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タグ社会派
Q.クラス発表されました。2クラスしかないんだけど、仲良い人ほんとにみんな違う方行っちゃった。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.クラス発表されました。2クラスしかないんだけど、仲良い人ほんとにみんな違う方行っちゃった。10人中10人。毎年クラス替えあるって分かってるけど辛い。

A.物事は変化して好転することもあれば、変化により安定や安全が崩れることもあります。また、人によって変化を好む人、変化に強い人もいれば、ちょっとした変化がとても苦手な人もいたり、長い時間をかけないと慣れることができない人もいます。
そう考えると、学校のクラス替えはあまり合理的ではない仕組みのような気がしてきました。基本のクラスは決めるとしても、もう少し柔軟にいろいろな人たちと集団を組んだり、多様な組み合わせがあってもいいのにと思います。
同じ学年だけでクラスを固定するのではなく、学年横断的なグループがあってもいいし。そして、個人差も考慮してくれたり、子どもが集団を自分で決めることがあってもいいのにと思います。なぜなら、たくさんの人がいれば、全員にとってハッピーな完璧なクラスはないと思うからです。誰かにとっていいクラスも、他の人にとっては最悪な場合もあります。
例えば、希望者を募って、2カ月に一回は希望者だけクラス替えするとか、いっそのことクラスは決めないで好きな教室に行っちゃうとか…あなたなら、どんなクラスの仕組みがいいと思いますか?とカエルはアイディア募集したいですね。

update 2025/4/16
Q.マイノリティに対する差別を多く見てきたので、マイノリティだとカミングアウトするのが怖い。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.マイノリティに対する差別を多く見てきたので、自分がマイノリティだと自認すること。自分がマイノリティであることをカミングアウトする事が怖い。でもこの感情が差別からくるものだと思うと、自分も差別する側なんだと思い苦しくなる。

A.身近なところで差別を見てきたことで、自らのマイノリティ性を自認することそして、カミングアウトが怖いと感じるのはとても自然なことだとカエルは思いました。ただ、その感情が差別からくるという理論は補足説明が必要ですね。
つまり、自認やカミングアウトへの怖さは世の中のマジョリティが抱く差別を無意識に内在化してしまったものが、引き起こすもので、イコール自分の中に差別があるということではないと考えます。言い換えると、植え付けられた差別が悪さをしているイメージです。
それは、あなたが差別をする側なのではなく、あなたの中に世の中にある差別や偏見が攻め込んできて、マイノリティのあなたらしさが負けそうになっているのだろうというサインなのだろうと思いました。だから、自分を差別する側と同じだと苦しむ必要はありません。ただ、誰もが無自覚に場合によっては差別や偏見をもちうる存在であることを自覚することはとても大切だと思っています。

update 2025/4/14
Q.HSPやXジェンダーと自称する人の多くがASDで、その概念により支援から遠ざかっているという意見をどう思う?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.HSPやXジェンダーと自称する人の多くがASDで、その概念により支援から遠ざかっているという意見についてどう思いますか?安心感を得られる側面がある一方で、ASDならば受けられる支援にアクセスできないのはどうなのかなと思ってしまいます。

A.そんな意見があるのですね。カエルはよく知りませんでした。
しかし、この意見には日本における発達障がい理解、診断の基準というのか通例が影響しているように思いました。日本では発達障がいとしてASDとADHDがとても有名になり、診断ではどっちなのか?両方なのか?どれなのか?という具合に分類しようとします。しかし、実際にはスペクトラムとして連続性のある症状なので、最近では神経発達症群という表現で、幅広く神経の発達が多くの人たちよりも特徴的なグループとして理解されることもあるようです。
そもそも、支援は診断名によって決まるのではなく、どんなことでどれくらい困っているのかという点でアクセスしやすく、必要な人に届くという仕組みが必要だろうと思っています。そして、支援よりも理解や配慮の方がむしろ大切だったりするので、理解、配慮、支援のすみわけやあり方にも整理が必要そうです。
ただ、「概念によって、支援から遠ざかっている」とい側面は今回指摘の内容にとどまらず、鋭い論点のような気がします。人々の概念が、私たちの社会のありようを左右します。だから、概念が変われば世の中も大きく変わる可能性があるということですね。カエルはそこに期待をしています。

update 2025/4/14
Q.無職なら馬鹿にしても否定しても悪扱いしてもいいなどの風潮が社会に強くあるように感じて苦痛
この記事の担当 生きかたカエル

Q.無職なら馬鹿にしても否定しても悪扱いしても見捨てても何かを強要してもいいという風潮が社会に強くあるように感じて苦痛です。無職のまま過ごしたい方「も」心身ともに安心安全に暮らせる仕組みと風潮の社会の方が人間皆生きやすいのではないかと感じます。

A.カエルとしては、無職だろうが有職だろうが、誰だろうが馬鹿にしたり否定したり、悪者扱いしたり、見捨てたり、何かを強要していいというはありませんので、まずもってそうした扱いや風潮があるとしたら、そのものに異議を唱えます。
そして、誰でも心身ともに安心安全に暮らせる仕組みが必要だと思っています。そこには職があるかないかは全然関係ないことかなと思います。無職のまま過ごしたい方がどういった方かわかりませんが、仕事として給料をもらってやるかは別として、我々は協働的な社会で暮らしているので、どんな人でも何かしらの役割を果たすことは大切だろうと思っています。具体的にはこうして質問箱に質問することも立派な役割だと考えています。

update 2025/4/13
Q.「同性愛を認めるなら小児性愛も認めるべき」という意見をどう思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「同性愛を認めるなら小児性愛も認めるべき」という意見をどう思いますか?恋愛は両者の了承があって成立するので、それが正しく判断できない小さな子どもとの恋愛関係を認めないほうがいいと思います。でも、これも差別的な発言なのかなと思ってしまいます。

A.あなたの意見におおむね同意で、ウ・サギは、恋愛は対等な(適切にNOが言える)関係において成り立つものだと思っています。なぜなら恋愛は、心や体のパーソナルスペースに侵入する行為なので、十分な合意がないと、深いダメージを相手に与えてしまうからです。
フィジカル、経験、立場などに明確な上下関係がある場合、下にいる側は断りづらいですし、上に過剰に憧れて判断能力を失ってしまっているケースもあります。そういう意味では、小児性愛に限らず、認めないほうがいい恋愛関係というのは存在するとウ・サギは思います。
逆にいえば、対等であれば、どんな性別だろうがどんな形だろうが、誰が誰とどう仲良くするのも自由だと思います。

何に恋愛的・性的に惹かれるかの内心は自由ですし、選びようもないものなのかもしれません。
でも、大人が小児と付き合うのは、たとえ子ども側に恋愛感情らしきものがあったとしても、恋愛でなく暴力や支配だとウ・サギは考えます。
「小児性愛者」(人)をバッシングするのは差別になるかと思いますが、「小児性愛」(行動)を認めないのは差別ではないとウ・サギは思います。また、暴力的な行動に及びたくなる人に対しては、批判するのではなく、行動に移さないための適切なケアや教育が必要だとも思っています。

update 2025/4/13
Q.幸せ→お金(裕福)は違うけど、お金→幸せは間接的に、部分的に合っていると思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.幸せ→お金(裕福)
これは、違うけど、
お金→幸せ
これは間接的に、部分的に合ってると思いました。
語彙力がないけど、幸せってお金じゃ買えないと思うかもだけど、美味しいものや面白いもの、サービスを買えるから間接的に、幸せになるのかなって。
でも、お金では得ることのできない幸せ(例えば、友人とか、家族とか)もあるので、お金がすべてじゃないなと思いました。

A.おそらく前のこのQ&Aを読んでの質問ですかね。
とてもいい指摘、論点だと思います。カエルが前に書こうかなと思って長くなりそうだと思って控えたところを突っ込んでくれて、ありがとうございます。
幸せを決めるのは「自由」だとカエルは考えています。そして、自由を得るために現代でとても効力を発揮している存在が「お金」ということだという理解です。
だから、お金→幸せ が間接的、部分的にあっているというのは全面的に同意します。「でも、お金では得ることのできない幸せ(例えば、友人とか、家族とか)もあるので、お金がすべてじゃないなと思いました。」というのもその通りだと思います。
自由(幸せ)はお金で買えるものと、買えないものがありますが、今はお金で買えるもの、お金がないと買えない物事が多すぎやしないかい?と思うのでした。
カエルは自由を得るための手段があまりにもお金に頼りすぎてしまい、知らないうちにお金を得るために幸せを放棄してしまう逆転現象が起こっていることを危惧しています。なんとか「生きかたを変えなければ…」とカエルをやっているわけです。

update 2025/4/10
Q.「表現する性」について、こういう表現が女、こういう口調が男というの自体に違和感を感じる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間の性は4つあって、そのうちの1つが「表現する性」だそうですが、そもそもこういう表現が女、こういう口調が男っていうの自体に違和感を感じます。

A.なるほど・・・そのあたりは、難しいですよね…。それぞれが自分らしい表現を選んでいいし、本人が「自分の表現の性は男です」と言うならそれもいいですが、周りや社会が「あなたの表現の性は男なんですね」とか「これは女性の表現、これは男性の表現」と規定するのは違うよなあ、とウ・サギは思っています。
だから表現の性、心の性、好きになる性については、男・女・中性みたいに分かれる以前に、そもそも「性別の枠組みがある」人と、「性別の枠組み自体がない」人に分岐するのかも?とちょっと思いました。最近だと、ノンバイナリーというものが、たぶんそれに近しいものなのかなと認識しています。
性は4つという考え方も、あくまで整理の仕方の一つであって、絶対的な枠組みではないのだともウ・サギは思っています。

update 2025/4/7
Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?

A.カエルもオタマジャクシのころ、同じことを考えていました。これは推測ですが、知らないうちに「間違ったり、失敗することはよくないことだ、あってはならない」という呪いをかけられているからではないでしょうか。呪いのせいなので、そんな大人は自分のおかしさに気づくことができず、ひたすら自己正当化に走るのです。そして、質問者のような子どもたちに見抜かれる…悲しい現実です。
子どももやがて大人になります。呪いにかかることのないよう、子どものうちから「あ、間違ってた」「失敗しちゃった」「ごめんなさい」と素直に思える自分の心を大切にしましょう。
また、間違いや失敗はそもそも、見方を変えると「間違い」ではなく「違ったやり方、違った結果」かもしれないですし、「失敗」ではなく「学びの機会」「想定外だった」だけかもしれませんよ。

update 2025/4/7
Q.親に学校行きたくないって言ったら、学校は必ず行くところって怒られた
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親に学校行きたくないって言ったら、学校は必ず行くところって怒られた。なら不登校の子はどうなの?同じ理由で来てない子もいると思うんだけど?

A.親はわかってませんね…おそらく、義務教育の意味をはき違えているか、正しく理解したうえで、親の強権を濫用しているのかもしれません。どちらにしても、学校は行ってもいいし、行かなくてもいいところです。
義務教育は「子どもに学ぶための権利を保障する義務が大人にある」という意味の義務教育で、小中学校は「どんな子どもにも学びを保障するためにあるところ」といえます。ただし、日本の学校はいろいろな課題があり、学校に行くことが学びの保障にならず逆に子どもの権利が侵害されてしまう実態もあります。また、長い間、画一的、管理的な側面があったことから、一人ひとりの学びのニーズに応えることが難しく、学校に行っても学ぶことができない子どもたちもけっこういます。だから、学校が学ぶ場としてふさわしくない、勉強どころではなくつらい状況があるのであれば、無理をして学校に行くのは本末転倒なのです。
そして、明確な理由がなくても、「行きたくない」という気持ちは大切な気持ちで、その気持ちを受け止めたり、理解することなく、大人が力を行使して「行くものだ」と圧力をかけることは子どものことをわかってない…という判定をカエルは下します。
学校がもう少し子どもにとって安心安全で、多様な学びが可能なところになってもらいたい+学校以外の豊かな学びの場を子どもたちに用意する世の中にしたいと思います。

update 2025/4/7
Q.自分はトランスジェンダーのはずだった。でも思いや考えを心だとするなら、心に性別は無いのにと思った。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分はトランスジェンダーのはずだった。自分は思いや考えを心だと思っている。けれどそれが心だとするのならば心に性別は無いのに、勝手に男女でわけて、私は心が男。とか言ってる自分たち当事者が1番性を決めつけているのでは無いかと思った。

A.※補足に、性別に苦しんでいる人を批判する意図は全くない、と書いてあったので、読んでいる方もそこを理解して質問を受け取ってもらえたらと思います。

興味深い質問ですね。
トランスジェンダー(の中でも、FtM、MtF)は、「男・女」という性別が「存在する」のが前提になっているものなのは確かにそうだとウ・サギも思っています。
ウ・サギは当事者ではないですし、当事者といっても様々だと感じますし、「トランスジェンダーとは~」なんて語ることはできないとは思いますが、「割り当てられた性別(によって受ける扱い)に違和感がある」というのを「トランスジェンダースペクトラム」と捉えるのはどうだろう?とちょっと考えています。
スペクトラムは「範囲」「連続体」といった意味なのですが、つまりトランスジェンダーか否かの白黒に分けるのでなく、違和があればいろんな個性や濃度があっても広く仲間だよね、みたいに考えたらいいんじゃないかな?と思っている感じです。

心というのは、一体何なのでしょうね・・・。心の性という表現が実はちょっと雑で、アイデンティティの性、という表現の方が適切なのかもしれないとも思いました。アイデンティティは「自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められているという感覚」だそうですが、どうでしょうか。
生きづらさに名前をつけるのも大切で、意味あることですが、こうやっていろいろと考えるのも大切だとウ・サギは思っています。質問ありがとうございました。

update 2025/4/5