Q.外出時に、ヘルプマークをカバンにぶら下げたいけど、いつも躊躇してつけられずにいます。目に見えない病気に理解のある人ばかりの社会ならいいですが、そうではない人もいるので難しいです。何か良い解決策はありますか?
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Q.外出時に、ヘルプマークをカバンにぶら下げたいけど、いつも躊躇してつけられずにいます。目に見えない病気に理解のある人ばかりの社会ならいいですが、そうではない人もいるので難しいです。何か良い解決策はありますか?
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Q.Q.子どもの願いを一緒に叶えなくてはならないのかと、子ども時代そうされなかった大人が思うのは仕方ない?の質問回答を見て、
俺の場合、どうしても子供のサポートをしたいと思えないし、むしろ子供のようにお世話されていたいと思っているけれど、
それは俺が子供時代に子供をできていなかったからなのかもしれないと感じました。
そして俺個人は、年齢関係なく個々人に合ったサポートや支援を受けられる社会がいいな、と思います。
どう思いますか?
A.子どもをサポートしたいかしたくないかはそれぞれでいいと思います。カエルとしては、大人だからとか子どもだからとか、障がいがあるからとか、ないからとか、お金持ちだからとか、貧乏だからとか固定化した役割で責任や義務が生じるというのではなく、どんな人でもそれぞれが自分ができそうなことをちょっとずつやるぐらいの気持ちで持ち寄ってみたら、世の中にもっといい循環ができそうな気がします。
カエルは制度とか立場とか関係なく、力を貸してもらいたいことと力を借りたいこと、困っていることを気軽に出せて、マッチングするような仕組みがあるといいのになぁと思っています。困りごとできることマッチングアプリ的なもの??そうはいっても、まずは子どもが子ども時代に子ども時代を過ごせるようにするのが先ですね。とてもシンプルだけど、簡単ではないテーマです。生きづLABOで考え続けたいテーマだと思いました。
回答:生きかたカエル

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Q.社会は私を助けてくれなかったのに、なんで私が社会のために頑張らないといけないんですか?
A.カエルも特別誰かに助けられた!とはあまり感じていませんが、感じなくても事実けっこういろいろな恩恵を受けているものだと思っています。恩恵は空気のように当たり前のものとなって気付きにくいですが、助けてもらえなかったことやひどいことをされたことは忘れられないので、意識にのぼりやすいとカエルは思うのです。ひどいことをしてきた相手がそれに無自覚で、自分に当然のように貢献を求めてくると感じるなら、余計に意識にのぼることも多くなるだろうと思います。
助けることとか役に立つことを、カエルはもっとひろ~いものだと思っています。毎日食べている食べ物も使っているもの(こうして使っているパソコンやスマホやインターネットなどの通信手段)も、当たり前に享受していますが、カエルの力だけでは何もできず頼りきりだと思います。そして人間が生み出したシステムだけではなく、水や空気も人間とカエル同じく必要不可欠な存在で、助けられていることを忘れたくないとカエルは思っています。カエルは水や空気に支えられていると思うから、必要以上に水や空気に負荷をかけたくないと思うし、カエルにできるちょっとした努力はしたいと思っています。
ちょっと質問者さんの話とはズレてしまったかもしれません。カエルは社会を地球規模でとらえてしまうので、一方的に助けられてばかりの人もいなければ、一方的に誰かの役に立ち続けている人もいないと感じるのです。
回答:生きかたカエル

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Q.Q.生きかたカエルさんが「障害」ではなく「障がい」と使う理由は何ですか?の質問を見て調べたのですが、「障害」表記のほうが生きづLABOには合っているんじゃないかなと疑問に思いました。
A.編集注:障がい表記は個人の属性に「害」は良くないという個人モデルの発想で、社会モデルで考えるなら障害は社会にあるのだから、障害表記の方が適切なのでは?という話になります。補足には他にも質問者さんの考えが丁寧に書いてありました。
*生きかたカエルから*
質問者さんのご意見はごもっともで納得できるものと感じました。結論から言うと、ぶっちゃけカエルは使いたい人によってどちらでもいいと思っています。カエル的には「害獣」「害虫」という概念になじんでいるゆえ、「障害者」の表現にはその人自身が何かしら害があるような印象に直結してしまい、漢字を使うことに抵抗があるため、平仮名にしたい派です。そもそも、害獣や害虫も人間の都合でつけられた失礼な表現ではあるのですが…。社会モデルで考えたときの合理性はわかりますが、自分の属性表記に「害」が入っているのは嫌だなぁと思う人がそれなりに多いのであれば、できるだけ使わないようにするという方針もあるとは思っています。ただ、(補足に書いてあった)平仮名にしただけで配慮した気になってしまう危惧も「それな」と思います。本来は、漢字が平仮名かという問題ではなく、こうして議論できることがもっとも大切なのだろうとカエルは思いました。
*ウ・サギから*
たしかにその方が筋は通っているなと思いつつ、だとすると○○障害ではなく、さらに厳密なニュアンスで言葉を作りませんか…?と前のめりになってしまうウ・サギです。例えば発達障がいについては、状態像で言うなら「社会生活不具合(発達特性に起因)」、性質だけで言うなら「発達特性マイノリティ(我が道、自己完結傾向)」といった感じが希望です。発達障がいについて話を続けると、ウ・サギは神経多様性の捉え方をしているので、実は発達障がいという言葉自体、本当は使いたくないなあという気持ちもあります。とはいえ実際に社会が障害を生んで不利益や不便を被っている当事者がいる以上、多様性だなんて綺麗な言葉で片づけていいものではないと感じますし、少数派というより不当に劣位に置かれているという意味で広まってくれるなら、発達特性マイノリティが一番いいのでしょうかね……。カエルさんの言う通り、こうして議論できることが大切だとウ・サギも思うので、いい質問をありがとうございました。
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Q.結局人間は自分が都合の良いように物事がいって欲しくて、そのためならズルい方法や考えを駆使するんだなぁ、と思います。
そんなことを考えていたら、すべての人が歪んで化け物みたいに見えてきて辛いです。どうしたら少しでも楽になるでしょうか。
A.それに気づいてしまいましたか…。たしかに、人間にはそういった側面があるとウ・サギは思います。でももちろん、希望の抱ける側面、そういったものを乗り越えてお互いを尊重し合う力もあるのが人間だとウ・サギは思っています。
自分の都合の良いように(もう細かく分ければ、自分にとってわかりやすい、対処しやすいように、自分が変わらないでいいように、否定されないように)物事がいってほしい気持ち自体は誰にでもある、自然なものなのだろうとウ・サギは考えています。それは、自分の予想が外れるのも、予想外のことに対処するのも、自分を変えるのも、大変なことだからです。人間の脳のキャパを超えて今の社会が複雑になりすぎたから仕方ないのかなと思いつつ、でも複雑に見えるだけで本当はシンプルであるはず…とか、予想外のことや答えのないことも受け止めて揺れ動きながら進んでいく力(ネガティブケイパビリティと呼ばれるやつですね)をもっと発揮できるはずとか、それこそ「まだ人間界には希望がある」とウ・サギの都合の良い世界を求めてぐるぐるしている今です……笑
ただ、ズルい方法や考えをあまり駆使するのは困りますよね……。大問題なのは、立場が上の人が強引にこれをやることだとウ・サギは感じています。そしてさらに困ったことに、ズルをされた側が「私はこう感じました!あなたはズルい」と言わないと(これは直接言わず、誰かを介して全然OK)、ズルをした側はなかなかそれに気づけないのですよ……。だから、人が化け物というのはちょっと違って、化け物状態になってしまっている人がたくさんいる、というのが正確なところなのかなとウ・サギは思っています。それもそれで残念でつらいことではありますが、人間は環境次第で化け物にもなれるし、化け物じゃない何かになることもできるのだとウ・サギは思います。
回答:ウ・サギ

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Q.大人はみんな、悩みがあったら1人で抱え込まず誰かに相談しなさいというけど、そんなのただの綺麗事だと感じるし、そういう声があってもオーバードーズしてしまう若者が増えていたり、辛さや苦しみを話せない人がいなくならないのはどうしてだと思いますか。
A.実に鋭い質問で、大人が向き合わないといけない、大切な問いかけだとウ・サギは思いました。
ウ・サギの答えとしては、そもそも相談は共同作業なので、聞き手の力量が至らないという点がまずあると思っています。だから「相談しなさい」ではなく「相談してほしいので、相談をしてもらえるように頑張ります」とメッセージを発するべきとウ・サギは思いますし、そういう謙虚さや、自分自身に向き合う姿勢が、社会に不足しているように思います。(ウ・サギも気をつけないと……)
次に、大人個人の頑張りのレベルを超えて、社会に「自己責任論」という考え方、「迷惑をかけてはいけない」というウイルスが爆発的に広がっていることも理由の一つだとウ・サギは思っています。自分一人だけで生きれる人はどこにもいませんし、本来、社会というのは助け合い、支え合いで成り立っているものなのですが、みんなそれを忘れてしまって、「困るのは自分のせい、自分の努力でどうにかするべき」という考えが広まってしまっています。生きづLABOとしては、その「迷惑をかけてはいけない」ウイルスに非常に危機感を抱いており(ウ・サギの心の中にも、油断すると増殖してきます)、みんなと一緒に考えていきたいと思っています。
また、コミュニケーションについて、相手の求めている正解を言う形で生き延びるしかなかった人が多いことも、もっと大人は知って考えないといけないとウ・サギは思っています。
1人で抱え込まずに相談してほしい(ウ・サギの感覚で言うならシェアしてほしい)とウ・サギも思うのですが、どうしたらそれが綺麗事ではなく広がるのか、向き合って試行錯誤していきたいです。鋭い質問をありがとうございます。
回答:ウ・サギ

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Q.働けば働くほど、自分は搾取されているんじゃないかと思ってしまいます。ありがとうと言われるために人を手伝うわけじゃないけれど、何も言われないと寂しいと思ってしまう自分がいます。どうしたらいいでしょうか。
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Q.私は統合失調症を患っていますが、自分の病気がコンプレックスで仕方ないです。以前に「統合失調症患者がちゃんとしないから、他の精神疾患が悪く言われる。」と言われてから、自分の病名を言うのもだいぶ躊躇うようになりました。
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Q.大人はどうしてあんなに自信満々で侵襲的なのでしょうか。どうして相談しなかったの!とキレる前に、自分が相談するに値するふるまいをしているか反省してほしいのですが、そう思うのはおかしいですか。
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