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記事の担当 ウ・サギ
Q.配信で言っていた「全然やりたくないことをやっていたらなんか変わった」について詳しく聞きたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.6/25の配信の質問5の質問者です。回答してくださっていた中で、ウ・サギさんが「ウ・サギは全然やりたくないことをしょうがないからやっていたらなんか変わりましたね」とおっしゃっていたことについて、個人的に詳しく聞いてみたくなりました。

A.なるほど、質問ありがとうございます。
まず「やりたくない」のニュアンスをもう少し丁寧に説明すると、積極的にやりたい要素は何もないが、積極的にやりたくない要素もない、つまりプラスがなくマイナスもないものでした。それまではウ・サギはプラスがあることを(好き、興味がある、目標)を優先に、どんな不向きも逆境もわりと気にせずに進んできたのもあって、全然やりたくないこと、という表現を使いました。だから丁寧に表現すると、全然やりたいとは思わないこと、になるかと思います。
そして、ウ・サギ的にはここが結構ポイントだった気がするのですが、作業は「自然の中で体を動かす」「わりと単純作業」「人と積極的に関わる必要はない」=ウ・サギにとって負担が少なくリラックスできる要素がそろっているものでした。心身は最低限回復していつつも、放っておくと延々と過去や自分の思考に引きこもってしまう時期だったので、無理ない負荷で外の刺激に目が向くことで、自分のバランスが徐々に良くなっていったのだと思います。(まだ最低限回復していないなら何かを無理にやるべきではないですし、合う環境はそれぞれ違うので、ウ・サギのこの話をはあくまで参考程度にしてもらえたらと思います)
また、外の刺激に目が向いてバランスを取り戻すと同時に、(大した経験やスキルだと自分としては感じられなくても)経験が積み上がっていくことも大切だったと今は振り返っています。役に立つことができている感覚や、ささやかでもスキル向上や人間関係の手応えがあると、落ち着いて自分の個性や適性を理解し、やりたいことを見つけていけるような気がしています。
補足に書かれていたあなたの今始めようとしていることは、これまで書いたウ・サギの経験から言うと、なかなかグッドな選択に感じました。間違いのない選択はどこにもないとは思いますが、何事もまずは小さく積み重ねていくのが大切だとウ・サギは思っています。それは時にはぐるぐる悩んだりすることだったり、休むことだったり、むしろ一度我儘になってみることだったり・・・努力しないことが自分にとって必要な積み重ねの場合もある、というのも強調しておきたいです。

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update 2025/7/5
Q.以前質問した者です。回答の”自然な心の働き”について考えてみました
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「仕事も家事もやりたいと思えない自分を親は支えてくれているのに将来介護したくない自分が嫌で苦しい」の質問をした者です
“自然な心の働き”について考えてみたのですが
朝から疲れていて、もう頑張りたくない感覚がずっと続いてるような気がします
自分を生かすのも自分の限界を超えてしまっているような感覚です
“必要性や理由”はシンプルに「もう頑張るのは限界」ということなのかもと思いました
自然な心の働きって、こういうことでしょうか?

A.汲み取ってくださりありがとうございます。そういうことがウ・サギとしては伝えたかったです!という気持ちで読みました。
もう頑張るのが限界なら何もやれないのは自然なことあり、それはあなたの意思や資質の問題ではないし、思考や努力や根性でどうにかなるものでもないとウ・サギは考えています。限界を超えているなら、そのときの最適解は何もせずに、なるべく生きる負荷を減らすことだと思います。そう考えると、もうウ・サギが何も言うまでもなく、あなたのこころやからだがあなたを守ろうと一生懸命働いていますね。
人間は感情が本体の存在であるとウ・サギは考えていますし、エネルギーにも限りがあります。だから「頑張らなくては」「迷惑をかけたくない」など思考が発達しすぎて、感情の自然な発散やケアを阻害してしまう現象、エネルギーの限界を忘れてしまう現象が増えているのは、由々しき事態だと感じています。

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update 2025/7/5
Q.手紙なら家族に本音を伝えられるかと思って書いてみたが、手汗が止まらず渡す勇気も出ない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.本音は言えず「手紙などの形でなら伝えれるか」と思って書いてみたのですが、書いてる時は手汗が止まらずいざ渡そうとすると勇気が出ません。「どう思われるのか怖い」と心のどこかで思っていて、家族を信用出来ず渡せないのでしょうか。

A.それは家族を相当信用できないのでしょうし、補足の内容を見る限り、信用できないという見立てには十分な根拠があるとウ・サギは感じました。手紙を書くのも渡そうと思うのも、かなり大変だっただろうと想像しているので、まずはそれを労いたい気持ちになっています。
ウ・サギとしては、ここはあなた自身の出すサインを信じて、家族には本音を言わない方針で少しでもやれそうなことを探すのをおすすめします。
家族は(子ども目線でいうと)なぜか最初から同じ家が割り当てられていただけの他人だとウ・サギは思っています。たまたま仲良くなれたり人間的に相性が悪くなければラッキーですが、そうじゃない場合も大いにあると思いますし、丁寧に扱われるよりも、近いからこそ雑に扱われてしまうことも多いと感じます。他人であれば、信用できなさそうな相手にわざわざ本音を話すこともないかと思うので、家族であれどそれは同じでいいと思います。(ただ、一緒に住んでいる場合、理解が得られると何かと便利というのはありますね)

今は匿名のチャット相談などもいろいろありますし、たとえば病院を頼るにしても行くのに家族に許可はいらないかと思いますし、最終的に家族に本音を話すかは一旦保留して、そういった否定されにくい場所にまず本音を話してみるのが比較的安全なようにウ・サギは思います。
また、それだけ抵抗があっても家族に本音を伝えようとする様子から、自分の気持ちを我慢して頑張ることに慣れてしまった、真面目な人柄を想像しています。真面目すぎると時に自分を守れないので、今は思い切って自分の楽な方、楽な道を選ぶことが大切にも感じました。

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update 2025/7/5
Q.仲良い友達も、家族も相談は出来ないが無関係な人は信用できない。どうすればいいのかな。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どんなに仲良い友達でも本当の相談は出来ない。申し訳ないし本当の自分なんて知られたらクズで甘ったれてて情けなくて恥ずかしい。家族には心配かけたくないから言えない。でも無関係な人は信用できない。どうすればいいのかな。

A.どうすればいい…難しいですね。実際に相談すれば受け止めてもらえる可能性もあるものの、「クズで甘ったれて情けなくて恥ずかしい」「心配をかける」「信用できない」など、あなた自身のジャッジや予測が強力に働いている状態だとウ・サギは理解しました。そう感じるのは、どういった背景があるのだろうか(いい子を求められてきたか、敏感で周りを優先してしまうタイプか、期待に器用に応えられる能力があるがゆえに頼る経験が積めていないか・・・etc)と、勝手ながら想像を巡らせています。
信用はできなくてもいいので、無関係かつ秘密を守ってくれる相手(カウンセラーさんや相談機関)にとりあえず話してみるのがウ・サギとしてはおすすめですが、どうでしょうか。もし信用できそうだったら悩みを小出しにしてもいいですが、基本的には相談する練習くらいの気持ちで、遠慮せずに発信することをしてみるだけでも、ちょっとは楽になったりするかも…?とウ・サギは思いました。悩みを聞くのが仕事の相手ならば、弱い自分をさらけ出してもらうのが向こうの仕事みたいなところがあるので、あなた自身の自分への厳しさも少し緩むのかな…?とも想像しています。
いち大人(の生き物)としての意見としては、苦しい人に我慢させて苦しさに気づけないよりは、頼ってもらってあれこれ一緒に考えさせてもらえる方が嬉しいとウ・サギは思っています。

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update 2025/7/5
Q.生きる意欲ないです。でもいらないです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.生きる意欲ないです。でもいらないです。

A.補足の語りも含めて回答すると、生きることアレルギーみたいな状態なのかなと感じました。
生きやすい社会を作る努力を十分にしないままに、個人に頑張りや意欲を求めていく世界になっているとウ・サギは感じているので、そう感じるのも無理はないと思います。(そういった社会を変えていきたいと思って、このサイトはやっていますが)
だから、元気を奪われているゆえに起こっている状態であると同時に、社会が求めてくるものに抵抗できる感性を持っているがゆえの苦しみにも思いました。

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update 2025/7/2
Q.精神科に通院していて主治医を変えるか迷っている。何かアドバイスをもらえないか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.精神科に通院していますが、主治医を変えてもらうか迷っています。何かアドバイスいただけないでしょうか。

A.主治医問題はなかなか悩ましいですね…。補足にあったように、変えることで確実にうまくいくわけではないし、変えるのは手間や負担もかかるので、決断は難しいものだと思います。
主治医を変えるという表現から、病院は変えずに主治医を変更するのを検討しているかと感じたのですが、病院や場合によっては主治医変更はできないこともあるので、まず確認は必要かも…?とは、ちょっと思いました。(すでに確認済みだったらすみません)
ウ・サギは主治医が6回変わっていますが、大きい病院にかかっているときの主治医転勤、あとは自分の引っ越しからなので、変えようとしたことはなく…。

7人と関わったり転院してウ・サギが思ったのは、
・こちらの困りごとや話が通じる先生と、ちょっとテンプレ的な対応が多い先生には分かれると感じる。後者だと、薬や診断書をもらう以上にはあまり役立たないかも・・・(ただ、自分にとっての病院はそのための場所と割り切って使うのも一つの方法)
・医局関連病院は転勤が多いので、主治医が変わりやすい。変わった後は、自分の情報が引き継がれていても、関係性は一からのやり直し。黙っていてもいずれ主治医が変わるのは、合わない主治医だったときはメリットだが、合う主治医と出会っても長い付き合いにはなりにくい。
・病院ごとに個性や傾向がある。たとえば、複雑性PTSDや愛着障害など過去の経験に目を向けてくれる、発達障がいに強い、症状だけでなく暮らしにフォーカスして支援を考えてくれる、心理療法が豊富・・・etc。自分の求めているものにマッチする病院に行けると、ちょっと主治医とは合わなくても、結構助かる。
・初診でいくと初回はわりと話す時間をとってもらえるので、そこで自分のことをうまく伝えられるとその後の関係性が安定しやすい。

総合すると、ウ・サギのおすすめは、病院内の主治医変更ではなく、先生があまり変わらないクリニックや病院から、自分に合いそうなものをホームページの情報などから自分の感性で選び、初診でかかることにはなります。ただ、あなたにはあなたの事情があるかと思うので、参考程度に、あくまでウ・サギの経験の話として受け取ってもらえたらと思います。

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update 2025/7/2
Q.やる事いっぱいで何から手を付けて良いのか分からず苦しいです
この記事の担当 ウ・サギ

Q.やる事いっぱいで何から手を付けて良いのか分からず苦しいです
課題の解決、試験勉強、家事、運動、時には私が個人でしている活動!やる事、しなければいけない事、すぐにはしなくて良い事が沢山あります。マルチタスクは向きません。

A.ウ・サギが数日前にまさにその状況だったので、とてもタイムリーな質問です。
ウ・サギはやることを全部をスプレッドシートにリストアップして、優先度と〆切を入力して、今は「〆切1週間以内」と「優先度必須or高」のものだけを表示するようにしています。(でも時々気が向いたら、優先度の低いものもちょこちょこやっています)
やる事、しなければいけない事、すぐにはしなくていい事、の3段階に分けられていれば、優先順位は十分についていると思います。その中で順位をつける必要まではないので、あとは〆切情報も大まかに入れたら、結構ちゃんと整理できそうですがどうでしょうか。別にスプレッドシートではなくとも、タスクごとに別の紙に書き出して、優先度の高いもの以外は一度見えないところにしまうとかはできそうです。とりあえず書き出してちゃんとそこにある、忘れてはいないと安心したら、ウ・サギは目の前の優先度の高いものに集中することができるようになりました。
勝手ながら仲間意識を抱いて応援しています。

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update 2025/6/28
Q.自分の素が分からなくなってしまってとにかく自分でいる事が辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の素が分からなくなってしまってとにかく自分でいる事が辛い。一人でいても気が休まらず人といると緊張して疲れる。これが友達がとかじゃなく家族も皆だから誰とも心を通わせられなくてしんどい。こんな症状どこにも載ってなくて、私だけじゃないですか?

A.補足に「きっと自信がなくなってしまったから」という自己分析があったので、その表現から、ウ・サギはいろいろと想像を巡らせました。つまり、自信を喪失していない時期は、ある程度安定していたということかと思うのですが、安定しているときでも、本当に自分は自分でいいと思えてる場合と、自分には「これがあるから」大丈夫と条件つきで自分を支えている場合がある気がウ・サギはしています。(たとえば、夢や目標があるから、こんなことができるから、学生や社会人などの身分があるから、恋人がいるから・・・等々)
もし条件つきの安定だった場合、自信らしきものを感じればまた安定しても、それもまた何かあれば簡単に崩れるかもしれない・・・?とウ・サギは思います。だから自分がわからなくなった今、自信ではなく自分を見つけてみるのをおすすめしたい気持ちになっているのですが、つらくて疲れている状態が続くのも困りますよね……。難しいです。
ただ、自分に起こることは、症状に当てはまっても何にも当てはまらなくても、周りの環境(社会の風潮含む)と自分の心の何かしらの相互作用で生じているものなのは確かです。だから自分がどんな世界で、何を感じて、何を優先して生きてきたのかなどを振り返ってみると、何か大事な発見がありそうな気もしました。
全然的外れなことを言っていたらすみません。

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update 2025/6/28
Q.泣くのを否定されるのは納得できないが周りは苦痛なのかなと思う。感情を顕にすることをどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰でも泣きたいとき安心して泣ける世界になってほしい、泣くことすら否定されるなんて納得できない。そう思うけど、泣かれる側の人や、周りの人にとってはやっぱり苦痛なのかなとも思います。泣くことに限らず、感情を顕にすることについてどう思いますか?

A.基本的には、感情の表現は自由だとウ・サギは思います。ただ、感情というのは(とくに怒りだと)時に強いエネルギーなので、いつ誰にどう出すか、出すときにどのような配慮をした方がいいかは、考えていきたいところ・・・とは思うのですが、感情はまずは自由にのびのびと出してから、徐々に調整を覚えていくものだとウ・サギは思います。
出すことも十分に許されずに、コントロールだけを覚えてしまうととても苦しくなってしまうので、そういった背景がある人が多いことを考えると、配慮しよう論はあまり出したくないとも感じます。配慮といっても、配慮するのが最優先ではなく、無理ない範囲でやることが一番大切、とは強調したいです。

感情の表現や扱いのポイントは、感情はあくまで自分から湧き出るものである、というのをお互いに意識することなのかなとウ・サギは思っています。
勿論感情というのは、外部の刺激によって(叱責かもしれないし、何気ない発言かもしれないし、何かを見てかもしれないし・・・)起こるものではあるのですが、「お前の言動が私を泣かせた。お前が悪い」みたいなのはたぶん違って、「この出来事を私はこう感じ取って、こういう感情が湧きました」という受け取り手の中で起こるものだと思います。といってもそれは勝手に受け取った側が悪いという話ではなく、感情は良いも悪いもなく自然に湧いてきちゃうものなのだから、アイメッセージで伝えた上で、お互いにとってほどよい配慮や理解を見つけていきませんか?そして、配慮し合いはなるべく優しくやっていけるといいですよね。とウ・サギは伝えたい感じです。
誰かが泣いたことによって感情が動揺する人がいて、自分の動揺に対して配慮を求めたいなら、それはその人がアイメッセージで伝えるべきことです。「泣けば許されると思っているのか」など、勝手に悪意的解釈をして、それを真実だと決めつけるような行為はマナー違反だ…!とウ・サギは言いたいです。

とはいえ感情の取り扱いについてはウ・サギもまだまだ未熟で至らぬ点ばかりだし、社会全体に学ぶ機会も尊重される機会も全然足りてないと感じるので、もっとみんなで考えていきたいと思いました。
残念なことに、今は強い側が弱い側を無理やり押さえつけたり、決めつける場面が多く見られるので(本来は、双方が配慮するにしても、強い側がより多く配慮すべきだと思います)、それはとてもとても問題だと感じています。

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update 2025/6/28
Q.仕事も家事もやりたいと思えない自分を親は支えてくれているのに将来介護したくない自分が嫌で苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分が迷惑や負担や苦痛を押し付けてばかりとしか思えない。自分は、仕事も家事もどうしてもやりたいと思えずこなせない。そんな自分を親は仕事や家事をして支えてくれているのに、将来親の介護をしたいと思えない自分が嫌で絶望して死にたいくらい苦しいです
介護をしたくない気持ち自体は悪いものではないと思います、恩は返さなきゃいけない、なんてこともないと思います。ただ、自分は自分ひとりが許せなくて、自分が苦痛を強いてる感じや恩を仇で返している感じが苦しくて、これ以上迷惑かけてる感覚に苦しみたくないので、死ぬのは怖いけど、親が元気なうちに死にたいと思ってしまいます

A.やりたいと思えない気持ちと、迷惑を押しつけてばかりの自分を責める感覚と、きっとどちらもとても譲れない本物で、板挟みの痛みが大きいのかな・・・などとあなたのいる世界を想像していました。
参考になるかもと思って書くのですが、ウ・サギも、それほど弱ってはいないはずなのに、全然何もできない時期がありました。でもそれは、その場所もそこにいる人も実は(嫌いではなくとも)全く好きじゃなかったり、そもそもこの社会や自分という存在を生きることに何も魅力を感じられていなかったり、何か自分なりのつながりや手応えがなかったからだったと今は思います。いくら周りが自分を支えてくれていようが、つながりや感謝を抱けるかは、また別問題だとウ・サギは感じています。
あなたの場合が同じかはわからないですが、「どうしてもやりたいと思えず」にいるのは、何かその必要性や理由があるのだろうとウ・サギは思います。だからなんというか、あなたを安易に励まそうとは思っていないのですが、自然な心の働きが起こっている気がしていて、それで苦しんでいるのをもどかしく感じてしまうウ・サギです。

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update 2025/6/25