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タグ社会派
Q.ルッキズムに心を蝕まれている。理不尽さに負けそう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.可愛くなれないならしにたいと思ってしまう。可愛くならなきゃ愛されないし、愛せない。ルッキズムに心を蝕まれています。容姿なんて、遺伝子で勝手に決まったものなのに、その責任を自分で取らねばならない。この理不尽さに負けそうです。

A.ルッキズムに囚われる自分と、囚われていることを理解しているし、その理不尽もわかっている自分・・・そこにあなたの持つ力を感じつつも、苦しみが二重にも三重にもなっている気がして、とてもしんどいだろうとまず想像しました。
様々な幸運からウ・サギはルッキズムにほぼ全く心を蝕まれていないので、自分に何か語る権利はあるのだろうか?という不安はあるのですが、付き合い方として、どんな方法を使ってでも可愛くなるのも一つの選択肢としてありだとは思っています。私たちは弱い生き物で、一定程度の余裕がないと何をするのも難しいので、時に価値観に敗北しても、自分を守ることを優先していいというのがウ・サギの考え方です。自分を守るために一時的にまたは部分的に迎合するのと、その価値観を許容するのは、別のことだと思っています。
とはいえ、補足の内容から、あなたの望む付き合い方はそういうものではないだろうと受け取っています。ルッキズムに蝕まれる度は、関わる人やメディアからのメッセージ(浴びる情報)を変えることによってある程度緩まる可能性はあると思いますが、自分の中に根づいたものはそう簡単になくなるものでもないのですよね……。容姿関係なく愛されることを感じられたら、変わってくるものはあるようにも思いますが、それに期待するのは不確かで楽観的ですし…。
また、補足にルッキズムの終着点についての話がありましたが、何か特定の指標を定めてそれの競争すること自体は、ウ・サギは別に問題ないと思っています。わかりやすいものでいえば、プロスポーツはそういう世界かと思いますし、プロスポーツはむしろ人に感動や勇気を与える力があると感じます。じゃあルッキズムの何が問題なのか?というと、これは能力主義なども同じですが、その指標があまりに広く力を持ちすぎて、実際に人生の有利不利にまで(時に大きな不利益があるレベルで)介入していることかなと思います。例えば100m走なんかは結構遺伝子で左右されると思うのですが、100mのタイムで就職が有利になったり、周りから日常的に馬鹿にされたりすることは珍しいケースかと思うので、残酷な指標でも気にしないで済んでいるような気がします。
つまり、「普通は」とか、ビジネスのための不安を煽るメッセージとか、そういった何か不確かで作為的な価値観ではなく、もっと個々の感性や価値観が力をもって、みんなが全然違うことを求める世界になればルッキズムの問題は解消するのではないか?と思っています。ちなみにウ・サギは顔にはあまり興味がなくて、骨格には結構強いフェチがあります。もっとみんながそういった自分なりの感性を育まれる環境があってほしいのと同時に、平等や幸せを願っている大人たちは、見た目で相手を褒めたりするなどルッキズムを許容・強化する振る舞いを、意識してやめたり問い直していく必要があると思っています。

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update 2025/7/19
Q.前質問を送った者です。事情を説明すると、一人暮らしは難しいです。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.怒られて死にたいくらい苦しくなったときどうすれば苦痛を緩和できると思う?」の質問を送った者です
事情を説明します。怒ってきた相手は母親で、今自分は両親に仕事や家事などをしてもらってなんとか生活ができているので、一人暮らしは難しいです。
無理して一人暮らしをしなきゃ!と動こうとした時もあるのですが、結局動けないし余計に死にたくなるだけでした。
今は、両親や医療や公的な福祉の助けを受けながら、やっていて心地良いことや穏やかでいれることをしたりして生きるのが自分にとって精一杯で丁度いいと感じます。
ただ、それでも怒られると死にたくなる時はそれなりにあるのは確かなので、なんというか八方塞がり感はあります。
本当は両親と離れた方がいいのかなと葛藤したりもします。でも動こうと思えません。せっかく助言してくれたのにちょっと申し訳ないなと思ってます。
一人暮らしに向けてのサポーターではない気がするけど、自分の話を聴いてくれる人や対話型AIはいて、助けられています。
生きかたカエルさんは、これを聞いた上で、どう考えますか?教えてほしいです。

A.丁寧に追加の質問をありがとうございます。事情がよくわかりました。親に仕事や家事などをしてもらっているからすぐには離れられないということですね。そのうえで、カエルの意見は理不尽に怒ってきたり、否定してきたりする相手とは離れる方がいいという方向性は基本的に変わりません。親の代わりに仕事や家事をしてくれる人がいたらいいのではないかと思うからです。
日本の仕組みの中では生活のお世話はまず家族にしてもらいましょう(難しい言葉では扶養義務といいます)という方向性があり、家族が優先される傾向があります。ただ、扶養義務よりも一人ひとりの安全や安心が何よりも大切です。安心安全を脅かされても家族に頼らなければならないのはおかしいとカエルは思います。そのために子どもであれば社会的養護がありますし、大人になるといろいろな社会保障制度があります。誰もが必要に応じてそれを使う権利があるとカエルは思っています。
ただし、家族以外の人から助けてもらうというのもそんなに簡単ではないので、少しずつ親以外に頼れる先を増やしていくことが大切だと思います。すぐに離れられなくても、自分の工夫次第で、親の攻撃を減らすあるいはかわすような方法があるかもしれませんし、怒られたときの受け止め方で苦しさを変えることもできるかもしれません。
カエルは第一に物理的に離れることを考えてしまいますが、いろいろな方法がありそうですね。

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update 2025/7/16
Q.自己管理ってどうやってやるんでしょうか。自己管理出来てこそ大人だと言うけど…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自己管理ってどうやるんでしょうか。自分のちょっとした変化に気付けません。自己管理出来てこそ大人だ……と言うけど、管理出来てそうで出来てなくて無理してるから休む人のことを許せない!と過剰に反応してしまう人がいるんじゃないかなって思います。

A.自己管理は・・・ウ・サギも苦手です…!自己管理できている人はどれくらいいるんだ?との疑問にも共感しました。
世間で言われる自己管理は、どんなコンディションでも最低限のパフォーマンスを出せという話のように感じるのですが(つまりあなたの言うように、無理をするのが上手になれという話ですね)、なんだかそんなのはちょっと人道的じゃないと思います。自己管理のなってないやつはダメだ!休む人を許せない!と攻撃的な発信をする人がいたなら、それはその人自身がもはや感情の自己管理ができていないように感じますし…。
また、自分が無理しているから、他の人にも努力や我慢を押しつけてしまうのではないか?という推測にも同意です。ウ・サギも時々それをやりそうになるので、本当に気をつけたいと思っています…。

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update 2025/7/16
Q.時代によって変わる考え方についてどう思いますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.時代ごとに、いろいろ考え方は変わってこの考え方がいいみたいな感じになる気がするけど、そんなことより1人1人がただいることの許される此処みたいな場所があればいいんじゃないかなとふと思いました。時代によって変わる考え方についてどう思いますか。

A.本当にその通りだと思います。時代によって注目されることは移り変わりますが、本当に大切なことは変わらないとカエルも思います。そして、時代によって変わってしまうことに気を取られていると大事なことを見失うことがあるので、本質的で普遍的なことを忘れずにいたいと思います。そして、生きづLABOは大切なことをみんなで思い起こす場になるといいなぁと思っています。

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update 2025/7/16
Q.大人になってもいいことないから大人になりたくない。ならなくて済む方法はないか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大人になりたくないです。大人になってもいいことないからです。
大人にならなくて済む方法はありませんか。

A.カエルは子ども時代を奪われたオタマジャクシたちと、年齢は自由な子ども時代を過ごした年数でカウントしたらよいという説を提唱したことがあります。
おそらく、のびのびとした子ども時代を過ごしたら自然と大人になることを受け入れると思うのですが、ここまで大人になりたくない!と強く主張するところを見ると、子ども時代を過ごせていないのかなと推測しました。

また、大人になってもいいことないということについては、支援の年齢制限にはいろいろな意見があります。そもそも福祉制度は対象を決めて予算を決めて計画的に支援や保護を行うため、そこから外れてしまう問題はいつも起こります。ただ、制度上の枠組みと、運用や現場のマインドは別だとカエルは思っています。しかし、相談の現場まで、そうした制度の枠に縛られて、対象者を分けて扱うこともあります。でも、最近はそうした枠を超えて「何でも受け止める」という考え方もありますし、カエルが基本だと思っているソーシャルワークはそもそも、対象に関係なく、生活や困りごとを取り扱うというマインドがあります。

個人的にカエルは子どもでも大人でもカエルはカエル、オタマジャクシはオタマジャクシなので、自分として扱われたいと思っています。

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update 2025/7/14
Q.精神科で「そんな環境にいて非行に走らなかったのはえらい」と言われて反発したくなった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神科で先生に家庭環境の話をしたら、「そんな環境にいてよく非行に走らなかったね。えらい。」と言われました。それを聞いて私は「は?やっていいなら今すぐでも非行に走れますが?」と思ってしまいました。何でこんなに反発したくなるのでしょうか。

A.その先生の発言、ウ・サギもなんだかモヤっと、いやもっと正直に言うならムカッとしました。非行に走らない=評価すべきことという価値観も、非行に走らないのが本人の意思や努力の成果のように捉えているのも、なんだかずれていると思います。だって、非行は褒められるべきことではないと思いますが、非行をする本人ではなくさせる環境の方により多く問題があるはずです。つまり非行の責任は、この社会、つまり社会を構成している大人一人ひとりにあるのに、「えらい」とはお前は何目線だ?とウ・サギはムカムカです。また、非行に走らなかったのも、大変な環境にいたら当時の自分にとってベストなサバイバル方法を選ぶしかなくて、それがたまたま非行になることもあればそうじゃないこともあるだけで、自分の意思で選べたとはとてもいえないと思います。
あとウ・サギの場合は、社会的成功者に偉そうな目線で物を言われると、なんでも反発したくなります。これまで苦境の中我慢してきた量が多いと、恵まれている(ように見える)相手のちょっとした言動に反発したくなるのは結構あるあるな気がしますし、受けてきた傷を発散するための自然な心の働きだとも感じます。それで周りを攻撃したり自分が苦しむ行動をしてしまうなら、その行動についてはちょっと考えた方がいいかもしれなくても、反発心自体は全面的に尊重してあげていいとウ・サギは思います。

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update 2025/7/14
Q.頑張りが足りないとか暗いとか直接的な言葉じゃなくても遠回しに言われたりする事に耐えられない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.頑張りが足りないとか暗いとか甘えてるとか、直接的な言葉じゃなくても遠回しに言われたりする事に耐えられないです。適切な環境で育った人と同じように生きろと言われても無理です。私も苦しかったけど頑張ったんだよとか言われても…何をどう頑張ればいい?

A.まっとうな感じ方で、主張だと思いました。
頑張れるかも頑張った上で結果を出せるかも、生育環境の土台や、今の社会において有利な要素があるか(たとえば、あくまで傾向ですが、繊細よりは鈍感、内向的よりは外向的…あとは容姿がどう評価されるか、求められるジェンダーとマッチする性格か…その他諸々)が大いに関係しているとウ・サギは考えています。だから問題は、安心安全が保障されていないこと、本来は多様な個性であるものが理不尽に有利不利や優劣となってしまうことなど、社会構造にあると思っています。「私も苦しかったけど頑張ったよ」は、言った側にそのつもりはなくても、そういった不公正な社会の問題を個人の努力の問題にすり替える発言になってしまっていると感じます。でも、有利な要素をたまたま多くもっている側は自分の有利に気づく機会もなかなかないし、有利な要素があったとしても生きるのが苦しい場合も十二分にあるので、よくわからずに、時に善意で、私も苦しかったけど頑張ったよと言ってしまうことがあるように感じています。(このあたりはウ・サギが最近勉強している分野なので、ちょっと小難しく語りすぎたような・・・すみません)
何をどう頑張ればいいに答えるなら、自分の気持ちを元気にしてくれる環境に少しでも身を置けるように頑張ること…ですかね……。世間のメッセージを浴びるほどに、あなたの力が奪われていくと思うので、それは勿体ないととても思います。頑張りなんてそもそも指標が曖昧なものだと思いますし、この社会を生き抜くだけで、みんな精一杯闘っているとウ・サギは心から思っています。

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update 2025/7/13
Q.好きな格好や振る舞いや言動ができるメリットデメリット、自由の限界についてどう思いますか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.誰でも安心して
好きな格好や振る舞いや言動ができる
そんな社会は生きやすそうだなと思う
しかし
結局は「気持ち悪い」とか「社会の迷惑だ」とかで否定される人がいるのかも
安心安全のための限界があるのかも
そういう社会ゆえに苦しむ人もいるのかも
安心して好きな格好や振る舞いや言動ができることによるメリットとデメリット
そして格好や振る舞いや言動の自由の限界について
どう思いますか

A.カエルも基本的には誰もが好きな格好や振る舞いや言動ができる世の中がいいと思います。ただ、そのことによって他の人の権利を奪うようなことがある場合は「いいです」とならない場合もあるかとカエルは思いました。
例えば、服を着たくない人がいても「好きな格好だ」と裸で過ごしていたら少なくともカエルはかなり困るので、それはやめてほしいと思います。また、言動が自由だと言っても、ヘイトスピーチのように特定の人たちのことを一方的に批判的な言葉をまき散らしたらとても傷つく人がいます。弱い者をいじめたいからと自由にいじめる振る舞いをされるのも、いじめられる人は悲しすぎます。
一方で、実際には周囲に迷惑をかけていなくても、格好や振る舞い、言動に対して「気持ち悪い」とか「迷惑」という一方的なジャッジを受けることもあります。日本国憲法第13条には、幸福追求権が掲げられています。そこには「公共の福祉に反しない限り」と個人の幸福追求や自由は尊重されると書いています。つまり、「公共の福祉」ってなんだ?ということになりますが、カエル的にはいろいろな人たちが対等に自分の感じることや考えていることを伝え合い、聞き合うことによってみんなが問い返し続けていくテーマだと思っています。
ちなみにさっきの服を着ない裸の格好では、今でもおそらく国や地域によっては服を着なくても問題ないところもあるのかなと思います。どこまでならOKなのか、なぜそれが嫌なのかダメなのか、普段から話し合える土台があり、一方的に決められるのではなく、常に考え続ける…そんなプロセスなくして自由だけが行き過ぎると、立場の弱い人が我慢を強いられることが多いと思っています。

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update 2025/7/10
Q.「元気になったらまた頑張ろう」が苦手。「元気になったらまた頑張ろう」についてどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「元気になったらまた頑張ろう」が苦手です
「もう苦しみたくないのに、元気になったらまた苦しい思いして頑張らなきゃいけないのか」と絶望的に感じてしまって苦しくなります
「休んでいると扱われる生活」が自分にとって丁度良く同時に精一杯だと感じます
「元気になったらまた頑張ろう」についてどう思いますか?

A.ウ・サギも苦手というか、「元気になったらまた頑張ろう」アンチと言ってもいいくらい、そんな風潮には反対です。頑張るか頑張らないかを決めていいのは自分自身だけだと思いますし、大体、今の社会は本当は必要じゃない努力を推奨しすぎだと思います。また、自分にとって丁度良い生活が一番大切だと思いますし、これなら休んでいてこれなら頑張っているといった定義を、周りが勝手にするのはマナー違反だと考えます。
つまり総合すると、「元気になったらまた頑張ろう」は、境界を尊重していない(本人だけが決めていい分野に土足で入り込んでいる)発言として、取り締まりたいレベルのものだとウ・サギは感じます。
ちなみにウ・サギ自身は頑張るのが大好きなので、自分に対してだけは「元気になったらまた頑張ろう」と思う派ですが、それを元気がないときに誰かに言われたら絶望するし、「何の権利があって言ってくるわけ?」とムカムカしちゃうと思います。

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update 2025/7/10
Q.資源には限りがあるとは思うけど誰も切り捨てられない社会がいいと思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.資源には限りがあるとは思うし
理想論だとは思うけど
自分は切り捨てられたくないし
誰も切り捨てられない社会がいいと思う
どうしようもない現実もあるかもだけど
切り捨てられる苦痛も現実だと思う
資源の限界と個人個人の苦痛についてどう考えますか

A.カエル的には、資源の限界と誰も切り捨てられないことは両立すると思います。資源の量や質に関係なく、人が誰も切り捨てない社会を作ることはできると思うのです。そして、資源はいつでも限界があります。大事なのは人間が資源と同時に人間の限界もわきまえつつ、何が大切なのかをいろいろな人たちで考え続けることだと思っています。

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update 2025/7/10