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タグ社会派
Q.友達が保健室登校になった。同級生が「学校に来れない弱い人」的なことを言っていてモヤモヤ
この記事の担当 ウ・サギ

Q.友達が、保健室登校になったみたいです。前の席の人が、「学校に来れない弱い人」的なことを言っていて、それは違うだろとモヤモヤして叫びたくなりました。

A.それは確かにモヤモヤしますね……。ウ・サギも一緒に叫びたい気持ちになりました。
・他人のことを勝手に評価し、決めつけている
・どこかで借りてきた、偏った価値観(学校に来れるのが強い、学校に来れないのは弱い)が前提となっている
という2つが重なって、モヤモヤモヤモヤします。でも子どもがそういった発言をしてしまうのは、偏った価値観がそれだけみんなに浸透し、大人があれこれ勝手に決めつける振る舞いをしているからだと思うので、大人としてはとても申し訳ない気持ちになります。なんとか変えていきたいです。

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update 2025/12/6
Q.同性婚関連のニュースを見ると心が痛い。幸せになりたい人が諦めてしまう世界は悲しい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.同性婚の関連のニュースを見てると心が痛い。色んな人の顔が浮かんでくるから。自分は結婚も恋愛も子供も分からないけど、幸せになりたい人が幸せを諦めてしまうような世界で生きるのは悲しい。

A.いろんな人が匿名でネットで発言できるようになったのもあって、何のトピックに対しても、心ない言葉の飛び交うシーンが目に入ることが多くなってしまいましたよね。誰かが自分に起こっている不平等や理不尽を伝えても、感情論や感覚での反対をされる構図がよくあるように見えて、何からどうアプローチすれば本質的な解決につながるのかウ・サギもまだ答えが見つかりません。
何の情報がどう入ってくるかで、人生のありようや心の安定も、考え方も他者理解も、かなり変わるとウ・サギは感じています。具体的なイメージはまだないのですが、情報の回り方に革命が起きれば世界はひっくり返るように思うので、ニュースのあり方についてはいろんな人と一緒に考えてみたいです。

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update 2025/12/3
Q.最近肥満症の広告が多くて嫌。生き方は自由だと思うんだけど、全員健康じゃなきゃ許されない?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、肥満症の広告が多くてちょっと嫌な気分。BMI25を超えたら治療が必要なんだって。
好きなだけ食べたり、健康以外を大事にする生き方も自由だと思ってたんだけど、だめ?全員スリムで健康でなければ生きるのも許されない?何のために...?

A.補足の内容も含めて実にまっとうな主張だと感じて、ひたすらにうんうんと頷いています。最近は肥満症についての広告なんて増えているのですね…。ウ・サギは広告を見る機会が少ないのですが、毛穴がどうとか、有名大学への合格率がどうとか、ああいうのは見る度に気持ちが滅入るものがあります。まず「こういうのが正しい」「良い」という価値観ありきで、話が始まっているのが怖いです……。
人間は多かれ少なかれ不健康に生きているので、人生においてどの健康をどれほど優先するかは、個人の自由だとウ・サギは思っています。肥満にならないように意識して、自分の楽しみや自由を過度に犠牲にするなら、それもそれで心が不健康だとも感じます。
公共の福祉に反しない限りは、どんな生き方ももう本当に自由だとウ・サギは思います。スリムじゃなくても健康じゃなくても、それを他の誰かにだめと言われる筋合いはないと、ウ・サギは声を大にして言いたいです!

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update 2025/12/3
Q.前質問を送った者です。ケアやサポートを受けながらの活動なら「働く」ができるかもと思いました
この記事の担当 生きかたカエル

Q.Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?の質問を送った者です。私の場合、支援やケアやサポートを受けながら、何かの活動をする形なら、楽しさや安心感を感じつつ「働く」ができるのかもしれないなと、なんとなく思います。

A.はい、その通りだと思います。あらゆる人たちがそれぞれに安心や安全が確保され、その人の力や興味関心にあった役割を果たせる社会になることをカエルはいつも願っています。そのためには今の社会のことをいろいろな角度から検証して、改めてどのような価値に基づいて社会の在り方を検討していく必要があると思っています。生きづLABOもそのための研究機関です。

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update 2025/12/3
Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」の一発言に反論します
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」のの一発言に反論します。「社会が悪い」という言葉は、誰しも社会に支えられて生きている面があるとはいえ、実際に社会に苦しめられている方の切実な苦しみから出るまっとうな言葉だと思います。この意見をどう思いますか?

A.それはカエルの発言の意図が正しく伝わっていないので、カエルの意見への反論ではないのかなと思います。カエルが表現したのは、権限や力のある立場の人が自分のことを棚に上げて「社会が悪い」と言ってしまうことを指して言いました。
カエルは「社会が悪い」という言葉そのものがおかしいとは思っていません。今社会の中に多くある生きづらさのほとんどは社会的な問題だと思うので、社会が悪いという課題意識は重要だと思います。ただ、「社会」と「個人」が敵対関係にあるのではなく、どんな個人も社会の一部であり「社会が悪い」という言葉を言うのなら、その責任の一端が自分にもあるという自覚のもとに使うべきだという意見を伝えました。そして、社会的に強い立場の人ほどその責任は重く、より簡単に使うべきではないと思っています。逆に社会的に弱い立場の人には責任は少ないと思うので、比較的、率直に大きな声で言うのは自然なことかなと思います。

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update 2025/12/3
Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。

A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。

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update 2025/12/2
Q.過去に虐待を受けて大人になっても後遺症で苦しんでいる私達にももっと目を向けて欲しい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.子供が今虐待を受けてることに対して救われるのはもちろんなのを前提の上で、過去に家族などから虐待を受けて育って大人になった今もその後遺症に苦しみながら生きてる私達にも、もっと目を向けて欲しいです。

A.カエルもずっとそれと同じことを考えています。カエルの知り合いで、精神科病院に本人の意思ではないのに長期間入院させらていた人たち(つまり、社会の仕組みによって人権侵害をされてきた人たちと言えます)と一緒に「自分たちがこんな目にあっているのを知っていて助けてくれなかった。社会としての責任を怠った」と国に対して裁判を起こしている人がいるのですが、カエルはそれを聞いて「虐待を受けている人たち、受けた人たちも同じだ!」と思ってしまいました。
こうした裁判は賠償請求をしているわけですが、訴えている人が個人的な補償を求めているというより、そうした課題に目を向けて、よくないところは認めて、今後に改善をしてもらいたいという社会全体への提案があるとカエルは思っています。裁判というのは一つの方法ですが、それ以外にも虐待などの子どもの頃の人権侵害が、大人になってからも様々な後遺症などの支障として当事者を苦しめている実態がもっと理解され、それを未然に防いだり、大人になってからのサポートも安心して受けられることを願っています。生きづLABOもそのためにやっているとカエルは思っています。

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update 2025/12/2
Q.受験生だが2月に勝つ前に人生に負けそう。物心ついたときから希死念慮を抱かなかった日はない。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生なのですが、2月に勝つ前に人生に負けそうです。物心ついたときから、生きることの難しさを知り、希死念慮を抱かなかった日は一度もなかったです。人に絶対に相談したくない理由があって、相談は断固拒否です。救いようがないでしょうか。

A.ウ・サギは学校の受験というのを実はしたことがないので、「2月に勝つ」という表現にちょっとびっくりしました。言わんとしていることはわかるのですが、受験(今現在での志望校)に合格することが、なぜ勝ちなのか?何への勝ちなのか?とウ・サギは大人を問い詰めたい気持ちになってしまいます。それは自分のしている勝負というよりは、現在の受験システムで「させられている」勝負であり、そのプレッシャーは不健全なものだとウ・サギは感じています…。海外事情にはあまり詳しくないですが、入学は簡単で卒業するのが難しいというのがわりと主流だと聞いたこともあるので、もっとやり方があるだろうと思ってしまいます。
物心ついたときから生きることの難しさを知り…には、苦しみの歴史の深さを感じました。希死念慮の言い換えや分析はいろいろありますが、自分の感性や求めるものと、周りが求めてくるものや周りの感性が合わないとき、かつその合わなさが自分への負担をもたらすとき、人は生に絶望するという側面があるとウ・サギは思っています。逆に言えば、自分の感性が世界とある程度つながったとき、自分の感性にも居場所があると感じたとき、ほんの少しくらいは救いがあるのかもしれません。何が勝ち負けかは無数の定義があると思いますが、質問者さんは毎日この世界と闘い続けてきたのだとウ・サギは感じました。

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update 2025/12/2
Q.今高校三年で、教室にいると息苦しさなどを感じる。どうしたらうまくやり過ごせる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.今高校三年です。教室にいると息苦しさ、居心地の悪さを感じます。少し理不尽なことがあると愚痴を言い合ったり教室が荒れたり、自分より頑張ってない人を下に見たり不満を言ったりなど、自分は合わないと感じます。どうしたらうまくやり過ごせるでしょうか。

A.実はカエルもカエル界の進学校で同じような思いをしたので、首が痛くなるほど頷いて読みました(カエルに首なんてあるのか?と突っ込みたくなるかもしれませんが、あるんですよ!)。カエルの場合は少し距離を置いて、そうした殺伐とした様子を見ながら、「このカエルたちはもともとこんなカエルじゃなかったのに、こんな言動をするのは今置かれている環境のせいだ」と考えてみて、高校3年生が受験戦争に巻き込まれていくことの弊害を実感しました。「自分には合わないと感じる」というのは自分の感性がしっかりと働いているということなので、ひとまずその自分の感性を労いつつ、その背景にある課題を知ったことを今後の人生に生かしていくマインドでいることで、気持ちは少し変わるでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.「働きたくない」の違う表現を考えたら「休みたい」とかが出てきた。こんな感じでいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働きたくない」の違う表現を私自身で考えたんですが、
「もう頑張りたくない」とか「これ以上の苦痛は嫌だ」とか「やりたいことをしたい」とか「休みたい」とかしか出てきません。
こんな感じの違う表現でいいのでしょうか…?

A.はい、そうした表現をする方が、社会に対して正しく理解をしてもらえるかとカエルは思います。「働きたくない」と表現すると、誤解を受けかねないと思います。だから、つまり「働きたくない」というのは、個人の気持ちという切り口からの表現で、掘り下げていくと、社会について考える機会(働くの本質は何?今の働くはどう偏ってしまっているの?…)になります。
「もう頑張りたくない」と言われれば、そう思うほど頑張り続けてきたのか、それはどういうことだ?と疑問につながりますし、「これ以上の苦痛は嫌だ」と言われれば、そう思うほどの苦痛は何だろう?と知りたくなります。また、「休みたい」と言われれば、何から休みたいのだろうかと、その発言の背景や理由を社会のこととして対話することができます。
まぁ、「働きたくない」と言われても、「どうして働きたくないのですか?」とカエルは深めたくなるのですが、相当の深める志向の持ち主ではない限り、「何、わがままなこと言ってるんだ」という印象を持たれてしまうように思います。だから、自分の気持ちを社会と結びつけて、表現する機会が、この社会が少しずつ変わっていく機会になるとカエルは思っています。でも、苦しさが強くなるとそんなことまで考える気力もなくなりそうですし、そもそも社会について知る機会も、権利について学ぶ機会も少なすぎるのでそのあたりも課題かと思っています。

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update 2025/11/30