Q.幼稚園の頃の物を整理していたら、出席ノートが出てきて、月の終わりにごほうびシール欄がありました。一回も欠席しなかった月に貼られていましたが、幼稚園児の頃は熱とかよく出すし、こういう皆勤賞のごほうびシールはどうなのよと思います。
A.なるほど…確かに!休まなきゃならない時には休んだ方がいいしねぇ~適切に休めたシールとか、いろんなご褒美シールの種類があれば解決する…??やみーペンはシールに今ハマってるから、シールって聞くだけでウキウキしちゃう…!!
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Q.幼稚園の頃の物を整理していたら、出席ノートが出てきて、月の終わりにごほうびシール欄がありました。一回も欠席しなかった月に貼られていましたが、幼稚園児の頃は熱とかよく出すし、こういう皆勤賞のごほうびシールはどうなのよと思います。
A.なるほど…確かに!休まなきゃならない時には休んだ方がいいしねぇ~適切に休めたシールとか、いろんなご褒美シールの種類があれば解決する…??やみーペンはシールに今ハマってるから、シールって聞くだけでウキウキしちゃう…!!
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Q.最近、肥満症の広告が多くてちょっと嫌な気分。BMI25を超えたら治療が必要なんだって。
好きなだけ食べたり、健康以外を大事にする生き方も自由だと思ってたんだけど、だめ?全員スリムで健康でなければ生きるのも許されない?何のために...?
A.補足の内容も含めて実にまっとうな主張だと感じて、ひたすらにうんうんと頷いています。最近は肥満症についての広告なんて増えているのですね…。ウ・サギは広告を見る機会が少ないのですが、毛穴がどうとか、有名大学への合格率がどうとか、ああいうのは見る度に気持ちが滅入るものがあります。まず「こういうのが正しい」「良い」という価値観ありきで、話が始まっているのが怖いです……。
人間は多かれ少なかれ不健康に生きているので、人生においてどの健康をどれほど優先するかは、個人の自由だとウ・サギは思っています。肥満にならないように意識して、自分の楽しみや自由を過度に犠牲にするなら、それもそれで心が不健康だとも感じます。
公共の福祉に反しない限りは、どんな生き方ももう本当に自由だとウ・サギは思います。スリムじゃなくても健康じゃなくても、それを他の誰かにだめと言われる筋合いはないと、ウ・サギは声を大にして言いたいです!
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Q.「Q.医療の現状からニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思う」のの一発言に反論します。「社会が悪い」という言葉は、誰しも社会に支えられて生きている面があるとはいえ、実際に社会に苦しめられている方の切実な苦しみから出るまっとうな言葉だと思います。この意見をどう思いますか?
A.それはカエルの発言の意図が正しく伝わっていないので、カエルの意見への反論ではないのかなと思います。カエルが表現したのは、権限や力のある立場の人が自分のことを棚に上げて「社会が悪い」と言ってしまうことを指して言いました。
カエルは「社会が悪い」という言葉そのものがおかしいとは思っていません。今社会の中に多くある生きづらさのほとんどは社会的な問題だと思うので、社会が悪いという課題意識は重要だと思います。ただ、「社会」と「個人」が敵対関係にあるのではなく、どんな個人も社会の一部であり「社会が悪い」という言葉を言うのなら、その責任の一端が自分にもあるという自覚のもとに使うべきだという意見を伝えました。そして、社会的に強い立場の人ほどその責任は重く、より簡単に使うべきではないと思っています。逆に社会的に弱い立場の人には責任は少ないと思うので、比較的、率直に大きな声で言うのは自然なことかなと思います。
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Q.支援者に身体接触してしまうことは“良くないこと”ですか。
支援者を不快にさせるためじゃなくて、支援者と安心して過ごすためとか、支援者に気持ちを伝えたいときに支援者の身体に触れます。
その頻度は毎回です。
A.これは対話が必要な案件だとカエルは思いました。支援者の方もいろいろな人がいるので、接触されても全然かまわないと思う人もいれば、とても苦手な人もいます。人と人との関係なので、自分の希望と相手の希望が折り合わないと成立しませんし、折り合えば成立することがあります。
合理的配慮や意思決定支援に関係する問題だと思うので、もっとも自分のことをわかってくれそうな人に手伝ってもらって、
①身体接触が何のために必要なのか、それ以外の方法はないのか
②どのような接触や頻度、相手ならいいのか、悪いのか
という接触する場合の基準を検討するのが良いかと思います。
具体的なイメージをカエルが支援者だったら…という想定でしてみると、カエルは人に触られることがとても苦手なのですが、誰かのサポートをする際にその人がどのような必要性があって、どのような目的でどこをどのように触るのかという事前の協議があれば、大丈夫な気がします。
逆にそうした話し合いの機会がないまま、触られるとかなりびっくりして、サポートすることに抵抗感をもってしまい、気まずくなりそうです。または、何度も触れた場合につい一方的に「私は触られるのが嫌なのでやめてください」と言ってしまうかもしれないと思いました。だから、このように「私はこうしてもらいたいです」と提案することに大きな意味があると思いました。
合理的配慮とは困っている当事者が「こうしてもらいたいです」という申し出を受けて始まることなので、今回の質問はとてもありがたいと思いました。
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Q.親の実名は決して出さずに「親に〇〇されて、私は、つらかった」「過保護だ、過干渉だ」「毒親だ」
などとネットに投稿するのは、親への悪口でしかないのでしょうか?良くない、酷いことなのでしょうか?
A.世間が何を「良くないこと」とするかは時代によって変わるものですし、良くないことは全て禁止すべきか?というのも難しいところですが、そういう哲学的な話は置いておいて、親の実名を出さずにネットに親へのネガティブな感情を投稿することの問題点を考えてみますね。
結論から言えば、ウ・サギとしては問題あるとは思えませんでした。身体や生命を脅かしたり、強い立場の人が弱い立場の人を抑圧したり、実名でバッシングする等他の不特定多数の悪意が向くようにする行動は酷いことに該当すると思いますが、匿名で親(自分より強い立場)の人への愚痴や、つらかった気持ちを書くことは、ウ・サギ基準では酷いことには当てはまりません。
ただし「こんなことは絶対的に誰がどう見ても酷いことです」みたいことじゃなくても、相手にとっては酷い(と感じる)ことであるときはあります。自分と相手では見えてるものや感じることが違うので、「自分側の見えているものが絶対真実で、あなたの方が間違っている!」という論調でぶつかると、お互いにダメージを負うかもしれません。といっても、じゃあお互い様だよねというのも違って、どう感じたかの聞き役になって受け止める役割は、まずは強い側の方にあるとウ・サギは思っています。
ネットに親へのネガティブな投稿をすることについては、親にとっては酷いことに感じられる場合はあると思います。だからといって、親へのネガティブな投稿をするのが許されないとはウ・サギは全然思わなくて、質問者さん自身が自分の傷ついた気持ちと、親が傷ついた気持ちの、どちらを大切にしたいかで決めていいのかなと思いました。「私の親は毒親だ」などと思うのは自分の自由で、誰にもそれを責める権利も、制限する権利もありません。もしネットへの投稿やその他行動を我慢するにしても、自分の気持ちを否定することはしないでいい、しない方がいいとは、ウ・サギは強調しておきますね。
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Q.最近職場にやって来た警備員がかわいくて、こっちも負けてられん!と対抗心燃やしてます(笑) なんで対抗しちゃうんだろう…
A.なんでも対抗心が湧くタイプ…??やみーペンはあんまり対抗心とか湧く方じゃないけど、自分の方が上手くできる!って思った時には張り合って奪っちゃうかも??そういうこと…??
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Q.虐待されていると友達から相談を受けたという質問の回答が冷たく感じます。
子供に自分の身は自分で守れと強いるのは酷では無いですか。
私も過去に虐待を受けてることを友達に話したことがありますが、もっと持ちつ持たれつ精神になってみてはどうですか。
A.読み返して、表現に至らない点があったと反省しました。まだ至らない点もあるかと思いますが、この質問を受けて、回答はすぐ修正させてもらいました。
気持ちや意図としては、子どもに自分の身は自分で守れと言うつもりはまったくありませんでした。
・「子ども同士で」「友達として」できることを考えると、解決について責任を感じすぎない方が、質問者さんが継続的に友達の支えになることができるのではないか
・暴力抑圧被害からは誰しも守られるべきで、助けになるためにやれることをやるのは大前提として、気持ちの面で「助けよう」「助けてあげないと」というイメージは実はうまくいきづらくて、「本人の自分を助けようとする力をサポートする」「協力する」というイメージの方がいいとウ・サギは感じている
・子ども同士であれば話を聞くだけでまずは十分で、解決へのアプローチで考えれば、どの大人や相談機関に相談してみるのがいいか一緒に考えるのがいいのではないか
といったことを書きたいと思っての記事だったのですが、全然きちんと表現できていなかったです。質問ありがとうございます。
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Q.最近、脂物(コロッケ、トンカツ、エビフライなど)、味濃いもの(タルタル、クリームなど)が食べたくなくなってきた。心の病気?それとも単に栄養足りてるだけかな?
A.ウ・サギは好きな食べ物でも食べたいシーズンと全然食べたくないシーズンがあるので、第一印象としては、あまり心配なことには感じませんでした。納豆や冷奴が一番極端で、数カ月に1回ブームがきて1週間くらいは頻度高く食べたら、また全く食べないシーズンに戻ります。ただ、脂物や味の濃いものは消化の負担がかかるという点があるので、もしかしたら胃の調子などで今そういったものを受けつけるのが難しくなっていて、「食べたくない」という感覚が生じてるかもしれません。
あとは年齢や生活習慣によっても食べたい物は全然変わるので、何かが食べたくないことや実際に食べないことについては、比較的自然な現象だとウ・サギは感じます。まずはゆったり構えて、もし他の変化や不調も現れてくるようなら、その変化について分析するくらいの心構えでいるのはどうでしょうか。
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Q.精神疾患や発達障害の治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。
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*記事バージョン* ※読みやすさを考え、動画の字幕から一部変更している部分があります
カエル いい質問だね。(質問文の)『治療では、主に「考え方や行動の矯正」を行う』っていうのに、カエルはびっくりしてるんだけど。
ペン そういう支援の仕方してるところ、確かにあるよねって思った。
カエル そういうこと「正しいものに変えていこう」っていうのかな? それは胡散臭く見えて当然とカエルは思います。どうですか?
ペン 難しい。やみーペンが病んでるときは、認知の歪みは増えてはいってたけど……。
カエル チャットでもね、『強制というより、いわゆる認知の歪み?』って言ってる。そうなんだよね。健常者に近づくことを目標とするなら酷い話だと思うんだけど、本来のその人の認知からズレているときは、いわゆるそれを戻すっていうのは大事だと思うんだよ。本人も苦しんでたり、そうじゃない方がいいなって思っているのに曲がっちゃってるときとかあるじゃない? 暴力受けたりとか、慣れない環境にいたりとか、周りに教えてもらえなかったりするとそうするしかないっていうので歪んでしまったりするときに、それを本来の本人らしく戻すのならいいんじゃない? でも、この質問した人はそういうことではないのかな? 違うことに怒って胡散臭いって言ってるのかな? そうなんですか? ウ・サギさん。
ウ・サギ えっ……ウ・サギにですか?
カエル 補足に。
ウ・サギ ああ、補足にね。
カエル 「マジョリティに近付け」みたいな矯正というか……。
ウ・サギ そういう風に質問した人は感じてるっていう。
カエル それは治療の場じゃなくても「これが普通だよね」とか「当たり前だよね」って普段からずっと言われているから、理不尽にね。そもそも治療の現場以前に、ニューロダイバーシティっていうのが当事者にとって胡散臭く聞こえるのはごもっともだと思うよね。だから、ニューロダイバーシティはまだまだですって言ってしまえばいいんだよ。治療のやり方は個人モデルだから。この人に病気があって、その人の病気を治そうっていうのが、そもそもの医療の趣旨だから、そういう風にならざるを得ないけど……。でも方向性として、本来のその人らしさを取り戻すためにその人の苦しみを治療……っていうのでもいいとは思うんだけど、あんまりそうはなってないんだよね、きっとね。
ウ・サギ 社会モデルで考えると、治療というのはどういうものになるんですか?
カエル 社会モデルで考えると、治療はまず、社会との関係でその人が苦しんでるって考えるから。これはでも、主に精神疾患の分野だけだと思うんだよね。それ以外は病巣、病因っていうのがあって、そこにアプローチするのが本来の医療のやることなんだけど、精神疾患っていうのはとても特殊で、それがないんだよね。病気の因子が体の中にほぼないわけ。そうなると、周りとか社会との関係の中で起こるわけね。だから、社会との関係を変えていったり、学べなかったことを学んでいったり。つまり医療でやることは、症状の軽減みたいな薬飲んだりとかはあるにしても、生活を見る人と連携していくのが社会モデルだと思います、カエルは。パーソナリティの障がいっていうのも、カエルも嫌いなんだな、これは。なんだよ、その性格の障がいみたいな、人格の障がいみたいなのは……。これは、カエル的には、学べなかった自己を形成するのが凸凹になっちゃったとか、負担がかかって、あるところは大人になったけど、あるところは3歳児を抱えながらいるとかね。やみーペンも永遠の何歳児がいるもんね。
ペン いる! 仕方ない!
カエル それは、その自分とどう付き合うかっていうことを考えていく。そのそいつをどうにかしようとかじゃなくて……だと思うんだよ。
ペン 周りも「3歳児を大人にしよう」じゃなくて、その3歳児と付き合ってるやみーペンと付き合ってくれるかとか、その辺りが大事なんだけど、みんな年齢相応を求めてるのかな?
カエル そうだよ。何歳だからとか言うの好きじゃん。
ペン ね。
カエル ね。
ペン でも言うわ、やみーペンも。
カエル 精神疾患は歴史的にも差別されてきてたり、今も未だに…もちろん本人も苦しいから。でも、差別みたいなものもあるからね。だから本当は、その発達の障がいとかは特性じゃないですか。それって、特性=障がいじゃないはずなの。だから、ニューロダイバーシティの世の中では、発達特性は障がいにはならないんですよ。だから、治療の現場に来ないっていうのがニューロダイバーシティだと思う。治療に来たっていうのは、苦しくて差し障りが出てるってことじゃない? つまり、ニューロダイバーシティじゃないから心が悲鳴を上げちゃったって話だから、社会がいじめちゃう構造にあるってことなんだよね。難しいけどね、みんな見えないから。理解するの難しいから。カエルはね、当事者がどんな世界で生きてるかとか、何が苦しいのかっていうのを、もっともっといっぱい教えてほしいなって思うんだけど、聞く人がいないとね。ちゃんと聞いてくれる人。お説教するんじゃなくて。
ウ・サギ だから本当は、考え方や行動の矯正ではなくて、お互いに調整できたら一番いいんですよね。
カエル そう。苦しくない人も歩み寄ってね。どっちかっていうと強い立場の者がより譲るべきだとカエルは思うんだよね。反対になってるからね、弱い者がだいぶ譲ってるから。(コメントで)『社会の方に治療が必要』……その通り。矯正が必要ですね。見直さなきゃなんだよね。でもみんな社会の一部だから、他人事にはならないからね。いろんな人の犠牲のもとに生きてるっていうこと忘れちゃって「社会が悪い」とか上から目線で言うのもおかしいからね。これは、質問の内容はなかったけど、だいぶ喋れたね。大事な今の社会の課題を鋭く言ってると思います。
Q.「メンヘラ」という言葉が生まれた頃は精神科医、心理職、当事者を幅広く含む精神疾患と闘う人達のようなニュアンスで差別的では無かったように記憶しているのですが、いつ頃の時期から差別的に使われるようになってしまったのか気になっています。
A.この配信での「Q.私は「メンヘラ」という言葉は、差別用語に感じます(以下略)」を見ての質問ですね。ウ・サギは歴史については無知だったので、情報ありがとうございます。
言葉は、誰がどう使うかによって、時代の移り変わりによって、意味合いやニュアンスが変化していくものですよね…。差別的に使われているか、そうではないフラットなものとしてあるかは、コミュニティによっても変わると思います。ウ・サギの周りはメンヘラを差別したり軽んじたりする風潮が全くないので、ウ・サギはメンヘラを名乗ることも時々します。
属性についての表現は、周りが「あの人は○○だ」と勝手にカテゴライズして、それだけでわかったようにああだこうだ言い始めると、よろしくないことが起こっていくように思います。ウ・サギが初めてメンヘラという言葉を見たのは、ネットでの「彼女がとんでもないメンヘラだった」みたいな男性視点の話だった記憶があるので、そうやって周りが使うようになって、差別的な表現や不適切な理解につながりかねないものになっていったのでしょうかね……。抑圧されている側が自分の苦しさに名前をつけたり、その言葉を使って自分のことを語るのは大切だと思うのですが、抑圧している側がその言葉を好き勝手に使って語るのは、とても暴力的なことなのだろうとは感じます。
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