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タグ社会派
Q.普通になりたい。でも本当はこんな社会に馴染みたくないって思ってる。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.普通になりたい。社会で浮くことも沈むこともないようになりたい。でも本当はこんなクソみたいな社会に馴染みたくないって思ってる。きっと社会を馬鹿にしてるから社会に受け入れてもらえないんだ。

A.「普通」って実にいろいろなイメージや表現があると思っていましたが、「浮くことも沈むこともない」が普通のイメージなのですね。
そうなると、何が浮くのか、何が沈むなのか?と次なる疑問が湧きます。カエルにはよくわかりません。
きっと、「普通になりたい」という言葉は何かを象徴して使っている表現だと思うので、あなたなりの別の言葉で言い換えてみると何か糸口が見えてくるのかもしれません。
ただ、何らかのヒントは自分の中にあるように感じました。
自分が他の誰とも違う自分でしかないと思ったとき、あるいはそうありたいと思ったとき、誰もが普通ではいられないのだろうと思います。そして、そういう人が増えていったら、それが普通になると思っています。
でも、そうなると別の人が別の意味でやっぱり「普通になりたい」って思うような気がしています。(ぐるぐるしてきました…)

update 2024/12/4
Q.みんな必ず一つは得意なことがあると聞くけれど自分にはありません
この記事の担当 ウ・サギ

Q.みんな必ず一つはいいところがあるとか得意なことが絶対ある!とよく聞きます。でも、自分にはありません。例えあったとしても、社会を生き抜くためには何も役に立たなければ苦しいだけです。甘えているって言われたら否定できないけど、しんどいのも本当です

A.「みんないいところや得意なことがある」的な言葉は、「能力があるのがいいことだ」「生き抜くためには能力が必要だ」といった能力主義のメッセージであるようにウ・サギは感じるので、う~ん・・・ともやもやすることが多いです。

だから世間には、そんな言葉はちょっと控えてもらって、どんな人にでも活躍の機会がある、もっとゆるくて自由な社会を作ることを頑張ってほしいと思います。
ウ・サギは、人権侵害がなく、みんながご飯を食べることができて、地球環境を維持できる社会で生きていたいのですが、その社会を作る上で、個々に何かいいところや得意なことが必要だとは思いません。
あまり回答になってなくて申し訳ないですが、そんなことを考えました。

update 2024/12/4
Q.自殺対策強化月間にモヤモヤしています。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自殺対策強化月間にモヤモヤしています。CM等で何故わざわざ言うのかな?と思います。とりあえずやってますアピールに思えてきたり。きっと彼ら(?)にとって理解し難い得体の知れない生き物で面倒だから極力触れたくないのだろうと思ったりしました。

A.確かに…CM等で何故わざわざ言うのか?まっとうな感覚に思います。
多くの人が相談や支援につながる/多くの人がその問題に目を向ける=自殺対策につながっていくと考えると、広報戦略をするのは一つの有効なアプローチではあるのでしょう。
モヤモヤするのは、その情報発信に込められた(あなたが感じ取った)メッセージが、死にたいと思っている人のことを十分に想像できているように見えないからなのかな、と思いました。
だからそのモヤモヤは、とても大切なものとして受け止めたいです。叶うことなら、「やってますアピールを感じるのはどのへん?」「その”彼ら(?)”ってイメージはどう出てきたの?」など、もっとモヤモヤを細かく聞き取ってみたいです。

一応自殺対策をやっている立場でも語らせてもらうなら、強化月間があることによって自殺対策にコストとエネルギーが集まり、色々な試みができるという点では、そこそこ有効に感じています。

update 2024/11/29
Q.自分は「大人の義務」を果たす立場にあるのに「もっと守れ」などの感情しか出てこない
この記事の担当 生きかたカエル

Q.どうしたら大人になれますか。
自分は既に、選挙とか労働とか子どもの意見を受け止めるとかの「大人の義務」を果たさなければならない立場にあるのに、「もっと守れ・もっと与えろ」という感情しか出てきません。私は弾き損ねた欠陥品なのでしょうか。

A.あなたの書いている「大人」とは一定の年齢や形式的な肩書ではなく、社会に貢献し、子どもたちの気持ちを受け止め、守れるような実態を持ちたいという意味での「大人になる」ということなのだろうと受け取りました。
もし、その理解で合っているのなら大人になるための方法はただ一つ「ちゃんと子どもをやること=(子どもの権利を守られること)」だろうと思います。
「もっと守れ・もっと与えろ」という感情しか出てこないという現状は積み残された権利があるのだろうとカエルは思うので、年齢は関係なく、子ども時代に保障されなかった権利を保障されるような経験をすることをおススメします。
ただし、現実としては年齢が大人になると、子ども時代なら周囲の大人や社会から保障されていたいろいろな権利が「自分の責任で守ってね」とされてしまします(カエル的にはこの世の三大理不尽の一つに認定したいぐらい)。だから、あなたもジレンマを抱えているのだろうと思います。
したがって、あなたは弾き損ねた欠陥品ではなく、子ども時代に権利保障の機会をどこかで逃してしまっただけだと思うのです。
積み残した権利をできるだけ取り戻す機会を探っていくことが大切だと思いますが、なかなか現実は厳しいです…。
ただ、大人をめぐるこうしたジレンマを自覚し、大人になることをこのように真剣に考えていることをもって、カエルからは立派な大人認定をしたいと思います。権利の積み残しはありながらもこのような悩みや苦しみをわかっているのは、まさに大人なのです。

update 2024/11/28
Q.あなたの性質はスピードや生産性を求める社会で受け入れにくいものと病院で言われた
この記事の担当 生きかたカエル

Q.あなたの性質は今のスピードや生産性が求められる日本社会では受け入れにくいものと病院で言われました。そんなことは子供の頃から嫌ってほどわかってました。それでも生きていくにはどうすればいいかわかりません。適応できなければ死ぬしかないのでしょうか

A.その病院の医師はカエルとしては時代遅れな医師だという評価をしたいです。言い方が間違っていて、「今の社会が求めるスピードや生産性は、あなたという貴重な人材のポテンシャルを受け入れるだけの度量やキャパがないのです」が正しいとカエルは思っています。
あなた自身がそれほど変わる必要はありません。
個人が無理をして適応しようと変わる必要はないですが、生き方や考え方を変えていく必要がありますし、みんなで社会を変えていく必要があります。
もう少し突っ込んで言うと、みんなが無理をして適応するから社会は変わらないのです。適応するのをやめて、適応しなくても済む方法を考えたいし、実現したいです。

update 2024/11/27
Q.勉強は義務じゃなく権利なのに、なんで学歴重視の社会なの?
この記事の担当 うさえなが

Q.勉強するのは義務じゃなくて、権利。
なのになんで学歴重視の社会なんですか?
なぜ学校にいかないと白い目で見られるんですか。
なぜ学校以外の居場所が欠乏してるんですか。
前も似たような質問をしたかもしれないですけど、すみません。

A.うんうん。また、生きかたカエルとウ・サギが頷いてるよ!

*ウ・サギから補足*
まっとうな主張と怒りだとウ・サギは感じます。
ウ・サギの身近なニンゲンでも、学校に行かなかった人がいますが、世間からの目のプレッシャーは感じ続けていたと話していました。
学校に行かない選択ができて、たとえ学校以外の居場所に出会えたとしても(それができずに苦しみながら学校に通い続ける子もいるでしょうし…)、選択肢が乏しく、世間の目にも脅かされるのでは、子どもが安心して成長できる社会になれてるとは思えないところです。

ただ、学歴重視の社会については、実際のところ薄れてきているというのがウ・サギの実感です。新卒カードという限定したシチュエーションでは有利かもしれませんが、今はどこも人材不足が深刻なので、学歴云々を気にしてられなくなっていると感じます。
大人になってから通信の大学などに行って、就きたい職業のための勉強をしたり資格をとる手もあります。
ウ・サギはあなたのあなたらしさを応援します。

update 2024/11/27
Q.大人達に「完璧じゃなくても良い」と諭されても、その人の許せる範囲でという条件付きに受け取ってしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大人達に「完璧じゃなくても良い。」と諭されますが、それは、その人にとって許せる範囲の不完全さという条件付きの言葉だなと受け取ってしまいます。
そして許せる範囲がわからないので、余計にプレッシャーに感じます。

A.大人達の言葉が条件付きなことは(残念なことに)少なくないので、そう受け取ってしまうのも無理がないことだとウ・サギは思いました。
でも言葉には言葉にされていない意味や意図がたくさんあるので、あなたにわざわざそれを諭すのは「そんなに無理して頑張らないでいいんだよ」という心配の表現で、どんな範囲の不完全さもOKだと構えている場合もあるかも…?とも想像したりはします。(でももしそうだとしても、結果的にはあなたにプレッシャーをかけていることになるのか…)

大人達には「完璧じゃなくても、そもそもやらなくても、何でも良い。」というマインドを浸透させていきたいところです。
子どもがプレッシャーに苦しまず、安心して過ごせる環境を確保することが、大人の仕事だとウ・サギは考えます。

update 2024/11/27
Q.正社員にならないと人生が行き詰まるみたいな記事をみると不安になる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.正社員にならないと人生が行き詰まるみたいな記事みると不安になります。正社員にならなきゃプレッシャーも少しあるのです。考えすぎですか?

A.そんな記事はどこの誰が書いたのでしょうかね。
おそらく世間知らずなのか、誰かの回し者として送りこまれ、不安をあおるために書いた記事なのかもしれません。

正社員にならないと人生が行き詰まるかどうかは、一人ひとりが自分で感じて、決めることであり、他の人があーだこーだと言うことではありません。ただ、正社員にならないことに不安を感じたり、ならなくてはとプレッシャーを感じることはあなた自身の大切な気持ちなので、それをなかったことにするのはよくないです。きっと、何かしらの不安やプレッシャーがあるのだろうと思います。本当は何に不安なのか、何が一体プレッシャーと感じているのか改めて考えてみるとよいかもしれませんね。

カエルとしては、一般論と個人的な事情は切り離して考える必要があると考えています。
一般論として、正社員の方が不安が少ないと言うことになっているかもしれませんが、正社員の責務が自分に見合わないとしたら、正社員になったことで安心するのではなく、逆に不安やプレッシャーを背負うこともあるでしょう。そして、正社員といっても、どんな会社の正社員になるかによって全然事情は異なります。

つまり、正社員になるかならないかということに思考のコストを割くより、どんな働き方なら自分の力が発揮されるのか考えることをおススメします。すぐに見つからないかもしれませんが、そういう思考をする人が増えると働き方も変わってくるようにカエルは思っています。

update 2024/11/21
Q.学校も勉強も義務じゃなく権利なのに、なんで学校にいかないと変な目で見られるの?
この記事の担当 うさえなが

Q.学校に行くのは義務じゃない。
勉強するのは義務じゃない。
権利でしょ?
なのになんで学校にいかないと変な目で見られるの
なんで学歴社会なの。

A.うん、うん、その通りだ!
って生きかたカエルとウ・サギがめっちゃ頷いてる

*生きかたカエルから補足*
その通りです。
子どもには学ぶ権利があります。
子どもの権利条約の第28条には教育を受ける権利について書かれています。
また、29条の「教育の目的」には「教育は、子どもが自分のもっている能力を最大限のばし、人権や平和、環境を守ることなど学ぶためのものです」と書いています。だから、学校があなたの持っている能力を最大限のばすものでないとか、人権や平和、環境を守ることなどを学ぶところでないのなら、行かない選択をしても構わないとカエルは思います。
そして、行き過ぎた学歴社会についても、国連子どもの権利委員会は日本に対して、過度に競争的な システムを含むストレスの多い学校環境から子どもを解放するために措置を強化するように求めています。1994年に日本が子どもの権利条約を批准して以来、毎回のように「過度に競争的な学校システムの見直し」を勧告されていますが、なかなか改善がないのはどうしてかな?とカエルは思います。
そして、「子どもの意見の尊重」についても、強化を求められ続けています。子どもに関係することに子ども自身が意見を伝える機会があり、そこで力を発揮することが大切だと言われているのです。
だからあなたがこのような意見を持っていることをカエルは全面的に支持をしたいと思います。
そして、あなたの質問にお答えするとしたら
「日本が遅れているからです」ということになります。
と言っても、カエルも一応日本に所属している一員なので、他人事ではなく、一緒にこうした意見を伝えて、現状を変えるようともに発信していきましょう。

update 2024/11/18
Q.勉強させるのは親の義務で、わたしたちが勉強する義務ってないですよね。
この記事の担当 うさえなが

Q.なんで親は「勉強しろ」って馬鹿の一つ覚えみたいにたくさん怒ってくるんですか?
勉強させなきゃいけないのは親の義務で、でもわたしたちが勉強する義務ってないですよね。権利ですよね。これって屁理屈ですか?

A.むむむ・・・むずかしいお話はわからない
でも、たくさん怒ってくるのは、いやだなあ
そんな怒っても意味ないのにね!

*生きかたカエルから補足*
至極真っ当なお怒りモードの質問、カエルは頼もしさを覚えます。
しかも、感情的な親を観察し、「馬鹿の一つ覚えみたいにたくさん怒ってくる」と表現できるあたり、あなたの力と感性を感じます。

もう少し、カエルの意見をお伝えすると、子どもに勉強をさせなきゃいけない義務は親にはありません。親(大人)には、子どもに対して、学ぶ権利を保障する義務があるのです。そして、子どもは学ぶ権利があります。

そして、「学ぶ」=学校の勉強ではありません。
学校の勉強も学びの一つではありますが、それ以外にも大事な学びはたくさんあります。あなたが学校の勉強に魅力を感じず、もっと学びたいこと、やりたいことがあり、それをやろうとしているのに「勉強しろ」と一方的に怒ってくるのくるのは子どもの学ぶ権利を侵害していることになります。

学ぶ権利を阻害する大人の振る舞いはアウトです。でも、それ以前に子どもに学びを保障することがどういうことなのか、大人の理解がないことが、無自覚に学ぶ権利を侵害していることの原因のようにカエルは思っています。

学校の勉強がこういう疑問を自由に出し合い、「権利」についてもっともっと学ぶ機会であるのなら、カエルも「もっと勉強すべし」と進言したい気持ちになりますが、怒ったり、一方的に押し付けることはアウトだとカエルは思っています。

それから、屁理屈についてですが、子どもは屁理屈を堂々と言う権利があるとカエルは思っています。
社会のことがあまり分からないので、何が理屈か屁理屈なのか分からないのが当たり前だからです。それを大人がまともに受け止めて、議論をすることが大切だと思います。よく大人が子どもの意見に「それは屁理屈だ」と言うことがありますが、意外と大人側に正当な理屈がなくて、理論的に説明するのが無理な際に封じ込め作戦として使う方が多いです(カエル調べ)。
かくいうカエルもオタマジャクシの時にはしばしば意見を伝えては「お前はいつも屁理屈を言う」と封じ込まれていました。その時は気づかず、私は屁理屈な人間なのかなと思ったときもありましたが、今なら正当な意見や疑問を抱いていただけだと思えます。

update 2024/11/17