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タグ社会派
Q.なぜ義務教育を終えた学生は一度でも心の病気になったりするとその生活を諦めなければいけないのか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.なぜ、義務教育を終えた学生は一度でも心の病気になったり普通の生活が難しくなるとその生活を諦めなければいけないのでしょうか。無理しないようにと声をかけていただいても単位が気になってなかなか休めません。色んな選択肢があればいいのにと思います。

A.おっしゃる通り、義務教育後の学校は「単位」というもので成果が決まっているので、カエル的にはそれは一定程度仕方ないところはあるのかなと思います。ただ、カエルとしては学校はいつでもやり直しできたり、大人になってから学びたくなって別の学校に行ったりと選択肢はわりとあるようには思っています。ただ、そこまでバリエーションがあるかというと、多くの人が回り道をしたり、大人になってから行く道はあまり選ばない(目立たない?)ので、どうしてもストレートで行って体調面や経済的な問題などの事情で中断すると不利益になってしまうことはあるのだろうと思います。
ただ、少子化が進み学校に来る人はどんどん少なくなるので、こうした声が出てきたら、学校のスタイルも様々になると思います。広げていきたいですね。

update 2025/5/11
Q.ゲームからログアウトする感覚でしにたくなるんですけどだめですか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ゲームからログアウトする感覚でしにたくなるんですけどだめですか

A.しにたくなることは全然ダメじゃないと思います。
でも、補足も読んだ感じ、思うことについてのダメとかいいではなく、「しんでもいいよね?」という方向の問いをしている部分がありそうと受け取っています。
しぬ選択がほしい、という強い思いは、この社会に素敵な(マシだと思える)選択肢が見えない、これまでの自分には選べるものも十分なサポートもなかった、という叫びだとウ・サギは受け取っています。ウ・サギは個人が何を選ぶかに干渉はしようと思わないですが、そういう選択肢のない社会のあり方は絶対に変えるという思いで生きているので、しぬのはだめですか?と聞かれると、しぬ・・・(ことを考えたくなる社会では)だめです、という気持ちで黙るしかできない感覚になります。変なことを語ってしまいすみません。

update 2025/5/7
Q.「〇〇だから仕方ない」は支える側に、「〇〇を言い訳にするな」は当事者側に暴力ならどうすればいいのだろう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「〇〇だから仕方ない」は支える側にとっては暴力で
「〇〇を言い訳にするな」は当事者側にとっては暴力
そうだとしたらどうすればいいんだろう
支える側も当事者も助かる仕組みに手が届きやすくなればいいのかな、くらいしか思いつかない

A.例えば、「発達障がいだから仕方ない」「発達障がいを言い訳にするな」みたいな話ですかね。
「言い訳にするな」は間違いなく暴力ですが、本人が「〇〇だから仕方ないじゃん!」と主張するのは、暴力までとは言わないかなとウ・サギは思いました。それを言われたら、支える側が困っちゃうし、話が進んでいかない、みたいなのはあるかもしれません。でも、例えば「自閉スペクトラム症だからこだわりが強い」のは仕方ない(変えられない)ことでも、こだわりで「自分や周りがなるべく困らないようにする」ことは工夫していけると思っていて、その認識をお互いに持てるといいのかなとは思ったりします。
論だけでぶつかると平行線になってしまうことがあるので、どうしてその人がそれを言うのか、言われてどう感じたのかなど、主張の裏にある気持ちを話すのが大切なのではないか?と最近ウ・サギはよく思います。
でもぶつかってる同士でそれをやるのは大変だと思うので(当事者側はとても傷つきますし)、間に入ってくれるような存在や、支援者側にも一歩落ち着いて相談できる相手がいればいいのかな、とも感じます。

update 2025/5/6
Q.どんな人も支援や生き方を選べる社会がいいけどそれが叶わないならせめて嘆きを否定されない社会がいい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.お金を稼げない方も、日常生活上の様々な事をこなせない方も、年齢とか診断の有無とか関係なく支援とか生き方とか選べる社会がいいと思うけど、それが叶わないのならせめて、どんな嘆きも甘えだ!とか自業自得だ!みたいな否定をされない社会がいい

A.まったくもってその通りだと思います…!立ち上がって拍手をしたいくらい、あなたの意見にウ・サギも同意です。
支援はとくに財源の問題もあるし、どうしてもすぐ解決とはいかないと思いますが、「甘え」「自業自得」と勝手に決めつける行為は、費用ゼロで本当は今すぐにでもなくせるはずです。不平等な社会で損をしている側の状況がすぐに変えられないなら、せめてつらい現実を好きに嘆く権利くらいは与えてくれないと、不平等に不平等が重なって酷い話だとウ・サギは思います。

update 2025/5/6
Q.気づいたらいつも少数派。皆と違う意見になりやすく、「逆張りするな」と言われがち。
この記事の担当 所長室

Q.気づいたらいつも少数派。皆と違う意見になりやすく「逆張りするな」と言われがち。意識して反抗してるのは怒られると思うけど、ただ皆と考え方が合わないだけ。「少数派も大事な意見」なんてありふれた励まし方はされたくない。

update 2025/5/4
Q.ここで過呼吸になったら心配してもらえるかなーとか思う自分が最低すぎて死にたい。
この記事の担当 所長室

Q.本当に苦しんでいる人たちがいるのもわかっているのに、ここで過呼吸とかになったら人に心配してもらえるかなーとか軽率に思っちゃう自分が最低すぎて死にたい。

update 2025/5/4
Q.親から暴力を受けていなくても、居場所がないと思ったら家出できますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親から暴力を受けていなくても、居場所がないと思ったら家出できますか?

A.もちろんです。家出はできます。というのか、カエルは「家出」という言葉は非常に不適切な言葉だと考えています。我々には「どこで誰と暮らすのか」を自分で決める権利があります。ただ、子どもの場合は保護者の存在や権限が大きいので、家ではないところで暮らすためにはハードルがありますが、そこから出たいと思って別の生活の場を選択するのは家出ではなく、「住まいの選択」をしているだけだとカエルは思うのです。少なくとも、「この家では暮らしたくない、別のところで暮らしたい」と願ったり、その願いを口にすることはまったくの自由です。ただ、それが実現するかどうかはいくつかの理由が必要になる場合があります。
その理由ですが、カエルが気になったのは「暴力は受けていないけど、居場所がない」という点です。叩かれたり、殴られたりする暴力を受けていなくても、言葉による暴力(暴言や否定の言葉など)や態度による暴力(無理に勉強や習い事をさせられる、意見を聞いてもらえない、無視をする、きょうだいと差別するなど)や必要な世話をしてくれない(ご飯がない、病院に行かせてもらえないなど)も暴力と同じように、子どもが家から出たい理由として認められます。もしも、親同士の暴力やけんかなどがいつもあることも、子どもが家から出たい正当な理由になります。あなたにとって「居場所がない」「家出したい」と思うのであれば、そこにはそれなりの理由があり、それを受け止められる大人や社会であってほしいとカエルは思います。少なくともカエルは子どもが「住まいの選択」を主張できるようになってほしいし、同時にあらゆる子どもたちの「住まいの安心安全の確保」をしっかりと議論できる社会にしたいと思っています。

update 2025/5/3
Q.子供の頃早く自立したいと思っていたのに自立できず親に依存している。何をどうすれば自立できるのか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.子供の頃、一刻も早く自立したいと強く思っていました。それなのに自立していなければおかしい年齢になってもいつまでも自立できず、結局親に依存しています。もうずっとこのままなのかなと思うと本当に怖い。何をどうすれば自立できるのか悩んでいます。

A.それは「自立」をどうとらえるかによるとカエルは思います。
自立というと、自分でお金を稼ぎ、自分のことを自分でやることのように思われているけれど、実は違うというのがカエルの意見です。
特に経済的な自立に関しては、就労とのマッチングがこの社会ではあまりに平等ではなく(企業の求める人材というのがあまりに限定的で)、生活費を稼げる人が自立している人とみなすには、合理性を欠くと思っています。そもそも、能力的に制約がある場合に、就労して生活費を稼ぐことが難しい人は一定数いるため、いわゆる社会保障を利用して生活費を確保することも当然ありで、利用する意思決定や選択そのものが自立の行為であるとカエルは考えます。

例えば生活保護の制度はそのためにあります。生活保護を受けたとしても、少しでも働ける分は働くことができますし、何かしらの障がいがあれば年金をもらう方法もあります。どうも、生活保護制度が正しい理解をされていないことや、誤解をたくさん受けていることもその背景にはあるように思っています。
生活保護法の第1条には「この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」と明確に自立を後押しするためにあると書いています。
生活保護を受けること=自立していないのではなく、その人なりの自立のために生活保護をはじめとした社会保障の仕組みを活用することが一つの方法だと理解が広がるか、もしくはどんな人も漏れなくその人なりの労働(いろいろなパターンがある)が保障され、その対価として生活が保障される仕組みがあることで、誰もが様々な形で自立できるようになることが必要だと思っています。

そもそも、誰もが誰か(何か)に依存して自立をしています。自立とは「上手に依存できるようになること」と表現されることがあり、カエルもそれに同意しています。質問者さんが親に依存するのが本意ではないのであれば、依存先を親から別の方法に変えることもまた自立の形だと思います。
年齢や性別、能力に関係なく誰もが自立することができるよう、自立の在り方についてもっともっと議論をしてみたいと思いますし、いろいろな自立のための仕組みがあることを願っています。(長くなりました…)

update 2025/4/30
Q.今日から地獄の父親と歩けない弟との暮らしだ!俺様には3週間が限界!
この記事の担当 うさえなが

Q.今日から地獄の父親と歩けない弟との暮らしだ!
母親の3週間足の手術で入院

俺様には3週間が限界!

A.俺様!かっこいい~
でも限界は困った!

*生きかたカエルから補足*
詳しい事情は分かりませんが、これまでもいろいろ我慢をしてきてふつふつと湧き上がる限界感が伝わってきました。
カエル的には、家庭の問題が家庭内だけで完結させられてしまう現状が権利侵害を生み出していると思うので、どうにかして家庭内の課題を外に出せないかと思ってしまいます。すぐにどうにかなるわけではなくても、家の中でこんなことを起こっている!自分は嫌だ!もう限界だ!と言えて、それを受け止めてくれるところにつながってもらいたい気持ちです。まずは、こうして質問箱に思いを届けてくれたことがカエルとしては嬉しいです。

update 2025/4/29
Q.助け合いができる社会になるために必要なことってなんだと思いますか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.助け合いができる社会になるために
必要なことってなんだと思いますか

A.補足に「みんなが弱音をもっと出したら」というアイデアが書いてあったのですが、みんなが弱音を出し合うことはとても重要なポイントだと思います。
カエル的にはいろいろな人たちがお互いに違いを知りあうことが大事だと思っています。現実社会では同質な人たちが集まる傾向があり(学校や会社とか)、自分と他者との違いを知る機会が少なかったり、いろいろな人たちの事情を体感する機会もあまりありません。だから、いろいろな人たちがお互いのことを知る機会が増えるといいなぁというのがカエルの意見です。
でも、他にもいろいろな方法があると思うので、今度生きづLABOでアイディアを出し合う企画をやるのもいいかもって思いました。

update 2025/4/27