PAGE
TOP
記事の担当 ウ・サギ
Q.親に平和な復讐がしたいの質問者です。回答を読んで良い方法を思い付いたので報告します。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親に平和な復讐がしたいという質問をしたものです。回答を読んでいたら良い方法を思い付いたので報告します。SNSで、「初任給で豪遊した!親孝行よりこっちの方が数億倍幸せ(^_^)」って投稿をして、親自身のスマホでそれを見てもらいます。

A.報告ありがとうございます。なかなかセンスのいい方法だとウ・サギは思いました。
ウ・サギは親孝行という文化にそもそも疑問があるので、その投稿は質問者さんの親だけでなく、「親孝行してもらえるだろう」と思っている親全員に届いてほしいとも感じました。親孝行したい子どもを否定するつもりは一切ありませんが、親孝行をお断りするのも自由ですし、自分が不自由にならないようなお金の使い方をしたいところです。
質問者さんが自分の人生を生きられるよう応援しています!

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/29
Q.今年中に自由になりたい。生きてる不自由がしんどい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.今年中に自由になりたい。生きてる不自由がしんどい。

A.生きてる不自由がしんどい…なんだか、ずしりとくる表現だと感じました。補足に書いてある内容を含め、これまで質問者さんという一人の人間が、自分なりに感じ考え動き、生きてきた重みを勝手ながら受け取った気持ちでいます。
真剣な話、人生には長期休みが無条件で1年間くらい保証されていたらいいのに……とウ・サギは思います。いいのにというか、この複雑な社会で普段はある程度忙しく生きないとならないのだとしたら、必要な仕組みだとさえ思うのです。人生の長期休みをどこで使うかは自由で、そのときはもちろん労働もしなくていいし、家事もしなくていいし、とにかく誰かから何かを求められることのない、そんなメンテナンス期間をイメージしています。それが無条件に誰にでも約束されていたほうが、最終的には効率やら生産性だって上がる気がします。(ウ・サギはもちろん狭い意味での効率や生産性には懐疑的ですが)
全員に保証することを考えると贅沢な休みまでは難しいかもしれないですが、生きることのタスクはあまりに多く、時々完全に解放されないと、伸び切ったゴムのように「もう無理だ」となってしまうのも自然なことだと感じます。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/29
Q.冊子のサンプル見ました!感動しました、みんなの力が一つに!
この記事の担当 ウ・サギ

Q.冊子のサンプル見ました!感動しました、みんなの力が一つに!

A.生きづLABOで作成した冊子「生きづらさを探究する こども居場所ガイドライン」のことですね。(詳細はこちら
嬉しい声をありがとうございます。ウ・サギも編集したり書きながら、感動を抱く瞬間が節々でありました。それは自画自賛ではなく、来てくれた皆さんと一緒に作り上げてきた活動でありサイトなんだな、というのを改めて実感できたからだと思います。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/29
Q.文章だけでどうしても苦手だと感じる人がいる。嫌だし、それがどうしてなのか考えるのも疲れた。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.文章だけでどうしても苦手だと感じる人がいる。嫌だし、それがどうしてなのか考えるのも疲れた。

A.(編集注:質問の表現は編集して掲載させてもらいました)
なるほど…ウ・サギは小説家やエッセイストの文章で「理由はうまく言葉にできないけど何かが受け付けられない」と感じることがあるので、言わんとしている現象はなんとなく理解できると感じました。
ウ・サギ調べでは、見ている・読んでいるだけでも他人にモヤモヤするのは、第一に「自分自身が普段他の何かを優先して、感情や自由を我慢している」というのがあり、それ加えて「自分なりの美学をもっている」まであると、モヤモヤが苦痛や疲弊までつながりやすいイメージです。
苦手とか嫌とかには、切実な感情が詰まっていることが多いとウ・サギは思っています。だからこそ、それを表現できる場があること、表現したときに「悪口はダメだよ」とかではなく、受け止めて一緒に考えてくれる人がいることが、とても大切だと思っています。また、同時に、好きな理由を説明する必要もない(説明しようにも結局は感覚や感情でしかない)ように、嫌いの理由を説明する必要も必ずしもないと思っています。苦手なものは苦手、嫌いなものは嫌いで、「そうか、あなたはそういうのが嫌いなんだね」と第三者が受け入れるだけでもいいと思うのです。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/29
Q.外食で大皿の料理をとるとき、つかみにくいものだと緊張して味が分からなくなる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.食事会や外食で周りの目が気になって大皿の料理をとるとき、煮物や千切りなどのつかみくいものは特に緊張して手が震え味が分からなくなります。なので注文の時は食べたい料理ではなく、うまく食べれそうなものを選びます。慣れるしかないのかな…

A.めっちゃわかる、仲間……!という気持ちのウ・サギです。ウ・サギはチャーハンや中華丼の最後の一口がうまくすくえないのが怖いです。コメは一粒も残したくないけど、スプーンやれんげで最後の一口を綺麗にすくうの難しくないですか…?
別にウ・サギは人目を気にするタイプではないのですが、失敗することへの恐怖なのかな・・・。ウ・サギは社交性がないので、慣れない人とは食事にあまり行かない、行くときは食べやすさ重視の注文でよし!と割り切っていますが、同席者でそういうのを知ってくれている味方がいれば、楽になる部分もあったりするのでしょうかね。苦手をお互いにシェアできると優しい社会になると思うのですが、苦手を言うのはまだ抵抗を感じてしまうウ・サギです。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/29
Q.職場の送別会に子ども2人連れてきた人にもやっとし、私の心は狭いなと落ち込んだ
この記事の担当 ウ・サギ

Q.職場の送別会に子ども2人連れてきた人にもやっとしました。退職する主役がいる会なのですが、途中で子ども中心の会話、食べるものに気を遣い、事前に連れて来ることを聞いてなかったので、余計になんだかなと思いました。私の心は狭いなと落ち込みました。

A.ウ・サギは自分が関わると決めた子どもにはたぶんけっこう優しいですが、街中で会っただけとか誰かが連れてきただけの子どもにはめんどうだなあと思ってしまうことも多いので、わかりみのある内容に感じました。(子どもが嫌だとか親子連れとかが迷惑という話ではなく、大きい声とか自分のペースを乱されることへの耐性が低いだけで、「暑いのが苦手」くらいの話で受け取ってもらえると有難いです)
でも誰かに「もやっと」するときのポイントは、その言動単体ではなくて、相手がこっちの立場を想像していなさそうに見えるとか、このもやもやを言うと性格悪く思われるだろうし我慢するしかないなとか、どこか自分の立場や気持ちが押し負けてしまうような部分にあるかもしれないと最近は思っています。ウ・サギは基本的には子どもは大切にしたいし、状況によって自分が誰かに譲ることも仕方ないとも思いますが、とはいえ自分のストレスやもやもやも生まれるときはあるし、ほどよいお互い様のラインはどこにあるのだろう・・・とぐるぐる考えてしまいました。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/29
Q.前質問した者です。丁寧な回答を本当にありがとうございます。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「Q.トランスジェンダーが危険人物扱いや性自認は自称しているだけ扱いされることをどう思う?」の質問者です。
丁寧な回答を本当に本当にありがとうございます。
「立場の弱い側の安心が優先されてほしい」という表現を使った理由も含め、納得しました。
伝えずにはいられないくらい強かったけれど、同時に伝えるのがすごくすごく怖い気持ちだったので、
丁寧な回答にすごくすごくほっとしました。
同時に、自分には想像できていなかった「セクシュアルマイノリティの問題は、ジェンダーや性愛について暴力や排除が起こった出来事すべてについて考えていく必要がある」「その時々で(セクシュアリティの属性だけでなく他マイノリティ要素も込みで)誰が一番弱い立場かが変わると思う」という大切なことに気づかされました。
その上で、「社会的に強い立場の人に対して、立場はどちらが強いのか・それは願いなのか安心安全の次元なのかという軸を大切にしませんか?と提案しておきたかった」などのとてもあたたかく丁寧な言葉に救われました。改めて、自分の言葉を丁寧に受け止めてくださり、本当に本当にありがとうございます。

A.いえいえ、お礼をありがとうございます。同じ言葉でも、置かれている立場やこれまでの経験によってどう受け取るかは変わるので、そこが言葉の難しさだとも思うし、とはいえ不完全な伝達手段だろうと言葉があるからやれることもたくさんあるし、言葉じゃないもので伝わることもあるし、言葉をもたない存在もいるし、誰かと誰かが関わるというのは実に複雑なものだと思います。
対面の関わりだと、非言語の部分で肯定の雰囲気や想像力が伝わったり、何気ない関わりでお互いにコンディションや疲労がわかったりすることで、多少食い違いが生じても隙間を埋められる要素がありますが、オンラインだとその部分が脆くなるのが難しさだなと感じます。(これは今回の質問や生きづLABOのことというよりは、オンラインでいろいろ仕事をやってきて思うところです)

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/27
Q.小さい子と話すように関わってほしいという思いとどう折り合いをつけたら良いか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.小さい子と話すように関わってほしいと思ってしまいます。自分では抱えきれない願望ですが、受け入れられないことがわかっているので他人にも頼めません。どうやって折り合いをつけたら良いでしょうか。

A.最近ちょうど、VRが発達したら、そういうことも自然と出来るようになるのでは?と周りと話す機会がありました。自分が扱ってほしい年齢、容姿をセットして、全員でバーチャル空間でコミュニケーションをとるみたいな…。ウ・サギはわりと子どもだと何されてもOKな部分があるので、全員が子どもに見えると生きやすいかも!?なんて思ったりします。逆にウ・サギは小さい子相手でもあまりそれに合わせた関わりをしないので、質問者さんとのマッチングは成立しなさそうですが、小さい子と関わる大人役をやりたい人もいる気がします。(案外小学生とかだと、そういう年上の振る舞いをしたいタイプが一定数いるイメージです)
でもそうなるとVRからみんな出てこなくなりそう・・・・?それも困りますね。完全に小さい子のようには難しくても、見た目バイアスや「大人だから」「○○だから」というのを取っ払って、それぞれがなるべく扱ってほしいように扱う、という文化は広めていける気はします。あとは、大人だからを求められる頻度が少なくなるほど、何か子ども時代でやり残したことを少しでも満たせていけるほど、多少は楽になるとかはあるのでしょうかね……。小さい子と話すように関わってほしいの奥には、何かこれまでの悲しさや痛みがあるのだろうとウ・サギは思うので、折り合いはそう簡単じゃないかもしれないですが、少しずつ折り合う方法はありそうには感じます。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/27
Q.メンタルの波が来て、もうすぐ大事なイベントがあるのに今何もできない。どうしたらいい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近2週間おきくらいでメンタルの波が来ます。もうすぐ大事なイベントがあるのに今沼にはまって何もできません。涙止まらないし、不安もおさまらないし、
でもそのイベントは大切だし、ちゃんとしていたいんです。どうしたらいいと思いますか?

A.補足でも丁寧に説明ありがとうございます。状況や気持ちがよくわかりました。大人になった身からすると、学生生活のイベントの責任は大人なんだし、目標は成功ではなく子どもたちの成長につながるならなんでもOKで、逆に負担になりすぎるなら大人を頼ってください……!という気持ちでもどかしくなりました。でも渦中にいる子どもにとってはどんなことも切実であり、大きなプレッシャーであることをひしひしと感じています。
これは子どもに限らずですが、プレッシャーなどで自分のパフォーマンスが落ちていると感じたら、誰かに頼ることが大切な仕事だとウ・サギは思っています。でもこれは「頼れない本人が悪い」といった話ではなく、大人たちが、子どもに頼る練習をさせてあげれていない、頼れるような存在になれていない、という部分に課題があるとウ・サギは考えています。だから「ちゃんとしていない」のは、質問者さんではなく、教育のあり方や社会なのだとウ・サギは言いたい気持ちです。
(補足にあった)リスカお休み明けで暴走が心配との話ですが、暴走するかもとか、今暴走しているという自覚ができるのなら、ある程度は大丈夫なのではないかとウ・サギは思いました。ただ、暴走するような精神状態というのはとてもしんどそうです……。なんというか、いろいろすごく頑張っているから、疲れてしまうのだろうと質問者さんのことを想像しています。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/27
Q.親不孝な子供とかいるけど、親の行動のせいだからしょうがなくない?って思ってる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親を殺す子供とか、親不孝な子供とかいるけど、親の行動のせいだからしょうがなくない?って思ってる。だって、そうしたいと子供を思わせるほど苦しめたり傷つけたりしたんでしょ?自業自得じゃん。だから、悪いことじゃないんじゃないかな?

A.ウ・サギは暴力は肯定しない立場ですが、親不孝は肯定、支持していきたいくらいの思いはあります。自分がこの世に誕生した途端にすぐ大人だったならまだしも、誰もが赤ちゃんとして生まれ、育てられることで大人になるのですから、「育ててあげたのに」と恩を着せることではないと思うのです。子どもという自分とは別の独立した人格を、自分の思い通りにしようとすることも当然NGだと思いますし、たとえ親が子どもを本当に尊重して子どもがすくすく育ったところで、子どもが親に感謝をするかは子どもの自由だとウ・サギは思っています。なぜ世の中でここまで親子がセットでつながりの深いものみたいになっているのかよくわからないし、子どもの人権が軽んじられている怖さを感じます……。
親子に限らず、人は環境の影響の中で育ち、傷つき、行動を起こしていくので、どんなことも「その子(人)だけが悪い」ということはないとウ・サギは思います。

回答:ウ・サギ

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2026/3/27