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タグ相談・支援等
Q.両親が喧嘩の声がよく聞こえて辛い。何か対策はないか?
この記事の担当 所長室

Q.両親がよく喧嘩し、その声が聞こえるのが辛いです。弟も、大きな音をたててドアを閉めたり、怒っています。私は自分の部屋にこもるようにしていますが、家ではあまり療養できていないのではと不安になります。何か対策はないか一緒に考えてほしいです。

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update 2025/12/14
Q.学校に行きたくない。周りに馴染めず、相談できる人もいない
この記事の担当 所長室

Q.四肢が怠い等の質問した者です。学校に行きたくないです。上手く話せなかったり、声を出せなかったりするだけで真っ黒い目で睨まれたり、好きな物が周りの人と違ったりするだけで「は?」と言われ圧をかけられます。周りに馴染めず、相談できる人もいなく、絶望的な状況です。 (※続きの文章はスライドに載せる都合上、要約させてもらいました)

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update 2025/12/14
Q.虐待され保護所に行ってたけど帰った。親と話せないのは変?
この記事の担当 所長室

Q.親から虐待されました。学校に行ってなくてキレて首掴んで引きずったりそれ以上のこともやるぞと脅されたりとかです。保護所に行って帰りたくはなかったんですけど迷惑をかけたくなくて帰りました。親と話せないのは変なことですか?当たり前ってなんですか?

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります

カエル 親と話せないのは変なことでは全然ありません。話したければ話せばいいし、親であっても嫌な人であれば話さなくてもいいから、変じゃないです。当たり前は、どの当たり前かな? (質問文から)『当たり前ってなんですか?』って、当たり前は人それぞれ勝手に思い込んでいる基準のことを、当たり前ってみんながそれぞれ言ってるんだよ。当たり前に優劣はない。それぞれが思ってることでいいんだと思ったけど、当たり前に圧があってね。多くの人と違うから「それは違う」って言われるけど、そんなことはない。これ、酷いね。(質問文から)『保護所に行って』って、でも迷惑って……誰の迷惑だと思ってるんだろうね、これ。誰にも迷惑かけてないと思うんだ、たぶん。子どもが虐待されて保護されていることに迷惑はないよ。
ウ・サギ いろいろ見て迷惑なんじゃないかって感じちゃうってことですよね。
カエル 迷惑そうに感じるポイントがあったのかな。
ペン 保護所とかも余裕はないかもしれないけど、大人は子どもの権利守るのに……。
カエル 文句とか言ってる場合じゃない。
ペン じゃないよね。
ウ・サギ やみーペンとかそういうこと気にしてる時代とかありそうなイメージだけど、そうでもない?
カエル 「迷惑かけちゃった」みたいなの、分かる?
ペン 大人見てたらそうでもないよって言いたい。勝手な大人の想像をして、それは本当は大人がただただキャパ不足なだけかもしれないしとか……。大人の役割としてはさ、適切なことじゃん。
ウ・サギ それはそう。
カエル それはそうだよ。責任だからね。
ペン 大人の責任だから。 でも、それを知らない、「大人の責任だよね、それ」って思わないと「迷惑かけちゃった」とか思うかも。
カエル 「お世話になった」とかね。カエルも結構ね、そんなことないのによく言われるわね。
ウ・サギ だから、それがどうして生まれるんだろう。どうしたらなくなるんだろうっていうのが気になってる。
カエル 一つは、親以外の人にはお世話になってはいけないという常識みたいなのがカエルはあると思うから、それをなくしたらいいと思うんだよね。子どもは親以外に世話になってもいいわけよ。子どもはあらゆる大人に世話になる権利があるから、誰でもいいわけ。一番自分が楽な人に世話になりゃいいと思うんだよね。 でも、人に迷惑をかけてはいけない神話が強すぎるんだよ。
ウ・サギ 迷惑をかけあって生きてるのにね。最近、いかに上手に迷惑をかけあうかってことを頑張った方がいいのかなって思ってる。
カエル (コメントで)『職員さんが忙しくしてるのを見たとか?』……いいんです! 職員さん、忙しくするのが仕事なんです!
ペン そういう子どもいなくなったら、職失うからね。
ウ・サギ 仕事奪っちゃったかもしれない。
カエル おとなしくしたらね。いいんですよ。大人に迷惑をかけちゃいけないとかが強く内在化しちゃうっていうかさ。たぶん、環境の中でもそうやって言われたんじゃない? 「お前なんて迷惑ばっかりかけて」とか。本当は違うのに言われ続けるとさ、そう思い込んじゃうところあるから。だからね、気にしなくていいんだよ。またいつでも、嫌だったらカエルは逃げてほしいよ。自分が嫌だと思うことが大事。嫌だと思うことからは逃げる。間違ってないと思うよ。当たり前はね、みんなで考えよう。違うんです。当たり前はない。そんなものはないのだ。

update 2025/12/7
Q.自分の思い通りにいかないと癇癪を起こすことにずっと悩んでいます。
この記事の担当 やみーペン

Q.自分の思い通りにいかないと癇癪を起こすことにずっと悩んでいます。
以前に、それをカウンセラーさんに相談したら、「子供時代に子供らしい生活ができなかった反動で、大人になった今自分の思い通りにしたくなるんだよ。」と言われました。私はどうしたらいいのでしょうか?

A.確かに子どもらしい育ちをしてないとそういう行動しかできなくなるよね…あと、やみーペン的にはそうじゃない方法での自己表現が見つかってない時も癇癪が起きやすかった気がするかなぁ。
どうしてこういう気持ちになったとか、どう思ったとかを話せたり、表現したりする人がいっぱいいる空間で過ごせるとどんどん身につくんだけど、中々そんな空間が無いのが悲しいところ…質問箱でまずは練習してみる??

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update 2025/12/3
Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。

A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。

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update 2025/12/2
Q.虐待されていると友達に相談された。どうすればいい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.友達から虐待されていると相談を受けました。親から精神的虐待を受けているそうです。その友達は、児相とかには行きたくないと言っているのですが、どうすればいいですか?

A.質問者さんが余裕のある大人でれば、虐待されている状況をどうにかするために全面的に動くことを考えたいですが、子どもであり余裕もない状況とのことなので、あくまで質問者さんにできることを考えて回答しますね。(虐待を受けている本人からの相談であれば情報提供もしますが、補足にあった質問者さんの状況も考えて、今回はポイントを「相談されたらどうすればいいのか」に絞ります)
どうずればいいだろう?と、誰かを助けたい、力を尽くしたいと思ったときにポイントになるのは、自分のできる範囲を知っておくことだとウ・サギは思っています。自分のやれる以上のことをやろうとすると(本来は虐待についてはしかるべき大人が保護するべきなのですが、力及ばずごめんなさい…)、支える側がしんどくなって続かず、結局は助けることから遠ざかってしまう展開になるのを、ウ・サギとしては心配しています。
子ども同士でやれることとしては、気持ちを聞くだけでまずは十分で、本人が解決のために動きたい気持ちが強ければ相談ダイヤルの紹介や、身近な大人への相談を一緒に考えたりお手伝いできればいいかと思いました。相談を受けるや助けるというのは、突き詰めると本人の本来もっている力や意思や気持ちを支えることだとウ・サギは思っているので、「助けよう」というよりは「自分を助けようとしているその人に、自分はどう協力できるだろうか」といったイメージで考えています。
話を聞いていて、もし苦しくなったら自分の気持ちを秘密の守られる場所で相談してみるのも大切ですし、解決についてサポートしようとするなら、友達にとって話すハードルが低いだろう相談先を(匿名のチャット相談か、学校の先生やカウンセラーさんか、その他諸々…)一緒に考えるのが、子ども同士でできる対応としてはいいのかなと思ったのですが、どうでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.心配されるためにリスカしたり死を仄めかしてしまう自分が嫌
この記事の担当 所長室

Q.試し行為がやめられない。心配されるためにリスカしたり自殺をほのめかしてしまう自分が嫌です。自分のことをみてほしい気持ちが抑えられないです。すごく申し訳ないと思うのに何度も繰り返すので相手から見捨てられそうです。どうしたらいいですか?

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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります 

カエル 生きかたカエル指名だ。『どうしたらいいですか?』って質問だもんなぁ。そのままでいいんだよ。カエルはそう思うんだけど。でも、それは苦しいからね。まず、試し行為っていう表現が誤解を招いていると思うんだ。これは本当は試してないからさ。(質問文で)『やめられない』って言ってるでしょ? 本人はやりたくもないのにやっちゃうってことじゃん。つまりそれは発作というんですよ。だから、お試し発作です。された方からすると試され行為だから、された方が理解を試されているんだけど、相手が誰かによっては対策が必要なときがある。支援者だったら全然いいと思うけどね。「いくらでもやってください。それがお仕事なんで」って。それで見捨てられるような支援者だったらそれまでかって思えばいいけど、身近なパートナーや友達、家族とかだとしんどくなっちゃうからね。だから、そこの折り合いみたいなのが……それで自己嫌悪も強くなるのか。(質問文の)『どうしたらいいですか?』は、発作が起きてないときに「そういうことやっちゃうんだよね」って話すのはどうかな? あと、一緒に考えればいいんだよね。「またこういうことしちゃったときにどうしたらいいと思う?」って相手にも意見聞いて「ここまでなら私大丈夫だけど、流石にこれは困る」とか、発作が起きないときに話せるとだいぶ違うと思う。カエル、試されるときいっぱいあったから、前、いろんな人と話したときに「やらかしちゃったときでも、その後ごく当たり前に関われると良くなる」っていうのは聞いてるから。発作のないときに「関われるときは関わるけど、ダメなときは関わらないよ」っていうことも合意しといて、実際にやっちゃったときも、終わった後に何事もなくまた関わり持つと「別にいいんだ」っていう、実際に見捨てられない経験を積むと少しずつ解決するって。だから、やらないで我慢するのは無理だと思うんだ。発作だから。やっちゃったことを「そういうときもあるさ」って、お互いに言えるような準備をしとく。
ウ・サギ 一緒に勉強するとかですか? あとは。
カエル 勉強するのもいいね。あと、似たような経験した先輩とかがいるとね、経験聞くとか。報告相手がいるとか。その人と自分だけだとさ、逃げ場がないじゃん。だから、他にも作っとくとか。でも、いい傾向だと思うよ。こういうことを出せる相手ができたってことだから。我慢してたものをそこに出して、何とかしたいっていう願いの表れだから。相手がもしつらいとしたら、そこも話し合うとか、そこを誰かに相談するとか、大事だと思うんだ。発作だから薬で止まるといいんだけどね。てんかん発作と違うから。薬で治らないからね。
ペン 発作の勉強はどうやってする?
カエル 発作の勉強ね。研究員制度で勉強会。いろんな発作があるから、試し行為って言っても、行為にもいろいろあるじゃん。だから今度、試し発作発表会とか。いろいろ経験聞くのは絶対いいと思うんだよね。それが勉強会みたいな。
ウ・サギ それやって、そういうの一緒に見てもらったりすれば、お互いに試し発作といい感じに距離を置けるのかな。
カエル これ、まさに生きづLABOで扱うべきテーマですね。発作集めるか。
ウ・サギ そうだね。発作集めて、発作の研究成果を発表して、本人にも周りの人にも役立つ。
カエル いいね。研究大会みたいなのやって、「『第一分科会、発作について』それぞれの演題を発表しましょう」みたいに、「5分で発表して、5分は質問タイムです」って。学会でそういう風にやるってこと。アカデミックだね。
ペン アカデミック。
カエル みんなの経験はね、そもそもアカデミックなんですよ。試し行動っていうのを支援者が口にするのを、カエルはとても嫌に思ってるんですわ。
ウ・サギ 「やりたくてやってることなんてないよ」って気持ちじゃないですか? やみーペン。病んでる側からしたらやりたくてやらないよって。
ペン そうなんだけどね、難しいよね。基本的に自分のことコントロールできるのはすごく高度なことなんですよって言いたい。みんな自分だってできてないくせに!
カエル 棚に上げちゃって。
ペン ねー。
カエル ね、見せてないだけじゃないか。だから、悩んでる人のことを言うんじゃなくて、自らの苦しさとかを見つめ直すのが大事なんです。ひとりひとり。

update 2025/11/29
Q.親が友達の悪口言ってて親同士の会話も繋がされ家の居心地が悪い
この記事の担当 所長室

Q.虐待、育児放棄、そういうのじゃないんです。友達の悪口親が言ってて保護者とも全く関わらず私が親同士の会話繋いでて、家でも居心地が悪いです。でも学びや衣食住はあるから感謝しないといけなくて誰にも相談できなくて、、生きるのが辛いです。

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カエル そりゃつらいよね。(質問文から)『友達の悪口言ってて、親同士の会話繋いで、居心地が悪い』っていうのは、これだけつらい思いをしてるということは、広い意味で言うと心理的な虐待と言ってもいいぐらいだとカエルは思ったよ。感謝しないといけないことはね、まずないです。感謝は誰かが強制するものではありません。自然と感謝したときだけが感謝です。誰かが「●●に感謝しなさい」って言うのは意味が分からないとカエルはいつも思う。やみーペンは?
ペン 大人、子どもすぎ……って思った。
カエル 「大人は勝手だね」って、いつものやみーペンだね。大人、子どもすぎるね。
ペン それに気づいてないからね。
カエル 気づいて質問してくれた人、子どもじゃない? 子どもが大人だね。大人が子どもすぎると、子どもが大人になっちゃうんだよ。 それで苦しくなっちゃうんだよね。
ウ・サギ 余計に苦しくなっちゃいますよね。
カエル 大人成分足りない分をね、 子どもは頑張って埋めようとするわけじゃん。 そしたら子どもはつらくなっちゃうんだね。だから(質問文から)『生きるのが辛いです』って思っても、無理もないんだよ。どうしたらいいかな? 相談できない理由は書いてないけど、相談全然してもいいと思うんだよね。
ウ・サギ 相談できない理由はね、補足には書いてありましたね。普段友達の悩みを聞く立場。むしろ学校の先生は親のことを信頼している。あとは、自分がうまく話せない。相談するのが苦手というのと、昔学校の先生に相談したら「お前が親の親になれ」って言われて……。
カエル 酷い……。
ウ・サギ 酷いよね。
カエル 先生、ダメだわ。学校の人以外に相談しよう。
ウ・サギ その方がまだ良さそうではありますよね。
カエル 今、チャット相談とかあるから、そういうところに言ってみるとね、少し楽になるところもあると思うしさ。身近な人にもよるけど、先生も変わるから、いい先生に巡り合うかもしれないから、その見極めは大事だよね。子どもが学ぶべきは、味方になる大人の見分け方だってカエル思うんだよね。相談する相手を間違うとさ、ダメージくらうから。そこ間違わないように。あと、逃さないようにね。どの辺が(見分けるポイントか)、子ども時代のやみーペン思い出して……。
ペン 難しいね。
カエル (コメントで)『三人いたら一人ぐらい役に立つ』って、そんなにいるか? この間、ウ・サギと別の会議みたいなの出たとき、カエルの仕事の仲間が「50点から60点ぐらいの大人を、子どもが育てたらいい」って言ってて、名言だなと思って。50点〜60点ならいると。
ペン でも、結局そうなんだよね、本当は。
カエル 理想の、そんな物分かりのいいすごい大人ってそんなにいないから、まずは50点〜60点を、ちゃんとつかまえる。
ペン その子にとっての50点〜60点。
カエル 相性もあるからね。子どもの直感って、結構正しいと思うんだよね。「なんかいいわ」「居心地いいな」とか、「楽だな」とか、気使わなくてすむっていう大人っていると思うよね。それはその直感を頼りに。あと、「無理しなきゃならない」とか、「この人と居ると息苦しいな」っていうのは……居づらいとか、みんな分かるじゃん。居心地悪いっていう感覚が正しいというか。その中でも、ちょっとでも「この人話せそうかも」っていう人にアプローチ。あとは、大人にあんまり会えないっていうのが問題だよね。学校と家しかないから、それ以外の大人に会えないのが悲しいよね。
ペン 悲しい。
カエル どうしたらいいのかな? 困るなぁ……。

update 2025/11/29
Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
この記事の担当 所長室

Q.精神疾患や発達障害の治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。

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カエル いい質問だね。(質問文の)『治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行う』っていうのに、カエルはびっくりしてるんだけど。
ペン そういう支援の仕方してるところ、確かにあるよねって思った。
カエル そういうこと「正しいものに変えていこう」っていうのかな? それは胡散臭く見えて当然とカエルは思います。どうですか?
ペン 難しい。やみーペンが病んでるときは、認知の歪みは増えてはいってたけど……。
カエル チャットでもね、『強制というより、いわゆる認知の歪み?』って言ってる。そうなんだよね。健常者に近づくことを目標とするなら酷い話だと思うんだけど、本来のその人の認知からズレているときは、いわゆるそれを戻すっていうのは大事だと思うんだよ。本人も苦しんでたり、そうじゃない方がいいなって思っているのに曲がっちゃってるときとかあるじゃない? 暴力受けたりとか、慣れない環境にいたりとか、周りに教えてもらえなかったりするとそうするしかないっていうので歪んでしまったりするときに、それを本来の本人らしく戻すのならいいんじゃない? でも、この質問した人はそういうことではないのかな? 違うことに怒って胡散臭いって言ってるのかな? そうなんですか? ウ・サギさん。
ウ・サギ えっ……ウ・サギにですか?
カエル 補足に。
ウ・サギ ああ、補足にね。
カエル 「マジョリティに近付け」みたいな矯正というか……。
ウ・サギ そういう風に質問した人は感じてるっていう。
カエル それは治療の場じゃなくても「これが普通だよね」とか「当たり前だよね」って普段からずっと言われているから、理不尽にね。そもそも治療の現場以前に、ニューロダイバーシティっていうのが当事者にとって胡散臭く聞こえるのはごもっともだと思うよね。だから、ニューロダイバーシティはまだまだですって言ってしまえばいいんだよ。治療のやり方は個人モデルだから。この人に病気があって、その人の病気を治そうっていうのが、そもそもの医療の趣旨だから、そういう風にならざるを得ないけど……。でも方向性として、本来のその人らしさを取り戻すためにその人の苦しみを治療……っていうのでもいいとは思うんだけど、あんまりそうはなってないんだよね、きっとね。
ウ・サギ 社会モデルで考えると、治療というのはどういうものになるんですか?
カエル 社会モデルで考えると、治療はまず、社会との関係でその人が苦しんでるって考えるから。これはでも、主に精神疾患の分野だけだと思うんだよね。それ以外は病巣、病因っていうのがあって、そこにアプローチするのが本来の医療のやることなんだけど、精神疾患っていうのはとても特殊で、それがないんだよね。病気の因子が体の中にほぼないわけ。そうなると、周りとか社会との関係の中で起こるわけね。だから、社会との関係を変えていったり、学べなかったことを学んでいったり。つまり医療でやることは、症状の軽減みたいな薬飲んだりとかはあるにしても、生活を見る人と連携していくのが社会モデルだと思います、カエルは。パーソナリティの障がいっていうのも、カエルも嫌いなんだな、これは。なんだよ、その性格の障がいみたいな、人格の障がいみたいなのは……。これは、カエル的には、学べなかった自己を形成するのが凸凹になっちゃったとか、負担がかかって、あるところは大人になったけど、あるところは3歳児を抱えながらいるとかね。やみーペンも永遠の何歳児がいるもんね。
ペン いる! 仕方ない!
カエル それは、その自分とどう付き合うかっていうことを考えていく。そのそいつをどうにかしようとかじゃなくて……だと思うんだよ。
ペン 周りも「3歳児を大人にしよう」じゃなくて、その3歳児と付き合ってるやみーペンと付き合ってくれるかとか、その辺りが大事なんだけど、みんな年齢相応を求めてるのかな?
カエル そうだよ。何歳だからとか言うの好きじゃん。
ペン ね。
カエル ね。
ペン でも言うわ、やみーペンも。
カエル 精神疾患は歴史的にも差別されてきてたり、今も未だに…もちろん本人も苦しいから。でも、差別みたいなものもあるからね。だから本当は、その発達の障がいとかは特性じゃないですか。それって、特性=障がいじゃないはずなの。だから、ニューロダイバーシティの世の中では、発達特性は障がいにはならないんですよ。だから、治療の現場に来ないっていうのがニューロダイバーシティだと思う。治療に来たっていうのは、苦しくて差し障りが出てるってことじゃない? つまり、ニューロダイバーシティじゃないから心が悲鳴を上げちゃったって話だから、社会がいじめちゃう構造にあるってことなんだよね。難しいけどね、みんな見えないから。理解するの難しいから。カエルはね、当事者がどんな世界で生きてるかとか、何が苦しいのかっていうのを、もっともっといっぱい教えてほしいなって思うんだけど、聞く人がいないとね。ちゃんと聞いてくれる人。お説教するんじゃなくて。
ウ・サギ だから本当は、考え方や行動の矯正ではなくて、お互いに調整できたら一番いいんですよね。
カエル そう。苦しくない人も歩み寄ってね。どっちかっていうと強い立場の者がより譲るべきだとカエルは思うんだよね。反対になってるからね、弱い者がだいぶ譲ってるから。(コメントで)『社会の方に治療が必要』……その通り。矯正が必要ですね。見直さなきゃなんだよね。でもみんな社会の一部だから、他人事にはならないからね。いろんな人の犠牲のもとに生きてるっていうこと忘れちゃって「社会が悪い」とか上から目線で言うのもおかしいからね。これは、質問の内容はなかったけど、だいぶ喋れたね。大事な今の社会の課題を鋭く言ってると思います。

update 2025/11/29
Q.つらい気持ちを伝えられたら心が楽になるかなと思うのに、家族や友達の前ではかくしてしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.しにたい、つらいという気持ちを伝えられたら心が楽になるのかなと思うのに、家族や友達の前では作り笑顔でかくしてしまう。学校や家族の前では、明るく頑張っているからこそ1人になると辛くなる。どうするのが、いいんでしょうか?

A.作り笑顔をしたり仮面をかぶるように過ごすのは、一定期間頑張れてしまうと、辞め時や辞め方みたいなものが(辞めるまでいかなくとも、ちょっと仮面をはずしてみるのも)なかなか難しくなりますよね・・・。ウ・サギもとくに学生時代は、自分の内面を隠そうとする気持ちが強かったです。
いつもニコニコしてられる人なんていないと、せめて大人はちゃんと気づいて、つらい気持ちを話しやすい雰囲気や関係づくりをしてくれないと困るよ、、とウ・サギとしては思ったりします。子どもはまだ他者理解の経験が浅いので、表面的な部分を見て、それを真実だと思いがちなのはある程度は仕方ないかもですが・・・。相手に期待されている、または想定されているものがあるとき、「違うんだよ!」と自分を出す(つらい気持ちなど、普段はかくしているものを伝える)のはかなり勇気やエネルギーの必要なものだとウ・サギは思います。
勇気やエネルギーをかけなくても自分を出す方法としては、保健室の先生やスクールカウンセラーなど悩みを聞く役割の人に話す、同じような作り笑顔をしている人を身近に見つける、まずはSNS相談や安全なオンライン居場所などで気持ちを書き出す、とかは浮かびました。自分をかくしてしまうという悩みを抱える人は多くいると思うので、いろんな人で自己分析してみて、研究してみる機会があるのもいいかもなあ・・・生きづLABOでやるか・・・?!という考えもちょっと浮かんだりしています。

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update 2025/11/28