行済みですね。カエルはそれだけで拍手を送りたいです)
ただし、学校に行かないと「学ぶ機会」を逃す可能性があるため、学校に行かない代わりにどこでどんな学びをするかという課題は残ります。ただ、それは子どもが考えることではなく、大人が学校に向いていないとか学校がしんどいことに対して他に学べる場所を保障する責任があるとカエルは思っています。
やっぱり、生きづLABOスクールを作って学校に行かなくても学ぶ機会を作るしかないかぁ…

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update 2025/7/24
Q.好きなものを「あんまりかな…」とか言われると心が折れる。どうしたら自分の意見を尊重できる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分の意見に自信がない。「これ好き」というのが怖い。「僕はあんまりかな…」とか言われると、心が折れてしまう。どうしたら自分の意見を尊重できる?

A.人はみな意見が違うので、「私は違う」と言われることを恐れる必要はないとカエルは思っています。カエルは「分かる」「同じ」と言われる方が気味悪く思います。ただ、世間では同じふりをするとか、誰かの意見に合わせることが重んじられているので、何となく周囲と調和させることが安全だという学習をしているでしょうか。
カエルはカエルとは違う意見であっても、「あなたはそう思うんですね」「あなたはそれが好きなんだね。分かったよ」と尊重します。同じだから尊重するのではなく、違うからこそ尊重できるのです。きっと、今まで自分の好きや考えをそのまま受け止められる経験が少なくて、否定されるような反応を受けてきたのかな…
あなたが感じること、好きなこと、思うことは生きづLABO一同みんな尊重しますよ。

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update 2025/7/21
Q.お説教が苦手。みんなどうやって乗り越えたり説教させない雰囲気を作っているのか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.お説教が苦手です。ハロワとかも運良くお説教系の人に当たらなかったけど、隣の人はお説教されていたりして自分の事じゃないのに落ち込んでしまいました。どの人に当たるかわからないのも怖いです。みんなどうやって乗り越えたり説教させない雰囲気を作っているのでしょうか。
お説教が必要な場合ももちろんあるかもしれないけど、相談に行って突然初対面の人からお説教されたら辛いなって思います。でもやっぱり自分が悪いんでしょうか。自分に自信がないからわからなくなります。行政サービスってどうしても怖くて、勧められても躊躇ってしまいます。

A.お説教はウ・サギも苦手ですし、初対面でするお説教など百害あって一利なしと断言したいレベルで、そもそもお説教にも反対です。人はそれぞれ個性も生きてきた世界も違うのですから、自分にとって正しいことが、相手にとって正しいとは全く限りません。だからその違いを十分に知る機会もないままに、強く意見を言うだけでも結構危険かと感じますし、ましてや自分の意見の方が正しいとでもいうように一方的に押しつけるなんてあまりに傲慢だと思います(ムカムカして、語気が強くなってしまいました・・・)。言っている内容がもし正しいにしても、それはお説教という形ではなく、フラットに伝えてくれればいいだけだとも思います。
乗り越え方(?)としては、
①お説教されたショックを吐き出す、受け止めてもらう
②自分が悪い・悪くないの自分軸がある上で、お説教された経験を自分なりに解釈して(相手がただ嫌な奴だった、この部分は自分に非があった…)、趣味などで何かしらストレス解消をする
といった方向性はあるかと思いますが、①にしろ②にしろ、「自分が悪いのか?」と自信を失ってしまう部分があると対処に時間がかかってしまいそう・・・書いていて気づいたのですが、まさにウ・サギもそのタイプなので、自信がほしいです……。
本当は、苦手側がどうこう頑張るのではなく、ストップ説教キャンペーンをやりたいところなのですが…。とりあえず生きづLABOでは、お説教をされたり、見てしまったもやもやをシェアしてもらうのは歓迎なので、自分が悪いのか?とぐるぐるしてきたらよかったら質問をください。

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update 2025/7/21