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タグ心の悩み
Q.生きたくない。こんな生活、いつまで私の体力がもつんだろう。相談なんてできないよ。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生きたくない。冬休みになって学校は休み。でも2週間もしたらまた始まるし、今も家にいるのがしんどい。こんな生活、いつまで私の体力がもつんだろう。相談なんてできないよ。

A.もうそろそろ、学校始まっちゃうころかな
相談できないのも気持ちはわかるし、こうなったら体力尽きてしまったら、ことが起こるかも?と思ってしまったカエルです。
本当なら体力が尽きる前に何とかできたらと思うのですが、カエルが出会った子どもたちも、相談したり助けを求めることができずに、とりあえず動けなくなったり、有事が起こってから、物事が動くことってわりとあります。
自分から相談するのは難しいけど、相談してもいいタイミングが向こうからやってくることもあるから、そのチャンスを逃さないのは大切だと思います。
それにしても、子どもが自分から安心して助けを求められる独立機関がなかなか整備されないし、そういうのが活用される準備も進まないのは歯がゆいカエルです。参考までに「子どもコミッショナー/オンブズパーソン」というものが具体例なので、参考になるサイトを紹介します。
子どもコミッショナー/オンブズパーソンについて|こども基本法プロジェクト

update 2025/1/9
Q.居場所がなくて困ってます。友達も信用できない。どうすればいいですか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.居場所がなくて困ってます。友達も信用できない。どうすればいいですか

A.居場所って家とか学校とか、物理的な空間や場所を指すわけではないのですよね。だから、家にも学校にも居場所がない場合ってわりとあることなのかなと思います。(残念ながらですが)
ただ、居場所がないとか、友達も信用できないと感じられる感性はとても大切だとカエルは思いました。
あなたの感性や気持ちがちゃんと働いて、警戒したり、疑ったり、迷ったり、こうして質問箱に送ったり…していることは支持をしたいです。
だから、カエルの気持ち的には「どうすればいいですか」という問いには「居場所がなくてもそのままでいいです」と答えたいのですが、肝心なのは居場所ですもんね。
所長室でよければ居場所にしてください!!

update 2025/1/9
Q.過去の嫌なトラウマのフラッシュバックがつらい、トラウマを消したいです
この記事の担当 やみーペン

Q.過去の嫌なトラウマのフラッシュバックがつらい、トラウマを消したいです

A.嫌な思いしたことやトラウマとの付き合い方って難しい。最初これがトラウマだ!って分かってない時は分かってない時で「なんなんだこれ??」ってなるし、トラウマだって分かってからは「またトラウマか!」ってなる。
トラウマを無くすことは難しいのかもしれないけれど、フラッシュバックとの付き合い方(どう現実に戻るか、どうサポートしてもらいたいか)くらいは決めれるようになりたいとやみーペンは思ってる。でも、自分が悪いわけじゃないのになんでこんなことに苦しまなきゃならないんだろうね……。

update 2025/1/9
Q.家にいるのも学校にいるのも嫌です。親から逃げてもいいんでしょうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.家にいるのも学校にいるもの嫌です。
必ず学校にいかなきゃだめですか、必ず家に居て親の監視下で暮らさなくてはいけないんでしょうか。私は親に愛されているという感覚もありません。親から逃げてもいいんでしょうか。

A.もちろん、学校に行かなきゃダメということはないし、親から逃げても構いません。子どもの権利条約では「子どもの最善の利益」という原則があり、子どもにとってもっともよいことは何か考えることが大切だとしています。
そして、実際に親と暮らしていない子どももたくさんいます。事情はそれぞれですが、それがイレギュラーだったり、特別なことではなく、いろいろな環境があることがもっと広がるといいなぁとカエルは常々思っています。
ただ、子どもの権利条約でも、子どもを育てる一義的な責任は親にあるとしていて、実際には親の力が強く、子どもの最善の利益に関しても、難しさに直面することもあります。親子と言えども、相性もありますし、お互いにつらい思いをしたり、我慢をして一緒に暮らす必要もないと思います。
まずは、子どもの気持ちや希望に耳を傾けて、一緒に考えて動く大人が増えたり、子どもだけが相談できて、必要なら支援をしてくれる独立した機関ができることをカエルは希望しています。

update 2025/1/6
Q.学校から帰るひとりの時間が怖い。悩みが頭をはなれなくて、身近には相談できる人がいない。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校から帰るひとりの時間が怖いんです。悩みが頭をはなれなくて。もうなにもかもがぐちゃぐちゃで、身近な人には相談できる人がいない。匿名で電話で相談できるところもあるけど、電話をする場所がない。また生きる希望が見えないです。

A.悩みがあって、誰かに相談したいという気持ちがあるのに、相談をすることが難しいのは無理のないことだと思います。相談って簡単なことではないのです。ただ、こうして「相談したい」「誰かに話を聞いてもらいたい」「わかってほしい」と願う気持ちはとても大切だとカエルは思います。あなたには自分のつらさを理解し、誰かに助けを求めようとする気持ちが働いているのです。そのことだけでも、すでにリスペクトの座布団を3枚ぐらいあげたいです。
電話が難しければ最近はチャットとか文字を使った相談もありますが、どうでしょうか。どうしても、自分で外部につながることが難しそうなら、カエル全国ネットを使ってあなたの近くで悩みを聞いてくれる大人を探してみましょう。

update 2024/12/28
Q.生きる理由ないけど死にたくないってときどう乗り切りますか
この記事の担当 やみーペン

Q.生きる理由ないけど死にたくないってときどう乗り切りますか
ずっとぼーっとしてるだけで前は楽しかったスマホ見てもなんも楽しくないし…けど死にたくないし…って感じでずっと悩んでます

A.やみーペンはジェラート食べて寝ることにしてる。どうやってその感情と付き合えばいいかって難しいから、美味しい!冷たい!って刺激いれて思考をやめるために寝てるんだ〜

update 2024/12/28
Q.すぐに人に依存してしまい、迷惑をかけてしまいます。どうしたらいいですか
この記事の担当 やみーペン

Q.すぐに人に依存してしまい、迷惑をかけてしまいます。どうしたらいいですか

A.やみーペンは母ペンギンとの間で依存するのが当たり前だったから、依存とは違う関係があるって知ってからびっくりした!!
お互いがつらくない過ごし方を学べる場が欲しいなぁ

update 2024/12/27
Q.学校に行きたくないです。どうしても学校って行かなくてはいけないの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校に行きたくないです。
幼い頃にいじめられたことがあってそれがトラウマで、家でも学校でも本心を表せません、
どうしても学校って行かなくてはいけないんでしょうか?
保健室登校を考えましたが、親が許してくれません。
どうすればいいですか?

A.学校はどうしても行かなければならないところではありません。あなたの気持ちや心の育ちがそれよりも大切です。学校に行くことがあなたの健やかな育ちを脅かすのであれば、無理をしていく必要はないというのがカエルの意見です。
あなたのようにいじめを受けたことにより、心の痛みが残っているのであれば、なおのこと無理をしなくてもいいよと伝えたいです。しかし、日本の場合、まだまだ「学校には行くべき」「嫌なことも我慢すると強くなる」という偏った考えも強く、子どもの願いや気持ちが尊重されないこともあります(とても残念なことですが)。
そもそも、人の個性はかなり幅広く、学校という場所はけっこう特殊な場所なので、合わない子どもも一定数いることも事実で、通いつづけている子どもであっても、ものすごく我慢をしている子どもたちもいるとカエルは思っています。

そのような背景がありますが、あなたの場合、親が難敵のようですね…
学校の先生で理解をしてくれる人はいるでしょうか。先生で味方になってくれる人がいそうなら、親の理解を促すための味方になってもらえるといいのですが。もしも、近くの大人ですぐに味方になってくれる大人が見当たらないのなら、こどもの人権110番という相談窓口があります。ほかにも子どものための相談窓口はいくつかあるので、自分に合う大人を見つけてみるのもいいかもしれません。

update 2024/12/27
Q.相談すると、する前より孤独感が強くなる気がします。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.相談すると、する前より孤独感が強くなる気がします。

A.なるほど、それは興味深いですね。
なぜ、孤独感が強くなるのか一緒に研究したい気持ちです。
相談にもいろいろありますが、どれも一時しのぎ的なものであることにはそれほど変わりはないと思いますので、本当につらいとき、しんどいときは終わった後に孤独感が増すのは不思議ではないように思います。
孤独感のためには、相談よりも所属することや社会参加の機会が必要だとカエルは思っています。

update 2024/12/27
Q.認めてほしい気持ちと、誰にも認識されたくない気持ちがせめぎあっている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰かに自分を認めてほしい気持ちと、自分は存在自体が恥ずかしいから誰にも認識されたくない、消えてしまいたいという気持ちがせめぎあっています。人に認められるだけの価値など自分にはないと分かっているのに。

A.消えたい気持ちの中には、恥ずかしいという思いが含まれていることが多いと何かで見たことがあるのですが、恥というのは一体どこからどう生まれる気持ちなのだろう、とウ・サギは常々研究したいと思っています。
こうあらねばという強迫的な理想とかがポイントだったりするのでしょうか…?

何が「人に認められるべき価値」になるのかウ・サギにはわかりませんが、こうやって生きづLABOを訪れてくれたことも、質問を送ってくれたことも、一つの認められるべき行いだとウ・サギは思います。
なぜなら、それは自分で感じて、自分で選んで、自分でした行動だからです。脅されてとか、誰かに扇動されてとかで、サイトを見にきた人はたぶんいないですよね。
そういった自主性は、いわゆる普通に生きている人たちよりも、むしろ生きづらい人の中にあると思いますし、生きやすい世の中になるためには自主性の復興(?)が大切だとウ・サギは感じています。
勝手に語ってしまってすみません……。

update 2024/12/24