Q.いじめで学校に行きたくない。でもお母さん、お父さんには学校に行って!て言われます。
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Q.母の介護で5年間社会から隔離されていました。介護が終わって一般社会に戻ろうとしたら世の中の在り方に強烈な違和感を感じて何もかもやる気を失いました。これからどう生きていけば良いのでしょうか?
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Q.前の学年まではちょくちょく休みながら学校へ通えていたのですが、今年度に入ってからほとんど学校にいけなくなりました。修学旅行だけ!と親と先生に説得されてがんばって行ってみるとすごく楽しかったのですが、3日程度でまた不登校になってしまいました。
A.学校は行っても行かなくてもいいとウ・サギは思うのですが、現実としては、行かないと不安だったり周りからの反応がつらいことがあるのを(補足の内容含め)受け取っています。「学校は行くもの」「学校に行かなくてはいけない」「学校に行かないと将来不利になってしまう」といった考えに大人が洗脳されてしまっているのが、本当にもどかしくて悲しいウ・サギです。子どもに適した学びの環境、誰もが伸び伸びと学べる教育のあり方を、本当は考えないといけないと思うのですが……。
ウ・サギは不登校という言葉もちょっと違うと思っていて、今の環境以外の場での学びを希望する、学校が自分にとって安心できる学びの場になっていないと主張する(体・心がそうSOSを発している)、などと本当は表現したいです。それはまっとうなことだし、大切なことだと思っています。
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Q.外国人は〇〇だとかよくみんな言いますけど、日本人含めた東アジア人は欧米で、格闘技大好きでいつでもやりたいと思っているとか思われてるってことをみんなに教えたいです!
A.なるほど…質問者さんは欧米に住んでいたり、滞在していた期間があるのでしょうかね。自分たちの集団におけるマイノリティに対して偏見やステレオタイプがあるのは、もしかしたらどこに行っても似たようなもので、人間の性(さが)とさえいえるのか…?と考えてしまいました。なぜそれが起こってしまうのか、性だとしたらどうしたら私たちはそれを乗り越えられるのか、みんなで考えてみたいとウ・サギは思いました。
ステレオタイプはNGというのは大前提として、格闘技大好きというのは、柔道や空手のイメージからなのでしょうか…。自分が格闘技に一切興味がなく、周りで大好きだという話もあまり聞いたことがないので、ちょっと困惑しているウ・サギです。
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Q.苦しさを比べるなって言うけど、でもやっぱり比べちゃう。自分より長く希死念慮と付き合ってる人、虐待やいじめを受けた人、精神疾患を持ってる人。そういう人ってやっぱり自分より苦しいんだよなって。
A.ウ・サギも苦しみを比較していた派閥ではあるので、比べちゃうのはまあ・・・ありますよね。
苦しさは主観なので客観的な指標はないと思うのですが、「選択肢が奪われているか」「安全が守られているか」「感性や能力が今の社会と相性がいいか悪いか」など苦しさの要素を分解すれば、ある程度比較は成立するとウ・サギは思います。(このあたりは経済学者のアマルティア・センという人が興味深い話をしていたりするのですが、具体的に書くと長くなるので省きます)
自分の苦しみを軽く見たり抑え込んでも誰にも何も良いという点で、ウ・サギは苦しさの比較には基本否定的です。ただ、人間にはたくさんの要素があるので、自分の方が余裕があって相手の方が大変な部分と、逆に自分の方が大変な部分と、両方混ざっているのが人間関係だと思います。比べる行為が「自分が苦しいなんて思って申し訳ない」と自分を責めたり、「みんなつらいんだからあなたも我慢して」と相手を封じ込めるのにつながるのではなく、尊重し合うために活用されるにはどうしたらいいのか、ウ・サギは考えていきたいと思っています。
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Q.ヨーロッパで暮らしていた時、人の家に行ったり街のレストランやホテルのフロントで、たくさんの大人に可愛がってもらった。子供と家族をお金で優遇するより、社会の中に可愛がってくれる大人が増えることこそが子供にとって本当に良いことなんだろうなあ。
A.まったくもって、その通りだとカエルも思います。
それを実現するためには大人に余力や余裕がある必要があると思います。そして、自分も子ども時代に無条件で大人に可愛がってもらった経験の土台が必要だと思いました。それはおそらく制度やキャンペーンというような政策ではなく、教育や文化の中で培われるものだと思います。そういう世の中にどうやったらなるのか、一緒に考えたいですね。
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Q.送迎バスの運転手が聞いていたラジオで、「子供産みました」「日本の社会に貢献していますね」というような内容が流れました。みんな国に認められたいから子供産むのか。じゃ、虐待増えても無理ないよなと思いました。
A.なんですかそのラジオは…(超モヤモヤ)。子どもが産まれるのは種の存続には欠かせませんが、社会貢献は多様の参加の形があり、出産がその中で特別視されるのは変だとウ・サギは思います。子どもは道具ではないので産むことが達成ではなく、その後子どもの人権を社会というチームで保障していくことが欠かせないはずです。それを十分に考えずに「貢献していますね」なんて呑気なことを言っている場合ではないでしょう……!とウ・サギは思いました。
みんな国に認められたいから子どもを産むのか?というと、家庭をもち子どもをつくることが望ましい人生だという風潮があるのは一つの事実だとは思います。ただ、国に認められたいという意思よりは、そういった風潮を内在化して深く考えずに、または深く考える余裕もないままに、いろいろなことが進んでいってしまうのかもしれません。信頼関係のあるパートナーだと、価値観とかではなく純粋に子どもがほしいし育てたい、といった気持ちなのかなとウ・サギは理解しています。
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Q.おとなになって子どもつくったら虐待しちゃいそうで怖い。
A.「おとなになって」と書いていることは今は子どもなのでしょうか。子どものうちから心配をするというのは真剣に自分を見つめている証拠だと思うので、カエルはその点についてまずは拍手を送ります。なぜなら、「自分は絶対に虐待なんかしない」と思う方が虐待してしまうリスクがあると思うからです。
そして、虐待というのは非常に社会的な課題であり、個人の問題で起こることではなく、また、個人の資質や責任や努力で何とかできるものではないことをお伝えしておきます。歴史的に見て、虐待が起こる大きな要因の一つに貧困(経済的な問題)があります。また、現代における虐待の背景には社会的孤立があります。お金に困らないようにいざというときのサポート(生活保護など)について理解しておき、いざという時に頼れる人や機関、方法を理解しておけば、虐待のリスクをかなり下げることはできます。
ちなみに世の中には「虐待の連鎖」という言葉があり、虐待を受けて育った人は虐待をしてしまう傾向にあるという情報が出回っていることもありますが、それはちょっと間違っています。虐待が連鎖するのではなく、虐待の背景にある困窮や孤立という環境は世代間で似たような状況になる可能性があり、そうなると虐待のリスクの高い状態は続くという傾向は確かです。そうした環境にあっても、頼れる大人に出会うとリスクがぐっと低くなるというデータもあるようなので、とにかく頼れる誰かにつながることが大切だとカエルは思っています。
※なんだか、小難しい回答になりました。とてもいい質問にいろいろな思いがふくらみました。お許しください。
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