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タグ社会派
Q.過去に虐待を受けて大人になっても後遺症で苦しんでいる私達にももっと目を向けて欲しい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.子供が今虐待を受けてることに対して救われるのはもちろんなのを前提の上で、過去に家族などから虐待を受けて育って大人になった今もその後遺症に苦しみながら生きてる私達にも、もっと目を向けて欲しいです。

A.カエルもずっとそれと同じことを考えています。カエルの知り合いで、精神科病院に本人の意思ではないのに長期間入院させらていた人たち(つまり、社会の仕組みによって人権侵害をされてきた人たちと言えます)と一緒に「自分たちがこんな目にあっているのを知っていて助けてくれなかった。社会としての責任を怠った」と国に対して裁判を起こしている人がいるのですが、カエルはそれを聞いて「虐待を受けている人たち、受けた人たちも同じだ!」と思ってしまいました。
こうした裁判は賠償請求をしているわけですが、訴えている人が個人的な補償を求めているというより、そうした課題に目を向けて、よくないところは認めて、今後に改善をしてもらいたいという社会全体への提案があるとカエルは思っています。裁判というのは一つの方法ですが、それ以外にも虐待などの子どもの頃の人権侵害が、大人になってからも様々な後遺症などの支障として当事者を苦しめている実態がもっと理解され、それを未然に防いだり、大人になってからのサポートも安心して受けられることを願っています。生きづLABOもそのためにやっているとカエルは思っています。

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update 2025/12/2
Q.受験生だが2月に勝つ前に人生に負けそう。物心ついたときから希死念慮を抱かなかった日はない。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生なのですが、2月に勝つ前に人生に負けそうです。物心ついたときから、生きることの難しさを知り、希死念慮を抱かなかった日は一度もなかったです。人に絶対に相談したくない理由があって、相談は断固拒否です。救いようがないでしょうか。

A.ウ・サギは学校の受験というのを実はしたことがないので、「2月に勝つ」という表現にちょっとびっくりしました。言わんとしていることはわかるのですが、受験(今現在での志望校)に合格することが、なぜ勝ちなのか?何への勝ちなのか?とウ・サギは大人を問い詰めたい気持ちになってしまいます。それは自分のしている勝負というよりは、現在の受験システムで「させられている」勝負であり、そのプレッシャーは不健全なものだとウ・サギは感じています…。海外事情にはあまり詳しくないですが、入学は簡単で卒業するのが難しいというのがわりと主流だと聞いたこともあるので、もっとやり方があるだろうと思ってしまいます。
物心ついたときから生きることの難しさを知り…には、苦しみの歴史の深さを感じました。希死念慮の言い換えや分析はいろいろありますが、自分の感性や求めるものと、周りが求めてくるものや周りの感性が合わないとき、かつその合わなさが自分への負担をもたらすとき、人は生に絶望するという側面があるとウ・サギは思っています。逆に言えば、自分の感性が世界とある程度つながったとき、自分の感性にも居場所があると感じたとき、ほんの少しくらいは救いがあるのかもしれません。何が勝ち負けかは無数の定義があると思いますが、質問者さんは毎日この世界と闘い続けてきたのだとウ・サギは感じました。

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update 2025/12/2
Q.今高校三年で、教室にいると息苦しさなどを感じる。どうしたらうまくやり過ごせる?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.今高校三年です。教室にいると息苦しさ、居心地の悪さを感じます。少し理不尽なことがあると愚痴を言い合ったり教室が荒れたり、自分より頑張ってない人を下に見たり不満を言ったりなど、自分は合わないと感じます。どうしたらうまくやり過ごせるでしょうか。

A.実はカエルもカエル界の進学校で同じような思いをしたので、首が痛くなるほど頷いて読みました(カエルに首なんてあるのか?と突っ込みたくなるかもしれませんが、あるんですよ!)。カエルの場合は少し距離を置いて、そうした殺伐とした様子を見ながら、「このカエルたちはもともとこんなカエルじゃなかったのに、こんな言動をするのは今置かれている環境のせいだ」と考えてみて、高校3年生が受験戦争に巻き込まれていくことの弊害を実感しました。「自分には合わないと感じる」というのは自分の感性がしっかりと働いているということなので、ひとまずその自分の感性を労いつつ、その背景にある課題を知ったことを今後の人生に生かしていくマインドでいることで、気持ちは少し変わるでしょうか。

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update 2025/11/30
Q.「働きたくない」の違う表現を考えたら「休みたい」とかが出てきた。こんな感じでいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働きたくない」の違う表現を私自身で考えたんですが、
「もう頑張りたくない」とか「これ以上の苦痛は嫌だ」とか「やりたいことをしたい」とか「休みたい」とかしか出てきません。
こんな感じの違う表現でいいのでしょうか…?

A.はい、そうした表現をする方が、社会に対して正しく理解をしてもらえるかとカエルは思います。「働きたくない」と表現すると、誤解を受けかねないと思います。だから、つまり「働きたくない」というのは、個人の気持ちという切り口からの表現で、掘り下げていくと、社会について考える機会(働くの本質は何?今の働くはどう偏ってしまっているの?…)になります。
「もう頑張りたくない」と言われれば、そう思うほど頑張り続けてきたのか、それはどういうことだ?と疑問につながりますし、「これ以上の苦痛は嫌だ」と言われれば、そう思うほどの苦痛は何だろう?と知りたくなります。また、「休みたい」と言われれば、何から休みたいのだろうかと、その発言の背景や理由を社会のこととして対話することができます。
まぁ、「働きたくない」と言われても、「どうして働きたくないのですか?」とカエルは深めたくなるのですが、相当の深める志向の持ち主ではない限り、「何、わがままなこと言ってるんだ」という印象を持たれてしまうように思います。だから、自分の気持ちを社会と結びつけて、表現する機会が、この社会が少しずつ変わっていく機会になるとカエルは思っています。でも、苦しさが強くなるとそんなことまで考える気力もなくなりそうですし、そもそも社会について知る機会も、権利について学ぶ機会も少なすぎるのでそのあたりも課題かと思っています。

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update 2025/11/30
Q.頑張っても結果が伴わない。親や先生からの期待をすごく感じてしまう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.頑張っていると自分では思っているのですが、結果が伴いません。親や先生、人からの期待や押し付けのようなものをすごく感じてしまいます。それに応えようとして努力したら妬まれたりします。どうしたら頑張ったことを認めてもらえると思いますか?

A.頑張ったことを認めてもらう方法ですか、なるほど…。他者がどう感じどう行動するかをコントロールすることはできないので(お願いすることはできますが)、今認めてくれていない人へのアプローチを頑張るよりは、認めてくれそうなタイプの人を探すほうをウ・サギは基本おすすめしています。
今の社会は「努力はすべきだし、良いことである」「結果を出せない努力なら意味がない」といった風潮があるとウ・サギは感じるのですが、その二つともに異議あり!と思っています。努力はするもしないも、その人の自由で、良いことかそうじゃないかは本人だけが決められるものだと思います。また、努力した当人が満足できるだけの結果が出なくても、プロセスに大いに意味はあるとウ・サギは感じています。努力するからには目標や理想があり、それに対しての達成度を結果としてジャッジするのだと思いますが、何かをやってみて何が身につくか、得られるかは、もっと複雑で多様なものだとウ・サギは思っています。自分のパフォーマンスを上げようとしてみた調査結果を得られる、適性を知る参考になる、自分のキャパの把握につながるなどのデータをとれるのは確定の成果だと思いますし、努力の結果しんどくなってこうやって質問する行動に出て、そこで何かが得られたのだとしたら、それもつまりは努力の結果が出たということだとウ・サギは思うのです。
(補足にあった運営のアイデアもありがとうございます!実現するかはわかりませんが、とても参考になりました)

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update 2025/11/30
Q.行きたいところはないが家が嫌で出かけている。泣きそう。
この記事の担当 所長室

Q.特に行きたいところはなかったのですが、家で家族と関わるのがどうしても嫌で、出かけています。行きたいところもやりたいこともなく疲れ果てているのでカフェでぼんやりしてます。家に帰りたくなくて、泣きそうです。

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update 2025/11/29
Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う
この記事の担当 所長室

Q.精神疾患や発達障害の治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。

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update 2025/11/29
Q.支援学校までしか行っていなく、これからの生き方がわからない。どうしたらいいだろうか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.支援学校までしか行ってなくてこれからの生き方がわかりません。学力もなくやる気も出ません。どうしたらいいでしょうか

A.カエルも支援学校についてはわりと実態を知っている方ですが、支援学校は一人ひとりに応じた学びを提供してくれる教育環境としては、悪くないと思っているところがあります。ただ、世間からの評価として支援学校が通常の学校よりも劣るという理解をする人が多いかもしれません。学力に関しても、確かに今の社会では高い方が低いよりも優遇されてしまうので、学力がないと生きるうえで困ることも少なくないかもしれません。ただ、カエル的には身近に支援学校を出て、その人なりに生きている人もいますし、学力がなくてもぼちぼち生きている人もいれば、学力があってもかなりしんどい状況の人もいます。だから、カエルとしては、学力や学歴ではなく、あなたのやる気が出ない要因は他にありそうだと思っているところでした。何はともあれ、何かをしようと思ったときに最も大切なのは自分を知ることだとカエルは思うので、誰か自分のことを一緒に考えてくれる人と話してみてほしいと思いました。もしすぐに見つからなければ、いつでも質問をください。

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update 2025/11/28
Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は差別的なニュアンスでは無かったように記憶している
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は精神科医、心理職、当事者を幅広く含む精神疾患と闘う人達のようなニュアンスで差別的では無かったように記憶しているのですが、いつ頃の時期から差別的に使われるようになってしまったのか気になっています。

A.この配信での「Q.私は「メンヘラ」という言葉は、差別用語に感じます(以下略)」を見ての質問ですね。ウ・サギは歴史については無知だったので、情報ありがとうございます。
言葉は、誰がどう使うかによって、時代の移り変わりによって、意味合いやニュアンスが変化していくものですよね…。差別的に使われているか、そうではないフラットなものとしてあるかは、コミュニティによっても変わると思います。ウ・サギの周りはメンヘラを差別したり軽んじたりする風潮が全くないので、ウ・サギはメンヘラを名乗ることも時々します。
属性についての表現は、周りが「あの人は○○だ」と勝手にカテゴライズして、それだけでわかったようにああだこうだ言い始めると、よろしくないことが起こっていくように思います。ウ・サギが初めてメンヘラという言葉を見たのは、ネットでの「彼女がとんでもないメンヘラだった」みたいな男性視点の話だった記憶があるので、そうやって周りが使うようになって、差別的な表現や不適切な理解につながりかねないものになっていったのでしょうかね……。抑圧されている側が自分の苦しさに名前をつけたり、その言葉を使って自分のことを語るのは大切だと思うのですが、抑圧している側がその言葉を好き勝手に使って語るのは、とても暴力的なことなのだろうとは感じます。

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update 2025/11/28
Q.どうしても働きたいと思えない人は、死ぬしかないのでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生活保護は、
働けるのに働かない人は受給できないといった感じのことを、
良くないことですが、
中古本店で立ち読みした生活保護に関する本で見ました。

では、
どうしても働きたいと思えない人は、
死ぬしかないのでしょうか?

A.少し前にも「働く」ことについて回答しましたが、世の中の「働く」のスタンダードがおかしくなってしまっているので、「働けるのに働かない人」の誤解を生みだしているように思います。

カエルはの認識では、どんな人でも、自分の持っている資源を活用して働くことができると思っています。もしも、働けない人、働きたくない人がいるとしたら、それは働くための条件や準備が整っていないことが理由だと考えます。
例えば、体が健康な人がいたとして、でも、オオカミに育てられたとしたら働くことができないだろうと思います。それはなぜかというと、教育の機会がなく、学ぶことができなかったからです。それと同じように、その人の学び方に応じて必要なことを学ぶチャンスが、実はあるようでありません。

ポイントは「その人に応じた学び」の保障です。
学校の学び方はどうしても画一的で一方的であるがゆえに、それに合わない子どもは一定数います。また、生活が不安定で学ぶどころではなく、学ぶチャンスを得られなかった人もたくさんいます。虐待やいじめなどの暴力に怯えていたら、学ぶことができません。自分に降りかかる危険のために備えること、回避することにエネルギーを注ぎ、生き抜くための特殊なサバイバルスキルは身につくかもしれませんが、それが働くことに役立つかというと役立つことは少なく、多くは働くことを阻害してしまいます。

そして、人々が働くことを最も妨げているのが、日本社会の「働く」の大部分が、企業の都合で人材や働き方が決められていることです。
それに無理なく合う人もいるかもしれませんが、少なくない人たちが、その枠にはまろうとして無理をしています。無理をしてストレスや疲労が蓄積する人もいますし、合わせすぎて心身を崩す人もいます。また、合わせられない人は「働けない」「社会に適応できない人」という一方的な評価をされてしまいます。本当の課題は、ものすごく狭い枠にいろいろな人たちをはめすぎていることなのに、ハマれない人のせいになります。これは本当におかしなことです。

つい、熱くなりました…苦笑 カエルは世の中の「働く」を見直したいと思っています。このように「働く」が変わるとしたら、質問者さんの意見はどうなりそうでしょうか。
今の「働く」を見直すためには、質問者さんのように、今の働くことへ疑問や絶望がある人の声が必要なので、死ぬしかないどころか、生きて意見を届けてほしいとカエルは思っています。

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update 2025/11/28