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タグ社会派
Q.中国人と聞きどんなイメージをもちますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.中国人と聞きどんなイメージをもちますか?日本生まれ日本育ちの中国人ですが日本人が中国人を悪く言うのが理解できません。たまに中国へ帰るのですが気さくでいい人ばかりです。非常識なのはごく一部で、中国は人口が多く色々な人がいるからだと思ってます。

A.国によって文化や風土は存在するので、「日本は同調圧力が強い国だよね」と言われればウ・サギは頷いてしまいますが、「日本人は同調圧力が強い」という言葉には抵抗があります。だから「○○人」というくくりでイメージを語るのはそれだけで失礼だったりナンセンスなのだろうと思います。(と質問者さんも感じての質問かなと読み取っています)

だから中国人のイメージは無回答とさせてもらいたいのですが、中国と聞くと「中国製」のイメージが浮かんだのは事実です。ただ、粗悪なものもあるのが事実だとしても、それは「安くて高品質なものがほしい」と都合のいい欲望や幻想をもった人がいるゆえに起こっていることな気がするので、悪いのは中国という国ではなくこの世界の構造にあると感じます。

日本の風潮として(それこそごく一部の人だと信じたいですが)、中国に悪いイメージをもち、それを堂々と言うみたいなのはあるとは感じています。ウ・サギは比較的多様性のあるコミュニティに属してきたので、実際に身の周りでは聞いたことはありませんが、ネットを見ているとそれは思います。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉もあるように、実際に何かイヤな思いをした経験がある人のヘイトが、相手だけでなく属性にまで向くことがあるのは、人間の心理的にはある程度仕方ないのかもしれません。
ただ、非常識という言葉で批判するのは、自分の常識を一方的に押しつけている行為だし、(ネットも含め)公的な場で「中国人は~」と悪口を言っているならそれは差別だとウ・サギは思います。

日本では、力を持った人が「そんなの普通じゃない」と自分の常識を一方的に押しつけたり、「だから○○は~」と属性でくくって何かを蔑むことをしがちです。そして人間は、残念なことに、やられたことと同じことをしてしまう場合があります。
そういった抑圧の再生産、負のループの中で、何かしら下の属性を探して叩きたいくらいに孤独や鬱屈が生まれたとき、「人種」「国」で序列をつくって矛先を向けることが起こってしまうのでしょうかね・・・。

また、あまり深く考えずに、ジョークの一つとして差別発言がされる風潮もあると感じます。それは日本の同調圧力や、実際に多様なものに触れる機会がないことなどから生じている気がします。

総合すると、日本人が中国人を悪く言うのは、自分が尊重される機会も多様なものに触れて学ぶ機会もないから、というのがウ・サギの私見です。(その矛先の一つに中国が選ばれてしまう理由や背景については、知識がないのでわかりませんが、何があろうとターゲットにして叩いていい理由にはならないはずです)
いろいろと考えて言葉にする機会になってよかったです。
質問ありがとうございました。

update 2024/11/1
Q.行政は軍事だの言ってないで、こういうサイトに来る人達へ差し伸べる手を増やすべき
この記事の担当 ウ・サギ

Q.行政は、軍事だのなんだのと言っていないで、もっとこういうサイトに来る人達へ差し伸べる手を増やすべきだと思います。軍事も税も大事なのでしょうが、こちらも大事ではないですか?

A.軍事だのなんだのの話を見ていると、ウ・サギは気が滅入るので、この質問でちょっと癒されました。
何がどう大事で、何にコストをかけていくべきなのか、もっとみんなで話し合って決められる世の中にしたいところです。

update 2024/10/15
Q.障害が社会のあり方の問題ならば、なぜサポートを受けるのに障害者手帳が必要なのか
この記事の担当 生きかたカエル

Q障害が社会のあり方の問題ならば、なぜサポートを受けるのに障害者手帳が必要なのでしょうか。
困りやすい人を見つけるより、今困っている人を見つけて話を聞いた方が、助けてもらう方も嬉しいと思います。

A.なかなか興味深い質問です。
福祉制度の多くは税金を使って支援をするために、その制度を使うのは誰なのか「対象」を限定して、適切に税金を使うための基準が必要になります。障がい福祉の場合は、その基準を満たしましたというパスポート的なものが手帳ということになります。
だから、手帳は「困ったときに支援を受けられますよ」という準備済みの証明みたいなものだと思います。必要な時に使うとよいかと思いますし、必要ないのなら返納もできます。
確かに困っている人を見つけて話をきく方法もあるかと思いますが、困っているというのに気づかない場合もたくさんあります。また、福祉制度はすぐに使えないこともあって、予めすぐに使える準備として手帳のようなパスポートが必要な側面もあるのですよね。
まぁ、使いにくいことや手帳を持つことへの差別みたいなものもあるので、単純ではないと思いますが、使えるものは便利につかうというのがよいかとカエルは思っています。

update 2024/9/26
Q.これ以上お前に食わせる飯はない。って言われたら、どうしますか?
この記事の担当 うさえなが

Q.これ以上お前に食わせる飯はない。
って言われたら、どうしますか?

A.え、どうして…?!って言っちゃう。
その人はそんなにご飯を独り占めしたいの…?

*生きかたカエルから補足*
飯は誰かに食べさせてもらうものではなく、誰もが食べる権利を持っているのですから、「お前に食わせる飯はない」と言う人が何かしら大いなる勘違いをしているものとお見受けします(人間界にはこの勘違い多いようです)。
言われているだけで、実際に飯が食えているのなら、大いなる勘違いの主について、どうしてそのような勘違いをするのか観察をして、観察結果を教えてください。言われるだけではなく、実際に食べる飯がないのなら、しかるべきところに実情を訴えるもしくは、そのような勘違いの主からできるだけ離れることを推奨します。

update 2024/8/9
Q.うまく立ち直れないままに大人になってしまった人間はもう救いようがないですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.小さな頃から生きづらさを感じてうまく立ち直れないままに大人と呼ばれる年齢になってしまった人間はもう救いようがないですか。働くこと、選ばれることだけじゃない、支援にも年齢制限がありますね。

A.確かに年齢で区切られる支援(公的な制度)はありますが、そういった支援制度は人間界では、いわゆる広い意味での「支え」「サポート」のほんの一部だと思っています。
また、働くことも、選ばれること?(中身までの詳細は分からないのですが)にも年齢制限はないような気もします。
実は年齢制限というものは、それぞれの心の中にあるものが最も強いのかもしれません。カエルは年齢も性別も超えて(生物としての枠組みも超えて)、自由でいたいと願うのでした。

update 2024/7/19
「社会モデル」と「不作為責任」について③ 「不作為責任」を考える
この記事の担当 生きかたカエル

~これまでのお話~
①社会モデルとは?
②本当はつながっている

ちょっとカエルが注目していることに、精神医療国家賠償請求訴訟の活動があります。

精神障がいのある方たちが治療の必要がないのに、本人の意思ではなく、地域に受け入れ先がないなどの理由で長期入院を余儀なくされた方たちに対して、国が必要なことをせずに放置したことの責任を訴訟を通じて、問うているものです。

精神医療国家賠償請求訴訟研究会 | 鳥は空に魚は水に人は社会に (seishinkokubai.net)

この活動のことを聞いた時にカエルがすぐに考えたのが「家庭内の暴力被害も同じ状況だなぁ」と言うことです。

これだけ、家族や家庭というコミュニティの中で起こっている人権侵害があるにもかかわらず、それが放置され、子どもや障がい者、女性など、弱い立場の人たちが暴力被害にあい続け、その結果、長い期間その後遺症にも苦しみ続けるのに、それに対する治療法や支援策が本当に乏しいし、自己負担だったりするのが本当におかしいと思います。

これは「不作為責任」と呼ばれるものです。

このサイトでは不作為責任は以下のように説明されています。

不作為とは、あえて積極的な行為をしないことです。そのままでは不利益をもたらす事を知りながら、それを放置していた責任を不作為責任といいます。

国家賠償という言葉から、国が悪い!という発想になりがちですが、カエルは不作為責任は誰が悪いか、誰を責めるかと言うことではなく、一人ひとりが「あえて積極的な行為を少しだけやる」ことが大切だと思っています。

それ以上にカエルが大切だと思うのが、何もしないことではなくその前提となる「そのままでは不利益をもたらす事を知りながら」という点です。

精神科病院の社会的入院に関しても、そして、家庭内で起こっている暴力に関しても、「そのままでは不利益をもたらす事」があまりにも知られていないことが問題なのだと思うのです。

だからこそ、生きづLABOや連携サイトの死にトリのような情報発信はとても大切だと思っているのでした。

不作為によって、権利侵害を受けた人たちが率直に経験を語り、考えを発信し、問いかけていくことはとても貴重な機会です。

誰もが自分が生きているこの今の社会とのつながりが広がり、そして、自分たちがまだまだやれることやるべきことについて考えることがとても大切です。

現状は確実に「このままでは不利益をもたらす事」があります。

今後も、多くの人たちとそれらをより深く知り、受け止める機会を作りたいと思っています。

update 2024/2/8
「社会モデル」と「不作為責任」について② 本当はつながっている 
この記事の担当 生きかたカエル

前回は、「生きづらさというのは、個人の問題じゃなく、社会のあり方の問題だよね」という「社会モデル」の考え方を説明しました。

しかし、それが社会の中ではスタンダードとは言えず、どちらかというと自己責任、個人責任が優先されてしまうところがあるということ、その要因としては、全体的に人間社会の中に余裕がないことが大きいのではないか、という話もしました。

今回は、その余裕のなさの背景を考えてみます。

今の人間社会では、何か現実的ではない理想や望みを、私たちが追いかけ続けようとしているのかもしれないと思うこともあります。

迷えるおたまじゃくしたちと関わっていても、お金がないと生きていけないとか、働かないとだめだとか、〇〇できないと、〇〇しないと…という焦りや強迫性を感じます。

でも、ふとカエルは思うのです。
「そんなに焦る必要があるのかな?」と。

必要だとか、ほしいという希望ではなく、「〇〇しなければ」「〇〇するしかない」が動機の中心になることは、とにかく我慢と忍耐でお金のために働く人を増やすためには、役立っているのかもしれません。でも、人を資本と考えた時に、人を育てたり、人の生活を豊かにしたり、人を大切にするという発想は置き去りになっていると思うのです。

その置き去りは、じわじわと知らないうちに私たちの生活の中から、大切なことについて考える機会を奪い、自分が知らないところで自分とつながって起きているはずのことを「他人事」にしてしまうと感じています。

今必要なのは、今この社会(地球規模でも)で起こっていることはすべてつながっていて、そのつながりについて私たち一人ひとりが自分なりに理解をしていくことだろうと思っています。(カエルの世界と人間の世界もつながっています!)

<続く> → ③「不作為責任」を考える

update 2024/2/5
「社会モデル」と「不作為責任」について① 社会モデルとは?
この記事の担当 生きかたカエル

こんにちは、生きかたカエルです。

最近、社会について語る記事をせっせと作成し、ブログの更新を頑張っているところです。今回は「『社会モデル』と『不作為責任』について」を、全3回で連載していこうと思います。
(第1回は「社会モデル」の話になるので、「不作為責任」が気になる方はひとまず検索してみてください笑)

社会モデルとは、主に障がい福祉の分野で使われる用語で「生きづらさ」は何なのか、どこからくるのか理解するための言葉です。

障がいを持つ人が生きづらいのはその能力の問題が原因なのだ(=「個人モデル・医学モデル」つまり、個人の責任)に対して、障がいがあるというだけで、持っている力を発揮できないのは、サポートが行き届いていなかったり、発揮するような機会がこの社会になかったりするから生きづらいのだという考え方のことを「社会モデル」というのです。

つまり、生きづらさというのは、個人の問題じゃなく、社会のあり方の問題だよね、と言うこと。

カエルは何の疑いもなく、その通りだと思っているのですが、実際の今の社会はそうじゃないことだらけで嫌になってしまいます。

一方では、障がい福祉分野の人材育成の現場では「社会モデルがスタンダードです」と伝え続け、それを共有する仲間たちが、現場でも頑張っていますし、国が主催する研修や専門職養成の場でも社会モデルは当然の考えとして出てきます。

でもやっぱり、社会の中ではそれはスタンダードとは言えず、どちらかというと自己責任、個人責任が優先されてしまうところがあります。

全体的に人間社会の中に余裕がないことが大きな要因の一つかなぁという気もしています。

<続く> → ②本当はつながっている

update 2024/2/1
家族という特殊チームを解体しよう④ まとめ
この記事の担当 生きかたカエル

~これまでのお話~
①暮らす自由が守られていない
②家から出る応援をする
③家族から抜ける手続き

  • 日本は家族が強制的にチームを組まされてしまう制度になっている

  • 家族という特殊チームでは、お金や力を持つチームメンバーがチーム全体の生き方や決定を握り、民主主義や法治国家の原則から外れてしまうことがしばしば起こる(日本全体のチーム理論の象徴なのかもしれません)

  • 民主主義と法治国家の原則から外れたとき、弱い者が抑圧され、権利侵害に陥りやすい(当たり前に起こる)

  • それなのに、特殊チームを抜けることは難しい。まずそもそも、抜けると生きていけない実態があることもある。周囲も抜けるべきではないと思っているし、抜けたいと思うことがおかしいとされていたりするので、抜けようと「思う」ことも難しい。

  • 実際に特殊チームから抜けるとなると、戻されないような工夫や段取りが必要

  • 工夫や段取りとしては、まず協力してくれるサポーターとつながること、制度、関係機関、交渉などいろいろな知識と技術が必要だから。

  • そのうえで、役所、18歳未満の場合は児童相談所、警察、弁護士を必要に応じて活用する

  • 逃げる際には「明確な意思表示」が必要で、とにかく「イヤだ」と思ってもいいし、言ってもいい。特殊チームを抜けたいと思うことも、抜けることも悪いことじゃない。それは自然な願いだし、個人の自由だから。

  • チームから離脱し、フリーになるためには、役所の手続きなどのために本人確認できるものを確保する、家族の名前を生年月日を覚えておく、扶養に入っていたら保険証を持ってくるか、持っていなくてもコピーを用意しておくと便利(健康保険の会社に電話できるように)


最後に改めてお伝えしたいのは、特殊チームから抜けるためにこんなにも苦労するのはそもそもおかしいということです。

だから、本当は何も持っていなくても、どんなに説明がうまくできなくても、そんなことはどうでもいいのです。

守られるべき権利が絶対で、本人を証明するものがなくても、必要な物を持ってきていなくても、何もわからなくても、わがままだという人がいても、働くことができなくても、お金を持っていなくても、嫌なチームにいる必要はないし、抜けられるのです。

生活費も何とかなります。未成年でも単身で保護は受けられますし、今は事情を話せば家族への扶養照会も配慮してもらえます。

これからは、誰もがチームに縛られることなく、家族という特殊な関係に関わらずチームが作れたり、解体できたりするといいし、いくつものチームに入れることがいいのではないかと思っています。

そう考えると、カエルが出会ったおたまじゃくしたちはみんな、家族じゃないけれど、緩やかなチームである感じがします。

必要な時に声をかけあって、できることはお互いにやるし、何かの目的があればチーム編成をして、ミッション達成のために動くし、でも、必要なければチームでは動かない。

そんな多様なチームをたくさん持てる社会になるといいなぁとカエルは思っています。

update 2024/1/17
家族という特殊チームを解体しよう③ 家族から抜ける手続き
この記事の担当 生きかたカエル

~これまでのお話~
①暮らす自由が守られていない
②家から出る応援をする

・住民票・戸籍の不思議


やっとのことで家を出ても、日本の家族のつながりは特殊性があり、住民票や戸籍を通じて居場所がばれてしまうという課題があります。

同じ住民票にいた人なら、誰かが転居したら、その転居先が記載されるので、すぐにわかってしまいます。

また、戸籍が同じであれば、戸籍の附票をとれば、その後も簡単に追いかけることができます。

手続き上、同じチーム(住民票、戸籍)に一度所属していたら、抜けた後も情報がばれてしまうのです。

つまり身内に関しては無駄に寛容で、そこには個人として尊重させるという姿勢が欠けています。

しかし、その後に一切居場所を知られないようにすること、関係を切ることは可能です。
そのために、「住民票の閲覧制限(支援措置)」という手続きがあります。

暴力などの権利侵害から守られるよう、住民票や戸籍を他の人には見せないようにブロックをかけることができるのです。

ただ、これは今のところDVが中心にできていて(虐待も対象とされてはいます)、虐待ではスムーズにいかない場合もあります。
性的虐待や身体的な虐待はわかりやすいのですが、心理的な支配、抑圧、教育虐待など意思決定への権利侵害については、閲覧制限を申請するための書類を書いてもらえずに手続きできないことがあります。

そうなると、離れた状態をまず保ち、もし何かあったら、警察や弁護士にすぐに介入してもらい、権利侵害の証拠や実態を明らかにしていくしかありません。
つまり、ブロックをすることはできるが、ブロックをするためにはそのためのわかりやすい証拠が必要、というのが現状です。

また、戸籍については、20歳を過ぎると戸籍を分ける(分籍)をすることができます。
分籍をすれば、完全に探されなくなるわけではないですが、追いかけるのは少し面倒になりますし、何よりチームからは離脱できます。

そう考えると、戸籍や住民票といった強制的チーム制がよくないとカエルは常々思っています。
基本は一人戸籍とし、チームを組みたい人は自由に組めばいいのではないでしょうか。
何より、抜けたい人の自由を奪ってはならないと思います。

・健康保険の場合


家族から離れて、別の土地に行き、自立の道を探ろうとしたときに、行うべき手続きの一つに健康保険があります。
この健康保険は、出てきたチーム(家族)の扶養になっていることが多くあります。

その場合、健康保険は二重加入はいけないことになっているので、入っている健康保険の扶養から外してもらわなくてはなりません。
でも、家族との関係を切りたくて、強制的に離れてきて、居場所も知られていない、連絡も取りたくない時に、扶養から外してもらうのはとてもとても大変です。

連絡が取れたとしても、扶養義務者が「イヤだ、外さない」と言ったら、厄介なことになります。

健康保険は、そういった事情の場合には本人から離脱の意思を確認されたら、抜けさせてくれるようにしようという方針が出されているそうです。

世の中も少し権利侵害の実態を理解し動いてくれたなぁと思いますが、まだまだ本当に些細なことです。

10代の若者が自分が何の健康保険に加入しているかなんてわからないことの方が多いですし、保険証を持っていれば別でしょうが、預けていて持たせてもらえないとか、そういったものを持たずに逃げてきたなどと言った場合にはなかなか難しいことになります。(お願いする健康保険の会社がどこかわからないと頼みようがない)

若くして家族から逃れたいと思っていて、家族の扶養に入っている場合には保険証をもって家出をしましょう!(コピーでもよいです)

・難しい身分証明


それと、身分証明の問題もあります。

市役所で転居手続きをするにも役所の申請は自分の身分を証明するものがないと、申請者にはなれないという基本ルールがあります。

運転免許証、パスポート、マイナンバーカード、健康保険証、学生証、障害者手帳、キャッシュカード、診察券などいろいろな物でグレードがあり、それらの組み合わせで本人確認をするのですが、着の身着のまま逃げてきた場合にはそういった物が一切ない場合も多くあります。

そもそも、免許とか簡単に取れないし、学校もやめたら学生証もないし、通帳もキャッシュカードも持ってないし…という具合です。

そんな時、一緒についていった人が代理人となり、委任状を作成して、本人確認できる人が申請することができます(カエルも、何度もやりました)。

または、本人にしかわからないような質問をされて、確認されることもあります。

だいたいは、家族構成、それぞれの家族の名前、生年月日などを聞かれます。

でも、これがまた若者たち、自分の家族の生年月日とか覚えていないですよ…

なので、嫌かもしれませんが、家から出たい若者たちが遠くに逃げようと思うときには家族の氏名、生年月日も覚えておくと便利です。

まぁ、マイナンバーカードを作っておくと最強です(笑)

<続く> → ④まとめ

update 2024/1/17