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タグ社会派
Q.軍事演習を…などのニュースを最近見たりして、日本にも何か起こるのではと怖くて寝れない
この記事の担当 生きかたカエル

Q.最近、世界でとある国が他の国を攻撃した、とか、軍事演習を…とかっていうニュースを見たり、SNSで見たりして、怖いです。日本の周りの国も関係していたりして、日本にも何かが起こるのではないかと思うと、怖くて不安で寝れません。

A.カエルも戦争に巻き込まれるのは嫌ですね。怖いというより、とっても嫌です。自然災害なら自然の力だと諦めがつくのですが、戦争は明らかな人災ですし、そんなのに巻き込まれるのは御免だと思います。
不安はよくわからないことに対して抱くと聞いたことがあります。そのせいもあって不安がより大きいのかもしれません。ただ、カエルとしてはそうした特別なことへの不安が膨らんだ際には、「とはいっても、身近な天敵に食べられる危険の方がずっと高いから、物陰に隠れながら移動しよう」と現実に目線を戻すようにしています。人間でいうと、「とはいっても、交通事故にあう危険性の方がずっと高いから、車には気を付けよう」とか「詐欺に引っかかる危険性の方がずっと高いから、簡単に人を信用せずにいったん持ち帰ろう」という感じでしょうか。人はセンセーショナルな情報に弱いので、それを適度に調整する機会が必要ですね。

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update 2026/1/14
Q.潔癖症の傾向があり、めんどくさくてシャワーに入らないと翌朝イライラしたり機嫌が悪くなる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分は潔癖症の傾向があって、めんどくさかったりするとシャワー入らない時があって、その時はいいんですけど翌朝機嫌が悪いと汚いことに耐えられなくてイライラしたり機嫌がもっと悪くなります。どうしたらいいですか?あと、周りに迷惑をかけずに生きる方法ってありますか?自分が気持ち悪くて汚らわしくてしょうがないです、いなくなりたい気持ちでいっぱいですが、怖いです。寝て起きて死んでたらいいのに。申し訳ないんですがもう一つだけ、最近不登校から期末テスト前から学校に行くようになりました。仲のいい友達はできないし勉強は不安だし全部心配です。親にも先生にも迷惑かけてるし爆発したいです。長くてごめんなさい

A.いえいえ、長くても謝ることはないですよ。負担が大きくて、いっぱいいっぱいなんだろうなというのがよくわかりました。
ウ・サギは潔癖症のことはあまり詳しくないですが、そういった神経質な気になりは、余裕がなくなるほ気になる度やイライラが高まるように思います。だから潔癖症がどうこうよりは、質問者さんのコンディションの方にポイントがあるのだろうと感じましたし、書いてくれたことを見るに相当不安やストレスがたくさんな環境ですよね…。このままだと負担が大きすぎるように感じたので、学校に行く日数や時間を減らしたり調整してみるのも考えたいとウ・サギは思いましたが、どうでしょうか。
ウ・サギは生きるのは迷惑をかけあうことだと思っています。どんな人も(カエルも、ペンギンも…)大変なときやしんどくなるときがあるから、ピンチの人がいたらできる範囲で手助けするし、自分がピンチになったら堂々と助けてもらっていい、という約束で社会は本来成り立っているのだとウ・サギは考えています。そして、その「助ける」というのは、そんなに学校のストレスが大きいなら学校や教育の在り方を変えた方がいいのでは?という点も考えることも含んでいると思っています。困っているという声があるから、みんなで立ち止まって一緒に考えて、もっと生きやすい社会のあり方を探していけるのだとウ・サギは思います。だから質問者さんは今は助けてもらう場面なだけで、それは迷惑をかけているわけではなく、社会のために大切なことをしているのだとウ・サギは思いました。よくわからない話だったらすみません。

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update 2026/1/14
Q.女である自分の体が嫌。
この記事の担当 うさえなが

Q.女である自分の体が嫌。特に胸。誰かから性的に見られないかというのも怖いし、肌が弱いからどんなブラも合わない。かといってブラをつけないでいると揺れて痛いから手放せない。ごめんね、ただの愚痴だよ。

A.生きづLABOは愚痴歓迎だよ!
どんどん言おう~

*生きかたカエルから補足*
人間は女と男ではずいぶんと体形が違うようで、面倒ですね。カエルはオスとメスを見分けることがとても難しいと言われているので、性別を気にせず生きることができて便利です。一度、カエルになってみませんか?
それはせておき、性別に関する愚痴はいつでも受け付けますので、遠慮なく。

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update 2026/1/14
Q.最近、男の多くが女を性的搾取の目で見ているのではないかという思考になってしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、テレビとかのダンサーや司会の女性は露出が多いのに男性は違うなとか、なんでもかんでも男の多くが女を性的搾取の目で見ているのではないかという思考になってしまう

A.思考に「なってしまう」という表現が、適切でグッドなアイメッセージだとウ・サギは感じました。心は自分でコントロールできるものではなく、勝手に感じてしまうものだとウ・サギは考えているので、「~してしまう」と表現し合うことで、内面をジャッジするのではなく一緒に考えていくコミュニケーション文化が作られないだろうか…?と最近思ったりしています。
男から女への性的搾取についての話をすると、男性が権力を握って女性をモノとして扱ってきた歴史については、誰にも否定しようもない事実だとウ・サギは捉えています。例えばフランス革命の人権宣言においては、当初そこで定義される「人間」は男性だけで、女性を排除していました。ウ・サギは歴史にあまり詳しくないですが、例えば日本でも女性に参政権がなかった時代もありますし、今も権力のある場所にいる人は男性(かつシスジェンダー、比較的高齢、高学歴、経済的に裕福などの要素のある人)に偏っています。話し合いにいない人の存在や意見はどうしても見えないものとなり、後回しになってしまうので、大事なことを決める話し合いの場に(権力のある場所に)集まっている人の属性が偏れば、その属性の人たち中心の社会制度になってしまうのだろうと思います。だから今の日本は男女で比較すれば男性中心の社会ではありますが、性別関係なく、社会的に弱い立場にいる人たちの声が届きにくいのが現状になってしまっていると思います。
歴史を見たときに極端な男性中心で近代の社会づくりが始まっていると考えると、男が女を搾取する構造はあらゆるところ(言葉の表現一つから、服装、メディアでの描かれ方…)に残っていて当然だろうというのがウ・サギの考えです。だから個人として男性が女性を性的搾取の目で見ているという話よりは、歴史や社会構造の話として着目して、性別についてでも性別以外についてでも搾取のない社会づくりをしていきたいと思っています。その始まりとして、「これは搾取や不平等では?」と声を上げていくのはとても大切なことだとウ・サギは感じます。

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update 2026/1/14
Q.水子地蔵に挨拶に行ったが、親より先に亡くなった子供が親不孝として罰を受ける世界にモヤモヤ
この記事の担当 ウ・サギ

Q.初詣のついでに寺の水子地蔵に挨拶に行きましたが、親より先に亡くなった子供が親不孝として賽の河原で罰を受けるという世界にモヤモヤしました。好きで先に死ぬわけじゃないのに、地蔵様はそんな子を助けてくれる存在と聞いて安心しました。

A.本当に、好きで亡くなるわけでないのに、罰を受ける世界観はウ・サギもモヤモヤで、ちょっと許しがたい気持ちさえ抱いてしまいました。水子地蔵の存在、大切ですね…。ウ・サギももし見かける機会があったら、しっかり挨拶しておこうと思います。
死人に口なしではないですが、文化や風習を作っていくのは結局は生きている側の人間になるので、「子供に先に亡くなってほしくない」という親の思いを中心に世界観が作られてしまったのでしょうかね……?ウ・サギは全然そのあたりは有識者じゃないので、的外れなことを言っていたら申し訳ないですが、弱い立場からすると残酷に感じる世界観や文化は他にもたくさんあるのかもな、と思ったりしてしまいました。

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update 2026/1/14
Q.障害者は子供を持つべきではないと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.障害者は子供を持つべきではないと思いますか?私は子供が欲しいのですが、ASDと診断されてしまいました。
私が子供を持ったら子供が不幸になりますか?

A.そもそも障がいをどう捉えるか?という個人モデル・社会モデルの話や、子育ての責任をどこまで血のつながった親がとるべきか、人間の幸せとは何なのかなど、言葉の意味をいろいろすり合わせてからでないと語れない話だと思いました。ただ、結論だけを言うなら、ウ・サギは、子どもを持つ資格についても、子どもの幸せについても、障がいの有無は本質的には関係ないと考えています。
それぞれの経験や気持ちとしては、子どもを持つことや子育てについて、いろんな考え方があると思います。自分の子を育てたい人もいれば、反出生主義のように産むこと自体を非倫理的だと考える人もいます。責任もって親が子を育てるんだと考える人もいれば、どんな子どもも社会全体で育てようと考える人もいれば、理想と現実のはざまで優生思想に近いスタンスをとる人もいるかもしれません。個々がどう思い考えるかは自由ですが、出生や子育てについての議論は、「(自分自身も含む)生まれてきた者たちの安心と自由をどうやったら私たちは守れるのか?」というのを軸に行いたいとウ・サギは思っています。あまり回答になっていなかったらすみません。

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update 2026/1/12
Q.学校のような、皆が同じの場所に違和感を感じる
この記事の担当 所長室

Q.学校のような、皆が同じ服を着て、同じ人の言う事を聞いて、同じ空間で同じことをしているところを俯瞰で見て嫌になります。まわりを見たらこんなことで違和感を感じているのは自分だけだと思えてきます。これって変ですか。

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update 2026/1/9
Q.病院を変える際に紹介状を書いてもらったら、帰る際にお大事にの一言もなくモヤモヤしました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神科の病院を変える際、今まで通っていた病院の先生に紹介状を書いてもらったのですが、帰る際にお大事にの一言もありませんでした。モヤモヤしました。

A.病院を変えるという選択に、先生がネガティブな感情を抱いて「お大事に」と言わなかったのではないか?というモヤモヤですかね。お大事にの一言がなかったのは、何かイヤな思いがあったからなのか、考え事でもしていて抜けてしまったのか、想像することしかできませんが、モヤモヤする気持ちは何となくわかる気がしました。
患者と医者といっても人同士なので相性はありますし、他の先生に相談してみるも、変えるも自由だとウ・サギは思います。だから病院を変えることを、医者側が自分へのネガティブな評価として捉えたり、患者側が申し訳なく思ったりすることはないと思うのですが、どことなくそういった風潮がある気はするので、気になってしまうのですかね……。もっと断ることや変えることが前向きに捉えられている社会なら、「お大事に」の一言がなくても、悪い方への想像がそもそも浮かばないかも…?と思ったりしました。

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update 2026/1/7
Q.「Q.申請主義は切り捨ての~」の質問をした者です。このような理解で良いでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.申請主義は切り捨ての仕組みだと思うのですが、どのような仕組みが必要だと思いますか?」の質問者です。本人が選択できるのは大事だと納得しました。強制的に何かを押し付けられるのは確かに凄く怖いです。
僕としては、申請の手続きの困難さが選択肢を奪っていると感じていたので、確かに申請主義自体の問題というより、福祉全体の仕組みのほうの問題だと、生きかたカエルさんの回答を見て気づきました。
例外として、本人や周りの人に命の危機がある緊急性の高い状況、例えば、生きかたカエルさんが例に出したように本人が虐待の被害を受けている場合や、逆に本人が周りに暴力を振るっている場合などは、本人の意思や意向だけに全部を任せるのは危険なのかなと僕は感じます。それでも、強制的に施設に入れるなどの対応でなく、人が人として尊重されるような仕組みが必要なのかなと思います。
具体的にどのような仕組みが良いのかは分かりませんが、それでも、意志や意向の尊重も、命が守られることも、 どちらも大事だというのは確かだと僕は感じます。
大前提として、人に強制的に何かを押し付ける仕組みは、確かに恐ろしすぎると感じるので、全部本人任せでもなく、かといって強制的に押し付けるわけでもない、そのような仕組みが良い福祉の仕組みなのかなと僕は感じます。だからこそ、福祉の活用について本人と一緒に考えてくれて、実際の活用をサポートしてくれるソーシャルワーカーの存在は、凄く重要だと僕は感じました。本人だけでは困難なことをサポートしてくれる存在がいることで、仕組みに選択肢が奪われることも減るのかもしれないと僕は思います。
このような理解で良いでしょうか?
また、回答にあった「ユニバーサルな生活保障や支援の仕組み」僕もあると良いなと思います。皆に生活保障や支援が行き渡ると、公平感も安心も生まれると思います。
(編集注:同じ質問者さんから、先日の質問で書き忘れたことがある、という流れがあったので2つの質問を合体させた内容になっています)

A.はい、本人の選択がとても大切だと思います。ただ、選択するためには必要な情報を得られることが前提ですね。また、自分のための選択というのはそんなに簡単ではなく、いろいろな経験も必要となります。やったことがないことを選べません。
いつも誰かに勝手に決められるような経験をすると、自分のためを考えることができなくなります。そして、選んだ結果について一緒に振り返る機会も必要です。人はいつも正しい選択ができるわけではありませんので、失敗をどう受け入れるか、折り合いをつけるかということも学ぶ必要があります。
もし、自分の望んだ結果にならなくても、結果から学ぶことは、次の選択に必ず生きてきます。そうした選択や意思決定のための経験が保障された上で、自己決定の尊重があるとカエルは思っています。しばしば、自己決定は自己責任と直結されることがありますが、責任を問われるのはそうした経験や機会の保障があってのことだと思います。
自己決定のための土台は、社会的に弱い立場の人たちだけに必要なことではありません。
どんな人も豊かな経験をして、自分のために選択をする経験が保障され、そして選択の結果を誰かと一緒に吟味したり、振り返ったりする機会は大事です。もはや福祉というより、教育の問題だと思います。前回、ユニバーサルな生活保障や支援の仕組みについてお話ししましたが、同時に誰にとっても学ぶ保障があることも大切です。今の画一的な学び方や教育内容(教科教育にかなり偏重している)ではそうした学びを提供することは難しいですし、学び方が個性的な人たちは学校からこぼれ落ちることも多いため、学ぶ機会が少なくなってしまうという課題もあります。そう考えると、ソーシャルワーカーに限らず、一人ひとりにあった学びや生き方を一緒に考えるサポーター(何か名称をつけたいですね)がますます重要になりそうです。

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update 2026/1/3
Q.権力者や資本家がお金儲けのために「こう生きてね」みたいなのを布教してる気がしてきた
この記事の担当 ウ・サギ

Q.権力者や資本家といった人たちが、お金儲けのために「こういうふうに生きてねー」「こういうのが普通だよー」みたいなのを布教している気がしてきた。うまくいったら前者は働いてくれることに繋がるし、後者は消費をコントロールすることに繋がる気がする。

A.ふむふむ、いいセンいっているようにウ・サギは感じました。そこまで強い目的をもって誰かが操っているかはわかりませんが、結果としては、そういった形で搾取構造の維持が行われてしまっているようにウ・サギは感じています。
質問者さんの考えやウ・サギの感覚が合っているかは別として、社会はどうなっているんだ?と感性を働かせて考えてみることは大切だと思います。そうしないと知らず知らず踊らされて、正しくないことを再生産する自分になってしまいそうでウ・サギは怖いです。

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update 2025/12/31