PAGE
TOP
タグ疑問
Q.「自傷をやめる必要はない」と話されていたが、自傷によって死ぬ可能性がある場合はどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「自傷をやめる必要はない」と話されていましたが、自傷によって死ぬ可能性がある場合はどう思いますか?

A.前提として、どんなときにも死ぬ可能性がある、というのをウ・サギは思っていて、結局は何をマシとするかや何を優先するかのバランスの問題だと思っています。
死ぬ可能性があるから自傷をやめよう論は、交通事故の可能性があるから外に出るのはやめよう論みたいなものだとウ・サギは感じます。外に出ることに危険はあるとしても、(人によりますが)外に出ないとかなり不自由な生活になってしまうし、健康も損なわれるかと思います。自傷をする人は自傷が必要だからやっていると思うので、自傷に一定程度の危険はあるとしても、それよりも無理にやめることによる苦痛や不利益の方が重いものではないか?と考えています。
ただ、例えば車でシートベルトをしたり道路を渡るときは左右をよく確認して渡るように、リスクのある行動をするにしても、酷いことになる可能性を低くする工夫の余地はいろいろあると思います。だから自傷をやめる云々よりも、どうしたら少しでも安全に自傷できるのか、そしてどうしたら自傷が必要なほど追い詰められることがなくなるのかを、みんなで考えていきたいとウ・サギは思っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/13
Q.私は思春期だが、思春期 という言葉を見た時にすんなりと受け入れられた。そういう人はいるか。
この記事の担当 やみーペン

Q.私は今(体的に言うと)思春期?だと思います。でも、思春期 という言葉を見た時にすんなりと受け入れられました。自分でも驚きました。そういう人はいますか。

A.思春期!なるほど…?でも名前がついて納得することってあるよねぇ〜。やみーペンは…どんな名前がついて納得したかなぁ…あ!メンヘラのメは酩酊状態のメなんじゃない!?ってウ・サギと思いついた時にはしっくりきたよ!(こういう話と違ったらごめん……)

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/13
Q.「元気になったらまた頑張ろう」が苦手。「元気になったらまた頑張ろう」についてどう思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「元気になったらまた頑張ろう」が苦手です
「もう苦しみたくないのに、元気になったらまた苦しい思いして頑張らなきゃいけないのか」と絶望的に感じてしまって苦しくなります
「休んでいると扱われる生活」が自分にとって丁度良く同時に精一杯だと感じます
「元気になったらまた頑張ろう」についてどう思いますか?

A.ウ・サギも苦手というか、「元気になったらまた頑張ろう」アンチと言ってもいいくらい、そんな風潮には反対です。頑張るか頑張らないかを決めていいのは自分自身だけだと思いますし、大体、今の社会は本当は必要じゃない努力を推奨しすぎだと思います。また、自分にとって丁度良い生活が一番大切だと思いますし、これなら休んでいてこれなら頑張っているといった定義を、周りが勝手にするのはマナー違反だと考えます。
つまり総合すると、「元気になったらまた頑張ろう」は、境界を尊重していない(本人だけが決めていい分野に土足で入り込んでいる)発言として、取り締まりたいレベルのものだとウ・サギは感じます。
ちなみにウ・サギ自身は頑張るのが大好きなので、自分に対してだけは「元気になったらまた頑張ろう」と思う派ですが、それを元気がないときに誰かに言われたら絶望するし、「何の権利があって言ってくるわけ?」とムカムカしちゃうと思います。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/10
Q.元々過度の負担がかかっていたところに衝撃がきて退職してしまった。がんばればよかったのか…?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.身内を亡くしたのと 職場の人事異動が重なって 体調を崩してしまった
子育てもしながら働いていたので 
元々過度に負担がかかっていたところに更につらすぎる衝撃がきた感覚だった
耐えきれず 退職してしまった がんばればよかったのか……?

A.耐えきれず退職したのであれば、それは妥当な一つの判断だったのだろうとカエルは思いました。カエルはそうした直感的なことや衝動的なことはわりと妥当なことが多いと思っています。後になって、間違いだったとか、本当はそうじゃない方がよかったと結果論はいくらでも言えますが、その時に自分の中から出てきた思いは大事にして悪いことはないと思っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/10
Q.資源には限りがあるとは思うけど誰も切り捨てられない社会がいいと思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.資源には限りがあるとは思うし
理想論だとは思うけど
自分は切り捨てられたくないし
誰も切り捨てられない社会がいいと思う
どうしようもない現実もあるかもだけど
切り捨てられる苦痛も現実だと思う
資源の限界と個人個人の苦痛についてどう考えますか

A.カエル的には、資源の限界と誰も切り捨てられないことは両立すると思います。資源の量や質に関係なく、人が誰も切り捨てない社会を作ることはできると思うのです。そして、資源はいつでも限界があります。大事なのは人間が資源と同時に人間の限界もわきまえつつ、何が大切なのかをいろいろな人たちで考え続けることだと思っています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/10
Q.コンビニのカフェラテを飲むのを自傷行為でやっている気がする
この記事の担当 所長室

Q.コンビニのカフェラテを飲むことを、自傷行為としてやっている気がします。「飲みたいな」「美味しいな」と思わない時もなぜか飲んでいます。どちらかというとお茶とかのほうが好きなんだよなぁ…。これって続けても大丈夫ですかね?

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/10
Q.ソーシャルゲームにどっぷりハマってしまって困っている
この記事の担当 所長室

Q.現実がつらいときのために、ソーシャルゲームを始めました。けれど、現実を蔑ろにしてまでゲームにどっぷりハマってしまいました。それは望んでいなかったので、困っています。どうしてこんなことが起きているのでしょうか。ゲームってそういうものでしょうか

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/10
Q.付き合っている子に可愛いねと言うと微妙な反応をされるのは信用されてないから?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.僕は女の子で、好きな女の子がいます。毎日好きだよ!とLINEし合うし、もう付き合って一ヶ月ほどです。しかし、ぼくが可愛いねと言うと、微妙な反応をされます、これは僕のことがあまり信用できないからなのでしょうか?

A.相手の子の気持ちは相手にしかわからないですが、信用できないからではなく、違う理由から微妙な反応をされているのではないか?とウ・サギは感じました。
ちなみにウ・サギも(そもそも可愛いと評されるタイプでもないですが)、好きな相手に可愛いと言われても微妙な反応をしてしまうと思います。褒めることや愛情表現については、なんでも嬉しいタイプもいますが、自分が「頑張っている」または「自分で好きだと思っている」要素を言ってもらえたら嬉しくて、そうじゃない部分はむしろちょっと嬉しくないタイプも一定数いるとウ・サギは感じます。ウ・サギの場合は、自分のことを本当には見てもらえてないように感じるから、しっくりこない褒めをいただくとちょっとモヤモヤします。我儘でごめんなさい、という感じですが…。
ここは相手に直接「微妙な反応をされていると感じるのだけど、どういう気持ちか教えてほしい」と聞いてみるのがウ・サギとしては良いと感じるのですが、どうでしょうか。わからないことは正直に聞く。そして、聞くときには、まず自分の思っていることを丁寧に伝える。それがお互いを大切にする関係性だとウ・サギは考えます。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.前のヒキガエルの質問の回答の後、親がさらに自分の発言を正当化してきた
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生きかたカエルさん、あのヒキガエルの質問の回答の後、親がさらに自分の発言を正当化して追い打ちかけてきました。最近ではアマガエルの声までもしなくなっているのに、なぜ親はヒキガエルのことばかりなのだろうと思います。

A.それは、親がヒキガエルにとりつかれてしまったのかもしれません。それか、カエルをネタにすると子どもが相手にしてくれるという学習をしてしまったのかも?親からカエルの話題が出たときについ強い反応をしてしまっているのかもしれませんね。どうでしょうか。
どちらにしても、カエルの話題が日常にある家庭はカエル的にちょっと嬉しくなっています。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5
Q.配信で言っていた「全然やりたくないことをやっていたらなんか変わった」について詳しく聞きたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.6/25の配信の質問5の質問者です。回答してくださっていた中で、ウ・サギさんが「ウ・サギは全然やりたくないことをしょうがないからやっていたらなんか変わりましたね」とおっしゃっていたことについて、個人的に詳しく聞いてみたくなりました。

A.なるほど、質問ありがとうございます。
まず「やりたくない」のニュアンスをもう少し丁寧に説明すると、積極的にやりたい要素は何もないが、積極的にやりたくない要素もない、つまりプラスがなくマイナスもないものでした。それまではウ・サギはプラスがあることを(好き、興味がある、目標)を優先に、どんな不向きも逆境もわりと気にせずに進んできたのもあって、全然やりたくないこと、という表現を使いました。だから丁寧に表現すると、全然やりたいとは思わないこと、になるかと思います。
そして、ウ・サギ的にはここが結構ポイントだった気がするのですが、作業は「自然の中で体を動かす」「わりと単純作業」「人と積極的に関わる必要はない」=ウ・サギにとって負担が少なくリラックスできる要素がそろっているものでした。心身は最低限回復していつつも、放っておくと延々と過去や自分の思考に引きこもってしまう時期だったので、無理ない負荷で外の刺激に目が向くことで、自分のバランスが徐々に良くなっていったのだと思います。(まだ最低限回復していないなら何かを無理にやるべきではないですし、合う環境はそれぞれ違うので、ウ・サギのこの話をはあくまで参考程度にしてもらえたらと思います)
また、外の刺激に目が向いてバランスを取り戻すと同時に、(大した経験やスキルだと自分としては感じられなくても)経験が積み上がっていくことも大切だったと今は振り返っています。役に立つことができている感覚や、ささやかでもスキル向上や人間関係の手応えがあると、落ち着いて自分の個性や適性を理解し、やりたいことを見つけていけるような気がしています。
補足に書かれていたあなたの今始めようとしていることは、これまで書いたウ・サギの経験から言うと、なかなかグッドな選択に感じました。間違いのない選択はどこにもないとは思いますが、何事もまずは小さく積み重ねていくのが大切だとウ・サギは思っています。それは時にはぐるぐる悩んだりすることだったり、休むことだったり、むしろ一度我儘になってみることだったり・・・努力しないことが自分にとって必要な積み重ねの場合もある、というのも強調しておきたいです。

★質問を送りたい方はこちら→質問BOX

update 2025/7/5