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タグ社会派
Q.トランスジェンダーが危険人物扱いや性自認は自称しているだけ扱いされることをどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.トランスジェンダーがトランスジェンダーであるというだけで「危険人物」扱いや「性自認は自称してるだけ」扱いされていることについてどう思いますか?
また、Q.場面的トランスジェンダーについてどう思いますか。のウ・サギさんの回答で「立場の弱い側の安心が優先されてほしい」という表現がありましたが、「トランスジェンダーは立場の弱い側を脅かす立場の強い側だ」みたいに扱っている表現に感じてしまい、トランスジェンダーに対する「危険人物」扱いを助長するような表現に感じてしまいました。また、トランスジェンダー側の安心や安全が無視された表現とも感じました。
それで、見ていてすごく苦しくなってしまいました。そのような意図ではなかったと想像しますので、申し訳無いのですが、すごくつらかったので、伝えます。

A.まず、トランスジェンダーがトランスジェンダーであるだけで「危険人物」扱いや「性自認は自称しているだけ」扱いされることは、何の根拠があってそんなことを言っているんだ…??と、怒りを通り越して訳がわからないという気持ちが強いです。もしこれらの扱いを公共の場で(たとえばSNSなどで)発信しているなら、ヘイトスピーチに該当するものだと思いますし、ヘイトスピーチという行動にはウ・サギは断固反対の立場をとります。ただし、自分の安心安全が守られていて、適切な教育を受ける機会があったときには、人はヘイトスピーチをしないと思っているので、そこは社会問題として真摯に受け止め、罪を憎んで人を憎まずの精神は欠かしたくないと考えています。
「Q.場面的トランスジェンダーについてどう思いますか。」の回答については、質問者さんも汲んでくれている通りウ・サギとしてはそういった意図はなかったですが、世にトランスジェンダーを責める文脈が根強くあることを考えると、配慮を欠いた表現だったかもしれないと自分の発信を省みています。ウ・サギはネットでの主義主張の発信を見ないようにしているのと、身近でトランスヘイトを聞く機会も一度もなかったので、そう受け取られる可能性があるという想像が浮かびませんでした。
ウ・サギは、トランスジェンダーやセクシュアルマイノリティ全体が受けている差別や不利益については、当事者から実情を聞く機会もありましたし、その中で自分の無知や特権を恥じることもこれまで多く、軽視したくないと思っています。ただ、真の公正な社会を目指したいと思ったとき、ウ・サギはセクシュアルマイノリティの問題は、ジェンダーや性愛について暴力や排除が起こった出来事すべてについて考えていく必要があると思っていて、「男性が女性を抑圧してきた構造や歴史」と「性暴力が起こっていること・その救済もまったくもって不十分なこと」抜きにして、いろいろな問題を語ることはできないとも思っています。MtFへのヘイトを向ける意図はまったくないですが、「Q.場面的トランスジェンダーについてどう思いますか。」は女性のトイレや風呂の話を指していたため、あらゆるマイノリティを包括できる表現として「立場の弱い側の安心が優先されてほしい」という表現を選びました。それは属性だけで決まるものではなく、その時々で(セクシュアリティの属性だけでなく他マイノリティ要素も込みで)誰が一番弱い立場かが変わると思うからです。
また、誰の気持ちも無視したくない大切なものですが、それだけだとマジョリティ側が「どっちも大事でしょ」と数の理論で押し切ることもまかり通ってしまうので、社会的に強い立場の人に対して、立場はどちらが強いのか・それは願いなのか安心安全の次元なのかという軸を大切にしませんか?と提案しておきたかったのも「立場の弱い側の安心が優先されてほしい」が出てきた理由の一つだったと思います。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/18
Q.ルールや法律を破ることに厳しく、例え身近な人でも注意する。私は厳しすぎるのだろうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ルールや法律を破ることに厳しいです。例え仲のいい友達や、親だろうが関係なく破ろうとする人には注意します。「ちょっとくらいいいじゃん」とか、「誰も見てないしいいよ」と言われることが多いですが、それさえも地雷です。私が厳しすぎるのでしょうか。

A.質問者さんの言っていることに近しい感覚をもつ人を何人か知っているので、どこから起こるどんな心理なのか、研究を深めたくなったウ・サギです。ウ・サギもどちらかといえばルールを守るタイプで、これを超えた違反は本当に無理というラインもありますが、質問者さんの厳しさとは、少し質は違うように感じています。ただ、仲のいい友達だろうが何だろうが、それがマナー違反を許そうとする気持ちにはウ・サギはつながらないので、その感覚には共感しています。
だから「厳しすぎるのでしょうか」と聞かれると、ウ・サギよりは厳しそうとは思いつつ、とはいえ守らなすぎるのはもっと問題があると思うし…という気持ちです。一応、ルールというのは、安全や秩序を保つための一つの「手段」であって、ルールを守ること自体が「目的」ではないとは思います。どんなものであれ、手段が目的と化してしまうのはウ・サギは怖いですが、ここまで複雑で規模の大きい社会を作ってしまった以上、法律はある程度大切にされないと危ないようにも感じます。ルールや法律は「自分を守ってくれている」存在なので、自分が守ってもらっている以上、ルールや法律を守るのが筋だとも思う気持ちも強いです。
だから質問者さんが求めているものについては厳しすぎない気もしてきましたが、そこに含まれる「許しがたい」に近いような感情(を感じています)は、ちょっとパワフルすぎるものを感じている部分はあります。強い感情は自分の経験や環境、個性が影響して生じるものだと思うので、ルールに厳しいという事実だけでなく、過程や背景にフォーカスをしてみて考えてみると、何か発見があるかもしれません。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/18
Q.暴力はあってはいけないと思うが、嫌な言動をされた場合殴ったりした方が早いのではと時々思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分は、「暴力」は絶対にあってはいけないと思っています。でも、相手が自分にとって嫌な言動をしてきて、「嫌だ。やめて!」という気持ちを言葉にしづらい場合、その相手を殴ったりしたほうが、言葉にするよりも早いのではないかと時々思ってしまいます。

A.難しい問題ですが、大切な視点での問いにも感じました。正当防衛というのがある通り、先に相手から暴力(無断で自分の境界に立ち入ってくる行為)があったのなら、暴力で対処することは必ずしも罪ではない、ということにはなる気がします。もちろんできれば殴る以外の方法を見つけたい、選びたいとは思いますが、身の危険を感じてやむを得ず、という反射的な対処としてはしてしまうこともあるだろうと思います。
殴るはやはり相手の体を勝手に触る行為なので、境界侵犯という意味では暴力になってしまうかとは思うのですが、相手を従わせることや無力化することを「目的」とした力の行使なのかそうじゃないのかで、暴力の罪深さは一段階変わるように感じます。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/15
Q.「好き嫌いの発信」と「ヘイトスピーチ」の境目ってどこにあるのでしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「好き嫌いの発信」と「ヘイトスピーチ」の境目ってどこにあるのでしょうか?
他人のしてるファッションや他人の好きなものなどに対してなら好みの発信、アイデンティティに対してならヘイトスピーチ、そのような感じなのでしょうか?
好みすら自由に言えないのは問題だと思うけど、ヘイトスピーチで誰かが苦しむのも問題だし、単純に誰かが見て傷つくか傷つかないかを基準にしてしまうのも数値化できないし個人差もあるしだから違う気がして、境目がわからず悩んでいます。
どう思いますか?
また、「何でも偏見だからと叩かれて、好みすら自由に発信できなくなるのはどうかと思う、知らない人がどう言おうと害はないし好きに言わせておけばいい、だから自分のファッションや意見が他人の好みじゃないことで傷つくのは傷つく側の問題」という意見についてどう思いますか?
僕自身はその意見に対して、他の部分は一理あると思いましたが、「傷つくのは傷つく側の問題」という部分には納得できませんでした。傷つくかどうかはコントロールできるものじゃないと思うからです。
ただ、傷ついたことを理由に相手と言葉のバトルを始めてしまうとなると話は変わってくるのかもしれないなとも思いました。

A.ヘイトスピーチの定義を改めてネットで調べてみたところ、「対象への明確な差別的な意図に基づく暴言や差別的行為を先導する言動」というのものになるそうです。なので、例えば他人のファッションを「自分は好きじゃない」といった形で表現するならヘイトスピーチには該当せず(ただ、わざわざSNSなどで発信するのは、結果的には悪意に近くは感じます)、「ああいう服装のやつらは消えればいい」とか「人として未熟」とかの、攻撃や人格否定まで含むとヘイトスピーチに入るのかなとウ・サギは解釈しました。
「傷つくのは傷つく側の問題」というのは、ある部分では間違っているし、ある部分では真実でもある言葉かなとウ・サギは思っています。傷つきを、傷つく側に問題があるだけ、傷つく側だけで対処しろという話(自己責任論的な考え)で使うなら、ウ・サギはこの考えに反対です。ただ、たとえばファッションを否定されても、とくに何も思わない人や、ただただ腹が立つ人、深く傷つく人までいろいろいるので、傷つきというのは傷つく側の人の中で起こる現象だとは思います。それはその人が弱いとかではなく、抑圧され否定されてきて「自分はダメなんだ」という自信のなさがあるゆえに起こることであって、だとしたらそれは社会構造がその人を追い込んだ結果の人災だとウ・サギは捉えます。
だから傷ついたという現象を、傷つけた発言をした一個人を加害者とし、自分を被害者と定義して語るのは(あなたのせいだという発想)、問題の本質を見失い解決を遠ざけるだろうとは思っています。とはいえ、傷ついたことで被害感情が湧くのも当然ですし、傷つけた側のほうに社会的優位性があるなら広い意味での加害ー被害は正しいものなので、難しいですが……。理想の展開としては、傷ついたということは伝えた上で、その現象が起こったことは双方で受け止めて、傷つきがなぜ起こったかを対話の中で深めて、お互いをわかり尊重し合う次へとつなげられることなのかなとは思っています。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/15
Q.Amazonで何か注文すると翌日に届くのが怖い。もう少しスローペースな世の中でもいいのでは?
この記事の担当 所長室

Q.Amazonで何か注文すると当たり前のように翌日には届くのが怖い。そんな速くなくても2週間位なら待っても良いのになって思う。もう少しスローペースな世の中になっても良いと思いませんか?

A.「待つ」時間を無駄やコストと捉えている今の世の中、最後は自分に返ってくるのにとゴロン猫は少し息苦しさすら感じているよ。
早い安いは、人の思考力を奪い、「待たない」に慣らされるということは、「どんどん消費!」を無自覚的にやってしまうことに繋がっている気がする。なんとなく自分が大事にしているものが、大高速の消費に紛れてしまわぬように、質問者さんと同様にゴロン猫もスローペースな世の中が良いと思う気持ちを忘れたくないと思うところです。

回答:しきぶとんゴロン猫

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update 2026/3/15
Q.最近戦争のニュースが多くてつらい。なぜ戦争は起こるのか?どうすれば少しでも減るのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、戦争のニュースが多くてつらいです。
ただ、ニュースで報道されてなくても知らないだけで戦争は起きてるものだとも思います。
なぜ戦争は起きるのでしょうか?
そして、どうすれば戦争が少しでも減ると思いますか?

A.ウ・サギも戦争のニュースが多いとつらくなる民です。といっても質問者さんの言う通り、報道されていないだけで、凄惨な暴力が世界中で起こっているのも確かですよね。近くの家の中でも、戦争のような恐怖を味わいなら過ごしている誰かがいるかもしれないですし……。脳は見た情報に実に引っ張られる、ポンコツなものだと思います。ただ、戦争は国家権力による大量虐殺と呼んでもいいとウ・サギは思っているので、そう考えると他に比べて大いに罪深いとはいえるかもしれません。
なぜ戦争が起きるかは、一つのポイントとしては「所有」という仕組みが悪さをしているのではないか?と、この前カエルさんとは話していました。過去の争いを見ていても、戦争には資源の奪い合いの要素が濃くあるように感じます。そもそも国や民族という単位で何かしらの分割をして、土地や利権を「所有」することで対立が生まれるとも思うので、どうにか地球在住の生物として仲良くできないものなのか……?なんて、最近は真剣に考えることもあります。
戦争をなくす方法は理論上はシンプルだとウ・サギは思っています。それは、戦争をしろとか戦争に行けとか言われても、全員が断ることです。そのための具体的なアプローチとしては、みんながいろんな国に友達をつくったり、どんな国のどんな人も自分と同じ人間だと感じられるような人権感覚を身につけることなどがあると思います。政治が国を決めるように思うかもしれませんが、国は人の集合体です。そして、完璧な権力者もどこにもいません。一人ひとりが考える主体となって、権力者が間違ったときに「それは違う」と言える世界になることが、何よりの解決策だとウ・サギは思っています。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/12
Q.卒業式で、男だからこう座って、女だからこう座って、と言われるのが嫌だなって思ってます
この記事の担当 ウ・サギ

Q.卒業式が近い中学生です。自分は戸籍上女だけど性自認は男でも女でも中性でもない感じです。卒業式で、男だからこう座って、女だからこう座って、って言われるのが嫌だなって思ってます。座り方なんて、男女で分けなくてもよくないですか?

A.まったくもってその通りですね。男女で分ける必要性のかけらもないのに、男女で分かれていることの多さは、意識し始めると呆れるほどあって、困ってしまいます……。しかも教育は本来、自分で感じ、物事の本質を考える力を育むものであってほしいとウ・サギは思うのですが、むしろ逆のことが押し進められている気がしてとても怖いです。
その中で、質問者さんが自分で感じ考える力の強さに、ウ・サギとしては頼もしさを感じてしまいました。「座り方なんて、男女で分けなくてもよくないですか?」と質問して、先生たちが何て答えるのか聞いて回りたいウ・サギです。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/12
Q.同情と見下しって常にセットだと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.同情と見下しって常にセットだと思いますか?

A.実に鋭く、興味深い質問です。何の本か思い出せないのですが、ウ・サギの信頼している本に「憐れみは相手を対等に見ていない、対岸から眺めるような態度のものである」といったことと、「自分と地続きの存在や問題として共感することが大切」といったことが書いてあったのを思い出しました。
同情といってもその言葉から受け取るニュアンスはそれぞれですし、どの感情を同情と呼ぶのかで話は変わってくると思いますが、いわゆる共感や同情と呼ばれる心の動きの中には、対等じゃない(見下しともいえる)眼差しからのものと、対等から生じるものの2種類があるのは確かなことにウ・サギは感じます。

回答:ウ・サギ

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update 2026/3/10
Q.全ての障がい者は適切な環境などがあればその人らしく幸せに生きていけるという考えをどう思う?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.全ての障がい者は適切な環境とケア、サポートがあれば、その人らしく幸せに生きていけるはずだという考えをどう思いますか?

A.カエルはその考え方に全面的に賛成です。ただ、もう少し突っ込んで考えると「全ての障がい者」ではなく、「全ての人」だと思っています。いわゆる障がいがないと言われるような人でも、その人にとっての適切な環境がありますし、ケアやサポートがなくたった一人の力だけで生きられる人はいないからです。だから、その人に合った適切な環境とケア、サポートが全ての人に保障されるべきだと思いますし、そうすれば幸せになる土台は保障されると思います。
ただし、どんな人も、適切な環境とケア、サポートがあったとしても、幸せに生きていけるかどうかは障がいのあるなしに関係なく、保障はないと思います。それは、幸せというものは絶対的なものではなく、その人が感じること、意味づけることであるからです。だから、結論として、福祉の理念として「全ての障がい者は適切な環境とケア、サポートがあれば、その人らしく幸せに生きていけるはずだ」という意見には全面的に賛同しますが、倫理観として「全ての人は適切な環境とケア、サポートがあれば、その人らしく幸せに生きていけるはずだ」と思うと同時に、人の心理や価値の問題として「しかし、その人らしく幸せだと感じることには個人差があり、必ずしも実現するかどうかはわからない」と言えると思います。

回答:生きかたカエル

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update 2026/3/10
Q.今まで内心ゲームは幼稚な遊びなどと思ってたが、あるゲームがきっかけで価値観が変わった。
この記事の担当 所長室

Q.今まで内心「ゲームは幼稚な遊び」「ゲームが好きな大人は変な人」と思っていました。しかし、あるゲームがきっかけで「ゲームは年老いても遊べる」「芸術性を持つ文化の一つ」と価値観が180度変わりました。こんな簡単に考えが変わるなんて変でしょうか?

A.ゴロン猫もテレビゲームに馴染みが無く、先日知人の家のスクリーンで見せてもらったゲームの映像と音楽に驚いた!ヘアスタイルを変えると見慣れない自分に最初は違和感を持つのと似ていて、ゲームが素晴らしいとこれまでとは違う価値観を持った自分に戸惑いを覚えたのかなと。きっかけとなるゲームを体験し、新たな楽しみを知れたことは喜ばしいことと率直に思ったよ。
ゲーム禁止の家で育ったゴロン猫は、初代プレステ販売に列をつくるニュースを見て、親が「頭が悪くなる」とおもしろくない顔をしていたことを思い出す。知らず知らずのうちに誰かの価値を押し付けられてたり、刷り込まれていたりして自分の選択肢を削ることは残念なこと。自分の楽しいや感激に、素直でいたいとゴロン猫は思っています。

回答:しきぶとんゴロン猫

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update 2026/3/10