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タグ社会派
Q.発達障害かどうかって大事?発達障害という言葉が濫用(?)されすぎていて余計に生きづらい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.発達障害かどうかってそんなに大事ですか?発達障害という言葉が濫用(?)されすぎていて、余計に生きづらく感じています。

A.カエルも発達障がいかどうかということそのものはそんなに大事じゃないと思っています。発達障がいというひとくくりにするのはおかしいと思うからです。ただ、何かしらの説明がないと理解してもらえない人たちや誤解されてしまうような人たちがいることは確かだと思います。そのうちの代表的なものが発達障がいだと理解しています。
だから、発達障がいと説明したらこれまでよりわかってもらえるとか、誤解されなくなるのなら使えばいいと思いますし、別にそうした説明が役に立たないと思ったら使わなくてもいいと思います。そもそも、発達障がいかそうじゃないかというより、個人はそれぞれ違っていて、それなりの得意不得意もあり、感じることも考えることも違うし、その人なりの道理や背景や考えがあることを多くの人たちが理解するような世の中になれば、いちいち診断をしなくてもいいように思います。
でも、ちょっと人と違っているだけであれこれ言われたり、普通は~~とか当たり前には…などと、標準化を求められるようなクセはなかなかすぐには変わらないのかなと思うところもあり、だからこそ、不本意ではあるけれど、ある種の特徴を持った人たちをグループにして名前を付けて、わかりやすくし、社会サポートが届くようにしようとすることは必要な側面があるとは思います。
ただ、あなたのようにモヤモヤする気持ちもわかあるので、こうして議論できる機会があるのがいいですね。

update 2024/12/12
Q.子どもたちに色々な学びの場を提供するのがオトナの義務なら、それをしてない人は憲法違反?
この記事の担当 うさえなが

Q.子どもたちに色々な学びの場を提供するのがオトナの義務で、それを活用する権利が私達にあるわけでしょ?でもさ、今の社会では学校以外の学びの場が充実してない。充実させようともしてない大人たちって、憲法違反ってこと?

A.よくわからない・・・けど、きっとそうだ!
え?カエルが「違うよ」って言ってる・・・

*生きかたカエルから補足*
憲法や権利、義務について興味を持つのはとても大切なことだと思います。
でも、残念ながら憲法についてはちゃんと学校で教えてくれないのですよね。三大原則とか義務とかそう言った内容が断片的に教科書に出てきて、その断片的なことだけ理解するのは誤解を招くことも多いとカエルは思います。カエルも大人になって、自主的に法律の勉強をしてはじめて憲法や法律ってこういうことなのかと思ったので、少しお伝えしたいと思います。
憲法も法律も「法」ですが、一番大切なのは「法の趣旨」というものなのです。「法の趣旨」とはその法がなんのためにあるのかという目的のようなイメージです。
憲法は特殊な法で、他の法律が私たち国民が守るべきルールであるのに対して、憲法は国家(権力)の暴走を防ぐために、国家権力に歯止めをかけるために国民が課しているものなのです。他の法律含めて、どんな法も民主主義の国では私たち国民が決めています。とはいっても、直接考えたり決めたりはしないので、代議制といって自分たちが選んだ代わりの人(議員さんですね)に任せるわけですが。
なかでも、憲法は特別です。国権の最高法規として、とても大切なことが書いています。その背景としては、権力というものはとても怖くて、これまでも何度も権力を持った人たちが暴走してしまう歴史がありました。そのような暴走をできるだけしないよう歯止めをかける重要な存在が憲法です。だから、一個人が憲法違反になることはないと言えます。
あなたの質問でいうと、子どもの学ぶ権利をちゃんと保障していない実態があるのとしたら(カエルもあると思っています)、大人の存在をある種の権力と見たときに、憲法違反といえるかもしれませんね。子どもからすると、大人の存在は権力なので、子どもの意見や子どもの利益を考えずに、大人が「絶対に学校に行きなさい」「学校で学ぶのが勉強だから他のところは意味がない」などと勝手に決めてしまうとしたら、それは権力の暴走ですし、そういった社会を放置している意味で憲法に違反していると言えるのかもしれません。
とても、大切な視点の質問をありがとうございました。

update 2024/12/11
Q.なんで「働く義務」って言われてるの?
この記事の担当 うさえなが

Q.なんで「働く義務」って言われてるの?だって、働きたくても働けないひともいるし、働きたくない人もいるじゃん。なのになんではたらかなきゃいけないの?好きなことして好きに囲まれて生きるのはできないの?(仕事が好きな場合は除く)

A.我は働きたくなーい
美味しいものに囲まれて生きたいな

*生きかたカエルから補足*
働くという意味によっても違ってきますが、生きていくために必要な物事を確保するためには一定程度「働く」必要はどうしても生じます。

食べる物を確保する、それを食べられるように調理したり、そして片付けたり、ゴミが出るとそのゴミも適当に放置するわけにもいかないので、ゴミを適切に処理する必要も出てきます。また、生活するために必要な水や電気、ガスなどを維持管理する仕事もありますし、それこそ子育てや介護もする人がいないと、困ります。病気になった時の病院も必要なので、お医者さん、看護師さん、その他の病院スタッフが働いてくれないと困ります。
移動するためのバスや電車、車を使うのなら車をつくる人もいるし、整備する人もいるしガソリンスタンドも要りますね。
私たちが一定の生活水準を保って暮らすためには、そのための仕事があり、それを分担するのが社会の最低限のルールだとカエルは思っています。

ただ、今の社会では生きていくための最低限の仕事の上に、個人の財産を増やすためにできてしまった膨大な仕事があると思っています。そこまでやる必要がないとか、あってもなくてもいいとか、生活というより、お金を増やすために作ってしまった仕事に暮らしが圧迫されている傾向はあるとカエルは思います。
結論としては人間は一人で生きていけないので、社会という共同体を構成し、支え合って生活を成立させているため、働くことは必要です。ただ、どれだけどのように働くのか、お金を稼ぐことだけが働くことではないなど、「働く」という意味を改めて整理したり、考えたりした上で、「働く義務」ということが言えるのではないかと思います。
生きるために働くを通り越し、意味を吟味しないでやみくもに「働く義務がある」と片付けるのはよくないです。あなたのように「なんで、はたらかなきゃいけないの?」と疑問に思って、考えることがとても大切だと思います。

update 2024/12/11
Q.生まれて10年かそこらで、その後の大まかに人生(仕事とか)を決めるの子供たちきつくない?
この記事の担当 うさえなが

Q.生まれて10年かそこらしか生きてないのに、その後の大まかに人生(仕事とか)を決めていく。途中で仕事とか変えてもいいんだろうけど、でも人生半分も生きてないのにそれで釈迦に出させるって子供たちなんかきつくない?

A.うん、うん、きつい!
仕事なんてしたくないよね~

*ウ・サギから補足*
話しぶりからすると、あなたは10代のうちに、その後の大まかに人生を決めていく必要があるように感じているのでしょうかね。
また、社会に出ることや、働くこともハードで失敗の許されないことのようにイメージしてると感じたのですが、「まあ学校や社会がそう脅してくるもんな…」と納得もしながら聞いています。
ウ・サギは学校を出てからも、10年間くらいは「社会で自分らしく生きるための試行錯誤の期間」と定義して、みんな転職しやすかったり、少ない稼ぎでも何か補助が出て生活できればいいのにと思ったりします。

update 2024/12/4
Q.学歴社会はなんで変わらないの?このLABOの人みたいに変えようとしている人もいるのに
この記事の担当 うさえなが

Q.「勉強だけが全てじゃないよ」っていうひとがいるけれど、今の社会って学歴社会じゃないですか。なんでですか?また、このLABOの人たちみたいに、そんな世界を変えようとしてる人がいるのに、なんで変わらないんですか?私は何ができますか?

A.んん~、なんでだろう?
我にはわからない~

*生きかたカエルから補足*
変わらないのは…
ずばり、このLABOが弱小だからです!
だから、こうやって参加してもらっていろんな意見を伝えたり、議論する機会が増えることが一番大切だと思います。
あなたも、ここだけじゃなく、いろいろなところで意見を伝えてもらえるといいかな思います。
ご質問、カエルとしてはとても励みになりました。ありがとうございます。

update 2024/12/4
Q.応募できそうな求人も「心身ともに健康な方」とあると応募を諦めます。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.応募できそうな求人を見つけても、条件に「心身ともに健康な方」とあると応募を諦めます。健康でないと金がかかる上に働くこともできず詰んだという感じです。心身ともに不健康な自分から見た社会には心身ともに健康な人なんてほとんどいないように見えます。

A.カエルも同感で、心身ともに健康な人は少ないかもしれませんね。
そもそも、健康は個人の素質、資質というより、どんな社会で暮らしているのかつまり社会環境が大きく影響していることだと思います。
例えば、食べる物があまり体によくない物であふれていたり、ストレスがいっぱいの労働環境だったり、家庭や地域社会でいじめや暴力などがたくさんあったりすれば、健康な人は少なくなるでしょう。
つまり、人々の健康は社会のバロメーターであるという側面があるとカエルは思っています。そういう意味では、今の社会はけっこうボロボロなところがありそうです。
ただ、そうはいってももともとの心身の丈夫さは人によって異なりますし、体も心も健康ではなくなる時もあることも自然なことです。「心身ともに健康な方」という条件を出すところは、『労働環境が過酷だから丈夫な人にしかおススメしません』と注意喚起をしているという見方ができます。
応募を諦めるというより「その条件は自分には合いそうもない」と取りやめるのは賢明な選択だとカエルは思うのでした。

update 2024/12/4
Q.普通になりたい。でも本当はこんな社会に馴染みたくないって思ってる。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.普通になりたい。社会で浮くことも沈むこともないようになりたい。でも本当はこんなクソみたいな社会に馴染みたくないって思ってる。きっと社会を馬鹿にしてるから社会に受け入れてもらえないんだ。

A.「普通」って実にいろいろなイメージや表現があると思っていましたが、「浮くことも沈むこともない」が普通のイメージなのですね。
そうなると、何が浮くのか、何が沈むなのか?と次なる疑問が湧きます。カエルにはよくわかりません。
きっと、「普通になりたい」という言葉は何かを象徴して使っている表現だと思うので、あなたなりの別の言葉で言い換えてみると何か糸口が見えてくるのかもしれません。
ただ、何らかのヒントは自分の中にあるように感じました。
自分が他の誰とも違う自分でしかないと思ったとき、あるいはそうありたいと思ったとき、誰もが普通ではいられないのだろうと思います。そして、そういう人が増えていったら、それが普通になると思っています。
でも、そうなると別の人が別の意味でやっぱり「普通になりたい」って思うような気がしています。(ぐるぐるしてきました…)

update 2024/12/4
Q.みんな必ず一つは得意なことがあると聞くけれど自分にはありません
この記事の担当 ウ・サギ

Q.みんな必ず一つはいいところがあるとか得意なことが絶対ある!とよく聞きます。でも、自分にはありません。例えあったとしても、社会を生き抜くためには何も役に立たなければ苦しいだけです。甘えているって言われたら否定できないけど、しんどいのも本当です

A.「みんないいところや得意なことがある」的な言葉は、「能力があるのがいいことだ」「生き抜くためには能力が必要だ」といった能力主義のメッセージであるようにウ・サギは感じるので、う~ん・・・ともやもやすることが多いです。

だから世間には、そんな言葉はちょっと控えてもらって、どんな人にでも活躍の機会がある、もっとゆるくて自由な社会を作ることを頑張ってほしいと思います。
ウ・サギは、人権侵害がなく、みんながご飯を食べることができて、地球環境を維持できる社会で生きていたいのですが、その社会を作る上で、個々に何かいいところや得意なことが必要だとは思いません。
あまり回答になってなくて申し訳ないですが、そんなことを考えました。

update 2024/12/4
Q.自殺対策強化月間にモヤモヤしています。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自殺対策強化月間にモヤモヤしています。CM等で何故わざわざ言うのかな?と思います。とりあえずやってますアピールに思えてきたり。きっと彼ら(?)にとって理解し難い得体の知れない生き物で面倒だから極力触れたくないのだろうと思ったりしました。

A.確かに…CM等で何故わざわざ言うのか?まっとうな感覚に思います。
多くの人が相談や支援につながる/多くの人がその問題に目を向ける=自殺対策につながっていくと考えると、広報戦略をするのは一つの有効なアプローチではあるのでしょう。
モヤモヤするのは、その情報発信に込められた(あなたが感じ取った)メッセージが、死にたいと思っている人のことを十分に想像できているように見えないからなのかな、と思いました。
だからそのモヤモヤは、とても大切なものとして受け止めたいです。叶うことなら、「やってますアピールを感じるのはどのへん?」「その”彼ら(?)”ってイメージはどう出てきたの?」など、もっとモヤモヤを細かく聞き取ってみたいです。

一応自殺対策をやっている立場でも語らせてもらうなら、強化月間があることによって自殺対策にコストとエネルギーが集まり、色々な試みができるという点では、そこそこ有効に感じています。

update 2024/11/29
Q.自分は「大人の義務」を果たす立場にあるのに「もっと守れ」などの感情しか出てこない
この記事の担当 生きかたカエル

Q.どうしたら大人になれますか。
自分は既に、選挙とか労働とか子どもの意見を受け止めるとかの「大人の義務」を果たさなければならない立場にあるのに、「もっと守れ・もっと与えろ」という感情しか出てきません。私は弾き損ねた欠陥品なのでしょうか。

A.あなたの書いている「大人」とは一定の年齢や形式的な肩書ではなく、社会に貢献し、子どもたちの気持ちを受け止め、守れるような実態を持ちたいという意味での「大人になる」ということなのだろうと受け取りました。
もし、その理解で合っているのなら大人になるための方法はただ一つ「ちゃんと子どもをやること=(子どもの権利を守られること)」だろうと思います。
「もっと守れ・もっと与えろ」という感情しか出てこないという現状は積み残された権利があるのだろうとカエルは思うので、年齢は関係なく、子ども時代に保障されなかった権利を保障されるような経験をすることをおススメします。
ただし、現実としては年齢が大人になると、子ども時代なら周囲の大人や社会から保障されていたいろいろな権利が「自分の責任で守ってね」とされてしまします(カエル的にはこの世の三大理不尽の一つに認定したいぐらい)。だから、あなたもジレンマを抱えているのだろうと思います。
したがって、あなたは弾き損ねた欠陥品ではなく、子ども時代に権利保障の機会をどこかで逃してしまっただけだと思うのです。
積み残した権利をできるだけ取り戻す機会を探っていくことが大切だと思いますが、なかなか現実は厳しいです…。
ただ、大人をめぐるこうしたジレンマを自覚し、大人になることをこのように真剣に考えていることをもって、カエルからは立派な大人認定をしたいと思います。権利の積み残しはありながらもこのような悩みや苦しみをわかっているのは、まさに大人なのです。

update 2024/11/28