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タグ社会派
Q.男性差別についてどう思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.男性差別についてどう思いますか?

A.男性差別は、ウ・サギが最近関心をもっているテーマの一つです。根本としてはもちろんすべての性差別に反対していますが、男性の受けている差別については、最近本を買ったり、大学の研究者と話をする機会もありました。何が男性差別とされているかの話は省きますが、大学の研究者と話す中でウ・サギにとって大きな気づきだったのは、女性も男性もどんな性別への差別も「家父長制」からの抑圧という構造で考えるのがいいのかもしれないという視点でした。(このあたりは色々な考え方があるので、あくまでウ・サギの主観の話として理解してください)
「家父長制」というのは、ネットで調べると「一家の長である年長男性(家長)が、家族の財産や人間関係に対して絶対的な支配権・指揮権を持つ社会システムや制度。ほとんどの現代社会は、実際には家父長制的である」とあります。これは、もう少しウ・サギなりにかみ砕くと「男性は一家を背負ってリーダーとなりお金を稼ぎ、女性は家庭を守り、子どもは家族の言うことを聞く。男性は稼いで一家を支えているから偉いのです」というものだと思っています。もちろん今の社会には多様な生き方がありますし、家庭の形もそれぞれですが、家父長制のイメージや価値観は一つのスタンダードや正解として、私たちの中に多かれ少なかれ根づいているようにウ・サギは感じています。
家父長制の上下関係においては、男>女なのは間違いないわけですが、一人ひとりを見ていくと、「リーダーになれない(稼ぎが大きくない・パートナーがいない)男性」「パートナーがいない女性」「リーダーになりたい女性」「すべての子ども」が、劣っている存在や間違った存在、または身分が下の存在とされてしまいます。家父長制で横暴をふるった男性リーダーに傷つけられた女性はどうしても男性全体への怒りを抱きますし、横暴な男性リーダーになる可能性のある男性(人は価値観を取り込んでしまうものなので、男性の多くはそれを目指す心はもってしまっていると感じます)へも優しい気持ちにはなりづらいものだと思います。でもリーダーにならない男性は、劣った存在という定義にしばられ、サポートする(逆に言えばリーダーに守られる)身分でも認められる女性を羨ましく思うのかもしれません。自立した女性は一つの生き方になってきていますが、男性の生き方はリーダー以外のモデルがまだあまりないようにも感じます。
だから、男性差別の話からはちょっと逸れてしまったかもしれませんが、男女で分断を起こさずに全ての性差別とみんなで一緒に闘いたいし、闘うためにはどうすればいいのかを、ウ・サギは考えていきたいと思っています。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/27
Q.自殺ってなんでしたらだめなんですか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自殺ってなんでしたらだめなんですか。自殺した人の話がニュースで出た時に相談窓口が出るから死んでほしくないのかなと思いました。でも僕はどんな未来を選択してもそれでいいと思います。生きててやっぱり死んでおけばよかったと思うこともあります。

A.世の中の人が何をどう思って「自殺はだめ」と言っているかはわからないですが(それぞれに理由も違うだろうと思います)、ウ・サギの考えとしては、自死は「社会に追い詰められたがゆえの死」、つまり「社会が個人を殺した」殺人事件だと捉えています。だから、殺人事件が起こることを肯定しないのと同じ意味合いで、自死が起こることを肯定はできない、というのが世界平和を願うウ・サギの立場となります。自死は「この苦しい世界で生きるよりはマシ」という消去法の選択だとウ・サギは思っていますし、そんな究極の二択しかない中で選ぶしかなかったものは、自由な選択だとは言えないと感じています。
もしも、誰もが安心・安全に、衣食住が保障されていて、感じることや考えることが尊重される中生きているなら、自ら死を選ぶことを選択と言うこともできなくはないかもしれません。でも今の社会で起こっている自殺は、この社会が個人を追い詰めている要素が圧倒的に多いとウ・サギは考えています。
ただ、だからこそ、相談窓口が解決策のように見なされる風潮には、ウ・サギは違和感を抱いています。私たちの社会がとある個人を追い詰めた殺人事件だとしたら、まず一番に注目して変わるべきは、この社会構造であり、そこまで追いつめられない側にいる私たちの生き方や在り方であるからです。せめて「相談してください」ではなく、「相談もできないような心理状態にしてしまってごめんなさい」「相談してもすぐにはどうにもならないような問題を抱えさせてしまってごめんなさい」と頭を下げ、「そんな現状を変えるために頑張るので、もう少しだけ待ってもらえませんか」「何が問題なのかの本質を知りたいので、話をしませんか」とお願いするのが筋だとウ・サギは思っています。個人に相談を促すことで自死の問題を解決しようとするなら、それは自死を個人の問題だと扱っているとみなされても仕方ないと思っていますし、そのときに「個人の問題としてあなたたちが自死を捉えるのなら、自ら死を選ぶことも個人の自由じゃないですか?」と感じてしまうのは自然な現象だと思います。
だから、自死を自由だとは思えない立場のウ・サギですが、質問者さんの言っていることやモヤっとしたものはある程度わかっているつもりだし、筋も通っていると感じているところです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/27
Q.進路を調べろというけど、そこで生きていけるかの情報は載ってないのに、何を見ろと言うのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.進路を調べろっていうけど、そこで生きてけるかどうかっていう情報はどこにも載っていないのに、何を見ろって言うんだよーと心が叫んでいます。生きていけるかどうかは、何を見て、どうやって判断材料を用意して、判断すればいいのでしょうか?

A.とてもまっとうな叫びだとウ・サギは思いました。生きづLABOに寄せられる声を見ると、進路を重く見る大人がけっこう生息しているようで(人生を左右する大事な選択、きちんと考えて決めなさいといった雰囲気なのでしょうかね…)、いやいやそんなに世界は単純じゃないですよ……?といつも疑問を抱いているウ・サギです。進路は全然関係なかったね、という職業や生き方にたどり着いている民がウ・サギの周りには多いのですが、そうじゃない世界も多いのでしょうか。
そこで生きていけるかどうかについては、質問者さんの言う通り、どこにも情報は載っていません。大事なポイントは、そこで生きていくのは「自分」という点だとウ・サギは思っています。どんなに高学歴になって大企業に入っても、そこが自分に合わなければ人生は絶望にさえ感じるかもしれませんし、合わないまま無理をしたら、体や心を壊してしまうかもしれません。つまりポイントは、自分の合う・合わないに気づく感性と、自分を守る(心地よく生きる)ための選択をする力や人とのつながりを育てていくことだとウ・サギは考えています。心が叫んでいる質問者さんは、すでに感性はとても働いている状態にありそうですが、それがゆえに感性よりも常識優先になってしまった周りの大人と相性が合わなくて、戸惑いを抱いている今なのだろうかと想像しています。
学校で言われる進路については、極論行ってみないとわからないですし、さして調べずにフィーリングで選んだっていいとウ・サギは思っています。最近は学校のクチコミみたいなサイトもあるはずなので、そこで校風や雰囲気を調べるのは、一つの材料になるかもしれません。もし就職だとしたら、少しでも興味を持てそうなところか、自分にとって楽そうかとか、そういう軽い理由で全然構わないと思います。ぶっちゃけ、そこに行ってみて、合う人が一人でもいるかが最も大きい要素になるとウ・サギは感じています。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/27
Q.正論や綺麗事につらさや憤りを感じるメカニズムはどのようなものだと思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.正論や綺麗事を聞いたり見たりした時に、
つらさを感じたりモヤモヤしたり憤りを感じたりするメカニズムはどのようなものだと思いますか?
個人的には、反論の難しさと、こちらの現実を無視してくることが理由だと感じますが、
どう思いますか?

A.これは、正論や綺麗事というものの定義(自分の判定基準)について、まずは深めてみるのがポイントになるかもしれないと思いました。正論や綺麗事といってもその定義は曖昧だと思いますが、ウ・サギは正論や綺麗事は「お前が言うな」みたいな、立場の違いや関係性に一番の引っかかりがありそうに思っています。
つまり正論や綺麗事の本質は「論」ではなく、論を言っている「人」の方にあるのではないかと思うのです。たとえば「自分を変えられるのは自分だけ」という言葉は、言われるとダメージを受ける類の正論だとウ・サギは感じますが、ウ・サギのことをずっとサポートしてくれている相手が、変われない事情や気持ちも全部受け止めている上であれば、時と場合によって「自分を変えられるのは自分だけ」が残酷な正論じゃなく心からの励ましになることもありそうだと思います。
あと他のポイントとしては、実は自分の中でも思っていたり囚われてしまっている論ほど、言われたときにつらいというのはあると思います。だから湧き上がってくる感情が大きいなら、その正論や綺麗事を言ってくる相手との関係性や存在自体へのモヤモヤがが大きいか、その正論がすでに内在化されている自分を苦しめている価値観の一つなのか……何はともあれ、自分が自分として生きるための闘いが質問者さんの中に起こっているのだろうとウ・サギは思いました。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/22
Q.「子供生むなら子供が自死しても文句言えない」をどう思う?の質問回答動画を見て色々思いました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.Q.「子供生むなら子供が自死しても文句言えない」をどう思う?を見て、
親だけに子育てを全部押し付けない仕組みは必要だと思いました。
しかし一方で、俺自身は子育ての手伝いは、まともにできなさそうだし、そもそもやりたいと思えないんです。
俺は多分子供の言動にイライラしたら子供に感情をぶつけてしまうと思います。
いくら子供の言った言葉でも言われてショックなこと言われたら俺は、とても平気じゃいられないと思います。
例え手伝う役割であっても子供を世話したいと思えない。
親だけに子育てを全部押し付けず社会で育てる仕組みは必要だと俺は思います。
でも、他ならない社会の一部である俺自身は子供を育てたいと思えない。
そもそも大人とか子供とか関係なく人付き合いを積極的にしたいと今の俺は思えません。
矛盾で苦しいです。
どう思いますか?

A.子育てを支えるものは子どもとの直接的な関わりだけではないので、質問者さんができないしやりたくないと感じるなら、子育ての手伝いをする必要はまったくないとウ・サギは思います。大切なのは、助けてほしいことを助けてほしいと言えることと、無理なく手伝える人がそれを手伝うことのマッチングであり、その循環によって、誰かが大きな苦痛や不利を伴うことなく世界が回っていくことをウ・サギは望んでいます。
むしろそのマッチングのためには、自分の状態や適性(助けてほしいことがあるか、あるならそれは何か、逆に、自分に出来そうなことはあるか)を知っておくのは一番大切だと思うので、自分を知ることは、誰かに押し付けない仕組みをつくるための努力や貢献と言えるとさえ感じます。また、助ける・助けられるのどちらが偉いとかではなく、状況や得意不得意を理解して、補い合うことを大切にしたいウ・サギです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/22
Q.ヘルプマークをカバンにぶら下げたいが躊躇してしまう
この記事の担当 所長室

Q.外出時に、ヘルプマークをカバンにぶら下げたいけど、いつも躊躇してつけられずにいます。目に見えない病気に理解のある人ばかりの社会ならいいですが、そうではない人もいるので難しいです。何か良い解決策はありますか?

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update 2026/2/22
Q.「Q.子どもの願いを~」の質問回答を見て、こんなことを思いました
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.子どもの願いを一緒に叶えなくてはならないのかと、子ども時代そうされなかった大人が思うのは仕方ない?の質問回答を見て、
俺の場合、どうしても子供のサポートをしたいと思えないし、むしろ子供のようにお世話されていたいと思っているけれど、
それは俺が子供時代に子供をできていなかったからなのかもしれないと感じました。
そして俺個人は、年齢関係なく個々人に合ったサポートや支援を受けられる社会がいいな、と思います。
どう思いますか?

A.子どもをサポートしたいかしたくないかはそれぞれでいいと思います。カエルとしては、大人だからとか子どもだからとか、障がいがあるからとか、ないからとか、お金持ちだからとか、貧乏だからとか固定化した役割で責任や義務が生じるというのではなく、どんな人でもそれぞれが自分ができそうなことをちょっとずつやるぐらいの気持ちで持ち寄ってみたら、世の中にもっといい循環ができそうな気がします。
カエルは制度とか立場とか関係なく、力を貸してもらいたいことと力を借りたいこと、困っていることを気軽に出せて、マッチングするような仕組みがあるといいのになぁと思っています。困りごとできることマッチングアプリ的なもの??そうはいっても、まずは子どもが子ども時代に子ども時代を過ごせるようにするのが先ですね。とてもシンプルだけど、簡単ではないテーマです。生きづLABOで考え続けたいテーマだと思いました。

回答:生きかたカエル

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update 2026/2/18
Q.社会は私を助けてくれなかったのに、なんで私が社会のために頑張らないといけないの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.社会は私を助けてくれなかったのに、なんで私が社会のために頑張らないといけないんですか?

A.カエルも特別誰かに助けられた!とはあまり感じていませんが、感じなくても事実けっこういろいろな恩恵を受けているものだと思っています。恩恵は空気のように当たり前のものとなって気付きにくいですが、助けてもらえなかったことやひどいことをされたことは忘れられないので、意識にのぼりやすいとカエルは思うのです。ひどいことをしてきた相手がそれに無自覚で、自分に当然のように貢献を求めてくると感じるなら、余計に意識にのぼることも多くなるだろうと思います。
助けることとか役に立つことを、カエルはもっとひろ~いものだと思っています。毎日食べている食べ物も使っているもの(こうして使っているパソコンやスマホやインターネットなどの通信手段)も、当たり前に享受していますが、カエルの力だけでは何もできず頼りきりだと思います。そして人間が生み出したシステムだけではなく、水や空気も人間とカエル同じく必要不可欠な存在で、助けられていることを忘れたくないとカエルは思っています。カエルは水や空気に支えられていると思うから、必要以上に水や空気に負荷をかけたくないと思うし、カエルにできるちょっとした努力はしたいと思っています。
ちょっと質問者さんの話とはズレてしまったかもしれません。カエルは社会を地球規模でとらえてしまうので、一方的に助けられてばかりの人もいなければ、一方的に誰かの役に立ち続けている人もいないと感じるのです。

回答:生きかたカエル

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update 2026/2/18
Q.生きづLABOが「障がい」表記を使う理由の質問を見たが「障害」のほうがサイトに合ってない?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.生きかたカエルさんが「障害」ではなく「障がい」と使う理由は何ですか?の質問を見て調べたのですが、「障害」表記のほうが生きづLABOには合っているんじゃないかなと疑問に思いました。

A.編集注:障がい表記は個人の属性に「害」は良くないという個人モデルの発想で、社会モデルで考えるなら障害は社会にあるのだから、障害表記の方が適切なのでは?という話になります。補足には他にも質問者さんの考えが丁寧に書いてありました。

*生きかたカエルから*
質問者さんのご意見はごもっともで納得できるものと感じました。結論から言うと、ぶっちゃけカエルは使いたい人によってどちらでもいいと思っています。カエル的には「害獣」「害虫」という概念になじんでいるゆえ、「障害者」の表現にはその人自身が何かしら害があるような印象に直結してしまい、漢字を使うことに抵抗があるため、平仮名にしたい派です。そもそも、害獣や害虫も人間の都合でつけられた失礼な表現ではあるのですが…。社会モデルで考えたときの合理性はわかりますが、自分の属性表記に「害」が入っているのは嫌だなぁと思う人がそれなりに多いのであれば、できるだけ使わないようにするという方針もあるとは思っています。ただ、(補足に書いてあった)平仮名にしただけで配慮した気になってしまう危惧も「それな」と思います。本来は、漢字が平仮名かという問題ではなく、こうして議論できることがもっとも大切なのだろうとカエルは思いました。

*ウ・サギから*
たしかにその方が筋は通っているなと思いつつ、だとすると○○障害ではなく、さらに厳密なニュアンスで言葉を作りませんか…?と前のめりになってしまうウ・サギです。例えば発達障がいについては、状態像で言うなら「社会生活不具合(発達特性に起因)」、性質だけで言うなら「発達特性マイノリティ(我が道、自己完結傾向)」といった感じが希望です。発達障がいについて話を続けると、ウ・サギは神経多様性の捉え方をしているので、実は発達障がいという言葉自体、本当は使いたくないなあという気持ちもあります。とはいえ実際に社会が障害を生んで不利益や不便を被っている当事者がいる以上、多様性だなんて綺麗な言葉で片づけていいものではないと感じますし、少数派というより不当に劣位に置かれているという意味で広まってくれるなら、発達特性マイノリティが一番いいのでしょうかね……。カエルさんの言う通り、こうして議論できることが大切だとウ・サギも思うので、いい質問をありがとうございました。

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update 2026/2/18
Q.結局人間は自分の都合の良いことを求めてズルい方法や考えを駆使するんだなぁ、と思います。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.結局人間は自分が都合の良いように物事がいって欲しくて、そのためならズルい方法や考えを駆使するんだなぁ、と思います。
そんなことを考えていたら、すべての人が歪んで化け物みたいに見えてきて辛いです。どうしたら少しでも楽になるでしょうか。

A.それに気づいてしまいましたか…。たしかに、人間にはそういった側面があるとウ・サギは思います。でももちろん、希望の抱ける側面、そういったものを乗り越えてお互いを尊重し合う力もあるのが人間だとウ・サギは思っています。
自分の都合の良いように(もう細かく分ければ、自分にとってわかりやすい、対処しやすいように、自分が変わらないでいいように、否定されないように)物事がいってほしい気持ち自体は誰にでもある、自然なものなのだろうとウ・サギは考えています。それは、自分の予想が外れるのも、予想外のことに対処するのも、自分を変えるのも、大変なことだからです。人間の脳のキャパを超えて今の社会が複雑になりすぎたから仕方ないのかなと思いつつ、でも複雑に見えるだけで本当はシンプルであるはず…とか、予想外のことや答えのないことも受け止めて揺れ動きながら進んでいく力(ネガティブケイパビリティと呼ばれるやつですね)をもっと発揮できるはずとか、それこそ「まだ人間界には希望がある」とウ・サギの都合の良い世界を求めてぐるぐるしている今です……笑
ただ、ズルい方法や考えをあまり駆使するのは困りますよね……。大問題なのは、立場が上の人が強引にこれをやることだとウ・サギは感じています。そしてさらに困ったことに、ズルをされた側が「私はこう感じました!あなたはズルい」と言わないと(これは直接言わず、誰かを介して全然OK)、ズルをした側はなかなかそれに気づけないのですよ……。だから、人が化け物というのはちょっと違って、化け物状態になってしまっている人がたくさんいる、というのが正確なところなのかなとウ・サギは思っています。それもそれで残念でつらいことではありますが、人間は環境次第で化け物にもなれるし、化け物じゃない何かになることもできるのだとウ・サギは思います。

回答:ウ・サギ

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update 2026/2/16