Q.ねえ聞いて聞いて!!バレンタイン好きな人に渡してさ、ちゃんとホワイトデー当日の今日にお返し帰ってきたの〜!!マジで嬉しいんだけど!!誰かにこの幸せ共有したくて送っちゃった?最高!頑張って渡してよかった〜!
A.幸せ共有ありがとう!頑張って行動したことが形として返ってくると嬉しいよねぇ〜✨️やみーペンも何か嬉しいを叫びたいなぁ!
Q.ねえ聞いて聞いて!!バレンタイン好きな人に渡してさ、ちゃんとホワイトデー当日の今日にお返し帰ってきたの〜!!マジで嬉しいんだけど!!誰かにこの幸せ共有したくて送っちゃった?最高!頑張って渡してよかった〜!
A.幸せ共有ありがとう!頑張って行動したことが形として返ってくると嬉しいよねぇ〜✨️やみーペンも何か嬉しいを叫びたいなぁ!
Q.大学受験を乗り越えたこと、引っ越しの手続きなどを自分で調べて1人でしたこと、過去のつらい記憶と闘ったことを、褒めてほしいです。できればこれからを応援してほしいです。誰かにそう思うのは、自立できていないからでしょうか。
A.「自立とは依存先を増やすこと」という言葉があるのですが、ウ・サギもそう思っていて、自立=頼らないではなく「頼り上手になること」だと思っています。
だから、褒めてほしいなら、褒めてくれそう&あなたを褒めることを負担に感じない相手に、褒めてほしい!と言えるようになるのが自立だと思います。(相手のチョイスと伝え方がどんどん洗練されていくとなお良し、というイメージですが、褒めるだけでいいならわりと誰相手でもいけそうです)
大学受験、引っ越しの手続き、お疲れ様でした。過去のつらい記憶との闘いも、ウ・サギも自分なりに経験しているので、同志として健闘をたたえたいです。
生きづLABOで、お疲れ様パーティを開きたい気持ちになりました。
Q.私は、体調?が悪い時(身体の)につらい表情をしたいのですが、出来ません。心の中ではつらい表情が出来ます。どうしたら良いのですか?また、体調が悪い時(身体や心の体調が悪い時)どの様に過ごしたらいいか教えてください。(1日2個目だ?)
A.それは、なかなか深いお悩みですね…というのか、このことに自分で気づいていることがカエル的にはすごいことだと思いました。そのうえで、どうしたらよいか…考えました。
カエルの本心としては、「表情には出ませんが、今、心身がつらいです(byカエル)」というステッカーを発行して、それをおでこにはってもらいたいきもちですが、さすがに嫌ですよね。
多分、これまでの経験から、つらい表情をしない方がいいぞ、周囲に気づかれない方がいいぞと思って表情に出ないのかなと推測するので、今回の質問箱のように、「自分は表情に出ないんだ!」ということをまずは言いふらしてもらいたいと思います。それが解決の第一歩だとカエルは思います。(質問は1日1個までを意識してくださり、ありがとうございます!)
Q.いじめにあってから、相手に嫌われたくなくていい子ぶりっ子してしまうようになった。それで「可愛いね」「本当にいい子で天使みたい」って言われるほど人と関わるのが怖くなります。どうしたらいいですか?
A.最初にいい子をして相手に好印象を与えてしまうと、いい子をやめようにもやめられず、どんどん自分は疲れてくるし、人を信じられる経験も積み重ならない・・・というパターンがウ・サギもあるので「わかる、どうしたらいいんだろう…」と考え込んでいます。
時々、「あ、この人は無理していい子をやっているな。無理しなくていいよ」と気づいてくれる鋭い人がいるので、そういった人と出会えるか、小さい子どもや動物相手にはいい子をしなくても認めてもらえるので、そういった経験を積んでいくかかな…?というのがまずは浮かびました。あとは、実は周りにいい子している仲間が潜んでいることがあるので、仲間同士だといろいろ気楽に話せるなとも思います。
いつもいい子にしてられる人間なんてどこにもいないとウ・サギは思っているので、「いい子を見たら、無理していることを疑え」と、大人(余裕のある人)たちには意識しておいてほしいとも思っています。
Q.リスカと暴力が身近にあります。力になれることはあるでしょうか…?
A.身近にあるというのは、お友達が困っていて、その力になりたいという質問と理解したうえでお答えしますね。(※質問の補足に状況の説明があったので、それを踏まえた回答になります)
まずは、「力になれることはないか」と自分に心を寄せてくれる人が身近にいるということが大切なのかなとカエルは思いました。そのうえで、リスカと暴力の二つはちょっとタイプが違うことなので、一つずつお答えします。
リスカは自分で自分のつらさを自分だけで解決するための孤独な手段の一つなので、一人じゃないって思えることが何でも力になると思います。
だから、何でもいいから一緒に話をしたり(できるだけぶっちゃけた話)、遊んだり、リラックスして過ごせるような時間が大切かなと思います。無理をして、誰かに合わせるような時間になるとよりストレスがたまりそうなので、一緒にいなくても時々、メッセージのやり取りをするとかそんなことでもいいと思います。
力になりたい気持ちが先行して、お友達が申し訳なく思ったり、自分は情けないなぁと思うようなことがあると逆効果になるので気をつけましょう。「助けてもらってる感覚」「助けてあげてる感覚」みたいなものではなく、お互いに自然体でいられることが大切かなって思います。
つらい状況に追い込まれている人は自分はダメな人間だ、力がないと思ってしまいがちです。でも、リスカをしていることは自分を守ろうとする力のある人ですし、それまで我慢をしてきた人ともいえます。だから、そんな友達をリスペクトして、いろいろ教えてもらうのもいいかもしれません。
暴力に関しては、どんな理由があっても暴力を受けていい子どもというものはいないとカエルは考えています。
特に大人からの暴力は子どもの権利を侵害するものなので、カエルとしてはできるだけ早く解消したいと思います。ただ、子どもだけで解決できないことが多いので、まずは率直に話をしてもらえるのなら状況を聞いたうえで、タイミングや相手を見て、大人に相談をしてもらいたいと思います。
あと、死にたい気持ちを抱えていることが一緒なら、一緒に「死にたい気持ちって何だろう?」とか「死にたい気持ちはどこから来るのかな?」などと、話し合ってみるのもおススメです。ぜひ、話し合ってみた結果を質問箱で教えてもらえたらと思います。
Q.家に(毎日ではないが)来て下さる先生がいて、その先生が私の肩を軽くポンポンしたり、頭を撫でてきます。(肩をポンポンは)痛く感じるのと、元々嫌なのと両方です。頭撫でてくる方は、嫌なだけです。嫌な事をその先生には言いたくないですが、自覚して欲しいと思っています。後、他にも私が嫌だと感じる言葉を言ったりしています。(今は少なくなりましたが)その先生のせいで私は前に死にたいと思った事もありました。その先生の事をウ・サギさんはどういう風に思いますか。私は酷いな。と思います。お返事、お願いします。
A.ウ・サギは昔から触られるのが大嫌いなので、それは酷い…!と共感し、先生にムカムカしています。
という個人的な気持ちもありますし、「同意なく触る」のは「身体のバウンダリーを侵す」行為なので、先生にはそれを自覚して改善してほしいし、先生という立場でバウンダリーを守れないのはとても困るよ、と思いました。厳しい言い方をすると、それは教育者としてアウトです、というレベルのことだとウ・サギは考えています。
バウンダリーというのは、自分と他人の境界線のことです。自分のこと(気持ち、体、持ち物など)をどう扱うかは自分で決める権利があり、いいですか?と聞かずにそれを侵略(勝手に触る、気持ちを決めつける、持ち物をとる…)するのは、相手を傷つけちゃう関わりになるから気をつけたいし、逆に侵略された場合はNOを言っていい、といった話がよくされます。
とくに、子ども(弱い立場)から大人(強い立場)へはNOが言いづらいので、大人側はバウンダリーによく注意する必要があるとウ・サギは考えています。
伝えるかはあなたの自由ですが、バウンダリーについてちゃんと知っている他の先生に伝えれば、指導・改善の入る事案だとは思います。
境界に入る行為は慎重に同意をとる、入られたと感じたらNOを言っていい。これは学校で一番に教えておきたいことだとさえ思うのですが・・・そうはなってない現状を大人を代表して謝っておきます。
Q.お母さん、私の事嫌いなんだろうな…そう思って毎日家に帰るのが苦痛。
A.そう思ってしまうってことは、何か実際に思い当たることがあるのでしょうか。
確かに自分のことが嫌いな人と一緒に暮らすのは苦痛だろうし、もしも本当は好きでいてほしい相手だとしたら、とても苦痛なことだろうと想像しました。
好かれたい相手に嫌われたり、そうじゃなくても誰かに嫌われたりするのはそこそこしんどいことだろ思うのですが、一方で自分以外の気持ちや好みはどうにもならないことだなぁとカエルは思っています。いや、自分以外だけではなく自分の気持ちや好き嫌いも、実はどうにもならないことなのかもしれません。
もしも、好かれなければとか、好きにならなければという「~べき」があるとしたら、カエルとしては親子とはいえそれぞれの好き嫌いはあっても仕方ないものだということは伝えたいです。そして、身近な人間関係って、好きとか嫌いというより、好きでも嫌いでもないぐらいがちょうどよいと思ったりします。
とはいっても、家に帰るのが苦痛な日々は何とかしたいとカエルは思いました。家以外に家みたいに帰れるところがあるといいなぁと思います。
所長たちはいつでもウエルカムなので、いつでも遊びに来て(帰ってきて)ください。
Q.テストがあった日、帰ると親に「どうだった」と聞かれる。自信ないと言うとえぇと云われ、嘘ついて出来たよ!と答えると、ひどいテストが返ってきたとき「できたって言ったじゃん」と云われる。なんという答えを親は望んでいるのか
A.え~困ったねえ・・・
なんにも話したくなくなるよ~
*ウ・サギから補足*
日々カエルさんも嘆いていますが、人間界は学校の成績というものに価値が置かれすぎていて、困りますね……。ウ・サギは、あなたの親は成績に過敏になりすぎている、心を支配されている状態とでも言いたい気持ちになりました。
過敏になりすぎている、心を支配されている状態の人は、そのトピック(今回ならテスト)について妥当なやり取りは難しいとウ・サギは考えます。なぜなら、その人が見ているのは目の前の人間ではなく、自分の中の理想や不安だからです。
だからもうなるべくテストの会話を避けるしかない……?成績に価値が置かれすぎる状態、そんな世の風潮を、どうにかできたらいいのですが…むむむ…
Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。許せない気持ちが間違っているとは思いませんが、「だから苦しんで当然だ」なんて残酷だと自分は思います。誰かを苦しめた人が、それを理由に苦しめられることについてどう思いますか?
A.「人を憎んで罪を憎まず」という言葉が人間界にもありますが、憎む(問題視する)べき対象は行為で、誰か個人を責めてもあまり意味がないと思っています。だから、加害者叩きのようなものはウ・サギも苦手だし、不毛だとも感じています。
ただ、あなたも言っているように許せない気持ち自体は間違いじゃないとウ・サギは思うし、止められないものだし、被害に遭った人は何一つ許さなくても全然OKだと思っています。一方で、被害者に移入して「許せない」と思っている周囲の人には、ちょっとよく考えてほしいと思っていて、本当に許せない・二度と起こらないでほしいと思うなら、その加害が起こってしまったメカニズムを解明して再発防止にみんなで頑張らないとダメだよね?とウ・サギは思っています。
我々は心をもつ不完全な生き物であり、時に過ちを犯す存在です。
だから、どんな暴力も「誰かのやった悪いこと」ではなく「自分も起こしうるかもしれないこと」「自らに内包されているもの」だとウ・サギは思っているし、敵はいつも、本質的には外にではなく自分の中にあると考えています。
だから全員が、加害者になった/なりうる/実はなっていたかもしれない苦しみに悶えて、一緒に背負い、一緒に考えていける世をウ・サギは希望します。
Q.この前期末の国語のテストで1問だけミスしたんだけど、そしたら「あんたは本読んでる割に頭悪い」とか言われんの!そんでイラついて言い返したら喧嘩になって、「もう成績の話はするな」って言われたから全国テストの結果出さなかったら怒られた。なんなん?
A.会話がかみ合ってませんね…
カエル的には人間界が成績の話題にいろいろナーバスなのは気になっています。少なくとも、子どもの成績については子どもの問題なので、依頼があるまでは介入すべきではないというのが基本的な意見です。よくても悪くてもどちらでもよく、子ども自身がどう思うのか支持するだけでいいと思うのです。
だから、あなたが頑張ったと思えばそれでいいし、悔しいと思えばそれでもいいし、成績の話をしたいのなら、あれこれ言わずに受け止めるのが、わきまえのある大人のふるまいだとカエルは思います。難しくないはずなのに、難しい…現実があります。子どもはそんな大人に怒ってもいいと思います!