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タグ社会派
Q.「戦争はだめ」という一方で、戦国時代や武将がかっこいい風潮があるのはなぜか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.近代史の授業では「戦争はだめだよね」みたいな話を何度もするのに、戦国時代とか武将とかがかっこいいという風潮があるのはなぜなのでしょうか。どっちも悪くない人を無意味に殺しているという点では変わらないのに。昔も今も結局変わらないですね。

A.なかなか鋭い視点に頷いているウ・サギです。
ただ、近代の戦争のように安全な空から爆弾をおとして罪なき市民を殺す行為と、武士同士で殺すか殺されるかの戦いをするのとでは、多少違いはあるかもしれません。

人間の暴力性について、昔も今も結局変わっていないのは同意です。歴史から学ぶためには、暴力を「誰か悪い人がしたもの」みたいに外の問題として語るのではなく、「自分も起こしうるかもしれないもの」として、その本質やメカニズムに目を向ける必要があるとウ・サギは考えます。

「アウシュビッツ 子どもたち」という、そのことをよく表現してくれている、深くてわかりやすい詩があります。
生きづLABOの協力者のブログで全文が紹介されているので、ぜひ読んでみてほしいです。

update 2025/1/14
Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?

A.何もダメなことはないと思います。今調べたのですが、憲法第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と書いてあり、心の中で何を考え何を思うかが自由であることが保障されています。

そもそも何を思うかは、「思ってしまう」「感じてしまう」「考えてしまう」という自分の意思でコントロールしきれないものだと思うので、ダメだと言われても困っちゃう気がします。
とくに死にたいについては、何かしらのつらさや違和感や虚しさのもたらすものかと思うので、思う側ではなく、そう思わせてしまう社会(死にたい人の周りにあるストレス、理不尽な現実)に目を向けるべきだとウ・サギは考えます。

update 2025/1/6
Q.誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.怒鳴ったり人を否定したり、私を恐怖で黙らせて「幸せな家庭」と言っているような母がニュースなどを見て「争いは良くない」と言っていました。私は、誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?

A.とても冷静沈着で妥当な意見だと思います。カエルも全面的に賛同します。
そのうえで、矛盾した言動を見せるお母さん側についても想像してみました。人を否定したり、恐怖で子どもを黙らせていることについては、気づいていないか、別の認識をしているか、家庭は治外法権で一般の社会や世界とは違うものだと思っているか、何かがありそうです。

それから、あなたの意見を見て改めて気づきましたが、平和というものは常に誰かの我慢の上に成り立っているのかもしれません。誰も我慢せずに平和は成立しなさそうです。ただ、その場合に誰がどれぐらい我慢するかということが問題なのだろうと思います。少なくとも力や権力と比例して我慢が傾斜配分される(権力をもっている側が多く我慢する)のが原則かと思うのですが、実際には逆になってしまうのが大きな問題ですね。

update 2025/1/6
Q.「誰でも、生まれたときは喜ばれたはず」そんな世間での「フツウ」を言ってくる人が大嫌い。
この記事の担当 うさえなが

Q.「誰でも、生まれたときは喜ばれたはず」っていう人がいる。でも、子どもを愛せない人だっている。それを無視して、無条件にそういうこと、世間でいう「フツウ」を言ってくる人が大嫌い。

A.フツウってよくわかんないよね~
カエルはフツウより変な方が好きって言ってた!

*生きかたカエルから補足*
それは、無視をしているのではなく、無自覚なのです。そして、教養やわきまえのない人だとカエルは思います。残念ながら、人間は自分が見てきたこと、知っていることを基準に「フツウ」という言葉を使っていることが多いですね。
そのことに気づいて、「大嫌い」と感じられるあなたの理性と感性に拍手を送りたい気持ちです。

自分の知らないことは永遠にたくさんあって、知らない自分を謙虚に受け止めることがいろいろな人たちがお互いの権利を守る基本だとカエルは思っています。

update 2025/1/6
Q.制服でトランスジェンダー向けのズボンは増えてきたけど、スカートはなぜ少ないのか。悲しい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、トランスジェンダー向けのスーツや制服などが増えてきたように感じます。ですが、ほとんどFTM向けのズボンです。スカートはなんで少ないんでしょうか。悲しいです。

A.自分の望む装いが叶わないのは(あなたはスカート希望なのかなと推測しています)、ほんとに悲しいですね…。
見た目も自分の大切な一部でアイデンティティなので、そこで自分らしさが叶わないのは、人格や心の一部を不当に奪われているに等しい気がします。(逆に、それが平気な人は、見た目があまりアイデンティティと結びついてないのかもしれません)
誰がスカートだろうとズボンだろうと誰に迷惑をかけるでもないはずですし、そもそも制服を着ない自由もあるべきだし、選択肢は多ければ多いほど社会は健全だと思うのですが、選択肢が少ない社会で残念です…。

スカートの制服を割り当てられた人がズボンを穿くよりも、ズボンを割り当てられた人がスカートを穿く方があまり進んでいないのは、なぜなのでしょうね…。
私服でシス女性でもズボンは一般的で、シス男性のスカートはまだ一般的とは随分距離があるので、何かしら感覚的な抵抗を感じる人が多いとかはあるのでしょうか。倫理的な問題がなくとも、「感覚的な」抵抗をもつ人が多いほど(感覚で誰かの自己表現を制限されても困るのですが)、選択肢を増やす足取りは重くなる気はします。

こうやって率直に、「なんで?」「悲しい」という発信をしてくれることは、みんなが考えるきっかけになるので、とても大切だと思います。

update 2024/12/29
Q.歴史上の人物はほんとにいたのか、過去の真実は誰にもわからないんだと思う。
この記事の担当 うさえなが

Q.歴史上の人物って、ほんとにいたか分かんないと思う。だって、証拠品だって、誰かが妄想して作り上げたものなのかもしれないから。過去のことなんて、誰にも真実はわからないんだと思う。

A.ん~、そうかも!

*ウ・サギから補足*
確かに、何を証拠や根拠として、真実と妄想を分けているのかは詳しい人に聞いてみたいですね…。
なんなら現在のことだって、テレビやネットの情報も、誰かの捏造や妄想の可能性もあります。だから疑うのも信じるのも、自分で判断し、自分なりに確かめていく姿勢をもちたいとウ・サギは思っています。

実際に、人物の話ではないですが、2012年に、鎌倉幕府の始まりが1192年から1185年に変更になったこともあります。
ただの知識の詰め込みだけでなく、「どうしてこれが真実だと思われているのか?」を学校で話せたら勉強が面白そうです。

update 2024/12/28
Q.自分は誰かと対話したいだけだったと気づいた。匿名相談の「傾聴」は少し苦しい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分はただ誰かと対話したいだけだったんだとこのサイトのおかげで気付きました。匿名相談は相談員の方がきっと「傾聴」を叩き込まれているのかなと思います。うまく話せなかったり、話し終えても「もっと話していいんですよ」と言われてしまうと少し苦しい。

A.よくぞ、そこに気づいてくださいました。カエルはとても嬉しいです。
誰もが対話を必要としています。なのに、対話の機会は本当にないのです。家庭でも学校でも職場でも対話よりも指示命令や報告、連絡、伝達などの事務的あるいは、結果や結論が決まっている、テンプレな会話が多く、お互いに感じていることや考えていることを伝え合い、考えてみる対話の機会は本当に少ないです。
そして、お気づきの通りで相談では傾聴が基本とされているため、そこでも対話が生まれることは少ないです。ぜひ、匿名相談の場で「私がしたいのは対話なのです」と相談員さんに伝えて、一石を投じてもらいたいと思いました。

update 2024/12/24
Q.制服を着るのが辛い
この記事の担当 生きかたカエル

Q.制服を着るのが辛い

A.(※質問の補足の内容に、スラックスが長いのしかなく暑そうなのが心配とありました)カエルにはよくわからないのですが、スカートとスラックスではそんなに夏の暑さに違いはあるのでしょうか。もし違いがあるのであれば、ズボンをはいている多くの男子も同じ悩みがあるかもしれないので、この際、夏のためのショートスラックスの導入を提案してみてはどうでしょうか。賛同者がほかにもいるかもしれません。
ほかの問題もそうなのですが、誰も意見を言わないと「意見はない」「みんな、これでいいと思っている」と認定されてしまう風潮があるので、すぐに変わらないかもしれないけれど、自分たちに関係することについて意見を表明しておくのはとても大切です。

update 2024/12/23
Q.生きることも死ぬことも許されないこの社会は私にどうしろというのか
この記事の担当 うさえなが

Q.理不尽ばかり。矛盾まみれ。いつだって弱い立場のものが虐げられる。当たり前のように存在する「普通」に縛られ続ける。生きることも死ぬことも許されないこの社会は、私にどうしろというのだろうか。

A.んーと、えーと、ごめん、わからない!
許されない・・・は誰が言ってたの?

*ウ・サギから補足*
なかなか過酷な環境にお住まいのように感じました。
世の中のそういった風潮や現実はウ・サギもひしひしと感じつつ、中にはそうじゃない人や場所も多少はあるので、そういった小さい休憩所がある人だけが辛うじて呼吸をしているのかも…というイメージがふと浮かびました。
「こんな社会じゃ生きていけない!」と叫ぶ声が積み重なることが、社会を変えていくためには必要だと思うので、この「どうしろというのだろうか」という言葉に生きづLABOとしては感謝したい気持ちです。
でも本当に、どうしろというのだろうか?と言う感想が相応しいくらいに、ああしろこうしろと見えない縛りが多い社会だと感じます。

update 2024/12/12
Q.ネットの世界まで社会の嫌な部分を凝縮したようで息苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.スマホが普及して良いこともいっぱいあったけど、インターネットの世界まで社会の嫌な部分を凝縮してそっくりそのまま移植された空間のようになってしまって息苦しいです。以前までのネットが全て良かったわけでは決して無いけど、まだ逃げ場があった気がする

A.確かに、どんなコンテンツも黎明期の方がちょっと居心地がいい気はします。
最初は興味の強い人が入ってくる分、ある種のマナー(悪く言えば身内感かもですが)はあり、全ての人に開かれると、やや無法地帯になる傾向はあるのかもしれません。といってもきっと本当は良心的な人の方が多くて、良心的な人は声が小さく、周りが見えない人の方が声が大きいだけだとウ・サギは思っています。
素敵な部分だけを凝縮、とまではいかなくても逃げ場のあるネット空間、どこかに作れないですかね。。

update 2024/12/12