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タグ社会派
Q.みんな何が楽しくて毎日生きてるのでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.みんな何が楽しくて毎日生きてるのでしょうか。毎日家と学校を往復で精一杯てふとなんのためにこんなに頑張っているのだろう、みんな何が楽しくて生きているのだろうと考えてしまいます。いっそのこと死んでしまってもいいのではと考えてしまいます。

A.ウ・サギ調べでは、何かが楽しいというよりは、何も考えずに毎日生きている、というのが近いかと思っています。あとは、あまり頑張ってなかったり、ちょっとずるく生きているから、毎日何となく生きられるのもあると思っています。
生きることには希望がある、前向きに生きようキャンペーンみたいなものが社会にあるとも感じるので、そのキャンペーンにちょっと流されてるのもあるかもしれません。
だから「みんな何が楽しくて生きているんだろう」と疑問を抱くのは、あなたが真面目に生きようとしていて、世間に流されないタイプである、ということを示しているようにも思いました。
そう考えていくと、生きるために一番大事なのは、実はほどほどに「頑張らない」が出来るようになる(頑張らなくても生きられる環境になる)ことなのかもしれないですね。

update 2025/2/15
Q.病気でも笑顔を忘れない人も、笑えなくなった子も、皆夢が叶う世の中になってほしいのに
この記事の担当 ウ・サギ

Q.病気でも笑顔を忘れない人。そういう人が、有名になって周りの力を借りて素敵な夢を叶えてる。でもさ、辛くて苦しくて死にたくて、病気で笑えなくなった子もいる。そういう人も、皆夢が叶う、笑える世の中になってほしいのに。今の世の中は理不尽に明るい、

A.「理不尽に明るい」というのは、的確で興味深い世の中評だと感じました。
ウ・サギは、夢があってもいいし、夢がなくてもいいし、夢が叶わなくても笑ってられるくらいのゆるい世の中を希望します。(と言いつつも、自分は何がなんでも夢を叶えたいウ・サギです)

update 2025/2/12
Q.学校に無理に行く必要がないってことは、学校に行って、途中で早退してもいいってことだよね?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校に無理に行く必要がないってことは、学校に行って、途中で早退してもいいってことだよね?なんで一回学校の敷地に入ったら、授業が全て終わるまで出れないみたいな、檻に閉じ込めるの?ひどいよ

A.もちろん、途中で早退しても構わないと思います。
今の人間界はルールが形骸化して、「何のために」そのルールや仕組みがあるのかを忘れて、よくわからない縛りや制限があふれているように感じます。

学校の(大人の)目的は、子どもに安心・安全と、成長の機会を保障することだとウ・サギは思っています。
その目的を達成するために、学校に言ったら授業が全て終わるまで出れない、といった風潮は必要ないはずです。ただ、学校や先生だけに責任を押しつけてもダメで、もっと学校以外で学ぶ選択肢があったり、学校の授業のあり方が自由になるべきだと思っています。

update 2025/2/12
Q.なんで苦しんでまで働く必要があるわけ?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働けない人って、どういう人だと思う?」『病気の人とか?』
、、、精神疾患で苦しんでる人のことは、考えてないんだろうな。そもそもなんで苦しんでまで働く必要があるわけ?

A.カエルは「働けない人」というのはいないと思っています。
どちらかというと、「働くチャンスをもらえない人」とか、「働く環境がすぐにはない人」ともいえるかもしれません。
カエルもそもそも、苦しんでまで働く必要はないと思いますし、「働く」=お金を稼ぐことともあまり思っていません。
こうして「働くこと」について考えて、疑問を投稿することも、カエル的には働くことだと思っています。自分たちの暮らす社会について考えて、自分なりにアクションを起こすことは「働く」ことにつながっていると思います。むしろ、与えられたことだけ考えもせず、こなすだけになるのならそれは「働く」のではなく、「こなす」「作業をする」ということになり、この量が増えると、社会は生きづらくなるというのがカエルのリサーチ結果であります。もっと、働くことについて考えていくのが大切だと思うのです。

update 2025/2/12
Q.大人は子供より嘘つき。なぜ児相とかで親が謝ってきたらその子を家に戻してしまうのか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大人は子供より嘘つき。人生を長く生きて、嘘の上手なつき方も知ってる。なのになぜ児相とかで、親が謝ってきたら、その子を家に戻してしまうのだろう。なぜ子供の声を守らないのだろう。その子が帰った先で、どれだけひどいことをされるか想像も出来ないのか

A.あなたの訴えをカエルがあちこちで普及したいぐらい、もっともな意見だと思いました。カエルも、似たような話を何度も聞いたことがあり、悔しい限りです。
少なくとも、子どもが「帰りたくない」と言ったのなら、それを尊重して、別のところで暮らすことができる保障をしてくれること、また、親の前で「帰りたくない」とは言えない事情もあるので、たとえ帰りたくないと言わなかったとしても、ひどい目にあったときにすぐにSOSを出せて、確実に助けてもらえる保障が必要です。
また、子どもを守るところが児童相談所に集中していることも一つの課題だと言われています。児童相談所は子どもも親も対応するため、どうしてもどちらか一方を優先させなければならない事態になりがちです。本来は優先される方が「子ども」であってほしいのですが、残念ながらそうならない現状もあります。
だから国連子どもの権利委員会からも注意されているように、子どもだけの味方をする独立機関の設置が求められます。また、子どもの意見を代弁する専門機関が必要だと思います。「子どもアドボカシー」という言葉があるので紹介します。全国で子どもアドボカシーについて考えているところがありますよ。NPO法人全国子どもアドボカシー協議会

update 2025/2/12
Q.人生において分けることも大事かもしれないが、グレーゾーンを持った社会であってほしい。
この記事の担当 うさえなが

Q.人生において、黒か白か、良いか悪いか、出来るか出来ないか、好きか嫌いか、分けることも大事なのかもしれない。でも、グレーゾーンを持った社会であってほしい。グレーゾーンは必要だと思う。

A.グレーゾーンってなあに?
でも、なんかかっこいいから、いいと思う!
我もグレーゾーンがいい♪

*生きかたカエルから補足*
カエルは物事はすべてスペクトラムであり、グレーゾーンは当たり前のことだと思っているので、同意します。
ただ、時には明確にすべき課題もあるとは思うので、どれぐらい黒に近いグレーなのか、白に近いグレーなのか、そしてそのグレーは何を意味するのか考えることは忘れたくないです。
おそらく、白か黒かという二項対立の思考は分けてしまうことでそれ以上考えることをやめてしまいがちなところに大きな課題があると思っています。だから、グレーだと決めてしまって、思考停止するのならそれはそれで危険なことだとカエルは思うのです。

update 2025/2/12
Q.我慢って必要だと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.我慢って必要だと思いますか?我慢することで頑張っている自分を褒めたくなることもあるけれど、我慢なんてするんじゃなかったと後悔することもあり、難しいです。

A.それは「我慢」をどう定義するかによるので、難しいところですね…。ウ・サギは「しなくてもいい我慢はしないのが一番」だと思っていて、「本当に我慢が必要なときはした方がいいだろう」と思っています。
しなくていい我慢は、極端な例をあげると、体育会系のしごきのようなものです。上級生に理不尽に攻撃されるとか、科学的根拠もなく水を飲まないで走らせられるとか・・・。それを我慢し続けると悪しき風習が続いてしまうので、逆に、我慢しないことが大切になると思います。(ただ、NOを言うのは勇気やエネルギーが必要なので、我慢せざるえなかった人を責める意図はありません)
必要な我慢は、例えば災害があって水の量に限界があるときに、たくさん飲まないように我慢する、といったものです。あとは必要まではいかないですが、オリンピックに出たいとかであれば、目先の欲をほどほどには我慢できた方が結果を出せる可能性は上がりそうです。

まとめると、
・自分含めた誰かの生存や安全のためには、我慢することには価値がある
・誰かの欲望や思考停止の指示(勉強しろなどはこれに該当するとウ・サギは思います)には、我慢をしない方がよい
・どうしても叶えたい夢や出したい結果などがある場合には、我慢する力があった方が便利
というのが、ウ・サギの我慢論です。

update 2025/2/12
Q.親は「遺伝子をのこす事がヒトの生きる意味」と言う。異性を好きになれない私はなんで生きてるの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親は、「結婚や出産は絶対にするべき」だと言います。「遺伝子をのこす事がヒトを含め生き物の生きる意味なんだから」とも。それなら、異性を好きになれない私はなんで生きてるんですか、、?

A.ウ・サギとしては、親の考えは偏っているし、筋の通ってないものだと思いました。
人間社会というのは、本能(動物としての生きる意味)よりも理性や心を尊重するという理念で成り立っているものです。もしそうでないなら、それぞれが自分の欲求を最優先し、弱者は淘汰され、私たちのほとんどは安心して生きられなくなるでしょう。
だから生き物のロジックを繁殖にだけ適用しだすのは、変てこな話です。

ただ、子どもが産まれないと社会が存続しなくなるのも一つの事実です。しかし、だからといって「結婚や出産は絶対にすべき」というのは飛躍した論理だと思います。
とりあえず今のところは放っておいても、出産する人々・出産願望のある人は一定数いるようですし、社会の存続には「産む」ことだけでなく、「育てる」人やチカラ、それを支える環境(住まい、医療、学校、福祉…)も欠かせません。
もし人間の生きる意味を定義するなら、無理ない範囲でそのどこかを担うことかとウ・サギは思いますし、逆に、すでに無理なく社会が存続できているなら、たまーに必要なときだけ動くのんびりな人がいていいと思っています。
大人たちには、結婚やら成績やらの目先の何かにとらわれず、人々の心が守られる、持続可能な社会をつくることを真剣に考えてほしいと思います。

update 2025/2/12
Q.偏差値でグループ分けされて上位のグループであるほど良いという風潮がつらい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.早慶とかMARCHとか偏差値でグループ分けされて、上位のグループであればあるほど良いという風潮がつらい。気にしないようにと思っても、先生や友達もその基準ばかりで、どうしても気にしてしまう。

A.偏差値は高いほど良いというのが「真実」だとみなすような人も増えてきた(と感じられる)世で、それを「風潮」「基準」と表現してくれる人がいるのに希望を感じたウ・サギです。

ただ、周りと基準が合わない、気にしないようにしても気にしてしまう、というのはしんどいだろうと想像しています。
自分の気持ちや価値観を安心して表現できる居場所がないと、心は弱っていくよなあ、と自分の経験も振り返りながら思います。

それにしても、偏差値が上の方が良い、というのは何をどう根拠にしてそう思っているのか?先生に聞いてみたいですね。
その問いにきちんと自分の言葉で答えられる人はいないとウ・サギは思うし(就職のためのちょっと有利な要素くらいになるとはいっても、たかが一つの要素になるだけだし、学歴がないのが貧困に結びつくならそれは社会が間違っているだけです)、根拠もないことを信じている人の言葉に、負けたくはない・・・でも、周りがみんな言っていたらウ・サギも気にしてしまう・・・とぐるぐるしています。

何が上だとか下だとか、良いとか悪いとかではなく、人間は一人の感じ考える存在であることが、等しく価値のあるものだとウ・サギは思います。

update 2025/2/10
Q.スクールカーストやルッキズムに違和感を覚える一方で何もできない自分が虚しい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.スクールカーストやルッキズムに違和感や苦しさを覚える一方で、何もできない無力な自分が虚しいです。こんな社会でも楽な気持ちで生きてゆくためには、どうすればよいのでしょうか。

A.スクールカーストやルッキズムに違和感や苦しさを感じられるだけで「何もできないわけではない」とカエルは思うのです。あなたの感性は実にいい仕事をしていると思います。
人間界は生産性というものを重視しすぎて「何かができる」と表現するようですが、豊かに生きるためにはそれよりも「何かを感じる」ことの方が大切なのです。
カエル界では感じることが何よりも大切だと多くのカエルたちが分かっているので、とても楽な気持ちで過ごせます。よかったら、真似をしてみてください。

update 2025/2/10