Q.とてもつらいけれど、家族もみんな病気や障害があったり大変で、きつくても気遣いをどうしてもしなくてはならなくて居場所がない。でも誰が悪いわけでもないし、家を出ることがむずかしそうで、どうすればいいかわからない。
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Q.とてもつらいけれど、家族もみんな病気や障害があったり大変で、きつくても気遣いをどうしてもしなくてはならなくて居場所がない。でも誰が悪いわけでもないし、家を出ることがむずかしそうで、どうすればいいかわからない。
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Q.承認欲求に支配されすぎて、自分の感情がわからなくなりました。やりたいと思っていたことが、実はただ他人から認められるための手段であったと後から気づき、自分は生きて何をしたいのかわからない状態です。
A.他人から認められたいと思うのも、ある意味で自分の感情だと思うので、それならそれでいいのでは?とカエルは思ってしまいます。そもそも、人の動機は「これだ」という明確な一種類の感情ではなく、多面的で複雑だと思うのです。だから、他者から認められたいという気持ちもそんなに悪いことではないのかなと思いました。
また、こうして「支配されすぎてヤバい」と自覚しているのですから、見方を変えるとそれはまだ支配されていないとも言えそうだと思いました。
カエルは承認欲求なるものは社会の在り方と密接な関係があると思うので、質問者さんの個人的な課題ではなく、社会が不安やコンプレックスなど人の欲を巧みに刺激して成り立つ商売に溢れていたり、不安をあおるような情報があまりにも多すぎることが問題だと思っています。余計な情報から少し離れて、静かな環境で自分の心身に意識を向けたり、心地よいと思える感覚を入れたり(音楽を聴く、お風呂に入る、好きな食べ物や飲み物を楽しむなど)することをおススメしたいです。
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Q.値上げばっかりで生きていくことが大変で
生きていくのが嫌になる。物価高早く終わってほしい。切実な願い。未来に希望を持てる世の中になりたいなぁ
A.カエルも物価に振り回されるような世の中はとても脆い社会だと思います。特に食べ物が手に入りにくくなるとか、我慢しなくちゃならならないのは心の余裕を必要以上に奪っていく気がします。未来に希望を持てる世の中はどうしたらできるか、一緒に考えましょう!
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Q.血が繋がった親に育てられなかった子供は不幸だと言う人がいるけれど、カッコウのヒナの絵本を読んで、血の繋がった人に育ててもらうことが生き物のすべてではないのではと思った。
A.血の繋がりにこだわるのは人間だけなのでは?とウ・サギは思っているのですが、どうなのでしょうね…。カッコウ(別の種族)のヒナでも気づかず子育てをするくらいなので、自分の血を引いている・引いていないに気づく生き物がいるとはあまり思えないような…。自分の種の存続という話で考えても、血縁がないなら育てません!とか、血縁がない相手に育てられたら不幸になるとかは、全く合理的ではないと思います。
だから血の繋がりに意味があるなんて、人間のつくった感情的な妄想なのでは?とウ・サギは思っています。血の繋がった親に育てられて苦しんでいる人だって山ほどいます。「親は産んだ子を無条件に愛し育てるもの」といったものが普通となっているが故に「普通じゃない育ちの自分」に苦しむことはあると思うのですが、育ててくれた相手に血の繋がりがあろうとなかろうと、尊重されて育てば幸せで、尊重されずに育てられたら不幸だとウ・サギは思います。もっと言うと、子どもが幸せに暮らせるかは、親や養育者だけの責任ではなく、取り巻く環境の全てが関係してくるとも感じています。
あとそもそも、「血の繋がった親に育てられなかった子どもは不幸」と、他の人の幸不幸を属性情報だけで勝手に決めるのがまず変な話だし、失礼な話なのでは?と世の中にもやもやしてしまいました。
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Q.何不自由なく育ててもらいました。感謝しています。それなのに今自分が生きていることが恥ずかしい。そんなことを思うのは親不孝な気がして更に苦しいです。どうしたら良いですか?
A.何不自由なく育ててもらって感謝していることと、生きていることが恥ずかしいことは両立してもおかしくないとカエルは思いました。誰かが素直に感じることや思うことに、親孝行も親不孝もないので、「自分、こう思うんだ」と素直に受け止めていいと思いました。ただ、それができないから苦しいと思っているような気がするので、あまり役に立つ回答じゃなさそうです…苦笑
そうそう、もう一つ思うのは、親孝行、親不孝にはある種の呪い的な要素が含まれているということです。子どもの権利を考えると、親が子どもを育てるのは当たり前の責任であり、それに対して恩を感じたり、感謝したり、何かお返しをしたいと思うのは自然にそう思うのならいいのですが、別に無理をしてやることでもなければ、何なら感謝なんてしなくても全然かまわないとカエルは思っています。でも、世の中的にはなぜだか「親には感謝しよう」「育ててもらっている」「親に迷惑をかけてはいけない」という見えない圧があるように思います。その圧で苦しむ人がけっこういそうな気がして、見えない圧を生じさせる呪いからは解放されたいと願いカエルです。
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Q.障害福祉に関心のある者です。イベントで優先レーンを見かけて、何だか不公平だと感じてしまいました。障害者は、入場までに数時間掛かるケースでも、すぐに入ることができるそうです。これはやりすぎだと思ったのですが、どう思いますか?いわゆる健常者でも、数時間並ぶとなれば諦めるケースは多いのに、権利保証のためという理由で、障害があれば待ち時間が大幅に削減されるのは、理想的な合理的配慮のあり方とは言えないと思います。また、こういったサービスを導入することにより、より健常者と障害者の隔たりがうまれ、障害に対する理解や配慮が広まりづらくなるのではと懸念しています。それは本来望んでいることではないはずです。
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Q.楽しい出来事の後に、未来でうまくいっていない自分が頭に浮かんでしまい、不安になります。「これまでとこれからは違う」と自分に言い聞かせることで、なんとか不安を軽減させていますが、他にも不安を軽減させる方法はありますか?
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Q.やらなければいけないことがたくさんあるのに、いつもどうでも良いと思ってしまい、何もできません。破滅願望を抱いてしまいます。やらなければならないことは分かっているのに。どうすればいいでしょう。
A.ウ・サギも「やらなければ」ということは日々いくつかありますが、本当に大切なことって実はそんなにないと思っています。やらなくても誰も困らなかったり、困るのは自分だけだったり、誰かが代わりにやればいいことだったり、そもそもそんなことをやらなくてはいけない世の中の仕組みの方がおかしいだけのことって結構多いと感じます。
生存を目的とするなら、やらなければいけないのは、まず何よりも持続可能な形での食糧の生産。人権を守り合うのを目的とするなら、やらなければいけないのは多様な生き方を肯定し、自らの暴力性を自覚し続けること(やらかしても、なるべく早く気づいて謝れるようにすること)くらいな気がするのですが、どうなのでしょうか。そのやらなければいけないことを軽視し、よくわからない、むしろやらない方がいいことを推奨される機会が多い気がしてウ・サギは危機感を抱いています。
と、ちょっと話がズレすぎてしまいましたね・・・。ウ・サギが言いたいのは、自分から湧き出てくる思いの方がきっと大切だと思う、ということです。どうでも良いという気持ちや破滅願望に身を任せすぎるとそれはそれで困ったことにもなりそうですが、それらの思いは、あなたにとって大切な自分の意思だったり、違和感だったり、自己表現だったりするのではないか?とウ・サギは感じました。
実用的(?)な回答をするなら、どうせ何もできないなら、「やらなければいけない」という気持ち自体も忘れてしっかり休めたら合理的なようには感じます。そう割り切れた方が絶対お得なのになあ、と頭で思いつつも、ウ・サギはいつも「やらなくてはならないことがあるのに」と追い詰められた気持ちで何もできない時間を過ごしています。
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